日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


米国旅行記4 2011年3月ワシントン、そしてボストン

この3月末1週間、ワシントンと古巣ボストンに行く機会があったので、調べたことや感じたことを書き連ねておく。お世話になった方々に感謝申し上げる。

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2年ぶりのアメリカ――その「第一印象」

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ワシントン行きのユナイテッド航空は、スチュワーデス(「フライト・アテンダント」)に中国人と日本人もいた。そしてその中国人が中国語、英語の両方でアナウンスする。するとよくわかるのだ。中国語とアメリカ英語は世界の二大通俗言語である、と言ってもいいことが。下世話で少々乱暴な、物言い。もっとも、それもしゃべる人によるのだけれど。

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ワシントン。飛行機から見下ろすと、公園のように美しい首都の姿が見える。古くからポトマック河口の港だったアレキサンドリアの対岸、葦の茂った蒸し暑い湿地に造成された合衆国の首都。数十年前にできた時には世界最先端だったダレス国際空港も、この頃は時代遅れになってきた。空港アナウンスは英語、ドイツ語、フランス語、そしてスペイン語だけ。日本語はいざ知らず、この頃はどこに行っても追いかけてくるあの中国語がない。80年代だったか、改装された時は世界最先端に見えた、飛行機とターミナルを結ぶあの巨大なバスも、今はもうすすけている。

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だが、空港のパスポート・コントロールは5年位前ほどに比べ、格段に良くなった。その頃は暗く、うす汚いターミナルの中、長蛇の行列に並ばされ、それが少しも動かない。まるで、移民扱い。立ったまま、1時間も待たされたあげく横柄で強圧的な係官の尋問を受け、やっとはんこうを押してもらえるのだった。

今回も長蛇の列で、本でも読もうかと思って広げたのだったが、列がどんどん前へ動いていくものだから結局読めず、20分もかからずにパスコンを通過することができた。どのブースでも、ハリウッドの映画に出てきそうな横柄なタイプの係官は姿を消していた。

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その結果、何を感じたかというと、もちろん「やっぱり、アメリカはいい」という思いなのだ。イラク戦争での専横とリーマン・ブラザース金融危機での「崩壊」を見てきたわれわれは、アメリカの経済、そして社会のモラル全体が崩壊してしまったような印象を持つにいたっている。そしてそれは、なにかというとすぐ人を撃ったり、爆弾が破裂するような、がさつなハリウッドの映画を見て、確固とした既成事実にさえなっている。

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ところが今回僕がワシントンとボストンで目撃し体験したものは、その逆を示す。「アメリカは変わっていない。アメリカ人はしっかりしている」というのが実感だ。アメリカの空港に着いたとたん、あの昔どおりの「アメリカの匂い」に包まれる。僕にとってそれはAccountability, responsibility, そしてオープンさといった価値観が街の匂いと混じり合って発する匂いだ。40年前アメリカにはじめてやってきて、中西部の大学の晴れた芝生、向こうからやってきた見ず知らずの女子学生にすれ違いざま親しげに「ハーイ」と声をかけられたときの驚きを、感傷とともに思い出す。

何となく自由でダイナミックなそのにおい。そして店員とかウェイトレスとか、現場の人たちが投げやりでなく、真摯に働こうという姿勢を崩さないのが、日本人の僕には気にいる。もちろん多くの偽善、エゴイズム、そして驕りと無知も他面にあるのだが。

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そう言えば、アメリカといえば昔は悪趣味で派手なネクタイをつけている人が多かった。それはもうない。今日のアメリカは地味で、就職難のせいか「ちゃんと見える」ように努める者が多く、不況のせいか以前より全然腰が低くなった。でも、こうした人々のなかには、仕事にかけては大変なプロである者が多い。働く企業の名より、個人としての自分の能力で食べている者が多いから。

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アメリカの新聞は紙の幅が狭くなった。それはワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズもウォール・ストリート・ジャーナルもみんなそうで、日本の新聞の半分強(たての長さはあまり違わない)。ふたつに折らずとも読みやすい。情報量はやはりずいぶん減っただろう。18世紀の産業革命以来、新興の「中産階級」を相手にこれまで隆盛を極めてきた「新聞」と言うか「ニュース・ペーパー」(ニュースが書いてある紙)。インターネットのせいだけじゃなく、中産階級自体がすり減ってきたことにあわせ、もう黄昏なのか?

