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投稿者: akiokawato

  • ウクライナ戦争:フィンランド戦争停戦の場合

    (ウクライナ戦争は戦線膠着の様相を強める一方、9月にはロシアで総選挙があるので、ロシアが停戦をはかる可能性が増えている。しかし占領地から完全撤退することはあり得ない。1939年のフィンランド・ソ連戦争の場合、フィンランドはどうしたのか、2022年12月のメルマガ「文明の万華鏡」の記事を再録しておく)

     

    今のウクライナ戦争は、1939年のフィンランド・ソ連戦争に擬せられている。後者は11月に始まったために「冬戦争」と呼ばれているのだが、西側マスコミはウクライナ戦争をも「冬戦争」と呼び始めている。そしてこの戦争の立役者、フィンランドのマンネルヘイム元帥(のちに大統領)の名は、ウクライナ戦争でも引用され始めている(末尾参照)。

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    1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書で、独ソは東欧をそれぞれの勢力圏に分割することで合意。ソ連はバルト三国とフィンランドへの圧力を強め、フィンランドに国境線の変更、軍事基地設置とソ連軍駐留等を要求、フィンランドが拒絶したことで11月、壮烈な戦争となった。ソ連は、これらの行為に対して12月、国際連盟から追放されている。

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    フィンランドは翌年3月まで戦うが結局、国土の10 %、工業生産の20 %が集中するカレリア地峡(これは現在、ロシアが占領している東ウクライナに酷似)をソ連に譲り渡すという条件の講和条約を結び、3月13日に停戦が成立した(以上Wikipediaより)。

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    4か月間の戦闘で、ソ連軍は少なくとも12万7千人の死者を出していた。フィンランド側は、約2万7千名を失っている。

    1940年6月、マンネルヘイム元帥は、ともに戦ってくれたスウェーデンの義勇兵に対して、停戦を説明し、支援に感謝するスピーチをしている。今(2022年末)、西側のマスコミでは、「ゼレンスキーのMannelheim Moment」として、彼が領土の割譲を国民に説明し、停戦に応ずるタイミングはいつか、という議論が起きている。

  • ウクライナ戦争:第2次大戦での米国のソ連援助は、今回のウクライナ援助と酷似

    (これは2022年12月のメルマガ「文明の万華鏡」からの復刻です。 記録のために)

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    ゼレンスキー大統領は21日ワシントンを訪問。バイデン大統領から18.5億ドル分の追加支援をもぎ取った。

    Kiel研究所によれば、ウクライナは10月までに世界40か国から938億ユーロ相当の援助を受けており、うち米国は523億ユーロ、EUが292億ユーロを負担している。ウクライナの2021年GDP推計額は約2000億ドルなので、ウクライナはGDPの半分強に相当する支援を得ていることになる。これは大変なことだ。

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     と思っていたのだが、第2次世界大戦での米国の対ソ連援助(1941年のLend and Lease法による兵器・食料などの無償供与)はなんと、これに勝るとも劣らない規模のものだった。先日、ついでがあって、その規模を調べて、仰天した次第。

    Wikipediaによれば、それは総額113億ドル、インフレ率をもとに計算すると現在の価値ではその約20倍、つまり2000億ドルを越える。これを使って、40万台以上のトラック、13万台以上の戦闘用車両、267万トンもの燃料等石油製品、450万トン分の食品、1900両の蒸気機関車、120両の戦車等が供与された。

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     だからこそ第2次大戦を生きたソ連市民は、米国製コンビーフの味を懐かしく思い、バンジョーの音色も高らかに得意げに踊ったのだ。もともとお互いに大きな国で、大雑把で、世界のことを気にかける「(はた迷惑な)使命感」に満ちている点で仲間的なところがあり、相性はいい。今でも政治では反米、ビジネスや文化では米国移住を夢見るのがロシア人なのだ。

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     しかし、チャーチルにけしかけられてノルマンディーに上陸するまでは、「ソ連を使ってナチをたたく」やり方を続けた当時の米国。何やら今の米国にそっくりだ。ちなみに今は、チャーチルに相当する政治家は欧州にいないから、米国はずっとウクライナに参戦しないだろう。

