日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


世界紀行3:ユーラシア その3 究極の多民族国家・ウズベキスタン

                   河東哲夫

究極の多民族国家・ウズベキスタン

 どの国も実は単一民族国家ではなく、「国民国家」という言葉はどこかフィクションの臭いを漂わせているのだが、大陸の真ん中中央アジアでは多民族性はもう宿命のようなものだ。ウズベキスタンも古来、ペルシア系、トルコ系、モンゴル系、そしてロシア、ユダヤ、アルメニアと入り乱れ、今では日本よりやや大きいだけの面積の国に百二十もの民族が混住している。

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 だからタシケントの街を歩いていると、アメリカの都市を歩いているのと同じように訳のわからない気持ちになってくる。街行く人の顔と肌の色がまちまちで、「これぞウズベク人」という顔がどんなものなのか、いっこうに正体がつかめない。肌の色は黄、茶、焦げ茶、白、髪も黒、茶、栗色、ブロンドとまちまちだ。

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 ある日、知人のタタール人の結婚式に招待された。ホールの入り口では、中央アジア特有のあの細長いラッパが穂先を天に向け、ブーブ とやたら大きな単調な音を出す。会場はウズベク、タタール、ロシアと、あらゆる人種、言葉が乱れ、バンドの指揮者が「インシャ  ラ、ハレル ヤ!」とイスラム教もキリスト教もごったにした挨拶の後、蛇のくねるような中東のメロディーからロシア民謡、そしてポップを奏で、ウズベク人もロシア人もペルシア風に黙々と手をひるがえしておとなしく踊る。

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髪を染めたロシア人の中年歌手が歌うのは日本民謡そっくり。白人がアジアのメロディ-を歌うと、どこか哀れさが漂う。新婦は弁護士の娘、新郎は外資系企業に勤めている前途有為の青年で、モスクワにいる親戚一同からの祝電が読み上げられる。

 一口にタタール人と言っても、カザンの方からやってきたイラン・ロシア系タタール人と、クリミア半島からスターリンに追い出されてやってきたモンゴル系のタタール人は仲が悪いのだから複雑だ。

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 式も盛り上がってくると、さっきから天井につりさがっていた大きな木綿の袋の口が開いて、中から無数の風船が宙に舞う。その袋のひもを引いたのは、カジモドよろしくさっきから天井にはいつくばっていたロシア人だ。

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 中央アジアと言うと我々は、ずいぶん貧しいところなのだろう、今でも遊牧生活をしているらしいなどと漠然と考えているけれど、ウズベキスタンの実態はもう開発途上国ではない立派な中進国で、都市に住んでいるのは中産階級の人達なのだ。だからアフガニスタンやその南の方からタシケントにやってきた外国人は、その整然とした街並みと貧民があまり見えないことに驚く。

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 タシケントにはボーリング場がいくつもあって、中は若者でいっぱいだ(これは2002年頃の情景)。入り口では顔の形が崩れたマフィア風のロシア人が見張り、カウンターの女の子もロシア人で、プレーをするのはウズベク人だ。ボーリングは日本では、六十年代の末にブームだった。あの頃の我々の生活水準が今よりはるかに劣っていたとは思わないが、考えてみれば僕の初任給も当時のレ  ―トで七十ドルしかなく今のウズベキスタンと大同小異だ。つまりタシケントのウズベク人の生活の実感は、六十年代の日本人のそれとそれ程変わらないのかもしれない。

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 地方の都市に行ってみても、最果ての地に来たというようなことはなく、例えばアメリカなら中西部のちょっとした町くらいの近代的な体裁を十分に持っている。ウズベキスタンの西部の中心ヌークスまでは、タシケントから飛行機で二時間程かかる。この間は殆どが砂漠で、砂漠というのは人を陸地に飽食した思いにさせるものだが、ヌークスに近づくとアム川の流れ、そして緑が目に飛び込んでくる。そして規則正しく四角に区切られた水田が眼下いっぱいに広がり、水の張っていない田は吹き出た塩分で真っ白になっていたりする。アラル海にもう近いこのあたり、世界地図で眺めれば最果ての秘境としか思えないが、きちんと開発されていて、ヌ  クスは工場や団地や操車場を備えた大きな近代都市だ。ここには何と、ソ連アヴァンギャルド美術の大コレクションがひっそりと眠っている。

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 昔三蔵法師はサマルカンド、ブハラを経て岩山を越え、テルメス経由でアフガニスタン、パキスタン、そしてインドと旅をした。そのテルメスも大きな近代都市で、周囲には豊かな農村が広がる。麦畑がなだらかな起伏を見せながら地平まで続き、その彼方には雪を頂く山脈が屏風のように聳える。畑の周囲の水路には桑の並木が影を落とし、入道雲の浮かぶ湖の岸辺では馬が草を食んでいる。白壁の農家はどれも手入れが行き届き、農民の服装はタシケント近在の農民より良く、農家の周囲の私有の畑には様々の野菜がびっしりと植えてある。まるでヨーロッパの農村に来た趣がある。

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 でももちろん、うまくいってないところもある。タシケントの東、アングレンという工業都市は、ソ連時代は金、石炭、発電、そしてゴムの生産で栄えたが、2002年の今は不振で白人のエンジニア、労働者が去った後のアパートが窓枠やガラスまで盗まれコンクリートだけの残骸をさらしていたりする。

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 フェルガナは関東六県にも匹敵する面積の、豊かな農業地帯で、地平まで続く畑にポプラの並木が梢を風に揺らせ、牛や馬の傍らを日焼けした農夫がチュベチェイカというあの黒っぽい縁なし帽子を頭にのせて歩いていく、長閑な景色が広がっているが、ここでも水がなくて農業ができなかったり、反対に地下水位が上がりすぎて地下の塩分を地表に吸い上げたり、農家の庭先を水浸しにしたりといった問題は沢山ある。

(続く)

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