.河東哲夫
(北陸は本当に面白い。裏日本と言われるが、もともとは大陸に面していて、ここが日本の表玄関だったのだ。しかも、日本海側の河口都市には、北海道から始まって大阪のコメ市場まで廻航している北前船の寄港地があって、ここでコメが集荷されていたのだ。古い港町は、富山などには結構残っている。加えて北陸には先端技術から織物まで産業が集積していて面白いのだ。これは2010年7月の紀行記である)
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6月に、富山の商工会議所に講演でよばれて行ってきた。富山というと、僕は40年前の学生時分に1泊して通り過ぎたきりなのだが、それ以来、僕にとって「地方都市」の原風景となっていた。全国同じような退屈な駅前風景のなか、古びた市電のレールがループを描いている。そして安旅館のこたつで食べる鍋料理。それだけだった。
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だが今の日本はどこも、都市は小奇麗になっている。仙台とか広島とか、その瀟洒な街並みには本当に魅せられる。富山もその点、昔とは様変わり。それにこの街はけっこう大きく、駅前から乗るポートラムという、モダンな市電を2両つなげたような電車も、スピードをあげ延々と終点の港まで20分ほども走る。そしてその間ずっと、市街地が続いているのだ。
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だから富山は、日本海側の中心になる風格を持っている――と書くと金沢とか秋田などから猛然と反発の声があがるだろうが。ああ、そして街はずれを流れる神通川も川幅が広くて、けっこうな大河なのだ。
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ホテルに着いて窓を開けると、三味線の音がした。真向かいの大きな公民館のどこかで練習しているのだが、この北陸で奏でるはなぜか陽気な沖縄音階。江戸時代、富山は北前船の寄港地だったし、沖合では薩摩の船が中国からの船と密貿易をやっていたとの説もあるので、沖縄文化がけっこう忍び込んでいたのかもしれない。
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僕は地方に行くときは、街を足で歩き回るだけでなく、県庁、市役所、日銀などの方にも会って、その地方の経済、社会を勉強することにしている。どの地方も、経済史、郷土史を調べると特色があって面白いのだ。で、富山について見聞きしたことをここに書き連ねてみる。
付け加えておくと、北陸は保守王国と呼ばれており、議員の数も多いそうだ。富山にも「自由民主会館」というのがそびえているが、これは東京の民主党本部くらいに大きいのだ。
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住みやすい富山
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富山に移住した人の話を聞くと、人付き合いはけっこう大変らしいが、それでも富山は大変住みやすいところらしい。例えば持ち家率は全国最高水準で、家の大きさは全国一なのだそうだ。
共働き率が全国でも最高水準だと言うから、女性にとってもいいところだろう。そして道路整備率は全国でも最高水準、かつ渋滞が少ないので、自動車族にはこたえられない。
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ほくほく線
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富山へは、鉄道でどう行くか御存知ですか(2026年の今はもう、新幹線で行ける)? 東京から行くのだったら、長野、直江津経由で北陸線、と思われるでしょうが、普通使われる最短路線はなんと上越新幹線の越後湯沢で「ほくほく線」の特急「はくたか」に乗り換えて、直江津からJRに入って計3.5時間という路線。合計400kmもある。
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この「ほくほく線」、面白いことに途中までほとんど直線なので、「はくたか」は無人駅ばかりのレールを時速160キロでぶっとばす。山岳地帯を直線で突っ切るのだから、ほとんどがトンネルだ。この鉄道は地方自治体などによる第三セクターとして運営されていて、JR以外では日本最長の10kmの赤倉トンネルや、泥火山と言われる粘土の塊、鍋立山に難工事の末通した9kmの鍋立山トンネル、そしてトンネル内での追い越し車線など、調べてみると至極面白い鉄道なのだ。何か今でも、こういう鉄道があるとはどこか信じられない。
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この路線、上越・信越本線の中間地帯の開発も兼ね、もう戦前から誘致運動があったらしいが、採算性が問題で、着工したのは1968年(一部は信濃川発電所建設用の専用線も利用したらしい)、開業したのは1997年、まだごく新しい路線なのだ。