  • 渡辺京二氏を思い出して

    以前のメルマガを渉猟していたら、渡辺京二氏への追悼の辞が出てきた。彼が書かれた諸本には尊敬の念を感じているので、ここに再録しておく。2022年12月のもの。

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    新聞を見ていたら、25日渡辺京二氏が92歳で亡くなられたという記事がありました。彼は「逝きし世の面影」で大きな話題を作った市井の学者。大連で育っているから、ものの見方が大きい。若い頃、日本共産党に入るも、1956年のハンガリー動乱鎮圧でソ連に幻滅。脱党して以後、熊本を拠点に在野の思想家・歴史家を通してきた人です。

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    1998年出版された「逝きし世の面影」は大きな反響を呼びました。(以下Wikipedia)これは、近世から近代前夜にかけてを主題とし、幕末維新に訪日した外国人たちの滞在記を題材として、江戸時代を明治維新により滅亡した一個のユニークな文明として甦らせたものです。

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    言ってみれば、日本は江戸期に、市民社会とも言える文明を築いていたということを、生活実感をもって描き出しているのです。当時は江戸時代を単なる封建時代と捉えるより、高度の町人文化が栄えた時代として捉えなおす風潮が盛んで、この「逝きし世の面影」はその一つの頂点を成したとも言えるものです。

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    江戸時代の実際は、そんないいことずくめではありませんが、私にとっては大変愛着のある本で、今でも本棚に大事にとってあります。ご冥福を祈ります。

  • 「カレーラーメン」はこの世にあるのか?

    カレーうどんやカレーそば、そしてカツカレー。「インド+日本」の料理はあるけれど、カレーラーメンというのは聞いたことがない。やはりインド+中国の料理は、国境問題が邪魔してできない? 

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    と思ってググってみたら、あるある。ごく普通にあるのだ。その割りには、あまり街でお目にかかったことがない。

    同じく、カレー・スパゲッティというのも特に珍しいものではない。例えば赤坂のシーザーという店で出している。更にネットをサーフしていたら、上野公園で「カレーそうめん」を売っているという記事もあってびっくり。

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    まあ、インドという国は、QUADで米国と組むかと思えば、BRICSではロシア、中国と一緒。カレーと同じで、インドは何にでもかかって、自分の味にしてしまう。

  • 解体に補助金がつく

    (これは、2022年末書いたものの復刻です)

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     ウクライナ戦争がロシア国内で引き起こすだろう事態をシミュレートした文章を、自分のブログに出した。「ウクライナ戦争とロシアの興亡」と言うのだが、その末尾でロシアが分解してしまう可能性を警告した。

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    そこである日そのブログをまた見ると、なんと「解体補助金アドバイス」という広告バナーがついているではないか。これはGoogleのAIが文面から判断して、良さそうな広告を貼り付けてくるサービス。誰かがクリックすると、ブログの持ち主には1円入ってくる仕組みになっている(長年やっていて実入りはほとんどゼロ)。

     でも、やはりAIにはまだ無理なことが多いのだ。思うに、日本では古い建築物を解体する時、何か補助金が出てくるのでしょうね。ひょっとして、ロシアから応募があったりして。

  • イースター島にすごいピアニストがいる

     この前雑誌で見て、Mahani Teaveという変わった名の女流ピアニストのCDを買った。聴いてたまげた。

    これは、米国シアトルに住む映画監督兼プロデューサーのJohn Forsenが2018年、クルーズでイースター島(例のモヤイの石像で有名なチリ領の島)に寄った際、地元の観光名所にもなっている「音楽学校」で歓待された。そしてそこの庭で、粗末なアップライト・ピアノを弾いたピアニストに衝撃を受けたところから、話が始まる。

