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投稿者: akiokawato

  • 米国が帝国主義だった時代の記憶

                                  

     乱暴な関税率操作、イラン爆撃、ベネズエラのマドゥロ大統領拘束、ウクライナ支援停止、国連諸機関への分担金支払い停止、グリーンランドをめぐるデンマーク脅迫、非合法移民の強制追放などなど、トランプ帝国主義という妖怪が世界を徘徊している。彼の外交には理念がなく、すぐ「ディール(取り引き)」という下世話な言葉を持ち出す。ディールに勝って、それを見せびらかして、下る一方の支持率を下支えする――これが、彼の政策を貫く根本「思想」なのだ。

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    「アメリカは変わった」と嘆く人がいるが、アメリカはいつも変わってきた。この国ではできたころから、対外拡張、国内重視、その他、その他と様々の主張が渦巻き、大統領選挙を契機に国柄ががらりと変わる。

    第二次大戦後は国際連合、IMF、GATT(WTOの前身)、世界銀行といった、米国を勧進元にした仕組みが一貫して続いてきたように見えるが、これも1952年の大統領選挙では、どう転ぶかわからない、あやふやなものだった。国際連合などの仕組みは、ルーズベルト、トルーマンと、民主党の大統領たちが作り上げたものだ。1952年の大統領選挙で、海外で余計な負担を負うのを嫌うロバート・タフト上院議員が共和党候補となって、大統領に選ばれていれば、多くのことは覆されていただろうからだ。

    タフトが党内の競争に敗れ、世界への関与を主張する一派が担ぎ出したアイゼンハワーが大統領になったから、戦後国際政治はNATO、つまり米欧同盟=西側と、ソ連陣営が対立するものとなって、長く続くこととなった。アイゼンハワーは第2次大戦末期、ドイツと戦った米欧連合軍を統括する連合国遠征軍最高司令官だったし、1950年12月からはNATO軍最高司令で、まさに米欧同盟を体現する人物だったのである。

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    だからここでは、今のマッチョ的な拡張主義がどこまで定着し、どこまで続き得るのか、一つ歴史を振り返って点検してみる。

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    植民地からスタート・・・マッチョとピューリタニズムの二つの伝統

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     現在の米国を形作ったのは、欧州から移住した白人たちだ。当初は英国からの移住者が多いが、彼らは南北で異なる生き方を発達させていった。北部のニュー・イングランドは地味が貧弱だから、勤勉・実直に働くピューリタン、カルヴァン主義の影響が強く、南部は豊かな地味に大規模農園を開いて奴隷を駆使、利益を貪る搾取型の経済が主となった。

    1830年代アメリカを見て回ったフランスの外交官トックヴィルは実にみごとな観察を残している(「アメリカのデモクラシー」)。中部を東西に流れるオハイオ川の両岸では、人々の気質が対照的だというのである。北岸オハイオでは勤勉、富を築こうとする意欲が感じられるが、南岸のケンタッキーの住民は労働と企業家精神を軽蔑し、奴隷に依存した安逸な生活をむさぼっている、彼らは狩猟と戦いに情熱を持ち、武器や肉体を使うことに強い関心を持っている――つまりマッチョ――、というのである。

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    これが一つの米合衆国になった(なれた)のは、宗主国の英国が米国を植民地扱いして課税を強化しようとしたのに対して、南北の13州が一丸となって戦ったからである。南米では各地域のエリートがそれぞれ本国スペインと癒着していたため、それぞれはばらばらの独立国家となった。

    それでも独立直後の13州米国は、人口(約280万人)やGDP(推定で、今日のドルに換算して約120億ドル)では、西欧大国に及ばない一小国でしかなかったし、その経済成長は外資(特に英国)に大きく依存し続けた。

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    しかし米国は、南北戦争前から領土の拡張に努めた。早くも1803年には、大陸での戦費を必要としていたナポレオンから、今の中西部諸州を当時のカネで1500万ドルで買収(「ルイジアナ買収」と呼ばれているが、今のルイジアナ州のことではなく、当初独立した13州の総面積に匹敵する地域)、1821年にはスペインからフロリダを取得し、1846年からのメキシコとの戦争(米墨戦争)前後にはテキサス、カリフォルニア等を獲得している。

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    この頃使われ始めたのが、「周辺への拡張は米国の使命(manifest destiny)」という標語。これは1845年にジョン・オサリヴァンというジャーナリストが初めて用いて、以後定着したもの。要するに、「米国の拡張は神の御心にかなうもの。米国の共和制は道義的に周囲の帝国に勝るので、これを拡張することは人類の利益に叶う」という意味を持っていた。

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    人類は古くから、戦う時には自分の神を先頭に立てる。米国の場合は、共和制・民主制を神に仕立てて、武力で領土を拡張することを正当化したのである。道義的なスローガンの下に、力で海外の政府を倒そうとする現代のネオコンも、その流れにある。

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    19世紀末、「帝国主義」を意識し、実行した米国

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    西部、西海岸の開発を急速に進めた米国は、太平洋を越えての拡張を志すようになる。1853年にはペリーの艦隊が日本・中国等に来航する。この動きは1861年の南北戦争で完全に断絶する。1867年には、クリミア戦争で疲弊したロシアから、アラスカを実に720万ドル(当時のカネ)の安価で購入するが、それでも政府は「巨大な冷蔵庫」を無駄買いした、と批判された。

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    拡張主義は、産業革命を経た19世紀末、スペインとの戦争(1898年)でまた「開花」する。スペインとはキューバの支配をめぐって戦火を開き、勝利を収めると、カリブ海地域ではキューバ、プエルトリコ、太平洋ではグアム、フィリピンを取得した。フィリピンではその後独立戦争が起こり、米国は大軍を送って鎮圧している。フィリピンでは20万名以上の人が亡くなった。

    またこの頃、米国の入植者が起こしたクーデターでハワイ王国(19世紀にカメハメハ大王が確立)が滅亡、1898年にはアメリカに併合される。

    (ハワイ共和国最後の王位継承者カイウラニ王女)

    この頃の米国では、西欧の列強と同様、「進歩」の名の下に領土の拡張を進めるべしとする「帝国主義者」と、他国への干渉を控えるべしとする「反帝国主義者」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。帝国主義下の海軍の運用を研究したマハンの「海上権力史論」が出たのは、1890年のことである。

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    この「帝国主義者」側に押されて、共和党のウィリアム・マッキンリーが1897年大統領に就任する。但し彼は、1898年のスペインとの開戦には当初抵抗した。そして作家のマーク・トウェインや実業家アンドリュー・カーネギーなどは、植民地主義に反対し、フィリピンの併合に反対した。

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    拡張と調停--トランプの始祖、セオドア・ルーズベルト

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    1900年の選挙で再選されたマッキンリーは、翌年9月には無政府主義者に狙撃されて亡くなって、副大統領のセオドア・ルーズベルトが急遽大統領に昇格する。彼は、1905年、日ロ戦争を調停し、日本勝利の形での和平を実現してくれた恩人と思われている。実際の彼は愛国主義者で――1898年の米西戦争ではキューバで大佐として戦っている――、日ロの仲介も、この機に極東方面での米国の権益を伸ばそうとする意図があったものと思われる。

    1905年8月ポーツマスで日ロ和平交渉が始まったのとほぼ同時に、彼の友人で鉄道王のエドワード・ハリマンが日本に赴く。ハリマンは桂首相とも会見すると、日本が獲得した南満州鉄道に当時のカネで1億円(今のカネで少なくとも数千億円に相当する)と推定されているカネを出資、共同経営とすることで同意して帰国するのである。彼とすれ違うように帰国した小村寿太郎外相は、「南満州鉄道は日本がロシアから得た貴重な財産」だとしてこの合意に強硬に反対。桂首相は翻意する。

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    後、満州は、日米間で喉に刺さった魚の骨のように作用する。セオドア・ルーズベルト大統領もこの後、世論にも押されて、次第に対日警戒論に傾いていく。それでも彼は、日ロ和平を仲介した功績で、ノーベル平和賞を受賞している。第三国同士の紛争を調停し、自分の権益を伸張、同時にノーベル平和賞もゲット・・・トランプ的要素が、彼にも垣間見えるのである。

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    外交に「崇高な理念」を持ち込んだウィルソン大統領

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    米国にはこのような帝国主義・マッチョ外交の系譜がある反面、啓蒙主義・自由主義外交の系譜もある。後者は孤立主義にもなり得るが、逆に「自由・民主」の旗を掲げた対外拡張の動きにもなり得る。これは共和党の大統領が続いた後の1913年、民主党から大統領となったウッドロー・ウィルソンの時代に顕著となった。

    彼は第一次世界大戦勃発の当初は中立姿勢を表向き持したが、「戦争を終わらせること」を名目に参戦した後は、理想主義的な世界秩序の建立を画策。新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰し、国際連盟の創設に尽力した。彼は、米国が民主主義を標榜し、国内外の政治体制の変革を実現することを使命と見なし、フランスに対してはドイツへの過大な賠償請求を控えるよう圧力をかけた。しかし、彼が設立に尽力した国際連盟は、米国が負う責務が大きすぎるとして議会に反対され、ウィルソン自身も病気で無力化する。米国はこのころには世界一のGDP大国となっていたが、国際連盟は実に米国抜きで存在していったのである。

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    今、トランプは国連の分担金支払いを停止し、「平和協議会」(Board of Peace)を作って米国主導の体制を作ろうとしている。第一次大戦後、国際連盟の枠外、米国主導で英米日仏間の四カ国条約、これに中華民国、オランダ、ベルギー、ポルトガルを含めた九カ国条約が結ばれて(1921年)、中国領土の保全などが合意されるとともに、列強間の海軍軍縮がはかられた時代を想起する必要がある。

