日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


日本歴史紀行5:かぐや姫の里 葛城郡広陵町

大化の改新後間もない斉明天皇の時代。この時代はペルシャ文明の匂いがする。飛鳥に残る、いくつもの独特な石の彫像はゾロアスター教、ペルシャ文明に由来する可能性が指摘されている。中には、かぐや姫は当時日本に漂着したペルシャの王女をモデルにしたものだという説もある。

.

孫崎紀子女史の書いた「かぐや姫誕生の謎」という本がある。これは既にある同種の研究を下敷きに、日本書紀にもある「トカラ人」渡来伝説をふくらませ、かぐや姫はそのトカラ人=ペルシャ人王族の姫君だったのではないかと推理している。

かぐや姫は長じて飛鳥の北西、斑鳩の近く、今の葛城郡広陵町に陪民とひっそりと暮らしていたのが、天皇に側室に所望されたのを忌避するために、死亡を装う薬を服用、飲み過ぎて本当に死亡し、鳥葬に付されたので、あとかたもなくなったように見えた。陪民は、怒った朝廷の使いに切り殺されて、今は地元の讃岐神社(「讃岐」はペルシャ語由来なのだそうだ)の祭神となっている、というのである。

.

で、レンタカーのなかで広陵町の地図を見ると、「竹取公園」というのが目についた。好奇心にかられて八咫烏ならぬカーナビに導かれて行ってみると、驚いたことに「かぐや姫の里」という大看板が道端に立っている。地元はもうすっかりその気。町おこしにかぐや姫を使おうというのだろうが、まだ説明看板等は整っていない。かぐや姫まんじゅうもなかったが、町のイメージキャラクターは「かぐやちゃん」である。

.

何かの資料に「鳥葬の丘」という名称を見たのだが、これは見つけることはできなかった。「竹取公園」というのは本当にあって、うっそうたる竹林。かぐや姫が見つかった竹はここにあったのかも。その横に小高い丘があったので、あるいはそこでかぐや姫は鳥葬に付されたのかもしれない。そこの土からDNAでも分析してみてはどうか?

.

というわけで、飛鳥というのは縄文、弥生、朝鮮半島、中国、ペルシャ、アフガニスタン、そして彼らの神々が入り乱れた、非常にコスモポリタンな時代であったようだ。飛鳥坐神社の陰陽石や夫婦和合の祭りのような古俗もそれに混じっている。

.

こう見ると、古事記などはこうした神々や滅ぼし滅ぼされた諸豪族を関連づけて、先輩・後輩関係をはっきりさせた、一種の神々の台帳のような意味を持っているのではないかと思われる。無数の古墳、陵は未だ発掘されていないので、これから益々予想外の発見があることだろう。それまでは、我々は日本の故事来歴をちゃんと知ることもできないのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です