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    彼女は地元のイースター島人の父と米国人の母の間にできた人間で、白人美人を浅黒くしたような顔をしている。感心したForsenは半年後には彼女を家族ごと、シアトルの自分の家に招き、最高のグランド・ピアノで彼女の演奏をスタジオ録音、エミー賞やグラミー賞を何度も取った友人プロデューサー達も動員してCDとして売り出した。

    https://www.amazon.co.jp/Rapa-Nui-Odyssey-Mehani-Teave/dp/B08NTX797B)。

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    Forsenは最初、自分の判断が正しかったのか不安になったが、彼女の演奏を聴いたスタジオの技師たちは口々に、これまで聞いたピアニストの殆どよりいい、と言って、Forsenを安心させた。

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    このCD “RAPA NUI ODYSSEY”は2021年、米国のBilboard誌のTraditional Classical部門で一位を獲得する。RAPA NUIとはイースター島のことだ。

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    このCDはバッハ、ショパン、ヘンデル、リスト、ラフマニノフ、スクリアビンという奇妙な取り合わせなのだが(ベートーベンとモーツァルトがないのが面白い)、どれもすごい。ショパンのスケルツォ第1番、リストのバラード第2番が特に。

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     テクニックと音楽性はもちろん、彼女の場合、その音、打鍵がものすごく変わっている。ピアノの音は打楽器的なところがあって、最初の打鍵がいやに響いてあとは減衰していくものなのだが、彼女のは「輪郭線のない画」のごとく、キーを「打っている」と言うより、「ずっと押している」感じ。打鍵のショックはなく、鍵盤を押している間の音量が減衰しない。太くボーンと鳴っている感じ。リストになると、こうしたいくつもの音柱が地響きを立てる。

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     イースター島は今ではチリの一部で、欧州の文化圏にあるようだ。彼女はチリ本土、米国クリーヴランドとドイツ・ベルリンのHanns Eisler Music Academyで教育を受けている。それでも渡り鳥のようなコンサート・ピアニストになるのは嫌で、故郷のイースター島に自分で音楽学校(エコに配慮した作りで、建材に空き缶、ボトルを多用している。円形で変わった建物)を作って子供たちに音楽を教え、地元に音楽を広めている。こういう生き方も手ごたえがあっていいだろうなと思った。

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    因みにYouTubeには彼女の実演がいくつも出ているので、無料で聴くこともできるけれど、音楽学校への募金も意識してCDを購入したらいいと思う。1枚の値段で2枚入っている。

  • ブラック・ジョーク .調味料としての殺虫剤

     これは、どこかで見たジョーク。著作権侵害にならないよう気をつけて書くと。

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    中年の夫婦が舅、つまり夫の父と三人で暮らしている。

    この舅の性格が悪い。食事のたびに嫁の料理に文句をつけて、最近亡くなった妻の料理にはかなわない、と言う。

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     キレた嫁は、ある日、遂に殺虫剤を舅の料理に混ぜて出した。徐々に殺すつもり。すると舅は目に随喜の涙を浮かべて、「これだ! これが女房の手料理の味だ!」と叫んだとか。

  • 日本紀行:京都・飛鳥・奈良

    .                         河東哲夫

    (これは2021年11月メルマガ「文明の万華鏡」の一部を復刻したものです)

    関西に夫婦で行ってきました。途中、京都に寄って、国立博物館で開かれていた「畠山記念館の名品」展を見に行きました。駅を出て呆れたのは、ずらっと並ぶコイン・ロッカーが軒並み空で、キーがささったままになっていることでした(2021年のことです)。コロナの前、中国人観光客が日本にあふれていた頃は、この京都駅前のコイン・ロッカーは文字通り満杯。当時は荷物をあずけるのも一苦労だったことを思い出し、苦笑いするばかり。ホテルの朝食でも、中国人観光客の一団に占拠されて自分たちは街のカフェーで朝食セット、ということもありませんでした。

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    そこで畠山記念館の話し。畠山一清は能登の大名(戦国時代に一時絶えている)の末裔で、荏原製作所を立ち上げた人。実に1300件の東洋美術品を収集した人です。個人の蒐集ですが、中には国宝が3点もあり、最高水準のものばかり。これを見ると、つくづく、日本の美術の多彩さ、層の厚さに驚かされます。天皇という権威が一貫して存在していたことが、前代の文化を全否定して破棄する中国のようなことを起こさなかったのでしょうか。

