日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


トランプで甦る米帝国主義のDNA

(これは以前、講談社の「現代ビジネス」に投稿した記事の原稿です。最近は、トランプ米国の常軌を逸した行動が世界の耳目を引いていますが、米国が西側の盟主として安保と経済利益を折半していたのは、戦後の冷戦の時代のみ。他の時期は他の国と同じく自分中心で行動していたわけで、トランプはそれに戻ってきただけとも言えます。我々はそれに過剰反応をするべきではありませんが、米国が帝国主義的行動をしていた時はどうだったのかを調べておく必要があります)

 乱暴な関税率操作、イラン爆撃、ベネズエラのマドゥロ大統領拘束、ウクライナ支援停止、国連諸機関への分担金支払い停止、グリーンランドをめぐるデンマーク脅迫、非合法移民の強制追放などなど、トランプ帝国主義という妖怪が世界を徘徊している。米国内の問題に集中するのかと思えば、世界で武器を振り回す。彼の外交には理念がなく、すぐ「ディール(取り引き)」という下世話な言葉を持ち出す。ディールに勝って、それを見せびらかして、下る一方の支持率を下支えする――これが、彼の政策を貫く根本「思想」なのだ。

「アメリカは変わった」と嘆くだけでは、すまない。我々の身の処し方を早く決めて動かないと、食われてしまう。トランプ米国に便乗するのか、あるいは降りて別の行き方を探すのかしないといけない。昔、異形化して、提携相手のデロス同盟諸都市からみかじめ料を集め始めた古代アテネに、ペロポネソス同盟を作って対抗した、スパルタのような国を探すなど。

 しかし米国はできたころから、対外拡張、国内重視、その他、その他と様々の主張が渦巻き、大統領選挙を契機に国柄をがらりと変える。第二次大戦後は国際連合、IMF、GATT(WTOの前身)、世界銀行といった、米国を勧進元にした仕組みが一貫して続いてきたように見えるが、これも1952年の大統領選挙では、どう転ぶかわからない、あやふやなものだった。国際連合などの仕組みは、ルーズベルト、トルーマンと、民主党の大統領たちが作り上げたもので、1952年の大統領選挙で、海外で余計な負担を負うのを嫌うロバート・タフト上院議員が、共和党候補となって大統領に選ばれていれば、多くのことは覆されていただろうからだ。

タフトが党内の競争に敗れ、世界への関与を主張する一派が担ぎ出したアイゼンハワーが大統領になったから、戦後国際政治はNATO、つまり米欧同盟=西側と、ソ連陣営が対立するものとなって、長く続くこととなった。アイゼンハワーは第2次大戦末期、ドイツと戦った米欧連合軍を統括する連合国遠征軍最高司令官だったし、1950年12月からはNATO軍最高司令で、まさに米欧同盟を体現する人物だったのである。

だからここでは、今のマッチョ的な拡張主義がどこまで定着し、どこまで続き得るのか、一つ歴史を振り返って点検してみる。

植民地からスタート・・・マッチョとピューリタニズムの二つの伝統

現在の米国を形作ったのは、欧州から移住した白人たちだ。当初は英国からの移住者が多いが、彼らは南北で異なる生き方を発達させていった。北部のニュー・イングランドは地味が貧弱だから、勤勉・実直に働くピューリタン、カルヴァン主義の影響が強く、南部は豊かな地味に大規模農園を開いて奴隷を駆使、利益を貪る搾取型の経済が主となった。

1830年代アメリカを見て回ったフランスの外交官トックヴィルは実にみごとな観察を残している(「アメリカのデモクラシー」)。中部を東西に流れるオハイオ川の両岸では、人々の気質が対照的だというのである。北岸オハイオでは勤勉、富を築こうとする意欲が感じられるが、南岸のケンタッキーの住民は労働と企業家精神を軽蔑し、奴隷に依存した安逸な生活をむさぼっている、彼らは狩猟と戦いに情熱を持ち、武器や肉体を使うことに強い関心を持っている――つまりマッチョ――、というのである。

これが一つの米合衆国になった(なれた)のは、宗主国の英国が米国を植民地扱いして課税を強化しようとしたのに対して、南北の13州が一丸となって戦ったからである。南米では各地域のエリートがそれぞれ本国スペインと癒着していたため、それぞれはばらばらの独立国家となった。

それでも独立直後の13州米国は、人口(約280万人)やGDP(推定で、今日のドルに換算して約120億ドル)では、西欧大国の後塵を拝する一小国でしかなかったし、その経済成長は外資(特に英国)に大きく依存し続けた。

