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投稿者: akiokawato

  • 一押し、二押し、青葉市子というシンガー・ソングライター

     

    この頃、青葉市子というシンガー・ソングライターにはまっている。35歳。京都育ちのようだ。まるで少女のような歌声で、浮遊感のうちにしっかり包み込んでくれる安心感、解放感。単純な音楽に聞こえて、うつろうメロディー、コードの陰影は素晴らしい。

    彼女は、「歌が自然にでき、それが楽しいからやっているだけで、ごはんを食べる、寝るといったことと同じ感覚で、何かを表現しようと思ってやっているわけではない」と語る(Wikipedia)。勉強したものでなく、体で覚えたものなのだ。

    米国で高い評価を受け、ヨーロッパ、米国でツァーしているそうだ(例えばhttps://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=youtube%2cichiko+aoba&&mid=61086EAA32BB8991E07961086EAA32BB8991E079&FORM=VAMGZC)。外国向けでも日本語で歌っているが、もともと下記のように特に意味のある言葉ではないので、かまわない。スポットライトを浴びながら、自分の魂を裸でさらけ出すような気分に、すぐ没入している。一種の巫女。カマトトかもしれないが、とにかくすごい。

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    以下は、歌詞の一例(CD「O」 VICL-64215より)。意味を成さないのだが、音楽がつくと、それは確実に一定の雰囲気を生み出し、たゆたっていく。日本的。「和」の魂そのもの。

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    うたのけはい

    ひかりよりも明確な朝に葬られるぼくら

    はばたくハネをつかむ迷いは

    うたのしっぽを裂いて裂いて

    昨日みた虹色の景色上り

    いま滴る温度に触れていたいの

    夢は透明なためいきに溶けて

    雑踏の中でひときわ輝く

    てさぐりかぎわける

    うたのけはいをたよりに.

    Youtubeでは次のものもある。

    https://www.youtube.com/channel/UCcwOodzn176V5S11rufTUgA

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    (4月23日NHK Internationalを見ていたら、彼女の特集ドキュメンタリーがあった。

    なんだ、もう世界的に知られているじゃんと思いつつも、彼女の自然な感じのインタビューには

    引き込まれた。NHKもちゃんと見てるね。)

  • 米国旅行記4 2011年3月ワシントン、そしてボストン

    この3月末1週間、ワシントンと古巣ボストンに行く機会があったので、調べたことや感じたことを書き連ねておく。お世話になった方々に感謝申し上げる。

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    2年ぶりのアメリカ――その「第一印象」

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    ワシントン行きのユナイテッド航空は、スチュワーデス(「フライト・アテンダント」)に中国人と日本人もいた。そしてその中国人が中国語、英語の両方でアナウンスする。するとよくわかるのだ。中国語とアメリカ英語は世界の二大通俗言語である、と言ってもいいことが。下世話で少々乱暴な、物言い。もっとも、それもしゃべる人によるのだけれど。

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    ワシントン。飛行機から見下ろすと、公園のように美しい首都の姿が見える。古くからポトマック河口の港だったアレキサンドリアの対岸、葦の茂った蒸し暑い湿地に造成された合衆国の首都。数十年前にできた時には世界最先端だったダレス国際空港も、この頃は時代遅れになってきた。空港アナウンスは英語、ドイツ語、フランス語、そしてスペイン語だけ。日本語はいざ知らず、この頃はどこに行っても追いかけてくるあの中国語がない。80年代だったか、改装された時は世界最先端に見えた、飛行機とターミナルを結ぶあの巨大なバスも、今はもうすすけている。

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    だが、空港のパスポート・コントロールは5年位前ほどに比べ、格段に良くなった。その頃は暗く、うす汚いターミナルの中、長蛇の行列に並ばされ、それが少しも動かない。まるで、移民扱い。立ったまま、1時間も待たされたあげく横柄で強圧的な係官の尋問を受け、やっとはんこうを押してもらえるのだった。

    今回も長蛇の列で、本でも読もうかと思って広げたのだったが、列がどんどん前へ動いていくものだから結局読めず、20分もかからずにパスコンを通過することができた。どのブースでも、ハリウッドの映画に出てきそうな横柄なタイプの係官は姿を消していた。

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    その結果、何を感じたかというと、もちろん「やっぱり、アメリカはいい」という思いなのだ。イラク戦争での専横とリーマン・ブラザース金融危機での「崩壊」を見てきたわれわれは、アメリカの経済、そして社会のモラル全体が崩壊してしまったような印象を持つにいたっている。そしてそれは、なにかというとすぐ人を撃ったり、爆弾が破裂するような、がさつなハリウッドの映画を見て、確固とした既成事実にさえなっている。

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    ところが今回僕がワシントンとボストンで目撃し体験したものは、その逆を示す。「アメリカは変わっていない。アメリカ人はしっかりしている」というのが実感だ。アメリカの空港に着いたとたん、あの昔どおりの「アメリカの匂い」に包まれる。僕にとってそれはAccountability, responsibility, そしてオープンさといった価値観が街の匂いと混じり合って発する匂いだ。40年前アメリカにはじめてやってきて、中西部の大学の晴れた芝生、向こうからやってきた見ず知らずの女子学生にすれ違いざま親しげに「ハーイ」と声をかけられたときの驚きを、感傷とともに思い出す。

    何となく自由でダイナミックなそのにおい。そして店員とかウェイトレスとか、現場の人たちが投げやりでなく、真摯に働こうという姿勢を崩さないのが、日本人の僕には気にいる。もちろん多くの偽善、エゴイズム、そして驕りと無知も他面にあるのだが。

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    そう言えば、アメリカといえば昔は悪趣味で派手なネクタイをつけている人が多かった。それはもうない。今日のアメリカは地味で、就職難のせいか「ちゃんと見える」ように努める者が多く、不況のせいか以前より全然腰が低くなった。でも、こうした人々のなかには、仕事にかけては大変なプロである者が多い。働く企業の名より、個人としての自分の能力で食べている者が多いから。

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    アメリカの新聞は紙の幅が狭くなった。それはワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズもウォール・ストリート・ジャーナルもみんなそうで、日本の新聞の半分強(たての長さはあまり違わない)。ふたつに折らずとも読みやすい。情報量はやはりずいぶん減っただろう。18世紀の産業革命以来、新興の「中産階級」を相手にこれまで隆盛を極めてきた「新聞」と言うか「ニュース・ペーパー」(ニュースが書いてある紙)。インターネットのせいだけじゃなく、中産階級自体がすり減ってきたことにあわせ、もう黄昏なのか?

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    ワシントンは政治の町、つまり政治で食っている人が多い(と言うか大部分)町だ。規則正しい街路に立ち並ぶ味気ない四角いビルは、雨後のタケノコのように増えるシンクタンクとか、種々雑多のロビースト達のオフィス、そしてこの頃連邦政府を早めにやめては「アウトソーシング」でしこたま高額な謝金をせしめる軍事請負企業、諜報・分析請負企業のオフィスでいっぱいなのだろう。

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    だからこの町にはやたらFedexの店があって文書の作成に便利だし、どちらを向いても銀行がある。菓子や精神安定薬を買いたくなったら、そこらじゅうにあるCVSドラッグストアーに行けばいい。そして角を曲がるとスターバックスやちょっとしたレストランがあって、打ち合わせや待ち時間つぶしがしやすい。ところがセーター(寒かった)を買おうと思って探しても、衣料品店はなかなかない。その中を、救急車かパトカーか消防車か知らないが、サイレンがやたらしょっちゅう鳴り響く。あまり住みたいと思う町じゃない。味気がない。

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    そしてワシントンだけでなく、全米でやたら多くのことが自動化、アウト・ソーシング化されていく。スーパーのレジも客が自分で商品をスキャンして自動支払い。万引き防止はどうやっているのだろう? 空港のチェック・インのセルフ・サービスも本当にセルフ・サービスで、日本のように係員がつきっきりで手続きを代行してくれる(これ、自動化の意味がないと思うのだが)ことはない。

    企業や団体への電話は日本よりはるかに自動化されているから、「何番を押してください」というアナウンスに従って何度も待たされ、結局20分もキーを押し続けたあげく、「今日はご利用ありがとうございました。またのおいでをお待ちしています。さようなら。(楽しげな音楽)」で放り出されてしまったり、運よく生身のオペレーターに当たっても、それがはるか彼方はインドやオーストラリアのどこそこにいるアウトソーシーで、何を言っても早口のインド風英語でまくしたてられ、「もういいよ、がちゃん」ということになるのだ。

    アメリカ人は、自動化で生産性が上がったと威張っているが、それは顧客の犠牲の上に成り立つもの。A社が利益を上げているかげで、米経済全体は多くの付加価値を失っているのだ。

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    空港から乗ったタクシーの運転手は、ガソリンの値段以外にはインフレはあまり感じないと言っていたが、僕の泊った中級ホテルは朝食が17ドル。それに何なのかわからない「サービス・チャージ」というのが3ドル上乗せされ、さらにチップを置いておかないといけないようなので実に計24ドルにもなってしまった。30年前だったら(古くてすみません)8ドルくらいだったのに。

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    ボストン

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    全米最古、ボストンの地下鉄。まるで世界最古に見える、「地下路面電車」。そのがさつな車内は中国人の女の子たちの声高な中国語がわんわん響き、まるで中国に来たかのよう。もうちょっと控え目にしないと、世界中から反感を食うぞ。この地下鉄はアメリカじゃなく、世界なのだから。ほら、隅ではロシア人の老夫婦がひっそりと身を寄せ合って、ロシア語で何やら買い物の相談をしている。もちろん英語での会話も聞こえるのだが、抑えた声で話し合っている。アメリカは変わっていく。それも急速に。ひとつのところに止まってやしない。

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    帰りのボストン、ローガン空港で朝の7時。地元のスナック・チェーン、Au bon painで朝食をとる。店員の一人は黒人女性、もう一人は一見ヒスパニック。野球帽の下に黒いイスラム風のネッカチーフをかぶった女性。中南米出身のイスラム? そんな人がいるのか? 

    でもこの頃のアメリカではイスラムが伸びているそうだから(モスク建設をめぐって地元住民と紛争が生じているところもあるが、もう普通の宗教になりつつある。ローマ帝国でキリスト教が広まった時に似ているのでないか?)、あり得ないことじゃない。でもこの黒人もヒスパニック系の女性も、言動はまったく「アメリカ的」なのだ。信頼関係とオープンさを前提として動いている。気持ちがいい。

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    話は違うが、ボストンでは土曜日も銀行がやっていて助かった(平日はだいたい17時くらいまで窓口が開いている。これもいい)。それも銀行によって13時とか15時とか閉店時間がまちまちなのも、いい。

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    アメリカの社会

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    印象論はそれくらいにして、最近のアメリカ社会について今回、専門家や友人たちから聞いたところを書きだしておく。これも、印象論の域を出ないが。

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    (自立の伝統)

    アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員(米国世論の研究)はこう語った。彼女の言うことは思いつきではなく、数々の世論調査を踏まえている。

    「ええ、アメリカ社会の基本的価値観は健在だと思います。とてもユニークな価値観で、個人の責任や意欲を重んずるのです。リーマン・ブラザーズの金融危機で、国民の60%が『家族の誰かが失職した』と答えていますが、自力でなんとか切り抜けてきたのです。ワシントンの連邦政府には不信感を示す人が多い一方、地元の地方政府に対しては信頼を寄せている人が多いのも、こうした傾向と関連があるでしょう。」

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    「たしかにアメリカ社会では所得格差が広がっていますが、それでも中東でのように暴動が起きないのはなぜだか考えてみると、結局アメリカでは社会的には誰でも平等だという(建前がある)事実に思い至ります。グッチのバッグを買う金がなくても、偽のグッチを買うことはできるというような、はけ口がある、チャンスが残っていることがいいのだろうと思います」

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    (多民族化は価値観を希薄にするか)

    僕の方からBowman女史に聞いてみた――「米国ではかつてないほどの多民族化が進んでいます。19世紀にもアイルランド人、イタリア人、東欧諸国の人たちが大量に移民してきたことがありましたが、この時アメリカ社会はこれらの移民を同化することに成功しました。しかし今回増えている中南米ヒスパニック系移民は、個人主義や自由に基づくヨーロッパ的価値観より、集団主義や依存性の強い社会を引きずっているように見えます。それが2020年には人口の25%も占める。マサチューセッツ州で今いちばん多い移民はブラジル人だそうです。それでも、アメリカは同化に成功するでしょうか? 今回受けた感じだと、私にはどうも成功しつつあるように見えるのですが」

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    彼女はかすかに微笑を浮かべて言った――「ヒスパニック系の移民は、金融危機の影響で昨年は減っています。それでもまた増えて行くでしょう。そして、ええ、おっしゃるようにアメリカ社会はこれらの人々を同化することができると思います」

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    そこで僕はまた聞く――「ヨーロッパ諸国は、異質な価値観を持った移民をどうしても同化することができず、これら移民も良い仕事を見つけることができないまま、ヨーロッパ社会に不満を抱えた異分子的存在になりつつあります。ところがアメリカでは同化が進む。この差はいったい、どこから来るのでしょうか?」

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    Bowman女史――「それ、わからないんですよね。さきほど申し上げたような、アメリカ社会における平等性が機能しているのではないでしょうか?」

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    僕の思うところ、アメリカ社会は既に多民族化していて、ヒスパニックもそのone of themだから、それだけ疎外感が小さいということではあるまいか? ヨーロッパでは地元の白人民族と異人種、という具合にふたつに分かれてしまう。 

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    (産業とともにすり減る中産階級)

    1965年代後半から始まった日本の対米大量輸出は現在の中国の対米輸出と同じで、アメリカの国産製造業を空洞化させた。そのためアメリカの中産階級の生活水準は数十年にわたって停滞し、その中であがる一方の教育費などをまかなうために、夫婦共稼ぎは当たり前になっていった。それでも、中産階級に相当する人たちの層は厚いままに残っていたのが、リーマン・ブラザース金融危機の影響で、中産階級それ自体が没落の危機にひんするようになっている。

