この頃、沖縄の名を聞くことが多い。筆者のテニスのコーチは、沖縄で一旗あげると言って行ってしまったし、筆者の鍼師もプロ野球の沖縄キャンプで頼まれて行ってしまう。円安で、ハワイとかフロリダでキャンプをやっていられる時代でなくなったこともあるが、「沖縄」が上げ潮の感じがする。そこで2025年正月早々、夫婦で数日レンタ・カーで、沖縄を見て回った。那覇と名護と普天間、辺野古という組み合わせで得た印象。
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大きい
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沖縄は東京都とほぼ同じ2300平方キロほどの島だが、佐渡島より3倍弱大きい。
縦長の島だから、真ん中のくびれたところを東西に横切るとすぐ、反対側の海に出て、本当に島だなと思うが、南北に走っていくと山あり谷あり。北部、島の3分の2は山地が続く。それがほぼ密林に覆われていて、島にいるとは到底思えない。高い山は500米弱はあるので、海岸から見れば十分高山だ。これが南部に沖積平野を作っていて、嘉手納基地がある。那覇は昔、ヴェニスのように沖の小島--それも浮島――だったそうだ。
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その那覇は人口31.6万なのだが、実際は市街地が市の外に広がっているから百万都市の感触がある。那覇市の人口密度は全国で3位なのだそうだ。要するに、「首都」の風格がある。広い道路が多くて、目的地にさぞや簡単に着けるだろうと思っていると、さにあらず。広い道路はやたら斜めに交叉しているから、どこをどう走っているのか、わからなくなる。
黒潮の流れがまた面白くて、台湾東岸から沖縄近海にやってくると、沖縄西岸の方に大きく曲がって流れる。それが屋島の南をまた大きく曲がって太平洋に出るのだそうだ。
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国であった記憶
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沖縄は、日本の室町時代の頃に群雄が割拠し――だから城(グスク)がこの頃集中的に建てられている――、間もなく統一されて首里城に朝廷が位置し、中国との貿易関係で潤った。明朝が海禁政策をとり、日本や東南アジア諸国の船を閉め出した時でも、沖縄は明との朝貢関係(要するに国家独占貿易)を続けたので、いろいろな国の対中貿易のハブになった時もある。
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明への朝貢使は1372年~1471年の間は、明南部の泉州に着いた。ここには琉球の商館である来遠駅があったが、泉州港が土砂で浅くなった1472年に福州の柔遠駅に移転している。使節は数カ月かけて陸路、北京にのぼり、皇帝に拝謁して貿易をすませた。途上、使節団員たちは、朝貢貿易以外の私貿易で私財を稼ぐこともできた。
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一方、明、清が琉球へ送った冊封使については、原田禹雄氏の「封舟往還」という研究書があり(榕樹書林)、アマゾンでも買える。尖閣諸島は、この朝貢使、冊封使の泉州・福州との航路のほぼ真ん中にある。
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こうした歴史があるためだろう。沖縄は国としての構えさえ備えている。まず那覇空港が大きくなった。30年程前は、ローカル空港だったのだが、今はちょっとした国の首都の空港なみ。そして空港は非常に多民族的だ。
那覇にある県立博物館・美術館は本当に堂々として、コンクリートの城という趣。これも、普通の国の国立博物館の内容と威容を誇る。
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そして国際化の度合いは、本土を上回る。筆者が車を借りたレンタ・カー店は、日本人店員が一人もおらず、ちょっと心もとなかったが、ポイントはきちんと押さえてちゃんとしていた。
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歴史について
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沖縄の人たちが昔、どういうところからやってきたのかは、まだ十分確定されていないようだ。要するに、日本人とどれだけ関係があるのかという政治的な問題があって、定説も鵜呑みにはできない。言葉も日本語系とされるが、少なくとも発音は違う系統だ。たとえば城が「グスク」であったり。
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そして薩摩藩は1609年、琉球を勢力下に置いたのだが――琉球王朝は薩摩と明の双方に礼を尽くす形を取った。首里城には双方使節のための館が相対している――、これは武力征服であった。1609年3月、3000名もの兵力が100隻の船で、島伝いに南下してきたのである。薩摩藩は関ケ原で敗れ、財政再建のために、明との仲介を琉球に求めて拒絶され、圧倒的軍事力で制圧、直轄地とした、というのが、現地で聞いた説明だ。