しかし米国は、南北戦争前から領土の拡張に努めた。早くも1803年には、大陸での戦費を必要としていたナポレオンから、今の中西部諸州を当時のカネで1500万ドルで買収(「ルイジアナ買収」と呼ばれているが、今のルイジアナ州のことではなく、当初独立した13州の総面積に匹敵する地域)、1821年にはスペインからフロリダを取得し、1846年からのメキシコとの戦争(米墨戦争)前後にはテキサス、カリフォルニア等を獲得している。

この頃使われ始めたのが、「周辺への拡張は米国の使命(manifest destiny)」という標語。これは1845年にジョン・オサリヴァンというジャーナリストが初めて用いて、以後定着したもの。要するに、「米国の拡張は神の御心にかなうもの。米国の共和制は道義的に周囲の帝国に勝るので、これを拡張することは人類の利益に叶う」という意味を持っていた。

人類は古くから、戦う時には自分の神を先頭に立てる。米国の場合は、共和制・民主制を神に仕立てて、武力で領土を拡張することを正当化したのである。道義的なスローガンの下に、力で海外の政府を倒そうとする現代のネオコンも、その流れにある。

19世紀末、「帝国主義」を意識し、実行した米国

西部、西海岸の開発を急速に進めた米国は、太平洋を越えての拡張を志すようになる。1853年にはペリーの艦隊が日本・中国等に来航する。この動きは1861年の南北戦争で完全に断絶する。1867年には、クリミア戦争で疲弊したロシアから、アラスカを実に720万ドル(当時のカネ)の安価で購入するが、それでも政府は「巨大な冷蔵庫」を無駄買いした、と批判された。

拡張主義は、産業革命を経た19世紀末、スペインとの戦争(1898年)でまた「開花」する。スペインとはキューバの支配をめぐって戦火を開き、勝利を収めると、カリブ海地域ではキューバ、プエルトリコ、太平洋ではグアム、フィリピンを取得した。フィリピンではその後独立戦争が起こり、米国は大軍を送って鎮圧している。フィリピンでは20万名以上の人が亡くなった。

またこの頃、米国の入植者が起こしたクーデターでハワイ王国(19世紀にカメハメハ大王が確立)が滅亡、1898年にはアメリカに併合される。

(ハワイ共和国最後の王位継承者カイウラニ王女)

この頃の米国では、西欧の列強と同様、「進歩」の名の下に領土の拡張を進めるべしとする「帝国主義者」と、他国への干渉を控えるべしとする「反帝国主義者」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。帝国主義下の海軍の運用を研究したマハンの「海上権力史論」が出たのは、1890年のことである。

この「帝国主義者」側に押されて、共和党のウィリアム・マッキンリーが1897年大統領に就任する。但し彼は、1898年のスペインとの開戦には当初抵抗した。そして作家のマーク・トウェインや実業家アンドリュー・カーネギーなどは、植民地主義に反対し、フィリピンの併合に反対した。

拡張と調停--トランプの始祖、セオドア・ルーズベルト

1900年の選挙で再選されたマッキンリーは、翌年9月には無政府主義者に狙撃されて亡くなって、副大統領のセオドア・ルーズベルトが急遽大統領に昇格する。彼は、1905年、日ロ戦争を調停し、日本勝利の形での和平を実現してくれた恩人と思われている。実際の彼は愛国主義者で――1898年の米西戦争ではキューバで大佐として戦っている――、日ロの仲介も、この機に極東方面での米国の権益を伸ばそうとする意図があったものと思われる。

1905年8月ポーツマスで日ロ和平交渉が始まったのとほぼ同時に、彼の友人で鉄道王のエドワード・ハリマンが日本に赴く。ハリマンは桂首相とも会見すると、日本が獲得した南満州鉄道に当時のカネで1億円(今のカネで少なくとも数千億円に相当する)と推定されているカネを出資、共同経営とすることで同意して帰国するのである。彼とすれ違うように帰国した小村寿太郎外相は、「南満州鉄道は日本がロシアから得た貴重な財産」だとしてこの合意に強硬に反対。桂首相は翻意する。

後、満州は、日米間でのどに刺さった魚の骨のように作用する。セオドア・ルーズベルト大統領もこの後、世論にも押されて、次第に対日警戒論に傾いていく。それでも彼は、日ロ和平を仲介した功績で、ノーベル平和賞を受賞している。第三国同士の紛争を調停し、自分の権益を伸張、同時にノーベル平和賞もゲット・・・トランプ的要素が、彼にも垣間見えるのである。

外交に「崇高な理念」を持ち込んだウィルソン大統領

米国にはこのような帝国主義・マッチョ外交の系譜がある反面、啓蒙主義・自由主義外交の系譜もある。後者は孤立主義にもなり得るが、逆に「自由・民主」の旗を掲げた対外拡張の動きにもなり得る。これは共和党の大統領が続いた後の1913年、民主党から大統領となったウッドロー・ウィルソンの時代に顕著となった。