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だが採算が問題になるどころか、第三セクターが手がける鉄道としては全国でも珍しく黒字を続ける。東京から富山、金沢への最短経路として使われているからだが、2014年には信越新幹線が直江津まで伸びるらしく、そうなるとほくほく線は活路を他に求めざるを得なくなるだろう。
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富山から東京への最短経路は長野経由だろうが、途中に立山山塊が立ちはだかる。だがトンネルだらけの「ほくほく線」を作れたのだから、富山―長野線を作れば北陸―東京間は本当に短くなるだろう。今、3時間半かけて旅行しているが、直線の250kmに鉄道を敷けば1時間になる。
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富山の歴史
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富山には糸魚川、神通川のふたつの大河が流れる。糸魚川は本州をまっぷたつに断ち切る糸魚川―静岡構造線(フォッサマグナ)で知られているが、地殻の圧力を受けたためかヒスイの産地として有名だ。この糸魚川のヒスイ、朝鮮半島の「任那」にあたると思われる地方の遺跡からも発掘されているらしい。この「任那」地方には前方後円墳が多いのだが、このヒスイもこの地方と日本の大和朝との関係を推論する根拠になっている。ただ面白いことに、糸魚川のヒスイは6世紀くらいから捨て置かれ(白村江の戦いで、大和王朝が朝鮮半島での足場を完全に失ったのは663年だ)、「再発見」されたのは昭和になってかららしい。でも採掘が禁止されでもしないかぎり、そんなことは簡単には起こらないはずで、不自然な話だ。
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日本には、海岸沿いとか山間の盆地とかに結構平野が広がっている。水田が生み出す富の上に、多数の大名が存在したのだ。富山周辺もそうで、立山山塊のあたりまで見渡すかぎりの水田が広がる。奈良時代、このあたりは既に東大寺の所領になっていて、大伴家持が越中国守としてその差配に当たっていた。この家持、万葉歌人としても名高いが、当時有力だった藤原家から生涯圧迫されていたらしく、富山ではいい歌を随分詠んでいるのだが、その後の半生はすっかり沈黙してしまったらしい。役人の地位にしがみついたりするからだ。
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応仁の乱のころには、この地方は3人の守護と一向一揆が入り乱れての領地争いとなり、そのうちの神保氏が富山城を築いたとされる。この富山城、ついに天守閣が建てられることがなかったが、今に残る富山城は犬山城などを参考に天守閣を「復興」したものだ。
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その後富山城は上杉謙信や佐々成政などが保有して、最後には前田家の分家が差配した。10万石もあったが、公務員(侍)が多すぎたため財政が大変で、そのためもあって振興されたのが「富山の薬売り」だったらしい。もっともこの薬売り、考えてみれば大変な諜報網でもあるわけで、江戸時代、どういう使い方をされていたのか、面白いところではある。
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江戸時代、富山城のすぐ横を神通川が流れていて(今は別のところを流れている。昔の神通川のあとは小さな松川となって残っている)、ここには全長430メートルの舟橋(小さな舟を綱でつないだ上を、人間が渡って行った)が明治15年まで使われていたそうだ。これが当時の北陸道だったのだが、長い舟橋は流れに押されて弓なりに湾曲し、その上を渡る旅人は随分落ちて亡くなったというからおそろしい。当時の絵はここに出ている。
http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/yomimono/funahashi.html
富山市には日枝神社があり、山王という地名もある。東京の日枝神社と同じだ、面白いと思って調べてみたら、日枝神社というのはもともと京都比叡山の日吉社がおおもとで、山王というのはそこに祀ってある神様のことなのだそうで、納得。その山王というのが大国主神でもあると言うから、出雲の方にも関係あるかも。考えてみれば、江戸の日枝神社など富山のものより随分あとにできたのだろう。そう言えば江戸は16世紀までは東国の、「みの一つだになき」辺境だったのだ。東京にあるもので本家と言えるのは、読売巨人軍くらいのものか。
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経済史
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富山のあたりは、昔から米一筋で生きてきたのだそうだ。それで廻船(北前船)が北海道から運んでくる肥料のニシンが重要で、これを買うカネに困って小作農化する農民も多かったらしい(江戸時代、表向き小作はなかったはずになっているが)。
