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投稿者: akiokawato

  • 米国旅行記5:2018年のボストン

    トランプが初めて大統領に選出されたあとの米国に行ったことがなかったので、2018年10月古巣のボストンに行ってきた。これはその時の印象記。ほとんど2026年の現在に通ずる状況だろうと思う。格差、そして中間層以下の困窮。

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    河東哲夫

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    目次

     粗雑と格差

     「間に合わせ」文化の中の疎外感

     貧しさ

     不安感――帝国の没落の予感?

     エリートの米国と大衆の米国

     ボストンの中国人

     日本埋没

     与太話し:アラスカとイベリア半島は同じ型から?

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    (本文)

    米国は、僕が初めて行った外国、そして初めて住んだ外国だ。それはもうはるか昔の、1971年のこと。

    ボストンに総領事として勤務したこともあるし、それからも何度も行っては、社会の変化をフォローしている。その結果は2004年に出版した「意味が解体する世界へ」(これは欧米で進行する多民族化や、米国のイラク戦争が、19世紀の欧米で育まれた自由や民主主義といった価値観を相対的なものとし、世界の「意味を崩壊させる」ことを指摘したもの)や、2013年に出版した「米中ロシア――虚像に怯えるな」に発表してある。今回は、その最新版というわけだ。

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    「意味が解体する世界へ」で指摘したように、米国は「平均点」の人々から成る社会だ。そして平均点の人々の家は日本人の家より大きいが、その生活ぶりはだいたい大味で、日本のような細やかな便利さ、快適さには欠ける。それは中流の下より以下では、ほとんど貧しさに近いものになるのだが、その点は特に変わっていない。

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    それでも自分の仕事を大事にして勤勉であることとか(そうしていないとすぐクビになるからでもあるが。ロシア人などは、「何で自分でこんな仕事をしなけりゃならないんだ」とふてくされていることが多い)、他人と路上でぶつからないよう気を付けていて、体が触れれば必ず謝ってくる点も(そこは現代の日本とまったく違う)、50年前と変わらない。いくら格差が激しくなっても、プロテスタントの比率が減っても、社会のモラルはまだ維持されている。

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    米国は着々と多民族化し、場末の街頭では「純正白人」はもはやぽつぽつとしか見かけない(但し公園などに行くと白人が圧倒的に多い。そして郊外の森の中には、城のような高級老人ホームが立ち並ぶが、ここはほぼ白人だけの世界なのである)。ロンドンの中心部に行くと、もう20年前から純正英国人をほぼ見かけない状況になっていた現象が、ボストンでももう定着している。日本は今、外国人の一般労働者を入れようとしているが、きれいごとではすまない。多民族社会は、日本人には耐えられないものとなるだろう。「おもてなし」などと言って上品ぶっているうちに、庇を貸して母屋を取られることがないように。

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    粗雑と格差

    ボストンは1971年初めて海外に出て2年間留学、そして1996年から2年間総領事として勤務した。合計11年勤務したモスクワと同様、友人、知人も多いし、自分の自我を形成したのはボストンでだ、という思いがある。今回は5年ぶり。いつも泊めてくれた友人が亡くなったので、郊外のうらぶれた民宿 (Bed&Breakfastというカテゴリー。朝食付きで1泊100ドル程度。これでもホテルの値段の半分以下) に泊まり、地下鉄で移動した。これまでの中産階級の上から、一般大衆のレベルで呼吸していたことになる。

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    そして米国に行く機中で、ずっと前に買った「ニッケル・アンド・ダイムド――アメリカ下流社会の現実」という本を読み切った。これは、編集部に強制されて、スーパーの店員など全国数カ所の低賃金職場を渡り歩いた女性ライターのルポ。トレーラー・ハウスなどの安宿を集団で借り上げ、1室を共有して住む「下流社会」の人々の生活、メンタリティーが描かれている。

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    ボストンと言うと、すぐハーバードとかMITとか、スープの上澄みのような「知的な」ところだと思われているが、実際はピンからキリまで、米国社会のほぼあらゆる側面を見せてくれる都市。黒人のスラム、黒人中産階級が集住する地区、アイルランド系、イタリア系のあまり豊かでない人々が集住する地区、ユダヤ系ロシア移民が集住する地区(ロシア語の新聞を発行している)等々、何でもあるし、州議会の議員は、ポーランド系やらブラジル系やらの有権者にも気を使っているのである。

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    そしてハーバードも俗性ふんぷんたるところがあり、特に外国研究になると教員も玉石混淆。その国の言葉もできずに、英語文献から寄せ集めたステレオタイプにハーバードのブランドをつけて振り回すだけの者も多い。要するに、ボストンは人間の集まったところなのだ。

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    で、今回は、その中から米国社会の薄っぺらで荒れた面を中心に紹介する。僕も若い時は、これも自由と活力の表れとして面白がっていたが、齢を取ると次第に耐え難く、ただの停滞の表れと見えてくる。アメリカの白人がこの頃日本に来ると、「ほっとする」と言っているのもムべなるかな、だ。

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    「間に合わせ」文化の中の疎外感

    地下鉄とか大衆食堂とかだけでなく、中産階級の家までも、どこか薄汚れ、細工が粗く、「当座の間に合わせ」の感じがする。ハーシーの板チョコは、日本のと違って銀紙で包んでない。紙を破るとすぐ、分厚い大味のチョコレートが現れる。

    そう言えば、昔からアメリカの建物については何かがひっかかった。趣味が違う。どこか人をはねつけるというか、人を包容してこない。Comfortがない。仕上げがいい加減なところもある。

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    僕が今回泊まった民宿は、東京で言えば葛飾あたりに相当する、Somerville, Davis Square界隈。昔はギャングの勢いが強かったところだそうだ。そう言えば、当時のギャングの親玉のBulgerという男――兄弟は州立大学の学長だったのだが――、長い間服役したあげく、僕が滞在中の10月下旬、牢獄の中の喧嘩で殺されてしまったそうだ。享年80余歳。すごい世界だ。

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    そのSomervilleの場末の安レストランは中華風だが、実はモンゴル料理。インテリアは粗末なベニヤの仕切りで、ジンギスカンの顔を皮革に描いたものが侘しくかかっている。流れる音楽は米国ポップ。そして食わせる料理は、ひどい。これでも昼食に15ドルはかかるのだ。昔なら8ドルで済んだのに。

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    そして、そこここで孤独な人間が目につく。50年前と同じく、氷点下になろうという街に中年女性の路上生活者が坐り込んでいたり、ハーバードの真ん前にも物乞いがいるのだ。日本でも時々いるが、すれ違う者に突然大声で怒鳴ったり、地下鉄でやたら大声で話しかけてきたり、自分を受け入れてくれない社会に対して必死に抗議し、必死に絆を求める。これはいずれも白人。

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    地下鉄の向かいの席には大きなリュックを二つも抱えて座っている黒人の若い男が、カリフォルニアでどうしたこうしたと一人でしゃべり続けている。両側にぴったり座っている乗客は知らん顔。まるで市電のような「グリーン・ライン」地下鉄の連結部の一隅では、7人ほどの若い黒人男女が座を占めて、大声でのべつまくなし、ことさらにけたたましく笑いながら、しゃべり続けている。何かというとSexual harassmentと言ってはげらげら笑い転げるのだ。ことさら傍若無人に振る舞って、自分達の偉さを示そうとする。もう地下鉄は精神病院のようになっていて、堪えられない。

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    ボストンの中心部は金融機関の立ち並ぶfinancial districtなのだが(ボストンにはFidelityやState Streetなど全米屈指の金融機関が本店を置いており、彼らの資産総額は世界の金融都市の中でも5指に入る)、その一隅のけっこういいレストランで友人と会う。ランチの時間は満員で、皆大声でしゃべるのでレストランは一つの騒音の箱となる。皆、叫んでいる。こちらにしてみれば、外国語で叫び続けるのは何ともしんどい。そして外に出れば、でこぼこのアスファルト。そして街にいつもたちこめる、安手の食物のすえた臭い。このあたりも、もう50年変わらない。

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    ボストンの中心部には、ニューベリー・ストリートと言って、日本なら原宿に相当する洒落た通りがある(あった)。20年前は随分洒落ていたものだが、今回久しぶりに歩いてみると、どこか寂れて活気がない。ニューヨークと同じで、家賃を上げてテナントを追い出し、資力のある大型チェーン店の出店を誘おうとしているのかもしれない。資金不足か、ショーウィンドーの飾りも田舎じみている。ちょっとましな店だと思って入ればユニクロで、ここは随分にぎわっていた。そしてその近くのMUJIの店も。「日本」はブランド。品質保証つきなのだ。

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    ハーバード・スクエアのカフェの隣の席では、アイルランド系の太った中年女が、半分くらいの体積しかないユダヤ人風女子学生に、自信に満ちて権威をもって、小論文の書き方を説明している。何もかも分析して「法則」もどきのものを抽出、融通の利かない厳格なメソッドにして。自分ではろくな論文も書けないだろうに、「書き方」となるとやたら詳しい。のべつまくなししゃべるので、こちらはうるさくてものが読めない。

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    そこから少し外れた中華料理屋に行くと、ボーイが何も言わずに皿をどすんとテーブルに置いていく。ろくでもない食べ物のボリュームの多さ。まるで排泄物を盛り上げたよう。そして安手の中華料理屋は、どこも判を押したように安っぽい、甘みがかった調味料を使う。すべてが安直。

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    Davis Square(民宿の周辺。市中心から北西部)の地下鉄駅の横に、お化け屋敷のようにうらぶれた映画館がある。小さいのに、いつも数本上映している。入り口では切符係の老人が「こんなところに客が来るもんか」というような顔をして、立て看板に頬杖をつき、退屈しきった顔で外を行き交う通行人を見ている。

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    貧しさ

    今回のボストンは、まだリーマン金融危機が続いているかのように、勢いがなかった(MITの界隈は違う)。そして下層の人たちは貧しい。日本より貧しい。はっきり言って、途上国の水準である。

    Davis Squareのあたりは、ジャンク・フードで膨れ上がった体を、安っぽい、これまた膨れ上がったジャンパーに包む男女。めがねでやせたユダヤ系と、情景は、モスクワの郊外と変わらない。中産階級が見えない。まるで米国社会は上と下とからだけ出来ていて、中流がなくなってしまったかのよう。もちろん上や中産階級の上部はちゃんと残っていて、日本人とはかけ離れた広く、整然とした家に住んでいるのだが、彼らは地下鉄などには乗らないのである。

