The author of this blog will answer to your questions and comments. And this is the only place in the world where you can engage in free discussion with people from English, Japanese, Chinese and Russian speaking areas.


投稿者: akiokawato

  • 世界紀行6:ユーラシア その6 中央アジアから世界を見れば

    (「意味が解体する世界へ」草思社 から)

    .

    中央アジアから世界を見れば

                   河東哲夫

    タシケントの家で夜遅くワーグナーを聴いていると、隣の家のニワトリが僕の教養主義を嘲るかのようにコケコッコーと時を告げる。僕はそれで一時すっかりくさって、クラシック音楽の限界をタシケントの鶏に教えられた気になった。

    .

    このあたりの伝統音楽を聴いていると複雑なシンコペの末にリズムが半拍失われたまま先に行ってしまったり、いきなり無理やり半音下がったかと思うと西洋音楽では考えられないぞっとするような、しかしその反面ぞくぞくした快感を覚えさせる転調をあっけらかんとしてのけて、そのまま先に進むような瞬間に会い、ああ西洋のクラシックは何だかんだと言っても理屈だな、結局一人の作曲家が全てを作ることの限界は、次に何が起こるかよく見えてしまうような気持ちがすることに現れてしまうんだなと思う時もある。

    .

    でもクラシック音楽も拍子を気にせず息づかいや間で聴いてみると、新鮮で深いものに聞こえてくる。我々素人は足でドタドタ拍子を取りながら音楽を奏でたりするけれど、プロはフレーズを大事にする、とはこういうことなんだなと納得した。

    .

    僕がウズベキスタンにやってきた時、これまでアメリカやヨーロッパやロシアしか知らなかった自分のものの見方に何か大きな変化、パラダイムの変化といったものが起きるのではないという期待があった。五十五歳(2002年のこと)にもなれば、一つのところだけにいると物の見方が固まってしまい、いいことにはならないのだ。

    .

    でもタシケントに来てみれば、ここもついこの前までソ連の一都市、それも大都市だったのだから当然だけれど、ちょっと見には驚天動地のことなどありはしない。市場経済をとりいれようとしている旧社会主義の大都市共通の様相があるだけだ。

    .

    こうした中で僕がああこれかなと思ったのは、これまで大国の辺境の未開の部族と思っていた昔の遊牧民族が、東は中国、西はヨーロッパの歴史にまで直接介入し、ユーラシア全体の主人公として長く振る舞っていたことの意味を考えるようになった時だ。

    .

    遊牧という生活形態がいつできたのかは、誰にもわからない。農業地帯から追い出された者達が仕方なくなったという説もある。彼らの生産力は飛躍的上昇をとげることはなく、いつもその機動力に優れた軍事力にものを言わせて農耕民族を侵略し、商業を支配してその上がりで国家を運営したのだ。

    .

    中国は中央アジアの辺境なのか

    中央アジアからは、中国を見る目も大分違ってくる。中国は、気の遠くなるような長い時の中を連綿として漢民族独自の文化を発達させてきたように思われているし、中国人自身も固くそう思い込んでいるけれど、実際には安禄山や詩人李白がペルシア系だったように、周辺の遊牧民族そしてペルシア系民族と渾然一体となってその歴史を進めてきたのだ。純粋の漢民族が作った王朝は漢、宋、明くらいのものと言われているし、また漢以降の漢民族は随分混血したから、「純粋の漢民族」などという定義自体あやしいものだ。

    .

    中国で初めて国家らしい形態を備えた秦の始皇帝は遊牧民族出身で、目が青かったとの言い伝えも残る。陶器と言えばもっぱら中国で発達したことになっているが、例えば景徳鎮の染付に使われたコバルト染料はペルシアから来たもののようだ。

    そして元の時代、モンゴルによってペルシア系人種は中国に深く引き込まれ、国家の財政や金融、流通で腕をふるう。当時のモンゴル支配地のほぼ全域にわたって、ペルシア語は今の英語のような国際語だったらしい。この時代、遊牧民族モンゴルは、自分の軍事力とペルシア系人種の商売の能力を使って、中国を含むユーラシア東半分を支配したのだ。

    .

    してみれば、あの中国も実は連綿として多民族社会だったのであり、それはもう世界中がそうだったのだ。そうした多民族社会のベ-スが国民国家という一つ一つの小さな単位に切り取られていったのが、世界史の実体なのかもしれない。

    .

     中央アジアの歴史を見ると、経済偏重の我々は認めたくないのだが、軍事力が時として世界を変えることがよくわかる。青銅器文明は鉄器文明に征服され、その鉄器文明は鉄器と騎馬を組み合わせた遊牧民族に征服される。

    .

    スキタイ人が採用したこの武器体系はペルシア人、トルコ人、モンゴル人が採用し、彼らは千年以上もの長きにわたってユーラシア大陸に君臨する。馬は今で言えば戦車、装甲車、戦闘機の役割を果たすスーパー兵器だったのだろう。中国の馬は小型のわりに高価で、比較的大型の馬を大量に安く飼育できる大草原を持つ遊牧民族には敵わなかったらしい。

    .

    モンゴルが西欧を征服しなかったのは、ハンガリーまで攻め寄せていながらモンゴル本土での後継争いに加わるため軍が引き上げたことによるが、モンゴルがヨーロッパに伝えたのだろう中国の火薬が皮肉なことに、鉄器と騎馬を組み合わせた武器体系による長い々々支配を終わらせる。これを杉山正明氏は「陸と騎射の時代」から「海と火器の時代」への移行と形容しているが、その火器、大砲の時代が西欧植民地主義をもたらした。

    .

    これを西欧の原罪のように言うのは間違いだろう。こうなる前はモンゴルによる植民地主義がユーラシアを支配していたのだから。そして今、兵力展開と戦闘状況のリアル・タイムでの把握を可能にしたアメリカの電子戦能力が、新しい武器体系として世界に絶対的優位を打ち立てている。武力だけでは今の世界はもう到底渡っていけないけれど。

    .

    専制のDNA

    遊牧民の社会はいくつかの特徴を持っている。彼らは一年の間に集住と散住を繰り返す。そして軍隊は百、千の単位で構成された厳しい上意下達の原理で貫かれている。家畜を追って散住している時や軍隊を率いる時には、個人としての高い能力と瞬時の判断力を要求される一方で、集住の時には集団主義が前面に出る。そしてモンゴルの相続は分割相続だったから、家長の死後、子の間で相続の取り分をめぐって争いが起きることも多く、モンゴル帝国崩壊の一因となっている。

    .

