(北九州の古代つながりは随分行ったので、その中で落ちていた高千穂について)
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2022年5月の連休(と言っても、筆者は365日年中連休なのだが)、九州の高千穂に初めて行ってきた。一日で東京郊外から高千穂まで行くのは結構大変で、延岡から高千穂まではタクシーで行く羽目になってしまった。
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高千穂というのは、霧たちこめる高山のてっぺん、マチュピチュのようなところかと思っていったら、そうでもなくて、山は山でもここは古来、有明平野から大分方面に抜ける峠道の宿場なのだそうだ。たたずまいは箱根の湯元あたりに似て、町になっている。
その街の中心から10分ほど坂を下ると、よくポスターなどで見る、神秘的そのものの高千穂渓谷に出る。この渓谷はポスター通りの素晴らしい景観なのだが、けっこう小ぶりではある。
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で、この高千穂(老舗高千穂と名づけることにする)に神々が降臨したかと言うと、文書に残る証拠はない。ここの他にも高千穂を名乗るところは九州に数か所ある。そのうち霧島の高千穂峰は、老舗高千穂の住民に言わせると、明治になってから「指定された」もの。もう一つ、考古学者の故原田大六氏が主張している、九州北部にあった奴国から伊都国への権力移行が天孫降臨で、高千穂もこのあたりにある(平原弥生古墳)という説も捨てがたい。
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ここの老舗高千穂について考えられることは、大陸、あるいは朝鮮半島からやってきて有明平野に居を構えていた勢力が、近畿方面の制覇をめざして九州東岸に移動する時、この高千穂を通った可能性がある、ということ程度。現にここから東に90キロほど行った海岸にある大御神社には、高千穂に降臨したあとの瓊瓊杵尊(ニニギのみこ)が海を眺めにやってきたとか、東征途上の神武天皇一行が立ち寄ったとか、神武天皇の兄、三毛入野命が高千穂神社に詣でたという言い伝えがある。また北東に90キロほど行った宇佐神宮にも、神武天皇一行が東征の途上滞在したという言い伝えが残っている。
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延岡・由布岳・別府
延岡は通っただけだが、面白かった。タクシー運転手から取材すると、ここはまったく旭化成とその関連企業の城下町。水資源も全部抑えているのだそうだ。別に悪い話ではない。筆者の自宅も旭化成。ヘーベリアンハウス。
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そして次の日、湯布院近くの由布岳のふもと、塚原高原の熊谷牧場にある恵里菜というペンションに泊まった。由布岳と高原を見渡す絶景。部屋は二階作りで、「あっちの部屋」、「こっちの部屋」という二室、そして離れの一軒家しかない。露天風呂もあった。
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三日目は別府に立ち寄った。ここに来たのは50年以上前。大学のオーケストラで夏休みの演奏旅行に寄った時だ。湯気がたちこめる中、木造旅館の並ぶ温泉町だったが、これが今では瀟洒な白いホテル、マンション類が立ち並ぶリゾートになっている。
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小高い丘から見下ろすと、別府湾は右側に円錐形の山が海に突き出し、リオデジャネイロのコパカバーナと瓜二つ。真っ青な海。地中海的な陽光と白い家。今ちょうど、マルタ・アルゲリッチが恒例の別府アルゲリッチ音楽祭の締めのコンサートをしようという時。彼女が20年以上も、ほぼ毎年ここに数週間も滞在して飽きないのは、ピアニストの伊藤京子など関係の人たちとの友情と、温泉と青い海の魅力がなせるわざなのだろう。国東半島(ここもまた古代文字とか、いくつかの面白い史蹟がある)には杵築、豊後高田のような江戸時代の街並みも残っている。




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