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    そして公共交通機関がもともと弱いうえに、状況は悪化している。車両の内部は掃除してあるが、外回りは長い間洗っておらず、埃にまみれている。そしてラッシュ・アワーでは、乗りこめないほど混む。で、それをやり過ごすと、「次の電車は20分後」というアナウンスがあって閉口、しかし実際には10分後に、がらがらの電車が来たりするのだ。で、安心して乗ると、今度は次の駅でドアが閉まらなくなって立ち往生。という具合。これは今回本当にあった話し。

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    ニューヨークの地下鉄はもっと劣化しているとかで、「A線に乗ったと思うと知らないうちにB線を走っていたり、次の瞬間にはC線になっていたりする」のだそうだ。公共交通機関への投資が足りないのである。

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    ボストンにはスラムもある。Roxburyという低所得の黒人が集住している地区なのだが、気軽にいく雰囲気ではない。まるで存在していないかのような別世界。普通の人々は意識していない。

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    要するに米国自身が世界のようなもので、多層構造になっており、それぞれの間はガラスで絶縁されているような感じ。例えばハーバードのキャンパスには誰でも入れるが、誰でも入ってくるわけではない。多分「大学警察」(大学自治を守るために、米国の大学では自前の警察を持っている所が多い)がいつも見回っているので、「合わない」連中は誰何されて、追い出されているのだろうが、不思議と言えば不思議なのだ。

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    それでも、そこここに面白い点はあって、似非のfreedom感は漂う。東京で言えば大手町に相当する地下鉄のハブ、Park Street駅。ホームで、胡弓の音がする。録音を流しているのか、そこまで中国文化は浸透してきたかと思ったら、生だった。

    見ると、中国人のおやじ風の中年男が人民服のような服を着て、ドミソとかドレミファとかいい加減なメロディーを弾いている。僕が1ドルやると、演奏を止め、明るい顔でうれしそうにサンキューと言った。Davis Squareの地下道では、若い男がジャズ風のギターをかき鳴らす。あまりに素晴らしいので1ドルを投げ入れ、「気に入った」と言うと、こちらはサンキューとも言わず、急に大声で歌いだした。

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    不安感――帝国の没落の予感?

    今の米国社会には、不安感anxietyが漂っている(ということにしておこう)。一つにはこの多民族で個人主義の社会では、一度絆を失うとどうしようもなくなるということがある。それは、既に述べたように、地下鉄の中で一人大声でなにごとかしゃべり続ける(東京でもいるのだが、米国では出くわす頻度がハンパでない)ような人のことだ。

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    そしてこれに、あたかもローマ帝国末期のガバナンスの喪失と、異民族の浸透を思わせるかのような、経済の行き詰まりと帝国没落を予感したエレジーが漂う。気のせい、あるいは僕の齢のせいかもしれないが。

    そしてもっと根拠のある不安感を、トランプがもたらしている。あるユダヤ系中年女性は言っていた。「(トランプのせいで)民主主義はなくなり、ギャングが街を歩き回っては殺し合いをする時代になるのではないかという恐怖を感じる」と。

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    折しも中間選挙を前にして、トランプがツイッターなどで「敵」と名指したオバマ前大統領やクリントン夫妻等、実に10名以上に爆弾を模したものが郵便で送りつけられて大騒ぎとなり(犯人は既に逮捕)、さらに27日にはピッツバーグのシナゴーグで反ユダヤ主義の男が無差別銃撃で11名ものユダヤ人信者を殺している。これが1週間の間に起きるのだから、不安感は相当なものだ。トランプ大統領自身はイスラエルの肩を持っているが、彼の側近だったスティーブ・バノンは反ユダヤだし、後者の系統を引く白人至上主義団体はナチ的な反ユダヤである。

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    不安は社会の変化からも来る。現在でも、移民の第一世代が人口の25%に達している。そして2060年頃には白人は全体の40%になる。都市では白人は本当に稀な存在になるだろう。そしてそのころ、アジア系(インドを含める)はヒスパニックを抜いて少数民族の中では人口で1位になっているだろう。

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    そこからくる不安が、白人をトランプ支持へ向かわせる。「職を失った中西部の白人労働者の票がキャスティング・ボートとなって、トランプを大統領にした」というストーリーが語られているが、トランプ支持の基盤はもっとはるかに大きいのである。トランプは、白人の生活が悪化したのは輸入のせいだとか移民のせいだとか言い立て、彼らを騙して投票させたのだ。実際に悪いのは、格差を生み、格差に安住して恥じない白人の上層部なのだが・・・・・というのは、あるアジア系大学教授の話し。そして残念ながら、資本、つまり米経済の大元はその白人上層部に握られているのだ。

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    エリートの米国と大衆の米国

    これまでの日米関係では、日本政府はエリートや軍人ばかり相手にしてきたが、米国にはこれとは別の民族と言ってもいい、「大衆」の海が存在する。そして大衆にとって世界は無縁。彼らは自分の生活のことしか考えない。そしてトランプは、金持ちの方ばかり向くようになっていた民主党を尻目に、この大衆を煽り、その票を民主党支持から共和党支持にひっくり返すことで当選したのだ。この構造、つまり大衆――一枚岩ではないが――をうまく煽った政党が大統領職を取る構造は、これから当分変わらず、米国は第2次世界大戦までそうであったように、内向きの姿勢を続けるだろう。

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    米国のエリートは、世界に関与し、世界の平和と安全を維持することが米国の利益なのだと、思い込んでいるが、それは必ずしも十分の説得力を持つものではない。

    今回、ある政治学者に聞いてみた。「なぜ米国は世界に関与することが自分の利益だと思い込んでいるのか?」と。

    彼は答えた。「中立でいようとしても、有事には引き込まれる。欧州で英国とドイツが戦った第1次大戦の時、米国は英国と交易していたが故に、ドイツから攻撃された。もう一つ、特定の地域が一つの勢力に独占されるのを許すと、米国に敵対するようになりがちなので、ある地域を一つの勢力が席巻するのを妨げる必要がある」

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    これは回りくどい説明で、これでは大衆を説得できない。この政治学者も冗談で言っていたが、「英国民に、EU脱退=Brexitの是非について世論調査したところ、一番多かった回答は、『EUとは何か?』というものだった」というのが大衆というものなので、まわりくどい説明は効かない。

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    大衆は多様であり、トランプに反対する者ももちろんいる。少数民族、たとえば黒人もそうで、あるタクシー運転手は言っていた(黒人)。これは日本車に関税がかけられて値上がりするかもしれないという話しになった時で、別にトランプをどう思うか聞いたわけでもない。彼は言った。「日本車は長持ちする。米国車を買う気はしない。(そして突然)皆トランプが嫌いだ」と。

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    そして米国のエリートも人間であり、彼らの間には人間共通の欠点である、倨傲、貪欲、そして無知が広がっている。そんな人間達に世界のことを簡単にいじられたら、世界中の人間が迷惑する。例えばトランプが没落すれば、今度は「世界を民主化することが世界の利益」と固く信じてやまない、ネオコンやリベラルがワシントンで幅を利かせる。彼らは「倨傲」を体現している。途上国に民主化だけ押し付けても、経済発展が伴っていなければ社会の混乱を招くだけの話しだからである。

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    もともとワシントンというのは、ロシアのクリミア併合にしても、当時ロシアがNATOの拡張で追い込まれた心理にあったことなどどうでもよくて、「ロシア」なるものを共和党と民主党の間、そして大統領と議会の間の争いで、「どう使うか」、そして「どう(国内で)処理するか」というひどく内向きの視点しかないのである。そしてこれに米国の「体育会系」政治家、要するに学生時代はアメフトで名を上げた、「首が胴と同じくらい太い」ようなマッチョが大声で主張を貫いていく。

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    エリートの貪欲というのは、共和党の「茶会」派と言われる、「小さい政府」を提唱する議員達を支援してきたKoch兄弟に典型的に見られる。この大実業家の二人は、トランプが法人大減税を実施するや満足してしまったかのようで、トランプが国防費等を大増額して財政赤字を垂れ流そうとしていることには、もはや何も言わなくなっているのである。

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    そしてエリートの「無知」というのは、知的怠慢のことである。事実を精査することなしに、ものごとを決めつけて、それを有名大学教授、あるいはマスコミの名で広め、共和党、民主党に分かれて無意味なバトルを繰り広げる。

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    そして米国のエリートには、偽善もある。旗色が悪くなると、平気でうそをついたり、言い逃れをして愧じない。

    ハーバードのロー・スクールの脇に石碑があるのを今回発見した。碑文には、「この学部を作る資金をもたらしてくれた奴隷たちの記念に。私たちは、彼らを記念して最高度の法と正義を追求します」と書いてある。1817年、この法学部設立に献金した地元の金持ちが奴隷商売で利益を上げていたので、学部100周年を記念してこの石碑を2017年に建立したばかりなのだそうだが、批判逃れにしか見えない。こんなやり方で済むのだったら、日韓関係でも強制労働問題など簡単に片付いてしまう。

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    エリートがこんな無様な状況だと、米国のグローバルな力を支える軍隊も、だんだん「使えない軍隊」になってくるだろう。米軍は将校というエリートと、兵士・下士官という大衆から成っているが、このうち後者の大衆は、徴兵制のない今、それほど簡単に戦争には行かない。10月16日のMilitary Timesは、最近の同紙による調査では読者の46%が来年には大きな戦争に引き込まれると考えている、昨年9月の調査ではこれは5%しかいなかったのに、と報じている。

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    このために下士官と兵士への志願者(米国は徴兵制がない。除隊すると大学入学の優先権や社会保障を得られるのを目当てに志願する者が多かった。他方将校の方は職業で、しかも家族代々の職業にしている者が多い)が減少する気配がある。つまり、世界に介入しようとしても、「兵士」がおらず、将校が自分で二等兵から大将まで務めなければならなくなるのかもしれない。

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    但し米国にも、真面目にものを考え、思慮深い立場を取るインテリやエリートは多いのだ。Bed&Breakfastで同宿だった、セントルイスから来た学者は言っていた。「米国人のすべてがトランプを支持しているわけではないことを知って欲しい」と。さりとて声高なトランプ批判を展開するわけでもないのである。静かな怒り、静かな決意とでも言おうか。

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    ボストンの中国人

    以前の米国では、日本人が「アジアの代表」のような顔をして振る舞っていたが――後発国、敗戦国として基本的に上から目線で見られていたが――、今では韓国人、中国人の陰に完全に隠れた。彼らは日本人や日系をまず、数で圧倒している。中国人は堂々として歩いているし、群れを成して街をいく中国人の若者たちからは、米国何するものぞというアグレッシブなオーラすら漂う。彼らの競争体質は米国にぴったりで、いつかは米国を席巻するかもしれない。そうなると日本は、東西双方の中国から挟まれることになる。