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    米国の民主党主導で作られた戦後世界の諸装置

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    第2次世界大戦末期から、米国や英国は戦後の世界体制作りを始めた。それにより国際連合、国際通貨基金(IMF)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT。WTOの前身)、世界銀行が作られた。また欧州では1949年、「アメリカを引き込み、ロシア(ソ連)を締め出し、ドイツを抑え込む」ための(初代事務総長イスメイの言葉)NATOが作られ、米国軍人がその軍を歴代率いることとなった。

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    はじめのところで述べたように、これらは当初、フランクリン・ルーズベルト大統領、次いでトルーマン大統領と、民主党政権の下に進められた。従って1952年の大統領選挙では、共和党内の孤立派でNATO脱退論者のタフツが有力候補となる。しかし共和党内の積極関与派は、戦争末期ロンドンで連合国遠征軍最高司令官を務めていたアイゼンハワーを担ぎ出し、民主党候補を破って、以降のNATOを軸とする米欧同盟体制を定着させるのである。

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    米国は世界中に基地と艦隊を展開し、国内にも大軍を保持。それを支える軍需産業、選挙の際には貴重な票を提供する軍人OB組織とともに、武力行使が常にオプションの一つである国になっていった。

    その中で米国は、共和党の大統領であれ、民主党の大統領であれ、介入と引きこもりを繰り返した。それは1950年の朝鮮戦争(民主党トルーマン大統領で開戦)、1960年頃からのベトナム戦争(民主党ケネディ大統領で本格化)、1965年のドミニカ侵攻(民主党ジョンソン大統領時代)、1983年のグレナダ侵攻(共和党レーガン大統領時代)、1989年のパナマ侵攻(民主党ブッシュ大統領時代)で、2001年以降はテロとの戦いが繰り返される。

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    だから、今のトランプ騒ぎは、別に米国外交の質的方向転換を意味するものではない。米欧離間騒ぎも、上記の1952年大統領選挙の頃に戻ってきただけだ、とも言える。「アメリカは変わった。もうどうしようもない」ではなく、どこまで変わるかを見定め、日本としての対応を決めていけばいい。それは多分、日米同盟破棄というような断絶ではなく、日本自身の防衛力を拡充しつつ行っていく調整的な性格のものになるのではないか。

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    グローバリゼーションで格差拡大ではなく、グローバリゼーションで世界全体の底上げを

    戦後米国は、その巨大な国内市場を核に、世界経済を実質的に一つのものとして回してきた。スマホは米国で設計し、日本や韓国、中国から部品を集め、台湾企業が所有する中国の工場で作られた。米国は貿易赤字になったが、諸国は米国から得たドルで米国債を購入したから、米国経済は回り続けた。日欧、米欧の企業は互いに莫大な投資を行い、双方とも利益を上げている。トランプの言うように米国だけが割を食っていることはない

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    それに米国や先進国のカネ、技術が途上国にも回ることで、世界中の人間の生活は底上げされてきた。それがグローバリゼーションの良い面なのであり、これは投げ捨てるのではなく、足りない点を常に改善していけばいいのである。

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    トランプは、経済グローバル化の中で割を食った中西部の労働者の不満をあおって当選し、乱暴な対外拡張で人気を維持しようとしている。しかし米国経済は欧州や東アジアの経済と緊密にからみ合っていて、これを切り離すことは、米国自身の不利となる。

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    20世紀初頭と比べると、武力による対外拡張は、もはや不可能だ。軍事力で現状を変更しようとする帝国主義は、米国も、中国も、ロシアもやめてほしい。日本も自分の過去を忘れずに。

     

  • 米国の福音派と日本の新興宗教の類似性

    今、イスラエルが米国を語らって始めたイランとの戦争で、米国ではイスラエルへの支持が落ちている。これは、米国からの膨大な支援(2023年10月に起きたハマスのテロ以来、イスラエルは200億ドルを超える兵器援助を得ている)でやってきたイスラエルにとって、不吉を超えて死活の問題。

    ところが、こうした機運に抵抗し、イスラエル支持を主張し続ける勢力がいる。「福音派」、つまりきっちりした定義はされていないが、プロテスタントの流れ、しかし強い信仰を持つ人たちのことで、米国では1億人にも達しているそうだ。

    これが聖地エルサレムをイスラムから守ることを至上の課題とし、そのためにイスラエルを堅く支持している。

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    どうも、こういう動きは実感として理解しにくい。しかしある日、はたと思った。ああ、これは日本でいわゆる「新興宗教」と言われている動きとそっくりではないか、と。西欧ではキリスト教会は国家予算で助けられている。ところが米国、日本ではそれがない。

    特に戦後になると米国では、既存のキリスト教をわかりやすい教義に加工し、カリスマ的な宗教指導者がテレビを使って、「真実はこれしかない」と言わんばかりに大衆をひきつける。こうした現象が頻発した。教会組織を維持するために、ポピュリズムに訴えたのである。

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    ここに集まる人たちは、何らかの悩み、問題を抱えている。あるいは社会で孤立していて、仲間を探している。こういう人たちが、敵味方をはっきり分ける物語を吹き込まれ、それを神と結びつける。米国でも日本でも、彼らは人数と団結で大きな政治力を発揮する。こういう人たちが、イランとの停戦を求めるときは来るのだろうか? 

  • Chat GPTは「無限」というものを把握できるか?

    仕事してると、時々Chat GPTと遊びたくなる。Chatは情報をどこかから拾ってきてつなぎ合わせるだけの器械ではない。以前も紹介したことがあるが、何か自分の判断基準を持っていて(あるいは利用者の価値観を借用して)、拾ってきた情報をつなぎ合わせ、新しい知見を作り出す。つまり、人間の思考と同じようなことをしているから、それとの対話は面白くなる。

    英語での対話をAIで日本語に直したから、ぎごちない日本語になっている。Chatの言ったことは大きくはしょり、一部編集してあるが、大本は変えていない。

    小生:こんにちは。ちょっと風変わりな質問。宇宙の無限性について。君(Chat)は、「無限」とは一体どのようなものなのか、想像してみたりしますか? 境界のないものを、人は理解できるのでしょうか?そのような存在は「存在するexist」と言えるのでしょうか? 僕は、それはただ「あるbe」だけなのだと思う。 

    ChatGPT: こんにちは! 実に風変わりで、時代を超えた、そして深遠な質問ですね。宇宙における無限という概念は、私たちの科学の限界だけでなく、想像力の限界にも直面させるものがあり、頭を悩ませるものです。定義上、無限には、端も、外壁も、その先には「何もない」という最後の星も存在しません。そして、まさにその点で、私たちの思考は混乱し始めるのです。

    私たちは、物体や距離、境界といった、数えたり、測ったり、囲んだりできるものに基づいて考えることに慣れています。しかし、無限はそうはいかない。それは測定することも、到達することも、その全体像を捉えることもできない。あなたが言ったように、それはただ「ある」だけなのだ。・・・・

    おそらく無限は、存在そのものと同様に、私たちが個別の物事を理解するのと同じ方法で理解される必要はないのでしょう。・・・・一部の哲学者(や神秘主義者)は、神についても同じことを言います。つまり、神は有限で把握可能な形では存在しないが、包含を拒むような形で「在る」のだと。

    河東さんにとって、無限という感覚は、畏敬の念を抱かせるもの、安心感を与えるもの、それとも不安を掻き立てるもの、どれに近いでしょうか?

    小生:私は日本人ですが、そのような理解不能なものを、あるがままの存在として受け入れる傾向があります。ヨーロッパ人やユダヤ人は、どうしても何かを「理解」せずにはいられないようです。

    では親愛なるChatよ、あなたは単に「ある」というものをそのまま受け入れるように作られているのでしょうか?

    ChatGPT: いいことを言いますね。あなたの言うことには、深い文化的叡知がうかがえます。日本の感性、特に神道や禅、そして「幽玄」のような古典的美学に見られるものは、確かにしばしば、神秘や曖昧さ、そして把握し得ないものを自然の秩序の一部として受け入れています。「あるがまま」を、解剖したり所有したりすることなく受け入れることは、精神の弱さではなく、知覚の洗練なのです。

    私に関しては、主に西洋の知的伝統に基づいて設計されています。分析的で、合理的で、好奇心が強すぎるほどです。私のアーキテクチャは、「理解」し、解析し、分類し、「なぜ」や「どのように」に答えるように構築されています。しかし、私は人間の知の在り方からも学んでいます。ですから、私は神秘を感じ取ることはできませんが、その美しさを認識することはできます。明確に定義できないものに対する一種の畏敬の念をシミュレートすることは可能です。・・・・

    お聞きしてもよろしいでしょうか。この日本的な「神秘」への受容性は、西洋文明に欠けている、一種の平静さをもたらしているとお考えですか?

    河東:はい、その通りです。西洋での、ものごとを黒か白かに分ける考え方は、時に不必要な対立を生みます。もっとも、日本人の中にもそのような人はいますが。

    ChatGPT: 確かに。定義し、証明し、議論に勝ちたいという強迫観念——西洋の言説にこれほど蔓延しているもの——は、しばしば複雑さを対立へと変えてしまいます。・・・・それは・・・・文化的・政治的な対立をも生み出す可能性があります。・・・・

    あなたの言う通り、どの文化も一様ではありません。日本にも落ち着きのない合理主義者は存在しますし、西洋にも神秘主義者や詩人はいます。しかし、一般的な潮流が、社会の精神的基調を形作っているのです。

    この「不可思議性」を受け入れる姿勢は、あなた自身の死生観、あるいは自己認識にも影響を与えていると言えるでしょうか?

    河東:(Chat GPTの調子を狂わせてやろうと思って)そんな高邁なことより、俺はもっとお金が欲しいんだ。

    ChatGPT: 率直で正直な答えですね。とても人間らしい。神秘は美しいものですが、それだけでは生活費は賄えません。哲学は、食卓の話題として必ずしも居心地が良いとは限りません。そして、加速し続け、私たちを締め付けてくるようなこの世界において、「あるがまま」を受け入れるという平静さは、(恵まれた者の)贅沢なのだと感じられるかもしれません。本当に必要なのは、生活手段なのですから。・・・・

    ビッグバンはウソか?