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富山駅から真新しい郊外電車ポートラムに乗って20分ほどで、神通川の河口、富山港に着くのだが、ここには江戸時代の廻船問屋が密集する岩瀬という古い街が残っている。いちばん大きな問屋の「森家」の隣には岩瀬銀行というのがあって、これが現在の北陸銀行(地銀最大手)に発展したのだそうだ。ヴェニスと同じで、海運と金融は切っても切り離せない存在なのである。そしてこの岩瀬には、ニシン蔵というのもあって、江戸時代ニシンがどんなに重要だったかがわかる。港で荷揚げされたニシンは、神通川をさかのぼって農村地帯に肥料として販売されていったのだろう。
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因みに、北海道には福井や秋田など日本海側出身者が多いが、これはおそらく廻船業者が斡旋して連れて行ったものではないか? 廻船は明治の初期に最盛期を迎えていたのだから。
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富山には第1次世界大戦のあたりに工場が進出し、水力発電が盛んになった。電気が豊富だったことが、アルミニウムの精錬などを呼び寄せた。そして昭和10年以降になると、安い労働力を求めて大手紡績企業が疎開も兼ねて進出してくる。疎開と言うが、当時の日本海側は実は満州への近道でもあったのだ。現在の北朝鮮にある羅津港から満州までは数10キロしかない。
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そして第2次世界大戦の時、富山周辺は軍需工業化した。今でも不二越の工場が立地しており、それを核にネジ、ボルトなど部品工業も発達した。1944年の工業生産額は、4大工業地帯の6府県に次いだのだそうだ。前記のように、大陸に近いのだから、当然の立地である。これは1945年8月の空襲を受けて壊滅するのだが、朝鮮戦争特需で盛り返す。だがそのあおりは神通川のイタイイタイ病のような被害をもたらした。
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富山の経済
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富山県の人は自らを「1%の経済」と呼ぶ。それは富山県の人口が120万人くらいで日本全体のちょうど1%、GDPで計ってもちょうど全国の1%くらいを生産しているからだという。世界を見渡してみると、ちょうどスロベニアあたりが富山と同じ規模になる。スロベニアと言えば、絵のように美しい国のようだから、富山にぴったりだ。
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そこで日本政策投資銀行が作った「地域ハンドブック」をひもとく。これは日本の各都道府県を一つの経済単位と見立て、それぞれのGDP、他県との「貿易」、その内容までを詳しく分析した、稀有の資料だ。で、それによると富山の経済はまさに日本の1%なのだが、構成に特色がある。製造業が県GDPの30.2%を占めて(但し2002年の数字)、全国平均の20.8%を上回っているのだ。戦前から安い電力に育まれた工業が、今に至るも健在なのである。他方第3次産業は54.1%で、全国平均の65.5%を下回る。
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富山は東京への往来は不便なのだが(2010年当時)、名古屋近辺とは最近高速道路で結ばれた。これが、世界遺産の白川郷近くを通る東海北陸自動車道で、なんでこんなところに高速道を作るのかと思っていたら、名古屋のトヨタと富山工業地帯、そして伏木富山港を結ぶ意味があったらしい。ウラジオストックを経てシベリア鉄道で完成車や部品をロシア欧州部の工場、そして市場に運び込もうというのである。東北の仙台、山形のあたりもそうだが、今や自動車工場の展開ぶりが全国の高速道整備をかなり方向づけている。
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富山県には有力企業がいくつかある。北陸電力は言わずもがな、ファスナーのYKKが有名だが、富山駅近くに威容を見せる高層ビルのインテックも、新時代の企業だ。昭和39年に創業して既に売り上げ1000億円近く、中国にも拠点を持ってコンピューター・システムを開発している。
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他にも日立国際電気が半導体製造装置を生産するし、パナソニックも大きな拠点を持っているらしい。ウィキペディアを見ると、ベアリングで国内シェア第4位、タービン工作機械世界シェア25%、半導体ポリッシングマシン世界シェア1位、産業用ロボット世界シェア5位、アルミサッシ生産国内シェア1位、銅製品国内シェア1位、フェロアロイ国内シェア1位などとある。