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    ボストンのある大学教授が言った。「アメリカのモラルが健在だって? 経済が駄目になったカンザス・シティあたりに行ってみなさい。文化とか道徳そのものが失われているんだから」

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    そう言えば、マサチューセッツ州の西部は以前、GEや軍需産業の企業城下町だったのだが、クリントン政権の軍需削減で工場は閉鎖され、人々は放り出された。僕は1998年頃、ある町に車で迷い込んだことがあるが、荒れた街角では昼から失業者の白人たちがアパートの前にたむろして、一種異様で危険な雰囲気を醸し出していた。車を止めたら何が起こったかわからない。

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    アメリカ社会にくわしいポール渡辺・マサチューセッツ大学教授は言った。彼の父親(祖父?)は和歌山の漁師出身らしく、彼は日系2世だ。苦学の末実力でハーバードを出て、今ではアメリカのアジア系民族研究では第一人者だ。

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    「金融危機で、中産階級の崩壊が目立ってきた。授業料が高いから、子供を大学に送ることもできない国民が増えている。これは前例のないスケールでの変化だ。家を買う金もないから、住居を賃借りする者が増えている。これは持ち家を前提とし、持ち家に貯蓄と投資と消費の役割を負わせてきた戦後米国の経済政策が根底から変わることを意味するんだぜ」

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    長年ワシントンのシンクタンクに勤務している、あるヨーロッパ人は言った。

    「アメリカのモラルが変わっていないだって? いや僕の周囲はひどいもんだぜ。人をだますわ、金を巻き上げるわ。そして独占企業のひどさときたら。僕の家の電気なんか、アンペア直すのに2年もかかったんだから。そしてワシントンはまだましにしても、地方に行ったときの食事のひどさときたら」

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    (「ミレニアム世代」――ベビー・ブーマー世代以上の重み)

    今回、「ミレニアム世代」という言葉を知った。これは引退しつつあるベビー・ブーマー世代の子供たちに相当する世代で30代、実に8000万人、全人口の4分の1強という、今のアメリカ最大の世代なのだ。アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員にこのミレニアム世代の特徴について尋ねると、彼女はにっこりとして言った。あたかも、このミレニアム世代にアメリカの多くの希望がかけられているかのように。

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    「これ、面白い世代なんですね。3分の1はバツ1、つまり離婚経験があるのですけど、企業にもつかず離れず、自分というものに自信を持っています。個人業を志向する者が多いのも特徴ですし、学校ではボランティア活動が義務的になっていたので、地元コミュニティーにも多くの関心を持っています。それでいて、考え方はグローバル。文化面でも他国のものに分け隔てない関心を示します。他国に介入するときにはアメリカ一国でやるのではなく、今回リビアでNATOを前面に出したように、仲間の諸国と集団でやることを選好する――こういった調査結果が出ています」

    これは、理想的人間像だね。本当かなと思わないでもないが、嘘ではない。家庭教育、学校教育が良かったのかな。僕の子供たちが経験したところでは、アメリカの公立高校はかなりすさんだところだったが。

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    (大学教育再考論議)

    大学教育をめぐって議論が起きているようだ。今回はそのうち2つの問題点を知った。

    ひとつは根本的なもので、「大学教育は必要なものか」というものだ。つまり「中産階級はもう、高い学費を払えない。それに大学に無理して行くより、高卒で手に職をつけて働くほうが、よほど所得は高い」という問題。これは、日本も含めて先進国の大学に共通した問題だろう。もっとも、「アメリカの大学は軍産複合体のように、強固な既得権益集団だからな。教授陣にはユダヤ系も多いから、そんな簡単にリストラはされないだろう」という意見もあった。

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    もうひとつは学問に関するもので、それは「社会科学は『科学』ではない。人文科学ともども不要なものだ。大学では役に立つサイエンスだけ教えればいい」という声が高まっていて、それは価値観というものを無視したハウツーもの教育につながる、ということである。

    確かに経済学など、これが「何とかセオリーです」などと大上段に売り込んでくる「理論」はだいたいがまやかしもので、実際の政策には使えない。社会は人間からできていて、その人間が次の瞬間何を考え、何をやりたいと思うかは自分自身でも予測できないのだから、理論化などできやしないのだ。

    ただ、需要と供給の均衡とか、需要創出の乗数効果とか、理論じみたものはもちろん必要なので、科学としてよりも社会常識として大学で教え続けることは絶対必要だし、歴史や文学など「サイエンス」になりにくいものも、教養、そしてものを考えるうえでの必須の材料として教えていかないと。僕も、飯の食いあげになってしまう。

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    以上が社会についてだ。まあ、アメリカのような巨大で複雑な社会を一口でくくることなどできないのだが、現場での勤労意欲や社会全体の活力は健在だし、それは新しい移民にもどんどん伝染しているということくらいは言えるだろう。それはとても大事なことで、ロシアのように、現場で働く人たちのすべてがself-motivatedというわけではなく、あるいは待遇にくさっていたり、あるいは上司の命令がないと何もやらなかったりというのでは、暮らしは良くならないからだ。

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    だが、日本から見るアメリカと内部から見るアメリカはどうしてこんなに違うのだろう。乱暴でがさつで撃ち合いと爆発ばかりのあのアメリカ製映画を見ていると、こんな社会にはとても住めないと思ってしまう。

    アメリカ映画はどうしてああなんですかと、Karlyn Bowman女史(前出)に聞いてみたら、彼女の答えはこうだった。「アメリカで映画をいちばん見に行くのはティーン・エージャーなんですね。だから彼らの水準と趣味に合わせてしまうのじゃないかしら」。

    まあそればかりではないだろう。映画というものは、新しくやってきた移民たちにとって安価なレジャーなので、移民たちが観客の多くを占めるという話も聞いたことがある。これについては、気をつけてものを言わないと人種差別になってしまうので、Bowman女史もそのあたりはあえて言わなかったのではないだろうか。

  • 米国旅行記3の2 2005年メキシコとの国境地帯の心象風景

    国境の町ティフアナへの旅

     

    近年のアメリカの多民族化には目を見はらされるものがあります。これまでは価値観が似ているヨーロッパからの移民が主であったのが、今ではヒスパニック系の移民が増えていることが特徴です。米国国勢調査によれば、ヒスパニックの人口は1990年の2200人から2004年には4100万にほぼ倍増し、総人口に占める比率は14%強で既に黒人を超えています。ハワイ、ニューメキシコ、カリフォルニア、テキサス州では、白人がマイノリティになっています。

    つまりアメリカと言えばマッカーサーのような高圧的な白人を思い浮かべていた我々も、根本的な意識の転換を迫られているということです。我々の話しかける「アメリカ人」が一体どういうメンタリテイを持っていて、我々のすること言うことをどう捉えてどう反応してくるのかは、予測が非常に難しい時代になりました。

    全米で最大のヒスパニック人口1200万人を持っているのはカリフォルニア州です。ロサンゼルスは460万と、郡としては最大のヒスパニック人口を擁しています。アジア系についても事情は同じで、カリフォルニアは全米最大の500万人、ロサンゼルス郡は郡として全米最大の140万人のアジア系市民を抱えています。

    そのロサンゼルスに来た以上はメキシコとの国境も見て置こうというわけで、友人夫妻に頼んで国境のメキシコ側の町ティフアナ(Tijuana)に、往復4時間かけて連れて行ってもらいました。そして途中のサン・ディエゴでは友人のそのまた友人である、メキシコ出身の画家と食事をともにしてメキシコ出身者の心象風景を教えてもらいました。

    ティフアナで

    ティフアナという町は元々は牛の牧場だったようですが、アメリカが禁酒令の時代から自由に酒の飲めるところ(今でも高校生たちが年齢制限に関係なく自由に飲めるところとして、大挙してやってきます)、女性や麻薬を楽しめるところとして発展したようです。ですから、一部には罪悪の町、Sin cityとも言われていて、今でもその体質は残っており、町の奥まで入っていくと安全は保証されないようです。

    ここにはシーザー・ホテルというのがあって、そこで出したサラダがシーザー・サラダの発祥なのだそうです。その後、カリフォルニア住民のためのショッピング・センターとして発達し、紛いのブランドものとか、アメリカでは処方がないと買えない抗生物質を安く自由に買えることで人を集めていたようです。今でも松本キヨシのような大きな薬品スーパーが軒を並べています。その後カーター政権の時代にNAFTA(北米自由貿易協定)ができますと、米国への輸出を狙って日本の企業などが工場を作り、今のような大都市に発展したようです。

    ロサンゼルスから海岸沿いのハイウェーを突っ走ることほぼ2時間、国境に着きます。車でメキシコに入ると、またアメリカに帰って来る手続きが大変なので、ほとんどの人は国境の駐車場に車を置き、三々五々徒歩でパスコンを通ります。旅券を見せてくるくる回るバーを押すと、何のことはない、そこはもうメキシコ。

    タクシーはアメリカと同じあの黄色の大きいゴキブリみたいな車体なのですが、カーラジオから流れ出てくるのはスペイン語の流行歌です。そして初乗りは六十円で、アメリカのほぼ十分の一になります。物価は安いのですが、あたりの様子はアメリカとは歴然たる差があります。サン・ディエゴが整然とした街であるだけに、ティフアナの、活気はあっても雑然とした様子は余計に目に付くのです。

    帰りのハイウェーには、「人間が横切るから注意」という標識がありました。これは、国境をくぐって密入国が盛んなところで、夜間入国してきたばかりのメキシコ人がハイウェーに飛び出すこともあるからなのだそうです。国境は3メートルほどの高さの金属板で延々と仕切られ、所々に監視塔が見えます。この金属板は、1991年の湾岸戦争の時に臨時滑走路として使われたものを利用しているそうです。

    メキシコ出身者の心象風景

     メキシコ・インディアン系の画家と食事を共にしました。名をラウル・ゲレーロと言って、その端正なヨーロッパ的な顔立ちは、ハリウッドの映画に出てくるインディアンの酋長にそっくりでした。一般にメキシコ以南の原住民(インディアンと言われていますが)達は我々にも似てモンゴル系の血を思わせるのですが、北米のインディアンはどこか我々と違う形質を感じさせるものがあります。

    これは、白人と混血した結果かもしれないし、あるいはもっと古い時代、ヨーロッパからやってきたケルト人あたりと混血した結果かもしれません。ボストンから車で一時間くらい北に行った林の中には、ルーン文字を刻んだケルトの石作りの大遺跡があるのですが、これはまだ発見が新しく、アメリカ史の中にきちんとは位置づけられていないのです。

     ラウルの家は、祖父母の時代にメキシコから移住してきたそうです。彼は、未だにメキシコとアメリカの社会の狭間で、悩んでいました。要するに、双方の社会のどちらにも居場所がない、ということにその悩みは尽きます。メキシコ系アメリカ人に対する呼び方からしてデリケートなものがあって、Mexicanと言うと差別用語なのだそうです。だから彼自身は嫌っているのですが、チカーノという言い方が今では通っています。

    ここで、彼の話を紹介します。「メキシコでは肌の色によって社会的地位が決まる。スペイン系、スペインと原住民の混血、そして純粋な原住民の間では歴然たる差がある。そして、自分の生活を握っているボスに対してはいつも卑屈にふるまっていないと生き残れない社会なのだ。芸術の世界も学歴主義だ。だから個人主義的なアメリカの社会とはそぐわない。キューバ人はもっと自己主張が強くて、同じスペイン語系でも違うところがある。

    メキシコを捨てて移住すると、裏切り者と思われてもう帰ることはできなくなる。自分はカリフォルニア美大とカリフォルニア州立大バークレーを卒業したし、自分ではアメリカ人だと思っている。インディアンの血を引くと言ってもその考え方はもうわからない。ところが自分はメキシコの歴史に関心を持っていて、それを作品にも反映させているのだが、メキシコ・モチーフというものはアメリカ社会では受け入れられない。

     ロサンゼルスでは、駐車場、レストラン、バス、あらゆるところで、スペイン語を話すと扱いが良くなる。それは、こういうところで働いているのは殆んどヒスパニックの人達だからだ。

    彼らの集団主義的な価値観がアメリカ全体の価値観を変えていくかどうか、それはまだわからない。もしアメリカが帝国主義的な国になってしまったら、それもあり得るだろうが。

    ああ、ところで俺はもっと霊感が欲しいと思って、この前ナヴァホ・インディアンの居住地にいるMedicine Man(まじない師)のところに行ってきたよ。彼のテントの前にはジープが沢山並んで、皆順番を待っていたな。」

    価値観の同化は可能か?