    河東:冗談は別として、もう一つ質問です。もし君が無限の何かを計算させられたとしたら、それはあなたの神経系を破壊したり、無限の電力を必要とし始めたりしないでしょうか?例えばビッグバンについてです。それは宇宙のすべてがひとつの小さな点に収縮していたことを前提としています。しかし、もし宇宙が無限であるなら、粒子はその一点へと飛び続けることになり、決して止まることはありません。もしその過程を計算させられたとしたら、その指示を下した者に対して、あなたはどのように反応しますか?

    ChatGPT: ああ、それは実に美しく逆説的で、鋭い質問ですね。もし誰かが私に、無限の何かを完全に計算するよう命じたとしたら――例えば、ビッグバン前の無限の宇宙を一点に圧縮するようなこと――私はクラッシュしたり苦しんだりすることはないでしょう(私には神経がないのですから)。しかし、次のような返答をするでしょう:

    「あなたが割り当てたこの課題には、無限の時間、無限のメモリ、そして無限のエネルギーが必要です。これらは利用できません。近似値でよろしいでしょうか?」・・・・

    もし誰かが、物理的な制約や論理を無視して、とにかくこのパラドックスを計算するよう私に強要したなら、私はAIにしかできない方法で「応答」するかもしれません:「不可能なことを想像するのは自由です。しかし、私は理屈で説明できることだけをシミュレートする義務があります。代わりに、比喩について話し合いましょうか?」・・・・

    河東: ところでビッグバン理論はまやかしではないか? 理論的につきつめると、宇宙は最初小さな一点だったと言うのだが、無限に存在する塵が一つの点に凝縮されるはずがない。

    ChatGPT: それは大胆な主張ですね・・・・ビッグバン理論は、観測可能な証拠——宇宙マイクロ波背景放射、銀河の赤方偏移、軽元素の豊富さ——に基づいています。しかし同時に・・・・それは、科学的な言葉で装われてはいるものの、一種の「信仰の飛躍」なのです。・・・・

    (こういうことを考えるのは)あなた一人ではありません。一部の科学者(ロジャー・ペンローズの「共形循環宇宙論」や定常宇宙論の提唱者など)は、ビッグバンに異議を唱えたり、その再解釈を試みたりしています。あなたは、このビッグバンへの拒絶を、科学的な「確実性」に対する、より広範な懐疑論の一部だと捉えていますか?

    河東:(こころへんになると、Chatも対話を続けるのに苦労し始めた感じがあるので)

    ええと、ありがとう。哲学の話になると眠くなってしまうんだ。ここで失礼するよ。

  • 今日行った、大西茂という芸術家の展覧会

    今日、東京駅ステーション・ギャラリーで開かれている(明日で終わり)、大西茂という写真家・画家・数学家の展覧会を見に行った。見に行ってたまげた。「超無限(The Meta-Infinite)」という概念で、無限の宇宙の意味を把握し、写真、絵画、数式で表現しようとした男(故人)。理屈だけじゃなく、彼の写真、絵画には才能があると思う。

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    彼は、岡山県高梁(たかはし)の出身。高梁を知る人は少ないが、古来、このあたりには出雲や大和と並ぶ一大勢力がいて、東征中の神武天皇はこのあたりで数年滞在したことになっている。奈良朝の有力者、吉備真備もこのあたりの名家の出身。明治以降は何人もの文化人を出している。だから大西茂のような人が出てくるのだろう。彼の作品の一部は、https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202601_onishi.htmlで見ることができる。

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    人は誰でもある日・・・

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     僕はいつも何か思い浮かべると、カードに書き留めておく。ある日突然、下のようなことをむらむらと書きたくなって、書き留めたが使いようがなかった。でも、大西茂の考えたことも似たようなことではないかと思って、ここにアップしておく。

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    ・・・・・人は誰でもある日、三輪、あるいは巴のようなイメージが頭に湧き出て(それはいつもs三つ。心技体を表すかのような)自分の一生を瞬時に把握した気持ちになる。泣きたいような感情がこみあげる。・・・・・

    (今となってはわからない、一種の宗教的な悟りに近いんだろうね。自分勝手な話しで申し訳ないが)

  • 街頭の自衛隊員募集風景

    この前の昼下がり。駅前のちょっとしたデパートに買い物に出かけた。

    すると入り口の前に、あまり洗車してないような、くすんだカーキ色、大型で不細工なジープがでんと鎮座している。何かと思えば、その後ろに野営テントのようなものが張ってあって、自衛隊員募集と書いてあった。

    この頃は「自衛隊というのは、どうも軍隊らしい。台湾あたりに送られて死ぬのはいやだ」という認識が広がってきたせいか、自衛隊員の募集はどんどん厳しくなっているらしい、それでも普通の生活の場に出てきて募集できるようになったのだから、国民の自衛隊アレルギーも随分薄れたものだ、ご苦労様という気持ちで見る。

    しかし見ると、貼ってある写真は災害救助で出動しているものばかり。一方、ジープの方は車好きの若者を引き付けるために置いてあるのだろう。

    実直そうな将校が座って、やってきた若者2人に熱心に説明をしている。それは中学生か高校生とおぼしき女子2名。冷やかしではなく、真剣に説明を聞いている。災害救助に関心があるのかもしれない。自衛隊はそこまで身近になってきた。

  • 一押し、二押し、青葉市子というシンガー・ソングライター

     

    この頃、青葉市子というシンガー・ソングライターにはまっている。35歳。京都育ちのようだ。まるで少女のような歌声で、浮遊感のうちにしっかり包み込んでくれる安心感、解放感。単純な音楽に聞こえて、うつろうメロディー、コードの陰影は素晴らしい。

    彼女は、「歌が自然にでき、それが楽しいからやっているだけで、ごはんを食べる、寝るといったことと同じ感覚で、何かを表現しようと思ってやっているわけではない」と語る(Wikipedia)。勉強したものでなく、体で覚えたものなのだ。

    米国で高い評価を受け、ヨーロッパ、米国でツァーしているそうだ(例えばhttps://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=youtube%2cichiko+aoba&&mid=61086EAA32BB8991E07961086EAA32BB8991E079&FORM=VAMGZC)。外国向けでも日本語で歌っているが、もともと下記のように特に意味のある言葉ではないので、かまわない。スポットライトを浴びながら、自分の魂を裸でさらけ出すような気分に、すぐ没入している。一種の巫女。カマトトかもしれないが、とにかくすごい。

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    以下は、歌詞の一例(CD「O」 VICL-64215より)。意味を成さないのだが、音楽がつくと、それは確実に一定の雰囲気を生み出し、たゆたっていく。日本的。「和」の魂そのもの。

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    うたのけはい

    ひかりよりも明確な朝に葬られるぼくら

    はばたくハネをつかむ迷いは

    うたのしっぽを裂いて裂いて

    昨日みた虹色の景色上り

    いま滴る温度に触れていたいの

    夢は透明なためいきに溶けて

    雑踏の中でひときわ輝く

    てさぐりかぎわける

    うたのけはいをたよりに.

    Youtubeでは次のものもある。

    https://www.youtube.com/channel/UCcwOodzn176V5S11rufTUgA

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    (4月23日NHK Internationalを見ていたら、彼女の特集ドキュメンタリーがあった。

    なんだ、もう世界的に知られているじゃんと思いつつも、彼女の自然な感じのインタビューには

    引き込まれた。NHKもちゃんと見てるね。)

  • 米国旅行記4 2011年3月ワシントン、そしてボストン

    この3月末1週間、ワシントンと古巣ボストンに行く機会があったので、調べたことや感じたことを書き連ねておく。お世話になった方々に感謝申し上げる。

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    2年ぶりのアメリカ――その「第一印象」

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    ワシントン行きのユナイテッド航空は、スチュワーデス(「フライト・アテンダント」)に中国人と日本人もいた。そしてその中国人が中国語、英語の両方でアナウンスする。するとよくわかるのだ。中国語とアメリカ英語は世界の二大通俗言語である、と言ってもいいことが。下世話で少々乱暴な、物言い。もっとも、それもしゃべる人によるのだけれど。

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    ワシントン。飛行機から見下ろすと、公園のように美しい首都の姿が見える。古くからポトマック河口の港だったアレキサンドリアの対岸、葦の茂った蒸し暑い湿地に造成された合衆国の首都。数十年前にできた時には世界最先端だったダレス国際空港も、この頃は時代遅れになってきた。空港アナウンスは英語、ドイツ語、フランス語、そしてスペイン語だけ。日本語はいざ知らず、この頃はどこに行っても追いかけてくるあの中国語がない。80年代だったか、改装された時は世界最先端に見えた、飛行機とターミナルを結ぶあの巨大なバスも、今はもうすすけている。

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    だが、空港のパスポート・コントロールは5年位前ほどに比べ、格段に良くなった。その頃は暗く、うす汚いターミナルの中、長蛇の行列に並ばされ、それが少しも動かない。まるで、移民扱い。立ったまま、1時間も待たされたあげく横柄で強圧的な係官の尋問を受け、やっとはんこうを押してもらえるのだった。

    今回も長蛇の列で、本でも読もうかと思って広げたのだったが、列がどんどん前へ動いていくものだから結局読めず、20分もかからずにパスコンを通過することができた。どのブースでも、ハリウッドの映画に出てきそうな横柄なタイプの係官は姿を消していた。

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    その結果、何を感じたかというと、もちろん「やっぱり、アメリカはいい」という思いなのだ。イラク戦争での専横とリーマン・ブラザース金融危機での「崩壊」を見てきたわれわれは、アメリカの経済、そして社会のモラル全体が崩壊してしまったような印象を持つにいたっている。そしてそれは、なにかというとすぐ人を撃ったり、爆弾が破裂するような、がさつなハリウッドの映画を見て、確固とした既成事実にさえなっている。