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2008年の世界金融危機で富山の経済も沈んだが、金融関係者に聞いたところでは今では危機前の7~8割までに回復した由。手元の資金でやっているので、今のところ銀行による貸し渋りがあってもさして問題ではないらしい。
富山駅周辺を中心に、なぜか年寄りの男性が何人も路上生活していた。その背景はわからない。
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観光の宝庫――立山など
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着いたその日に、立山に行ってきた。富山はなんと黒部ダム観光の出発点なのだそうで(これまでは大町の方しか知らなかった)、まず電車で立山、次にケーブルカー、バスなどを乗り継いで黒部に至る。その電車がなんと懐かしい、「昭和45年 西武所沢車両工場製」。僕の地元だ。まだ新しい感じ。登山電車仕様だから、多分秩父の方の路線を走っていたのだろう。中学の頃から世話になっている「所沢車両工場」に、この富山でまためぐりあうとは。
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今回はケーブルカーの終点でとんぼ返り。このあたり、冬は積雪15メートル、気温零下40度にもなるそうだ。ケーブルカーの駅での表示はハングルと中国語だけで、英語がない。その代わりケーブルカー車内の字幕説明は日本語と英語だけ。それも、英語の方が日本語より2倍も長く、どこやら可笑しい。
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富山県は観光の宝庫である。日本人だけでなく、これからは中国、韓国、台湾などからの観光客を飛躍的に増やせるところだ。金沢から入って冨山、立山、新潟、喜多方、会津、福島、東京とでも回るツアーを開発したら、自然美、グルメ、温泉、そして最後に買い物をたんと味わえるドリーム・コースができるだろう。そのためには、古い廻船問屋の街岩瀬には夜イルミネーションでもするなど、もう少し色気を持たせた方がいい。
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富山と「国際化」
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富山県庁はレトロ調、明治のようなレンガ作り。映画のロケもできそうだ。県庁舎がこうして質素なのは好感を持てる。それにこの県庁はそこここに「県民サロン」と名付けた談話室があって、県民が茶でも飲みながらおしゃべりしたり、雑誌を見ることなどできるようになっている。温い。
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そしてその廊下に1枚の地図が貼ってある。土産物としても売っている。これは、地図の向きを変えてみると、世界がいかに変わって見えるかという典型例だ。この変わり地図では、これまでどこかよそよそしい、縁の薄い感じだった日本海が、にわかに瀬戸内海のような、あるいは地中海のような内海に見えてくる。
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「見えてくる」だけではない。日本海は実際に、日本を朝鮮半島、中国東北部と結びつける内海のようなものだったろう。長い歴史を通じてだ。だから太平洋岸が「表」日本であったことなど、ペリー来航以来の短いことで、日本では実は日本海岸がずっと「表」であったのではないか? 糸魚川のヒスイが朝鮮半島まで運ばれていたのなどは、その好例だ。
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富山ではけっこう「外人」の姿を目にする。ロシア人が400人近く定住しているのだそうだ。数年前まで伏木港がロシア極東への中古車積み出し中心地だったので、その名残だろう。この中古車積み出したるやハンパでなく、最盛時には年間50万台、30億ドル分もの中古車が日本からロシア極東へ積み出されていった。今ではロシアが輸入関税をつりあげたため、輸出は年間5万台に急減してしまったが。夜、学校の横を通ったら、校庭で消火訓練をやっているようで、それがなぜかロシア語でやっていた。日本海側ではロシアや中国はごく普通の存在になっているらしい。なお、富山県には中国人が約6000人定住しているそうだが、これはもう日本人と見分けがつかない。
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富山県庁は国際化に向けて音頭を取っていて、知事は上海、瀋陽、大連、そしてロシアなどをこまめにまわっている。中国の東北地方への玄関である大連には県の事務所があって、北陸銀行から一名出向、現地職員を2名雇って斡旋業務をやっている。大連には伏木富山港から週4便のコンテナ船が出ており、釜山、上海、バンコクなどにもこれは出ている。ウラジオストックへも隔週に出ている由。韓国、台湾、タイ方面への定期船もあり、航空路では大連、ソウル便が頻繁に出ている。