    そして畠山記念館展でも、そのあと回った三十三間堂でも東寺でも、日本の仏像は彫刻としても素晴らしい。運慶・快慶・湛慶などの仁王像はヨーロッパのルネサンス以来の写実的彫刻によく似ています。

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    次の次の日、万葉まほろぼ線に乗って巻向駅で降り、近くの纏向遺跡を見てきました。このまほろぼ線と言うのは何回乗っても味のある鉄道で、山の辺の道のすぐ下を南北に飛鳥の近くまで、多数の古跡の間を走っていく鄙びた単線です。奈良を出てすぐの駅が「きょうばて」。何かと思って看板を見ると「京終」。平城京の端だから京ばてだそうで。そしてその次の駅が「帯解」(おびどけ)。安産のための腹帯が安らかに解けたという意味から平安時代に命名されたそう。そしてその次の駅が「いちのもと(櫟の本)」。これは、天狗の住む巨大な櫟(イチイ)の木の根元があったとの伝承に由来・・・。ここらで、ギブ・アップ。根無し草の東京人では、ついていけない。

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    目指す巻向(まきむく)も、ずいぶん変わった名です。古代日本語なのでしょう。これは纏向とも呼ばれ、日本の東西南北からの土器類が発掘されるところから、通商・政治のハブであったと推定されており、ここに邪馬台国を比定する人たちは少なくありません。

    で、纏向遺跡というのは、私の住んでいる東京西郊の50年前の姿のような田園地帯にあります。小さな標識をたどっていくと、まるで住宅地造成中のような空き地があって、そこに古代の「宮殿」跡と目される建物の土台を示した杭が何本も立っている、あっけないものでした。まだまだ調査は始まったばかり。

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    そこから、歩いて十分ほどのところに、前方後円墳の箸墓があり、これが卑弥呼の墓だとする人も大勢います。ならば早く発掘して、確かめて欲しいのですが。面白いのは墓の脇の交差点に「日本一たい焼きの店」というのがあることです。入ってみましたら、ここは博多の人が「ここのたい焼きは日本一たい」と博多弁で言ったのが、この屋号の由来だそうで。

    今から35年も前に流行った「およげ、たいやきくん」の歌が店内に静かに流れていました。たい焼きは本当においしかったです。その昔、卑弥呼女王も食されたことでしょうか。

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    ちなみに、このあたりは奈良盆地が一望に見渡せるのですが、本当に大きな平地です。ここに縦横に川が流れているのですから(昔は大きな湖だったという説もありますが、当時の遺跡は今の標高からすると湖中にあったことになってしまうので、無理があります)、稲作は大変な富を生んだことでしょう。それが大和朝廷、あるいは平安朝の力の背景にあったわけです。

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    午後は奈良に戻り、正倉院展を拝観しました。コロナのおかげで希望者が少なく、チケットを確保できたわけです。で、そのチケットを上着のポケットに挿して会場に近づきますと、後ろから鹿が私の背中にかみつき、振り向いたところでポケットから顔をのぞかせていた大事なチケットをくわえだすと、むしゃむしゃ食べ始めました。前代未聞(と言っても、年に数回こういうことはあるのだそうで)。鹿の頭を押さえてチケットを口からもぎ取ろうとしましたが、回収に成功したのは幅2センチほどの切れ端。係員に事情を説明すると、快く入れてくれました。鹿にはああいうことをしないよう、しかと言い聞かせておいてもらいたいものです。

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    正倉院展を見て出てくると、外はもう夕暮れ。けっこう寒くて、バス停の前ではリヤカーで引いた炉で、焼き芋を売っています。なぜかぜいぜい息を切らしている、薄汚れた白いチンのひもを引っ張った、2,3人の若い中国人男女が、リヤカーに近寄ると焼き芋を買っていました。正倉院と焼き芋と中国人。まあその昔、長安でも宮城の前で焼き芋を売っていたのかもしれませんが。

