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投稿者: akiokawato

  • ワーグナー「指環」の思い出

    この8月は、バイロイトでワーグナーの「二―ベルングの指環」4作が初演されて150周年になるのだそうだ。

    バイロイトや「指環」には思い出がある。外交官としての初任の地が西ドイツの首都ボンで、そこにはなんとライン川が流れていた。着いて早々行ってみて、「ああ、これがラインか。これがヨーロッパか。でも結構川幅狭いな」という感慨にひたったことを思い出す。狭いと言っても少し上流にいくとそこはDrachenfels(竜の岩)という火山丘が岸にそびえる滔々たる流れで、そこを渡し舟(フェリー)で渡るとけっこうな幅があったものだ。

    火山丘と言ったが、このラインのあたりは昔、けっこう火山活動が盛んで、Drachenfelsのあたりは「七つの山」という地形になっていて、ここが白雪姫の小人たちが住んでいたところ。

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    そしてワーグナーに話を戻すと、「ニーベルングの指環」の第1話「ラインの黄金」はまさに、この竜の岩のふもとのライン川、その水中から始まる。3人の「ラインの乙女」=妖精が色好きの男を愚弄する。

    Wikipediaによれば、「ニーベルング族のアルベリヒは3人のラインの乙女たちに言い寄るが、乙女たちは彼を嘲弄する。憤るアルベリヒは河の底に眠る黄金を見つける。黄金の守護者でもあるラインの乙女たちから、『愛を断念する者だけが黄金を手にし、無限の権力を得て世界を支配する指環を造ることができる』『でもお前のような色ボケには無理な事』と聞かされたアルベリヒは、『ならば愛などいらぬ、力で全てを支配すればいい』と黄金を奪い、愛を呪う言葉を残して去る」ということ。

    なんとなく、今のアメリカの指導者を思わせる。

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    僕が「ラインの黄金」を初めてみたのは、モスクワのボリショイ劇場。当時のソ連では、ワーグナーはヒトラーと同一視され、しばらくご法度だったのが復活したのだ。で行くと、舞台の正面に確か透明なビニールのカーテンが下がって水を表し、その後ろで乙女=歌手たちが何と宙を舞っている。ベテランの歌手たちで重量があり、彼らをロープで吊り下げた滑車がギーギー言って、鑑賞を妨げた。

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    次に見たのは、あこがれの本場バイロイト。モスクワから監督のヴィーラント・ワグナーに手紙で、「これこれこういう者ですが、昔からワーグナーが好きで、特にバイロイトの公演はいつか見たいと思っていました。ついては一枚、割り当てをお願いできませんか」と書くと、事務局から返事が来て、買うことができた。こうでもしないと、とても手に入らない。

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    で、夏の休暇をとって、バイロイトの一番安い宿に泊まった。屋根裏。そして空いている時間は、公園のベンチで仕事のソ連関係の資料を読みふける。

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    第一夜「ラインの黄金」、第二夜「ワルキューレ」と来て、これは素晴らしかった。僕はコンサートやオペラでは大半を居眠りで過ごすのだが、これだけは全部起きていた。

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    で、第三夜の「ジークフリート」で問題が起きた。初めにヴィーラント・ワグナーさんが舞台に出てきて謝罪する。

    「皆様にお詫びします。ジークフリート役の××は風邪で声があまり出ません。ご容赦願います」だと。普通、代役を出すものだけど。

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    で、英雄ジークフリートのパートになると、音量がにわかに半分になって、これはボリショイの滑車の音より気になった。

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    そんなところが僕の「指環」についての思い出だが、後にソ連の崩壊を扱った大河小説「遥かなる大地」(熊野洋の筆名)では、末尾でアイデアを使わせてもらった。

    小説の主人公イリヤ―が暗殺されかけて意識を失い、モスクワが大水に覆われていくシーン。

    種を明かすと、これは「指環」の第四作「神々の黄昏」の終幕で、神々の城ワルハラが崩壊し、ラインの水に覆われていく場面から盗用したもの。まあ、ソ連崩壊にふさわしいではないか。

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    もっとも、今年は旱魃で、ラインの水も涸れているそうだから、どうしようもない。

    気候変動は文明を破壊する。

  • 中国の「人型ロボット」: あんな沢山人がいるのになぜ?

    最近飛んだり跳ねたりする中国の人型ロボットが話題になっていて、もしかすると14億の中国人もロボットに代替される日がくるのではないかと思わせる。

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    昔、ソニーのロボット「アイボ」とかホンダの「アシモ」が話題になっていた頃を覚えているだろうか? 2005年の愛知万博では、トヨタが「唇」を細かく動かしてトランペットを吹くロボットを展示した。

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    あの頃、日本人は「人型ロボット」の開発に夢中になったが、大企業はこれに投資するのを当時止めた。「人型ロボットは需要がない」というのが判断の根底にあった。

    多分、夢を忘れられないエンジニアたちは、中国に日雇いで出かけて、技術を伝授していたことだろう。

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    「中国では、裏で人間が飛んだり跳ねたりして、表ではロボットがその電波をキャッチして同じことをやっている」と言う人もいるが、動画を見ていると、どうもそうではなさそうだ。

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    しかし日本としてまだ安心できるのは、人型ロボットを作る場合、不可欠な部品の生産を日本をはじめとする西側諸国が押さえていることだ。サーボや減速機は、日本が世界シェアの60%を占める。

    工場や家庭用のロボットは別に人型である必要はない。余計なことだ。ロボットにやって欲しいことは、手や足の代用器械はFANUCや安川電機が世界のシェアを押さえている。ただ、それに安住していると中国に抜かれるので、努力を止めないことが肝心。

  • 中東からの原油・ナフサ輸入は本当に減ったのか?

    1970年代、石油危機は2回起きた。まだ通産省に勤務していた堺屋太一氏は「油断」を出版。油が切れた時の日本の惨状を描いた。

    だから、今回ホルムズ海峡が通れなくなった時、筆者は大変だと思ったものだが、街は平静。店の品物は豊富。

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    これは、日本がいろいろな方法で原油を確保しているためではないかと思った。ホルムズ海峡を通り抜けたイランの友好国のタンカーからインド洋で原油を積み替えるとか(「瀬取り」と呼ばれる)、商社がグローバルなネットワークを活用して、そこらじゅうから原油をかき集めるとかしているのだろう。

    と思って、実際の輸入量(金額ではなく量)を、ChatGPTに調べてもらった。出典は財務省貿易統計の「原油及び粗油」の数字。

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    結果は、「3月~5月には、日本の原油輸入量は本当に急落している。6月には米国からの輸入量が急増したが、中間選挙を前にして、ガソリン価格が上がるのを嫌ったトランプが、米国産原油の輸出を止めたらしく、7月には原油総輸入量はまた減少している。

    プラスチックの原料となるナフサの輸入量も、原油と似たようなトレンド。これも、本当に急減している。

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    ChatGPTが抽出してきた数字は次の通りだ。

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    2026年1~6月、日本の原油・粗油の総輸入量は約5,572万kl。2025年同期は約6,896万klだった。約20%の減少である。

    特に3月から4月にかけては約1,104万klから448万klへと、約60%(!)の急落を見せ、それは 5月も続いた。

    6月になると、米国からの輸入急増などで約1,003万klへと回復を見せている。

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    ナフサの輸入量(財務省貿易統計の「石油化学製品製造用ナフサ」(HS 2710.12-181))は上半期、25.4%の減少を見せている。