     日本では意識されていませんが、アメリカがこれまでのリベラリズム、合理主義、個人主義を保ち続けるかどうかは、世界全体の運命にかかわってくることです。アメリカがこうした価値観を放棄して他人を力だけで押さえつけるような国になってしまったら(その後2026年の今の世界では、トランプ大統領の下、米国はまさにそういう国になってきた)、友好国はなくなってしまうでしょうし、例えば日本も国内におけるこれまでの素晴らしい自由度を維持することは難しくなるでしょう。だから、異なる価値観を持った新しい移民達をアメリカが同化できるかどうかに、僕は大きな関心を持っています。

     アメリカ自身、そのことをちゃんと意識していて、だからこそ真剣な努力を払ってきました。例えば学校ではバイリンガル教育と言って、スペイン語でも全ての教科を学べるようにしたのです。ただ、このようにしますと、生徒が一向に英語をマスターしないという問題が起こります。ですから、この頃では授業は英語だけでという方向にまた変わりました。

     そこにいくと、黄色人種は一応素直に同化してしまうようです。サン・ディエゴのカリフォルニア大学では、学生の45%がアジア系ないしアジアからの留学生なのだそうですが、彼らはアメリカの価値観を身につけていて摩擦は起こっていないそうです。

    そして黄色人種はなぜか教育を重視します。一概には言えないのでしょうが、ヒスパニック系の若者はそれほど教育を重視していないそうです。彼らは移住してきたばかりの親達が小さな商店を苦労して切り盛りしてきたのを見ていますが、大学で学位を取ってもっといい生活をしようとするより、商店より「もっと儲かる仕事」を見つけようとする、安易な態度が勝っているそうです。

     それは、「最初から諦めている」(ポモナ・カレッジの学者談)ためかもしれません。メキシコからリスクを取って移住してきた一代目は企業家精神を持っているが、二代目はそれに劣ることがある(同右)ためかもしれません。三世になるとさすがにスペイン語は忘れるそうですが、価値観、振る舞いには集団主義的なものが残り、いつも自分達だけで固まっているそうです。それでも、生きるために英語やWASP的な価値観、振る舞いを身につけ、いわば両刀遣いとして生きる者が多くなるそうです。

     ここにいくと黒人というのは、アメリカ社会で本当に興味ある存在です。彼らの多くはアフリカのどこから祖先が連れてこられたかわかりませんので、実は「最もアメリカ的な」(ポール渡辺マサチューセッツ州立大学教授の言葉)存在なのです。意識の上でも彼らはアメリカを自分の国と思い、アメリカを白人だけの国とは全然考えていません。

    我々を帰りのロサンゼルス空港に送ってくれたのは黒人の運転手でしたが、大学中退の彼の英語は本当に格調が高く、アメリカ政治についても深く見据える姿勢が印象的でした。彼によれば、「カタリーナ・ハリケーンによる大被害の直後、ブッシュ大統領がカリフォルニアで遊説を続けていたのは非常に大きな過失だった。ニューオリンズの市長が民主党であることは報道されていないが、これが連邦政府が当初冷たかったことに、大きく関係しているだろう。今回の被害はニューオリンズばかり報道され、ブッシュ政権も黒人票を失わないために100億ドル単位の支援を約束しているが、ハリケーンで壊滅的打撃を受けたのは実はミシシッピー州なのだ、とにかく今度のブッシュ政権の対応が悪かったために、南部の黒人達は次回の大統領選ではもっと投票に来るだろう、そして共和党を南部から追い出すだろう」ということでした。

     黒人は、アジア系とは違ってハリウッドの映画にはほとんどいつも登場してきます。白人と黒人の間の違和感は、三十年前に比べると比べ物にならない程小さくなった感じがします。三十年くらい前から始まったスクールバスでの黒人・白人の同乗(バシングと言います)などのような意識的な努力、法制面での縛り、労働組合からの圧力等、多くのことがあってここまで来たのです。立派なことです。

     違和感があるかないかという観点から言えば、アジア系アメリカ人と白人との関係も、昔よりはるかに自然になったでしょう。特に日系人はどこか高潔なところがある上に、アメリカ的にオープンで自由闊達な気風も身につけていますから、その高い能力もあいまって非常に立派な市民になったと言っていいでしょう。ロサンゼルスでは黒猫ヤマトの宅急便のトラックも走っていますが、外見はアメリカ的なデザインになっています。

    (このあたり、黒人のオバマ政権を経て、これへの反発・反動がトランプ政権下では見られる。ただ、社会の基調は人種の違いを乗り越える方向にあると思う)

  • 米国旅行記3の1 2005年9月:ロサンゼルスと多民族化の心象風景

    (ここでは、米国の多民族社会の心象風景が詳しく描かれる)

    我々夫婦はハワイのあと、ロサンゼルスに飛びました。この機会に、米国西岸、カリフォルニアでの多民族化の実態を見聞してみたいと思ったのです。

    ロサンゼルスには友人がいて、歓迎してくれました。アメリカ人と結婚している日本人の画家・写真家で、夫の引退とともにそれまでいたボストンを引き払って夫の故郷カリフォルニアに戻ってきたのです。

    このカリフォルニアは、面積は日本にほぼ等しく、人口は三千六百万人で米国の州では最大、そしてGDPは世界で5位だそうですから、一州だけでフランス、イタリアなみの経済力を持っているのです(その後の円安で、2026年の今では日本のGDPをドル・ベースでやや上回る。4.1兆ドル)。ロサンゼルスは人口四百万人で、全米第二の大都市、スモッグに包まれ広い盆地に果てしなく広がっています。地元の人達は、ここを「内陸帝国」(Inland Empire)と呼んでいます。乾いた砂漠に栄えている全米第二の都市。水の供給を考えるだけでも、大変なことです。

     で、僕の友人夫妻はロサンゼルスから南へ一時間ほど下ったラグーナ・ビーチというリゾート・タウンに居を構えています。海岸からほど近い崖の中腹に、アメリカで言えば中産階級の上以上、日本で言えば上流階級そのものの人達の家が、様々の意匠で並んでいます。日本の標準では大きいものですが、住み込みの女中などがいなくてもやっていける程度の規模で抑えてあり、お城のような大邸宅(ボストン郊外などにはたくさんある)はこのあたりではありません。全体の印象は贅沢というよりは、質素なものです。それでも、友人夫妻は自分のアトリエを持ち、家を様々のアートで飾り、毎日太平洋に沈む夕日を満喫できるのですから、その生活はちょっとしたものでしょう。僕達夫妻は、友人が近くに借りてくれたホテル式コンドミニアムに寝泊りし、友人のセカンド・カーであるBMWのオープン・カーを下駄代わりに使って三日間を過すことになりました。

    これまでは、日本での生活水準もなかなか上がったものだ、それも格差が小さいのだからたいしたものだ、と思っていたのですが、このカリフォルニアから帰って来ると、日本の生活水準はアメリカなら、やはり中流の下ぐらいだろうな、それでも全員が同じようなレベルだからそれでもいいかな、と思った次第です。アメリカに比べると日本の人口密度が大きいことは一目瞭然で、それを平均して高い水準に維持しているのは大変な業績です。

    Segregationと繁栄

     ロサンゼルスでは、アメリカ社会の多民族化の実態とそれがピューリタン的な価値観に及ぼしている影響について調べたいと思っていました。ところが、今回滞在したオレンジ郡は名うての白人居住地帯。それも裕福な白人達の居住地帯だったのです。海を見下ろす高台には十億円もする、成金のお城がたっていますし、コンドミニアムでも白人しか見かけません。そして彼らはあのファスト・フードと脂っこいポテト・チップの食べすぎで風船のように膨れ上がった、一般アメリカ人とは違って、すらりとした北欧タイプなのです。よくアメリカ、イギリスのことをアングロサクソンと言いますが、本当のアングロサクソン人達はイギリスが北欧から来たバイキング=ノルマン人に征服された時に山の方に追いやられてしまい、イギリスの支配階級はそれ以来実際にはスカンジナビア人(デンマーク人は今でも、イギリスには特別の思い入れを持っています。ちょうどイギリス人がアメリカに対して持っているのと同じような)だったのですから、アメリカの上流に北欧タイプがいて不思議はありません。

     ビバリーヒルズに行ってみると、セミナーでも終わったのか、客がぞろぞろホテルから出てきて別の会場に移動していきます。それぞれ満ち足りた感じの白人ばかりで(もっとも日本でも、こういう時には自信たっぷりの日本人しか目にすることはありませんが)、稀に黒人が混ざっています。

    白人二人に黒人の若い紳士が一人、連れ立って歩道を行きますが、黒人は話の輪に入れてもらえません。彼は一生懸命会話に耳をすましつつ、ついていくだけ。ボストンでも、白人中心の経済団体などに、黒人が申し訳のようにメンバーとして加えられているのはよくあることで、これもそうしたケースだったのでしょう。

     アメリカによくあるショッピング・センター「モール」を戸外にばらけたような、ビバリーヒルズの目抜き通り。一見瀟洒な、しかし個性のないブティックが並び、判で押したような同じ香水の匂いが漂ってくる、典型的なアメリカ風景。ヨーロッパ人が見たら、吐き気がしてくることでしょう。そしてその中を、現在の繁栄、自分の豊かさが永遠に続くと確信して疑ったこともない、といった風情の連中が歩いていきます。惨めな生活にあえぐ途上国の人達が、何か不公平なものを感じてアメリカに憎しみを感ずるようになるのは、一つにはこうしたことがあるからでしょう。

    デベロッパーが作り出すSegregation(人種分住)

    ロサンゼルスの街中に行くと、そこは全く多民族の社会で、市の人口の52%が「ヒスパニック」(中南米系、ここでは主としてメキシコ系)ですから、どちらがどちらに同化するのかわからない状況になっているのです。ところが、白人はロサンゼルスのヒスパニック居住区には中々行きたがらない。危ないというのです。こうなると、事態は「多民族化」と言うよりは、良く言われている「サラダ・ボール」現象を呈してきます。

     こうした差別化は、人種差別(Discrimination)というよりは人種分住(Segregation)と呼ぶ方がふさわしいでしょう。白人以外の者が引っ越してくると周辺の地価が下がるので、デベロッパーは意図的に人種毎の居住区を「設定」しようとします。

    僕の知っているボストン近郊でも、ユダヤ人が集中的に住んでいる区域や、黒人中産階級が集まっている地域というように、住み分けが行われていました。こうした世界では、趣味の世界でも「住み分け」が行われていて、好みのスポーツも違っていたりするものです。クラシックのコンサートは、今でも白人が聴衆の殆んどを占めています。

     ただ、こうした住み分けが人種のラインに沿ってだけ行われているかというと、そこは段々変わりつつあります。白人だけが住んでいた郊外の住宅地に黒人やベトナム人が引っ越してくる例もちらほら出ています(但しここでは彼らは絶対少数派ですから、価値観、挙動においてWASP化が求められます)。

    つまり住み分けは人種よりも所得水準、つまり所属「階級」に沿って行われる場合もあるようです。それでも、「ヒスパニック系の人が金持ちになっても、白人居住地区の高級レストランには行かない」という言葉が示すように、そのプロセスはのろのろしたものでしょう。

     ワシントン中央政界にもWASP以外の人材が進出しています。ロサンゼルスの市長には今年、史上初めて「ヒスパニック」がなりました。それでも、全米レベルでは人口の50%以上が白人である現状では、それ以外の人種が政治家に選ばれる機会は相対的に小さなものがあります。少数民族出身の政治家が社会全体の利益を調整しようとすると、別の少数民族が反発することもあるでしょうから、WASPはここではアメリカ社会の最大公約数のような存在になってきたのかもしれません。あたかも政治はWASPの天職であるかのような。

    資本主義と原罪と

     ・

    ところが日本人や中国人は、こうした住み分けを意識してかしないでか、白人の居住区、白人のスポーツ、白人の趣味の世界へ平気で踏み込んでいきます。まるでTrickstar(いたずら好きの妖精)」であるかのように。いや、それも「近代化」、経済発展の必須条件だと思い込んでのことかもしれません。まあ、単に白人文化やスポーツが面白いからという人が大半でしょうが。

    我々があえて見て見ぬふりをしていることが一つあります。それは、どの先進経済も、他の国、他の民族からの収奪を行うことで、その経済発展の端緒を築いているということです。アメリカはインディアンを殺し、今まで誰も住んでいなかったような居住区に追いやり、ハワイを併合しました。

    イギリスはリバプールのジェントルマン達が奴隷貿易で巨万の富を築いたあと(奴隷に反対したことになっているアメリカ、ボストン界隈の大資本家も、実は奴隷貿易で大枚の利益を上げているのです)、背後のマンチェスターに大紡績工業地帯を築き、インドの綿織物には高関税をかけて壊滅させ、更には中国にアヘンを強引に売りつけて栄華を築きました。日本は、日清戦争や義和団事件での賠償金で工場を築き、朝鮮、満州などの地域に自分の経済を無理やり拡張しようとしたのです。

     つまり資本主義社会の栄華は、決して勤勉とか競争力とかだけで築かれてきたものではない。他者を収奪して財を築いた、あるいは今でも時々力で収奪している、こういった「原罪」を持っています。日本は、製造業の技術力・競争力で正直に食べているつもりでいますが、戦前はひどいことをしましたし、今でも世界での競争は決してきれいごとでは片付いていないのです。

     インドの人力車の車夫はこの上なく勤勉です。でも彼らの生活は走っても走っても良くならない。力で他者を収奪することなしには、経済を飛躍的に発展させることはなかなか難しいのです。平和な時代に、安い賃金で競争力を高め世界市場を制覇しようとしても、ブランド力や販売網のない新しい企業ではなかなかうまくはいかないのです。

    ですから資本主義は、あるいは資本主義も、最後は力と力のぶつかり合いがものごとを決める、「肉食獣の世界」なのでしょう。日本のビジネスマンも何とかやっていますが、それは羊に牙をつけたようなもので、アメリカ人やヨーロッパ人の迫力にはなかなか敵わない。

     長年マルクシズムと付き合ったおかげで、物事の本質を見破ろうといつも心がけているロシア人達も、この辺は最初から十分心得ているようです。マフィアも交えての資産の奪い合い、撃ち合い、殺し合いの世界から勝ち上がってきたロシアの若手実業家ほど、肉食獣を彷彿させる人種はないでしょう。彼らは忙しい仕事のかたわら何人もの女性を囲い、レーシング・カーをぶっとばし、空手や射撃をたしなみ、アフリカのサファリに出かけるのです。明日をも知れない生活では、刹那の快感を求める気持ちが強くなるのです。(3-2に続く)

     

  • 米国旅行記2 2005年ハワイ

    (同じ2005年の秋には、ハワイを経てロス・アンジェルスに夫婦で行ってきた。ここではまず、ハワイでの印象)

    平成十七年十月八日

    河東哲夫

    Ⅰ・ハワイ

    1.「帝国の肌は荒れている」

     ハワイで空港の外に出るのは、実に今回が初めてでした。ホノルルは思っていた通り、「アメリカ的」な街でした。緑の芝生の公園では、スプリンクラーが惜しげもなく水をまいていて、水路のほとりには路上生活者が寝転がっています。一見立派なコンドミニアムが立ち並んでいますが、近くに寄って見れば、建物のラインはどこかでこぼこで、ペイントの表面はつやがありません。「帝国の肌は荒れている」ことが普通なのです。