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ワシントンは政治の町、つまり政治で食っている人が多い(と言うか大部分)町だ。規則正しい街路に立ち並ぶ味気ない四角いビルは、雨後のタケノコのように増えるシンクタンクとか、種々雑多のロビースト達のオフィス、そしてこの頃連邦政府を早めにやめては「アウトソーシング」でしこたま高額な謝金をせしめる軍事請負企業、諜報・分析請負企業のオフィスでいっぱいなのだろう。

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だからこの町にはやたらFedexの店があって文書の作成に便利だし、どちらを向いても銀行がある。菓子や精神安定薬を買いたくなったら、そこらじゅうにあるCVSドラッグストアーに行けばいい。そして角を曲がるとスターバックスやちょっとしたレストランがあって、打ち合わせや待ち時間つぶしがしやすい。ところがセーター(寒かった)を買おうと思って探しても、衣料品店はなかなかない。その中を、救急車かパトカーか消防車か知らないが、サイレンがやたらしょっちゅう鳴り響く。あまり住みたいと思う町じゃない。味気がない。

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そしてワシントンだけでなく、全米でやたら多くのことが自動化、アウト・ソーシング化されていく。スーパーのレジも客が自分で商品をスキャンして自動支払い。万引き防止はどうやっているのだろう? 空港のチェック・インのセルフ・サービスも本当にセルフ・サービスで、日本のように係員がつきっきりで手続きを代行してくれる(これ、自動化の意味がないと思うのだが)ことはない。

企業や団体への電話は日本よりはるかに自動化されているから、「何番を押してください」というアナウンスに従って何度も待たされ、結局20分もキーを押し続けたあげく、「今日はご利用ありがとうございました。またのおいでをお待ちしています。さようなら。(楽しげな音楽)」で放り出されてしまったり、運よく生身のオペレーターに当たっても、それがはるか彼方はインドやオーストラリアのどこそこにいるアウトソーシーで、何を言っても早口のインド風英語でまくしたてられ、「もういいよ、がちゃん」ということになるのだ。

アメリカ人は、自動化で生産性が上がったと威張っているが、それは顧客の犠牲の上に成り立つもの。A社が利益を上げているかげで、米経済全体は多くの付加価値を失っているのだ。

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空港から乗ったタクシーの運転手は、ガソリンの値段以外にはインフレはあまり感じないと言っていたが、僕の泊った中級ホテルは朝食が17ドル。それに何なのかわからない「サービス・チャージ」というのが3ドル上乗せされ、さらにチップを置いておかないといけないようなので実に計24ドルにもなってしまった。30年前だったら(古くてすみません)8ドルくらいだったのに。

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ボストン

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全米最古、ボストンの地下鉄。まるで世界最古に見える、「地下路面電車」。そのがさつな車内は中国人の女の子たちの声高な中国語がわんわん響き、まるで中国に来たかのよう。もうちょっと控え目にしないと、世界中から反感を食うぞ。この地下鉄はアメリカじゃなく、世界なのだから。ほら、隅ではロシア人の老夫婦がひっそりと身を寄せ合って、ロシア語で何やら買い物の相談をしている。もちろん英語での会話も聞こえるのだが、抑えた声で話し合っている。アメリカは変わっていく。それも急速に。ひとつのところに止まってやしない。

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帰りのボストン、ローガン空港で朝の7時。地元のスナック・チェーン、Au bon painで朝食をとる。店員の一人は黒人女性、もう一人は一見ヒスパニック。野球帽の下に黒いイスラム風のネッカチーフをかぶった女性。中南米出身のイスラム? そんな人がいるのか? 

でもこの頃のアメリカではイスラムが伸びているそうだから(モスク建設をめぐって地元住民と紛争が生じているところもあるが、もう普通の宗教になりつつある。ローマ帝国でキリスト教が広まった時に似ているのでないか?)、あり得ないことじゃない。でもこの黒人もヒスパニック系の女性も、言動はまったく「アメリカ的」なのだ。信頼関係とオープンさを前提として動いている。気持ちがいい。

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話は違うが、ボストンでは土曜日も銀行がやっていて助かった(平日はだいたい17時くらいまで窓口が開いている。これもいい)。それも銀行によって13時とか15時とか閉店時間がまちまちなのも、いい。

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アメリカの社会

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印象論はそれくらいにして、最近のアメリカ社会について今回、専門家や友人たちから聞いたところを書きだしておく。これも、印象論の域を出ないが。

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(自立の伝統)

アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員(米国世論の研究)はこう語った。彼女の言うことは思いつきではなく、数々の世論調査を踏まえている。