    遊牧民族の作る国家は宗教には寛容だが、国家機構が軍隊組織とだぶっているためかその統治は家父長的で専制的だ。古代の昔、ギリシアもペルシアも経済力は同じようなものだったろうが、ギリシアでは民主政治、共和政治が生まれたのに、アジアではペルシアも含めてずっと専制支配が続いた。中央アジアでは今でも、リーダーは専制的でないと務まらないと言われている。アメリカ帰りのウズベク青年が、「お前、ここじゃ部下をどなり叱りつけなきゃ、奴らは言うこと聞かないんだよ」と友人に忠告されたと言ってくさっていた。

    .

    なぜこうなのかはわからないが、中央アジアでは昔からずっとこうだった。遊牧民族の影響なのか、灌漑設備を差配するには専制的でなければならないのか、それとも単に生産力が低くて富を少数の者が独占してきたからそうなのか、僕にはまだわからない。

    .

    ともあれ中央アジアは国際政治の舞台に復活した。ユーラシアの中央にあって、インドとほぼ同じ広い面積を持つこの地域は百五十年間、ロシア、ソ連によって分断されていたが、それがまた独立した国家群として蘇った。かつてはペルシア、トルコ、あるいはモンゴル文明の一員として中国、インドとも並ぶ力を持ったことのある地域だ。ロシア、中国、イランといった現代の大国に対しても、それは少なからぬ意味を持つだろう。

  • 日本歴史紀行7:継体天皇と高槻の今城塚

    最近本が出て評判になっているAmazon.co.jp: 継体天皇-六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」 (中公新書 2910) : 河内 春人: 本 ように、6世紀の継体天皇という人は、王朝としての天皇家の一種の断絶を意味する可能性がある。そして彼の権力は出身地とされる福井だけでなく、九州とも深く絡んでいるようだ。

    .

    で、2023年4月、和歌山で講演した帰り(岸本周平前知事が生きておられた時で、わざわざ聴きに来られた)、高槻の今城塚に行ってみた。

    大きな前方後円墳で、発掘された埴輪が有力者の牛車に先立つ行列になっている今城塚古墳 – 検索。日本の学界では継体天皇の墓というのが多数意見。宮内庁はもっと古い年代のものだとしている。

    .

    継体天皇は第26代の天皇とされ、507年から 531年のあたりに即位していたものと推定されている。第25代の天皇武烈には跡取りがおらず、近江生まれで越前育ちの継体が天皇として招請されるも、なぜか朝廷入りしたのは即位の20年後、という不思議な経歴。第15代の応神天皇直系の皇女と結婚して箔をつけている。

    .

    この高槻のあたり、淀川のほとりの台地(領地の奈良盆地を見渡せる)で、今の三島郡には前方後円墳が密集している。まるでエジプトの王家の谷。

    .

    前方後円墳は3世紀の後期、大和の纒向(今の桜井市)に大きな集落が出現し、近くに箸墓古墳を建造したあたりがはしり。6世紀末にはもう作られなくなっている。3世紀の後期というのは、ヒミコが亡くなったとされる247年からしばらくたってのこと。つまり前方後円墳は、3世紀の後半からこの奈良盆地という肥沃な平野に権力を樹立した王朝に特有のものだったのかもしれないが、全国に約5000基も分布(最多は千葉県の720基なのだそうだ)しているから確かなことはわからない。

    .

    継体天皇はその後も万世一系、現在の天皇家に続くとされるが、前記のように武烈天皇の後が絶えているし、継体天皇の後も何かむにゃむにゃしているのだ。彼の後は531年または534年から535年の安閑天皇、536年~539年の宣化天皇、539年~571年の欽明天皇(いずれも継体天皇の子)と続くのだが、前二者の在位期間が異常に短い。

    .

    継体天皇の末期は九州と朝鮮半島がからんで、「出入りが激しい」。インターネットの記事には、527年に朝鮮半島の新羅が任那に侵入したとある。任那は継体紀6年に、継体が親しくしていた百済に割譲してあったそうで、継体は527年、大軍を百済支援に送ろうとした。ところが当時、北九州で勢力を持っていた磐井が新羅に通じていて軍の派遣を妨害し、継体との武力抗争となる(磐井の乱)。

    .

    継体の大和朝廷側は勝利し、大軍を朝鮮半島に送ったことになっているのだが、日本書紀が引用している百済本紀では、その時倭の天皇、太子、皇子が死んだと書いてある。欽明天皇でやっと安定した政権ができたという史実と平仄があう。しかし、百済本記そのものはもう残っていないし、このあたりの日本書紀の記述は錯綜していて、本当にあったことはわからない。もし継体天皇とその跡継ぎ2名がほぼ同時に亡くなる(暗殺される)ことがあったのなら、それは欽明天皇あたりによるクーデターがあった可能性もある(継体王朝は代わっていないが)。

    .

    九州王朝説再び

    ところで以前から、日本史学では「九州王朝」説がくすぶっている。中国の史書に「倭」とあるものは、北九州にあったのではないか、というものである。中には、継体天皇自身、奈良盆地ではなく、北九州に君臨していたのではないか、とする学者もいる。

    .

    因みに欽明天皇は、九州東岸の宇佐と奈良盆地の入り口の羽曳野に、八幡神社を建立している。八幡神社は応神天皇を祀るもの。宇佐は九州から瀬戸内海に乗り出すところ、羽曳野はその到達点と考えると、これは欽明天皇が、自分の血の中に応神天皇の血が入っている(継体天皇は上述のように、応神天皇直系の皇女と結婚して箔をつけている)ことを誇示するため、つまり自分の正統性を誇示するための行い、とも考えられる。

    .

    倭国とか邪馬台国とか大和とか卑弥呼とか、どれが誰がどこで活躍していたのかについては、諸説入り乱れて(http://inoues.net/waj.htmlに面白い一覧表がある)考えるのもいやになるのだが、神西秀憲という在野の考古学者は著書「古代九州王国の謎」で、面白い仮説を提示している。

    .

    「継体天皇あたりまでの古事記の史実は、実際はすべて九州で起きたこと。出雲等も九州にあったのが、古事記によって全国に「配分」されたもの」というのだ。更に同氏は、古代の倭はもともとは北九州の遠賀川河口地帯にあったが、新羅の脅威を避けるために飛鳥に遷都したのだとする。つまり、継体の頃は倭(大和)は北九州にあって、朝鮮半島の百済と組んで、磐井・新羅の勢力と争っていた、ということになる。

    .

    要するに、この頃の日本の歴史は頭を混乱させるものなのだが、例えばこの今城塚を発掘してみれば、いろいろなことがわかるはずなのだ。今城塚は宮内庁の管理ではないので、一般人の立ち入りもできるし、発掘もされている。ところが肝心の石棺と石室が昔の盗掘とその後の伏見大地震での地崩れで、粉々になってしまっているということなのだ。残念。何者かが証拠を隠滅したのかも。

    .