    おそらく、低賃金労働者を使って建設やペンキ塗りをやっているため、神経が行き届かないのでしょう。こんなことはロンドンでもパリでもモスクワでもそうです。しかしここは楽天的で、観光客用の木組みのバスが目の前ですごい音を出して加速したかと思うと、混血のアジア風の運転手がその加速に頭を後ろにそらしたまま走り去っていきました。

    2.抹殺された王朝と観光資源と

     カメハメハ大王の名前は知っていましたが、これほど偉大な人とは知りませんでした。ハワイ諸島が彼に統一されたのはやっと19世紀の初頭。彼はオアフ島ではなく、溶岩と密林のハワイ島の王だったのです。彼の作った「砦」の跡を見に行きましたが、どこまでも碧い海の岸辺にまあ100メートルくらいでしょうか、割と原始的な組み方をした石垣が残っているだけです。まあ彼としては、白人の植民地主義がどんどん進みつつあるのを肌で感じ、ハワイの近代化と独立維持を何とか達成したかったのでしょう。

     で、オアフ島に「アメリカ唯一」だとアメリカの白人達が自慢する「王様の宮殿」(Royal Palace)-――イオラニ宮殿-–というのが残っています。暑いハワイに赤坂離宮をこぶりにしたようなフランス風の瀟洒な石造りの宮殿が造られたのです。そこでは、アメリカによるハワイ併合の哀しい歴史が展示室で写真と説明つきで観覧に供されています。

    アメリカ本土に無数にあるカジノは多くの場合、アメリカ・インディアンに利権が与えられ、そこには「何何族の歴史」が白人による弾圧の事実も隠さずに展示されているのと、よく似た現象です。少数者による権利の主張と、白人のうちの良心的な勢力の努力が合わさって、こうなっているのだと思います。

    カメハメハ大王も街頭に立っている褌姿の英雄ではなく、きゅうくつそうに背広を着た写真を残していますし、彼以降の国王、女王は皆、まるで明治時代の日本のエリートそっくりの「最近欧化したばっかり」ルックで写真に収まっています。当時はイギリス帝国主義全盛期で、王族達もロンドンに留学するのが普通だったようですが、アメリカのインディアンと同じく、ヨーロッパの病原菌に免疫がなかったために、ロンドンでハシカ(!)にかかって病没したりしています。

     独立を守るための遮二無二の欧化、強い白人の文明に対するねじれた憧れと劣等感、これらは明治期の日本を想起させるものがあります。そして面白いことに19世紀後半のハワイのカラカウア国王は、一八八一年初めての世界歴訪で日本を最初に訪れ(日本にとっては最初の国賓来訪だったようで)、明治天皇と会っているのです。彼はそこで、日本とハワイが「太平洋同盟」を結ぶことを提案したのですが、日本側から拒絶されます。その代わり、「白人の持ち込んだ病原菌で人口が4万人にまで減ってしまった」ハワイを助けるためとして、日本側は移民を送ることを約束します(以上は、ガイドを無料で立ち聞きしていた結果。実は明治元年から移民は行っていたようです)。

     アメリカ人やフランス人たちは、全島を入会地みたいにして共同体的な社会を作っていたハワイの原住民達を馬鹿にして、「近代的な所有権」で島をどんどん侵食、最後はアメリカ人がLikiulokalani女王を宮殿に幽閉までして、ハワイをアメリカに併合してしまいました。女王は、アメリカ資本と結びついて利益を上げていた地元実業界から裏切られたようです。そして幽閉された女王がやるせない思いを歌にしたのが、あの「アロハ・オエ」。

    それをハリウッドの白人達がスチール・ギターなる奇妙な楽器で「ハワイアン」なるヨーデルの変形のような(ヨーデルにポルタメントをつければ、ハワイアンのメロディーになるでしょう)音楽を仕立て上げ、これもオリジナルとは全く違うセクシーなフラダンスの伴奏に使うようにしてしまったのです。今の「ハワイ」のイメージは、白人が「未開の地」に対して抱くイメージを自己演出し、誇張したものなのでしょう。

    しかしこれは、日本が朝鮮を併合した時の経緯を想起させるものがあります。日本は千九百十九年、李朝の末裔、高宗を毒殺した、と物の本にはあります。

     アメリカ人がハワイに魅せられた理由の一つには、あの真珠湾があったようです。地図を見ればわかるように、真珠湾は大きな割には外洋の荒波から完全に遮断されていますし、当時世界中で鯨を殺しまくっていたアメリカの捕鯨船の寄港地、アメリカの西漸の基地としては理想的なものがあります。

     当時は、ロシアもハワイに色気を示していました。ロシアの荒くれ者はサンフランシスコ近くにまで、植民地化の企てをしていたのですから。日本も完全なシロではありません。併合の時に起きた住民の暴動の際、日本も軍艦を派遣しています。それにアメリカは一九九三年に「謝罪法案」と呼ばれる130-150法案を採択し、策謀の存在を公式に認めているそうです。

     昼下がり。イオラニ宮殿の横の公園には、”Royal Hawaian Band”と横腹に大書したトラックが止まり、近くにはブラスバンドの一隊が演奏前のウォームアップを始めています。Royalというのは、カメハメハ王朝を持ち上げているのでしょうが、このブラスバンドのメンバーは殆んど白人。皆、白いユニフォームで芝生の木陰で、ぶかぶか、どんどん演奏を始めます。

    3.「パール・ハーバー」

     ハワイに来たのであれば、パール・ハーバーを見に行かない手はありません。ワイキキからタクシーで行ったのですが、地図で見るのとは違って随分遠くてメーターが上がり、気が気ではありませんでした。

    パール・ハーバーでは戦艦アリゾナが米兵の遺骨を抱えたまま沈んでいる上に作られた「アリゾナ記念館」に行きます。これは海上にあるので、船で行くのです。アリゾナ記念館の近くには、筆者が小学生の頃作った「戦艦ミズーリ」の模型によく似た船がもやっていましたが、後で聞くとやはりミズーリでした。記憶では十年くらい前まで現役で、今も完全に廃役になったのではないと思います。思ったより小さくて、戦艦大和や武蔵はあれより二倍弱も大きかったんだぞと思うと、妙に誇らしい気になりました。

     アリゾナ記念館は、人を本当に神妙な気持ちにさせます。日本攻撃の時亡くなった方々の名前が壁にずらりと記されています。浅い海底には、アリゾナが横たわっているのが見えるのです。こんなことは絶対繰り返してはいけません。自殺的な行為しかできないほど日本政府を追い詰めてしまった、一部の日本人の独善的な行為、そして世界情勢の複雑さをあえて無視した蛮勇には今でも反吐が出ます。

    アリゾナ記念館行きのボートが出る建物だったかと思いますが、日本の真珠湾攻撃の模様が詳しく説明されています。しかしそこにはもはや、”Remember Pearl Harbor”とかそれに類するような敵意ある言葉はもはや見られず、聞かれませんでした。勝者の余裕だと言ってしまえばそれだけなのでしょうが、靖国神社の遊就館における「欧米植民地主義」への敵意に満ちた好戦的言辞と比べると対照的でした。僕の方が真珠湾のことを覚えておこうと思って、ゼロ戦の図柄にパール・ハーバーとあるTシャツを買ってきた次第です(これは20年後の2026年後の今でも、テニス用の現役として活躍しています)。

    4.長閑さとセグリゲーションと

     バスに乗っていたら、小さな白人の老婆がリュックに犬を「つめ」、ミネラル・ウォーターのペット・ボトルと本を持って入ってきました。彼女が片手でカネを出し、のろのろとバスの後ろに歩いていって座るまで、運転手は発車せずに待っていたのです。発車すれば彼女は倒れると思ったのでしょう。

     あるタクシーの運転手は、サモアからやってきたというサモア人の女性でした。ハワイは米国であると同時に、太古の昔からの太平洋諸島との関係も相変わらず続いているのです。この女性はもう3回も夫を代えていて、「4人目のボーイ・フレンドはイラン人なんだよ。ご飯時になると携帯よこしてね。一緒に食べようってんだよ。優しいじゃないか」ということでした。

    タクシーの運転手にはなぜか韓国人が多かったのですが、彼らは韓国が未だ貧しかった時代にハワイにやってきて、韓国が良くなったと言っても今さら戻れない、と言っていました。ハワイに200人も親戚がいるが、一堂に集まる機会も滅多になく、次第に縁は薄くなっているようでした。

    ハワイ群島最大の島ハワイ島(キラウェア火山のある島)は大型の牧場がいくつかあることで有名ですが、日系人も多数いるようです。ハワイ島の西半分は乾いた溶岩地帯、東半分は密林地帯なのですが、我々夫婦は東のヒロといううらぶれた町に泊まりました。夜、これもうらぶれたファミリー・レストランに行きましたら、おそらく日系人が関係しているのでしょう、大きな力士の人形がおいてあり、メニューには「ワンタン・ヌードル」というのがありましたから、それを注文しました。まさに「ワンタン・ラーメン」そのもの。それも、麺は少し伸びてはいるものの、かん水の匂いがぷーんと漂う、まぎれもなく終戦直後の日本の、古風な場末のラーメンでした。

    そのハワイ島は、変化に満ちています。南の果てに行きますと、そこはマウナロア山。アメリカ人は「海の底から測れば、エベレストをしのぐ世界一の高さだ」と、変な威張り方をしていました。山腹にはキラウェア火口があって、噴火を続けています。溶岩が流れる様子は見えず、暗くなってから行くと、赤く光るのが見える程度ではありましたが、風ふきすさび船影もない不吉なほど蒼く白い太平洋と、草木一本生えていない月世界のような溶岩原がほとんど地平まで、人気もない中にのびていき、その向こうで溶岩が海に入る時上げる水蒸気が高く高く上っているシュールリアルな光景は、忘れることができないものです。

    ハワイ島の北東の端のWaipioという海岸には、深く内陸に切れ込んだ谷がいくつかあります。外房のような崖の海岸を思い浮かべてください。海に突き出た崖の間では黒い砂浜に白い波が打ち寄せ、小川の流れる緑麗しき野原が内陸の密林にまで伸びています。折りしも西日を受けて、この開発の手の入っていない地はまさに桃源郷のような趣をたたえます。この谷に下りていくと、ハワイの原住民達が昔通りにタロイモを栽培して暮らしているのが見られるのだそうで。

    折りしもこの崖の上にはちょっとしたテラスがあって、その飲み物売り場からはラジカセのロックと若者の大声が聞こえてきます。行って見ると、この谷に住む原住民達の子弟が、週日はヒロで働いているのが週末になるとここで集まって騒いでいるところでした。曙のような体型の青年が、しかし髪は茶髪に染めて、コーラ片手に親達の生活を解説してくれます。わかりにくい英語。まだアメリカ本土に行ったことはない、と言うと、秘かな惧れに誇り高い顔をゆがませました。でも、「ここにはいい奴らRight peopleしかいないからな。またいつでも来てください」ということでした。

    ここから素晴らしい舗装道路を1時間ちょっと走ると、西岸のリゾート地コナの空港に着きます。ここの空港ターミナルは小ぶりの建物がいくつも並んでいて、それぞれが藁葺きの原住民の住居のスタイルを模した、面白いものなのです。でも、ここに来ると、乗客は不思議なことに白人が圧倒的になります。それも、何故か北欧系の金髪、碧眼の人達が。Discriminationとは言いませんが、Segregationの世界が始まったようです。彼らに囲まれ、ロサンゼルスに向けて飛び立ちました。この続きは「旅行記3」で。

                            

  • 米国旅行記1 2005年5月アメリカ風景

    (今、高市総理が訪米している。米国・イスラエルによるイラン攻撃が泥沼に入りつつある今この時に訪米というのも、勇気がある。この機会に昔、米国について書いたことを引っ張り出して、まとめてアップしておこうと思う。生活点描が生き生きとして面白い。

    これはその第1号。当時、米国社会はまだそれほど崩れていなくて、わりと活気のあるものだった)

                                                                                        2005年5月5日 

                                          河東哲夫

    1.「アメリカ的」なるもの

     毎年1回はアメリカのどこかに行って、この複雑で奥深い社会のパルスを測るようにしている。この連休はボストンとプリンストンに行った。タクシーの運転手が聴いているBGからして何となく自由だし、地下鉄の大道芸人の奏でる曲はプロはだしで、ああやはりアメリカはいいなと思う。僕がアメリカに初めて来たのは70年代のヒッピーや反ベトナム戦争の運動盛んなりし頃だから、「アメリカ」と言えば「自由の国」という条件反射が身に染みついてしまった。それが、あの2001年9月テロ事件以来すっかり変わって、自由とか民主主義の価値観を自由とか民主主義からは遠いやり方で広めようとする人たちが増えてからは、僕もすっかり幻滅している。

      そうなると、あばたもえくぼの逆で、「アメリカ的なるもの」の陰の部分がやたら目に付く。郊外から僕の乗った地下鉄は、5分もするとエンコして、乗客はバスに乗り換えさせられた。ニューヨークからプリンストンに行く郊外電車のトイレの鍵はかからず、ブレーキがかかるとドアがするする開いてしまう。僕の席はちょうどその脇にあって、そこを通りかかった乗客が何気なくトイレの中を覗きこみ、あわてて目をそらしていくのがおかしい。

     上下左右ともまっすぐな線になっていない歩道の縁石、ひびわれた舗装、薄っぺらいベニヤでできたようなレストラン。役所や大学の建物はしっかり作ってあるが、手抜きや老朽化したインフラはそこらじゅうにあって、これは箱庭のように隅々まで手の入った西欧の街とはまるで違ってがさつだ。ボストンからニューヨークへの列車は、大声でしゃべりまくるビジネスマン、ひっきりなしに鳴る携帯、うるさく咳き込む人、「みんなさん、今日はいい天気だねえ。次は何々の駅だからねえ」といったべらんめえな車内アナウンスーーー西欧のくつろいだ静寂とは全く違う下世話ぶりだ。