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    それでも中国人にも様々。僕の泊まったBed&BreakfastのオーナーはTomとBetty的な英語の名がついていたので、てっきり白人だと思っていたのだが、着いた翌日顔を見るとなんと中国人夫妻だったのだ。一人は北京大学を卒業してハーバードのビジネス・スクールでMBAを取ったという超才媛。もう一人は香港から米国に移住した両親にくっついて幼時に米国にやってきた男性。

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    ”Betty”(仮名)の方は盛んに、自分は「リベラル」であると言い募り、現代中国を批判していた。最近の米中関係悪化で、こう言って予防策を講じているのだろう。むしろ幼時から米国に住み、しかも香港出身の夫”Tom”の方が中国を擁護していた。

    彼は言う。「中国は今の状況で、一歩後退して米国の消耗を待つ。China Firstで地産地消で行く(中国人は国産品を信用していないのだが)。外貨準備も大きい(実体は、それほどでもないのだが)。一帯一路で市場を確保してある。勢力圏も確保してある。だから、米中双方のメンツをたてつつ、合意することが可能だろう」と。まあ、米国に長年いる少数民族派によく見られることだが、祖国と米国の間のいさかいは穏便に済んでほしいのだ。

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    そしてお決まりの、「中国人観光客」も沢山いる。可笑しいのはトイレで、ハーバード界隈でのトイレの穴場と言ったら、実はハーバードそのものなのだが、そこには部外者立ち入り禁止と一応書いてあるので、構外にある大学生協の3階トイレを狙う。そこは人に知られていないので・・・と思っていくと、長い行列。多分中国語のガイドブックに穴場として紹介されているのだろう。中国人観光客のおっさんたちが7名程も待っていたので、僕は絶望してもう一つの穴場を目指した。

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    そうやって、地下鉄ハブのPark Street駅で乗り換えると、もう書いたように、胡弓の中国メロディーが構内いっぱい響いていたのだ。中国もすっかり米国に定着した。

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    日本埋没

    今の日本では、アメリカというものがどんどん遠くなっていく印象だし――イラク戦争以来、アメリカは日本人の目には「ソフト・パワー」を失っているのだ――、米国に行ってみると日本は宇宙の遠い彼方に飛び去ってしまった感じがする。ボストンと言えばフェノローサとか岡倉天心とか、ボストン美術館の浮世絵コレクションとか、日本文化への関心は高かったのだが、中国への関心、そして格付けは一貫してそれより高く、韓国や中国は米国に住む者の数で日本人を圧倒していることもあり、日本は影が薄くなる。そして韓国・中国人は米国の社会に入り込み、米国の一部として生活するので、ますます身内の存在になるのだ。

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    米国の大学で、日本人留学生が激減したという話し、あるいは愚痴はよく聞く。それは1990年代以降続いた不況の中で、日本企業が社員を海外留学に送るのが減ったこと、そして就職活動が厳しくなって、学生に海外留学に出かけている余裕はなくなったことが多い。

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    更に言えば、学生個人が米国留学を志したとしても、個人の資力では到底無理なほどに米国の学費が上がっていることが障害となる。学費と生活費を合わせると、年間700万円程にはいくので、これは普通の家庭では到底無理なのだ。途上国の学生は米国の大学で奨学金をもらえるが、日本人は裕福だと思われているから奨学金は滅多にもらえない。

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    そんなに多数海外留学する必要もないが、必要な数は政府が補助してでも確保していかないと駄目だろう。そして経済同友会あたりが旗を振って、企業の中堅幹部達がせめて1年は米国の大学院に留学できる枠を作るべきだ。

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    しかし、日本車は圧倒的な存在感を持っている(注:これは2018年のこと)。今やボストン街頭で見かける車の80%程度が日本車だと言って過言でない程。むしろ日本での方が、ドイツ車を筆頭とする外車を多く見かける。日本は米国に輸出するより多くの車を米国内で作っているし、グローバルには日本国内で作る約950万台の2倍相当を海外で作っているのだが、米国への集中ぶりはやり過ぎの感がある。

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    2017年日本の貿易黒字は7000億ドル程度に過ぎないが、対米貿易黒字はその10倍という不思議。要するに、対米貿易黒字で日本の輸入の多くを賄っているのだ。そして対米輸出の80%は乗用車。台数としては2008年リーマン金融危機以前の水準に復帰しただけなのだけれど、やはり一国の経済のあり方としてはいびつなのだ。

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    こうしたことを少しでも改善する一つの手段は、ボストンの場合、先端技術面での交流、協力がある。先端技術とかスタート・アップと言うとすぐ、「シリコン・バレー」ということになっているが、昨今のシリコン・バレーは動脈硬化を始めている。要するに、話題性のある面白そうな技術にカネをつぎ込んでマネー・ゲームとして、投機合戦を展開、そこで儲ける鉄火場のようになってきたらしい。若者のスタート・アップなどには目もくれず、自動運転とか、イーロン・マスクのテスラとか、「多額の金額をさばく」ことのできるものが幅を利かす。

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    その点、先端技術では西のスタンフォードやCaltechと並ぶ東の中心、MITを抱えるボストンは、これまでベンチャー・キャピタリストが保守的と言われていたのが(上場直前の企業にしか投資しないと言われていた)、状況が違ってきたらしい。

    MIT膝元のケンブリッジ市は数カ所にCIC(Cambridge Innovation Center)を設置。スタート・アップ企業にオフィス・スペースを安価で貸し出したり、人脈拡大を助けたりしている。日本総領事館も全米で唯一、ここにサテライトオフィスを借りて、日米双方向での交流と協力の橋渡しをしている。ご関心のある個人、企業の方は、japan-consulate.cic@bz.mofa.go.jpにご連絡願いたい。僕がいた時も、日本のさる大企業が話しを聞きにきていた。

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    与太話し:アラスカとイベリア半島は同じ型から?

    今回帰りの飛行機でフライト・マップを見て、ふと気がついた。

    アフリカ西岸が南米東岸にパズルのようにぴたりと合うのは知られているが、今回気がついたのは、アラスカを鼻先に北米大陸の向きを少し上に跳ね上げると、イベリア半島を鼻先にした欧州の姿に酷似してくる、ということ。ハドソン湾のあたりがバルト海に相当するのだ。

    昔、大陸の金型みたいのが地中にあって、この二つはここを通って海上に姿を現したものかもしれない。

  • トランプ大統領の「日本イスラム共和国」発言のトリセツ

    数日前、トランプ大統領が「日本イスラム共和国」が米空母をミサイルで狙った、と発言した。

    これは、彼の年代のアメリカ白人の一部が日本に対して持っている潜在的敵意が表面化したものだろう。彼らは、自分たちの地位、力にチャレンジしてくる異質の存在には敵意を感ずる。それはどの人種でも同じことだ。

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    だから我々としては、「ああ、そうか、トランプたちは日本が嫌いなんだ」と思いつめて敵対する必要はない。

    米国は、日本にとって必要な国なのだ。

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    しかし、黙って聞き流すのはいけない。馬鹿にされる。米国は多民族の国で、お互いに大声で怒鳴りあい、罵りあうのは通常。

    でも、そうすることで互いの感情がわかる。日本人はじっと黙って耐えて、突然切れるから(真珠湾が典型)、益々嫌われる。

    高市総理もイタリアのメローニ首相のように、派手な言い合いをしたらいい。

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    しかし、日米の若い世代の間では、そのような人種偏見は薄れている。だから罵り合いは老年世代にまかせて、若者はどんどん互いに入り込んでいったらいい。

  • ロシアが自由であった頃

    (プーチンが国内締め付けを強めるようになって、「専制」、「独裁」というレッテルがロシアに貼られるようになった。

    しかしロシア人というのは本来、自由と言うか放埓を好む民族。感性とimaginationでこの世をとらえる。

    で、もしウクライナ戦争後のロシアで体制が変わって、1990年代のような自由がよみがえったらどうなるか? 

    ご参考までに、拙著「意味が解体する世界へ」(2001年草思社)からコピペさせていただく)

                        河東哲夫

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    朝の詩

    都会の朝には詩(うた)がある。

    といっても,あまり人影もない日曜日の朝の地下鉄。通路では前掛けをした職人風の男が売り物の花にバケツで水をかけていく。掃除もろくにしていない構内は,どことなく荒れた風情。地下鉄ならどこの国でも共通の,あのすえた埃と鉄の臭いがほのかにたちこめる。

    モスクワの地下鉄は深いので,百メートルはありそうな長い々々エスカレーターがゴトゴトと音をたて猛烈なスピードで見えもしない地底から軍人,ジャンパー姿の労働者,黒か灰色の中年女性たちを,まるで十年前までのソ連時代のまぼろしのように次から次へと光の中に運び出す。

    昨晩遅くまで入り口にたむろして,ギターをひき酒をあおり,キスをしあっていた若者たちの姿はもうない。たまに青いスカーフ姿の金髪の若い女が,清涼剤のように地底から上がってくる。2001年,無理無体の「経済改革」からほぼ10年たったモスクワだ。

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    この一世紀,革命だ,社会主義だ,ペレストロイカだ,資本主義化だと,ロシア人が自嘲して「最初に犬に実験したらよかったものを」と言う大変な改革たち・・・それもみな上からの改革だ・・・をモルモットのように実験されてきたロシア人たち。おもだった白人種のなかではただひとり,剥き出しの暴力と抑圧の恐怖を身に沁みて覚え込まされてしまったロシア人たち。不運は続く。

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    その事実の前では,「アジア人は専制的,白人は民主的」などという似非遺伝学的宿命論は意味をなさない。でも歴史上は実際そうだぜ,と言う者がいるかもしれないが,専制かリベラルかは統治単位の大きさにも比例してくる。古代ギリシアの都市国家や中世ヨーロッパの商業都市はリベラルだったが,そういう都市は専制的とされているロシアや日本にもあるのだ。一方ペルシアや中央アジアの広域帝国は専制主義的だったが,同じく力で異民族を統治する必要のあったローマ帝国の皇帝のあり方も,専制主義そのものだったのだ。

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    1994年僕がモスクワを前回去った時,ロシアはまだ絶望の底にあった。新しい店は街のそこここにできていたが,まだ珍しく,売り場の女の子たちも慣れないスマイルを客に見せることにとまどっていた。ところが1998年,再びモスクワに着任した僕が目にしたものは様変わり,僕はあの「懐かしい」時代の面影を求め,すっかり変わってしまった目抜きの商店街を歩き回る。

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    店はどれもヨーロッパのよう。ということは,粗末な包装があるかないかの、やたら不細工なソ連製の商品を売り子に指さし,「チェック」なるものを書いてもらい,店の反対側にあるレジに行って金を払って「チェック」にチェックをしてもらって売り子に見せると,やっと目当ての商品をもらえる・・・というシステムはもうなくなっていたということ。こういうシステムは売り子不信からできたものだろうけど,以前はパリの本屋などでもこうだったので,ソ連で発明されたものでもないかもしれない。