    今年上半期は約752万kl、昨年上半期は10,087,190 klだった。5月は、米国・アルジェリア等からの代替調達で全体の落ち込みを9.1%に抑えている。

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    一方、米国の原油輸出(日本以外も含めて)は7月に大きく減少した。5月の573万b/d(過去最高)から、7月には366万b/dへ約36%減少しているのである。

    7月には、米国内の製油所が稼働率を97%へと急に引き上げ、約1,730万b/dを吸収した。シェールオイルのかなりの部分がこれに回ったと思われる。

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    ベネズエラ原油再登場

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    他方、米国のメキシコ湾岸の製油所には、ベネズエラの重質・高硫黄原油を処理できる高価な設備を備えたものが多い。ここはベネズエラ産原油がないと、設備の効率的な利用ができない。

    7月のベネズエラから米国への原油輸出は、約78.6万b/dにまで増えている。1月は約28.4万b/dだから、半年で約2.8倍。

    8月18日、米エネルギー省のHaustveit次官は、現在ではベネズエラ原油生産の約半分が米国向けになっていると述べている。マドゥーロ大統領の拘束でベネズエラ産原油の禁輸制裁が解けたのである。これでChevronなどは、以前開発した油田からの対米輸入を開始している(新規開発はまだ)。

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    なお筆者は、シェール・オイルは軽質で、重質油向けの米国製油所には向いていない、大半が輸出に向けられていると、これまで考えてきたが、そうでもないようだ。2025年には米国で生産された原油の70%強が国内で処理されている。

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    日本にとっての米国産原油

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    2025年、日本は米国から平均 10.4万b/dを輸入したが、これは総輸入量約240.8万b/dのわずか4.3%程度で、シェールオイルが多かった。

    ただ日本の製油所は、中東産のより重い原油を前提に設計され、脱硫・分解設備もその油質に最適化されているため、米国のシェールオイルは大量には処理できない。中東原油に混ぜて使っている。

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    2026年はイラン戦争で、事情が急変した。日本は米国産原油の輸入量を大幅に増やしたが、ここではシェールオイルだけでなく、メキシコ湾の海上油田産のMarsも買っている。これは重質で硫黄分も多いので、日本の従来型製油所にはむしろ馴染みやすい。

    (いや石油の話しというのは、油田名とか油種、製油所の能力まで熟知していないと語れないもののようだ)

  • 米国軍は大丈夫なのか

    米国はこれまで各軍種に世界最高の兵器を揃え、これらを人工衛星を介する通信で統合的に運用するNetwork-Centric Warfare(ネットワーク中心の戦い)で、世界に君臨してきた。

    しかし小型で安価な携帯ミサイルやドローンの登場が、戦車や装甲車による戦いを旧時代のものとした一方、新たな地上戦の戦い方、必要な兵器はまだ固まっていない。それにこれからの時代、兵器は日進月歩で、「必要なものが固まる」ようなことはないのかもしれない。

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    ミサイルやドローンが途上諸国やテロリストたちに渡ったことで、海軍の空母や海兵隊の揚陸艦は敵の陸地に接近するのを避けざるを得ず、兵器として無用化しつつある。それは、ホルムズ海峡に米空母が近づかないでいるのを見ればよくわかる。

    だから台湾防衛では、数千の無人兵器を台湾海峡に展開する案も検討されていて、おそらく実現するだろう。ただ、台湾軍を中国軍から識別できるのかどうかは知らないが。

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    今回イラン戦争で、米国Palantir社の作戦補助ソフト「Maven」が実際に用いられ、イランの多数標的をほぼ同時に撃滅することができたが、代わって米側は多数の兵器を瞬時に費消して、かつイランには多数の攻撃手段を残すことになった。冷戦終結で、米国は兵器生産企業を大きく整理しているので、今回費消したミサイル等を補充するのには、数年かかることになる。

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    なお、米軍は特に欧州での展開数を静かに削減している。7月16日付Reutersによれば、それはエストニア、リトアニアで起きているし、トランプは在ドイツ米軍を5000人削減し、その分ポーランド駐留を増やすと言っている(いずれも実行されていないようだ。費用がかかる話しなのである)。

    報道されている人数は実際と随分違うことが多いし、定期異動を撤退に取り違える場合もあるのだが、減少傾向にあるのは間違いない。日本からは、当面空母がいなくなっている。

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    また米国は長距離核兵器をロシアや中国とほぼ同数持つことで抑止力とする政策を取ってきたが、同盟国をこのやり方では守りにくい、つまり「ソウルを守るために、米国が平壌に本土から戦略核ミサイルを撃ち込み、それによって米国の都市に北朝鮮の核攻撃を受けるリスクを冒すことはない」という考えが米国では支配的になっている。

    このために米国は、国防省のElbridge Colby次官を中心に短距離核兵器を前方に展開しておく政策を検討中(8月9日付Antiwar.com)なのだが、これが明らかになるにつれ、その是非について日本や東欧諸国では議論が巻き起こることだろう。

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    兵器を開発・生産する軍需工業が弱化している。イラン戦争で米軍はミサイルを大量に費消したが、それらの新規生産量は限られており、在庫が回復するには数年かかると言われている。

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    この不安な状況の中、本国の議会で国防予算採択が何カ月も遅れるような事態が起きると、世界の安定は阻害されることになる。

  • 海兵隊改編と日本への影響

    今のイラン戦争を見ていると、米国海軍の艦船、特に空母がホルムズ海峡に近づかない、あるいは近づけないでいることが目に付く。機雷、あるいはイラン側からのミサイル・ドローン攻撃が怖いのだろう。

    この状況を極東に引き写してみると、台湾有事の際、米国の空母が参入しにくくなっていることの他に、極東で重要な役割を果たすはずの海兵隊の戦い方、配備に変化が出てくるだろう、ということになる。

    そしてChatGPTに調査してもらったところ、米軍は海兵隊の戦術変更に数年前から着手しているそうで、それは有事に大戦力を送り込むのではなく、事前に小部隊を要所にもぐりこませておく、ということのようだ。

    以下が、河東とChatGPTの間の問答である。

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    小生質問:

    米国海兵隊のことで聞く。安価な無人兵器の普及で、海兵隊が敵地に上陸して作戦するのは難しくなってきた。揚陸艦も、敵の格好の標的となるので、もう使えまい。海兵隊再編が進んでいるという記事を「軍事研究」で見たが、今見つからない。米国か日本の公刊物でそのことを書いているものないか? どう書いてある? この改編が日本での海兵隊のプレゼンスにどう影響を及ぼすか、考えている記事、論文はあるか?