    中国人を思い出し、中国人で終わった関西旅行でした。

  • ロシアで「自由」が叫ばれた時代

    ロシアと言うと、プーチンの独裁とか、帝国主義とか、暗いことばかり言われるが、実は1985年ゴルバチョフ書記長による改革が始まってから、ソ連・ロシアの社会はオープン化・民主化の方向に進み出した。そしてそれは1991年8月保守派クーデターを、モスクワ市民の集会がつぶした時、そしてその直後に最高潮に達する。

    それはムード的なもので、その年の12月にソ連が崩壊し、次いで1月に価格が自由化されると2年で6000%のインフレが現出したことで、暗転してしまうのだが、ロシア人も本来は自由と民主主義を希求していること、その点で共感を持てる人間たちであることが、よくわかった。

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    数年前メルマガ「文明の万華鏡」に書いた以下の文を、ここに復刻しておく。

                                     河東哲夫

     1991年、僕はソ連大使館で広報・文化を担当していた。8月19日の早朝、大使館の政務班長からの電話でたたき起こされる。「クーデターが起きた。至急出勤して」ということ。そう言えば、先ほどアパートの前の道路をがらがら音を立てて通って行った車は戦車だったのだ。車を運転して外に出ると、道路のアスファルトにキャタピラのぎざぎざの跡がついている。

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    そのあと起きたことは疾風と怒涛。ロシアの友人たちは保守クーデター反対に回り、街頭でビラ配りなどをし始めた。夜には、エリツィン一党のこもる純白のロシア共和国(その頃はまだソ連の一部)最高会議の建物の下、若者たちが集まり、焚火を囲んでは(その時けっこう寒かったのだ)キャンプ気取り。ギターでフォーク・ソングの類を歌って寒さをしのいでいた。

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     21日になってクーデターは瓦解。避暑先で監禁されていたゴルバチョフ一家はその日の深夜、モスクワに戻ってきたが、人心は既にエリツィン・ロシア共和国大統領(その一年前、ロシア共和国内での直接選挙で選ばれていた)に完全に移り、ソ連はその12月の末、正式に消滅する。

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    8月22日、あの雨上がりの爽快な空を今でも覚えている。モスクワ市民は、自分たちの手で国を変えたという自信(実際には何もやらない者が大多数だったが)を見せ、いつもは「なんで俺がこんな仕事をやらなければいけないんだ」という風情で外国人アパートの庭を掃いていた若いロシアの男までが、なんとなく晴れ晴れとして胸を張っていた。

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    「自由!」という言葉がテレビでも繰り返されていたあのロマンチックな日々。あれが、その後30年のロシアの歴史の起点だった。うち10年はエリツィン時代のなんでもありの混乱、残りの20年はプーチンの保守化の時代。エリツィンによるソ連共産党の解党と民主化は、政党乱立で何も決まらない政治、そして市場経済化は2年で6000%のインフレ、国営企業の民営化による財閥資本家の台頭と天文学的な格差を生み出し、大衆はただちにエリツィン政権にそっぽを向いた。

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    この頃起きた民主主義、市場経済をめぐる議論は延々と繰り返され、それに反米が加わって、現在のロシア社会の基調を構成する。プーチン政権はこの20年間、エリツィン改革というごった煮の悪汁をそのまま煮固めてきたようなものだ。その間行われてきた議論のいくつかは、現在の中国習近平政権の今後のありようを占う上でも、有用なものだ。

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    そして今、当局は取り締まりを強化。ぺんぺん草も生えないほどの保守化を実現してしまった。今やアフガニスタンでのタリバンの政権復帰と似たり寄ったり、ロシアは30年間の堂々巡りの末、「欧米型の民主主義は認めない」ソ連的な社会に先祖返りしたのである。

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    ロシアでの工業生産の大半はまだ国営企業に牛耳られているのだが、それは仕方のない面がある。西側大企業に比べると、売り上げも利益も比べ物にならないほど小さいから、現代の先端技術開発に伍していけるはずがない。国営でいるしかない。しかも、70年あまりの共産主義・官僚統制経済の中で、企業を企業として経営できる人材が決定的に不足している。その中でもナノ材料とか、コンピューターのアプリとか、有望な芽はいくつかあるが、中国のように一度経済を西側大企業に開放しないと、「ソ連2.0」では22世紀にたどりつけない。