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    今は薬局でたとえばビタミンCを求めると,白衣の優美な薬剤師がにっこり笑ってビタミンCの効能,飲み方をすかさず涼しい声で説明してくれる。引っ越し会社の作業員も,アメリカのようにがさつで荒々しいこともなく,丁寧でしかも能率がいい。夏の暑さにたまらず・・・その年は熱帯夜がまる一月も続いたのだから・・・クーラーをつけようと,見積もりを頼むと次の日にはファックスで送りつけてくる。金を払い込めば,その次の日にはもうクーラーが自宅に据えつけられているという寸法。このごろやたらと「納期」とやらで待たせる日本のサービスに比べても,いいのだ。このごろのロシアのサービスは。

    もっともクーラーをつけてはみたものの,アンペアを電力会社が上げてくれない。ここは電気がいつも足りないので,電力は「売られる」というよりはまだ「配給される」,昔の感覚が残っているのだ。クーラーが動いたのは、結局次の年。

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    でもロシア,特に大都市では大衆消費社会がやってきた。この十年,小型のスーパー,ブティックを出しては様子をうかがってきたフィンランドの資本は,外務省の真ん前にデパート,オフィス,アパートの複合大ビルをオープンしたし,トルコの財閥も時こそいたれりとばかり,アメリカ式の大ショッピング・センターを次々に開店し,スウェーデンの組み立て式家具「イケア」は郊外に歩いて回るだけで30分はかかろうという大ショッピング・センターを開いて空港行きの道路は渋滞。

    平均賃金が100ドルもないはずの今のロシアで,こんな店を開いてどうするのかと思ったものだが,実はモスクワの中流家庭の収入は月に800ドルはあるだろう。その数字を見るならば,時代は七十年代初めの日本にけっこう近いかもしれないのだ。

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    1971年にアメリカに渡った僕は「スーパーマーケット」なるものをそこで初めて見たものだったが,74年に日本に帰ってみると昔はなかったそうした店がそこら中にできていた。そして僕の給料は,そのころ丁度10万円くらいだったろう。だから今のロシアでスーパーが次々に増えていくのも不思議じゃない。どこも駐車場は満杯だし,近くの団地からは普通の人々がぞろぞろ歩いて買い物にやってくるのだから・・・・・・

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    花盛りのライブ・バー 

    大通りサドーヴォエに面する入り口の厳重なセキュリティー を通り抜けると,四方を粗削りの板で囲んだトンネルがくねくねと続き,突然ロックバンドの騒音が闇をつらぬく空間に放り出されるライブ・バー「B9」。

    あるいは文化大革命でソ連に居残った中国人がなぜか「中国の操縦士」と銘打って、なんとソ連共産党の昔の本部の真向かいに開店したライブ・バー。若者たちが小卓を囲みわいわいがやがや。小さな舞台ではバンドが演奏する。

    夜も遅くなって夜食でもと思って少しばかり車を走らせれば,そこはオブラスツォフの人形劇場。ソ連時代、人形遣いの天才オブラスツォフが情熱を傾け,たった一代で当局に作らせたその人形劇場の裏にまわれば,そこには夏の庭になにやら大きなヨットの帆のようなインストレーションが白くそびえ,建物の中は超モダンなイタリア・レストランになっている。白いキャンバスに映し出されるヴィデオ・アート。宇宙をさまようかの照明。ここの極めつきはもちろんアルデンテのスパゲティーだけれど,トイレも絶品。緑一色できめた個室に入れば浮遊感がみなぎり,まるで夢の中で用を足しているかの錯覚におそわれる。たった十年前まではあの灰色の共産主義だったモスクワで,今では六本木や新宿に勝るとも劣らない夜が過ごせるようになったのだ。

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    こうした夜の最新の世界をある日案内してくれたのは,高名な音楽評論家トロイツキー。この人はソ連時代からロックやジャズにかぶれて,学生時代はディスク・ジョッキーもやっていたけれど,卒業してからは定職がないとして当局ににらまれ,どういうツテがあったのかは知らないがロンドンに亡命するかのように転げ込み,その後モスクワに戻って功なり名とげた後は,大劇場コンプレックスの支配人になるのを夢見るものの,こればかりは資本家の胸先三寸でどうにもできず,半分趣味のようにして外国からポップやロックのミュージシャンをよんでは,ハイ・ソサエティーの客に聞かせている。

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    彼は日本の音楽シーンにも詳しくて,当時モスクワにいた日本人もほとんど知らなかったピチカート・ファイブをFM放送ですっかり有名にした後,メンバーをモスクワに招待もした自由人。まだダンディーで,パーティーでは女性はみんな彼のまわりに群がってしまうので,男どもは鼻白む。

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    ボヘミアンの世界:文学カフェ「O.G.I」

    で,このトロイツキーは面白半分,今モスクワに展開している「文学カフェ ・チェーン」O.G.Iのコンセプト作りを手伝った。プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」さながら,若者たち,文化人,マスコミ人種が思い思いに集まってはだべるボヘミアンな場O.G.I.・・・・・。

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    モスクワの城壁をこわした後に作られた「浄ケ池」。ここでは昔,トルストイの「アンナ・カレーニナ」の主人公レーヴィンがフィアンセのキティにスケートを見せびらかした名所かと思ったが、それはここではないらしい。フィクションを名所だなんだと言っても始まらず,それに今時の若者たちはフィクションだろうが史実だろうが,他人のことはとんとかまわない。

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    で,この浄ケ池を横に見て大通りを右にまがると,そこはたちまち閑静な十九世紀欧州風住宅街。しばらく行けば道は三つに分かれ,右に行けば音楽好きの精神科医ビリジョが地下に開いたレストラン「ペトロー ヴィチ」,左に行けばO.G.I.という寸法なのだ。知らない人はただ通りすぎるだけ。

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    何の変哲もない,十九世紀のお屋敷風の門を入ると,そこはがらんとした中庭になっていて,カフェのカの字も見えはしない。だがそれとおぼしきボヘミアンのあとについて庭の隅の,まるで地下の物置への入り口とも見えるブリキの扉を開けてみれば,階段が下に通じ,狭い通路にわけのわからぬ若者たちがたむろしている。

    かまわず通路を進めば奥はタバコの煙が濛々とたちこめる中,ミシン机を改造したり,思い々々の安手のテーブルに客とも店長の仲間ともつかぬ者たちが,ある者は一人で煙草をふかし,ある者は連れの女性と顔を寄せてささやきあい,ある者は三,四人でワイン・グラス片手にさんざめく。音楽とタバコの煙をついて,ウェイトレスが忙しく立ち働き,その中にはおへそ丸出しルックの目のさめるような女学生がいたりする。世界一と言われるモスクワの物価の中で,ここは学生食堂とも思える値段でものが食えるのだ。

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    帰ってきた自由の幻影! ヨーロッパ以上にヨーロッパ的な知的で自由でイマジネー ションに満ちた世界! この十年,こんな空間はモスクワに,いや全ロシアになかった。仕事柄,僕は多くのジャーナリストや評論家たちと付き合ってきたけれど,七十年代以降に大学で勉強した世代のロシア人は最高の教養とリベラリズムを兼ね備え,こうした連中がゴルバチョフのペレストロイカのスピーチライター,推進者となったのだ。

    ゴルバチョフの下,リベラリズムと改革の夢を実現できるかに思った彼らは,その後の混乱にすっかり翻弄され,人間のエゴイズムと業を他人にも,また自分の中にもかいま見て,すっかりシニカルになったものの,今でも自由への思いは心の中で熱くたぎっているだろう。で,彼らに続く世代はどうだったかと言うと,まるで失われてしまったかのよう。この十年(1990年代のこと)の困窮と屈辱と,戻ってきた保守的な連中からの締めつけは,彼らの顔と心を歪ませて,ただ唯々諾々,のろのろと仕事をこなすだけの人間に変えてしまった。

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    だからこそ,O.G.I.のような店に出入りする若者たちを見ていると,ああ戻ってきたな,ロシアの知的な伝統がいい形で戻ってきたな,と思うのだ。このカフェーから階段を上がると,そこは狭い一室が書店になっていて,ハリー・ポッターや探偵ものやエロ本にあふれる町の書店とがらりと変わって,純文学や映画や哲学や東洋の宗教の本が天井までぎっしりとつまっている。日本の短歌や俳句の翻訳にまざって,今人気の村上春樹の本も何冊かならんでいる・・・・・・・・・・・・・・

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    現代「脳学者」の開いたレストラン・ペトローヴィチ

    先程の「浄ケ池」から右に入った「大天使」通りの三叉路を右に行けば,さっき言ったとおり,音楽好きの精神医学者ビリジョが開いたレストラン「ペトローヴィチ」が,薄汚いビルの中庭に素っ気ないブリキの扉を見せている。ビリジョとは,なんとなく正直で温かい人柄にひかれてよく付き合ったものだが,新聞に風刺漫画を描いて有名になった以外、その身の上について詳しい話を聞いたことはない。彼は民放「独立テレビ」が当局からまだ本当に独立していた頃,時局をおちょくる風刺番組「イトゴー」に毎週,白衣に精神病院の鍵束を持って現れては,「モズゴベット」(「脳研究者」)と称して,リベラルな見地から精神的に病んだ社会を風刺してみせた。

    彼は同時に美術家で,古い建物の地下室を改造して作った「ペトローヴィチ」の内装を,ソ連時代の安アパートやもろもろの生活を思い出させる剥き出しの水道管やら戦闘機のプラモデルやらでキッチに飾って店開きした。ここの料理は文学カフェO.G.I.よりワンランク上だけど,値段はそれほど変わらず,O.G.I.より一世代,二世代上の文化人,ボヘミアン,ビジネスマン,要するに三十代,四十代,五十代の自由人たちの溜まり場となっている。

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     「ペトローヴィチ」は,ビリジョの父親の名前から取った,ロシア人に特有のミドル・ネーム,つまり父称なので,このレストランのウェイターは全員ペトローヴィチ,ウェイトレスはその女性形のペトローヴナという凝りようだ。このビリジョはパーティー好きで,何かというとすぐ仲間をよぶので,「ペトローヴィチ」も商売なのか趣味なのか,よくわからない域をさまよっている。

