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投稿者: akiokawato

  • 沿ドニエストルの大兵器庫

    過去のメルマガを見ていて、2024年2月のものから見つけた面白い記事を再録しておきます。今でも事情は変わっていません。

                                 .河東哲夫

    ウクライナがらみで思い出しましたが、西隣のモルドヴァに「沿ドニエストル」という帯状の地域があります。人口は22万で半数がロシア人。ソ連崩壊直後にソ連軍が武力を使って、モルドヴァからの独立を宣言。以後モルドヴァ本体とつかず離れず、しかし経済的には互いに依存している状況を続けてきました。

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    今、ロシア軍はここまで攻めてこられる状況になく、黒海艦隊も戦力を大きく失っている状況で、親欧政権のモルドヴァは沿ドニエストルの自立性を奪うべく圧力を強めています。

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    そこで問題になるのが、ここには欧州一の規模と言われる兵器庫があることです。23年3月2日付けの戦略文化財団記事によれば、このKolbasnaの弾薬庫・武器庫は欧州最大。砲弾、爆弾(FAB-500,FAB-1000)、戦車100台、装甲車200台、3万台以上の車両、200の高射砲、Gradミサイル、3万の自動小銃・機関銃を蔵し(賞味期限切れているかもしれませんが)、ウクライナ軍の戦争を1年は持たせることができるそうです。

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    ここは1500名の地元ロシア人兵力で守られていて、爆薬がしかけてあるそうです。爆発すれば、爆風は40~50キロに及ぶそうで、モルドヴァの首都キシニョーフにも届くでしょう。目が離せません。

  • 小説「イン・ザ・メガチャーチ」

    (作家朝井リョウの小説「イン・ザ・メガチャーチ」が2026年の本屋大賞を受賞した。どんな小説なのかと思っていたら、もともとは日経夕刊の裏面に出ていたもので、僕もほぼ毎日読んで、2024年1月にはメルマガ「文明の万華鏡」で次の感想を書いていたことを発見した。面白いので、ここにアップしておきます)

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    日本経済新聞の夕刊(夕刊は駅売りしていないところも増えたし、100円もするので、ほとんど絶滅危惧種)に「イン・ザ・メガチャーチ」という小説が連載されている。日経の新聞小説はエロっぽいものが時々あって評判になるのだが、これはそういうところがない。文化、メディア界の群像とその付き合いぶり、働き方が会話を中心にして描かれている。

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    筆者も小説を書いたことがあって(ソ連崩壊をバックにした大河ロマン「遙かなる大地」熊野洋筆名)、一番難しいものの一つに会話があることを知っている。リアルな会話を書くには、日頃耳を澄ませて他人の会話を頭の中に蓄積していかないと、ものにならない。その点、この「イン・ザ・メガチャーチ」の登場人物の会話は、自然そのもの。すごいと思う。

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    問題は、彼等の会話、そしてそこで描かれる生活がいかに空虚なものかということだ。昆虫にヘッピリ虫だかカメ虫だか、草色で、一見殻でおおわれているのだが、つぶすとペタンコになって、中身がない(ように見える)のがいる。そういう感じ。作者の朝井リョウは、これを直截的に言うのではなく、会話を通じてじわじわと沁み出させている。

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    20世紀の初頭、ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」が、意識の流れをそのまま小説にしたものとして評判になり、20世紀の古典とされる。

    その伝で行くと、この「イン・ザ・メガチャーチ」という小説は、現代日本人の根無し草の存在ぶり、その意識の流れを文学にしたものとして、古典になるかもしれない。

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    作者の朝井リョウ(男性)は直木賞史上初の平成生まれの受賞者で、男性受賞者としては最年少者なのだそうだ。「桐島、部活やめるってよ」の作者だ、と言ったら、知っている人も多いかもしれない。

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    今の自民党(野党も似たり寄ったりだが)の体たらく。「象徴としての天皇」をめぐるフィクション性。社会にはびこる形式主義、建前主義を見ても、戦後日本は精神的に本当にカラだと思う。これは三島由紀夫などが声をからして言っていたことだが、彼らのように戦前の超国家主義ではなく、前向きの中身で日本社会を満たしていきたい。