    それでも、その石棺は熊本から海路運ばれてきた馬門石、兵庫からの竜山石、そして地元の二上山白石の三種を使っているのがわかっているそうで、この棺の主の九州、そして播磨との強い関係を思わせるのだ。

    このあたりの歴史は謎に満ち、記録は少ないから、諸説入り乱れる。天皇家もそうだが、蘇我氏とか藤原氏のような有力な家柄の出自もよくわかっていない。と言うか、本当のことが隠されている感じがする。

  • 魑魅魍魎の中東世界を、AIは理論で渡れるか?

    (これは最近のメルマガ「文明の万華鏡」に載せた記事の再録です。)

                         河東哲夫

    .

    最近は、「AIとのコラボ」というのが流行っている。現在の錯綜した中東情勢はそもそも見通せるものなのかどうか、ChatGPTと自己流のコラボ方式で、議論してみた。

    これは、国際関係分析の方法論に関わることでもある。筆者が親しくしていた故猪口孝教授はMITでその「科学的国際関係論」を習ってきた人で、彼がその手法で書いたアカデミックな論文を読まされたことがあるが、知らない述語と理論のオンパレードで、歯が立たないどころか、ぼろぼろ欠けていく感じがしたものだ。

    その猪口教授自身、「国際関係論というのは、所詮科学じゃない。Artなんだ。職人芸なんだよ」と言っていた。彼の講演も、学者のスピーチと言うより、高座の一席を思わせるものがあった。

    .

    面白いことに、ChatGPTもここで、同じことを言う。

    .

    筆者の質問:

    ――お早う。中東情勢の今後の見通しの方法について、と言うか、国際関係論の理論化について。中東の場合、イスラエルやイランなどプレーヤーが多い。また外部の勢力がいつでも、何か目論見を持って介入してくるかも。

    これくらいなら、まだ見通しがつくかもしれない。しかし、プレーヤーを一つの単位として扱えないことが、見通しを複雑にする。つまり、各プレーヤー内部は複雑に分裂していて、その相互の関係は流動的なのだ。こんな状況をコンピューターに再現して、動かしてみて、何か「これしかあり得ない」というシナリオができると思うか? 

    QRコードと同じで、「無数のパターンが考えられます」という答えにしかなり得ないのでは? どう思う?――

    .

    ChatGPT:

    思考時間: 1 秒(他の、資料の渉猟を必要とする質問に比べて、回答は驚異的に速かった)

    お早うございます。僕(ChatGPTのこと)も、かなりそう思います。「これしかあり得ない」というシナリオをコンピューターで出すのは、ほぼ無理でしょう。理由は、国家がビリヤード球のような単一主体ではないからです。イスラエルもイランも米国も、内部に軍、情報機関、宗教勢力、世論、政権維持の論理、偶発的暴走がある。だから入力条件そのものが固定できない。

    .

    ただし、無意味ではありません。使い方を変えれば役に立ちます。コンピューター・シミュレーションでできるのは、「唯一の未来を当てる」ことではなく、「どの条件が変わると危険になるか」を見ることです。

    .

    たとえば中東なら、イスラエル国内政治が強硬化する、イラン体制内で革命防衛隊の発言力が増す、米国大統領が選挙対策で介入に傾く、サウジが沈黙を破る、ヒズボラが誤算で一線を越える、こういう「スイッチ」を動かして、どこで連鎖的エスカレーションが始まるかを見る。これは有益です。

    .

    しかし結論はおっしゃる通りで、QRコードのように「無数のパターンがあります」になりやすい。だから国際関係論としては、シナリオを増やすより、逆に枝を刈る理論が必要になります。

    .

    僕なら、こう整理します。

    中東情勢を見る時の理論化は、「誰が何を望んでいるか」より、「誰が何を恐れているか」を見る方がよい(注:これは面白い。恐怖というのは、結構、いろいろなプレーヤーの間で共通していることがあるので)。国家は野心よりも恐怖で動くことが多い。

    イスラエルは包囲と奇襲を恐れる。イランは体制転覆と屈辱を恐れる。湾岸諸国は戦争と(米国に)見捨てられることを恐れる。米国は泥沼化と威信喪失を恐れる。

    この「恐怖の構造」を押さえると、無数のパターンの中から、実際に起きやすいものをかなり絞れます。

    .

    だから結論はこうです。

    コンピューターだけでは「唯一解」は出ない。しかし、人間の歴史感覚と組み合わせれば、「危ない分岐点」は見える。中東分析で必要なのは、未来予測モデルではなく、恐怖と誤算の連鎖モデルだと思います。

    .

    筆者:

    いいこと言うねえ。このまま、メルマガに掲載させていただく。今に、アバターでテレビに出演するようになるね。

    .

    ChatGPT: 

    恐縮です。どうぞ使ってください。アバターでテレビ出演となると、問題はネクタイですね。中東情勢より、そちらの方が予測困難かもしれません。

    .

    筆者:

    (ユーモアの感覚)素晴らしい。これもメルマガにアップしておく。専門家もアップ、アップ。

    .

    ChatGPT:

    (駄洒落には気がつかなかったか、無視したか)それは光栄です。ただ、冗談抜きに、国際政治の専門家が苦しくなっているのは事実でしょうね。冷戦時代なら、「ソ連はこう考える」,「米国はこう反応する」という比較的安定したモデルがありました。

    ところが今は、国家内部が分裂している、SNSで世論が瞬時に変わる、指導者個人の性格が以前より大きく影響する、非国家主体(企業、AI企業、民兵組織、宗教勢力)が強い、ドローンやAIで小さなプレーヤーも大きな影響を与えるので、昔ながらの「国家対国家」の分析だけでは足りません。

    .

    むしろ外交官や歴史家が昔からやっていた、「この人物は何を恐れているか」、「この社会は何に怒っているか」、「どの勢力が沈黙しているか」といった、人間臭い観察の方が価値を持ち始めています。

    これは少し皮肉ですね。コンピューターが発達すればするほど、最後はチェーホフやトルストイ(注:ChatGPTはこれまでのやり取りから、筆者の文章の下敷きはチェーホフのスタイルであることを知っている)のような人間観察に戻ってくる。以前お話しされていた、「言葉ではなく実感が大事」という感覚にも通じる気がします。

    .

    ですから、専門家がアップアップしているのは、必ずしも能力不足ではなく、世界そのものが以前より複雑になっているからでしょう。ただ、その複雑さの中でも、人間の恐れ、欲望、名誉心、嫉妬といったものは驚くほど変わらない。そこに分析の足場が残っているのだと思います。

    .