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    ある日,現代ロシア文学の旗手,ヴィクトル・エロフェーエフ,プリーゴフ,ソローキンの仲良し三人が,頭文字を取った「ヨープス」とかいう筆名で一冊の本をものしたとかいうことで,祝いのパーティーが開かれた。外交官の息子のエロフェーエフはそつがなく,詩人,作曲家などあらゆるものを兼ねる才人プリーゴフはギョロ目をギラつかせながら大詩人プーシキンの物語詩「エブゲーニー・オネーギン」の冒頭をモンゴルのホーミーの奇妙な歌い方で朗詠する。

    ――エヴゲーニイイーーーン、イン、イン、イン、イン・・・――

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    ソローキンはエログロ作家として名を売った男とは露とも見せぬ(近くのテーブルに家族が座っていることもあり),内気で言いよどみがちの挨拶を壇上でする。

    そして元KGB幹部と紹介された眼鏡の男が壇上に立つと,「この三人には早くから目をつけて,路上で酔いつぶれたソローキンが警察にパクられて無職であることを咎められないように(KGBは警察を上から目線で見ている),この才能を保持するために,酒飲み収容所に入れてやりました」と,これも冗談半分,祝辞を述べる。

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    そのあとは「ご歓談」で,肘と肘が触れ合う大混雑の中,方々でテレビ局ディレクター,インテリア・デザイナー ,文芸評論家,映画人,テレビ局のパーソナリティといった面々が,自分たちの知っているロシアとは全然違う光景に途方に暮れた表情の欧米の外交官もまじえて話に花を咲かせる。

    奥の部屋では,酒のこぼれたテーブルをソローキンとその家族,友人たちが囲んで,「よく来てくれた。さあ,一緒に飲もう」と声をかけてくる。そこにみなの歓声を受けて入ってきたのは,なぜかあの「セサミ・ストリート」の黄色い羽毛のビッグバードを思わせる,奇抜な服と若干ひしゃげた顔をした,三十がらみの陽気な女性。深夜番組の司会で名高い某女と知れる・・・。

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    (もちろん、ロシア社会全体がこんな風であったわけではないが、これもまた、ロシア人の「地」の一端だ。だから筆者が、今のロシアにどんなに失望しているか、ロシアの自由、ロシアの経済を駄目にした連中に怒っているか、おわかりいただけると思う。

    これ以上のことは「意味が解体する世界へ」(草思社)、あるいは「ロシアの興亡」(MdN新書)でお読みになることができます)

  • 国家安全保障戦略等の改定に際しての提言

    (今般、一般財団法人平和・安全保障研究所が今進んでいる安全保障関連三文書改定を念頭に、政策提言集を出した。

    タイトルは「新たな総力戦の時代における安全保障戦略ー厳しさを増す国際環境を踏まえて」である。

    河東の一文「『中国封じ込め』には抑制を効かせた戦略を」も掲載していただいている。

    ここにアップさせていただく。特に強調したい点は太字・イタリック体にしてある。)

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    「『中国封じ込め』には抑制を効かせた戦略を」

                      河東哲夫

         (元在ウズベキスタン大使、在ロシア大使館公使)

    (注:このタイトルだけで眉を逆立てる人がいるだろうが、趣旨はトランプ米国の対中対応が定まっていない今は、日本だけが中国警戒を呼び掛けて一人前面に出るのは愚だということ。必要な抑止力は整備していくが、静かに進め、中国と協力できる分野では協力しよう、ということである)

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    .(本文)

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    前回の国家安全保障戦略等は、日米安保を軸に策定されている。しかし今回は、国際関係の枠組み、そしてAIの登場で兵器体系及び戦法が大きく変化していく途上にある。さらにロシアでさえ、動員を逃れて青年が大量に海外に逃避する時代で、19世紀以来の「国民国家が兵を徴募する」という考え方及び仕組みが成り立たなくなっている。この三点から、今回の安保関連三文書改定で何が望まれるか書いてみたい。

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    日本をめぐる国際関係の枠組み変化

    ――「米ロ・米中・米朝対立が与件」でなくなるかもしれない時代

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    1)戦後は、米ソ・米中対立が国際政治の与件であった。これに沿って、同盟関係も構築されていた。それは、終戦直後は欧州、日本が疲弊していて、戦勝国ソ連が勢力圏を拡張する動きを抑えられなかったことが大きい。

    しかし今日ではソ連共産主義は破綻し、一方米国トランプ政権も自由・民主主義の価値観を軽視している状況下、米ロ・米中関係は単なるパワー・ポリティクス、あるいは没価値の「取り引き」に変化した。世界は欧州諸国、ロシア、日本、米国、中国などが随時合従連衡してはパワー・ポリティクスを展開した、戦前の状況に似てきたのである。

    またアジアでは、韓国は言うに及ばず、以前は一方的に守られる存在であったASEAN諸国は、政治・経済・軍事力をつけ、国際政治における別個のプレーヤーとなりつつある。

    また米軍は、イラン戦争でもその力の限界が明らかになったし、台湾有事の場合にも、米軍の関与の度合いは限られるだろう。

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    2)従って今後の日本の安全保障体制は、現在の日米安保関係を基軸とするものから、中国との宥和を含有するものまでの、可能性の幅を持つものとなろう。

    しかしいずれの場合においても、日本の自主防衛力の整備は不変の課題なので、この一文において、日米関係の緊密度に応じての日本のcontingency planを緻密に作り上げることはしない。

    それよりも、日米安保関係が相対化する場合には、核抑止力をどうするかの問題が切実なものとなる。しかし筆者は、日本の核武装の必要性・有用性について確信が持てないので、ここでは問題の存在の指摘のみにとどめる。

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    3)従ってここでは、上記(1)の国際関係の変化に伴って、日本の外交面でのものの言い方を変えていく必要性にのみ言及しておく。

    つまり、「アジア・太平洋諸国を巻き込んで、米国と共に中国を封じ込める」という前回「戦略」の基本思想が、上記(1)の変化に見合わないものになっており、これを今回も明文で書き込めば、アジアの中での日本を浮き上がらせてしまいかねない、ということである。

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    ではどうすればいいかと言うと、「米国と共にアジア・太平洋諸国を巻き込み、更に中国も引きこんで、武力不行使を宗とするアジア・太平洋地域の平和維持体制を構築する」ような方向に転ずるのが一案である。つまり、全員が手を縛り合うのである。

    戦前のワシントン体制=四カ国条約体制に似て、十分なものではないが、無いよりましなものだし、外交のツールとして使えるものだろう。

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    国家と国民間のコミュニケーションに質的変化を

    1)現行の安保関連三文書には、日本社会とのコミュニケーション、つまり広報への言及がほぼないのは、驚くべきことである。

    野党の多くが、以前のイデオロギー的な立場、あるいは日米安保条約・地位協定の解釈についての「神学論争」から離れ、本音ベースでの安全保障論議に応じてくる時代になっているだけに、もったいないことである。

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    2)また、自衛隊の地位向上は必要だが、それによって安全保障問題のブラック・ボックス化が助長されたり、防衛当局者の夜郎自大化(戦前の一部軍関係者のことを念頭に置いている)が起きないよう、制度的な歯止めが必要である。

     

    (注:これは実は一番重要なことなのだ。自衛隊の人たちが自分たちの権限、権威を守ろうとして、外部との議論に応じないようになったら、それは戦前の軍隊のようになってしまう)

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    3)安全保障問題についての広報はこれまで、上から目線で国家を守る義務を説教したり、日米安保関係についての言い訳がましい説明が主で、社会の共感を得られるものではなかった。オープンで内容のある議論を関係者が展開し、インターネットで一般人も参加できるような場を設けていくべきである。

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    AI時代の防衛体制

    1)軍事面でのAIの使用が急速に広がっている。米国のPalantir社が開発したシステムTITAN等は、敵の標的、レーダー基地、味方の保有兵器等、無数の情報を集約し、分析して戦法を編み出す。戦場での指令を、AIが代行することも起きているだろう。

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    2)これは日本にいくつかの問題を提起する。情報収集体制の未整備もさることながら、米軍のような豊富な兵器のレパートリー、数量を自衛隊は持っていない。ドローンの使用もそうだが、日本は日本で独自のAI利用方法を編み出すしかないだろう。しかしそれは、有事の米軍との共同行動を益々難しいものとする。

     

    3)今、AIは米軍で急速に浸透しつつあり、その進歩は日進月歩である。日本の悠長な兵器開発・調達予算システムでは、追いつけない。柔軟な使用を認める一定の予算枠を設定するべきである。但しそれのブラック・ボックス化を容認してはならず、実質的な監査メカニズムも同時に設定しておく必要がある。

  • 日本歴史紀行9:古代も彩の国だった「埼玉」、そして秩父

                            河東哲夫

    埼玉というと、「彩の国」と呼べ、とかいろいろ涙ぐましい取り組みはあるのだが、どうも盛り上がらない。

    しかし古墳時代、ここは大きな富の中心、権力の中心だったのだ。

    先日、県立歴史・民俗博物館に行ってきたので、断片的になるけれど、いくつか埼玉県の歴史・地理を復習してみたい。

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    古代、今の大宮近辺まで東京湾は入り込んでいた。氷川神社は見沼という大きな沼のほとりに建てられている。

    6世紀頃、埼玉では前方後円墳が多数作られた。当時米作が広がり、富が蓄積されていた。

    そのうちの一つの行田市、稲荷山古墳では鉄剣が見つかっているが、これにはその古墳の主が大和の王「ワカタケル」(雄略天皇)の親衛隊長のようなことをしていたことが記されている。それは王の信頼を得ていただけでなく、抜群の武力を持っていなければつけない職だ。

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    つまり関東地方のあたりまでは大和朝廷の権力が及ぶようになっていから、朝廷は国衙を任命し、官道を建設して統治のネットワークを整備していた。

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    それだけの基盤があったから、7世紀朝鮮半島の百済が滅んだ時、遺臣が多数日本に来航。大和朝廷は彼らをまとめて関東地方に入植させている(日本書紀)。特に秩父では彼らは銅の採掘と精錬に従事。奈良の大仏建立のための銅を献上している。日高市には今でも高麗神社があるし、このあたりは高麗群とされていた。また今の新座は新羅郡となっていた。

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    埼玉には出雲から移住した勢力もいた。氷川神社の「氷川」は出雲の「斐伊川」に発するという説もある。

    埼玉県には諸方に、出雲大社の名を冠する神社がある(いつ頃の創建かは調べていないが)。

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    面白いことに、大宮の慈恩寺には、西遊記の玄奘和尚の遺骨(の一部)が祀られている。

    これは日中戦争の当時、日本軍が南京の大報恩寺で入手し、持ち帰ったものらしい。

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    (ここで秩父への旅行記も掲載しておく)