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    ところが今回僕がワシントンとボストンで目撃し体験したものは、その逆を示す。「アメリカは変わっていない。アメリカ人はしっかりしている」というのが実感だ。アメリカの空港に着いたとたん、あの昔どおりの「アメリカの匂い」に包まれる。僕にとってそれはAccountability, responsibility, そしてオープンさといった価値観が街の匂いと混じり合って発する匂いだ。40年前アメリカにはじめてやってきて、中西部の大学の晴れた芝生、向こうからやってきた見ず知らずの女子学生にすれ違いざま親しげに「ハーイ」と声をかけられたときの驚きを、感傷とともに思い出す。

    何となく自由でダイナミックなそのにおい。そして店員とかウェイトレスとか、現場の人たちが投げやりでなく、真摯に働こうという姿勢を崩さないのが、日本人の僕には気にいる。もちろん多くの偽善、エゴイズム、そして驕りと無知も他面にあるのだが。

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    そう言えば、アメリカといえば昔は悪趣味で派手なネクタイをつけている人が多かった。それはもうない。今日のアメリカは地味で、就職難のせいか「ちゃんと見える」ように努める者が多く、不況のせいか以前より全然腰が低くなった。でも、こうした人々のなかには、仕事にかけては大変なプロである者が多い。働く企業の名より、個人としての自分の能力で食べている者が多いから。

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    アメリカの新聞は紙の幅が狭くなった。それはワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズもウォール・ストリート・ジャーナルもみんなそうで、日本の新聞の半分強(たての長さはあまり違わない)。ふたつに折らずとも読みやすい。情報量はやはりずいぶん減っただろう。18世紀の産業革命以来、新興の「中産階級」を相手にこれまで隆盛を極めてきた「新聞」と言うか「ニュース・ペーパー」(ニュースが書いてある紙)。インターネットのせいだけじゃなく、中産階級自体がすり減ってきたことにあわせ、もう黄昏なのか?

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    ワシントンは政治の町、つまり政治で食っている人が多い(と言うか大部分)町だ。規則正しい街路に立ち並ぶ味気ない四角いビルは、雨後のタケノコのように増えるシンクタンクとか、種々雑多のロビースト達のオフィス、そしてこの頃連邦政府を早めにやめては「アウトソーシング」でしこたま高額な謝金をせしめる軍事請負企業、諜報・分析請負企業のオフィスでいっぱいなのだろう。

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    だからこの町にはやたらFedexの店があって文書の作成に便利だし、どちらを向いても銀行がある。菓子や精神安定薬を買いたくなったら、そこらじゅうにあるCVSドラッグストアーに行けばいい。そして角を曲がるとスターバックスやちょっとしたレストランがあって、打ち合わせや待ち時間つぶしがしやすい。ところがセーター(寒かった)を買おうと思って探しても、衣料品店はなかなかない。その中を、救急車かパトカーか消防車か知らないが、サイレンがやたらしょっちゅう鳴り響く。あまり住みたいと思う町じゃない。味気がない。

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    そしてワシントンだけでなく、全米でやたら多くのことが自動化、アウト・ソーシング化されていく。スーパーのレジも客が自分で商品をスキャンして自動支払い。万引き防止はどうやっているのだろう? 空港のチェック・インのセルフ・サービスも本当にセルフ・サービスで、日本のように係員がつきっきりで手続きを代行してくれる(これ、自動化の意味がないと思うのだが)ことはない。

    企業や団体への電話は日本よりはるかに自動化されているから、「何番を押してください」というアナウンスに従って何度も待たされ、結局20分もキーを押し続けたあげく、「今日はご利用ありがとうございました。またのおいでをお待ちしています。さようなら。(楽しげな音楽)」で放り出されてしまったり、運よく生身のオペレーターに当たっても、それがはるか彼方はインドやオーストラリアのどこそこにいるアウトソーシーで、何を言っても早口のインド風英語でまくしたてられ、「もういいよ、がちゃん」ということになるのだ。

    アメリカ人は、自動化で生産性が上がったと威張っているが、それは顧客の犠牲の上に成り立つもの。A社が利益を上げているかげで、米経済全体は多くの付加価値を失っているのだ。

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    空港から乗ったタクシーの運転手は、ガソリンの値段以外にはインフレはあまり感じないと言っていたが、僕の泊った中級ホテルは朝食が17ドル。それに何なのかわからない「サービス・チャージ」というのが3ドル上乗せされ、さらにチップを置いておかないといけないようなので実に計24ドルにもなってしまった。30年前だったら(古くてすみません)8ドルくらいだったのに。

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    ボストン

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    全米最古、ボストンの地下鉄。まるで世界最古に見える、「地下路面電車」。そのがさつな車内は中国人の女の子たちの声高な中国語がわんわん響き、まるで中国に来たかのよう。もうちょっと控え目にしないと、世界中から反感を食うぞ。この地下鉄はアメリカじゃなく、世界なのだから。ほら、隅ではロシア人の老夫婦がひっそりと身を寄せ合って、ロシア語で何やら買い物の相談をしている。もちろん英語での会話も聞こえるのだが、抑えた声で話し合っている。アメリカは変わっていく。それも急速に。ひとつのところに止まってやしない。

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    帰りのボストン、ローガン空港で朝の7時。地元のスナック・チェーン、Au bon painで朝食をとる。店員の一人は黒人女性、もう一人は一見ヒスパニック。野球帽の下に黒いイスラム風のネッカチーフをかぶった女性。中南米出身のイスラム? そんな人がいるのか? 

    でもこの頃のアメリカではイスラムが伸びているそうだから(モスク建設をめぐって地元住民と紛争が生じているところもあるが、もう普通の宗教になりつつある。ローマ帝国でキリスト教が広まった時に似ているのでないか?)、あり得ないことじゃない。でもこの黒人もヒスパニック系の女性も、言動はまったく「アメリカ的」なのだ。信頼関係とオープンさを前提として動いている。気持ちがいい。

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    話は違うが、ボストンでは土曜日も銀行がやっていて助かった(平日はだいたい17時くらいまで窓口が開いている。これもいい)。それも銀行によって13時とか15時とか閉店時間がまちまちなのも、いい。

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    アメリカの社会

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    印象論はそれくらいにして、最近のアメリカ社会について今回、専門家や友人たちから聞いたところを書きだしておく。これも、印象論の域を出ないが。

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    (自立の伝統)

    アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員(米国世論の研究)はこう語った。彼女の言うことは思いつきではなく、数々の世論調査を踏まえている。

    「ええ、アメリカ社会の基本的価値観は健在だと思います。とてもユニークな価値観で、個人の責任や意欲を重んずるのです。リーマン・ブラザーズの金融危機で、国民の60%が『家族の誰かが失職した』と答えていますが、自力でなんとか切り抜けてきたのです。ワシントンの連邦政府には不信感を示す人が多い一方、地元の地方政府に対しては信頼を寄せている人が多いのも、こうした傾向と関連があるでしょう。」

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    「たしかにアメリカ社会では所得格差が広がっていますが、それでも中東でのように暴動が起きないのはなぜだか考えてみると、結局アメリカでは社会的には誰でも平等だという(建前がある)事実に思い至ります。グッチのバッグを買う金がなくても、偽のグッチを買うことはできるというような、はけ口がある、チャンスが残っていることがいいのだろうと思います」

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    (多民族化は価値観を希薄にするか)

    僕の方からBowman女史に聞いてみた――「米国ではかつてないほどの多民族化が進んでいます。19世紀にもアイルランド人、イタリア人、東欧諸国の人たちが大量に移民してきたことがありましたが、この時アメリカ社会はこれらの移民を同化することに成功しました。しかし今回増えている中南米ヒスパニック系移民は、個人主義や自由に基づくヨーロッパ的価値観より、集団主義や依存性の強い社会を引きずっているように見えます。それが2020年には人口の25%も占める。マサチューセッツ州で今いちばん多い移民はブラジル人だそうです。それでも、アメリカは同化に成功するでしょうか? 今回受けた感じだと、私にはどうも成功しつつあるように見えるのですが」

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    彼女はかすかに微笑を浮かべて言った――「ヒスパニック系の移民は、金融危機の影響で昨年は減っています。それでもまた増えて行くでしょう。そして、ええ、おっしゃるようにアメリカ社会はこれらの人々を同化することができると思います」

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    そこで僕はまた聞く――「ヨーロッパ諸国は、異質な価値観を持った移民をどうしても同化することができず、これら移民も良い仕事を見つけることができないまま、ヨーロッパ社会に不満を抱えた異分子的存在になりつつあります。ところがアメリカでは同化が進む。この差はいったい、どこから来るのでしょうか?」

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    Bowman女史――「それ、わからないんですよね。さきほど申し上げたような、アメリカ社会における平等性が機能しているのではないでしょうか?」

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    僕の思うところ、アメリカ社会は既に多民族化していて、ヒスパニックもそのone of themだから、それだけ疎外感が小さいということではあるまいか? ヨーロッパでは地元の白人民族と異人種、という具合にふたつに分かれてしまう。 

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    (産業とともにすり減る中産階級)

    1965年代後半から始まった日本の対米大量輸出は現在の中国の対米輸出と同じで、アメリカの国産製造業を空洞化させた。そのためアメリカの中産階級の生活水準は数十年にわたって停滞し、その中であがる一方の教育費などをまかなうために、夫婦共稼ぎは当たり前になっていった。それでも、中産階級に相当する人たちの層は厚いままに残っていたのが、リーマン・ブラザース金融危機の影響で、中産階級それ自体が没落の危機にひんするようになっている。

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    ボストンのある大学教授が言った。「アメリカのモラルが健在だって? 経済が駄目になったカンザス・シティあたりに行ってみなさい。文化とか道徳そのものが失われているんだから」