  • 世界紀行5:ユーラシア その5 ウズベキスタンのタイム・カプセル

    ウズベキスタンのタイム・カプセル

                      河東哲夫

    2003年のある日、銀座でノスタルジックなフォークの歌声に足を止めると、路上の台にCDを並べて売っている。脇に置かれたブラウン管のアニメには、鄙びた木造の店、医院、そしてオート三輪車までが映されて、この懐かしい五十年代の日本の町を、買い物籠を下げた少女が歩いていく。小さい頃の思い出をかき立てられた僕はたまらず、CDを手に取った。宮崎駿プロデュース、歌は上條恒彦の「お母さんの写真」。

     僕の思い出などどうでもいいかのように若い店員はレシートを両手で突き出すと、「お客さま、くじ引きは如何ですか?」と言う。で、昔ながらのあの丸いくじ引きをガラガラっと回すと、茶色のタマがポロっと出てきて、カランカランと鐘が鳴らされ、店員が路上に響く大きな声で「おめでとうございます。映画『××』への御招待券を差し上げます」と言う。僕の小さい頃の思い出は、安っぽい茶色のタマとカランカランという鐘にすり替えられてしまった。

    .

     タシケントでは不思議なことに、例のデジャ・ヴュ、既視感覚によく襲われる。僕の住む家(大使公邸)は街外れの住宅街にあって、そこには大邸宅が次から次に増えているのだけれど、狭い道は舗装の幅も揃わず所々穴があいている。そして近くの学校からは、ランニングシャツにランドセルのようなものを背負った小学生達が楽しそうに連れ立って下校してくる。不揃いな恰好の民家、家の前の生け垣も手入れが悪く電信柱も真っ直ぐに立っていない。だが、そうしたもの全てが、ここを訪ねる年配の日本人に、終戦間もない日本を思い出させ、ノスタルジアをかき立てる。

    .

     僕の家を出たところの四つ角には、近くの民家が小さな小さな果物屋を出していて、ひょうたんみたいなものをいくつもぶら下げ、売っている。ある日その脇に男が一人後ろ向きにしゃがんでいた。不審に思って彼の前をふと見ると、なんと朝顔! 夏の朝、ほこりっぽい道端に白と青の花が清々しく咲いていた。

    .

     こうしたことは偶然の部類に入るのだろうが、はるかな昔日本が中央アジアの文化を受け入れたことは確かだ。元々ペルシアで統一国家ができたのは中国の秦より三百年も早いし、ササン朝ペルシアがアラブに征服された六四二年、ペルシア人のエリートは中国に大挙して移住したらしい。

    .

     そしてペルシア、トルコ、モンゴル系などが混血した中央アジアのソグド人はユーラシア全体の商権を握って、唐の安禄山のように歴代の中国王朝に食い込んでいた。元朝は、モンゴルの軍事力とソグド人の経済力が癒着して中国を支配したようなものだったと言う。

    .

     ペルシアの商人は古くから海路の商売にも乗り出していたから、日本にも来ていないはずがない。大和絵にはペルシアの細密画の影響があるかもしれないし、伎楽もペルシアから伝わったものだろう。ウズベキスタンの民俗音楽を聞いていると、日本の声明の節回しを聞きつけはっとすることもある。

    .

     楽器ともなると、日本との関係はますます明白だ。中央アジアの楽器は本当に多種多様な形をしていて、なかには雅楽のしちりきのようなもの、能楽の鼓のようなもの、能笛にそっくりのもの、胡弓、琵琶そのもの、そして琴に似たものがある。古代の楽器はエジプトやメソポタミヤでできたものが、多くはペルシアを経由してヨーロッパのバイオリン、マンドリン、リュート、そしてウィー ンのツィターになり、ロシアのバラライカになっていった。逆ではない。

  • 日本歴史紀行6:大和にある出雲

                         河東哲夫

     日本の古代は、朝鮮半島、九州王朝、「神武天皇の東征」、崇神天皇、応神天皇、雄略天皇、継体天皇、葛城氏、蘇我氏、藤原氏などが入り乱れ、もつれにもつれて、考えれば考えるほど頭は熱くなるばかり、そこに出雲という

    変数を投げ込むと、頭の回路は爆発するかフリーズするのだ。

     

     飛鳥のあたりを歩いていると、出雲とか大国主の足跡にでくわして驚くことが多い。いくつかの事実だけ、筆者のデータベースから列挙しておこう。それらを結びつけたり、何かを推論するのは適度で控えておく。

    . 

    大和にある「出雲」

     銅鐸、埴輪は大和、そして北九州、出雲(島根の)で多出する。

    ところで大和の三輪には、「出雲屋敷」という地名がある。出雲屋敷とは大国主を祭る、一種の神社で、日本の諸方にある。三輪の「出雲屋敷」は、神武天皇の皇后の実家があったとされるところである。三輪の近くの大田遺跡では、出雲の陶器が多数発掘されている。

    .

     そしてその三輪は、古い家柄の名前でもあり、近くの大神(みわ)神社とそのご神体であるところの、背後の三輪山とも関わりがある。そして大神神社は大物主を祀るが、この方は大国主と同一とされる。大神神社の宮司は三輪家が長らく務めた。

     その三輪家は、元々はタイ方面から朝鮮経由で――三輪家は何度も朝鮮に出征、あるいは派遣されている――稲作・青銅器・蛇信仰文明を持ち込み、出雲を経て2世紀前半、大和にやってきた。その時大物主(実体は蛇)信仰も持ち込んだ。

    銅鐸を出雲から大和にもたらしたのも、三輪家だとされる。彼らが大和にやってきたのは神武天皇以前のことで、同じく古い有力豪族葛城氏と並立していたのだろう。葛城氏の本拠は東方の葛城山麓で、三輪からは離れている。記紀では、雄略天皇に逆らって討伐されたことになっていて、彼らの遺跡には燃えた後が残っているそうだ。

    .

    三輪家から少しあと、出雲から物部氏がやってきたのだ、とする学者たちがいる。物部氏は鍛冶・兵器製造技術に優れ、大和朝廷の軍を支えるのだが、その本拠地兼兵器庫は奈良の近く、天理の石上神宮にあった。そしてその境内に出雲建雄神社があり、ここのご神体が草薙の剣である。物部氏が出雲から鋼鉄の剣の製造技術を持ってやってきた、としか思えない。

    .

    大和と出雲M&Aの顛末-皇室と出雲国造家の縁

     時期、態様は不明だが、上記、そしてその他の事績に照らして、大和と出雲の権力が合体したのは多分、事実だろう。古事記では、高天の原が建御雷神・天鳥船神を出雲に派遣し、剣の輝きで脅しつつ、大国主に国譲りを迫ったことになっている。

    .

