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皇室典範改正に寄せて・天皇制は神話より事実に基づいて語りたい

今年上半期の国会では、皇室典範改正が大きなイシューになった。皇室典範とは、憲法とは別建てで、天皇家の様々なことを定めている法律。今回の改正は、皇族(皇室典範で、天皇の親族のうち、既婚の女子を除く男系の嫡出の血族、およびその配偶者と定められている。敗戦で財産を奪われ、国費で諸費用を支給されている)の数が14名に減少してしまい、公務の負担が大変になったので、その数を少し増やすことを主眼としたが、女性天皇を認めるかどうかも隠れた焦点となったため、議論は対立を内包するものとなった。

一部の保守派は女性天皇を認めないので、今回の改正でも女性天皇出現の道をふさぐ工夫がされている。

高市首相は、党内保守派を自分の存立基盤の一つとしているため、自分は女性でありながら女性天皇の出現は推進できないという、微妙な立場に置かれた。

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天皇・皇族とは

憲法はその第一章で、天皇の基本的なことを次のように定めている。

第1条 天皇は、日本国および日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第2条 皇位は世襲。詳しいことは皇室典範の定めるところによる。

第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う。

第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。

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(その「国事」とは第6条、第7条によれば、国会の指名に基いて内閣総理大臣、及び最高裁判所長官を任命すること[形式的な行為である]、憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること、国会を召集すること、衆議院を解散すること、国会議員の総選挙の施行を公示すること、批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること、儀式(神道の)を行うこと等、とされている。いずれも決定は内閣=政府が行うので、天皇に実権はない。第二次世界大戦での敗北で、天皇の権限は大きく削減されたのである)

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皇室典範

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皇室典範は法律で、国会がその改正をできる。皇室典範は、天皇・皇位継承および摂政の設置、皇族の身分、天皇や皇族の陵や墓(皇室財産)、皇室会議のあり方を定めたもの。その第一条は、皇位継承について、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定める。

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今回の皇室典範改正は、次の手段で、皇族の数の維持・増加をはかった。

ひとつは、これまで女性皇族は一般市民との結婚後は皇族離脱が求められていたのを(昭和天皇は、皇族の数が無暗に増えるのを避けたかったようだ)、今回の改正で結婚後も皇族でいることができることになったこと。

次に旧宮家(戦後、皇族の数を減らすため、一般人とされた旧皇族)から男性養子をとって皇族とし、それに男子が生まれた場合はこれを天皇の後継とすることもできるようになったこと。

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つまり、皇族の数を少々増やすが、あくまでも男系継承を維持することが、今回改正の主眼と言える。

社会の一部には、愛子親王による継承を望む声もあるが、女性天皇を認めるかどうかという問題は今回棚上げになった。今の天皇はまだ丈夫だから、国論を割ってまで後継の問題を議論することはない、ということなのだろう。

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理性的な議論を

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筆者は、天皇制について何の思い入れも意見もないけれど、21世紀の現代、天皇制にまつわる多くの「神話」はよく吟味して事実だけ拾い出し、理性的でオープンな議論をして欲しいし、人間としての皇族の権利、お気持ちにも配慮するべきだと思う。天皇や皇族は、憲法の定める人権-言論・移動・職業選択の自由等-を享受できない人たちなのだ。

だいたい、天皇は君主でも元首でもない「象徴」。生きた人間が象徴であるとはどういう意味か。いったい自分は何をしたらいいんだ、してはいけないんだ、ということで思い悩んでいるに違いない。

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で、日本の天皇をめぐる議論を合理化するために、天皇をめぐるいくつかの「神話」(思い込みという意味)を吟味してみたい。

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万世一系なのか

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(神武天皇)

神武天皇は紀元前660年に奈良の樫原で建国したことになっている。当時、大陸の中国は春秋時代で統一国家はなく、やっと秦が中原だけ統一したのが紀元前221年。

大和朝廷は、唐が成立してから百年もたった紀元720年にやっと編纂した、日本書紀を唐の朝廷に見せて、日本の国の格を制定してもらおうとした。隣の朝鮮半島の諸王国より起源を古くしておかないと、新羅や百済より末席に位置付けられる。それではかなわない、というわけで、神武天皇なる人物を持ち出した。その事績は、史料や発掘で裏づけることができない。

神武天皇は実に127歳、第11代の垂仁天皇は140歳で崩御したことになっており、第6代の孝安天皇は102年間天皇の座にあったとされている。その後初めて実在を何とか裏づけることのできる第10代の崇神天皇までの9人の天皇は、実に平均100年間在位したことになっている。

神武天皇の陵があったということは、いくつかの史料に出てくるが、平安以降、言及はなくなり、その所在地は不明になった。現在、樫原神宮の横に神武天皇陵があるが、これは幕末、いくつかの候補地の中からそのように認定しただけの話しだ。

(崇神天皇)

第10代の崇神天皇になると、日本書紀その他での言及は多くなる。それら記事が示すのは、彼は外部からやってきた勢力だったのではないのか、ということ。

彼はまず、天皇家の祖神であるはずの天照大神を宮廷から外に出してしまう。代わって地元の大物主大神を崇拝することとし、宮司としてこれも地元に以前からいた三輪氏をあてる。三輪氏は出雲(日本海に面した今の島根県)との関係を云々される勢力で、大物神と大国主は同一だともされる。だから崇神天皇こそ、九州方面から東征で大和地方に乗り込んだ勢力なのだ、神武天皇はその事績を900年以上も昔に引き伸ばすために措定された存在なのだ、と言う人もいる。