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    ChatGPT:

    あります。しかも、かなりはっきりしています。ご記憶の『軍事研究』の記事が論じていたのは、おそらく米海兵隊の Force Design 2030(現在は単に Force Design と呼ぶ)→ Marine Littoral Regiment(MLR=海兵沿岸連隊)→ EABO(遠征前進基地作戦) という一連の改革についてのものです。

    河東さんの問題意識――「大規模な敵前上陸そのものが成立しにくくなったのではないか」――はほぼ改革の出発点なのですが、海兵隊自身は「だから揚陸艦をやめる」とまでは言っていません。むしろ、大きな揚陸艦+小型・分散型舟艇+無人機+島嶼に潜む小部隊という形へ組み替えようとしています。

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    Force Designでは、従来型の大規模地上戦部隊から、軽量・分散・低シグネチャー(敵に探知されにくいという意味)で、敵のミサイル射程内にも潜り込める部隊へ転換する、としています。

    具体的には、大型揚陸艦だけに頼らず、小型輸送・揚陸手段で部隊を島から島へ動かす、さらに無人システム、長距離火力、センサーを大幅に増やす、ということです。特に大型揚陸艦については、廃止論とは逆に、将来は有人・無人システムの “motherships” として使う、と2023年版で明記しています。揚陸艦は沖合の母艦として小型艇・航空機・無人機などを展開、あらかじめ島嶼に小部隊を展開しておいて、索敵・対艦攻撃・防空を行わせる、ということになります。

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    2025年の米議会調査局(CRS)報告 「U.S. Marine Corps Force Design 2030」では、改革の背景を、対中国・ロシア、とくに中国のA2/AD環境への対応として説明しています。従来部隊を削減し、2030年までに約12,000人減らす一方、長距離精密火力、無人システム、対艦能力などへ資源を移す、という構造です。

    大型艦や大部隊を集中させれば敵に発見、攻撃される。だから「集中して上陸する軍隊」から「分散して敵の中に入り込む軍隊」へ変えるというわけで、これが核心だと思います。

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    その結果、沖縄の海兵隊はむしろ重要になりました。防衛省『令和6年版 防衛白書』には、まさにそのことが書かれています。「沖縄キャンプ・ハンセンの第12海兵連隊を第12海兵沿岸連隊(12th MLR)に改編。従来の砲兵連隊と違って、対艦ミサイル+防空+後方支援+ISR(情報・監視・偵察)を持つ部隊になる」と説明しています。

    新しい海兵隊は「沖縄に何万人も置いて、そこから敵地へ大上陸」という発想ではありません。想定している戦場を単純化すると、沖縄―宮古―石垣―与那国―台湾―フィリピンという第一列島線です。

    ここに数百人、場合によってはもっと小さな単位で海兵隊を分散させ、敵艦を発見 → 情報を海空軍へ送る → NMESISなどの対艦ミサイルで攻撃 → 発見される前に移動する。

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    つまり海兵隊は、「海から陸へ攻め込む軍隊」から一部、「島に潜伏して海を封鎖する陸上配置の海軍兵力」に変わりつつある、と表現すると分かりやすい。海兵隊は「敵地に上陸する軍隊」から、「戦争が始まる前から敵の射程圏内に入り込んでおく軍隊」へ変わろうとしている。Stand-In Forces なのです。

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    この発想なら、台湾有事が起きてから揚陸艦で戦場へ突進する必要がない。平時から沖縄・南西諸島・フィリピンなどに展開しておき、開戦時にはすでに臨戦態勢にある。

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    ただし、この構想にはかなり大きな弱点がある。退役軍人たちは、第一列島線内部を移動するための海上輸送能力が十分ではなく、現在の輸送手段では構想を実行できない、と批判していますし、島に海兵隊を置くことはできても、戦闘中の補給が難しいことを指摘する向きもあります。

    ドローンとAIによる監視能力が急速に上がると、「小さく分散すれば発見されない」というEABOの前提そのものも怪しくなる。これは今後のForce Designの最大の問題の一つでしょう。

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    この構想はもう「将来計画」の段階をかなり越えています。沖縄の第12海兵沿岸連隊には今年6月、実際にNMESIS対艦ミサイルとMADIS対ドローン・防空システムが到着しました。つまり沖縄の海兵隊は現実に「上陸部隊」から「第一列島線内で海峡・海域を拒否する部隊」へ姿を変え始めています。

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    これはかなり大きな変化です。従来の「沖縄の海兵隊は台湾有事になったらどこへ上陸するのか」という問い自体が古くなりつつあるのです。

  • 客と店員は上下関係? それとも友達?

    以前から気が付いていたのだが、この頃の店員は以前の「いらっしゃいませー」だけから、「いらっしゃいませー。こんにちはー」に対応を変えている。このことについてChatGPTに聞いてみた。以下に、その問答をほぼそのまま収録しておく。

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    小生:

    やあ、今晩は。以前買い物に行くと、店員は「いらっしゃいませ」と言うのが定番だった。それが15年ほど前からだろうか。「こんにちわあ」と呼びかけるのが定番になった。顧客への尊敬よりも親しみをこめて。この変化に、何かきっかけはあったのか? そこら辺を調査、考察した論考はあるか?

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    ChatGPT:

    やあ。これは面白いところに気づかれた。調べてみると、その変化は実際に観察・論評されている。しかも「15年ほど前から」という感覚より、少し早い。少なくとも2000年代初頭には「いらっしゃいませ、こんにちはぁ」がすでに広く聞かれ、2008年には「商業敬語」の典型例として辞典に載っている。

    そして、国立国語研究所「ことば研究館」は接客語を、「遠い言葉」と「近い言葉」に分けて説明している。「いらっしゃいませ、どうぞご自由にご覧くださいませ」は、客との距離を保つ「遠い言葉」。一方、「そのパーカー、すごくいいですよね! 私も色違い持ってます!」のような話法は、共感を前面に出した「近い言葉」。そして「いらっしゃいませ、こんにちは〜」は、その二つを組み合わせた「遠近両用」の接客戦略だ、と分析している。

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    では、誰が始めたのか。ここは残念ながら、「○年に○○社が始め、それが全国に広がった」という決定的な起源は、今回調べた範囲では確認できなかった。ただし年代を遡ると面白い。

    2003年にはすでに「いらっしゃいませこんにちはぁ」の奇妙さについて書かれた文章が残っている。つまり遅くとも1990年代末~2000年代初めには、コンビニ、ファストフード、若者向け店舗などで相当に普及していたと考えてよさそうだ。

    さらに2008年の『imidas』は、「いらっしゃいませ、こんにちは」を、「商業敬語」「マニュアル敬語」の代表例として収録している。大型店やチェーン店で接客表現がマニュアル化された結果として扱っている。

    スターバックスなど外資系店舗が「こんにちわ」を広めたということもあるだろう。.