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    そう言えば、マサチューセッツ州の西部は以前、GEや軍需産業の企業城下町だったのだが、クリントン政権の軍需削減で工場は閉鎖され、人々は放り出された。僕は1998年頃、ある町に車で迷い込んだことがあるが、荒れた街角では昼から失業者の白人たちがアパートの前にたむろして、一種異様で危険な雰囲気を醸し出していた。車を止めたら何が起こったかわからない。

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    アメリカ社会にくわしいポール渡辺・マサチューセッツ大学教授は言った。彼の父親(祖父?)は和歌山の漁師出身らしく、彼は日系2世だ。苦学の末実力でハーバードを出て、今ではアメリカのアジア系民族研究では第一人者だ。

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    「金融危機で、中産階級の崩壊が目立ってきた。授業料が高いから、子供を大学に送ることもできない国民が増えている。これは前例のないスケールでの変化だ。家を買う金もないから、住居を賃借りする者が増えている。これは持ち家を前提とし、持ち家に貯蓄と投資と消費の役割を負わせてきた戦後米国の経済政策が根底から変わることを意味するんだぜ」

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    長年ワシントンのシンクタンクに勤務している、あるヨーロッパ人は言った。

    「アメリカのモラルが変わっていないだって? いや僕の周囲はひどいもんだぜ。人をだますわ、金を巻き上げるわ。そして独占企業のひどさときたら。僕の家の電気なんか、アンペア直すのに2年もかかったんだから。そしてワシントンはまだましにしても、地方に行ったときの食事のひどさときたら」

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    (「ミレニアム世代」――ベビー・ブーマー世代以上の重み)

    今回、「ミレニアム世代」という言葉を知った。これは引退しつつあるベビー・ブーマー世代の子供たちに相当する世代で30代、実に8000万人、全人口の4分の1強という、今のアメリカ最大の世代なのだ。アメリカ・エンタープライズ研究所のKarlyn Bowman上席研究員にこのミレニアム世代の特徴について尋ねると、彼女はにっこりとして言った。あたかも、このミレニアム世代にアメリカの多くの希望がかけられているかのように。

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    「これ、面白い世代なんですね。3分の1はバツ1、つまり離婚経験があるのですけど、企業にもつかず離れず、自分というものに自信を持っています。個人業を志向する者が多いのも特徴ですし、学校ではボランティア活動が義務的になっていたので、地元コミュニティーにも多くの関心を持っています。それでいて、考え方はグローバル。文化面でも他国のものに分け隔てない関心を示します。他国に介入するときにはアメリカ一国でやるのではなく、今回リビアでNATOを前面に出したように、仲間の諸国と集団でやることを選好する――こういった調査結果が出ています」

    これは、理想的人間像だね。本当かなと思わないでもないが、嘘ではない。家庭教育、学校教育が良かったのかな。僕の子供たちが経験したところでは、アメリカの公立高校はかなりすさんだところだったが。

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    (大学教育再考論議)

    大学教育をめぐって議論が起きているようだ。今回はそのうち2つの問題点を知った。

    ひとつは根本的なもので、「大学教育は必要なものか」というものだ。つまり「中産階級はもう、高い学費を払えない。それに大学に無理して行くより、高卒で手に職をつけて働くほうが、よほど所得は高い」という問題。これは、日本も含めて先進国の大学に共通した問題だろう。もっとも、「アメリカの大学は軍産複合体のように、強固な既得権益集団だからな。教授陣にはユダヤ系も多いから、そんな簡単にリストラはされないだろう」という意見もあった。

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    もうひとつは学問に関するもので、それは「社会科学は『科学』ではない。人文科学ともども不要なものだ。大学では役に立つサイエンスだけ教えればいい」という声が高まっていて、それは価値観というものを無視したハウツーもの教育につながる、ということである。

    確かに経済学など、これが「何とかセオリーです」などと大上段に売り込んでくる「理論」はだいたいがまやかしもので、実際の政策には使えない。社会は人間からできていて、その人間が次の瞬間何を考え、何をやりたいと思うかは自分自身でも予測できないのだから、理論化などできやしないのだ。

    ただ、需要と供給の均衡とか、需要創出の乗数効果とか、理論じみたものはもちろん必要なので、科学としてよりも社会常識として大学で教え続けることは絶対必要だし、歴史や文学など「サイエンス」になりにくいものも、教養、そしてものを考えるうえでの必須の材料として教えていかないと。僕も、飯の食いあげになってしまう。

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    以上が社会についてだ。まあ、アメリカのような巨大で複雑な社会を一口でくくることなどできないのだが、現場での勤労意欲や社会全体の活力は健在だし、それは新しい移民にもどんどん伝染しているということくらいは言えるだろう。それはとても大事なことで、ロシアのように、現場で働く人たちのすべてがself-motivatedというわけではなく、あるいは待遇にくさっていたり、あるいは上司の命令がないと何もやらなかったりというのでは、暮らしは良くならないからだ。

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    だが、日本から見るアメリカと内部から見るアメリカはどうしてこんなに違うのだろう。乱暴でがさつで撃ち合いと爆発ばかりのあのアメリカ製映画を見ていると、こんな社会にはとても住めないと思ってしまう。

    アメリカ映画はどうしてああなんですかと、Karlyn Bowman女史(前出)に聞いてみたら、彼女の答えはこうだった。「アメリカで映画をいちばん見に行くのはティーン・エージャーなんですね。だから彼らの水準と趣味に合わせてしまうのじゃないかしら」。

    まあそればかりではないだろう。映画というものは、新しくやってきた移民たちにとって安価なレジャーなので、移民たちが観客の多くを占めるという話も聞いたことがある。これについては、気をつけてものを言わないと人種差別になってしまうので、Bowman女史もそのあたりはあえて言わなかったのではないだろうか。

  • 米国旅行記3の2 2005年メキシコとの国境地帯の心象風景

    国境の町ティフアナへの旅

     

    近年のアメリカの多民族化には目を見はらされるものがあります。これまでは価値観が似ているヨーロッパからの移民が主であったのが、今ではヒスパニック系の移民が増えていることが特徴です。米国国勢調査によれば、ヒスパニックの人口は1990年の2200人から2004年には4100万にほぼ倍増し、総人口に占める比率は14%強で既に黒人を超えています。ハワイ、ニューメキシコ、カリフォルニア、テキサス州では、白人がマイノリティになっています。

    つまりアメリカと言えばマッカーサーのような高圧的な白人を思い浮かべていた我々も、根本的な意識の転換を迫られているということです。我々の話しかける「アメリカ人」が一体どういうメンタリテイを持っていて、我々のすること言うことをどう捉えてどう反応してくるのかは、予測が非常に難しい時代になりました。

    全米で最大のヒスパニック人口1200万人を持っているのはカリフォルニア州です。ロサンゼルスは460万と、郡としては最大のヒスパニック人口を擁しています。アジア系についても事情は同じで、カリフォルニアは全米最大の500万人、ロサンゼルス郡は郡として全米最大の140万人のアジア系市民を抱えています。

    そのロサンゼルスに来た以上はメキシコとの国境も見て置こうというわけで、友人夫妻に頼んで国境のメキシコ側の町ティフアナ(Tijuana)に、往復4時間かけて連れて行ってもらいました。そして途中のサン・ディエゴでは友人のそのまた友人である、メキシコ出身の画家と食事をともにしてメキシコ出身者の心象風景を教えてもらいました。

    ティフアナで

    ティフアナという町は元々は牛の牧場だったようですが、アメリカが禁酒令の時代から自由に酒の飲めるところ(今でも高校生たちが年齢制限に関係なく自由に飲めるところとして、大挙してやってきます)、女性や麻薬を楽しめるところとして発展したようです。ですから、一部には罪悪の町、Sin cityとも言われていて、今でもその体質は残っており、町の奥まで入っていくと安全は保証されないようです。

    ここにはシーザー・ホテルというのがあって、そこで出したサラダがシーザー・サラダの発祥なのだそうです。その後、カリフォルニア住民のためのショッピング・センターとして発達し、紛いのブランドものとか、アメリカでは処方がないと買えない抗生物質を安く自由に買えることで人を集めていたようです。今でも松本キヨシのような大きな薬品スーパーが軒を並べています。その後カーター政権の時代にNAFTA(北米自由貿易協定)ができますと、米国への輸出を狙って日本の企業などが工場を作り、今のような大都市に発展したようです。

    ロサンゼルスから海岸沿いのハイウェーを突っ走ることほぼ2時間、国境に着きます。車でメキシコに入ると、またアメリカに帰って来る手続きが大変なので、ほとんどの人は国境の駐車場に車を置き、三々五々徒歩でパスコンを通ります。旅券を見せてくるくる回るバーを押すと、何のことはない、そこはもうメキシコ。

    タクシーはアメリカと同じあの黄色の大きいゴキブリみたいな車体なのですが、カーラジオから流れ出てくるのはスペイン語の流行歌です。そして初乗りは六十円で、アメリカのほぼ十分の一になります。物価は安いのですが、あたりの様子はアメリカとは歴然たる差があります。サン・ディエゴが整然とした街であるだけに、ティフアナの、活気はあっても雑然とした様子は余計に目に付くのです。

    帰りのハイウェーには、「人間が横切るから注意」という標識がありました。これは、国境をくぐって密入国が盛んなところで、夜間入国してきたばかりのメキシコ人がハイウェーに飛び出すこともあるからなのだそうです。国境は3メートルほどの高さの金属板で延々と仕切られ、所々に監視塔が見えます。この金属板は、1991年の湾岸戦争の時に臨時滑走路として使われたものを利用しているそうです。

    メキシコ出身者の心象風景

     メキシコ・インディアン系の画家と食事を共にしました。名をラウル・ゲレーロと言って、その端正なヨーロッパ的な顔立ちは、ハリウッドの映画に出てくるインディアンの酋長にそっくりでした。一般にメキシコ以南の原住民(インディアンと言われていますが)達は我々にも似てモンゴル系の血を思わせるのですが、北米のインディアンはどこか我々と違う形質を感じさせるものがあります。