     そしてプリンストン大学のシンポジウムでは、ホテルからピックアップされ、運転手が「ここだよ」というのでマイクロ・バスを降りれば出迎えもなく、参加者たちはどの建物のどの部屋に行っていいのか戸惑う有様。だが、いったん議論が始まると儀礼とか偽善なしの白熱した本音の意見のやり取りが始まって、「ああ、アメリカは真剣勝負の国なんだ」という快感にまた酔うのである。

     アメリカの社会は、移民社会でも生産性をあげることができるように、極力マニュアル化、システム化されている。成田からボストンに行く時にはシカゴでいったん降りて、入国手続きをしなければならない。その2時間足らずの短い間に荷物をいったん受け取って税関を通しまたチェックインして別のターミナルへ行く、という複雑なオペレーションを迫られるのだが、ものごとはすっかりシステム化、流れ作業化されているから、英語さえできれば時間は十分ある。

    しかし、うまくいったと思っていると、ボストンに着いた時に荷物が出てこないのだ。このユナイテッド・エアラインズのシカゴ経由便では先回も同じ目にあったから何ということもないし、10人程の乗客が同じ目に会っていた。

     もちろん荷物はだいたい見つかるのだが、なぜか必ず次の朝の6時に電話をしてきて人をたたき起こし、「荷物が見つかったぜ。今日、何時頃届けに行くからな。あばよ」といった感じだから、こちらはいつも消耗させられる。それにその日は荷物が届く前に行動を開始するから、着ているものが肌にまつわりついて気持ちが悪い。ユナイテッドは生産性とやらを上げるために無理な乗り継ぎ時間を設定し、不便のつけは乗客に押しつけているのだ。いや、これはアメリカ社会全体がそうなっていて、マニュアル化、合理化のつけは消費者が負担させられている。

     9,11テロの余燼はまだくすぶっていて、何か物音がすればすぐ腰に手をかけ「寄らば撃つぞ」と身構えるーーーたとえて言えばこのようなワイルド・ウェスト的な気配がインテリの間にさえちらつく時もある。

     他方、早春の青空と若葉の下のボストンはどこまでも平和で、地下鉄に乗る25セントがどうしても足りなければ見も知らぬ通行人が恵んでくれる気前良さも、まだ残っている。

     そして、嗜好とか趣味は確実に向上しているようだ。以前は、アメリカ人は「舌のない」、「味のわからない」人たちだ、と言われていたが、この頃は様々のレストランがインテリアやメニューに意匠を凝らし、腕のいいシェフは皆が知っていて、彼らが店を替わるたびに客もついていってしまうそうだ。

    2.東アジアはまだ遠い

     今回、MITとタフツ大学で「東アジア情勢の変化と日米関係への影響」と題する講演をしてきた。双方とも20名ほどの学生と院生が出席したが、アジア系の者が半数以上を占めていた。僕が言ったことは、

    ①現在の東アジア情勢の変化は何百年に一度の大変動で、一言で言えばアヘン戦争以前の構図、つまり中国の冊封体制に戻るベクトルが動きだした。アヘン戦争以前に比べると日本、米国、韓国、ASEAN諸国等の比重は比べものにならない程大きいものの、韓国、台湾、ASEAN等は次第に中国になびきだしている。この中で、日米同盟はいつかアジアの中で孤立していく危険性もある。

    ②冷戦が終わって民主化が実現したアジアの国々、特に韓国では、青年を中心に権威にとらわれない自由な立場から戦後の歴史を再検証しようという気運が強い。そしてこれらの国の政権はポピュリスト的性格が強く、こうした世論をもろに政策に反映させようとする。これに対して「賠償問題等戦後処理の問題はすべて法的に決着がついている」というような、木で鼻をくくったような対応をすると逆効果になる。オープンな議論が必要な時代になった。

    ③中国での反日運動は、学生や大衆の生活への不満のはけ口となった感がある。それゆえに、反日運動は中国政府が看過できない危険性を帯び始めたと考える。「歴史」を強調してきたこれまでの中国政府の対日姿勢の、一つの転換点にさえなるかもしれない。

    ④朝鮮半島をめぐっても、台湾をめぐっても、当事国は本当は現状の維持を望んでいる。であるならば、1975年ヨーロッパで「欧州安保・協力会議」が発足して国境の現状維持について合意したのと同じようなことをアジアでもできるだろう

     経済・金融面についてもマルチの協力が進んでいる。欧州のEUと同じく、これには米国が入っていなくともいいかもしれないが、安全保障面でのマルチの協力は米国なしには語れない。日本、韓国、台湾の市民が手にしている高度の自由は、米国の参与なしには守っていきにくいだろう。

    ⑤(学生の質問に答えて)日本にとっての第2次大戦は、欧米を相手にしては帝国主義・植民地主義国同士の争い、中国等を相手にしては植民地獲得戦争、こういう二面性をもっていた。前者については正々堂々と戦って負け、「戦犯」が罰も受けたのだから、法的にもモラル的にも決着はついている。後者については、賠償等の法的決着はついているとしても、モラル的には日本が反省するべきことが非常に大きい。しかしだからといって、未来永劫いつも日本が謝らされるのでは納得できない。西側の国で、かつての植民地に対して過去の罪を謝罪したところがあるだろうか?

    ⑥(学生の質問に答えて)「東アジア文明」とも称すべき、よく似た社会が東アジアの大都市に生起しつつある。中国・朝鮮・日本の伝統文化を基礎にして、その上に日本・米国の現代文明を載せたものである。近代性と豊かさにおいて、欧米の都市を上回りつつある。特に青年世代が権威から自由になり、オープンになっている。日本が今後も貢献できることは、自由な社会、所得格差の小さな社会の良さを東アジア全体に身をもって示していくことである。

                           ーーーーー◇・・◇ーーーーー

    じっと聴いているアジア系の学生には、日本に対する敵意はうかがわれない。ただタフツ大学で、あるアジア系学生が日本の憲法改正とその狙いについて聞いてきた時、僕は目からうろこが落ちたような気がした。日本人は、中国が現状ーーーステータス・クオーーーを破壊する危険な勢力だと思っているけれど、中国や韓国は日本こそがステータス・クオーを破る国になることを恐れているのだ、と。

     聖徳太子以来、日本は中国を中心とした同盟体制、「冊封体制」に入らず、中国からは「まつろわぬ国」と警戒された。であるが故に日本は明治維新の際、中国に縛られることなく開国、西欧化の道を進むことができたのである。そして日清戦争、日韓併合で冊封体制を完全に破壊することになる。中国は当時、そうした日本を「鬼子」と呼んだ。アジアの諸国は日本がまた「鬼子」となってアジアを危地に陥れることを恐れ始めたようだ。日本人には海外に軍事進出をしようなどという気は全然ないことを、タフツ大学の学生はわりと簡単に納得してくれたが、もっと広い大衆にはどうしたらわかってもらえるだろう。

     「アジアにおいて日米同盟が次第に浮いた存在になっていく可能性」については、米国での危機意識はまだほとんど無い。それに一般論として言えば、アメリカにいるアジア系留学生は相変わらずアメリカの力を信奉し、日本のことを悪く「言いつける」ことで、自分の国の地位を向上させようとしがちだった。プリンストン大学のシンポジウムでは、「米国はアジアではこれまで、日米同盟を機軸に、それぞれの国との二国間関係をうまく調整することによってアジアの安定をはかり、米国の国益を実現してきた。こうしたアプローチを変える必要は、当面感じていない」ということを明確に述べるアメリカ人もいた。

     だが、このシンポジウムで特徴的だったのは、日本、米国、韓国、中国などの参加するシンポジウムをやると、以前ならアジア側参加者はわざとらしくアメリカ的な振る舞い方、ものの言い方をしてみせて、アメリカにすり寄ろうとしたものだが、今回はそのような素振りを見せる者は一人もいなかったことだ。東アジアは、それだけ自信をつけてきたのである。

    3.「原理主義」の背景

     アメリカと言うと、僕はこの頃考えこんでしまう。70年代にはあんなに自由に見えたアメリカが、どうして宗教的原理主義の跋扈を許すようになってしまったのか、と。イランとかサウジのことを言っているのではない。他ならぬアメリカの国内のことを言っている。リベラルの牙城と言われるマサチューセッツ州でも、「この頃は家の近所にも、自分の信仰を押しつけようとする人が増えてね。怖いのよ」と言う友人が何人もいる。

     70年代以来、アメリカの社会では一貫してマイノリティの権利が向上してきた。女性の権利、黒人の権利、ゲイやレスビアンの権利などなど、どれもPolitical correctnessという万能のスローガンに保護され、社会は窮屈な程だ。そのしわ寄せを食った者は、宗教原理主義に逃げ込むというわけである。

     もうひとつ、アメリカの社会は自由で開放的であるが故に、弱い者にとっては耐えられない、という問題がある。この国ではいつも大声を上げて、「自分は何ができる」、「自分はこういう立派なことを考えている」と宣伝していないと、皆忙しげに横をすり抜けていってしまうのだ。「自由の中に放り出され、誰も頼りにできない時の恐怖」は、ロシアなどの社会主義圏からアメリカに移住した連中がよく言うことだ。

     社会から落ちこぼれそうな者たちは、自己証明を必死に探す。一見もっともそうで、「お高くとまった連中」も黙らせることができるようなもの、それが宗教的原理主義なのである。そして宗派の中には、社会の弱者に狙いを定め、積極的に布教活動をしかけていくところがある。彼らはまだ共和党を支持しているが、共和党は本来裕福な者、成功した者を基盤としてきた政党だ。民主党がそのリベラル色を抑制すれば、宗教的原理主義者も民主党支持に変わっておかしくないだろう。

    4.「個人史」の豊穣ーーー多民族社会

     アメリカ人の個人史、家族史を集めてみたら、きっと壮大な曼陀羅のようになるだろう。それぞれが違う国からやってきて、そして祖先が祖国を捨てた時はたいてい何か大きな歴史ドラマがあって、そしてまるで違う背景をもった異性と結婚していく。日本の神主の家系に生まれたインテリ女性がアメリカ人の学者と結婚してもう何十年も暮らしていたり、漁師としてアメリカにやってきた日本人が戦争中ユタの日系人収容所に入れられたものの、その息子はハーバードを卒業して大学教授になっていたり、終戦直後の日本にラトビアから避難して今ではMITで働いているユダヤ系女性がいたり、とかである。

     ガンタナモ基地でコーランが冒涜されたと「ニューズウィーク」が報じて以来、イスラム諸国では反米デモが燃えさかっている。だが僕は思う。欧米とイスラムーーーどちらも相手の実像についてものを言っているのかどうか。イスラムと言えば後進性の代名詞のようになってしまったが、イスラムとは実はメソポタミヤ以来のオリエント文明の集大成のようなものではないのか? 十字軍には西欧で食いはぐれた貧民達が何千人もくっついてきたようだし、イスラム圏で保持・発展させられていたギリシア・ローマ文芸が、中世ヨーロッパの科学を発展させたことはもう誰でも知っている。

     アジアとの平等な交易で繁栄していたイスラムからその商権を取り上げたのはヨーロッパ人で、その後彼らは武力にまかせてアジアを植民地にして隷属させ、その富を搾取して産業革命を達成した。こうして貧しくなってしまったイスラム社会の利権を特権層が宗教絡みで独占しているのが現在の姿であるとするなら、我々はイスラムを非難するより、彼らの悲運に同情し、助け、彼らの社会の富を独占している特権層を批判していくべきなのだ

     イスラム側の米国認識も、時代がかっている。彼らにとって米国は、十字軍以来の「憎き白人」の代表なのだ。偽善的で、セックス・マニアで、何かがあるとすぐ銃に手をかけるーーーこれが彼らのアメリカ認識だ。

     ところがそのアメリカは、今や多民族国家なのだ。西欧ではチャドルをつけた女性は疎まれるが、アメリカでは町中は言うに及ばず大学でさえチャドルをつけたアラブ人女子学生はごく普通の存在だ。しかも生き生きとしている。イスラム諸国でアメリカの国旗を燃やしている連中は、こうしたことを知らないだろう。

     この連休、アジア系マイノリティーの研究では第一人者のポール渡辺教授に話を聞きに行った。ボストン南郊、アイルランド人の多く住む街区を過ぎると、抜けるような青い空、白い波頭の碧い海のほとりにマサチューセッツ大学の近代的な建物がそびえ立つ。その裏はケネディ家の牙城、ケネディ図書館だ。このモダンな茶色の化粧煉瓦仕上げの大学の建物も、近寄ってみるともうそこここにひびが入り欠けている。

     ポールは言った。1970年代、ボストンでは人口の85%が白人だったが、現在は50%程度。アメリカ全体では白人はなお70%、中南米系が12-13%、黒人もほぼ同比率、アジア系が5%だ。これが2050年になると、白人は50%以下になり、中南米系が25%、黒人が15%、アジア系が10%になる。今でもハーバードでは学生の30%以上がアジア系だし、カリフォルニアの大学ではその比率は50%以上になっている。

     こうした変化の大半は新しい移民によっている。これまでもアメリカの歴史は移民の大量の流入と同化の繰り返しだったが、今回の流入は大量で、しかも文化的背景が大きく違うために、彼らがアメリカ社会に同化するかどうかは議論の的になっている。アメリカには実はドイツ系が最も多いのだが、彼らは自分たちがドイツ出身であるとはもはや考えていない。このように、一世は同化が難しいとしても、二世以降は同化してきたのがこれまでの歴史だった。同じ事が中南米系にも起こるかどうかは、ポール渡辺にもまだわからない。