    ちなみに2024年にも観光・ホスピタリティ研究者の福島規子氏が、「いつの頃からか『いらっしゃいませ。こんにちは~』という接客スタイルが定着しはじめた」と、まさに同じ現象を取り上げている。

    「こんにちは」型接客を最初にマニュアル化した企業はどこだったのかを、セブン‐イレブン、ローソン、マクドナルド、無印良品、ユニクロ、スターバックスあたりの古い接客マニュアルや新聞記事まで遡れば、かなり具体的に特定できる可能性がある。これはちょっとした「日本接客文化史」になりそうだ。

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    小生:

    そうか。一方、バカ丁寧な対応も同時期に広まっているんだよね。スーパーでは、客が買ったものを分類して、幕の内弁当のようにバスケットにきれいに詰めてくれる。レシートは両手でささげて、客が受け取るまで待っている。総じて気持ちわるいんだよね。

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    ChatGPT:

    そうなんだ。しかし私はむしろ、「こんにちはぁ」と「レシートを両手で捧げ持つ」は同じ根から出ているように思う。

    昔の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は、店員が客に敬意を示す慣習だった。多少ぶっきらぼうでも、その人なりの接客だった。ところが1990年代以降、とくにチェーン化・マニュアル化が進むと、「敬意」そのものではなく、敬意や親しさを示す動作を標準化するようになった。

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    そこで二方向に進んだ。一方では「こんにちはぁ」「こちらの商品、かわいいですよね」のような擬似的な親密さ。

    もう一方では、お辞儀の角度、両手での受け渡し、商品を整然と籠に並べる、といった儀式化された丁重さ。

    方向は逆なのに、「店員個人の判断ではなく、マニュアル通りに人間関係を演じる」という点では同じなんだと思う。

    特に日本では、サービスの品質を数値化しにくいので、企業側が「見えるサービス」を増やした面があるでしょう。

    「レシートを片手で渡すな」「商品は種類別に並べる」「目を見て挨拶する」。管理者にとっては非常に評価しやすい。結果として、親切の工業製品化みたいなものが起きた。

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    だから「気持ち悪い」という感覚も、単に丁寧すぎるからではないのかもしれない。相手が本当にこちらを尊敬している必要などないのに、尊敬しているように振る舞うことを強制されているのが透けて見える。こちらも、その芝居に「ありがとうございます」と付き合わされる。そこに妙な居心地の悪さが生じる。

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    日本の接客マニュアルがいつ「挨拶」だけでなく、視線・お辞儀・両手渡し・商品の籠詰めまで規定するようになったのか。1980年代の百貨店から90年代のコンビニ、2000年代のスーパーへ、と追えば、「過剰接客」がどう形成されたかが見えてきそうだ。

  • 米国国債はいつ値崩れするか

    現代のポピュリズム国家は、財政赤字拡大を宿命づけられている。民意に従えば、税金はできるだけ低く、一方社会保障はできるだけ手厚くということになるからだ。赤字は国債を発行して穴埋めするしかない。

    米国では、未返済の国債はGDPの1年分強累積している。満期のものは返済と同時に同額を借り換え(期間と利回りは異なることが多い)、しかも新規増分を発行するから、無限に増えていく。今年も財務省は年何回かに分けて入札を実施するが、それはちょうど今の時期に回数、金額とも集中する。それが今、米国長期金利で動きが目立つようになった理由。

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    これとは別に、米国のノンバンクの財務状況も、注目の的になっている。2008年のリーマン危機後、米国の大銀行は、手持ちの資金を投機的資産に回さないよう、十重二十重の規制=ヴォルカー・ルールを受けている。ところがこの規制を受けない総称「ノンバンク」と呼ばれる金融企業が多数存在し、彼らは時には大銀行からの委託も受けて、資金を投機的に運用している。金利が上がると株価が下がるから、投機性の株に投資するノンバンクは財政破綻しやすく、これが(ノンバンクにカネを貸している)大銀行の信用に響くと、「市場では皆が、他人は破綻寸前ではないかと疑って、資金を貸さなくなる」目詰まりが生ずる。

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    つまり今の米国金融市場は国債、ノンバンクという二つの危機要因を抱えている。危機が起きる場合、ドル・レート、株価の動きは、両者の間で異なる。もし両者がほぼ同時に起きると、ドル・レート、株価の動きは複雑になる。

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    ということで、今後の見通しについて、ChatGPTと議論してみた。この頃のChatは、どこかから情報を取ってくるだけはない。自分で勉強して、自分で見通しを組み立てているから面白い。

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    筆者:

    Chatよ。米国での金利が更に上がって国債消化が難しくなった場合、何が起きる? 株価、ドル・レートはどうなる? 他方、ノンバンクの信用不安で金融の目詰まりは起きるか? 起きたらどうなる? 

    2008年のリーマン危機で、金利、株価、ドル・レートはその後の2年間でどういう動きを示した? 

    1985年のプラザ合意後の2年間はどうだった? 箇条書きで簡潔に答えておくれ。

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    ChatGPT:

    1)今、米国債の消化が難しくなり、長期金利がさらに上昇したら、国債価格は低落し、長期金利は上がる。住宅ローン、社債、企業借入の金利も上がる。

    株価は基本的に下落。特にPERの高いAI・ハイテク株には強烈に効く。将来利益の現在価値が金利上昇で下がるから。

    ドルは最初は上がる可能性がある。高金利を求めて資金が米国へ流れるため。

    しかし「インフレだから金利が高い」のではなく、「米国債そのものが信用されなくなって金利が上がる」段階になると、ドル安に転じ得る。ここが一番危険。

    つまり悪いシナリオは、国債安+株安+ドル安=米国版トリプル安。

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    2)そこへノンバンクの信用不安が重なると、それはノンバンクに融資している大銀行の信用低下を呼び、「金はあるが誰も貸したがらない」信用収縮=金融の目詰まりになる。ノンバンクが抱える資産は86兆ドル(!)とも推定されているが、そのうちリスク資産は22兆ドル程度とされる。8月中旬にはヘッジファンド(広い意味でノンバンク)のSituational Awarenessが破綻し、金融当局がここに立ち入り調査を実施。ノンバンク部門の実態への警戒感をあらわにしている。

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    3)2008年リーマン危機では当初、金利は急落した。 FF金利は2008年初め4.25%だったが、12月には0~0.25%に下がった。株は暴落した。 S&P500は2007年秋の高値から2009年3月の底まで、約57%下落した。しかしそこから猛烈に反騰し、2010年末には底値から約80%上昇した。

    ドルは意外にも、危機直後は上昇した。 世界中が現金・米国債へ逃げたため、2008年後半のドル実効レートは約12%上昇した。つまり「米国発の危機なのにドル買い」だった。

    ただし2009年春以降、恐怖が薄れるとsafe havenのドル買いが逆転し、ドルは下落した。

    要するに2008年型は、信用崩壊 → 株暴落 → ドル一時上昇 → FRB大量緩和 → 金利急低下 → 株反騰・ドル反落でした。

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    4)1985年プラザ合意後の2年間

    (こちらは全然違います)

    1985年9月、G5が意図的にドルを下げることを決めた。ドル円は1ドル=240円 から 1987年末には120円台。ほぼ半値に下がった。

    米国株はむしろ大幅上昇し、1985~87年前半は株式ブームが続いた。ところが1987年10月19日、Black Mondayで、ダウ平均株価は一日で22.6%暴落した。

    日本では急激な円高による景気悪化を防ぐため、日銀が公定歩合を5%から2.5%まで引き下げた。これが株・土地への資金流入を促し、後の日本のバブルを起こした。

    5)今回、カネ詰まりが起きて、倒産増加、景気後退が起きると、FRBは結局、利下げ・流動性供給・場合によっては国債等の大量購入に追い込まれる可能性が高い。

    つまり、危機の第一幕は金利上昇、第二幕は信用危機、第三幕はFRB介入による金利急低下、ということになる。

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    6)金の動き

    金価格は副次的問題ではあるが、面白い要素ではある。2008年リーマン危機では、金は米国債と並んで安全資産として買われたが、今回は国債がその信用を失うので、金はほぼ唯一の安全資産となる。今、金価格は既に急激な上昇を始めている。