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    話しを30年前のクーデターに戻すと、僕がその時代のソ連、ロシアを描いた大河小説に、「遥かなる大地」(筆名熊野洋)がある。激動の社会を背景に、個性豊かなロシア人ジャーナリスト、イリヤ―・マコーシン(フィクション)とその一家の運命を描いたものだ。当時ロシア語訳を出版し、現代版「ドクトル・ジバゴ」だと言って宣伝したら、その著者のパステルナークの孫から(抗議の)電話がかかってきた代物。でも、僕としては面白いと思うので、このクーデターのあたりをここに掲げておく。当時の雰囲気をわかっていただけると思う。

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     ――(主人公のイリヤーは自分で新聞を立ち上げて時代をリードしている。クーデター当日、彼は郊外の別荘のペンキ塗りをしていたのだが、クーデターの報で市内にかけつける。目指すは、エリツィン一派が立てこもるロシア最高会議の議事堂「ベールイ・ドム」である)

    スモレンスカヤ駅で地下鉄を下りると,サドーヴォエ通りをふさぐトロリーバスのバリケードが目に入る。しかし回りには兵士がいるわけでもなく,沢山の野次馬ともおぼしき群衆が酒が入ったと思える勢いで気勢をあげていた。そのなかを黄色い法衣を着た東洋人の僧が,手に持った太鼓をたたき,大声で平和を叫びながら歩いている。

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     議事堂のまわりは,(保守側の)戦車や装甲車,そして鉄パイプや柵の一部で作られたありあわせのバリケード(エリツィン側の)や,助太刀のために駆けつけたタクシーの群れに囲まれていたが,雰囲気はあたかも野外ロック・コンサートのようだった。若者たちは焚き火で暖を取りながら,ラジカセや仲間のギターで時をつぶしており,その中を中年の女性が自分で作った山のようなピロシキを配って歩いていた。(保守クーデター側の)戦車や装甲車の兵士は市民たちと話しており,市民からエリツィンのアピールをもらっては読む将校もいた。一人の酔っぱらった失業者風の男が,シャツの胸をはだけて戦車の兵士に叫んでいる。

     「撃ってみろ! 撃てねえだろう,俺もお前もロシア人よ!」

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     急ごしらえの演壇では,喜劇俳優ハザーノフが,ゴルバチョフをからかい,(クーデター首謀者の副大統領)ヤナーエフの記者会見での手の震えをまねては大喝采を受け,詩人のエフトシェンコ(日和見と見られていた有名詩人)が若者からのやや冷たい反応を受けながら,抵抗勢力を讃える自作の詩を不安げな表情で朗読していた。民主ロシアのチェゴダエフ議員たちがメガフォンを手にがなっている中に,イリヤーはアリルーエフ(新興成金。フィクション)のダミ声を聞きつけて思わず苦笑した。あの男,こんなとこまでやって来ていい恰好してやがる。

     「アリルーエフだ。俺は,ケチなことはやらねえ。さあ,持っていけ!」 と彼は叫び,手に持った百ルーブル紙幣を皆にばらまいた(そういう成金は実際にいた)。

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     (イリヤーは議事堂の中で友人で政府官僚のサフロンチュクの話を聞く。サフロンチュクは、ゴルバチョフがクーデターの動きをどうも事前に知っていたらしいと言う)

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     「一体何なんだ,それは?」

     「俺もそこを知りたい」

     「やれやれ。何てことだ。しかし,起こったことはしかたない,か。いずれにしても,思いがけない方向に動いているな。共産党とソ連は,これで崩壊するぜ。守ろうと思ったものを,自分で崩してしまったんだ」