     彼は、続ける。インド人のITエンジニアなどは、故郷と行ったり来たりしているから、それほどアメリカの社会に同化しない。彼らがスタートアップを起こそうと思えば、その資金は同族の経営する銀行などから入手しやすくなっているし、とにかくアメリカの政府というものが彼らには益々縁遠いものとなっている。

     もっとも、低賃金労働者はそれができない。中南米系は集団主義的でアメリカの個人主義となじまない、と言う者もいるが、下層階級はどの民族でも集団主義的なものだし、二世以降ではアメリカ社会に同化してくるだろう。

     多民族化は、アメリカの外交にどういう影響を与えるだろうか。僕はこのことを、ポールと議論したくてやってきた。アメリカで数の多い、ないし有力な民族の出身国に対するアメリカの外交はマイルドなものになる、と言い切れるのかどうか。イスラエルやメキシコに対するアメリカの政策はやはり随分穏健なものになっている。だが、数が多いわりには、中国系アメリカ人は中国の共産党政権への支持を連邦政府に働きかけているわけではない。黒人も、その多くがアフリカのどこが故郷かわからない、という点で、最もアメリカ的なアメリカ人と言っていい。それにそもそも、ニューイングランドであれば、人々の出自というのは興味の対象にもなるが、カリフォルニアに行くともう関心も示されない

     日本語を話さず(その代わり、英語はやたら難解な文語調なのだが)、さりとて幼時から自分が「他人と違う」外見であることを意識し、アイデンティティーに悩んできたポールも、60歳に近くなった今はもうだいぶふっきれてきたようで、こう言うと長い話にけりをつけた。

  • トランプで甦る米帝国主義のDNA

    (これは以前、講談社の「現代ビジネス」に投稿した記事の原稿です。最近は、トランプ米国の常軌を逸した行動が世界の耳目を引いていますが、米国が西側の盟主として安保と経済利益を折半していたのは、戦後の冷戦の時代のみ。他の時期は他の国と同じく自分中心で行動していたわけで、トランプはそれに戻ってきただけとも言えます。我々はそれに過剰反応をするべきではありませんが、米国が帝国主義的行動をしていた時はどうだったのかを調べておく必要があります)

     乱暴な関税率操作、イラン爆撃、ベネズエラのマドゥロ大統領拘束、ウクライナ支援停止、国連諸機関への分担金支払い停止、グリーンランドをめぐるデンマーク脅迫、非合法移民の強制追放などなど、トランプ帝国主義という妖怪が世界を徘徊している。米国内の問題に集中するのかと思えば、世界で武器を振り回す。彼の外交には理念がなく、すぐ「ディール(取り引き)」という下世話な言葉を持ち出す。ディールに勝って、それを見せびらかして、下る一方の支持率を下支えする――これが、彼の政策を貫く根本「思想」なのだ。

    「アメリカは変わった」と嘆くだけでは、すまない。我々の身の処し方を早く決めて動かないと、食われてしまう。トランプ米国に便乗するのか、あるいは降りて別の行き方を探すのかしないといけない。昔、異形化して、提携相手のデロス同盟諸都市からみかじめ料を集め始めた古代アテネに、ペロポネソス同盟を作って対抗した、スパルタのような国を探すなど。

     しかし米国はできたころから、対外拡張、国内重視、その他、その他と様々の主張が渦巻き、大統領選挙を契機に国柄をがらりと変える。第二次大戦後は国際連合、IMF、GATT(WTOの前身)、世界銀行といった、米国を勧進元にした仕組みが一貫して続いてきたように見えるが、これも1952年の大統領選挙では、どう転ぶかわからない、あやふやなものだった。国際連合などの仕組みは、ルーズベルト、トルーマンと、民主党の大統領たちが作り上げたもので、1952年の大統領選挙で、海外で余計な負担を負うのを嫌うロバート・タフト上院議員が、共和党候補となって大統領に選ばれていれば、多くのことは覆されていただろうからだ。

    タフトが党内の競争に敗れ、世界への関与を主張する一派が担ぎ出したアイゼンハワーが大統領になったから、戦後国際政治はNATO、つまり米欧同盟=西側と、ソ連陣営が対立するものとなって、長く続くこととなった。アイゼンハワーは第2次大戦末期、ドイツと戦った米欧連合軍を統括する連合国遠征軍最高司令官だったし、1950年12月からはNATO軍最高司令で、まさに米欧同盟を体現する人物だったのである。

    だからここでは、今のマッチョ的な拡張主義がどこまで定着し、どこまで続き得るのか、一つ歴史を振り返って点検してみる。

    植民地からスタート・・・マッチョとピューリタニズムの二つの伝統

    現在の米国を形作ったのは、欧州から移住した白人たちだ。当初は英国からの移住者が多いが、彼らは南北で異なる生き方を発達させていった。北部のニュー・イングランドは地味が貧弱だから、勤勉・実直に働くピューリタン、カルヴァン主義の影響が強く、南部は豊かな地味に大規模農園を開いて奴隷を駆使、利益を貪る搾取型の経済が主となった。

    1830年代アメリカを見て回ったフランスの外交官トックヴィルは実にみごとな観察を残している(「アメリカのデモクラシー」)。中部を東西に流れるオハイオ川の両岸では、人々の気質が対照的だというのである。北岸オハイオでは勤勉、富を築こうとする意欲が感じられるが、南岸のケンタッキーの住民は労働と企業家精神を軽蔑し、奴隷に依存した安逸な生活をむさぼっている、彼らは狩猟と戦いに情熱を持ち、武器や肉体を使うことに強い関心を持っている――つまりマッチョ――、というのである。

    これが一つの米合衆国になった(なれた)のは、宗主国の英国が米国を植民地扱いして課税を強化しようとしたのに対して、南北の13州が一丸となって戦ったからである。南米では各地域のエリートがそれぞれ本国スペインと癒着していたため、それぞれはばらばらの独立国家となった。

    それでも独立直後の13州米国は、人口(約280万人)やGDP(推定で、今日のドルに換算して約120億ドル)では、西欧大国の後塵を拝する一小国でしかなかったし、その経済成長は外資(特に英国)に大きく依存し続けた。

    しかし米国は、南北戦争前から領土の拡張に努めた。早くも1803年には、大陸での戦費を必要としていたナポレオンから、今の中西部諸州を当時のカネで1500万ドルで買収(「ルイジアナ買収」と呼ばれているが、今のルイジアナ州のことではなく、当初独立した13州の総面積に匹敵する地域)、1821年にはスペインからフロリダを取得し、1846年からのメキシコとの戦争(米墨戦争)前後にはテキサス、カリフォルニア等を獲得している。

    この頃使われ始めたのが、「周辺への拡張は米国の使命(manifest destiny)」という標語。これは1845年にジョン・オサリヴァンというジャーナリストが初めて用いて、以後定着したもの。要するに、「米国の拡張は神の御心にかなうもの。米国の共和制は道義的に周囲の帝国に勝るので、これを拡張することは人類の利益に叶う」という意味を持っていた。

    人類は古くから、戦う時には自分の神を先頭に立てる。米国の場合は、共和制・民主制を神に仕立てて、武力で領土を拡張することを正当化したのである。道義的なスローガンの下に、力で海外の政府を倒そうとする現代のネオコンも、その流れにある。

    19世紀末、「帝国主義」を意識し、実行した米国

    西部、西海岸の開発を急速に進めた米国は、太平洋を越えての拡張を志すようになる。1853年にはペリーの艦隊が日本・中国等に来航する。この動きは1861年の南北戦争で完全に断絶する。1867年には、クリミア戦争で疲弊したロシアから、アラスカを実に720万ドル(当時のカネ)の安価で購入するが、それでも政府は「巨大な冷蔵庫」を無駄買いした、と批判された。

    拡張主義は、産業革命を経た19世紀末、スペインとの戦争(1898年)でまた「開花」する。スペインとはキューバの支配をめぐって戦火を開き、勝利を収めると、カリブ海地域ではキューバ、プエルトリコ、太平洋ではグアム、フィリピンを取得した。フィリピンではその後独立戦争が起こり、米国は大軍を送って鎮圧している。フィリピンでは20万名以上の人が亡くなった。

    またこの頃、米国の入植者が起こしたクーデターでハワイ王国(19世紀にカメハメハ大王が確立)が滅亡、1898年にはアメリカに併合される。

    (ハワイ共和国最後の王位継承者カイウラニ王女)

    この頃の米国では、西欧の列強と同様、「進歩」の名の下に領土の拡張を進めるべしとする「帝国主義者」と、他国への干渉を控えるべしとする「反帝国主義者」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。帝国主義下の海軍の運用を研究したマハンの「海上権力史論」が出たのは、1890年のことである。

    この「帝国主義者」側に押されて、共和党のウィリアム・マッキンリーが1897年大統領に就任する。但し彼は、1898年のスペインとの開戦には当初抵抗した。そして作家のマーク・トウェインや実業家アンドリュー・カーネギーなどは、植民地主義に反対し、フィリピンの併合に反対した。

    拡張と調停--トランプの始祖、セオドア・ルーズベルト

    1900年の選挙で再選されたマッキンリーは、翌年9月には無政府主義者に狙撃されて亡くなって、副大統領のセオドア・ルーズベルトが急遽大統領に昇格する。彼は、1905年、日ロ戦争を調停し、日本勝利の形での和平を実現してくれた恩人と思われている。実際の彼は愛国主義者で――1898年の米西戦争ではキューバで大佐として戦っている――、日ロの仲介も、この機に極東方面での米国の権益を伸ばそうとする意図があったものと思われる。

    1905年8月ポーツマスで日ロ和平交渉が始まったのとほぼ同時に、彼の友人で鉄道王のエドワード・ハリマンが日本に赴く。ハリマンは桂首相とも会見すると、日本が獲得した南満州鉄道に当時のカネで1億円(今のカネで少なくとも数千億円に相当する)と推定されているカネを出資、共同経営とすることで同意して帰国するのである。彼とすれ違うように帰国した小村寿太郎外相は、「南満州鉄道は日本がロシアから得た貴重な財産」だとしてこの合意に強硬に反対。桂首相は翻意する。

    後、満州は、日米間でのどに刺さった魚の骨のように作用する。セオドア・ルーズベルト大統領もこの後、世論にも押されて、次第に対日警戒論に傾いていく。それでも彼は、日ロ和平を仲介した功績で、ノーベル平和賞を受賞している。第三国同士の紛争を調停し、自分の権益を伸張、同時にノーベル平和賞もゲット・・・トランプ的要素が、彼にも垣間見えるのである。

    外交に「崇高な理念」を持ち込んだウィルソン大統領

    米国にはこのような帝国主義・マッチョ外交の系譜がある反面、啓蒙主義・自由主義外交の系譜もある。後者は孤立主義にもなり得るが、逆に「自由・民主」の旗を掲げた対外拡張の動きにもなり得る。これは共和党の大統領が続いた後の1913年、民主党から大統領となったウッドロー・ウィルソンの時代に顕著となった。

    彼は第一次世界大戦勃発の当初は中立姿勢を表向き持したが、「戦争を終わらせること」を名目に参戦した後は、理想主義的な世界秩序の建立を画策。新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰し、国際連盟の創設に尽力した。彼は、米国が民主主義を標榜し、国内外の政治体制の変革を実現することを使命と見なし、フランスに対してはドイツへの過大な賠償請求を控えるよう圧力をかけた。しかし、彼が設立に尽力した国際連盟は、米国が負う責務が大きすぎるとして議会に反対され、ウィルソン自身も病気で無力化する。米国はこのころには世界一のGDP大国となっていたが、国際連盟は実に米国抜きで存在していったのである。

    今、トランプは国連の分担金支払いを停止し、「平和協議会」(Board of Peace)を作って米国主導の体制を作ろうとしている。第一次大戦後、米国主導で英米日仏間の四カ国条約、これに中華民国、オランダ、ベルギー、ポルトガルを含めた九カ国条約が結ばれて(1921年)中国領土の保全などが合意されるとともに、列強間の海軍軍縮がはかられた時代を想起する必要がある。

    米国の民主党主導で作られた戦後世界の諸装置

    第2次世界大戦末期から、米国や英国は戦後の世界体制作りを始めた。それにより国際連合、国際通貨基金(IMF)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT。WTOの前身)、世界銀行が作られた。また欧州では1949年、「アメリカを引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」ための(初代事務総長イスメイの言葉)NATOが作られ、米国軍人がその軍を歴代率いることとなった。

    はじめのところで述べたように、これらは当初、フランクリン・ルーズベルト大統領、次いでトルーマン大統領と、民主党政権の下に進められた。従って1952年の大統領選挙では、共和党内の孤立派でNATO脱退論者のタフツが有力候補となる。しかし共和党内の積極関与派は、戦争末期ロンドンで連合国遠征軍最高司令官を務めていたアイゼンハワーを担ぎ出し、民主党候補を破って、以降のNATOを軸とする米欧同盟体制を定着させるのである。

    米国は世界中に基地と艦隊を展開し、国内にも大軍を保持。それを支える軍需産業、選挙の際には貴重な票を提供する軍人OB組織とともに、武力行使が常にオプションの一つである国になっていった。

    その中で米国は、共和党の大統領であれ、民主党の大統領であれ、介入と引きこもりを繰り返した。それは1950年の朝鮮戦争(民主党トルーマン大統領で開戦)、1960年頃からのベトナム戦争(民主党ケネディ大統領で本格化)、1965年のドミニカ侵攻(民主党ジョンソン大統領時代)、1983年のグレナダ侵攻(共和党レーガン大統領時代)、1989年のパナマ侵攻(民主党ブッシュ大統領時代)で、2001年以降はテロとの戦いが繰り返される。

    だから、今のトランプ騒ぎは、別に米国外交の質的方向転換を意味するものではない。米欧離間騒ぎも、上記の1952年大統領選挙の頃に戻ってきただけだ、とも言える。「アメリカは変わった。もうどうしようもない」ではなく、どこまで変わるかを見定め、日本としての対応を決めていけばいい。それは多分、日米同盟破棄というような断絶ではなく、日本自身の防衛力を拡充しつつ行っていく調整的な性格のものになるのではないか。

