日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


日本歴史紀行16:紫式部ゆかりの石山寺

2026年5月

 

この寺のことは知らなかったのだが、京都から近江八幡に行く途次、大津市の歴史博物館でその存在を知って行く気になった。琵琶湖南端から少し南に下る。

.

この「衝動トリップ」の結果はイチオシ。石山という山にあって、ここは文字通り珪灰石という奇妙な石(天然記念物)が露出しているところ。石灰岩が主要成分で、もとは白かったらしいが、今では変に黒光りしている。

.

この寺は、「紫式部が源氏物語を着想、執筆したところ」ということになっている。

紫式部の日記その他では、そのようなことは書いてないのだが、石山寺の本堂をぐるりと回って、角の窓を見ると、紫式部女史の白いレプリカがぬっと現れて少し気味が悪い。僕の書斎より更に狭い一間で彼女は書いている。

付近には、「藤原道長も参拝した」ようなことが書いてあり、紫式部は道長の愛人であったことを匂わせている。

.

紫式部が本当はどこで源氏物語を書いたのかは知らないが、石山寺で書いたのなら、それはそれで納得できる。

彼女のレプリカが鎮座しているのは本堂の一隅。ここではいつも読経の声、そしてチーン、カーンという諸行無常のカネの音が聞こえてくる。だから「源氏物語」には、あの諸行無常のそこはかとない雰囲気が塗りこめられたのだろう。

.

紫式部は、藤原彰子(一条天皇の中宮)の文化サークルに属しており、そのバックは彰子の父、藤原道長。このサークルが、紫式部の執筆を促したとされる。今であれば有吉佐和子や林真理子のような女流作家がどこかに缶詰めになって、作品を書かされる情景を思い浮かべればいいかもしれない。

.

なお、石山寺の近くの堅田(琵琶湖の南端部西岸にある。敦賀など北陸の港から琵琶湖北東岸の長浜を経由して積み出された貨物は堅田で陸揚げされて京都に運ばれていた)は堺のような自治都市だった。豊かな町で、ここには浄土真宗の蓮如がいたし、禅の一休和尚もいた。

このあたりの歴史は文学・宗教・商売が入り混じって、面白みがある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です