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     イリヤーはサフロンチュクの部屋を出ると,出口を探して歩いていった。広い薄暗い廊下の向こう,レーンコート姿の上に帽子から流れでた長い金髪を揺らせた,均整のとれた若い女性の姿が浮かびでる。オーロラ(KGBのためにイリヤーの動静を探っていたのが恋に落ち、子供まで作っていた。その間、姿を消していたのである)! 彼女は立ちどまり,ためらった。彼女の目には涙が光り,イリヤーにすがりつくような表情だった。

     「イリヤー,イリューシェンカ。私の太陽,私の英雄。会いたかった。とても会いたかった。最後に。最後によ。私を許して,イリューシェンカ。子供のために,私を許して」

     「子供だって? 俺の子供なのか?!」

     イリヤーは思わず大声をあげたが,オーロラは答えることなく,イリヤーにただしがみつき,涙を流しながら彼の唇をむさぼった。かたわらを武器を持った警備兵や,書類を持った役人たちが,急ぎ足に通りすぎていく。

     「敵の攻撃が迫っています。敵の攻撃が迫っています。女性は館の外に退避して下さい。男性はガス・マスクを配りますので,各階の係りのところに出頭して下さい」 

     急迫したアナウンスの声も,二人には聞こえなかった。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

     21日になって,クーデターは失敗が明らかになった。・・・・・・・・・・・・・・・

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     夕方になり雨はあがり,雨に洗われた建物の赤い煉瓦に,夕日が新鮮な光を投げかけた。近くの交差点では,黄色いショート・パンツにTシャツ姿の若い娘が,ローラー・スケートですべりながら,クーデター失敗のビラを通行人に微笑みながら渡している。今は,道ばたで物乞いのひくアコーディオンの悲しい音さえ,なぜか弾んだものに思われた。

     街をいく人々の顔は晴々とし,自分たちの力で新しい時代が開かれたことへの誇りが見られた。ロシアの大衆は,エリツィンの下で,自由と改革の女神との束の間の新婚生活を味わっているようだった。

          何か,心にポッカリ穴ができたような,それでいて晴れがましく,新鮮で奇妙な気分,新しい時代なのだ。

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     次の日の夜明け,「地獄の狼」(女スパイのオーロラが率いてきたオートバイ暴走集団。同名の集団は今でもある)はオーロラを先頭にコムソモーリスキー通りをレーニン丘まで進むと反転し,隊列を横に整えた。眼下に眠るモスクワの東の空が次第に赤らみ,新しい時代の太陽が姿を現す。

     「地獄の狼」は,一斉にクラクションを鳴らして,女親分に別れを告げた。オ―ロラは,「みんな,元気でね,さようなら!」と叫ぶと,アクセルをふかす。赤いBMWは,レーニン丘の深い森から飛びだして,空中高く舞いあがる。

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     あらゆる欲望と絶望,そして希望が眠るモスクワは眼下に横たわり,その向こうにはロシアの大平原が青く無限に連なっていた。金髪を太陽にきらめかせ,真紅のオ―トバイとともにモスクワ川へと落ちていくオ―ロラ。子熊座につながれていた犬は解き放たれて,この世の終わりがやってくる(そういう言い伝えがある)だろう。

    (そして本当に、この世の終わりのような1992年、1993年がやってくるのです。カネと暴力で彩られた。それは「遥かなる大地」下巻で・・・)

  • EUには狼、日本ではクマ

    以下は、2023年10月メルマガ「文明の万華鏡」に書いたこと。

    狼は絶滅したとされていた欧州に、狼が戻っている。今の推定合計2万匹、と言うからハンパない。この前はウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長殿が田舎で可愛がっていたポニーが狼に食われてしまったそうで、彼女は今、狼規制(狼狽ではない)の旗を振っている。欧州では、絶滅したと思われたロシアの脅威も復活したし、ご苦労なことだ。

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    日本ではクマが人里に進出し始めた。これは人を襲うので、狼以上の脅威。クマと言えばロシアだから(メドベジェフ元大統領の「メドベジェフ」は日本語に訳せば「熊さん一家」)、納得できないでもないが、日本にとって脅威なのはロシア軍より北朝鮮のミサイルと中国軍。そして中国の電気自動車。

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    米国で復活している脅威は? それは再選されたトランプ。