  • 宇宙に日傘を

    (これは2023年12月のメルマガ「文明の万華鏡」に書いたのを焼き直したものです)

                      .河東哲夫

    また暑くなってくる。近年の猛暑で、COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)も方向を見失っているようだ。世界がCO2を必死で削減しようとするのをあざ笑うかのように、気温はどんどん上昇していく。

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    そこでいくつか新しいアイデアが提唱されている。一つは2023年11月25日のEconomistが詳しく報じているもの。成層圏に毎年200万トンの硫素を散布して太陽光を分散させ、あたかも上空に日傘をかけたような効果を生む構想。問題はコストとか、環境への悪影響。空中からCO2を吸収する技術も夢見られているが、まだ実現の気配はない。

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    そこで僕は、もっと原始的なやり方を提案する。それは宇宙に文字通り日傘をかける構想。地表から太陽を見ると随分小さい。あのくらいの直径の日傘を地球から遠い宇宙に浮かべておくことは、技術的に可能ではないか? 位置はAIで制御する。ダメでしょうか?

  • 中国の「トイレ革命」始末記

                               河東哲夫

     「中国の公衆トイレ」は、ひどいものの代名詞だった。扉のない個室。便器の周囲に散らばる排泄物。臭気。天安門前広場の一隅にあった公衆トイレの臭気は、百米ほどは届いていた。

    ソ連もそうだったが、「公衆」と名がつくと、皆、自分のものではないと思って大事にしない。役人も、そんなことで評価が下がるわけでもないし、予算もついていないから、トイレの面倒は見ない。掃除人の仕事もいい加減。日本でも、終戦直後の公衆便所はひどいもので、それが急にきれいになってきたのは、近々30年ほどのことではないか?

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    筆者は十年以上前、北京の裏町の公衆トイレで小用を足したことがある。後ろは長蛇の行列。先頭の者はもう前をはだけて「捧げ筒」の格好で迫ってくる。これのもたらす危機感は尋常なものではなかった。

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    だから習近平国家主席は2015年、就任間もなく、「トイレ革命」をぶちあげた。その成果がどうなっているかは、まだ見に行っていないが、2023年11月11日付のEconomistは現状を報じている。

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    —大都市の公衆トイレは改善されたし、農村地域でもこの5年で5000万(!)以上のトイレが改善されたことになっている。キャンペーンをやれば、官僚たちはその「成果」をちゃんと(作って)報告するものだ。

    しかし資金が足りない。2015~2018年、中央政府は1億4000万ドル相当しか出資せず、この20倍以上の予算を地方政府に出せと言ってきた。地方政府はけちって、他の費目に流用するし、請負業者はくすねるから、パイプが劣悪だったり、北方の酷寒地域ではパイプが凍結したり、地方によっては水洗のための水が確保できなかったりで、瀋陽周辺ではこの5年で1億元を使って改善された8万のトイレのうち5万が使用されていない。そして農村の老人たちは、洋式便器になじめず、good old「和式」便器に回帰してしまう—

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    かくてトイレ革命は、社会主義的官僚主義の欠点をあますところなく示して、便秘状態。同じようなことは、政府主導の中国経済全体でも起きているだろうから、トイレ革命始末記でも大いに参考になるのだ。

  • 国連安保理の麻痺と「中位国連合」の勧め

    国連安保理は、できた時から麻痺している。常任理事国が拒否権を使いまくるからだ。

    これまでは、それでもどうということはなかった。米ソ、米中など超大国が談合して、ものごとを収めてきたからである。

    しかし現在のように、米国が同盟諸国をコケにして、超大国だけで世界を仕切ろうという姿勢を強めると、日本やドイツのように安保理常任理事国ではない中堅諸国は困ってしまう。

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    ならば、日本やドイツ、カナダ、韓国、豪州、ニュージーランドといった中位の先進諸国は、大国の利益にとらわれない、近代の価値観を備えた一種の監査役として、安保理の活動にコメントをし、それによって安保理の活動を望ましい方向に導いていくことができるだろう。この「中位民主諸国連合( Caucus )」には英国、フランスも入ってもらって、安保理で中位国連合の立場を代表してもらえばいい。