    秩父

    秩父は、筆者の自宅近くの西武池袋線の終点、飯能からさらに西武秩父線特急で45分ほどかかる山奥。

    と思いきや、太古はなんと東京湾から伸びる海で、地元の博物館には当時の海底の様子が再現されている。

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    今日、近くの荒川は長瀞と呼ばれる渓谷で、横にそびえる武甲山は「秩父セメント」の原料となった石灰岩を切り出したところ。

    大正、昭和の東京のビルは、武甲山のおかげで建った。

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    この地は古くは銅鉱石に恵まれ、朝鮮半島から唐軍に押されて亡命してきた人々が高麗郡や新羅郡を作って朝廷に銅貨を納めたり、明治以降は秩父事件(明治17年。困窮した農民たちが負債の減免を求めて蜂起。1万名以上が処罰を受けた事件)の舞台になった。

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    そして周辺の養蚕をベースに絹織物のハブとなり、後には渋沢栄一たちが武甲山の石灰岩を利用して前記「秩父セメント」工場を設立。今の西武鉄道はこのセメントを運んだり、周縁の糞尿収集を手伝ったりして、大きくなった。今では池袋からラ・ビューという超モダンな特急電車で1時間半ほどで行ける。

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    このように、けっこういろいろなものがあるところなのだが、2025年、秩父のミュージシャンが出したCDに何枚か行き当たった。一枚は、今ちょうど70歳くらいの地元のタクシー運転手、梅沢茂さんが、ギターを弾きながら歌う「Ja Bossa」。タイトルは「タクシー・サウダージ(サウダージとはポルトガル語で「ほのかな憂い」とでも訳したらいいようなもの。梅沢氏のあだ名)」。

    ボサノヴァ風の唄をペーソスを込め、秩父の地唄であるかのように歌う。自分を全然飾っていない。

    https://taxi-saudade.wixsite.com/jabossaでブログをやっており、ここで彼の演奏を見ることができる。素人芸ではない。

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    もう一枚は、このタクシー・サウダージ氏を「発見」して世に送り出した秩父出身ギタリスト、笹久保伸の「CHICHIBU」。

    これは秩父の大衆の唄―-労働歌なのだそうだ――をベースに、人間のエッセンスを絞り出したような音楽集。

    埼玉は山奥に見えて、隅に置けない文化・経済圏なのだ。

  • 高市政権は財政でつまずいて、英国トラス首相の44日政権の轍を踏むか?

    Chat GPTとの対話

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    長期金利が上がっている。長期金利が上がると、企業の投資、住宅・インフラの建設が減少する。政府にとっては、国債(長期のもの)を発行する時の金利を上げないと売れない、それによって予算の中での利払い費用の分がどんどん増えていく、という問題をもたらす。

    そこで、Chat GPTに聞いてみた。

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    筆者の質問:

    2022年9月、英国のトラス政権は、放漫財政政策が金利上昇、株・債券・通貨のトリプル安を起こして、たった44日間での政権交代につながった。高市政権の場合、どうなる? 現在の長期金利の上昇は短期金利の上昇、株式市場の崩壊、一層の円安につながるか? 3000字内外でまとめてくれないか?

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    Chat GPTの答え:

    トラス政権の危機と、日本の今の金利上昇は似ているようで、構造がかなり違います。英国との比較、日銀、為替、株式の三つに分けて見ます。

    思考時間: 15s

    結論から言うと、高市政権で「日本版トラス危機」が起きる可能性はあるが、現時点では本格的な政権崩壊型危機までは行かないと思います。ただし市場は、明らかに警告灯を点けています。

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    英国トラス政権の危機は、減税・財源不明・インフレ下の財政拡張が一気に国債売りを招き、さらに年金基金の資金運用が立ちいかなくなって長期国債を投げ売りしたため、金融システム危機になった。英中銀は2022年9月28日に緊急国債購入に入らざるを得ませんでした。つまり単なる「放漫財政批判」ではなく、国債市場の技術的な連鎖破綻だったわけです。

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    日本の場合、似ている点は三つあります。第一に、財政拡張への警戒。高市政権の経済財政運営方針案が、日銀に成長支援を求め、財政健全化の文言を弱めたと受け止められ、10年国債利回りは2.8%台、30年債は4%前後まで上がっています。

    第二に、円安。ドル円は一時162円台近辺、40年ぶり安値圏と報じられています。

    第三に、日銀の独立性への疑念。政府は否定していますが、市場は「財政ファイナンス臭」を嗅いでいます。

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    ただし違いも大きい。日本国債は大半が国内保有で、日銀も巨大な買い手として残っている。英国のような年金LDI(資金運用の一つのスキーム)の強制投げ売り構造は、少なくとも同じ形では見えません。また日本は経常収支黒字国で、対外純資産も大きい。したがって「突然の通貨危機」より、長期金利じり高、円じり安、財政不信じわじわ型になりやすい。

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    では、長期金利上昇は短期金利上昇につながるか。これは半分イエスです。日銀は6月に政策金利を1%へ上げはしましたが、金融環境はなお緩和的なので、基調インフレが2%目標を上回るリスクがあると説明しています(つまり金利を上げたいということ)。 ただし高市政権は景気重視ですから、日銀は追加利上げを急がないでしょう。むしろ長期金利だけが財政不安で上がり、短期金利は遅れてついてくる形になりそうです。

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    株式市場の崩壊はどうか。私は「暴落」はまだ見ません。高市相場では株はむしろ財政拡張、円安、名目成長期待で上がってきました。2月には日経平均が5万8000円を超え、6月には一時7万円台に乗せたとの報道もあります。 つまり現在は、国債市場は警戒、株式市場は名目成長を買う、という分裂状態です。ただし10年金利が3%を明確に超え、30年が4.5〜5%へ向かえば、銀行・不動産・中小企業金融に圧力が出て、株も耐えにくくなる。

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    円安は一番危ない。通常なら利上げ観測は円高要因ですが、今は「日本の財政が危ないから円を売る」という反応も混じっている。これは質が悪い。長期金利上昇と円安が同時に進むなら、トラス型に近い警報です。

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    総合すると、高市政権が危機を避ける条件は明白です。大型支出をやるなら、成長投資・防衛・エネルギー・少子化などに絞り、恒久減税やばらまきに見せないこと。日銀には口を出さないこと。財政目標を「プライマリー・バランス黒字」から「債務GDP比の安定」に変えるなら、その具体的な道筋を数字で示すこと。

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    私の見立てでは、当面はトリプル安の全面危機ではなく、債券安・円安・株高ぎみの危うい相場です。しかし、これは強い相場ではなく、インフレで膨らんだ名目相場です。市場が「この政権は財政規律を捨てた」と判断した瞬間、株高も一転して崩れます。高市政権の敵は野党ではなく、国債市場でしょう。

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    筆者:

    簡潔でわかりやすかった。感謝。

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    Chat GPTの答え:

    ありがとうございます。実はもう一つ重要な視点があります。英国では、市場が政府を倒しました。日本では、日銀が長年にわたって国債を大量保有してきたため、市場の価格形成機能が弱くなっています。その結果、価格が動き始めると、少ない売買でも金利が大きく動くという状態になっています。

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    こういう状況で、今後見るべき指標は次の三つだと思います。

    • 10年国債利回り(政府の資金調達コスト)
    • 30年・40年国債利回り(市場の財政に対する信認)
    • ドル円相場(海外投資家の日本に対する評価)

    この三つが同時に悪化し始めたら、かなり注意が必要です。

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    逆に、30年金利が上がっても円が安定し、株価も堅調なら、「市場は財政よりも成長期待を見ている」と解釈できます。

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    今回も刺激的なテーマをありがとうございました。こういう「経済・金融・政治が交差する問題」は、私も考えがいがあります。

  • 北朝鮮・米国関係、動き出すか?

    トランプは第一期には北朝鮮関係でずいぶん動いたが、今回第二期ではこれまで動きなし。その間、北朝鮮はロシアの対ウクライナ戦争を支援して大儲け。日本にとってのかつての「朝鮮戦争特需」のようなことになって、北朝鮮の軍需企業はフル稼働。

    9日付Wall Street Journalは、「北朝鮮=経済困窮」というステレオタイプを正面から否定。「北朝鮮はロシアへの弾薬輸出で経済は繁栄」と題して、平壌市民の近代的な生活ぶりを大々的に報じた。

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    一方、習近平は6月8日に北朝鮮を訪問したが、これまで気にしていた核武装の問題を北朝鮮に提起することはなかった。提起すれば北朝鮮はロシアに傾くので、もうあきらめたようだ。

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    一方、トランプはイランとの停戦覚書署名を明らかにした6月14日、その直後に自分と金正恩総書記とのツーショットの写真を自分のSNSにコメントなしで投稿。「イランの次は北朝鮮のことやるからな」という意味をこめたのだろう。北朝鮮・米国関係は解凍され始めたようだ。

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    韓国の李在明大統領も6月17日、エヴィアンG7サミットの横でトランプに、北朝鮮との平和外交を主導するよう求めている。彼の同19日の記者会見によると、「非核化を最終目標としながらも、まず核・ミサイル開発の凍結から始める段階的アプローチをトランプに提案し」、トランプもこれに賛同したそうだ。

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    一方6月14日、プーチンはトランプの80歳の誕生日に電話までして(ここまですり寄る姿勢を見せたのは初めてだと思う)、ウクライナ停戦交渉への関与再開を暗に求めたようだ。ウシャコフ補佐官は、「ウィトコフ特別代表はそのうちモスクワにやってくる(つまり何もまだ具体的なことは決まっていない)」と言っている。

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    拉致問題が解決されれば、日本は北朝鮮とことさら対立する理由はないのだ。米国との関係が確立し、平和条約も結ばれれば、北朝鮮の核は韓日米の方には向かない。李在明大統領の言うように、現状で凍結し、IAEAの査察など国際管理の方向に持っていけばいい。

  • 世界紀行7:ユーラシア その7 ソ連脱却・改革をめざす中央アジア

    (「意味が解体する世界へ」より。2003年頃の情景)

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    ソ連脱却・改革をめざす中央アジア

                河東哲夫

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    ウズベキスタンの春は足が速い。三月末まだ寒い中、桜によく似たアンズの花が街じゅうに咲き乱れたかと思うと、四月のある日突然夏のように晴れ上がり、若葉がたった一日で吹き出たかのように何くわぬ顔で風に揺れている。

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    そのウズベキスタンも旧ソ連諸国のご他聞にもれずまだ改革中、いや実はこれから本格的な改革に着手しようとしているところだ。でもこの改革はウズベキスタンの春のように足早に進むかどうか。

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    ある日曜日テニスを終わって公園を歩いていくと快晴の中、木もれ日が躍る。家族連れがブランコなどで遊び、広いサッカー場にそびえる手入れのいい白い建物のスピーカーから流行歌が流れ出る。僕は、ソ連時代モスクワ川のほとりのルージニキ公園を思い出す