彼は第一次世界大戦勃発の当初は中立姿勢を表向き持したが、「戦争を終わらせること」を名目に参戦した後は、理想主義的な世界秩序の建立を画策。新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰し、国際連盟の創設に尽力した。彼は、米国が民主主義を標榜し、国内外の政治体制の変革を実現することを使命と見なし、フランスに対してはドイツへの過大な賠償請求を控えるよう圧力をかけた。しかし、彼が設立に尽力した国際連盟は、米国が負う責務が大きすぎるとして議会に反対され、ウィルソン自身も病気で無力化する。米国はこのころには世界一のGDP大国となっていたが、国際連盟は実に米国抜きで存在していったのである。

今、トランプは国連の分担金支払いを停止し、「平和協議会」(Board of Peace)を作って米国主導の体制を作ろうとしている。第一次大戦後、米国主導で英米日仏間の四カ国条約、これに中華民国、オランダ、ベルギー、ポルトガルを含めた九カ国条約が結ばれて(1921年)中国領土の保全などが合意されるとともに、列強間の海軍軍縮がはかられた時代を想起する必要がある。

米国の民主党主導で作られた戦後世界の諸装置

第2次世界大戦末期から、米国や英国は戦後の世界体制作りを始めた。それにより国際連合、国際通貨基金(IMF)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT。WTOの前身)、世界銀行が作られた。また欧州では1949年、「アメリカを引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」ための(初代事務総長イスメイの言葉)NATOが作られ、米国軍人がその軍を歴代率いることとなった。

はじめのところで述べたように、これらは当初、フランクリン・ルーズベルト大統領、次いでトルーマン大統領と、民主党政権の下に進められた。従って1952年の大統領選挙では、共和党内の孤立派でNATO脱退論者のタフツが有力候補となる。しかし共和党内の積極関与派は、戦争末期ロンドンで連合国遠征軍最高司令官を務めていたアイゼンハワーを担ぎ出し、民主党候補を破って、以降のNATOを軸とする米欧同盟体制を定着させるのである。

米国は世界中に基地と艦隊を展開し、国内にも大軍を保持。それを支える軍需産業、選挙の際には貴重な票を提供する軍人OB組織とともに、武力行使が常にオプションの一つである国になっていった。

その中で米国は、共和党の大統領であれ、民主党の大統領であれ、介入と引きこもりを繰り返した。それは1950年の朝鮮戦争(民主党トルーマン大統領で開戦)、1960年頃からのベトナム戦争(民主党ケネディ大統領で本格化)、1965年のドミニカ侵攻(民主党ジョンソン大統領時代)、1983年のグレナダ侵攻(共和党レーガン大統領時代)、1989年のパナマ侵攻(民主党ブッシュ大統領時代)で、2001年以降はテロとの戦いが繰り返される。

だから、今のトランプ騒ぎは、別に米国外交の質的方向転換を意味するものではない。米欧離間騒ぎも、上記の1952年大統領選挙の頃に戻ってきただけだ、とも言える。「アメリカは変わった。もうどうしようもない」ではなく、どこまで変わるかを見定め、日本としての対応を決めていけばいい。それは多分、日米同盟破棄というような断絶ではなく、日本自身の防衛力を拡充しつつ行っていく調整的な性格のものになるのではないか。

グローバリゼーションで格差拡大ではなく、グローバリゼーションで世界全体の底上げを

戦後米国は、その巨大な国内市場を核に、世界経済を実質的に一つのものとして回してきた。スマホは米国で設計し、日本や韓国、中国から部品を集め、台湾企業が所有する中国の工場で作られた。米国は貿易赤字になったが、諸国は米国から得たドルで米国債を購入したから、米国経済は回り続けた。日欧、米欧の企業は互いに莫大な投資を行い、双方とも利益を上げている。トランプの言うように米国だけが割を食っていることはない。

それに米国や先進国のカネ、技術が途上国にも回ることで、世界中の人間の生活は底上げされてきた。それがグローバリゼーションの良い面なのであり、これは投げ捨てるのではなく、足りない点を常に改善していけばいいのである。

トランプは、経済グローバル化の中で割を食った中西部の労働者の不満をあおって当選し、乱暴な対外拡張で人気を維持しようとしている。しかし米国経済は欧州や東アジアの経済と緊密にからみ合っていて、これを切り離すことは、米国自身の不利となる。

20世紀初頭と比べると、武力による対外拡張は、もはや不可能だ。軍事力で現状を変更しようとする帝国主義は、米国も、中国も、ロシアもやめてほしい。日本も自分の過去を忘れずに。