    ただ2008年もそうだったが、市場の主体が資金不足に陥ると、手持ちの金を売却することがあり、金価格は上昇の後、一時的には下落し得る。

    しかし中央銀行、連銀が金融大緩和、国債の買い取り等の収拾策に出てくると、金利が下がり、金の価格は再び大幅上昇を始める可能性があるし、2009年から2011年にかけて実際にそうなった。

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    そして、今回が「米国売り」の様相を示しても、米国に取って代われる経済主体はないので(円は急上昇して、ドル・ベースでの日本GDPを大幅に押し上げるでしょうが)、世の終わりにはならないでしょう。

  • 北方領土問題のトリセツ―政府の足を引っ張らない。商談では「いなす」-

                                  河東哲夫

    (これは本日配布の「ボストーク通信」に掲載されたものの原稿です)

     「プーチン大統領が北方領土を視察した」ということで、止まっていた「日ロ関係歌舞伎」の舞台はまた回り始めた。堂々巡りではあるが。無責任な言い方だが、1991年にソ連が崩壊してこの問題が動き始めてからの軌跡をたどると、そう言わざるを得ない。基本は、日本が返してくれと言っているのに対して、ロシアが気のあるふりを見せては日本から何かをせしめ、状況が悪くなると、「問題は解決ずみだ」と開き直る――この繰り返しなのだ。

     こういう時、「埒が明かない。もう北方領土は諦めて、ロシアと経済取り引きを進めよう」と言う人は、ビジネスでもお人好しの取り引きしかできない。

     ここで、北方領土問題をめぐり日ロのやり取りを振り返り、これから日ロ経済関係者はどう考え、どう振舞ったらいいのか、考えてみたい。

     

    「国際法的に解決されている」わけではないことを示す共同資料集

     ゴルバチョフが社会の民主化、西側との協力強化を進めた1980年代末、日本政府も北方領土問題を含めてソ連との関係を進める好機ととらえ、これまでソ連がその存在すら否定していた北方領土問題について双方の認識の差を縮めるべく、外務次官級の協議を数回にわたって行った。その結果はソ連が崩壊した後、日本・ロシアの外務省が連名で1992年に日ロ両語で発刊した「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」に記述されている。

     ここでは、北方領土の諸島を日本領として認めた1855年の日魯通好条約が収録されている他、序文では、(第2次大戦終結時にソ連が占領したままの)北方領土についてはその帰属について両国間で話し合いが継続していることが記され、両国外務省が署名している。

    プーチン時代になると、ロシアはこの資料集は「なかったことにしてくれ」と言ってきたが、今でも日本外務省のホームページで、読むことができるhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/ryodo.html。ロシア側で当時の話し合いに加わっていた人たちの中には、今の外務省幹部もいるので、経緯をよく知っているだろう。

     国際的な慣行では、戦争後の領土・国境は平和条約で定める。日ソ間では1956年、戦争を終結し、国交を正常化する趣旨の共同宣言を発表し、双方議会の批准も得ているが、これは国境を最終的に定めるものではない。日ロは平和条約を結ばないと、終戦処理は完結しないのである。ロシアはいろいろ法的な説明をひねり出しているが、この問題は「国際法上、解決している」とはとても言えない。

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    信頼感醸成・協力促進と失望の繰り返し

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    ソ連崩壊後、計画経済を放棄したロシアは市場経済に転換する資本・経営ノウハウを欠き、国は大混乱に陥った。インフレは2年で6000%に及び、人々の生活は困窮をきわめた。エリツィン大統領は民主化・市場経済化を標榜して、西側の支援獲得に狂奔する。特に目をつけたのが日本-当時は世界2位の経済大国―で、エリツィンは北方領土問題解決に乗り出すそぶりを見せて日本からの協力を獲得する作戦に出た。

    詳しい叙述は避けるが、この試みが一時勢いを失うと、1997年には当時の橋本竜太郎首相が、エリツィンと個人的信頼関係を築いて(そのためには、それまでの日本政府の対ロ政策であった「政経不可分」を明示的に下ろし、現在のJBICによる15億ドル相当の融資供与を約束した)北方領土問題を動かすという策に出る。彼は、同年11月クラスノヤルスクでエリツィンと会談。2000年までには平和条約を結ぶという言質を取って帰国した。

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    以降、現在に至るまで、日ロ関係はこのクラスノヤルスク会談の基調-経済協力を通じて信頼関係を築き、領土問題の解決をはかる―が続く。「日本との関係をよろしくな」というのは、エリツィンのプーチンへの申し送り事項であったようだし、大統領に就任早々のプーチンは森喜朗・総理と特に信頼関係を築き、トヨタの進出も実現した。これもあり、西側とロシアの関係が悪化する中、メドベジェフ大統領が北方領土視察を行った2010年以降も、プーチンは北方領土視察を避けていた。

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    日ロ関係は、安倍第2次政権で再びピークを築く。安倍総理は、プーチンと個人的信頼関係を築き、経済関係も進めることで、北方領土問題に最終的にけりをつけることを目標とした。プーチンも、安倍総理との間では口裏を合わせていたが―これを安倍総理側近は過大評価した―、ロシア政府部内では「日本は領土問題を棚上げして経済関係を進めることに合意した」というひねた見方が流布されていた。だからこそ、ウクライナ戦争で日本がロシアを制裁した時、ロシアは驚き、怒ったのである。

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    何で今回北方領土へ?

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     ということで、プーチンがいつ日本に尻を見せても不思議でなかったのが、何で今北方領土に行ったのかと言うと・・・

     一つには9月中旬に議会の総選挙が予定されていることがある。全国を回って―それだけウクライナのドローンに攻撃される危険があるが―、与党へのテコ入れをはかるのである。ウクライナのドローンを警戒していたプーチンも、6月からは地方視察を増やしていて、北方領土視察は極東地方視察の一環となっている。テコ入れと言っても、今は戦争で、中央は地方政府の税収を取り上げる一方では、新規応募の兵士への報奨金支出など負担を押し付けているから、カネは出せない。さしずめ、北方領土は行くだけでも評価してもらえるから、コスパがいい。

     そして、反日姿勢を強める中国が、プーチンをけしかけた可能性もあるだろう。また、北方領土に中国が投資するための呼び水にもなる。

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    今、日本ができること

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    こういう時、日本が騒いでも、事態は全然良くならない。「ロシアが実効支配しているところに、大統領が行って何が悪い」とロシアに言われて、恥をさらすだけのことだ。

    では制裁をする? するとロシアは、日本がこれまで多額の融資をつぎ込んだサハリンの石油・天然ガス施設を接収する挙に出るかもしれない。

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    だからこういう時は、総理が世界に向けて発言する。ぶら下がりで言えばいいのだ。「ウクライナを武力で襲ったプーチンは、北方領土のことを思い出して急に怖くなったのでしょう。『日本が武力で島を取り返しに来たらどうしよう』と。大丈夫、日本はあくまでも話し合いでこの問題を解決しようとしています。プーチン大統領、あなたも早くウクライナを攻撃するのを止めて、話し合いに移りなさい。そうすれば、制裁も解けて、日本とも平和条約を結ぶ交渉を再開することができるでしょう」と。

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    ロシアだけを相手にして理屈で攻めても、向こうに動く気がないのだから、意味がない。世界の世論を自分の方にくっつけるーこういうやり方を、日本はいい加減身につけるべきだ。河内女の気質を持つ高市総理だったら、できるだろう。

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    商談でロシアに言いがかりをつけられた時のトリセツ

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     以上は、一種のきれいごと。現場でロシア人と商談をしている人たちの参考にはなるまい。「うまいことを言われてもねえ。日本とは領土問題があって、日本政府がいつも邪魔をしてくるから」と、ロシア側に言われたらどうする? 