(「応神王朝」)

この崇神天皇の皇統が絶えた可能性があるのが、第15代の応神天皇。崇神系の第14代・仲哀天皇(伝説の英雄、日本武尊の子息で身長3米の由)は366年(推定)、九州の熊襲征伐に出かけ、翌年その地で急死してしまう。

同行していた彼の皇后、神功皇后(実在は証明されていない)は摂政に就任、なぜか朝鮮半島に「三韓征伐」に出かけて、半年ほどで帰ってくる。神功皇后とか三韓征伐は、朝鮮諸王国の史書には出てこない。倭国の軍がやってきたとの記録は何回かあるが、いずれも朝鮮側が撃退したことになっている。

それはそれとして、神功皇后は帰国するとすぐ、それまで陣痛をおさえていた誉田別皇子(ほむつわけのみこと)を出産し、その後も69年間摂政を続けて、390年(ここらへん、計算が合わない)に譽田別皇子、転じて応神天皇が即位したことになっている。その時70歳になっていたはずの応神天皇は、それから実に41年間も在位したから、111歳で崩御したことになる。

神功皇后、誉田皇子は実在したのかどうか、実在したとしても70年間の摂政とはありえないのではないか、実際はこの頃の日本は内乱気味になり、九州、あるいは朝鮮半島南部のあたり(日本の拠点があった)で台頭した勢力が東征して、応神天皇となったのではないか。現に応神天皇は大和盆地まで入り込むことはなく、その入り口、大和川の河口、河内地方に本拠を構え、それによって応神天皇陵、仁徳天皇陵などがこの地方に集中することになった。

(「継体王朝」)

これを「応神王朝」とすると、その男系の血は第25代の武烈天皇で途絶える。彼は暴君であったらしく、その死の真相はわからない。いずれにしても遺臣たちは合議して、遠い福井(近江からという説もある)から、遠縁の男大迹王(おおどおう)を招請する。ところが招請されたはずなのに、彼は大和盆地に入ることができず(応神天皇後、権力は河内に存在したようだが、その後雄略天皇の時代には大和盆地に入っていたようである)、507年河内で継体天皇として即位を宣明するも、諸方を19年間も転々とするのである。

この継体天皇の血筋が今の天皇に至る。つまり、天皇家の歴史は長いし、多分世界最長の皇家なのだろうが、「万世一系」は疑わしく、王朝の交代は何回かあったし、神武天皇に至っては後世の者が考え出した可能性大、ということになる。

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女性天皇はいなかったのか?

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実はこれまで、8名の女性天皇が存在している。飛鳥時代に3名、奈良時代に3名、そして江戸時代に2名である。初めて遣隋使を派遣した推古天皇、目の前で蘇我入鹿が中大兄皇子に斬り倒された皇極天皇、それが一時退位して再び別の名で即位した斉明天皇-ー新羅征伐の軍を九州まで進めてそこで客死している――、夫の天武天皇崩御のあと即位して藤原京建設を成就した持統天皇、等々、錚々たる顔ぶれだ。

ただしいずれも子を成さず、彼らの後はまた男系が続いている。

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ユーラシアの中の日本

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天皇家をめぐる議論をすると、万世一系とか女系を認めるか認めないか、とかで、目が点になる人が多いのだが、実際の天皇一族は生きた人間。他の日本人同様、もとはシベリアか、満州か、朝鮮半島あたりの豪族だったかもしれず、神のように絶対的なものとして崇めるのもおかしな話しなのだ。

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大和盆地には三輪氏、漢(あや)氏、葛城氏などの先住部族がいた。漢氏の居住していた地区からは高松塚古墳、キトラ(亀虎)古墳が発掘されている。この古墳の石室は、宮廷(おそらく中国)の官女とか、玄武、青龍、白虎、朱雀-中国神話の四神-を鮮やかに描いた壁画で彩られている。古墳に葬られている高貴の人物が中国、あるいは朝鮮半島と緊密な関係にあったことを思わせる。

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そしてここから北西の大阪方面に25キロほど行った斑鳩に発見された藤ノ木古墳からは、金銀の絢爛豪華な副葬品が山と出てきて、現地に陳列されている。ユーラシアのスキタイ文明を思い起こさせる精巧な仕上げ。一つの冠の意匠はアフガニスタンで発掘された昔の冠に意匠が酷似している由。

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そして、応神天皇と朝鮮半島の関係については、日本書紀でも記事が多い。応神天皇は百済と頻繁に交流しているし、我々が学校で習った「ワニ(王仁)が朝鮮半島から千字文と論語を携えてやってきた」のは、応神天皇が百済から招聘したものだ。また、古墳に馬具の類が多く出土するのも、応神天皇以後のことらしい。

つまり、日本人の祖先はユーラシア大陸、あるいは東南アジアからやってきたに違いないのだが、天皇家もその一員であったのだろう、ということ。

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それで何か不都合はあるのか? ないだろう。天皇家は朝鮮半島経由で来たのだから、現代の日本は韓国・北朝鮮に従う、ということにはならないのである。天皇については憲法・法律でその権限をよく定め、天皇御自身の人間としての権利も認めて、是々非々で付き合っていけばいい。目を点にして自分の思い込みを他人に押し付けることはないのだ。

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