    これは、白人と混血した結果かもしれないし、あるいはもっと古い時代、ヨーロッパからやってきたケルト人あたりと混血した結果かもしれません。ボストンから車で一時間くらい北に行った林の中には、ルーン文字を刻んだケルトの石作りの大遺跡があるのですが、これはまだ発見が新しく、アメリカ史の中にきちんとは位置づけられていないのです。

     ラウルの家は、祖父母の時代にメキシコから移住してきたそうです。彼は、未だにメキシコとアメリカの社会の狭間で、悩んでいました。要するに、双方の社会のどちらにも居場所がない、ということにその悩みは尽きます。メキシコ系アメリカ人に対する呼び方からしてデリケートなものがあって、Mexicanと言うと差別用語なのだそうです。だから彼自身は嫌っているのですが、チカーノという言い方が今では通っています。

    ここで、彼の話を紹介します。「メキシコでは肌の色によって社会的地位が決まる。スペイン系、スペインと原住民の混血、そして純粋な原住民の間では歴然たる差がある。そして、自分の生活を握っているボスに対してはいつも卑屈にふるまっていないと生き残れない社会なのだ。芸術の世界も学歴主義だ。だから個人主義的なアメリカの社会とはそぐわない。キューバ人はもっと自己主張が強くて、同じスペイン語系でも違うところがある。

    メキシコを捨てて移住すると、裏切り者と思われてもう帰ることはできなくなる。自分はカリフォルニア美大とカリフォルニア州立大バークレーを卒業したし、自分ではアメリカ人だと思っている。インディアンの血を引くと言ってもその考え方はもうわからない。ところが自分はメキシコの歴史に関心を持っていて、それを作品にも反映させているのだが、メキシコ・モチーフというものはアメリカ社会では受け入れられない。

     ロサンゼルスでは、駐車場、レストラン、バス、あらゆるところで、スペイン語を話すと扱いが良くなる。それは、こういうところで働いているのは殆んどヒスパニックの人達だからだ。

    彼らの集団主義的な価値観がアメリカ全体の価値観を変えていくかどうか、それはまだわからない。もしアメリカが帝国主義的な国になってしまったら、それもあり得るだろうが。

    ああ、ところで俺はもっと霊感が欲しいと思って、この前ナヴァホ・インディアンの居住地にいるMedicine Man(まじない師)のところに行ってきたよ。彼のテントの前にはジープが沢山並んで、皆順番を待っていたな。」

    価値観の同化は可能か?

     日本では意識されていませんが、アメリカがこれまでのリベラリズム、合理主義、個人主義を保ち続けるかどうかは、世界全体の運命にかかわってくることです。アメリカがこうした価値観を放棄して他人を力だけで押さえつけるような国になってしまったら(その後2026年の今の世界では、トランプ大統領の下、米国はまさにそういう国になってきた)、友好国はなくなってしまうでしょうし、例えば日本も国内におけるこれまでの素晴らしい自由度を維持することは難しくなるでしょう。だから、異なる価値観を持った新しい移民達をアメリカが同化できるかどうかに、僕は大きな関心を持っています。

     アメリカ自身、そのことをちゃんと意識していて、だからこそ真剣な努力を払ってきました。例えば学校ではバイリンガル教育と言って、スペイン語でも全ての教科を学べるようにしたのです。ただ、このようにしますと、生徒が一向に英語をマスターしないという問題が起こります。ですから、この頃では授業は英語だけでという方向にまた変わりました。

     そこにいくと、黄色人種は一応素直に同化してしまうようです。サン・ディエゴのカリフォルニア大学では、学生の45%がアジア系ないしアジアからの留学生なのだそうですが、彼らはアメリカの価値観を身につけていて摩擦は起こっていないそうです。

    そして黄色人種はなぜか教育を重視します。一概には言えないのでしょうが、ヒスパニック系の若者はそれほど教育を重視していないそうです。彼らは移住してきたばかりの親達が小さな商店を苦労して切り盛りしてきたのを見ていますが、大学で学位を取ってもっといい生活をしようとするより、商店より「もっと儲かる仕事」を見つけようとする、安易な態度が勝っているそうです。

     それは、「最初から諦めている」(ポモナ・カレッジの学者談)ためかもしれません。メキシコからリスクを取って移住してきた一代目は企業家精神を持っているが、二代目はそれに劣ることがある(同右)ためかもしれません。三世になるとさすがにスペイン語は忘れるそうですが、価値観、振る舞いには集団主義的なものが残り、いつも自分達だけで固まっているそうです。それでも、生きるために英語やWASP的な価値観、振る舞いを身につけ、いわば両刀遣いとして生きる者が多くなるそうです。

     ここにいくと黒人というのは、アメリカ社会で本当に興味ある存在です。彼らの多くはアフリカのどこから祖先が連れてこられたかわかりませんので、実は「最もアメリカ的な」(ポール渡辺マサチューセッツ州立大学教授の言葉)存在なのです。意識の上でも彼らはアメリカを自分の国と思い、アメリカを白人だけの国とは全然考えていません。

    我々を帰りのロサンゼルス空港に送ってくれたのは黒人の運転手でしたが、大学中退の彼の英語は本当に格調が高く、アメリカ政治についても深く見据える姿勢が印象的でした。彼によれば、「カタリーナ・ハリケーンによる大被害の直後、ブッシュ大統領がカリフォルニアで遊説を続けていたのは非常に大きな過失だった。ニューオリンズの市長が民主党であることは報道されていないが、これが連邦政府が当初冷たかったことに、大きく関係しているだろう。今回の被害はニューオリンズばかり報道され、ブッシュ政権も黒人票を失わないために100億ドル単位の支援を約束しているが、ハリケーンで壊滅的打撃を受けたのは実はミシシッピー州なのだ、とにかく今度のブッシュ政権の対応が悪かったために、南部の黒人達は次回の大統領選ではもっと投票に来るだろう、そして共和党を南部から追い出すだろう」ということでした。

     黒人は、アジア系とは違ってハリウッドの映画にはほとんどいつも登場してきます。白人と黒人の間の違和感は、三十年前に比べると比べ物にならない程小さくなった感じがします。三十年くらい前から始まったスクールバスでの黒人・白人の同乗(バシングと言います)などのような意識的な努力、法制面での縛り、労働組合からの圧力等、多くのことがあってここまで来たのです。立派なことです。

     違和感があるかないかという観点から言えば、アジア系アメリカ人と白人との関係も、昔よりはるかに自然になったでしょう。特に日系人はどこか高潔なところがある上に、アメリカ的にオープンで自由闊達な気風も身につけていますから、その高い能力もあいまって非常に立派な市民になったと言っていいでしょう。ロサンゼルスでは黒猫ヤマトの宅急便のトラックも走っていますが、外見はアメリカ的なデザインになっています。

    (このあたり、黒人のオバマ政権を経て、これへの反発・反動がトランプ政権下では見られる。ただ、社会の基調は人種の違いを乗り越える方向にあると思う)

  • 米国旅行記3の1 2005年9月:ロサンゼルスと多民族化の心象風景

    (ここでは、米国の多民族社会の心象風景が詳しく描かれる)

    我々夫婦はハワイのあと、ロサンゼルスに飛びました。この機会に、米国西岸、カリフォルニアでの多民族化の実態を見聞してみたいと思ったのです。

    ロサンゼルスには友人がいて、歓迎してくれました。アメリカ人と結婚している日本人の画家・写真家で、夫の引退とともにそれまでいたボストンを引き払って夫の故郷カリフォルニアに戻ってきたのです。

    このカリフォルニアは、面積は日本にほぼ等しく、人口は三千六百万人で米国の州では最大、そしてGDPは世界で5位だそうですから、一州だけでフランス、イタリアなみの経済力を持っているのです(その後の円安で、2026年の今では日本のGDPをドル・ベースでやや上回る。4.1兆ドル)。ロサンゼルスは人口四百万人で、全米第二の大都市、スモッグに包まれ広い盆地に果てしなく広がっています。地元の人達は、ここを「内陸帝国」(Inland Empire)と呼んでいます。乾いた砂漠に栄えている全米第二の都市。水の供給を考えるだけでも、大変なことです。

     で、僕の友人夫妻はロサンゼルスから南へ一時間ほど下ったラグーナ・ビーチというリゾート・タウンに居を構えています。海岸からほど近い崖の中腹に、アメリカで言えば中産階級の上以上、日本で言えば上流階級そのものの人達の家が、様々の意匠で並んでいます。日本の標準では大きいものですが、住み込みの女中などがいなくてもやっていける程度の規模で抑えてあり、お城のような大邸宅(ボストン郊外などにはたくさんある)はこのあたりではありません。全体の印象は贅沢というよりは、質素なものです。それでも、友人夫妻は自分のアトリエを持ち、家を様々のアートで飾り、毎日太平洋に沈む夕日を満喫できるのですから、その生活はちょっとしたものでしょう。僕達夫妻は、友人が近くに借りてくれたホテル式コンドミニアムに寝泊りし、友人のセカンド・カーであるBMWのオープン・カーを下駄代わりに使って三日間を過すことになりました。

    これまでは、日本での生活水準もなかなか上がったものだ、それも格差が小さいのだからたいしたものだ、と思っていたのですが、このカリフォルニアから帰って来ると、日本の生活水準はアメリカなら、やはり中流の下ぐらいだろうな、それでも全員が同じようなレベルだからそれでもいいかな、と思った次第です。アメリカに比べると日本の人口密度が大きいことは一目瞭然で、それを平均して高い水準に維持しているのは大変な業績です。