     こういう時に、「いや、うちの政府は力がなくて。あんな問題、いつまで言っていてもしょうがないと、私は思っているんですよ」と合わせるのは下策。ロシア側には馬鹿にされるし、日本政府は察知して報復してくる。別件の大きな商談でJBICの融資が出なかったりしたら、どうする?

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     ロシア側は商談で、政治問題を片づけようとは思っていない。日本側に圧力をかけて、値引きとかいい条件を絞り出そうとしているのだ。だからそこは見すえて、こう言う。「まったくね。政治というのはどうしようもないですね。でも、我々は友人。どうです? ここは一つ、我々の友人関係のためにも、お値段は○○に引いておこうじゃありませんか。それに話がまとまってJBICの低利融資が出れば、お値段はさらに引くことができます。どうです?」。

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     煮ても焼いても食えないワル。日本人はこうならないと、「自分ファースト」の国ばかり増えるこれからの世界で、生き残ることはできない。

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     領土問題は未解決のままでとっておく。何も自分から、「こんなのは持っていても仕方ない。くれてやる」と言うことはない。世界で、日本が軽く見られ、別件でも毟り取られることになる。

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     ドイツは戦後、ソ連、ロシアと平和条約を結んでいない。1975年のヘルシンキ宣言で、国境の現状維持に賛成しているが、右宣言は平和的な交渉で国境線を変えることは禁じていない。だからロシアとの間では、カリーニングラード(以前はドイツ帝国のケーニヒスブルクで、哲学者カントの故地)の帰属は宙ぶらりんになっていて、情勢次第ではドイツは返還を求める交渉を提起することができる。北方領土にも、同じように対処したらいい。

  • 運慶・快慶・湛慶-日本のルネサンス。映画を作ろう。

    今、上野の国立博物館でやっている「空海と真言の名宝展」で、あらためて思った。

    彫刻の運慶、湛慶、快慶の3人。同時代の仏師に比べて全く異質。「個」を前に出すし、人体は写実に徹している。ひょっとして、ものの見方が違う、異人種なのか? どういう生まれ、育ちをした人たちなのか。彼らの後継者はいないのか?

    そこで安直だけれど、ChatGPTにまとめてもらった。以下がそれ。ずいぶんはしょってある。そして面白いのは、末尾で彼らを主人公とした映画の製作をChatが提案していることだ。AIはもう自分で考える。自分で感じる。頼めば、シナリオも書いてくれると思う。

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    ChatGPT:

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    結論から言うと、彼らが「違う人種だった」という証拠はほぼありません。しかし、彼らがそれまでの京都仏師とは違う文化的環境から突然中央に躍り出た、という感覚はかなり当たっています。 しかも面白いのは、突然変異は運慶からではなく、父の康慶から始まっていることです。

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    系譜を単純化すると、

    康慶 → 運慶 → 湛慶(運慶長男)
     └→ 快慶(康慶の弟子)

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    慶派は、京都で貴族好みの仏像を作っていた院派・円派の中心ではなく、奈良仏師の傍系から出てきました。康慶自身が「写実的な鎌倉新様式」を成立させた祖とされています。

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    平安後期の京都仏像は、定朝以来の「仏とはこういう顔、こういう姿である」という、完成された型を洗練していった。

    ところが奈良には、興福寺などに天平以来の、非常に肉体的・写実的な彫刻が大量に残っていた。慶派はその環境の中にいた。

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    そこへ1180年の平重衡による南都焼討ちが来ます。焼かれた東大寺・興福寺の大規模復興が始まり、康慶、運慶、快慶らに巨大な仕事が一気に回ってきた。つまり、奈良の古典彫刻の伝統 × 大規模復興需要 × 武士という新しい顧客という三つが重なった。

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    これは西欧のルネサンスに少し似ています。そして「個」が出てくる。

    運慶は作品に名前を残す。仏像の内部に銘札や経典を納める。自分の工房を率いる。そして人物像では、「一般的な僧侶」ではなく具体的な「個」を再現しようとする。有名な無著・世親像などを見ると、もはや宗教彫刻というより肖像彫刻に近い。

    https://images.openai.com/static-rsc-4/hIrIn76YH3c5g85u7eGnPGv657-_Wa06DcXHIFMDfgjhH6jSgnb2LzyryJLCWjDaaE-w4rRGJKuTAN0E35Ugf3IF1dEmg91oLC831VNim2L1N__NQ4hsyS62AIBJJ2BtLe8VNzYjOP_-vJsxvp66gB_AGsc_ekO5DUw6qnR8vm5jVyYhDiKncI9I14cvXIl4?purpose=fullsize
    https://images.openai.com/static-rsc-4/08OOLr2OvMlo-rl5Kh9YN-pMtVOUy244VUDObkfl-a4jC5kcLDCeIShw0WvfAYkgbyzSvj2VkJE-PQkLUNE8Gh5d0yuk6aqgU9JLbZRWQ1IV9QcVTWk7NcyKhF8OFJmhyY95g7w6f7el1q-8F6OpidMoLaha_DVLSCll0Asj-HkQZ6Fq6fLEwRmo0vaItjCE?purpose=fullsize

    運慶は、顔の左右まで完全には同じにしない。年齢、皺、眼球、頬の肉、衣服の重量感まで表現する。

    しかも玉眼――水晶を内側から嵌めて眼球を作る技法――を積極的に使う。だから視線が突然「人間」になる。

    これは「仏の理想型」から観察された人体への大きな移動です。

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    ただし、運慶・快慶・湛慶を一括して「写実派」とするのは少し危険です。三人はかなり違います。運慶は量感、筋肉、骨格、人物の精神性。快慶はむしろ端正、優美、宗教的な静けさ。湛慶は父運慶の写実に快慶的な優雅さと宋風を取り込み、より穏やかになります。だから三人が同じDNAを持つ芸術家集団だったというより、康慶の工房が異常なほど才能の密度の高い「学校」になったと見る方がいいでしょう。

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    快慶は生年も出自もよく分からず、突然、康慶周辺に現れる。1183年の「運慶願経」の結縁者として記録に初登場します。朝鮮半島系・中国系などとする証拠は現在ありません。ただ、快慶や湛慶には宋代中国彫刻の影響が認められています。

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    (「後継者はいないのか?」)

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    実は大勢、いることはいる(康慶 → 運慶 → 湛慶 → 康円など → 七条仏所 → 室町・江戸という長い系譜)のですが、派として固化してしまい、新しいものを創造していないのですね。

    彼らは、様式、工房とも相続しました。しかし、「人間を見て彫る」という革命的な精神は伝えられなかった。

    後世になるにつれて「運慶様」という型になってしまう。

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    (「鎌倉時代ルネサンス」を映画にしよう)

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    1180~1230年頃の奈良に、古代彫刻の再発見、宋からの新情報、武士階級の登場、南都復興という巨大公共事業、康慶という優秀な親方が同時に存在し、そこへ運慶・快慶という二人の天才が偶然居合わせた。

    これは日本美術史における、かなり稀な「ルネサンス」だったのではないか。

    そして河東さん御指摘の「個」という観点から見ると、さらに面白い問題があります。運慶の時代は、(いわゆる)源頼朝の肖像、重源像、明恵上人像など、仏像だけでなく日本美術全体で突然「この人」を描こうとする力が強くなる時代なんです。

    つまり運慶個人の突然変異だけではない。

    ここを追うと、「なぜ鎌倉時代に日本人は突然、人間の個性を造形し始めたのか」という、もっと大きな問題になってきます。

    これはかなり面白いテーマです。

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    小生:

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    面白い。当時を描いた小説はあるかい?

