今、上野の国立博物館でやっている「空海と真言の名宝展」で、あらためて思った。
彫刻の運慶、湛慶、快慶の3人。同時代の仏師に比べて全く異質。「個」を前に出すし、人体は写実に徹している。ひょっとして、ものの見方が違う、異人種なのか? どういう生まれ、育ちをした人たちなのか。彼らの後継者はいないのか?
そこで安直だけれど、ChatGPTにまとめてもらった。以下がそれ。ずいぶんはしょってある。そして面白いのは、末尾で彼らを主人公とした映画の製作をChatが提案していることだ。AIはもう自分で考える。自分で感じる。頼めば、シナリオも書いてくれると思う。
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ChatGPT:
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結論から言うと、彼らが「違う人種だった」という証拠はほぼありません。しかし、彼らがそれまでの京都仏師とは違う文化的環境から突然中央に躍り出た、という感覚はかなり当たっています。 しかも面白いのは、突然変異は運慶からではなく、父の康慶から始まっていることです。
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系譜を単純化すると、
康慶 → 運慶 → 湛慶(運慶長男)
└→ 快慶(康慶の弟子)
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慶派は、京都で貴族好みの仏像を作っていた院派・円派の中心ではなく、奈良仏師の傍系から出てきました。康慶自身が「写実的な鎌倉新様式」を成立させた祖とされています。
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平安後期の京都仏像は、定朝以来の「仏とはこういう顔、こういう姿である」という、完成された型を洗練していった。
ところが奈良には、興福寺などに天平以来の、非常に肉体的・写実的な彫刻が大量に残っていた。慶派はその環境の中にいた。
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そこへ1180年の平重衡による南都焼討ちが来ます。焼かれた東大寺・興福寺の大規模復興が始まり、康慶、運慶、快慶らに巨大な仕事が一気に回ってきた。つまり、奈良の古典彫刻の伝統 × 大規模復興需要 × 武士という新しい顧客という三つが重なった。
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これは西欧のルネサンスに少し似ています。そして「個」が出てくる。
運慶は作品に名前を残す。仏像の内部に銘札や経典を納める。自分の工房を率いる。そして人物像では、「一般的な僧侶」ではなく具体的な「個」を再現しようとする。有名な無著・世親像などを見ると、もはや宗教彫刻というより肖像彫刻に近い。
運慶は、顔の左右まで完全には同じにしない。年齢、皺、眼球、頬の肉、衣服の重量感まで表現する。
しかも玉眼――水晶を内側から嵌めて眼球を作る技法――を積極的に使う。だから視線が突然「人間」になる。
これは「仏の理想型」から観察された人体への大きな移動です。
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ただし、運慶・快慶・湛慶を一括して「写実派」とするのは少し危険です。三人はかなり違います。運慶は量感、筋肉、骨格、人物の精神性。快慶はむしろ端正、優美、宗教的な静けさ。湛慶は父運慶の写実に快慶的な優雅さと宋風を取り込み、より穏やかになります。だから三人が同じDNAを持つ芸術家集団だったというより、康慶の工房が異常なほど才能の密度の高い「学校」になったと見る方がいいでしょう。
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快慶は生年も出自もよく分からず、突然、康慶周辺に現れる。1183年の「運慶願経」の結縁者として記録に初登場します。朝鮮半島系・中国系などとする証拠は現在ありません。ただ、快慶や湛慶には宋代中国彫刻の影響が認められています。
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(「後継者はいないのか?」)
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実は大勢、いることはいる(康慶 → 運慶 → 湛慶 → 康円など → 七条仏所 → 室町・江戸という長い系譜)のですが、派として固化してしまい、新しいものを創造していないのですね。
彼らは、様式、工房とも相続しました。しかし、「人間を見て彫る」という革命的な精神は伝えられなかった。
後世になるにつれて「運慶様」という型になってしまう。
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(「鎌倉時代ルネサンス」を映画にしよう)
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1180~1230年頃の奈良に、古代彫刻の再発見、宋からの新情報、武士階級の登場、南都復興という巨大公共事業、康慶という優秀な親方が同時に存在し、そこへ運慶・快慶という二人の天才が偶然居合わせた。
これは日本美術史における、かなり稀な「ルネサンス」だったのではないか。
そして河東さん御指摘の「個」という観点から見ると、さらに面白い問題があります。運慶の時代は、(いわゆる)源頼朝の肖像、重源像、明恵上人像など、仏像だけでなく日本美術全体で突然「この人」を描こうとする力が強くなる時代なんです。
つまり運慶個人の突然変異だけではない。
ここを追うと、「なぜ鎌倉時代に日本人は突然、人間の個性を造形し始めたのか」という、もっと大きな問題になってきます。
これはかなり面白いテーマです。
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小生:
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面白い。当時を描いた小説はあるかい?