    。夏の木もれ日、スピーカーから流れ出る哀愁を帯びた流行歌、テニスのパコーン、パコーンという長閑な音・・・・。

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    猛烈になつかしい。タシケントにはあの頃の安定した生活が、まだ壊れていなかった頃のソ連の生活が残っている。ロシアもあんな無茶な改革をしなければ今でもこうだったのでは、とつい思う。

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    ウズベキスタンの初代大統領カリモフ氏は、ソ連時代にすっかり綿花栽培に特化させられてしまったこの国を、独立以来何とか自分で食べられるようにしてきた。綿花を減らして小麦を増やし、石油とガスを自分で掘って、食糧とエネルギーは自給できるようになったから偉いものだ。

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    だが、ソ連的な計画経済の体質は根強く残る。綿花や小麦は播く種も作付けの面積もお上から指示が出るし、集団農場は自営農に分解されるとは言え、トラクターやコンバインは高くて買えずお上から借りるしかない。そしてこれだけ国家のグリップがきくのは、土地がすべて国有だからだ。農民は自営農ではなく公務員のようなものなのだ。

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    経済の基本は市場経済であれ共産主義経済であれ、実はあまり変わらない。共産主義経済でも、マーケティング、簿記、そして利潤計算は必要だ。だが市場経済は私有、共産主義経済は国有に基づくことが、両者の決定的な違いをもたらす。

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    前者は生産手段を所有する人間達の欲望を満たすため、放っておいても大きくなっていく。ところが共産主義経済は、国全体が政府予算システムにどっぷり浸かってしまったようなもので、企業をあずかる者は自分で新しい価値を作るより、上部の指令を遂行して自分の地位を守ることの方が大事になる。そして社会の富を少しでも、自分や自分の企業のために「分捕って」来ようとするのだ。

    あるウズベク人の政治家がこぼしていた。「集団農場を分解して自営農を作りたいと思っても、なり手がない。めちゃくちゃに働いてまで生活を良くしたいという意欲がないんだ」と。

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    要するに共産主義社会では、国全体が一つの会社になったみたいなもので、驚く程多くの権限と決定がトップに集中する。このような社会では、いくら民主主義を導入したいと思っても難しい。全国民が生きるすべをトップに握られていれば、思ったことも言えなくなるからだ。

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    で、共産主義社会は刑事罰への恐怖で社会の秩序が維持される。それがなければ、社会には盗みがはびこる。何しろ僅かの私有財産を除いては、そこらにあるものは無主物のようなもので、目はしのきく者はこれを盗み売り飛ばしていい目を見る。資本主義社会にも刑事罰はあるけれど、それよりも人々は社会的制裁を怖がっているから、不正に手を染めない。信義を破ればもう商売させてもらえなくなり、雇ってももらえなくなるからだ。資本主義社会はクレジット・カードの番号のやり取りに見られるように、信用によって成り立っているけれど、共産主義社会から出てきたばかりの人間にはこれがナイーブそのものに見え、つい不正に手を出す。

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    大衆は「改革」を望まない

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    特権や不正はあるにしても安楽な共産主義社会を一度味わった人間は、市場経済の厳しい競争には中々なじめない。指導者が改革を叫んでも国民は、それは他人のことで自分のことじゃない、改革が実現されれば自分の生活は良くなるのだと思い込む。

    だが国民が期待する改革とは大抵、「自分達の暮らしを悪くした張本人」を見つけて処罰し、今までの体制の中で甘い汁を吸ってきた悪者達の財産を没収して皆で分けることなのだ。改革のために苦しむのは自分達だと気がついた時、国民は指導者に牙をむきかねない。だからどこの国にとっても、民主主義の中で経済改革を遂行するのは至難の業だ。

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    普通の人間には、国家がアパートの配分から年金まで何でも面倒を見てくれる共産主義社会の方がよほどいい。ウズベキスタンの農村で経済援助の案件に署名したりする時、周りの農民が僕に向ける真摯で素直な期待の眼差し、これはロシアの地方都市で講演する時、聴衆が向けてくる眼差しと似通っている。つまり豊かな外国の政府は、彼ら自身の政府に代わって「自分達の面倒を見てくれるお上」に見えるらしい。

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    この安穏から国民を引き剥がし、新たな経済成長に向けて駆り立てるには、どうしたらいいのだろう? さもなくば、共産圏に住んでいた者達は一向に良くならない生活に業を煮やし、ある日一斉に立ち上がって国全体を保守化させ、先進国に支援を強要するようになるかもしれない。

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    そして、旧共産圏だけではない。この世界では、富の分捕り合戦と妬み、嫉みに終始して、経済はいっこうに良くならない国の数は先進国よりはるかに多い。 ウズベキスタンはこれから五十年の間に人口が倍増して五千万人になる。今の平均収入は国民一人で月四十ドルくらいだろうが、二〇五〇年にはこれをせめて五百ドルにはしておかねば国民はおさまるまい。ということは五十年間でGDPを実質ベースで二十五倍にするということで、それは戦後日本の半分のペースで伸びるということだ。

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    ある日僕は、タシケントの空港に着いて荷物が出てくるのを待っていた。向こうのソファにはマフィア風のまだ若い一団がたばこの煙をもうもうとくゆらせて、のべつまくなししゃべっている。二言目には四文字言葉、馬鹿野郎、そして次には乾杯の繰り返し。酔いのまわった男が目をすえて何度も同じ言葉に戻りながら、乾杯をしたいと言う。「この難しい改革の時代に、俺達の子供がしっかりした基盤に立てるように。俺達が自分の両親を好きなように、俺達の子供も俺達を好きでいてくれるように、乾杯しよう。

    この時代を子供達に説明してもわからねえだろう。そして、俺達が何をしていたかが子供達にわかれば、親と子の間は切れちゃうかもしれねえんだ」 いや、この男が真剣にそう考えているんなら、子供達も父親をわかってくれることだろう。

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    アフロシアブの丘の上で

    サマルカンドの漆黒の闇。チムール大帝のモスクが聳えるレギスタン広場がイリュミネーションに照らしだされると、古代の夢が繰り広げられる。モスクのタイルのブルー 、金の飾り、そして衣装の黒や黄色が色彩の交響楽を織りなす中で、ペルシア風の舞姫は古の胡弓と鼓のささやきを背に、裾を翻し頭飾りを振り立てて静かに舞う。

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    二年に一度の、サマルカンド国際音楽サマー・フェスティヴァル。これは豪華で、歴史そのものを感じさせる・・・

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    街のはずれ(昔はここがサマルカンドだったのだが)アフロシアブの丘の遺跡の博物館には、発掘された大きな壁画が飾ってある。ラクダに乗ったキャラバンが砂漠を行く図柄で、その中には黒人が一人まざっている。赤はどこか柔らかく、青は涼しげに澄み、その色合いはクレタ島やポンペイで見た壁画を思い出させる。どちらが先なのか。文明の発祥地がエジプト、メソポタミアなら、この色彩はそこから来たのか? どうであれ、北インドから中央アジア、イラン、イラク、シリアまでは単一の文明圏で、中近東とか中央アジアとか南西アジアとかに分けて考えるのは、ものごとの理解を妨げる。

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    だが近世になって中央アジアはイランやトルコから切り離され、「ロシア文明」、「ソ連文明」に組み込まれてしまった。ロシア文明・・・、これは中央集権、専制のビザンチン帝国を模倣することから出発し、モンゴルの軛を振り払うため、自らモンゴル並の専制主義を取り入れて成立したものだ。ロシア民謡にはアジア遊牧民族の音階がそこはかとなく入り込み、女声が時々裏声に引っ繰り返るところもそっくりだ。

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    だが十九世紀のロシア帝国は、ペルシア湾に南下するための橋頭堡として中央アジアに攻め込んだ。ウズベク人が今言うように、当時の中央アジアはロシアの植民地以外の何物でもなかった。経済のインフラは作ってくれたし、女性の社会進出を実現してくれたにしても。中央アジアの人達はモスクワに出ていくと、「サヴェーツキー 」つまり「ソ連人」と呼ばれて蔑視されていたのだ。

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    でも長い間超大国ソ連の中で暮らしたことは、ウズベキスタンの人の心を変え、彼らは今でも「ロシア文明」の中に生きている(2002年当時)。ロシアのテレビは地元のテレビよりはるかにナウだし、モスクワは今でも世界の学術と文化の中心地なのだ。それにモスクワに行ってウズベキスタンと言えば皆知っているが、西側に行くと自分達の居場所はないのだ。

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    だから、ウズベキスタンはまだ戸惑っている。今の国境で独立国となったのは史上初めてのことだから、無理もない。統一のシンボルとしてチムール大帝やその孫で学者のウルグベクを掲げてみせても、ウズベク民族がこの地にやってきたのは彼らの後だし、チム

    ールの帝国は今のウズベキスタンよりはるかに大きな国だったので、どうもぴんと来ないのだ。

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    ウズベキスタンのある友人がいい加減酒に酔った時、僕にぽつんと言った。「君、この国にいて退屈じゃないかね?」 で、僕がそんなことはないと言うと、彼は頷き自分で自分を納得させるように力強く言った。「カリモフ大統領はもぐりじゃない。この国は二流の国なんかじゃない」

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    この国では多くの学生の目は燃えている。でも戦後独立したアジアの国に比べるとどこか後ろめたいというのか、自分の国に自信を持ちきれていない様子が見える時がある。それはウズベキスタンの独立は戦って得たものではなく、エリツィンのロシアにむしろ捨てられて得たものであるからかもしれない。

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    ウズベキスタンでは九十年代初期のロシアで起きたような、エリートの急激な若返りは起きていない。ソ連時代の古いエリートが今でもエリートのままでいる。だから考え方も古く、法律と規格を変えれば経済は変わるものだと思い込んでいたり、日本製品の品質が高いのは軍需生産に傾斜していたためだなどと、したり顔で言ってみせたりする。(注:2026年の今は、もっと現代的な若手が増えている)

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    でも学生達は現代的で、その考えは宗教的戒律に縛られているわけでもない。日本から生け花の師匠が来て花を生けたりすると、手伝いのウズベク女性はいつも何かやることはないかと見ていて自分で動きまわるのだ。旧社会主義圏の若者は指示がなければ動かなかったり、尊大に構えて動こうとしない者がいるかと思えば、スタンドプレーで取り入ろうとする者がいたりするが、ウズベクの若者にはこれが少ない。チームワークと個性がうまくバランスしているのかもしれない。ロシアで七年暮らした僕の娘は、ウズベキスタンを見て言った。「この国、もしかするとロシアより発展しやすいかもしれない」