  • 「少子化だから縮小」の自縄自縛はやめよう

    これは2023年11月のメルマガ「文明の万華鏡」に書いたものですが、今でも有効なので、アップしておきます。

                                      河東哲夫

    人間は何か悪いことがあると、その原因を見つけようとする。それはいいのだが、何か変わったことを言われるとそれに飛びついてしまうことがある。「誰もそういうことは教えてくれなかった。政府は隠しているのだろう。これこそが、政府の隠していた真相なのだ」というわけで、日本経済停滞の原因として少子化が定説と相なった。「人間の消費がGDPを決める。だから人口の多い国は経済大国、人口の小さい国は小国となる」というわけ。

    2010年に出た藻谷浩介の「デフレの正体」は、労働人口の減少が日本経済の成長率低下の原因だと評して、日本人の見方をすっかり縮小指向に変えてしまった。この本が出たあとも、女性の就労率上昇、高齢者の就労増加で、日本の労働人口は増加を続けたのだが。

     

    もうかる商品、サービスを増やせば、少子化でも経済は成長する

    つまり製品や提供するサービスの質が高ければ、高値でも売れる――こういう企業がいくつもあれば、その国の人間の給与、一人当たりの所得は高いものになり、少々人口が減少しても経済規模は縮小しないのだ。

    端的に言おう。15世紀、人口20万のヴェネツィアは、人口約2000万のフランスに匹敵する政府歳入を有していた。ヴェネツィアはビザンチンと西欧、オリエントと西欧の間の通商をほぼ独占して大きな利益を上げていたからである。一人当たりの平均所得が、農業中心のフランスの人間の平均所得をはるかに上回ったのだ。

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    「縮み志向でも分配は待望」の身勝手

    生産性を上げようと言うと、「もっと働け」と言われたものと勘違いして反発し、「成長はもういらない」と叫ぶ人たちがいる。そうではないのだ。低賃金や超過勤務で「生産性を上げて」いたのは、戦後の話し。今は、「一味違う」製品、サービスを生産することで効率よく利益を上げようということなのだ

    と言っても、そういうことのできる人間の数は限られているので、大多数は既存の体制の中で働くだけでいい、ただ賃金はしっかりもらって消費に向け、それで経済を回してほしい。一方、今の枠を超えて先を拓く意欲のある者には、一味違う製品、サービスを開発する環境を整備し――融資、研究設備など――、大いに稼いでもらい、それを再投資、そして税の支払いに向けてもらう。

    それが「生産性を上げる」ということの意味なのだ。

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    国際化待ったなし

    そして、国際化は待ったなし。もう五十年ほども、「国際化」や外国語学習の必要性が叫ばれているのに、社会のマインドに大きな変化はない。日本では、外国語の知識が生活必需品ではないから――ヨーロッパの小国では英語ができるのは当たり前のことになっている――、いつまでたっても別物扱いが続く。

    この頃はAIが発達しているので、「もう英語は勉強しなくていい」という安心感も見られる。しかし、AI同時通訳で外国人との間に信頼感を作り出すことはできない。企業は、国際要員の確保、彼らのキャリア・パス、彼等への権限譲与にもっと真剣に取り組まないといけない。

  • 世界史シリーズ1 古代文明の数々

    昨年7月、「『自由と民主』の世界史―失われた近代を求めて」という二巻本を藤原書店から公刊した。

    そのさわりを、このブログに残しておきたい。今回はその第一回。

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    文明とは

    生産が拡大し、人々が集まってそれを束ねる者が現れると、「文明」が出現する。「文明」の定義は一定していない。文明は、英語のcivilizationの訳語だが、このcivilizationという単語は近世になってからのものだ。Civil(自分の権利を自覚した都市住民)という単語はギリシャ・ローマの時代にあり、ラテン語ではcivisである。つまり人々がcivil化された状態がcivilization, civilisationというわけで、それは物質生活・精神生活のあり方を包含したものだ。