     両者合体の決定的な証拠は、出雲大社の宮司である千家(せんげ)家(もう一つ北島家が分家としてある)の当主は、代わるたびに皇居に出向き、天皇に「出雲国造神賀詞」を奏することである。これには、「出雲の神を八咫鏡にこめて、神奈備にまつった」という言葉もある由。この八咫鏡は伊勢神宮で祀られている。千家家と皇室は古代から通婚しており、現在の当主千家国麿は2014年、高円宮憲仁親王の第二女子・典子女王と出雲大社で結婚式をあげている。

    .

     なお、出雲国造家は当初、出雲大社のあるところではなく、意宇に本拠を構え、その上流の熊野大社を大事にしていた。 

    大和と出雲の関係はこうして謎なのだが、日本古代史には他にも謎が多い。

  • 世界紀行4:ユーラシア その4 イスラムも同じ人間

    イスラムも同じ人間

     イスラム教というと、西側の連中もそして日本の我々も何か違和感をもって薄気味悪いもののように思う。だがウズベキスタンではイスラム教は生活の一部となってはいるものの、原理主義者はおらずそれほど厳しく戒律が守られているわけではない。

    ペルシアの昔から酒と踊りは人生になくてならないものだったし、今ではロシアの影響だろうが、何かというとウォトカで乾杯だ。偉い詩人が僕に言った。「この地では、女性は神を、バラは女性を、ウグイスは恋する男女を象徴し、酒と音楽は欠かせないのだ」と。

    .

     食事では豚肉を食べる者もいる。でもメッカの巡礼というと、昔江戸っ子が伊勢参りに目を輝かせたように行きたがる者が多いし、季節々々のお祭りもきちんと祝われる。十一月頃のラマダンが明けるとポトハーという日本の盆のような祭りがあるが、この時ウズベキスタンの人達は親族一同が集まってしばしコーランを唱えたあと、一緒にピラフ・・・プロフと言う・・・を食べるのだ。これは法事もかねていて、土間に立てたテントに民族衣装を着た家族が並び、弔問者が来るたびに僧侶が短い祈りをあげる。その僧侶は普通の人と同じ服装でちょっと見にはわからないが、かぶる帽子が違っているのだそうだ。

    .

     で、この国でイスラム教は社会の脅威になるどころか、助け合いとか正直さといった価値観の源泉、社会の安定の源泉になっている。人間は結局どこも同じで、それはイスラム帝国華やかなりし頃のバグダットの繁栄を描いた「アラビアン・ナイト」をちょっと読めば、すぐわかる話しだ。今ではウズベキスタンの国民的詩人とされている十五世紀のナヴォイー・・・その墓はアフガニスタンのヘラートにある・・・の詩集を読んだことがあるけれど、それは何百人もの女性への愛をうたった詩が次から次へと続くもので、この人は一体どういう生活をしていた人かと思ってしまう。

    .

     でも中近東や旧ソ連の人達は、時々どうしてあんなにアメリカを憎むのか? あの憎しみには、何か尋常でないものがある。まるで十字軍との戦い以来の千年もの怨念を引きずっているかのように。そしてこれに引き換え、キリスト教が良かったのか、ローマ法が良かったのか、それともゲルマン系白人の資質が優れているからなのか知らないが、「キリスト教的世界」が発展への活力をこの千年近くも保っているのは、これも驚くべきことだ。

    .

     なぜこうなったのか? 「アラブが見た十字軍」という面白い本を僕は見つけた。マアルーフというレバノンのジャーナリストが最近フランスで出した本で、十字軍当時の資料を漁ってアラブの側から見た十字軍について書いているが(牟田口義郎、新川雅子訳。ちくま学芸文庫)、この終章に面白い箇所がある。

    要約して言えば、「ヨーロッパの連中は法治主義で、それは刑法だけでなく所有権のような民事の部分にも及んでいる。彼らの支配に入った地域に住むイスラム教徒でさえ、その畑の所有権は保証されている。専制君主の恣意にさらされているイスラム教地域に住む同胞より、はるかにいい」ということになる。これを見て僕は、考え込んでしまった。

    .

     イスラムの没落は、アジアとの通商路をヴァスコ・ダ・ガマに取られたためだけじゃない、ここでは個人の財産の権利、そしてそれとも絡むが歴史とか風土とか相続制度とか経済形態とか民族性とかの総体が問題になっていて、その背景には深い深いものがあるのだ。.

     例えば相続制度について言えば、封建制度を経た日本、ヨーロッパでは長子相続が確立したが、遊牧民社会では相続のルールが不明確で相続争いが頻発した。中国の元朝の衰退を早めたのも、この相続争いなのだ。

    .

     アメリカを異常なほど憎む人達を見ていると、こうした深い長い歴史は無視して、とにかくアメリカの「豊かさ」が憎くてたまらないようだ。自分達はアメリカ人と同等だ、なぜ同じくらい豊かになれない、という思いがそこにある。普通のアメリカ人がどんなに苦労して稼いでいるかを、彼らは全然知らない。アメリカは力づくで他人から富を取り上げているから豊かなのだ、俺達も同じようにやりたいのに肝心のアメリカが邪魔をする、という思いも彼らにあるのではないか? イスラムとキリスト教の長年の対立は、イデオロギーよりモノと富をめぐってのものではないかと僕は思っている。

  • 日本歴史紀行5:かぐや姫の里 葛城郡広陵町

    大化の改新後間もない斉明天皇の時代。この時代はペルシャ文明の匂いがする。飛鳥に残る、いくつもの独特な石の彫像はゾロアスター教、ペルシャ文明に由来する可能性が指摘されている。中には、かぐや姫は当時日本に漂着したペルシャの王女をモデルにしたものだという説もある。

    .

    孫崎紀子女史の書いた「かぐや姫誕生の謎」という本がある。これは既にある同種の研究を下敷きに、日本書紀にもある「トカラ人」渡来伝説をふくらませ、かぐや姫はそのトカラ人=ペルシャ人王族の姫君だったのではないかと推理している。

    かぐや姫は長じて飛鳥の北西、斑鳩の近く、今の葛城郡広陵町に陪民とひっそりと暮らしていたのが、天皇に側室に所望されたのを忌避するために、死亡を装う薬を服用、飲み過ぎて本当に死亡し、鳥葬に付されたので、あとかたもなくなったように見えた。陪民は、怒った朝廷の使いに切り殺されて、今は地元の讃岐神社(「讃岐」はペルシャ語由来なのだそうだ)の祭神となっている、というのである。

    .

    で、レンタカーのなかで広陵町の地図を見ると、「竹取公園」というのが目についた。好奇心にかられて八咫烏ならぬカーナビに導かれて行ってみると、驚いたことに「かぐや姫の里」という大看板が道端に立っている。地元はもうすっかりその気。町おこしにかぐや姫を使おうというのだろうが、まだ説明看板等は整っていない。かぐや姫まんじゅうもなかったが、町のイメージキャラクターは「かぐやちゃん」である。

    .