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一方、米国のペリー提督は沖縄を国として扱い、沖縄に滞在もしている。彼は、江戸幕府が拒絶した場合には、琉球と修好条約を結んで石炭を入手するつもりで、沖縄で調査もしている(これも現地の博物館での説明)。彼は、「街は清潔で美しいが、役人は狡猾、民は惨めな境遇で抑圧されている」と書いた。
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沖縄は、今は本土からの予算でのインフラ建設等で潤っているが、太平洋戦争にかけては本当にひどい目に会っている。沖縄の人間の4人に1人がこの時亡くなっているが、首里城もこの時、米軍の砲撃で地表から消えている。ずいぶんひどいことをするなと思ったが、実は日本陸軍は首里城の地下に壕を掘り、ここに司令部を構えていたから砲撃に会ったのだろう。
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若い人口
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沖縄には、若い人が多い――ような感じがした。那覇で夜遅くまで遊んでいる若者が多かったからで。
調べてみると沖縄は、若者ないし壮年または中年の2.6人が1人の高齢者を支える社会となっている。全国平均では2.1人にひとりの割合だから、かなり若い。そして、発電所が多い。2024年には約8億キロワット時の発電をしているが、これは例えば広島県や群馬県より多い。工場立地に向いているのでないか?
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米軍基地
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嘉手納は昔見た。今回は普天間飛行場を見に行った。滑走路南側の嘉数高台(ここは米軍上陸の際、激戦地となったところで、今でも弾痕が残っている)から、普天間米軍基地を見下ろす。「有名な」オスプレイが青空の向こうからやってくると、旋回して着陸する。それを繰り返す訓練をしている。
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普天間については、「周りは人家が密集」していると書くのがマスコミの定番になっているが、それは言い過ぎ。人家は航空機の進入口の南方に集中してはいる。しかし、そのような情景は、大阪の伊丹空港など、世界の空港では珍しいことではない。ただ騒音の問題はひどいようだ。
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そこで今度は、普天間が移転することになっている辺野古を見に行った。陸上ではあまり工事していないようで、柵があるからそこかと思って近づくと、そこは米軍シュワブ基地のゲート。兵隊が銃を持って飛び出て来、こちらに狙いをつけて・・・ということになる寸前に車をひるがえしたから何ともなかったが、すると今度は基地の警備がそんなことでいいのか、もし筆者がテロリストだったら・・・と思ってしまう。
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普天間の北は読谷(よみたん)村。日本で、人口が一番多い村だそうだ。しかし面積の3分の1は米軍基地。ここの海岸は、ノルマンディー作戦のような米軍の大々的な上陸作戦が行われたところ。だからか、今でも米軍基地が多い。
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沖縄南部はレンター・カーで走っていても、嘉手納、普天間、Hansen、Schwabと次々に基地が出てくる。だから米兵の不祥事件が時々起きるのだが、米兵の方もけっこうびくびくしながら、街に出てきている。那覇で見かけたのは、18歳程度の若い米兵(白人が多かった)たちが15名程のグループを作って那覇の国際通りをバーか何かに向かう姿だったのだが、彼等はどことなく怯えていて、周囲を見渡し、仲間から離れないようにしていた。
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その他
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今回気がついたのだが、東シナ海というのは黄海の出口だから当然浅くて、平均200米の水深しかない。ということは、この海域で潜水艦は自由な動きがしにくいということでないか? 対馬海峡を閉鎖するにしても、潜水艦は使えないかもしれない。将来の有事に備えて意識しておくべきことだろう。




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