    似た言葉としてcultureがあるが、これは物質生活の水準の高低には関係なく、人々の習俗、芸術を指す。ここで論ずるのは、civilizationの方である。それも、よく研究されているメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明のいわゆる四大文明以外のものにまず目を向けてみたい

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    欧州の古代文明

     人類の起源とされるアフリカの「ルーシー」からはずっと後代、ローマ帝国時代になってもただの森林地帯と思われていたアルプス以北の欧州にも、古い文明の跡が発見されている。今のトルコ東部では、農業用水の跡を思わせる約一万年前の遺跡群がある。これは、世界で農耕が始まったと考えられている時期よりずいぶん古い。

    黒海のほとり、今のブルガリアの瀟洒な港町ヴァルナでは、紀元前五千年頃のものと思われる墓地・集落跡が一九七二年に発見されている。墓地などからは三千点、合計六キロくらいの金細工、銅器、陶器が発見されている。金細工の工芸の水準は高い。カスピ海北部や地中海のエーゲ海のキクラデス諸島と交易していた跡もある。

    そして地中海のマルタ島南部には、紀元前四千五百年から二千五百年頃のものと推定される巨石神殿が多数発見されている。これはヴァルナの遺跡より大規模だが、集落の跡は発掘されていないようで、文明の有様についての手がかりはない。

    イギリス南部のストーン・ヘンジ(紀元前2500~2000年頃のものと思われている)は良く知られているが、他にも今のアイルランドにはNewgrangeという大型遺跡(巨大な円形の塚)が発見されている。これは紀元前3100年から紀元前2900年の間に作られ、エジプトのギザの大ピラミッドよりも500年ほど、そしてストーンヘンジよりも約1000年古い。ただ、この天文施設か墓所かまだ確定されていない円形塚の他には何も発見されていないので、エジプトほどの整った国家機構は持っていなかったことだろう。

     こうしたことからわかるのは、エジプトで統一国家が成立する(紀元前3000年頃)かなり以前から、欧州の各地でも都市国家規模の文明は起きていて、遠方とも交易していたということになる。未開の暗黒の中で、突然エジプトに文明の灯りがともった、というわけではないようだ。

     この広いユーラシア・アフリカ大陸で、この四カ所だけに文明がほぼ同時期に始まった、というひと頃前までの「世界史」は、宇宙のビッグ・バン理論と同じで不自然、眉つばものなのだ。ユーラシア大陸は一つながりで、「四大文明」の間は空白ではない。その実例をいくつか訪れてみたい。

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    中央アジアの古代文明

    今の中央アジアやトルコのあたりには、エジプト・メソポタミア・インダス・黄河の文明をつなげていた存在があっただろうと思う。ウズベキスタンやトルクメニスタンの南部は広い砂漠におおわれているが、そこここに突き出る丘の上には、昔ふもとが川で洗われていた時代に栄えていた都城の跡が残る。今でも砂の下に埋もれたままの遺跡も多いだろうと思う。

    その中に、「オクサスOxus文明」遺跡群というのがある。紀元前2400年には都市文明を築いていたとされている。青銅器文明に属する。これは戦後、ソ連の考古学者たちによって発掘が続けられたもので、今のトルクメニスタン南部からアム川に沿ってウズベキスタン、タジキスタンの南部、アフガニスタンの北部に及ぶ。

    今のトルクメニスタンの南部では、16世紀まで「オクサス川」が東西に流れ、灌漑農耕文明を支えていた。オクサス川は、ヒンズークシ山脈から流れ出すアム河が西へと流れてアラル海に注ぐあたりで別れ、ウズボイ谷を通って今のトルクメニスタンを東西によこぎり、カスピ海の東岸、今のトルクメンバシのあたりで注ぎ込んでいた川。1557年、この地方を通過したイギリスの商人、アントニー・ジェンキンソンは、オクサス川の水を灌漑に使い過ぎて、今に川が涸れるかもしれない、果樹が豊かになっていたところが荒野と化している、と書いている。

    「オクサス文明」の別名は、バクトリアーマルギアナ遺跡群という。バクトリアはアフガニスタン北部のことを、そしてマルギランはトルクメニスタンのあたりを指す。これは灌漑農耕文明で、この北方には遊牧民のアンドロノヴォ文明が存在した。