「ええ、アメリカ社会の基本的価値観は健在だと思います。とてもユニークな価値観で、個人の責任や意欲を重んずるのです。リーマン・ブラザーズの金融危機で、国民の60%が『家族の誰かが失職した』と答えていますが、自力でなんとか切り抜けてきたのです。ワシントンの連邦政府には不信感を示す人が多い一方、地元の地方政府に対しては信頼を寄せている人が多いのも、こうした傾向と関連があるでしょう。」

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「たしかにアメリカ社会では所得格差が広がっていますが、それでも中東でのように暴動が起きないのはなぜだか考えてみると、結局アメリカでは社会的には誰でも平等だという(建前がある)事実に思い至ります。グッチのバッグを買う金がなくても、偽のグッチを買うことはできるというような、はけ口がある、チャンスが残っていることがいいのだろうと思います」

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(多民族化は価値観を希薄にするか)

僕の方からBowman女史に聞いてみた――「米国ではかつてないほどの多民族化が進んでいます。19世紀にもアイルランド人、イタリア人、東欧諸国の人たちが大量に移民してきたことがありましたが、この時アメリカ社会はこれらの移民を同化することに成功しました。しかし今回増えている中南米ヒスパニック系移民は、個人主義や自由に基づくヨーロッパ的価値観より、集団主義や依存性の強い社会を引きずっているように見えます。それが2020年には人口の25%も占める。マサチューセッツ州で今いちばん多い移民はブラジル人だそうです。それでも、アメリカは同化に成功するでしょうか? 今回受けた感じだと、私にはどうも成功しつつあるように見えるのですが」

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彼女はかすかに微笑を浮かべて言った――「ヒスパニック系の移民は、金融危機の影響で昨年は減っています。それでもまた増えて行くでしょう。そして、ええ、おっしゃるようにアメリカ社会はこれらの人々を同化することができると思います」

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そこで僕はまた聞く――「ヨーロッパ諸国は、異質な価値観を持った移民をどうしても同化することができず、これら移民も良い仕事を見つけることができないまま、ヨーロッパ社会に不満を抱えた異分子的存在になりつつあります。ところがアメリカでは同化が進む。この差はいったい、どこから来るのでしょうか?」

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Bowman女史――「それ、わからないんですよね。さきほど申し上げたような、アメリカ社会における平等性が機能しているのではないでしょうか?」

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僕の思うところ、アメリカ社会は既に多民族化していて、ヒスパニックもそのone of themだから、それだけ疎外感が小さいということではあるまいか? ヨーロッパでは地元の白人民族と異人種、という具合にふたつに分かれてしまう。 

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(産業とともにすり減る中産階級)

1965年代後半から始まった日本の対米大量輸出は現在の中国の対米輸出と同じで、アメリカの国産製造業を空洞化させた。そのためアメリカの中産階級の生活水準は数十年にわたって停滞し、その中であがる一方の教育費などをまかなうために、夫婦共稼ぎは当たり前になっていった。それでも、中産階級に相当する人たちの層は厚いままに残っていたのが、リーマン・ブラザース金融危機の影響で、中産階級それ自体が没落の危機にひんするようになっている。

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ボストンのある大学教授が言った。「アメリカのモラルが健在だって? 経済が駄目になったカンザス・シティあたりに行ってみなさい。文化とか道徳そのものが失われているんだから」

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そう言えば、マサチューセッツ州の西部は以前、GEや軍需産業の企業城下町だったのだが、クリントン政権の軍需削減で工場は閉鎖され、人々は放り出された。僕は1998年頃、ある町に車で迷い込んだことがあるが、荒れた街角では昼から失業者の白人たちがアパートの前にたむろして、一種異様で危険な雰囲気を醸し出していた。車を止めたら何が起こったかわからない。

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アメリカ社会にくわしいポール渡辺・マサチューセッツ大学教授は言った。彼の父親(祖父?)は和歌山の漁師出身らしく、彼は日系2世だ。苦学の末実力でハーバードを出て、今ではアメリカのアジア系民族研究では第一人者だ。

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「金融危機で、中産階級の崩壊が目立ってきた。授業料が高いから、子供を大学に送ることもできない国民が増えている。これは前例のないスケールでの変化だ。家を買う金もないから、住居を賃借りする者が増えている。これは持ち家を前提とし、持ち家に貯蓄と投資と消費の役割を負わせてきた戦後米国の経済政策が根底から変わることを意味するんだぜ」

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長年ワシントンのシンクタンクに勤務している、あるヨーロッパ人は言った。