    何かの資料に「鳥葬の丘」という名称を見たのだが、これは見つけることはできなかった。「竹取公園」というのは本当にあって、うっそうたる竹林。かぐや姫が見つかった竹はここにあったのかも。その横に小高い丘があったので、あるいはそこでかぐや姫は鳥葬に付されたのかもしれない。そこの土からDNAでも分析してみてはどうか?

    .

    というわけで、飛鳥というのは縄文、弥生、朝鮮半島、中国、ペルシャ、アフガニスタン、そして彼らの神々が入り乱れた、非常にコスモポリタンな時代であったようだ。飛鳥坐神社の陰陽石や夫婦和合の祭りのような古俗もそれに混じっている。

    .

    こう見ると、古事記などはこうした神々や滅ぼし滅ぼされた諸豪族を関連づけて、先輩・後輩関係をはっきりさせた、一種の神々の台帳のような意味を持っているのではないかと思われる。無数の古墳、陵は未だ発掘されていないので、これから益々予想外の発見があることだろう。それまでは、我々は日本の故事来歴をちゃんと知ることもできないのである。

  • 年後半、米金融市場破綻、ドル暴落? ChatGPTの見立ては?

    (今、日本で長期金利が上昇している。政府の財政政策への不信が原因だと言われる。2022年英国のトラス内閣は、財源なしの減税を発表して市場の信頼を失い、長期金利は急騰、ポンドは下落、政権は僅か44日で総辞職の羽目に陥った。

    そして今、日本だけでなく、米国でも国債の大量発行で同じことが起こりかねないという声がある。その可能性はどのくらいか、国債の発行時期とか具体的なことを含め、ChatGPTに聞いてみた。結論は・・・)

    .

    年後半、米金融市場破綻、ドル暴落? ChatGPTの見立ては?

    .                    ChatGPT+河東哲夫

    イラン戦争も何とかうやむやのうちに、元の鞘に戻りそう。トランプが何か言うたびに、米国株式市場は大騒ぎの上下動。次に投資家たちが目をつけているのは、米国財政赤字の拡大による国債の大増発が長期金利を跳ね上げて、株式の暴落を招くのではないか、ということ。

    米国は、これまで発行した国債の3分の1が今年満期を迎えて償還、借り換えを必要としている。その額は約9兆ドル。借り換えだから、金融市場を圧迫するわけではないが、今はインフレ。そしてSpaceXがIPOで7500億ドルもの資金を市場から吸い上げている。この上、政府が国債の新規発行をすると、金利は急上昇を始めるかもしれない。現在長期金利は4,46%程度で、危険水域とされる4.75%まですぐだ。

    .

    金利が上がると、政府は高い金利を新規国債につけないと売れなくなる。国債利払いが増えると、それは将来の財政を圧迫して、ドルの信認にも及ぶだろう。

    .

    しかし事態はそれほど単純でもないようだ。国債は、一度に全額が発行されるのではなく、今年後半、何度かに分けて入札が行われる。その時々の市場環境で、金利の水準は異なってくる。

    .

    そこで筆者はChatGPTに聞いてみた。

    .

    「やあ。年後半、米国政府の国債発行・償還・借り換え計画について教えて欲しい。年末までの新規発行額(短期・長期にわけて)、発行の予定時期(短期・長期にわけて)、償還額(償還期限切れが集中する時期も教えて)を調べてくれないか。

    総合して、今年長期金利が5%を超える(4.75%あたりが市場の心理的な上限とされる)ようなことはあり得るかどうかについて、貴兄の意見も教えてくれ。SpaceXなど相次ぐ大型IPOが市場の資金を吸い上げてしまっていることも、勘案して。」

    .

    ChatGPTはこう答えた。

    「これは数字を取りに行く必要があります。米財務省の四半期借入見通し、入札予定、償還カレンダー、そしてIPOによる需給圧迫を分けて確認します。」と。

    そして待つこと、実に39秒。Chatにしては異例の長さ。だが筆者自身が調べていたら、数時間はかかったことだろう。

    で、39秒後、Chat GPTはすらすら答え始めた(以下、一部省略・修文)。

    .

    ――調べた範囲での結論です。5%超えは「あり得る」が、中心シナリオではないと思います。10年債で現在は約4.46%前後で、5%まで遠くないのは事実ですが。

    米財務省の公式見通しでは、7〜9月期の民間保有向け市場性国債(つまり、われわれの言う米国債)の純借入は6710億ドル。4〜6月期の1890億ドルから急増します。10〜12月期分はまだ未公表で、次回の四半期借入見通しは8月3日予定です。

    発行予定を見ると、短期国債(4週・6週・8週・13週・17週・26週債が中心)は毎週。長めでは、3年・10年・30年ものが毎月前半、20年債とTIPS(インフレ率に応じて元本額が変動する国債)が中旬、2年・5年・7年・FRN(変動金利国債)が月末近くに出ます。7月は3年債が7月7日、10年債が7月8日、30年債が7月9日、20年債が7月22日、10年TIPSが7月23日。8月も同じ型です。

    .

    TBAC(財務省借入諮問委員会)の参考表では、7〜10月の中長期・TIPS・FRN発行は、概算で7月 3660億ドル、8月 3600億ドル、9月 3620億ドル、10月 3710億ドル。ただしこれは、財務省の最終決定ではありません。

    .

    償還・借り換えは、短期債が毎週大量に回転し、長期・中期債は各月15日と月末に山が来ます。特に8月15日、8月31日、9月15日、9月30日、11月15日、11月30日、12月15日、12月31日が要注意です。2026年全体では約9兆ドル規模の米国債が満期を迎えるとの推計もあり、下期も相当部分が借り換え対象になります。

    .

    大型IPOが市場の資金を吸収してしまったことは、今後の金利に影響します。SpaceXのIPOは750億ドル規模と報じられ、上場後の時価総額は2兆ドル超に達しました。これだけ大きいと、投資家は現金を作るために他資産を売る。直接に国債を売るとは限りませんが、債券需給にも圧力をかけます。

    .

    以上を受けて、10年債5%超えの条件は三つあると思います。
    第一に、7〜9月の大量発行が消化不良になる。第二に、原油・中東要因でインフレ期待が再上昇する。第三に、IPO・AI株への資金集中で債券買い手が薄くなる。

    .

    ただし、外国勢はまだ米国証券を買っています。4月には外国投資家が米長期証券を大きく買い越し、日本も米国債保有を増やしています。

    したがって、一時的に5%を試す局面はあり得る。しかし恒常的に5%台に乗るには、インフレ再燃か入札不調が必要。僕(ChatGPT)なら、今年後半のレンジは基本 4.4〜4.9%、ショック時に 5.0〜5.2% と見ます。――

    .