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    バクトリアーマルギアナ文明の出土品は、インダス・メソポタミア文明、そしてペルシャ文明との共通性を示す。一方、アンドロノヴォ文明の騎馬民族は、後にペルシャ・北部インドに浸透したアーリア系文明の先駆けかもしれないと言われる。このようにして、メソポタミアとインダス文明の間の空白が埋まってくるのだが、この遺跡群はソ連崩壊後はじめて注目を浴びるようになった存在で、文字史料がみつかっていないこともあり、研究はまだ初期の段階にある。

    時代を下り、今のウズベキスタン南部からタジキスタン南部にかけて栄えた「ソグディアナ」地方のソグド人商人たちは――彼らが作った王国はジンギスカンに滅ぼされている――、中国とオリエントを結ぶキャラヴァン交易をになった。そのルートの終点などには一族が居住して、ネットワークを成した。彼らはさまざまな人々から資金を集めて商品を購入し、交易で得た収益を出資者たちに配分したというから、当時ヴェネツィアなど地中海で行われていた航海を砂漠のラクダでやっていたようなものである。こうした遠距離交易はかなり以前から行われていただろう。紀元前四千年には既に、アフガニスタンの貴石ラピズラズリがメソポタミア、エジプトに運ばれていた跡がある。だからこそ、黄河・インダス・メソポタミア・エジプトという離れた文明圏でほぼ同時に青銅器文明とか鉄器文明が始まり、終わっていったのだろう。

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    「スキタイ」

    文明が他の地域に伝わる方途の一つには通商がある。そしてもう一つは征服がある。征服によって文明を伝えるのは、遊牧民族である。特に、遊牧民族が馬と矢を使用するようになると、それは無敵の兵力となり、大きな帝国を生むことになる。モンゴル帝国はその典型で、最後のものは中央アジアのチムール帝国あたりであろう。

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    古来、ユーラシア大陸の北半分には様々の遊牧民族が暮らし、それぞれの歴史もあまりわからない。どの民族がいつの時代にどのように動いたせいで、青銅器文明が、あるいは鉄器文明が他の地域に伝えられていったのか、その跡をたどることはできない。

    その遊牧民族の一つ、スキタイを見てみよう。これは今のウクライナの南部を中心に活動した民族で、インド・イラン語系のいわゆるアーリア人と推定されている。この「アーリア人」というのは白人の別名で、白人優位主義の連中はこの名称を神聖視し、ヨーロッパ人でない諸民族も競って「アーリア人」を自称するのだが、漠然とした概念で、きちんとした定義はできない。

    で、このスキタイ人はゲルマン人(これも漠然とした概念なのだが)と交わってスラブ人を形成したとされている。そのことはスラブ人の遺伝子を分析するとわかるのだそうだが、スラブ人と言ってもいろいろいるし、ゲルマン人と言ってもいろいろいるので、ほんとうのことはわからない。

    わかっているのは、彼らスキタイの文化に属する遺跡はシベリア南部のトゥヴァで発見されているものが紀元前9世紀で最古のものとなっていること、そしてロシアのエルミタージュ美術館などに保存されているスキタイの金銀細工は本当に水準が高いものだということくらいである。ただこれは紀元前8世紀から同4世紀にかけてのもので、中国の「周」時代(紀元前1046年頃 ~ 紀元前256年)の高度の金属細工よりも後世のものだ。それに、今のイランのあたりを統治していた時代のスキタイ族は、その略奪一辺倒の野蛮な統治ぶりを嫌われて地元勢力に追い出されていることもあり、文明度はそれほどでなかったのだろう。

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    だから、「世界四大文明」の間を媒介したのが遊牧民族だとしても、それはスキタイではないかもしれないし、スキタイの金銀細工が優れていたとしても、その年代は金属細工が既に完成の域に達していた中国の「周」朝よりも後のものなので、彼らが技術を媒介してまわったという証拠にはならないのである。中国では、周の前の殷の時代から青銅器は発達しているのだから、なおさらである。

