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日本歴史紀行18:「百姓の持ちたる国、加賀」は本当にあったのか?

2025年3月 JALのポイントを利用して、金沢に観光で行ってきた。金沢は4度目くらい。今回は、少し真面目に紀行記を書いてみる。

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金沢は北陸の首都格で、街は立派で大きい。百万石の加賀・前田藩の城下町だし、森喜朗・元総理の地盤なので、金回りも良いのだろう。ただ、駅前はほとんどホテルで、中心街は城近くの香林坊などにある。

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奈良・京都文化圏にある北陸

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北陸は裏日本と言うように、裏のイメージがこびりついているが、戦国時代までは日本の表街道。交易相手の大陸に面していたし、東海道のように何本もの大河で交通を断ち切られることもなかった。だから敦賀、福井、金沢、能登、富山のあたりまでは京都の自然な延長だ。継体天皇が福井のあたりの出身と言われるのも、不自然な話しではない。

金沢には石浦神社という古い神社があるが、これは547年、当地の三輪一族が大物主を勧請して建立したとの伝えが残る。三輪一族と大物主と言えば、奈良県飛鳥の豪族と三輪山の大神神社の神のこと。

6世紀、天皇の直系が武烈天皇の死で途絶えたとき、越前から継体天皇が招請されたというのだが、三輪一族がもしこのあたりにもいたのなら、継体天皇が天皇の遠縁として呼ばれて不思議はない。

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北陸には京都や奈良の有力者、寺社の荘園が散在したし、守護・地頭による統治システムも浸透していたようだ。

県立博物館は、849年の「ふれ書き」を陳列している。これは村の外れに掲示されるもので、加賀郡の役人が発した命令などが書いてあり、これを役人が読み上げて村人たちに徹底していたようだ。

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本州北部に至る街道もここを通っていた。源義仲を討つための平家の軍は北陸道を下ってきて、今の石川県と富山県の境、倶利伽羅峠で激突している。それからしばらくして、義経と弁慶一行も、京都を逃れて平泉に落ちる時、この経路を使った可能性がある。歌舞伎の勧進帳で知られる安宅関は、今の小松空港近くにあるのだ。

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加賀藩の大名行列は普通2000名、時に4000名に及ぶ大行軍だったが(騎馬は20騎)、江戸までの経路は糸魚川の辺りまでは海岸沿いの北陸路を使っている。そしてこの大名行列の通った経路は、現代の新幹線のものとほぼ一致している。数千名の行列が親知らずの狭い海岸を通り抜けるのは大変だったようだ。

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加賀を差配したのは百姓か、それとも本願寺だったのか?

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戦国時代、能登は守護から大名になった畠山氏が統治したが、加賀では百姓一揆が守護の富樫氏を殺し、以後百年にわたって自治を行ったとされる。加賀が、「百姓の持ちたる国」とされた由縁で、今回の旅行では少し詳しく調べてみようと思っていた。

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1471年、本願寺の蓮如は延暦寺に圧迫されて加賀の吉崎御坊に避難する。ここで教えを広めて1488年には近江に帰るのだが、門徒の一部は過激化して加賀国の守護・富樫政親を討ち取ってしまう。以後百年にわたって百姓自治が繰り広げられたことになった。

でも調べてみると、百姓が指導者を選んでいたものでもなく、本願寺が行政に明るい要員を送り込んで、加賀を治めていたのだ。だから、石山本願寺が織田信長に攻められた時は、加賀から援軍が送られている。

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そして加賀の一向宗の連中は1582年、豊臣秀吉から加賀に封じられた前田利家に殲滅される。最後の拠点は鳥越城。これは、白山の麓に作られた一向宗の拠点。今でも蓮如などを偲ぶ講があり、落人伝説も散在している由。

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ここらへん、ガイドブックではほとんど説明がないので、今回は行きそびれた。

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金沢と北前船

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金沢は大きな街なので、江戸時代、北前船は大野、宮越の二つの港を利用していた。後世、ふたつを合併して金石と称する動きもあったが、大野、宮越は仲も悪く、旧名称にこだわった。古い町並みも残っているのに、ガイドブックでは言及もされない。何もないのかと思って、今回は行かなかった。一向宗と言い、北前船と言い、もっと自分の歴史を大事にしてほしい。

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文化都市・金沢

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金沢は文化都市だ。僕の好きな泉鏡花は金沢出身で、今回彼の博物館にも行ってきた。偽悪的な私小説や自然主義が流行する明治・大正の文壇で、あえて幻想ロマンを持したその作風が、僕は好きなのだ。

禅を世界に英語で広めた鈴木大拙も、金沢出身。県立博物館の裏に、彼の博物館がある。これは小ぶりだが、超モダン、簡素で禅の精神を体した建築。

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前田藩は文化を奨励した。街中に尾山神社という、奇怪な形の門を構える神社がある。最上階の窓は色付きガラスで彩られていて、ステンド・ガラスを思わせる。調べてみると、これは明治になってから旧藩士たちが前田家を偲んで建てたものの由。

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金沢は金箔の生産と金箔細工で知られる。これは10円玉くらいの大きさの金に銀と銅を少し混ぜて「粘り気」を出し、畳一畳ほどに叩き伸ばすのだそうだ。全国での生産の98%をここで作っている由。方々で金箔ソフト・アイスを売っていて、僕も一つ食べたが、どうももったいなくて。金箔をはがせないものかと思案したが、名案はなかった。

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他に金沢は九谷焼で知られる。一般の九谷焼とは違う作風だが、僕は三代徳田八十吉の作品に引き付けられた。

 

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あと珠洲焼きというのがすごい。これは釉薬を用いず、灰の中の鉄分を色合いに用いていて、その質実剛健の美といったらない。

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金沢は大変なグルメの街のようだ。ようだ、と言うのは、カネがないから探さなかったのだが、インターネットでは東京以上の密度で、インテリアも食事も凝った店が多数紹介されている。

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そのうちの一つではないかと思ったのが、TILE(最後のEは左右さかさま)というカフェ兼レストラン。安い1階のカフェしか行かなかったが、2階をのぞいたら神秘的な洞窟の中のようなレストランになっていた。このTILEという店名、上下さかさにするとELITEになる。何か言いたいのだろう。

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