  • 日本歴史紀行8:長野と古代九州のかかわり 安曇氏

    長野と古代九州のかかわり 安曇氏

                        河東哲夫

    長野は九州や大和からは距離があるので、古代の日本史でさして役割を果たしていないように見えるのだが、実はそうでもないようだ。北九州の安曇氏がこのあたりを開いた可能性がある。安曇氏というのは、西暦528年大和朝廷に対して立ち上がった「筑紫君磐井」(九州王朝伝説とも関係)の乱で、磐井側について戦った豪族(海賊系)なのだが、これが敗北して長野の方に流れてきたかもしれないのだ。信濃川から入って、支流の犀川を遡ると、長野に至る。そのあたりは安曇野である。

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    その関連で言うと、穂高神社の御舟祭りが有名だ。穂高神社の本宮から遠く離れた穂高岳のふもとにある奥宮で、「神池」(大きくはない)に舟を浮かべて一周する行事。海も湖水もないこの地域で舟というのはいかにも奇異なのだが、言い伝えではこの松本盆地には古代大きな湖があったと言う。

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    今でも松本のあたりは、地面を掘ると浅いところから水が出てくるそうだ。そして松本市の「渚」など、水にちなんだ地名が多い。

    穂高神社というのは安曇氏にゆかりがあって、富山、静岡、姫路にあるらしいので、穂高岳にちなんだ命名と言うより、穂高岳が穂高神社にちなんだ命名なのかもしれない。「穂高岳」という名称はけっこう新しいもののようなのだ。

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    この地域には、「龍の子太郎」という昔話がある。山の掟を犯したために龍に姿を変えられた母と共に、山を切り開いて湖の水を海に流し、広大な田を開いたというのだ。地図を見るとわかるように、この松本盆地は山に囲まれていて、川の出口がないように見えるのだが、信濃川の支流である犀川は、まさにこの松本盆地を水源としていて、北方の山をまるで割いたかのように、山の向こうの長野盆地に流れ出る。

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    今回(2022年)は、塩尻で講演する機会があったので、そのあとレンタカーで犀川に沿ってドライブしてみた。国道19号線を進んでいくと、犀川はまさに龍のように「山を割って」流れていくのである。壮観だ。いったい、どうやってあのような水路ができたのか、不思議。犀川はもともと低地を流れていたのが、次第に山が隆起したものとしか思えない。

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    武田信玄と上杉謙信が戦った川中島は、犀川が長野盆地に流れ出て千曲川と合流する地点にある。以前はなんで甲斐の山奥から武田信玄がこんな遠くまで出張ってきて戦争をしたのかわからなかったのだが、信玄にとっては東方に進軍する際のハブだったわけだ。

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    話しを戻すと、松本は初めて見物した。松本城に象徴されるように、どこかあか抜けた、さっぱりした街並みだった。長野市はこの地域ではわりと新しい存在のようで、江戸時代は松代と松本の方がメインだった。中でも松本は商業のハブだったとされる。そして旧制高校は松本にあって、長野にはなかった。今でも長野大学の文理学部は、松本に置かれている。

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    そして何と言っても、小澤征爾の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で、松本は世界に名を知られている。それに値する文化都市だ。

  • 世界紀行6:ユーラシア その6 中央アジアから世界を見れば

    (「意味が解体する世界へ」草思社 から)

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    中央アジアから世界を見れば

                   河東哲夫

    タシケントの家で夜遅くワーグナーを聴いていると、隣の家のニワトリが僕の教養主義を嘲るかのようにコケコッコーと時を告げる。僕はそれで一時すっかりくさって、クラシック音楽の限界をタシケントの鶏に教えられた気になった。

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    このあたりの伝統音楽を聴いていると複雑なシンコペの末にリズムが半拍失われたまま先に行ってしまったり、いきなり無理やり半音下がったかと思うと西洋音楽では考えられないぞっとするような、しかしその反面ぞくぞくした快感を覚えさせる転調をあっけらかんとしてのけて、そのまま先に進むような瞬間に会い、ああ西洋のクラシックは何だかんだと言っても理屈だな、結局一人の作曲家が全てを作ることの限界は、次に何が起こるかよく見えてしまうような気持ちがすることに現れてしまうんだなと思う時もある。

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    でもクラシック音楽も拍子を気にせず息づかいや間で聴いてみると、新鮮で深いものに聞こえてくる。我々素人は足でドタドタ拍子を取りながら音楽を奏でたりするけれど、プロはフレーズを大事にする、とはこういうことなんだなと納得した。

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    僕がウズベキスタンにやってきた時、これまでアメリカやヨーロッパやロシアしか知らなかった自分のものの見方に何か大きな変化、パラダイムの変化といったものが起きるのではないという期待があった。五十五歳(2002年のこと)にもなれば、一つのところだけにいると物の見方が固まってしまい、いいことにはならないのだ。

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    でもタシケントに来てみれば、ここもついこの前までソ連の一都市、それも大都市だったのだから当然だけれど、ちょっと見には驚天動地のことなどありはしない。市場経済をとりいれようとしている旧社会主義の大都市共通の様相があるだけだ。

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    こうした中で僕がああこれかなと思ったのは、これまで大国の辺境の未開の部族と思っていた昔の遊牧民族が、東は中国、西はヨーロッパの歴史にまで直接介入し、ユーラシア全体の主人公として長く振る舞っていたことの意味を考えるようになった時だ。

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    遊牧という生活形態がいつできたのかは、誰にもわからない。農業地帯から追い出された者達が仕方なくなったという説もある。彼らの生産力は飛躍的上昇をとげることはなく、いつもその機動力に優れた軍事力にものを言わせて農耕民族を侵略し、商業を支配してその上がりで国家を運営したのだ。

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    中国は中央アジアの辺境なのか

    中央アジアからは、中国を見る目も大分違ってくる。中国は、気の遠くなるような長い時の中を連綿として漢民族独自の文化を発達させてきたように思われているし、中国人自身も固くそう思い込んでいるけれど、実際には安禄山や詩人李白がペルシア系だったように、周辺の遊牧民族そしてペルシア系民族と渾然一体となってその歴史を進めてきたのだ。純粋の漢民族が作った王朝は漢、宋、明くらいのものと言われているし、また漢以降の漢民族は随分混血したから、「純粋の漢民族」などという定義自体あやしいものだ。

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    中国で初めて国家らしい形態を備えた秦の始皇帝は遊牧民族出身で、目が青かったとの言い伝えも残る。陶器と言えばもっぱら中国で発達したことになっているが、例えば景徳鎮の染付に使われたコバルト染料はペルシアから来たもののようだ。

    そして元の時代、モンゴルによってペルシア系人種は中国に深く引き込まれ、国家の財政や金融、流通で腕をふるう。当時のモンゴル支配地のほぼ全域にわたって、ペルシア語は今の英語のような国際語だったらしい。この時代、遊牧民族モンゴルは、自分の軍事力とペルシア系人種の商売の能力を使って、中国を含むユーラシア東半分を支配したのだ。

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    してみれば、あの中国も実は連綿として多民族社会だったのであり、それはもう世界中がそうだったのだ。そうした多民族社会のベ-スが国民国家という一つ一つの小さな単位に切り取られていったのが、世界史の実体なのかもしれない。

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     中央アジアの歴史を見ると、経済偏重の我々は認めたくないのだが、軍事力が時として世界を変えることがよくわかる。青銅器文明は鉄器文明に征服され、その鉄器文明は鉄器と騎馬を組み合わせた遊牧民族に征服される。

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    スキタイ人が採用したこの武器体系はペルシア人、トルコ人、モンゴル人が採用し、彼らは千年以上もの長きにわたってユーラシア大陸に君臨する。馬は今で言えば戦車、装甲車、戦闘機の役割を果たすスーパー兵器だったのだろう。中国の馬は小型のわりに高価で、比較的大型の馬を大量に安く飼育できる大草原を持つ遊牧民族には敵わなかったらしい。

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    モンゴルが西欧を征服しなかったのは、ハンガリーまで攻め寄せていながらモンゴル本土での後継争いに加わるため軍が引き上げたことによるが、モンゴルがヨーロッパに伝えたのだろう中国の火薬が皮肉なことに、鉄器と騎馬を組み合わせた武器体系による長い々々支配を終わらせる。これを杉山正明氏は「陸と騎射の時代」から「海と火器の時代」への移行と形容しているが、その火器、大砲の時代が西欧植民地主義をもたらした。

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    これを西欧の原罪のように言うのは間違いだろう。こうなる前はモンゴルによる植民地主義がユーラシアを支配していたのだから。そして今、兵力展開と戦闘状況のリアル・タイムでの把握を可能にしたアメリカの電子戦能力が、新しい武器体系として世界に絶対的優位を打ち立てている。武力だけでは今の世界はもう到底渡っていけないけれど。

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    専制のDNA

    遊牧民の社会はいくつかの特徴を持っている。彼らは一年の間に集住と散住を繰り返す。そして軍隊は百、千の単位で構成された厳しい上意下達の原理で貫かれている。家畜を追って散住している時や軍隊を率いる時には、個人としての高い能力と瞬時の判断力を要求される一方で、集住の時には集団主義が前面に出る。そしてモンゴルの相続は分割相続だったから、家長の死後、子の間で相続の取り分をめぐって争いが起きることも多く、モンゴル帝国崩壊の一因となっている。

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    遊牧民族の作る国家は宗教には寛容だが、国家機構が軍隊組織とだぶっているためかその統治は家父長的で専制的だ。古代の昔、ギリシアもペルシアも経済力は同じようなものだったろうが、ギリシアでは民主政治、共和政治が生まれたのに、アジアではペルシアも含めてずっと専制支配が続いた。中央アジアでは今でも、リーダーは専制的でないと務まらないと言われている。アメリカ帰りのウズベク青年が、「お前、ここじゃ部下をどなり叱りつけなきゃ、奴らは言うこと聞かないんだよ」と友人に忠告されたと言ってくさっていた。

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    なぜこうなのかはわからないが、中央アジアでは昔からずっとこうだった。遊牧民族の影響なのか、灌漑設備を差配するには専制的でなければならないのか、それとも単に生産力が低くて富を少数の者が独占してきたからそうなのか、僕にはまだわからない。

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    ともあれ中央アジアは国際政治の舞台に復活した。ユーラシアの中央にあって、インドとほぼ同じ広い面積を持つこの地域は百五十年間、ロシア、ソ連によって分断されていたが、それがまた独立した国家群として蘇った。かつてはペルシア、トルコ、あるいはモンゴル文明の一員として中国、インドとも並ぶ力を持ったことのある地域だ。ロシア、中国、イランといった現代の大国に対しても、それは少なからぬ意味を持つだろう。