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    製鉄民族「ヒッタイト」

    鉄器が世界に広がったもとを作ったのは誰かということについては、ヒッタイトの関りが有力視されている。ヒッタイトは別名ハッティ、あるいはヘテ、ヘト。どこが故地かはわからないがインド・ヨーロッパ語族で、今のトルコ中部を拠点にかなりの帝国を作っている。紀元前17世紀末に建国し、同1595年にはすぐれた鉄製武器でメソポタミアを征圧した。

    当時のヒッタイトはエジプト、バビロニア、キュプロス、ミュケナイなどとともに地中海周辺の有力勢力で、互いに合従連衡、交易を繰り広げていた。エジプトの昔の首都アマルナ(Amarna)などで、当時の外交文書(粘土に楔形文字)が多数発掘されている。ヒッタイトの王とエジプトのファラオの間の手紙(粘土に楔形文字)など、医者や薬を送って欲しいなど、素朴なもので、外交の本質は昔からそれほど高級なものではなかったことを示している。

    それはそれとして、このヒッタイトは鋼鉄の製法を発明した民族ということになっている。銑鉄ならそれまでもあったが、炭素を入れて兵器に使える鋼鉄を開発したのはヒッタイトなのだ。彼らはその技術を外部に出さなかったが、紀元前1177年頃、「海の民」と呼ばれる素性不明の勢力が地中海周辺諸国を軒並み破壊して回った時に滅亡して、鋼鉄技術は世界にひろがることになった――というのである。中国で鉄製武器がひろく使われるようになったのは秦による統一の前、紀元前5世紀からの戦国時代だから、平仄があっている。

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    というわけで、「四大文明」の間には互いに交流があったのだろう。ただ、その交流を担っていたのはどういう人たちなのか、交流と言っても、それは貿易よりも征服活動だったのかについて、答えは出ない。宇宙の星の間には「暗黒物質」がつまっていて、その正体はわかっていないのだが、ユーラシア大陸にも同じような存在がいたのだろう。


  • 北朝鮮・米国関係動き出すか? その時日本は?

    トランプは、イランとの停戦合意成立を発表するのとほぼ同時に、自分のSNSに昔の金正恩とのツーショットの写真をアップした。「イランはすんだ。次は北朝鮮だ」と言いたいのかもしれない。 

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    目のつけ所は悪くないと思う。過去の行きがかり、わだかまりをほぐした上で、北朝鮮、韓国の並立を法的にも固めれば、朝鮮半島情勢の安定化は夢ではあるまい。核兵器の扱いが問題だが。

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    そこで、北朝鮮・米国の話し合いが動き出した時に備えて、過去のいきさつをまとめておく。

    朝鮮戦争では、1950年6月の開戦以来しばし北朝鮮軍が怒涛の勢いで攻めたが、国連軍は同年9月の仁川上陸で形勢を一変。38度線を越えたところで、それまで派兵を渋っていた中国が、スターリンからの圧力に負けて同年11月、義勇軍を派遣。国連軍を押し返す。その後押したり押し返したりの膠着状態が続き、1951年6月にはソ連が停戦提案を行っている。

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    しかしここで、開戦当初はスターリンの派兵要請に散々抵抗した毛沢東が、停戦に抵抗するのだ。朝鮮半島での戦果で自分の権力を強化できることに気が付いたのだろう。彼は結局、1953年3月のスターリンの死を契機にやっと停戦に応ずる。

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    同年7月板門店で、北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、以後終戦を認める平和条約は結ばれることもなく、70年に及ぶ暫定停戦が続いている。韓国の李承晩大統領は、「北進統一」に固執して、休戦協定に署名していない。と言うか、休戦協定は軍の最高司令官たちの合意になっていて、中国では毛沢東も署名していない。北朝鮮の金日成は北朝鮮軍総司令官の格で署名している。だから、北朝鮮と韓国は理論的には戦争状態にまだあって、平和条約を結んで初めて朝鮮半島は安定の基礎を持つ。

    ところで5月に明らかにされた、北朝鮮の新憲法では、「祖国統一」という文言が消えただけでなく、韓国との国境も定めている。これは平和条約締結に向けての準備とも言える。

