2023年10月
久しぶりに富山に行ってきた。今回は京都をまわり(京都ではマスクをしていない人の方が多数派。流石、自分で考えて決める人間の多い関西)、金沢から出来立ての新幹線に乗ると富山までたった22分(!)。
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富山はなんとなく、洗い立てのさっぱりした感じがあって、好きな街。近くには、江戸時代からの廻船問屋町もある。それに海から望むと、富山の街のうしろにヒマラヤのように聳え立つ、立山連峰の魅力は何とも言えない。火山と造山運動の二つが重なってできている。氷河もある。
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前回富山に来たのは13年前だが、何となく経済が沈滞していた。今回は、気のせいか活気が感じられる。新幹線が通った効果か? 確かに以前の富山は東京とは、別の世界にあるかのように遠かった。それが今では東京からでも大阪からでも2時間半ほど。関東、関西との経済の円環の中に入ってきた。
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富山県には大きな企業が随分ある。コマツの工場とかYKKの事業所とかIT大手のINTEC本社――富山駅前に印象的な高層ビルがそびえる――など。医薬品製造額、人口当たりの製造業従事者の率では日本一だ。
共稼ぎが多いためか所得水準は日本でも上位、持ち家率、家の広さでは日本一となっている。三世代が同居して、祖父母が孫の面倒を見るから、女性の就業率が全国で三位。そして三世代同居できる家を作るために、県が補助をしている。目の前は1000米の深さの富山湾で、ブリの消費量は日本一。刺身のうまさも日本一と言われるが、筆者にはわからない。
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数年前に比べても新しいビルが増えたし、若者が街で目立つ。彼らのセンス、言動は東京と変わらない。隈研吾設計の「ガラス美術館」というのができていて、これは全国ブランド。富山市が約30年にわたり進めてきた「ガラスの街とやま」を目指したまちづくりの集大成なのだそうだ。美術館のデザインも抜群だし、展示品もガラス美術の多方面を紹介するものになっている。
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富山も人手不足で、レストランではいろいろな対処法をとっていた。配膳ロボットは珍しくないが、食券を買って、料理ができると番号で呼ばれるので、自分で配膳窓口に取りに行くマクドナルド方式を、普通のレストランで採用していたり。
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越中八尾
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この前NHKで「おわら風の盆」とかいう番組で、越中八尾(やつお)の存在を知った。富山から南へ20キロ弱ほど。富山から飛騨へ伸びる街道の上――JR高山線――にあるし、以前は製紙、製糸(養蚕)の中心地だったのだが、今は5月の曳山祭りと9月の「おわら風の盆」で知られる。
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レンタカーで行ったが、山の腹にへばりついた街で、みつけにくかった。近くまで行くと、カーナビが狂い、同じところをぐるぐる引き回されたので、「勘ナビ」に切り替える。そうすると、すぐ見つかった。
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ここは1636年に、町としての法的地位を認められている。テレビで見たとおり、江戸時代からの古い街並みが続く。「曳山展示館」と「八尾おわら資料館」との二つがあって、両方とも面白い。「曳山展示館」には祭りで使う山車の類が収蔵されている。
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風の盆は盆踊りの一種だが、風の出る9月にやるから「風の盆」という優雅な名がついている。その実、暴風が稲を吹き倒さないようにとの願いをこめてのもので、若い男女が浴衣姿で街の坂道を踊り下る。編み笠をかぶっているので、顔が見えない。伸びやかな肢体で優美な所作の女性と、それにからむ男性の踊りに魅せられる。
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この町は、江戸時代から文化水準が高かった。というのは、家督相続で街から外に出ることもままならず、ろくな教育も受けられなかった長男連中が、「惣領の甚六」とかバカにされていたのに奮起して、文化活動に励むようになったからだそうだ。
江戸時代は全国的にこういう機運があったから、松尾芭蕉は弟子を頼って全国を旅することができたし、葛飾北斎は小布施に絵をかきに出かけることができたのだ。
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こういった長男連中が、地元の民謡「おわら節」を大正時代に完成している。そしてこの「おわら節」は、全国民謡コンクールでいつも上位を占める常連となった。
この「おわら節」の歌詞は様々で、林秋路という版画・明笛の名手の書いたものは面白い。彼は女好き、酒好きで、1903~1974年に生きた人。写真を見ると、素朴な感じの人だ。歌も素朴。変にこねくりまわして作った風がない。
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「花をみたよな覚えはないが、
たしか酔うたは、オワラ、花見酒。
蟹の甲羅でつい呑み過ごし
横にはわねば、オワラ、帰られぬ」




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