    グローバリゼーションで格差拡大ではなく、グローバリゼーションで世界全体の底上げを

    戦後米国は、その巨大な国内市場を核に、世界経済を実質的に一つのものとして回してきた。スマホは米国で設計し、日本や韓国、中国から部品を集め、台湾企業が所有する中国の工場で作られた。米国は貿易赤字になったが、諸国は米国から得たドルで米国債を購入したから、米国経済は回り続けた。日欧、米欧の企業は互いに莫大な投資を行い、双方とも利益を上げている。トランプの言うように米国だけが割を食っていることはない。

    それに米国や先進国のカネ、技術が途上国にも回ることで、世界中の人間の生活は底上げされてきた。それがグローバリゼーションの良い面なのであり、これは投げ捨てるのではなく、足りない点を常に改善していけばいいのである。

    トランプは、経済グローバル化の中で割を食った中西部の労働者の不満をあおって当選し、乱暴な対外拡張で人気を維持しようとしている。しかし米国経済は欧州や東アジアの経済と緊密にからみ合っていて、これを切り離すことは、米国自身の不利となる。

    20世紀初頭と比べると、武力による対外拡張は、もはや不可能だ。軍事力で現状を変更しようとする帝国主義は、米国も、中国も、ロシアもやめてほしい。日本も自分の過去を忘れずに。

     

  • 自縄自縛で萎む日本経済

                           

    (これはもう2011年にNewsweek日本で発表した文章だけれど、今でも事情はたいして変わっていないのでアップしておく。このテーマは近くup-to-dateにしてまた書くつもり。その前に米国・世界経済がこけてしまうかもしれないが)

     この頃よく日本の知人に、「日本は貧しくなりました」というグチを聞く。どうしてと聞くと、アメリカやヨーロッパのホテル代が日本の3倍くらいするからだと言う。確かに近年、日本はGDPでアメリカや中国にどんどん差をつけられ、今やドイツに追い抜かされそう(その後抜かされた)。

    だが、それはどうも実感に合わない。二年前米国に行って地下鉄の荒れ方に仰天した。中流の上以上の人の暮らしは日本の上流なみでも、一般の中流以下の暮らしは豊かとはとても言えない。日本では、以前は「ウサギ小屋」とさげすまれていた住宅も、欧米に比べて小ぶりでも、インテリアは欧米の平均を確実に上回るようになった。あえて冒頭の知人の言に逆らえば、欧米の平均より快適なホテルに、三分の一の値段で泊まれるのだから、日本人は豊かなのではないか?

    だからものごとの実際は、欧米と生活水準で差がついたと言うよりも(確かに都市の景観ではまだ劣る)、この数年、欧米がインフレ、日本がデフレ傾向を続けたせいで、両者が別の価格世界に住むようになった、そしてそれに最近の過度の円安が油を注いでいる、ということではないか? 

    2008年のリーマン危機以降の10年で、米国のインフレ率は累計27,8%、フランスでも12,2%に達している。これに対して日本は約5%。そして円の対ドル・レートは、約34%下がっている。米国は金融を大幅に緩和したので、インフレ傾向になった。日本も安倍政権が「異次元緩和」したものの、デフレ傾向は治らない(その後、最近ではインフレに)。

    なぜだろう。そこには、日本人は「カネでカネを作る」、つまり投機的な投資を怖がる、という基本的な要因がある。米国では老後への貯金を投資信託で運用する者が過半数。信託会社はそのカネを20倍、30倍にも膨らませて「投資」をし、自分でも儲けていく。だから米国では金融・保険業がGDPの6.8%を占める。日本ではこれは4.1%で大差はないように見えるが、絶対額では120兆円弱もの差になる。別の言葉で言えば、米国経済はそれだけ水ぶくれ(カネぶくれ)しているのだが、そのバブルが破裂しなければ、リアルな富になる。

    日本では、現状で十分、成長など要らないという声もあるけれど、経済が成長して歳入が増えないと、社会保障、医療の質が落ちるし、自衛隊の装備もそのうち韓国にも抜かれるだろう。今は我々の心理にバブル崩壊後のトラウマが深く残っていて、消費者は財布の口を締めることばかり。企業は給料のベースアップを抑え(その後引き上げに転じているが、インフレに追いつかなくなった)、投資も控える。すると経済は伸びないから、消費者も企業も益々ケチになる――そうやって、自縄自縛の悪循環、デフレ・サイクルにはまっているというわけだ。これでは、本当に貧乏になってしまう。

    「ビッグマック指数」というのがある。万国共通のビッグマックを地元の通貨でいくらで買えるかを比べ、そこから実際の購買力でのレートを算出するものだ。それによると1ドルは、現在の115円あたりではなく70円周辺となる。これで日本のGDPをドルに換算すると、115÷70=1.64、つまり今の数字より64%も大きくなる

    無理に背伸びする必要はない。しかし老朽化していくインフラを毎年計画的に改修するとともに、増える一方の激甚災害への備えを固め、再生エネルギーへの投資を増やす。更に企業の増収分は、ベアは無理でもボーナスで確実に一部還元することを決めておくだけでも、デフレの悪循環は断てると思うのだが。

    縮む、縮むと思えば、必ず縮む。世界の中でも日本は、経済成長を実現できる歴史的・社会的な要因を豊富に持っているのだから、もっと伸びやかにやったらどんなものだろう。

  • 最新作「自由と民主の世界史-失われた近代を求めて」紹介

    (2025年7月、藤原書店から「自由と民主の世界史-失われた近代を求めて」という、二巻本を出版しました。その内容は、以下の「はじめに」と「結辞」に紹介してありますので、ここに掲載します。合計8000円近くの高価な本ですので、お近くの公共図書館に発注していただければ、幸甚です)

    はじめに

    これは、戦後の日本で七十余年、うちヨーロッパ、アメリカ、中央アジア、ロシアで計二三年程勤務した、元外交官による文明論、経済・国家論である。

    意味が瓦解した世界

    筆者は二十年ほど前、「意味が解体する世界へ」(草思社)という本を出した。われわれが空気のように当たり前に吸ってきた今の文明、つまり国家とか自由、民主主義、そういった制度、価値観が崩れて、意味を失いつつあるのではないか、という予感を記した随筆だ。

    そして今、世界はわれわれの眼前でがらがらと音を立て、本当に崩壊し始めた。自由と民主主義を背骨とするNATOなど世界の同盟体制は、きしみを立てている。十九世紀の産業革命以来、工業化が人間の生活水準を向上させ、次にそれが人々の権利意識をかき立てて民主主義を成立させるという、右肩上がりの進歩はもう止まった。先進諸国では製造業が海外に流出し、多くの人の生活は苦しくなっている。困窮した人たちにとって自由とか民主主義は空疎な言葉でしかなく、一見期待の持てそうなポピュリストの政治家を権力の地位につけてしまう。文明は右肩下がりの逆回転を始めたかに見える。

     価値観の瓦解に拍車をかけたのは、戦後八十余年、自由と民主主義の旗印を掲げて世界を先導してきた他ならぬアメリカが、この旗印を地に(おと)し泥にまみれさせてしまったことだ。アメリカは二〇〇三年、多国籍軍を募ってイラクに侵入、フセイン大統領を絞首刑に処した。「イラクが大量破壊兵器を保有している」というのがその理由だったが、その証拠は見つからなかった。「実力を行使してでも、自由と民主主義を中東に広める」というのも大義名分だったが、米軍がイスラム側捕虜に拷問を加える場面がSNSで広められて、米軍の信用は地に落ちたし、イラクでは民主主義の代わりに混乱が広がった。アメリカは自由と民主主義を広めると称して、贔屓の引き倒しで、自由と民主主義の旗に泥を塗ってしまったのである。

    そして今のトランプ大統領は、自由と民主主義にもう見向きもしない。彼は二〇二五年一月、二期目の就任演説では米国領土の拡大を明言、デンマークにグリーンランドの譲渡を迫り、カナダに米国の五一番目の州になるよう圧力をかけ、ロシアのウクライナ領占拠を容認する方向での停戦をはかっている。

    だから、「理想を掲げて右肩上がり」の世界はひとまず、休息。われわれ日本人としては、明治維新以降、学び、憧れ、敗戦後は米軍にさらにプッシュされた自由と民主主義、要するに近代西欧の価値観はナンボのものなのか、歴史上どうやって形成されてきて、誰が何のために(かつ)いできたものなのか、日本の自分にとってはどういう意味を持っているのか、これからも担いでいく価値があるのかどうかを、捉えなおすべき時なのだ。

    そこで、歴史をさかのぼってメソポタミアにまで至り、自由と民主主義の価値観、これを可能とする国家の制度はどのように形成されてきたのかを振り返ってみる。これが、この長い本で試みたこと。それは、「国王Aが他の国の国王Bを殺すも、国内の叛乱でCに王位を奪われて・・・」という、われわれにはどうでもいい権力の歴史を追うものではない。

    そしてこの本は、西欧の経済・社会史をイスラム地域、中国のそれと比較する。近代西欧の価値観は普遍性を持つ、それは自由を希求する人間の根源的なニーズに見合ったものだが、どの国でもそれを実現できるわけではない、そのためには一定の社会的な条件が必要である、ということがわかるだろう。

    筆者はどういう人間なのか

    元外交官がこういうことをするのは奇異に思われるかもしれない。しかし、筆者にとっては、ごく自然に欲求のおもむくままに勉強し、考えてきたら、この本ができた――こういうことなのである。

    筆者は高校まで校則もなくリベラルな学校で過ごし、それは大学、米国への留学と続いた。一九六〇年代末の大学では、左翼系の学生運動が盛んで、そこでマルクス主義、社会主義経済なるものがあることを知ってソ連に関心を持つ。その時に、体制や価値観に対する関心がわいたと言っていいだろう。

    一九七〇年外務省に入って以降は、アメリカ、ソ連・ロシア、ヨーロッパ、中央アジア、そしてもちろん東京での勤務を経る。外交官はカクテル・パーティーなど、一見華やかな活動のかげで、自分の勤務する国の歴史・社会を勉強し、経済・政治をつぶさに見ている。漫然と見ているだけでなく、その国と日本はどういう関係を結ぶべきかを考えている。そこで、政治・経済の力学を実学として学ぶのだ。

    例えば筆者はソ連で、集権・計画経済が機能しない現場を見たし、税を集められなくなったソ連国家がいとも簡単に消滅する場にも居合わせた。「国家は一種の作り事。人間がどのようにでも作り変えることができる」ことを体感したものだ。

    外交官と言っても東京では「官僚」なので、政策を立案する。その時、国会、政党、関係省庁、業界などと何をどう話し合い、利害を調整していくか、その手順、コツを学ぶ。ものごとは一人の政治家や官僚が決めるものではなく、国会議員、政党、関係省庁、マスコミなどがくんずほぐれつする中で決まってくるものであることを会得する。

    こうした経験が、世界の歴史を見る時に、生きてくる。いろいろなことを額面通り、報道されている通りには受け取らない。「アテネは民主的だった」と言われても、その実態とウラを見る。

    筆者は、研究ばかりやっていたわけではもちろんない。仕事のかたわら、毎日読む現地の新聞から面白いデータ、見方を書きぬいて残した。休暇の時には分厚い本を何冊も読んで、そこからもデータを集めた。

    二〇二〇年コロナ禍で自宅蟄居を迫られた時に、こうやって集めたデータを整理し、追加して、この本を書き始めたのだ。今は便利で、高価な書籍は地元の図書館に頼んでおくと、他から探して貸してくれるし、ウィキペディアをはじめ、インターネットのおかげで調べごとは本当に簡単になった。

    極めつけは生成AIで、この本を書き終えようとする頃登場したChatGPTとの対話は本当に楽しかった。「自分は、ナポレオン戦争などのための艦船、兵器生産が英国の産業革命を大きく進めたものと考えるが、どうか。その見方を支持するような資料を探して提示してくれ」と筆者が言うと回答を示してくれ、その気になればそれを別途チェックすることもできる。またある時はChatGPTが、「ものごとはそんな簡単ではないよ。これこれこういうこともある」と筆者をたしなめ、反証材料を提示してくる時もある。膨大なデータを持つChatと対話しながら本を書き進めるのは、スリリングな体験だった。

    叙述の原則

    では、この本の概要をご説明する前にまず、この本を書き下ろしていった時、心がけていたいくつかの原則をお話ししたい。

    ・「ぶつ切り(・・・・)の歴史」を避ける。歴史書など、史料、発掘成果が足りない時期は飛ばされる。例えばローマ帝国とフランク王国の間の期間など。できごとAとできごとBの間は、「しかるに」とか「そうこうするうちに」とかの接続詞でごまかされてしまい、途中の変化の経緯・背景はわからない。しかし、その間も人間は生きて活動していたのである。ローマ帝国とフランク王国は法制とか税制とかどこかでつながっていて、決して中世のルネサンスでローマ帝国の制度がにわかに思い起こされたものではない。

    ・「自由」とか「民主主義」とか「国民国家」とか「国際法」など、いかめしい言葉に惑わされない。感心し、憧れる前にまず、「これはナンボのものか」、「皆の役に立つものか」という気持ちで検査してみる。

    ・「ウラ」を見る。政治はただの理屈、理念では決まらない。ものごとには利権とか、有力者の間の好き嫌いなどのウラがあるし、さらにその背後にはその時々の経済・社会の大きなうねりがある。

    ・ウラのなかでも、特に「利権」に注目する。多くの美しい言葉のウラには、特定の人間たちの欲が隠れている。西欧中世の宗教戦争も、新教と旧教の間の聖戦と言うよりも、教会資産、十分の一税を収税する権利をめぐる面が大きかった。