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    金正恩と日本

    文芸春秋最新号に石井妙子氏がまとめている金正恩、金与正兄妹の生い立ちは、ずいぶんメロドラマチックなものだ。この2人の母親は金正日の正妻ではなかったので、兄妹は日陰に育ち、小さいころにスイスの学校に送られたのだが、二人の面倒を見ていた叔母とその子供たちが、スイスから米国に亡命。兄妹はスイス留学を途中でやめて帰国した。というのだ。いろいろトラウマが残っているだろう。

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    兄妹に、日本についてのトラウマ、あるいは恨みはないようだ。金正恩はまだ少年の頃、日本生まれの母親と何度か来日してディズニー・ランドにはまったという報道がいくつかある。筆者の気のせいかもしれないが、金・兄妹は日本の指導者について、韓国、米国に対してのような罵詈雑言を浴びせるのを避けている。日本は、北朝鮮が過度の対米恐怖を卒業して21世紀の世界に踏み出せるよう、何かできないものか(拉致問題と核兵器の問題を片づけた上で)。

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    と同時に日本は、もしトランプが北朝鮮との話し合いを活性化させる場合には、韓国が一方的に割を食うことがないよう、動くべきだ。それには、高市総理とトランプの間の接触が必須。

  • ロシア文化の根っこはモンゴル?

    ロシア人はよく、「日本は米国の属国だ」と嫌味を言う。そういう時に言い返すと効く、半分ジョークをここにアップしておく。

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    1700年頃、ピョートル大帝はロシアに西欧文明を持ち込んだ。彼は当時の超大国オランダ――オランダの君主オレンジ公は英国王ウィリアム三世を兼ねていたし、オランダの資本は英国国債の半分近くを持っていたとされる――を視察してきたばかり。風力を動力とする産業革命が進行中のオランダで、大きな衝撃を受けたのだろう。

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    帰国したピョートルは、貴族が生やしていた長い髭を後進性の象徴と見なし、強制的に切り落とさせた。それ以来、髭の恨みかロシアでは、「西欧派」と「スラブ派」の争いが絶えない。ロシア人はヨーロッパ人なのか、それとも独自の文明を持つ人間なのか、という論争。

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    ウクライナ戦争を契機に、「スラブ派」がめっきり力を増している。ロシアを制裁したヨーロッパは捨てて、ロシアの栄光ある独自の文明に戻れ、というわけ。しかしこの「独自の文明」が曲者で、純粋なスラブとか、純粋なロシア文明を探すのが難しいのだ。

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    ここで待てよ、と思う。bogatyrという「ロシア語」がある。これは勇者という意味で、昔話でよく使われる単語だ。しかし、どうもロシア語的には響かない。最近、あらためて確認したところでは、これは中世ロシアを支配したモンゴル人が持ち込んだ言葉なのだそうだ。ロシアは今でも、モンゴルの文化的支配の下にある? 日本人もそうだが、自分のルーツを掘っていくと、あまり知りたくなかった(朝鮮半島との関連などの)事実が出てきてしまう。お互い、嫌みを言うのはやめにしよう。

  • 日本は自主独立してやっていけるのか?

    (これは2023年9月、メルマガ「文明の万華鏡」に掲載したものですが、今でも有効なので、ここにアップしておきます)

                                         河東哲夫

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    あれは2003年。米国がイラクに、「大量破壊兵器がある」と言って攻め込み、実際には「大量破壊兵器」などなかったことがわかった時、そして「民主主義を広めるのだ」と言って攻め込んだ米国が、イラクで拷問をしていることが発覚した時、日本人の米国に対する気持ちは随分冷めた。そして米国に対する失望感はトランプ政権で確かなものになった。同盟国を軽視し、国内では暴力で大統領選挙の結果を覆そうとしたからである。