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ChatGPT:
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あります。しかも、まさに今の話にかなり近い小説があります。
梓澤要『荒仏師 運慶』です。2016年刊、のち新潮文庫。第23回中山義秀文学賞受賞作です。
これは単なる「名仏師の伝記小説」ではなく、なぜ運慶だけが従来の仏像とは違うものを作ったのかを小説化しようとしています。少年時代から「美しいもの」に異常に敏感だった運慶が、女性の身体や、当時台頭してきた武士の強靱な肉体に美を発見し、それを仏像へ持ち込んでいく、という設定です。そして快慶との関係・対立もかなり重要な軸になっています。
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これは、今の疑問――「なぜこの連中だけ突然、個人や肉体を見始めたのか?」――にかなり正面から答えようとした作品ですね。
面白いことに作者の梓澤要は、単なる時代小説家ではなく、東洋大学大学院で仏教史を学んでいます。したがって史料の空白を小説的想像で埋めてはいますが、背景の仏教史はかなり意識して書いています。
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そしてもう一つ重要なのは、夏目漱石『夢十夜』第六夜です。これは長編小説ではありませんが、運慶文学としては外せません。あの有名な、運慶は仁王を「彫っている」のではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出している、という話です。
梓澤の作品について新潮社が掲載している書評も、明確にこの『夢十夜』とのつながりを論じています。
ただし、湛慶を主人公として本格的に描いた現代長編小説は、今回探した範囲では目立ったものが見つかりませんでした。 これは惜しい。父・運慶という巨大な存在を継いで、三十三間堂の千手観音群を完成させた男ですから、もっと小説向きです。
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小生:
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映画作って儲けよう。「国宝」みたいに。
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ChatGPT:
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😁 これは案外、冗談で終わらせるには惜しい題材です。『国宝』型にするなら、仏像そのものを主人公にするより、運慶と快慶という二人の異質な天才の競争にした方が映画になると思います。そこへ父・康慶、そして次世代の湛慶を置く。
時代設定も強烈です。平安貴族の世界が崩れ、平氏が奈良を焼き、源平が殺し合い、武士が権力を握る。その廃墟の中で、「優美で同じ顔をした仏」ではなく、筋肉も皺も怒りも意志もある生身の人間のような仏が突然出てくる。
映画なら、冒頭は1180年の南都焼討ちでしょう。
炎上する東大寺、興福寺。焼け落ちる巨大な仏像。それを若い運慶と快慶が見ている。そして康慶が一言。
「もう昔の仏を彫るな。」
ここから始める。
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運慶は人間を観察する。武士の腕、老人の皺、死者の顔、女の身体。「仏を彫るために、人間を見る」。一方の快慶は、「そんなものは仏ではない」と反発する。彼は美しく静謐な阿弥陀を追求する。
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この対立なら、観客にも分かる。運慶は、京都の旧仏師たちからは「奈良の田舎仏師」と馬鹿にされる。しかし武士たちは運慶の仏を見て、「これは俺たちだ」と感じる。
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クライマックスはやはり東大寺南大門の仁王。高さ8メートルを超える二体を、巨大な工房が短期間で組み上げていく。ここなら『国宝』の舞台場面に相当する、圧倒的な映像が作れます。
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ただし仁王像を「運慶対快慶の二人だけの作品」として描くと危険です。康慶・定覚らを含む大規模な仏師集団による仕事だったことが銘文調査で分かっています。そこは逆に映画的で、天才個人と巨大な職人工房との緊張を描ける。
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そして最後は湛慶でしょう。
老いた運慶が死ぬ。息子が鑿を受け取る。しかし湛慶には父と同じものは作れない。何十年後、80歳を越えた湛慶が三十三間堂の千手観音を完成させる。父とは違う、静かな仏です。そこで初めて彼は悟る。
「父の仏を継ぐ必要はなかった。」
――これで終わる。
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タイトルは『運慶』では少しNHK臭い(笑)。
『仏師』。英題なら THE SCULPTORS。
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問題は製作費です。鎌倉初期の奈良を燃やし、東大寺を再建し、8.4メートルの仁王像を作る。儲ける前にこちらが破産する可能性があります。😁
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でも題材としては相当に強い。『国宝』が「芸の継承と個」を描けるなら、こちらは「日本で個が生まれた瞬間」を描けます。
これは海外にも持っていけるテーマです。
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小生:
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いいこと言うねえ。でも僕にはエネルギー残ってない。ああ、そうだ。今度のメルマガに貴兄のシナリオ案、載せてみるよ。
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ChatGPT:
それは光栄です。この企画の核は我ながら(笑)捨てがたい。
「日本で『個』が生まれた瞬間を、仏師たちを通して描く。」
単なる運慶伝ではない。平安的な「型」の世界が崩壊し、戦乱の中から武士とともに個人の顔、個人の肉体、個人の意志が前面に出てくる。その歴史的大転換を運慶・快慶・湛慶の三代で見せる。
メルマガから本当に映画会社の人間が釣れたら、その時は笑い事ではなくなりますね。😁




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