    Segregationと繁栄

     ロサンゼルスでは、アメリカ社会の多民族化の実態とそれがピューリタン的な価値観に及ぼしている影響について調べたいと思っていました。ところが、今回滞在したオレンジ郡は名うての白人居住地帯。それも裕福な白人達の居住地帯だったのです。海を見下ろす高台には十億円もする、成金のお城がたっていますし、コンドミニアムでも白人しか見かけません。そして彼らはあのファスト・フードと脂っこいポテト・チップの食べすぎで風船のように膨れ上がった、一般アメリカ人とは違って、すらりとした北欧タイプなのです。よくアメリカ、イギリスのことをアングロサクソンと言いますが、本当のアングロサクソン人達はイギリスが北欧から来たバイキング=ノルマン人に征服された時に山の方に追いやられてしまい、イギリスの支配階級はそれ以来実際にはスカンジナビア人(デンマーク人は今でも、イギリスには特別の思い入れを持っています。ちょうどイギリス人がアメリカに対して持っているのと同じような)だったのですから、アメリカの上流に北欧タイプがいて不思議はありません。

     ビバリーヒルズに行ってみると、セミナーでも終わったのか、客がぞろぞろホテルから出てきて別の会場に移動していきます。それぞれ満ち足りた感じの白人ばかりで(もっとも日本でも、こういう時には自信たっぷりの日本人しか目にすることはありませんが)、稀に黒人が混ざっています。

    白人二人に黒人の若い紳士が一人、連れ立って歩道を行きますが、黒人は話の輪に入れてもらえません。彼は一生懸命会話に耳をすましつつ、ついていくだけ。ボストンでも、白人中心の経済団体などに、黒人が申し訳のようにメンバーとして加えられているのはよくあることで、これもそうしたケースだったのでしょう。

     アメリカによくあるショッピング・センター「モール」を戸外にばらけたような、ビバリーヒルズの目抜き通り。一見瀟洒な、しかし個性のないブティックが並び、判で押したような同じ香水の匂いが漂ってくる、典型的なアメリカ風景。ヨーロッパ人が見たら、吐き気がしてくることでしょう。そしてその中を、現在の繁栄、自分の豊かさが永遠に続くと確信して疑ったこともない、といった風情の連中が歩いていきます。惨めな生活にあえぐ途上国の人達が、何か不公平なものを感じてアメリカに憎しみを感ずるようになるのは、一つにはこうしたことがあるからでしょう。

    デベロッパーが作り出すSegregation(人種分住)

    ロサンゼルスの街中に行くと、そこは全く多民族の社会で、市の人口の52%が「ヒスパニック」(中南米系、ここでは主としてメキシコ系)ですから、どちらがどちらに同化するのかわからない状況になっているのです。ところが、白人はロサンゼルスのヒスパニック居住区には中々行きたがらない。危ないというのです。こうなると、事態は「多民族化」と言うよりは、良く言われている「サラダ・ボール」現象を呈してきます。

     こうした差別化は、人種差別(Discrimination)というよりは人種分住(Segregation)と呼ぶ方がふさわしいでしょう。白人以外の者が引っ越してくると周辺の地価が下がるので、デベロッパーは意図的に人種毎の居住区を「設定」しようとします。

    僕の知っているボストン近郊でも、ユダヤ人が集中的に住んでいる区域や、黒人中産階級が集まっている地域というように、住み分けが行われていました。こうした世界では、趣味の世界でも「住み分け」が行われていて、好みのスポーツも違っていたりするものです。クラシックのコンサートは、今でも白人が聴衆の殆んどを占めています。

     ただ、こうした住み分けが人種のラインに沿ってだけ行われているかというと、そこは段々変わりつつあります。白人だけが住んでいた郊外の住宅地に黒人やベトナム人が引っ越してくる例もちらほら出ています(但しここでは彼らは絶対少数派ですから、価値観、挙動においてWASP化が求められます)。

    つまり住み分けは人種よりも所得水準、つまり所属「階級」に沿って行われる場合もあるようです。それでも、「ヒスパニック系の人が金持ちになっても、白人居住地区の高級レストランには行かない」という言葉が示すように、そのプロセスはのろのろしたものでしょう。

     ワシントン中央政界にもWASP以外の人材が進出しています。ロサンゼルスの市長には今年、史上初めて「ヒスパニック」がなりました。それでも、全米レベルでは人口の50%以上が白人である現状では、それ以外の人種が政治家に選ばれる機会は相対的に小さなものがあります。少数民族出身の政治家が社会全体の利益を調整しようとすると、別の少数民族が反発することもあるでしょうから、WASPはここではアメリカ社会の最大公約数のような存在になってきたのかもしれません。あたかも政治はWASPの天職であるかのような。

    資本主義と原罪と

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    ところが日本人や中国人は、こうした住み分けを意識してかしないでか、白人の居住区、白人のスポーツ、白人の趣味の世界へ平気で踏み込んでいきます。まるでTrickstar(いたずら好きの妖精)」であるかのように。いや、それも「近代化」、経済発展の必須条件だと思い込んでのことかもしれません。まあ、単に白人文化やスポーツが面白いからという人が大半でしょうが。

    我々があえて見て見ぬふりをしていることが一つあります。それは、どの先進経済も、他の国、他の民族からの収奪を行うことで、その経済発展の端緒を築いているということです。アメリカはインディアンを殺し、今まで誰も住んでいなかったような居住区に追いやり、ハワイを併合しました。

    イギリスはリバプールのジェントルマン達が奴隷貿易で巨万の富を築いたあと(奴隷に反対したことになっているアメリカ、ボストン界隈の大資本家も、実は奴隷貿易で大枚の利益を上げているのです)、背後のマンチェスターに大紡績工業地帯を築き、インドの綿織物には高関税をかけて壊滅させ、更には中国にアヘンを強引に売りつけて栄華を築きました。日本は、日清戦争や義和団事件での賠償金で工場を築き、朝鮮、満州などの地域に自分の経済を無理やり拡張しようとしたのです。

     つまり資本主義社会の栄華は、決して勤勉とか競争力とかだけで築かれてきたものではない。他者を収奪して財を築いた、あるいは今でも時々力で収奪している、こういった「原罪」を持っています。日本は、製造業の技術力・競争力で正直に食べているつもりでいますが、戦前はひどいことをしましたし、今でも世界での競争は決してきれいごとでは片付いていないのです。

     インドの人力車の車夫はこの上なく勤勉です。でも彼らの生活は走っても走っても良くならない。力で他者を収奪することなしには、経済を飛躍的に発展させることはなかなか難しいのです。平和な時代に、安い賃金で競争力を高め世界市場を制覇しようとしても、ブランド力や販売網のない新しい企業ではなかなかうまくはいかないのです。

    ですから資本主義は、あるいは資本主義も、最後は力と力のぶつかり合いがものごとを決める、「肉食獣の世界」なのでしょう。日本のビジネスマンも何とかやっていますが、それは羊に牙をつけたようなもので、アメリカ人やヨーロッパ人の迫力にはなかなか敵わない。

     長年マルクシズムと付き合ったおかげで、物事の本質を見破ろうといつも心がけているロシア人達も、この辺は最初から十分心得ているようです。マフィアも交えての資産の奪い合い、撃ち合い、殺し合いの世界から勝ち上がってきたロシアの若手実業家ほど、肉食獣を彷彿させる人種はないでしょう。彼らは忙しい仕事のかたわら何人もの女性を囲い、レーシング・カーをぶっとばし、空手や射撃をたしなみ、アフリカのサファリに出かけるのです。明日をも知れない生活では、刹那の快感を求める気持ちが強くなるのです。(3-2に続く)

     

  • 米国旅行記2 2005年ハワイ

    (同じ2005年の秋には、ハワイを経てロス・アンジェルスに夫婦で行ってきた。ここではまず、ハワイでの印象)

    平成十七年十月八日

    河東哲夫

    Ⅰ・ハワイ

    1.「帝国の肌は荒れている」

     ハワイで空港の外に出るのは、実に今回が初めてでした。ホノルルは思っていた通り、「アメリカ的」な街でした。緑の芝生の公園では、スプリンクラーが惜しげもなく水をまいていて、水路のほとりには路上生活者が寝転がっています。一見立派なコンドミニアムが立ち並んでいますが、近くに寄って見れば、建物のラインはどこかでこぼこで、ペイントの表面はつやがありません。「帝国の肌は荒れている」ことが普通なのです。

    おそらく、低賃金労働者を使って建設やペンキ塗りをやっているため、神経が行き届かないのでしょう。こんなことはロンドンでもパリでもモスクワでもそうです。しかしここは楽天的で、観光客用の木組みのバスが目の前ですごい音を出して加速したかと思うと、混血のアジア風の運転手がその加速に頭を後ろにそらしたまま走り去っていきました。

    2.抹殺された王朝と観光資源と

     カメハメハ大王の名前は知っていましたが、これほど偉大な人とは知りませんでした。ハワイ諸島が彼に統一されたのはやっと19世紀の初頭。彼はオアフ島ではなく、溶岩と密林のハワイ島の王だったのです。彼の作った「砦」の跡を見に行きましたが、どこまでも碧い海の岸辺にまあ100メートルくらいでしょうか、割と原始的な組み方をした石垣が残っているだけです。まあ彼としては、白人の植民地主義がどんどん進みつつあるのを肌で感じ、ハワイの近代化と独立維持を何とか達成したかったのでしょう。

     で、オアフ島に「アメリカ唯一」だとアメリカの白人達が自慢する「王様の宮殿」(Royal Palace)-――イオラニ宮殿-–というのが残っています。暑いハワイに赤坂離宮をこぶりにしたようなフランス風の瀟洒な石造りの宮殿が造られたのです。そこでは、アメリカによるハワイ併合の哀しい歴史が展示室で写真と説明つきで観覧に供されています。

    アメリカ本土に無数にあるカジノは多くの場合、アメリカ・インディアンに利権が与えられ、そこには「何何族の歴史」が白人による弾圧の事実も隠さずに展示されているのと、よく似た現象です。少数者による権利の主張と、白人のうちの良心的な勢力の努力が合わさって、こうなっているのだと思います。