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富山伏木港は新潟とならんで、日本海側では二つしかない「特定重要港湾」に指定されている。だが今のところコンテナ数では新潟が2~2.5倍と、富山の先を行っている。富山港は神通川の河口を2つに仕切ったうちのひとつにあるのだが、1万5000トンの船が同時に4隻係留でき、沖合には28万トン級タンカー用のバースもある。精油所、発電所が港にあるので、サハリンや東シベリアの原油、LNGを輸入するには便利な港だろう。
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2009年、富山県の貿易相手は中国が500億円強、韓国が450億円、ロシアが350億円の順番だった。米国とは100億円強しかない。これからの日本海交易は、何と言っても人口1億2000万人の中国東北地方が相手なのだが、中国は清の時代にウラジオストック周辺の沿海地方をロシアに渡してしまったために、今では日本海への出口がない。国境延辺州から一番近い港は北朝鮮の羅津港なのだ。
この港は昔、日本が満州への入り口として整備したらしいが、今では中国が一つの埠頭を長期租借、延辺州への道路を修復しようとしている。羅津港から中国船が定期的に日本海岸に来るようになれば、そして羅津と延辺州の輝春市、延吉市が鉄道で結ばれれば、日本海は本当の地中海になってくるだろう。
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ロシア極東部と富山、北陸諸都市
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ロシア極東方面はどうか? この機会に富山だけではなく、日本海側諸都市全般の動きについて書いておく。
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ロシア極東部から日本へは既に、サハリンのLNG、原油だけでなく東シベリアからも原油が入るようになっている。ところが日本からロシア極東部への輸出、あるいは直接投資となると、めっきり難しくなる。
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ロシア極東部はもともと、人口はわずか650万人で、中国東北地方の1.2億人の20分の1である。にもかかわらず2012年ウラジオストックでのAPEC首脳会議特需を期待してか、あるいは東京から補助金が出ているのか、日本海側諸都市はロシア極東、特にウラジオストックに殺到している。だがAPEC関係の建設案件の成約は、モスクワで行われており、これまでロシア企業が殆どを成約している。
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日本から消費財などを輸出しようと思っても、ロシア沿海州ではまともな「バイヤー」の数も限られていて、相次いでやってくる各県代表団への応対で忙殺されている。日本の各県は競争で彼らを日本に招待し取り入ろうとするので、最後には足元を見られて不利な条件を吹っかけられる。うまくいっているのは、現地での人脈、ノウハウを有する日本人商社OBを見つけ、現地でのリエゾンをやってもらっている場合だ。役所は自分で商談はできないので、リスクを取れる企業家が前面に出てこないとどうしようもない。
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直接投資となると、話しはもっと難しくなる。ロシア極東は労賃、物価とも日本より高いほどになってしまっている。それに日本の中小企業にとっては、ロシアでの直接投資はリスクが大きすぎる。なんでもトップ・ダウンの国柄だから、何か問題が起きると、こちらも社長が数週間現地に貼りついたままでロシア側と折衝しないと話が進まない。
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ロシア極東の港を使って中国東北部に輸出することも考えられるが、ロシアの港は特定の企業に実質的に「専属」していることを忘れてならない。たとえばボストチヌイ港はクズバス炭のみでヤクート炭を扱おうとしないし、石炭会社のメチェルはポシェット港を「購入」しているのだそうだ(以上、ロシアNIS貿易会で聴取)。
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今の富山は、国際化という面では日本海側他県に後れを取っている。外国へ行く人の数が全国で2番目に少ないのだそうだ。話を聞いてみると、「十分食っていけるがゆえの、国際化の遅れ」の典型例のようだ。「大陸に農産物を出してみても値が低くてもうからない、リスクばかりで大変なだけだ」とか、「輸出用の生産までできる人手がない」とかの文句を聞いた。
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それでも、中国へのミネラル・ウォーターの輸出を始めた企業がある。これは本当にいいところに目をつけたと思う。今年に入って、富山市の広貴堂は遼寧省の医薬品メーカーと協定を結び、漢方薬原料の安定調達を目指す。他方、2003年、地元の漢方薬メーカー「三九製薬」が後継者難などから中国企業に買収された例もある。だが中国資本は富山ではまだあまり活動していないようだ。