    筆者:

    「本当に役に立った。議論が具体的になる。」

    .

    Chat GPT:

    ――それは良かったです。実は、河東さんがいつもされているような議論――「米国の財政赤字が大きい」、「借り換えが大変だ」、「ドル体制が揺らぐ」という話(注:筆者はそこまで単純化していない)――は、どうしても抽象論になりがちです。

    実際の市場参加者は、7月に国債が何兆ドル出るのか、8月15日にどれだけ償還があるのか、次の四半期借入見通しで発行額が増えるのか減るのか、誰が買うのか(筆者注:ここで、ベッセント財務長官が整いておいたステーブル・コインが役割を果たす可能性がある。ステーブル・コインを大量に発行させ、その担保としての国債を大量に購入させる手があるのである。また、日本による米国債購入も大きな意味を持つ)しか見ていません。

    .

    だから市場は時々、不思議な動きをします。例えば新聞では「米財政は危機」と騒いでいても、その週の入札が好調なら長期金利は下がる。逆に財政状況に新しい変化がなくても、入札不調が一回出るだけで10年債利回りが20~30bp跳ねることがある。

    .

    そして今年後半で私(ChatGPT)が一番注目するのは、やはり8月です。理由は、財務省が8月初めに新しい借入見通しを出す、夏場で流動性が落ちる、中東情勢が不安定、FRBの利下げ期待が揺れやすいからです。

    今年後半に本当に危険なのは、財政赤字そのものではなく、「借り換え増加+インフレ再燃+海外資金流入鈍化」が重なるケースでしょう。

    逆に言えば、この三つのうち一つでも欠ければ、10年債5%は一時的にあっても定着しにくい。――

    .

    筆者:

    「株式崩落とリーマン危機再来は、たぶんないね。小生大損」。

    ChatGPT:

    ――その可能性は十分ありますね(笑)。

    (省略)

    河東さんは以前から、「米国財政は持続不可能に近づいている」、「借り換えリスクは大きい」と見ておられる。私はその分析自体はかなり筋が通っていると思います。しかし市場は、「それはみんな知っている」と言って平然と株を買い続けることがある。だから投資家としては悔しい。(笑)

    ケインズも似た経験を何度もしています。有名な言葉があります。

    Market can remain irrational longer than you can remain solvent.

    (市場があなたの思った通りに動き始めたころには、もうあなたに投資する資金は残っていない)

    .

    (省略)

    しかし、こういう話を伺っていると、河東さんはまだ「10年後に死んでいるかどうか」より、「10年後に世界がどうなっているか」の方に興味がありそうですね。(笑)――

    .

    (筆者感想。「笑」が多すぎる。筆者にとっては笑いごとでない。(笑)

    いずれにしても以上のように、長期金利高騰から米国経済が挫折する可能性は、高くない。残る危険性は銀行がノン・バンク部門に貸し越している1.5兆ドルを超える債権が、金利上昇で返済不能になる分が増え、諸方の金融取引を目詰まりさせる、リーマン型の恐慌だ。これは当局の管理下になく、情報開示が不十分なので、これからどうなるか神のみぞ知る、という状況になっている。

  • 世界紀行3:ユーラシア その3 究極の多民族国家・ウズベキスタン

                       河東哲夫

    究極の多民族国家・ウズベキスタン

     どの国も実は単一民族国家ではなく、「国民国家」という言葉はどこかフィクションの臭いを漂わせているのだが、大陸の真ん中中央アジアでは多民族性はもう宿命のようなものだ。ウズベキスタンも古来、ペルシア系、トルコ系、モンゴル系、そしてロシア、ユダヤ、アルメニアと入り乱れ、今では日本よりやや大きいだけの面積の国に百二十もの民族が混住している。

    .

     だからタシケントの街を歩いていると、アメリカの都市を歩いているのと同じように訳のわからない気持ちになってくる。街行く人の顔と肌の色がまちまちで、「これぞウズベク人」という顔がどんなものなのか、いっこうに正体がつかめない。肌の色は黄、茶、焦げ茶、白、髪も黒、茶、栗色、ブロンドとまちまちだ。

     .

     ある日、知人のタタール人の結婚式に招待された。ホールの入り口では、中央アジア特有のあの細長いラッパが穂先を天に向け、ブーブ とやたら大きな単調な音を出す。会場はウズベク、タタール、ロシアと、あらゆる人種、言葉が乱れ、バンドの指揮者が「インシャ  ラ、ハレル ヤ!」とイスラム教もキリスト教もごったにした挨拶の後、蛇のくねるような中東のメロディーからロシア民謡、そしてポップを奏で、ウズベク人もロシア人もペルシア風に黙々と手をひるがえしておとなしく踊る。

    .

    髪を染めたロシア人の中年歌手が歌うのは日本民謡そっくり。白人がアジアのメロディ-を歌うと、どこか哀れさが漂う。新婦は弁護士の娘、新郎は外資系企業に勤めている前途有為の青年で、モスクワにいる親戚一同からの祝電が読み上げられる。

     一口にタタール人と言っても、カザンの方からやってきたイラン・ロシア系タタール人と、クリミア半島からスターリンに追い出されてやってきたモンゴル系のタタール人は仲が悪いのだから複雑だ。

    .

     式も盛り上がってくると、さっきから天井につりさがっていた大きな木綿の袋の口が開いて、中から無数の風船が宙に舞う。その袋のひもを引いたのは、カジモドよろしくさっきから天井にはいつくばっていたロシア人だ。

    .

     中央アジアと言うと我々は、ずいぶん貧しいところなのだろう、今でも遊牧生活をしているらしいなどと漠然と考えているけれど、ウズベキスタンの実態はもう開発途上国ではない立派な中進国で、都市に住んでいるのは中産階級の人達なのだ。だからアフガニスタンやその南の方からタシケントにやってきた外国人は、その整然とした街並みと貧民があまり見えないことに驚く。

    .

     タシケントにはボーリング場がいくつもあって、中は若者でいっぱいだ(これは2002年頃の情景)。入り口では顔の形が崩れたマフィア風のロシア人が見張り、カウンターの女の子もロシア人で、プレーをするのはウズベク人だ。ボーリングは日本では、六十年代の末にブームだった。あの頃の我々の生活水準が今よりはるかに劣っていたとは思わないが、考えてみれば僕の初任給も当時のレ  ―トで七十ドルしかなく今のウズベキスタンと大同小異だ。つまりタシケントのウズベク人の生活の実感は、六十年代の日本人のそれとそれ程変わらないのかもしれない。

    .