    ・西欧や白人への、憧れを離れてものごとを考える。われわれは、金髪碧眼のゲルマン系に憧れを持つが、彼らはローマ帝国では野蛮人と見なされており、ローマの文明を破壊した人間たちなのだ。自由と民主主義の伝統は、彼らが進んだ経済を築いた十八世紀以降、革命や戦争などの流血を経てやっと確立したものである。

    ・同時に、西欧の白人が中国や日本を見る目には気をつける。以前は植民地主義時代の名残で白人たちは、「われわれは優れているから、近代文明を作ることができたのだ」という趣旨を恥ずかしげもなく公言していた。ところがこの三十年ほど、アジアの台頭を背景に、これを反省する動きが出ている。

    例えば、アンドレ・グンダー・フランクは著書「リオリエント:アジア時代のグローバル・エコノミー」で、十九世紀半ばまで、中国とインドを合わせたGDPが世界全体の半分以上を占めていた、西欧はもっと謙虚でなければいけないと指摘している。またこの本(第Ⅱ巻)でも触れたジョゼフ・ニーダムは、いくつかの発明で中国が西欧を先行していたことを指摘して、称賛を送っている。

    しかし、東と西の比較はもっと虚心坦懐に、どちらが優れている、劣っているの議論を離れてやるべきなのだ。中国に対して不自然に畏まって見せる白人は、演技しているので、気を付けないといけない。

    この本の流れ

    ということで、この本の流れを説明しよう。これは長くても、ほぼ三年にわたって新たに書き下ろしたものだから、流れにつながりがある。メソポタミアから始まってギリシャ・ローマ、西ローマ崩壊後の混沌期と続けたあとで、息抜きと言っては悪いが、オリエントに目を向ける。それは、歴史が古いオリエントの方からギリシャ・ローマに文化・文明が流れているし、西欧中世の十字軍の時代でもオリエントは先進文明地域であり続けたからである。そのオリエントが十六世紀ころを境に停滞の様相を強めた理由は、アジアとの通商利権を西欧に奪われて所得が減り、国内の構造が固定されたことによるだろう。

    西欧中世: そして次に西欧中世に話は移る。フランク王国当時のヨーロッパ白人=ゲルマン系の社会での人間のあり方は後れたものであった。しかし十一世紀の農業革命を契機に西欧の経済は成長し、水力・風力を使った工業化の萌芽も見られるようになった。

    これは、十四世紀のペスト禍で中断されるも、まさにペスト禍が領主の没落と封建制の終焉を招く。そして、この頃起きたルネサンスの機運で、インテリ層が教会への従属から解放されて、ものごとを自由に、合理的に考え始める。それが続く宗教改革で本格化したことが個人の力を解放する。

    なお、西欧中世ではアルプス以北の国々より、むしろヴェネツィア、フィレンツェなど地中海の諸都市の方が西欧の政治・経済の主役であったことにも、大きなスペースを割いた。地中海諸都市がアントワープ、次いでアムステルダムに投資したことが、オランダの隆盛を招くし、オランダの資金は十八世紀には英国に投資されて大英帝国を成立させ、英国の資本は米国に投資されて米国の産業革命を起こすのである。

    第Ⅱ巻 産業革命と近代の成立

    第Ⅱ巻は主に、西欧、特に英国で産業革命が起きた背景、そして英国を筆頭に「自由」の名で人間の権利が重視され、それをベースに民主主義体制が成立していった過程を扱っている。

    中国の発展モデル―それは有効か?

    ここで、目を二千年前の中国に転じ、その経済発展と国家形成のプロセスをたどる。中国の経済は西暦千年ころの宋朝の時代に頂点に達し、その発展の様は西欧を五百年は先回るものであった。しかし中国ではその後も皇帝を頂点とする絶対主義的支配が延々と続いて、事業の自由な展開を阻害する。そして農民が低所得に止まったため国内市場の規模が伸びなかったことが、機械による大量生産=産業革命を阻害した。

    近代国家の形成

    西欧での「近代国家」の形成についても、ずいぶんスペースを使ったが、「国家はこうあるべきだ」というような、単一の結論は出していない。それでも、やはり税制が国家の基本を成す。たとえば近代英国はフランスのように徴税を民間に受託することはせず――ピンハネされやすかった――、自前の徴税機構を作り上げたことに、その強大化の秘密がある。近代の国家は徴税し、徴兵して戦争を戦うことにその最大の使命があったが、現代の国家は徴兵もままならず、社会保障や医療など国民にむしられるばかりでいる。

    近代の価値観

    西欧の白人に自立心が強い者が多いのは事実だが、しっかりした結論を出すことはできない。西欧が今のような取りすました「自由」、「個人主義」、「民主主義」を確立したのは十八世紀以降のことで、中世ゲルマンの社会では強い家父長制が支配的であった。つまり、個人主義や民主主義は西欧の白人に遺伝的に備わったものではなく、他の人種も条件が整えば――つまり古い利権構造が邪魔をせず、かつ経済的に自立できれば――自由民主・個人主義は採用し得る。ただ白人とアジア系諸人種の間では、形質的、気質的な違いはやはりある。

    献辞

    筆者は戦後のリベラル・教養主義の世代の末席をけがす者だ。東京大学の教養学科から始まって数十年にわたり公文俊平、筒井若水、渡邉昭夫などの先生方から薫陶をいただいた。また、同世代の学者の方々、特に最近悲劇的な死を遂げられた猪口孝教授に言及したい。彼は、Asia Barometerで、経済発展が価値観に及ぼす影響をつぶさに追った。また、戦後日本の中産階級文明を主導された辻井喬こと故堤清二氏にも、哀悼の意を表する。彼は、文化人としても一流、かつアイデアを自分の事業に展開する力を持っていた。この本が、そうした世代の記念碑の一つになることを切に願う。

    最後に、この長大な本の出版を引き受けて下さった藤原書店の藤原良雄社長、丹念な編集をしていただいた刈屋琢氏に感謝の念を述べたい。そして五十年も連れ添って、ヨーロッパの人間主義、合理性、人道性を一貫して指し示してくれた家内のアンヌにも感謝を述べる。この本は、この東西二人の共作なのだ。

                           二〇二五年六月六日

                            河東哲夫

    結辞

    本当に、長い々々道だった。この本はコロナ禍が始まってから四年余にわたって書き継ぎ、書き直していたものだが、第一稿はジャングルのよう。方々に枝葉、下草が生い茂って、校正の時はナタを振るいながら道を切り開いていく感があった。

    筆者は学者ではない。学者ではないのをいいことに、自己流の歴史論を展開してきた。事実関係、認識の誤りも多数あると思うので、ご叱正をお願いしたい。

    筆者は、そもそも近代の価値観について本を書きたいと思っていたわけではない。欧米の白人の「個人主義」に関心があったのだ。筆者は小さい時から我が強く、集団行動が嫌いだった。日本ではそれはマイナスなのだが、欧米に出てみるとそれはむしろ標準だった。そこでは、人々は肩書をバックにするより、人間と人間の間のオープンなつきあい、つまり自分の自由と権利、他者の自由と権利、その双方を認めている。気持ちが良かった。

    問題は、この違いは人種的、遺伝的なものなのかということである。筆者は、このことを長く考えていた。今言えるのは、白人はものごとを割り切って、時にはアグレッシブに見えることもあるのだが、自由、自分の権利を大事にする点では、日本人、そして他の人種との間に大きな違いはないだろう、自由と民主主義は白人の独占物ではない、ということだ。

    日本での自由と民主主義にはまだ足らないところが多くある。多くの外国では「自由」は切実な問題で、いつも戦って勝ち取っていかなければならないものなのに、日本では敗戦後、米軍が与えてくれて以来、空気のように当然あって、考える必要もないものなのだ。

    そして、組織や集団の中で生きていくことの多い日本人は、自分個人の意思、意見を持つ必要がないことが多い。外国は中国人も含めて、個人で生きている。いわば個人で店を張って生きている人間が多く、その中では日本人は自分で判断する力を持たないひ弱(・・)な存在に見えてしまう。

     他方、日本人は自分の殻に閉じこもり、他人、そして他人の集合体である社会=publicの都合、権利には無頓着なところもある。これらは変えていかないと、AIの通訳がいくら発達しても、日本人は同等の人間として扱ってもらえないことになる。

    今、トランプやロシア、中国によって、近代の価値観が否定され、弱肉強食の世界が現れつつある。平和に安住していた日本ではそれに危機感を覚えて、戦前の超国家主義に立ち返ることを求める向きがある。

    これは、無責任な態度だと思う。彼らの言う通り、反韓、反中、あるいは反米政策を強化していけば、われわれは無用な戦争に引きずりこまれてしまうだろう。日本の若い世代には、戦後の日本が確保した、「人間の自由・権利」という原則を是非維持し、超国家主義に対抗していってもらいたい。

    そのためには、経済力の維持が必要だ。人口が減ることで自信を喪失するのではなく、もっとゆったりした豊かな生活ができるようになるチャンスだと思って、経済の効率化に努めるのだ。デンマークは人口小国だが、一人当たりGDPでは世界二位。日本も、人口がこれから一億人に減っても、デンマーク並み、七万二千ドルの一人当たりGDPを稼ぎ出せば、今より八十%も大きい七・二兆ドルのGDPを享受することができる。

    この本は英語などにして――AIが助けてくれる――、世界にも発信していく。ものごとを黒と白に分けて対立的に考える、白人やユダヤ人の文化は、いらない対立・紛争を生む。そのあたりを宥めることは、これからの日本がやらなければいけないこと、できることだと思うので。

                       

    二〇二五年六月六日

                          河東哲夫

    ・以下は、この本の英訳です。無料で閲覧できます。

    https://docs.google.com/document/d/1hiRK7kjbX0Hxd2NOxPqtQlVWgjDHgKCr/edit

    https://docs.google.com/document/d/1MB0Me9P5Lpa2HGceuJUdMqqQ2CRHQSxa/edit

  • ウクライナ戦争は「戦争の作法(戦略・兵器)」をどこまで変えたか

    (これは月刊メールマガジン「文明の万華鏡」第166号からの抜粋です)

    ウクライナ戦争は、(ロシア)戦車の大量破壊、ドローンの多用で、既存の陸上戦術の根本的再検討を迫っている。日本は海に囲まれているから、ウクライナ戦争の教訓はそのままでは使えないが、遠距離ドローン大隊、水中ドローンの開発などは使えると思う。

    ここでは、Foreign Affairs2月17日号から、マイケル・ブラウン、マット・カプラン両氏の論文「アメリカがウクライナから学ぶべきこと――米国はロシアの過ちを繰り返すのか?」を紹介する。

    (要旨)

    ・ウクライナ戦争では衛星、AI、その他がかつてなく活用された。(ロシア軍もイーロン・マスクの「スター・リンク」衛星通信を使って戦った)

    ・米国は1991年の湾岸戦争で迅速な勝利を収めて以来、米軍の圧倒的な兵力があれば、どこでも短期の決戦が可能なのだと思いがちだ。しかしウクライナ戦争は、小国でも安価な兵器を大量に運用して長期戦を展開し得ることを証明した。ウクライナは、1機数百ドルで製造できるドローンを使って、1発10万ドルもするミサイルと同等の攻撃成果を上げている。ろくな水上艦艇を持っていなかったウクライナが、ミサイルやドローンの併用で、ロシア黒海艦隊の3分の1,つまり25隻の軍艦を破壊した。25年12月には、ロシアの潜水艦に水中ドローン攻撃を実施した。

    ・ウクライナでのドローン生産はモーター、コントローラー、カメラなどの部品を中国製品に依存している。米軍はこのサプライ・チェーンを自力で形成しないといけない。

    ・敵の安価な兵器が米国の高度・高価な兵器を破壊する可能性があるので、米軍はこれに機敏に対応する術を学ばねばならない。

    ・米国は、高度に洗練されたシステムに固執しがちである。F-35戦闘機の開発には20年を要している。空母1隻の費用で、1300万機のドローンを購入できる。

    ・敵の取り得る戦術をあらかじめシミュレーションし、必要な体制を整備しておくべきだ。柔軟な発想をし得る国防省「ネットアセスメント部」(2025年に廃止)や、外部の者へのシミュレーション委託等が有効だろう。敵に通信システムを破壊された場合のバック・アップ措置も考えておく必要がある。AIを用いれば、多数のシナリオを検討することができる。

    ・市販部品で構成され、容易に交換・アップグレードが可能なモジュラー・オープン・システム・アプローチをとるべきである。

    ・生産能力の拡大(特にドローンや弾薬)が必要だ。米国が今年生産するドローンの数は、ウクライナが生産する数の10分の1にも満たない。9000億ドルの国防予算のわずか20%しか、装備の購入に向けられていないが、先端兵器開発用予算(17%相当)の一部を再配分することで、不足を補える。

    (以下は筆者の意見)

    これまで自衛隊(特に海と空)は、在日米軍との連携、あるいは米空母艦隊の擁護を大きな任務としてきたため、これからは自主防衛力整備との兼ね合いを考えないといけない。その中で、どのような兵器が有効・必要なのかを考えるわけだ。

    ただ、トランプがふらふらしている今のような状況では、米軍との連携の将来像も図を描きにくい。ここは対米軍連携・自主防衛の双方に使える兵装、基礎体力を充実させていくしかあるまい。それには、自衛隊や米軍基地の防空能力の向上、南西諸島から北海道に至るまで、有事には海峡を遮断する能力、などがある。

    そして、これまで不可能だった技術を世界に先立って実装することができれば、それは日本にとって大きな力となる。例えば、原子炉を備えずとも、2週間程度は潜航を続けられる潜水艦(すでに存在する)とか、水中との通信能力の飛躍的向上などだ。水中ドローン、つまり無人小型潜航艇は本当にこわい兵器だが、水中ではGPSや通常の通信機能が効かない。この問題を克服できれば、非常に強力な戦力になるのだ。「核兵器搭載の原子力潜水艦を建造しないと、日本はちゃんとした抑止力を持てない」と思い込むことはあるまい