「アメリカのモラルが変わっていないだって? いや僕の周囲はひどいもんだぜ。人をだますわ、金を巻き上げるわ。そして独占企業のひどさときたら。僕の家の電気なんか、アンペア直すのに2年もかかったんだから。そしてワシントンはまだましにしても、地方に行ったときの食事のひどさときたら」

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(「ミレニアム世代」――ベビー・ブーマー世代以上の重み)

今回、「ミレニアム世代」という言葉を知った。これは引退しつつあるベビー・ブーマー世代の子供たちに相当する世代で30代、実に8000万人、全人口の4分の1強という、今のアメリカ最大の世代なのだ。アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員にこのミレニアム世代の特徴について尋ねると、彼女はにっこりとして言った。あたかも、このミレニアム世代にアメリカの多くの希望がかけられているかのように。

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「これ、面白い世代なんですね。3分の1はバツ1、つまり離婚経験があるのですけど、企業にもつかず離れず、自分というものに自信を持っています。個人業を志向する者が多いのも特徴ですし、学校ではボランティア活動が義務的になっていたので、地元コミュニティーにも多くの関心を持っています。それでいて、考え方はグローバル。文化面でも他国のものに分け隔てない関心を示します。他国に介入するときにはアメリカ一国でやるのではなく、今回リビアでNATOを前面に出したように、仲間の諸国と集団でやることを選好する――こういった調査結果が出ています」

これは、理想的人間像だね。本当かなと思わないでもないが、嘘ではない。家庭教育、学校教育が良かったのかな。僕の子供たちが経験したところでは、アメリカの公立高校はかなりすさんだところだったが。

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(大学教育再考論議)

大学教育をめぐって議論が起きているようだ。今回はそのうち2つの問題点を知った。

ひとつは根本的なもので、「大学教育は必要なものか」というものだ。つまり「中産階級はもう、高い学費を払えない。それに大学に無理して行くより、高卒で手に職をつけて働くほうが、よほど所得は高い」という問題。これは、日本も含めて先進国の大学に共通した問題だろう。もっとも、「アメリカの大学は軍産複合体のように、強固な既得権益集団だからな。教授陣にはユダヤ系も多いから、そんな簡単にリストラはされないだろう」という意見もあった。

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もうひとつは学問に関するもので、それは「社会科学は『科学』ではない。人文科学ともども不要なものだ。大学では役に立つサイエンスだけ教えればいい」という声が高まっていて、それは価値観というものを無視したハウツーもの教育につながる、ということである。

確かに経済学など、これが「何とかセオリーです」などと大上段に売り込んでくる「理論」はだいたいがまやかしもので、実際の政策には使えない。社会は人間からできていて、その人間が次の瞬間何を考え、何をやりたいと思うかは自分自身でも予測できないのだから、理論化などできやしないのだ。

ただ、需要と供給の均衡とか、需要創出の乗数効果とか、理論じみたものはもちろん必要なので、科学としてよりも社会常識として大学で教え続けることは絶対必要だし、歴史や文学など「サイエンス」になりにくいものも、教養、そしてものを考えるうえでの必須の材料として教えていかないと。僕も、飯の食いあげになってしまう。

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以上が社会についてだ。まあ、アメリカのような巨大で複雑な社会を一口でくくることなどできないのだが、現場での勤労意欲や社会全体の活力は健在だし、それは新しい移民にもどんどん伝染しているということくらいは言えるだろう。それはとても大事なことで、ロシアのように、現場で働く人たちのすべてがself-motivatedというわけではなく、あるいは待遇にくさっていたり、あるいは上司の命令がないと何もやらなかったりというのでは、暮らしは良くならないからだ。

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だが、日本から見るアメリカと内部から見るアメリカはどうしてこんなに違うのだろう。乱暴でがさつで撃ち合いと爆発ばかりのあのアメリカ製映画を見ていると、こんな社会にはとても住めないと思ってしまう。

アメリカ映画はどうしてああなんですかと、Karlyn Bowman女史(前出)に聞いてみたら、彼女の答えはこうだった。「アメリカで映画をいちばん見に行くのはティーン・エージャーなんですね。だから彼らの水準と趣味に合わせてしまうのじゃないかしら」。

まあそればかりではないだろう。映画というものは、新しくやってきた移民たちにとって安価なレジャーなので、移民たちが観客の多くを占めるという話も聞いたことがある。これについては、気をつけてものを言わないと人種差別になってしまうので、Bowman女史もそのあたりはあえて言わなかったのではないだろうか。