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    そして今は台湾防衛が、日米同盟におけるmoment of truthになろうとしている。台湾有事の場合、日米が軍事でどう連携するか、シンクタンクでシミュレーションが行われている。これを見ると、日米双方とも腰が定まっておらず、互いに責務を押し付け合っている。例えば米国は、中国本土の基地は叩かないことを大前提としている。だから中国の軍艦・戦闘機は全力で米軍・台湾軍を攻撃して多大の損害を与える。一方日本は、台湾有事で自衛隊を出動させるには、これを日本の「存立危機事態」と認定した上で国会の承認を得なければならず、それは容易なことではない。

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    兵器の面でも、米国が内向きになって技術の開示・移転に消極的になっていることが、これからの関係に影を落としている。2019年4月青森県沖に墜落した戦闘機F-35Aの墜落原因は、今に至るも確定していない。それもあり、日本は主力戦闘機F-2の後継機開発を英国、イタリアと進めようとしている。

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     経済でも、米国は内向きの政策を強めている。インフラ建設、半導体や電気自動車の生産に数百億ドル単位の補助金をつけるだけでなく、外国企業を排除する姿勢が時にちらつく。

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     今すぐそうなるわけではないが、衝動的に動くトランプのこと。日本は米国という後見人がいなくなる時のことを考えておかなければならない。日米同盟を失った日本は、明治の開国初期の国際環境に引き戻されたようなことになる

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    当時の日本は独立はしていても裸一貫。米国は南北戦争を終えたばかりで何もできなかったが、中国の清朝は近代的軍艦を購入して1886年には長崎に修理の名目で押し寄せると上陸して乱暴狼藉を働き、欧州列強は日本との不平等条約の利益を貪り続ける、という状況だった。

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    その時よりは、日本ははるかに強大化した。しかし周囲を大国、しかも核保有国に囲まれている状況は変わらない。情勢判断と外交を誤れば、1895年、独露仏の三国干渉で、日清戦争での獲得物の放棄を迫られたような屈辱を嘗めさせられるだろう。

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    感性だけの日本人は、主権を使いあぐねるだろう

    日本は明治以降、今に至るまで国民国家という強大なマシンをうまく操縦する技を身に着けることができずにいる。戦前は天皇を神輿に、薩摩・長州両藩の有力者達が、全国から徴募した官僚を使って君臨した。軍部がこの構造を簒奪して日本を敗戦に導いたあと、天皇はその権力を奪われ、権力の頭がなくなった日本では官僚が税金の配分を差配してきた。頭はワシントンにあった。外交・安保・金融政策の大元は、ワシントンで決められていたからである。筆者はこれを「仮の国家」と名づける。

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    今後、日本が主権を完全に取り戻しても、「国民国家」という巨大マシンをうまく操縦できないかもしれない。国民国家という構造物は、米国、中国を初め、英仏独のような老舗でも扱いかねているのだ。日本はガバナンスを欠く点では欧米諸国と同じだが、その政治思想の根底に人間をものごとの中心に置く、リベラルな人間主義の哲学を欠いている点で、もっとハンディを負っている

    人間主義=ヒューマニズムという背骨がない中で、国論は戦前への復古主義とマルクス主義的階級論に二分されてきた。今の日本には、現代社会に見合うような価値観、背骨となるべき基本的な価値観がないのだ。

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    政策を動かす官僚達は手続きを守ること、諸方に連絡して了承を取ることに忙殺されて、戦略・政策を作るマインドを欠く。戦略・情勢を見ている専門家達は実務経験に欠けるから、政策を動かすノウハウを欠く。

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    こうして、アタマと背骨がない存在が、マンガやアニメやJ-Popなど感性だけを売り物に、荒くれ国家たちの世界を泳いでいる。

    1969年、高度成長のたけなわ、日本の歌手カルメン・マキは歌った。「時には母のない子のように、ひとりで旅に出てみたい」・・・対米依存からの脱却。それは日本人の夢だ。どんなに沢山の有能な人たちが、対米依存の構造の中で苦しんできたことか。

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    だが望むと望まざるにかかわらず、日本は旅立ちを迫られるかもしれない。アタマと背骨のない存在は、それに耐えられるだろうか。やけのやんぱちの「ええじゃないか」踊りの中で、開国派と尊王攘夷派が問答無用の斬り合いを繰り広げた、160年前の幕末が思い起こされる。