    カメハメハ大王も街頭に立っている褌姿の英雄ではなく、きゅうくつそうに背広を着た写真を残していますし、彼以降の国王、女王は皆、まるで明治時代の日本のエリートそっくりの「最近欧化したばっかり」ルックで写真に収まっています。当時はイギリス帝国主義全盛期で、王族達もロンドンに留学するのが普通だったようですが、アメリカのインディアンと同じく、ヨーロッパの病原菌に免疫がなかったために、ロンドンでハシカ(!)にかかって病没したりしています。

     独立を守るための遮二無二の欧化、強い白人の文明に対するねじれた憧れと劣等感、これらは明治期の日本を想起させるものがあります。そして面白いことに19世紀後半のハワイのカラカウア国王は、一八八一年初めての世界歴訪で日本を最初に訪れ(日本にとっては最初の国賓来訪だったようで)、明治天皇と会っているのです。彼はそこで、日本とハワイが「太平洋同盟」を結ぶことを提案したのですが、日本側から拒絶されます。その代わり、「白人の持ち込んだ病原菌で人口が4万人にまで減ってしまった」ハワイを助けるためとして、日本側は移民を送ることを約束します(以上は、ガイドを無料で立ち聞きしていた結果。実は明治元年から移民は行っていたようです)。

     アメリカ人やフランス人たちは、全島を入会地みたいにして共同体的な社会を作っていたハワイの原住民達を馬鹿にして、「近代的な所有権」で島をどんどん侵食、最後はアメリカ人がLikiulokalani女王を宮殿に幽閉までして、ハワイをアメリカに併合してしまいました。女王は、アメリカ資本と結びついて利益を上げていた地元実業界から裏切られたようです。そして幽閉された女王がやるせない思いを歌にしたのが、あの「アロハ・オエ」。

    それをハリウッドの白人達がスチール・ギターなる奇妙な楽器で「ハワイアン」なるヨーデルの変形のような(ヨーデルにポルタメントをつければ、ハワイアンのメロディーになるでしょう)音楽を仕立て上げ、これもオリジナルとは全く違うセクシーなフラダンスの伴奏に使うようにしてしまったのです。今の「ハワイ」のイメージは、白人が「未開の地」に対して抱くイメージを自己演出し、誇張したものなのでしょう。

    しかしこれは、日本が朝鮮を併合した時の経緯を想起させるものがあります。日本は千九百十九年、李朝の末裔、高宗を毒殺した、と物の本にはあります。

     アメリカ人がハワイに魅せられた理由の一つには、あの真珠湾があったようです。地図を見ればわかるように、真珠湾は大きな割には外洋の荒波から完全に遮断されていますし、当時世界中で鯨を殺しまくっていたアメリカの捕鯨船の寄港地、アメリカの西漸の基地としては理想的なものがあります。

     当時は、ロシアもハワイに色気を示していました。ロシアの荒くれ者はサンフランシスコ近くにまで、植民地化の企てをしていたのですから。日本も完全なシロではありません。併合の時に起きた住民の暴動の際、日本も軍艦を派遣しています。それにアメリカは一九九三年に「謝罪法案」と呼ばれる130-150法案を採択し、策謀の存在を公式に認めているそうです。

     昼下がり。イオラニ宮殿の横の公園には、”Royal Hawaian Band”と横腹に大書したトラックが止まり、近くにはブラスバンドの一隊が演奏前のウォームアップを始めています。Royalというのは、カメハメハ王朝を持ち上げているのでしょうが、このブラスバンドのメンバーは殆んど白人。皆、白いユニフォームで芝生の木陰で、ぶかぶか、どんどん演奏を始めます。

    3.「パール・ハーバー」

     ハワイに来たのであれば、パール・ハーバーを見に行かない手はありません。ワイキキからタクシーで行ったのですが、地図で見るのとは違って随分遠くてメーターが上がり、気が気ではありませんでした。

    パール・ハーバーでは戦艦アリゾナが米兵の遺骨を抱えたまま沈んでいる上に作られた「アリゾナ記念館」に行きます。これは海上にあるので、船で行くのです。アリゾナ記念館の近くには、筆者が小学生の頃作った「戦艦ミズーリ」の模型によく似た船がもやっていましたが、後で聞くとやはりミズーリでした。記憶では十年くらい前まで現役で、今も完全に廃役になったのではないと思います。思ったより小さくて、戦艦大和や武蔵はあれより二倍弱も大きかったんだぞと思うと、妙に誇らしい気になりました。

     アリゾナ記念館は、人を本当に神妙な気持ちにさせます。日本攻撃の時亡くなった方々の名前が壁にずらりと記されています。浅い海底には、アリゾナが横たわっているのが見えるのです。こんなことは絶対繰り返してはいけません。自殺的な行為しかできないほど日本政府を追い詰めてしまった、一部の日本人の独善的な行為、そして世界情勢の複雑さをあえて無視した蛮勇には今でも反吐が出ます。

    アリゾナ記念館行きのボートが出る建物だったかと思いますが、日本の真珠湾攻撃の模様が詳しく説明されています。しかしそこにはもはや、”Remember Pearl Harbor”とかそれに類するような敵意ある言葉はもはや見られず、聞かれませんでした。勝者の余裕だと言ってしまえばそれだけなのでしょうが、靖国神社の遊就館における「欧米植民地主義」への敵意に満ちた好戦的言辞と比べると対照的でした。僕の方が真珠湾のことを覚えておこうと思って、ゼロ戦の図柄にパール・ハーバーとあるTシャツを買ってきた次第です(これは20年後の2026年後の今でも、テニス用の現役として活躍しています)。

    4.長閑さとセグリゲーションと

     バスに乗っていたら、小さな白人の老婆がリュックに犬を「つめ」、ミネラル・ウォーターのペット・ボトルと本を持って入ってきました。彼女が片手でカネを出し、のろのろとバスの後ろに歩いていって座るまで、運転手は発車せずに待っていたのです。発車すれば彼女は倒れると思ったのでしょう。

     あるタクシーの運転手は、サモアからやってきたというサモア人の女性でした。ハワイは米国であると同時に、太古の昔からの太平洋諸島との関係も相変わらず続いているのです。この女性はもう3回も夫を代えていて、「4人目のボーイ・フレンドはイラン人なんだよ。ご飯時になると携帯よこしてね。一緒に食べようってんだよ。優しいじゃないか」ということでした。

    タクシーの運転手にはなぜか韓国人が多かったのですが、彼らは韓国が未だ貧しかった時代にハワイにやってきて、韓国が良くなったと言っても今さら戻れない、と言っていました。ハワイに200人も親戚がいるが、一堂に集まる機会も滅多になく、次第に縁は薄くなっているようでした。

    ハワイ群島最大の島ハワイ島(キラウェア火山のある島)は大型の牧場がいくつかあることで有名ですが、日系人も多数いるようです。ハワイ島の西半分は乾いた溶岩地帯、東半分は密林地帯なのですが、我々夫婦は東のヒロといううらぶれた町に泊まりました。夜、これもうらぶれたファミリー・レストランに行きましたら、おそらく日系人が関係しているのでしょう、大きな力士の人形がおいてあり、メニューには「ワンタン・ヌードル」というのがありましたから、それを注文しました。まさに「ワンタン・ラーメン」そのもの。それも、麺は少し伸びてはいるものの、かん水の匂いがぷーんと漂う、まぎれもなく終戦直後の日本の、古風な場末のラーメンでした。

    そのハワイ島は、変化に満ちています。南の果てに行きますと、そこはマウナロア山。アメリカ人は「海の底から測れば、エベレストをしのぐ世界一の高さだ」と、変な威張り方をしていました。山腹にはキラウェア火口があって、噴火を続けています。溶岩が流れる様子は見えず、暗くなってから行くと、赤く光るのが見える程度ではありましたが、風ふきすさび船影もない不吉なほど蒼く白い太平洋と、草木一本生えていない月世界のような溶岩原がほとんど地平まで、人気もない中にのびていき、その向こうで溶岩が海に入る時上げる水蒸気が高く高く上っているシュールリアルな光景は、忘れることができないものです。

    ハワイ島の北東の端のWaipioという海岸には、深く内陸に切れ込んだ谷がいくつかあります。外房のような崖の海岸を思い浮かべてください。海に突き出た崖の間では黒い砂浜に白い波が打ち寄せ、小川の流れる緑麗しき野原が内陸の密林にまで伸びています。折りしも西日を受けて、この開発の手の入っていない地はまさに桃源郷のような趣をたたえます。この谷に下りていくと、ハワイの原住民達が昔通りにタロイモを栽培して暮らしているのが見られるのだそうで。

    折りしもこの崖の上にはちょっとしたテラスがあって、その飲み物売り場からはラジカセのロックと若者の大声が聞こえてきます。行って見ると、この谷に住む原住民達の子弟が、週日はヒロで働いているのが週末になるとここで集まって騒いでいるところでした。曙のような体型の青年が、しかし髪は茶髪に染めて、コーラ片手に親達の生活を解説してくれます。わかりにくい英語。まだアメリカ本土に行ったことはない、と言うと、秘かな惧れに誇り高い顔をゆがませました。でも、「ここにはいい奴らRight peopleしかいないからな。またいつでも来てください」ということでした。

    ここから素晴らしい舗装道路を1時間ちょっと走ると、西岸のリゾート地コナの空港に着きます。ここの空港ターミナルは小ぶりの建物がいくつも並んでいて、それぞれが藁葺きの原住民の住居のスタイルを模した、面白いものなのです。でも、ここに来ると、乗客は不思議なことに白人が圧倒的になります。それも、何故か北欧系の金髪、碧眼の人達が。Discriminationとは言いませんが、Segregationの世界が始まったようです。彼らに囲まれ、ロサンゼルスに向けて飛び立ちました。この続きは「旅行記3」で。