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    ChatGPT:

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    あります。しかも、まさに今の話にかなり近い小説があります。

    梓澤要『荒仏師 運慶』です。2016年刊、のち新潮文庫。第23回中山義秀文学賞受賞作です。

    これは単なる「名仏師の伝記小説」ではなく、なぜ運慶だけが従来の仏像とは違うものを作ったのかを小説化しようとしています。少年時代から「美しいもの」に異常に敏感だった運慶が、女性の身体や、当時台頭してきた武士の強靱な肉体に美を発見し、それを仏像へ持ち込んでいく、という設定です。そして快慶との関係・対立もかなり重要な軸になっています。

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    これは、今の疑問――「なぜこの連中だけ突然、個人や肉体を見始めたのか?」――にかなり正面から答えようとした作品ですね。

    面白いことに作者の梓澤要は、単なる時代小説家ではなく、東洋大学大学院で仏教史を学んでいます。したがって史料の空白を小説的想像で埋めてはいますが、背景の仏教史はかなり意識して書いています。

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    そしてもう一つ重要なのは、夏目漱石『夢十夜』第六夜です。これは長編小説ではありませんが、運慶文学としては外せません。あの有名な、運慶は仁王を「彫っている」のではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出している、という話です。

    梓澤の作品について新潮社が掲載している書評も、明確にこの『夢十夜』とのつながりを論じています。

    ただし、湛慶を主人公として本格的に描いた現代長編小説は、今回探した範囲では目立ったものが見つかりませんでした。 これは惜しい。父・運慶という巨大な存在を継いで、三十三間堂の千手観音群を完成させた男ですから、もっと小説向きです。

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    小生:

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    映画作って儲けよう。「国宝」みたいに。

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    ChatGPT:

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    😁 これは案外、冗談で終わらせるには惜しい題材です。『国宝』型にするなら、仏像そのものを主人公にするより、運慶と快慶という二人の異質な天才の競争にした方が映画になると思います。そこへ父・康慶、そして次世代の湛慶を置く。

    時代設定も強烈です。平安貴族の世界が崩れ、平氏が奈良を焼き、源平が殺し合い、武士が権力を握る。その廃墟の中で、「優美で同じ顔をした仏」ではなく、筋肉も皺も怒りも意志もある生身の人間のような仏が突然出てくる。

    映画なら、冒頭は1180年の南都焼討ちでしょう。

    炎上する東大寺、興福寺。焼け落ちる巨大な仏像。それを若い運慶と快慶が見ている。そして康慶が一言。

    「もう昔の仏を彫るな。」

    ここから始める。

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    運慶は人間を観察する。武士の腕、老人の皺、死者の顔、女の身体。「仏を彫るために、人間を見る」。一方の快慶は、「そんなものは仏ではない」と反発する。彼は美しく静謐な阿弥陀を追求する。

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    この対立なら、観客にも分かる。運慶は、京都の旧仏師たちからは「奈良の田舎仏師」と馬鹿にされる。しかし武士たちは運慶の仏を見て、「これは俺たちだ」と感じる。

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    https://images.openai.com/static-rsc-4/9mqeB-LEARXvF1VVLG9i20mKtDPyYdK4ZzmaWczIVeAjSBW4mylIUoqKRZzZZ7LmOOwg38BwjcL1UU8fVoPOc0MMKKKufOyZ_K8tq3x3yIkd2nYlMq-vD3jNj_FV5dp0LRstyPV6x30xabizVIrVDW0_7KwE_6ivDBS_PAAdiaSB1uN8Se6j_mEHEUy6fpFi?purpose=fullsize
    https://images.openai.com/static-rsc-4/qA8FokY5sJ7mvgl2twPyzdVbRkWic6c-xY8hAxMZN3ezzXdqQOuZr3J9kCTN47gtBYFwe_JOiUtDP9O5OM0yUSS2OHrBCyzEcSrUYd2uHrTRy4c9bfo_5DL2LrNovMlALjQhO-QgaH7SaI6T-pbCfW3l_Xo9hRcxy9mX8GikGpNiilmoQUMCNiCGi_0qaGUJ?purpose=fullsize

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    クライマックスはやはり東大寺南大門の仁王。高さ8メートルを超える二体を、巨大な工房が短期間で組み上げていく。ここなら『国宝』の舞台場面に相当する、圧倒的な映像が作れます。

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    ただし仁王像を「運慶対快慶の二人だけの作品」として描くと危険です。康慶・定覚らを含む大規模な仏師集団による仕事だったことが銘文調査で分かっています。そこは逆に映画的で、天才個人と巨大な職人工房との緊張を描ける。

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    そして最後は湛慶でしょう。

    老いた運慶が死ぬ。息子が鑿を受け取る。しかし湛慶には父と同じものは作れない。何十年後、80歳を越えた湛慶が三十三間堂の千手観音を完成させる。父とは違う、静かな仏です。そこで初めて彼は悟る。

    「父の仏を継ぐ必要はなかった。」

    ――これで終わる。

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    タイトルは『運慶』では少しNHK臭い(笑)。

    『仏師』。英題なら THE SCULPTORS。

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    問題は製作費です。鎌倉初期の奈良を燃やし、東大寺を再建し、8.4メートルの仁王像を作る。儲ける前にこちらが破産する可能性があります。😁

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    でも題材としては相当に強い。『国宝』が「芸の継承と個」を描けるなら、こちらは「日本で個が生まれた瞬間」を描けます。

    これは海外にも持っていけるテーマです。

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    小生:

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    いいこと言うねえ。でも僕にはエネルギー残ってない。ああ、そうだ。今度のメルマガに貴兄のシナリオ案、載せてみるよ。

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    ChatGPT:

    それは光栄です。この企画の核は我ながら(笑)捨てがたい。

    「日本で『個』が生まれた瞬間を、仏師たちを通して描く。」

    単なる運慶伝ではない。平安的な「型」の世界が崩壊し、戦乱の中から武士とともに個人の顔、個人の肉体、個人の意志が前面に出てくる。その歴史的大転換を運慶・快慶・湛慶の三代で見せる。

    メルマガから本当に映画会社の人間が釣れたら、その時は笑い事ではなくなりますね。😁

  • 日本歴史紀行19:2025年の沖縄

    この頃、沖縄の名を聞くことが多い。筆者のテニスのコーチは、沖縄で一旗あげると言って行ってしまったし、筆者の鍼師もプロ野球の沖縄キャンプで頼まれて行ってしまう。円安で、ハワイとかフロリダでキャンプをやっていられる時代でなくなったこともあるが、「沖縄」が上げ潮の感じがする。そこで2025年正月早々、夫婦で数日レンタ・カーで、沖縄を見て回った。那覇と名護と普天間、辺野古という組み合わせで得た印象。