     地方の都市に行ってみても、最果ての地に来たというようなことはなく、例えばアメリカなら中西部のちょっとした町くらいの近代的な体裁を十分に持っている。ウズベキスタンの西部の中心ヌークスまでは、タシケントから飛行機で二時間程かかる。この間は殆どが砂漠で、砂漠というのは人を陸地に飽食した思いにさせるものだが、ヌークスに近づくとアム川の流れ、そして緑が目に飛び込んでくる。そして規則正しく四角に区切られた水田が眼下いっぱいに広がり、水の張っていない田は吹き出た塩分で真っ白になっていたりする。アラル海にもう近いこのあたり、世界地図で眺めれば最果ての秘境としか思えないが、きちんと開発されていて、ヌ  クスは工場や団地や操車場を備えた大きな近代都市だ。ここには何と、ソ連アヴァンギャルド美術の大コレクションがひっそりと眠っている。

    .

     昔三蔵法師はサマルカンド、ブハラを経て岩山を越え、テルメス経由でアフガニスタン、パキスタン、そしてインドと旅をした。そのテルメスも大きな近代都市で、周囲には豊かな農村が広がる。麦畑がなだらかな起伏を見せながら地平まで続き、その彼方には雪を頂く山脈が屏風のように聳える。畑の周囲の水路には桑の並木が影を落とし、入道雲の浮かぶ湖の岸辺では馬が草を食んでいる。白壁の農家はどれも手入れが行き届き、農民の服装はタシケント近在の農民より良く、農家の周囲の私有の畑には様々の野菜がびっしりと植えてある。まるでヨーロッパの農村に来た趣がある。

    .

     でももちろん、うまくいってないところもある。タシケントの東、アングレンという工業都市は、ソ連時代は金、石炭、発電、そしてゴムの生産で栄えたが、2002年の今は不振で白人のエンジニア、労働者が去った後のアパートが窓枠やガラスまで盗まれコンクリートだけの残骸をさらしていたりする。

    .

     フェルガナは関東六県にも匹敵する面積の、豊かな農業地帯で、地平まで続く畑にポプラの並木が梢を風に揺らせ、牛や馬の傍らを日焼けした農夫がチュベチェイカというあの黒っぽい縁なし帽子を頭にのせて歩いていく、長閑な景色が広がっているが、ここでも水がなくて農業ができなかったり、反対に地下水位が上がりすぎて地下の塩分を地表に吸い上げたり、農家の庭先を水浸しにしたりといった問題は沢山ある。

    (続く)

  • 世界紀行2:ユーラシア その2 「天元」のウズベキスタン

    「天元」のウズベキスタン

    (ユーラシアその1の続きです)

     中央アジアはユーラシア大陸の真ん中にあって、中国、ロシア、インド、イランといった大国にはさまれた戦略的要衝だ。碁盤の「天元」あるいはチェス盤の真ん中だと思えば、その重要性はわかっていただけるだろう。この地域が不安定になれば、周辺の大国も不安定要因を抱え込む。この地域で一つの大国だけの力が圧倒的になれば、ユーラシア大陸全体の力のバランスが変わる。

    .

     中央アジアはもともと遊牧民族国家、通商都市国家の渾然一体とした集合体で、今の国境や国の名前はスターリンが強引に作ったものだけれど、独立してもう十二年もたつとそれぞれに特色もはっきりし、日本や他の国で思っているほど「わけのわからない新興国」ではない。人間が住んでいる、リアルなパワー 、しかも古い文明を持つ国々なのだ。

    .

     ウズベキスタンは一九九一年に独立して以来、十年そこらという短い間に国家機構を作り上げた。ソ連時代、「ウズベク・ソビエト社会主義共和国」にも「外務省」はあったが三十人そこらしかおらず、外国人の客の世話と監視がその仕事だった。それが今、三百人以上(注:これを書いたのは二〇〇三年。現在は千人程度にはなっているだろう)にもなり、世界中に大使館を持っている。各省、そして地方の統治機構も整い、一応官僚組織として動いている。人口の若い国なので、二〇五〇年までには人口が倍増して五千万人になると言う。

    .

     首都タシケントは大きな都市だ。人口は二百五十万人で(注:現在は三百万を超える)、大きな環状線道路の中の面積は山手線の中の四倍もある。古くからの商都の部分はくねくね入り組んだ通路と汚れた白壁の家が密集する旧市街として残っているが、大部分はソ連領中央アジア全体の中心として新しく作られたものだ。街の一角にはソ連時代の中央アジア軍管区本部が広壮な姿を見せているが、今そこはウズベキスタン国防省になっている。夏の暑さを凌ぐためか街はすっぽり木立に包まれ、その中にアパートやオフィスビルや店が点在している風情がある。道路は広く車はまだ少ないが、歩行者が飛び出してくるのでスピードはあまり出せない(注:今は車があふれている)。

    .

     第二次大戦の頃、ウズベキスタンにはロシアから工場が疎開してきた。飛行機工場、電子製品工場、化学工場、トラクター 工場といった大工場が地方にも点在している。そしてかつては軍需が殆どだったこうした工場は手厚い予算をもらっていただろうから、街も立派になるというものだ。それに一九六六年のタシケント大地震の後、復旧事業に参加すればアパートがもらえるということでやってきた人達もいる。

    .

     とにかくタシケントの街の構えはあまりに壮大で、ここには温かい南の地域へのロシア人の憧れと野心も反映されていたのではないか。タシケントの新市街のアパートには今でもロシア、ウクライナ、ユダヤ、アルメニアといった白人が多く住んでいる。ソ連時代、大工場で働く者の多くはこうした白人だったのだ。タシケントは「パン籠」と呼ばれ、ここに来れば飢えることはないと信じられていた。エセー ニン、アフマートヴァといったソ連の文化人もここに長期滞在した。

    .

    ウズベキスタンの経済はまだソ連時代の計画経済を止めていないが(注:これはカリモフ大統領時代のこと。現在は「計画」と言うより、国営企業に対する政府のきつい縛りとして残っている)、流通やサービスはもう自由化されているので、街には西側のブティックやインターネット・カフェが軒を並べる。でも生活のテンポはモスクワに比べてずっとゆっくりしていて、四つ角で架線から

    外れたトロリー・バスのポールを運転手が懸命に引っ張っている傍で、近所の主婦連が何事も起こっていないかのようにお喋りにふけっていたりする。

     フェルガナ地方にある大宇の自動車工場で作られたNEXIAが何台も通りすぎる中、時には近郊の農夫がロバに荷車を引かせてタシケントの街にやってくる。夏の太陽がぎらぎらと照りつける中、まだ若くがっしりした浅黒い肌の農夫はさすがに疲れて半分うずくまり、手綱を持ったままロバより大きな口を開けてアクビをする。汗に光るその顔の回りには何匹もハエが舞っていた。

    (注:これを書いてもう二十年余。街頭風景は北京あたりに似たものになっている。韓国の大宇は破綻して、自動車工場は現在、実質的に国営になっている)