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    大きい

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    沖縄は東京都とほぼ同じ2300平方キロほどの島だが、佐渡島より3倍弱大きい。

    縦長の島だから、真ん中のくびれたところを東西に横切るとすぐ、反対側の海に出て、本当に島だなと思うが、南北に走っていくと山あり谷あり。北部、島の3分の2は山地が続く。それがほぼ密林に覆われていて、島にいるとは到底思えない。高い山は500米弱はあるので、海岸から見れば十分高山だ。これが南部に沖積平野を作っていて、嘉手納基地がある。那覇は昔、ヴェニスのように沖の小島--それも浮島――だったそうだ。

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    その那覇は人口31.6万なのだが、実際は市街地が市の外に広がっているから百万都市の感触がある。那覇市の人口密度は全国で3位なのだそうだ。要するに、「首都」の風格がある。広い道路が多くて、目的地にさぞや簡単に着けるだろうと思っていると、さにあらず。広い道路はやたら斜めに交叉しているから、どこをどう走っているのか、わからなくなる。

    黒潮の流れがまた面白くて、台湾東岸から沖縄近海にやってくると、沖縄西岸の方に大きく曲がって流れる。それが屋島の南をまた大きく曲がって太平洋に出るのだそうだ。

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    国であった記憶

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    沖縄は、日本の室町時代の頃に群雄が割拠し――だから城(グスク)がこの頃集中的に建てられている――、間もなく統一されて首里城に朝廷が位置し、中国との貿易関係で潤った。明朝が海禁政策をとり、日本や東南アジア諸国の船を閉め出した時でも、沖縄は明との朝貢関係(要するに国家独占貿易)を続けたので、いろいろな国の対中貿易のハブになった時もある。

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    明への朝貢使は1372年~1471年の間は、明南部の泉州に着いた。ここには琉球の商館である来遠駅があったが、泉州港が土砂で浅くなった1472年に福州の柔遠駅に移転している。使節は数カ月かけて陸路、北京にのぼり、皇帝に拝謁して貿易をすませた。途上、使節団員たちは、朝貢貿易以外の私貿易で私財を稼ぐこともできた。

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    一方、明、清が琉球へ送った冊封使については、原田禹雄氏の「封舟往還」という研究書があり(榕樹書林)、アマゾンでも買える。尖閣諸島は、この朝貢使、冊封使の泉州・福州との航路のほぼ真ん中にある。

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    こうした歴史があるためだろう。沖縄は国としての構えさえ備えている。まず那覇空港が大きくなった。30年程前は、ローカル空港だったのだが、今はちょっとした国の首都の空港なみ。そして空港は非常に多民族的だ。

    那覇にある県立博物館・美術館は本当に堂々として、コンクリートの城という趣。これも、普通の国の国立博物館の内容と威容を誇る。

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    そして国際化の度合いは、本土を上回る。筆者が車を借りたレンタ・カー店は、日本人店員が一人もおらず、ちょっと心もとなかったが、ポイントはきちんと押さえてちゃんとしていた。

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    歴史について

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    沖縄の人たちが昔、どういうところからやってきたのかは、まだ十分確定されていないようだ。要するに、日本人とどれだけ関係があるのかという政治的な問題があって、定説も鵜呑みにはできない。言葉も日本語系とされるが、少なくとも発音は違う系統だ。たとえば城が「グスク」であったり。

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    そして薩摩藩は1609年、琉球を勢力下に置いたのだが――琉球王朝は薩摩と明の双方に礼を尽くす形を取った。首里城には双方使節のための館が相対している――、これは武力征服であった。1609年3月、3000名もの兵力が100隻の船で、島伝いに南下してきたのである。薩摩藩は関ケ原で敗れ、財政再建のために、明との仲介を琉球に求めて拒絶され、圧倒的軍事力で制圧、直轄地とした、というのが、現地で聞いた説明だ。

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    一方、米国のペリー提督は沖縄を国として扱い、沖縄に滞在もしている。彼は、江戸幕府が拒絶した場合には、琉球と修好条約を結んで石炭を入手するつもりで、沖縄で調査もしている(これも現地の博物館での説明)。彼は、「街は清潔で美しいが、役人は狡猾、民は惨めな境遇で抑圧されている」と書いた。

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    沖縄は、今は本土からの予算でのインフラ建設等で潤っているが、太平洋戦争にかけては本当にひどい目に会っている。沖縄の人間の4人に1人がこの時亡くなっているが、首里城もこの時、米軍の砲撃で地表から消えている。ずいぶんひどいことをするなと思ったが、実は日本陸軍は首里城の地下に壕を掘り、ここに司令部を構えていたから砲撃に会ったのだろう。

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    若い人口

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    沖縄には、若い人が多い――ような感じがした。那覇で夜遅くまで遊んでいる若者が多かったからで。

    調べてみると沖縄は、若者ないし壮年または中年の2.6人が1人の高齢者を支える社会となっている。全国平均では2.1人にひとりの割合だから、かなり若い。そして、発電所が多い。2024年には約8億キロワット時の発電をしているが、これは例えば広島県や群馬県より多い。工場立地に向いているのでないか?

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    米軍基地

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    嘉手納は昔見た。今回は普天間飛行場を見に行った。滑走路南側の嘉数高台(ここは米軍上陸の際、激戦地となったところで、今でも弾痕が残っている)から、普天間米軍基地を見下ろす。「有名な」オスプレイが青空の向こうからやってくると、旋回して着陸する。それを繰り返す訓練をしている。

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    普天間については、「周りは人家が密集」していると書くのがマスコミの定番になっているが、それは言い過ぎ。人家は航空機の進入口の南方に集中してはいる。しかし、そのような情景は、大阪の伊丹空港など、世界の空港では珍しいことではない。ただ騒音の問題はひどいようだ。

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    そこで今度は、普天間が移転することになっている辺野古を見に行った。陸上ではあまり工事していないようで、柵があるからそこかと思って近づくと、そこは米軍シュワブ基地のゲート。兵隊が銃を持って飛び出て来、こちらに狙いをつけて・・・ということになる寸前に車をひるがえしたから何ともなかったが、すると今度は基地の警備がそんなことでいいのか、もし筆者がテロリストだったら・・・と思ってしまう。

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    普天間の北は読谷(よみたん)村。日本で、人口が一番多い村だそうだ。しかし面積の3分の1は米軍基地。ここの海岸は、ノルマンディー作戦のような米軍の大々的な上陸作戦が行われたところ。だからか、今でも米軍基地が多い。

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    沖縄南部はレンター・カーで走っていても、嘉手納、普天間、Hansen、Schwabと次々に基地が出てくる。だから米兵の不祥事件が時々起きるのだが、米兵の方もけっこうびくびくしながら、街に出てきている。那覇で見かけたのは、18歳程度の若い米兵(白人が多かった)たちが15名程のグループを作って那覇の国際通りをバーか何かに向かう姿だったのだが、彼等はどことなく怯えていて、周囲を見渡し、仲間から離れないようにしていた。

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    その他

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    今回気がついたのだが、東シナ海というのは黄海の出口だから当然浅くて、平均200米の水深しかない。ということは、この海域で潜水艦は自由な動きがしにくいということでないか? 対馬海峡を閉鎖するにしても、潜水艦は使えないかもしれない。将来の有事に備えて意識しておくべきことだろう。