2007年1月、国連UNDP(「国連開発計画」と言って、国連諸機関の中では最も手広く開発途上国援助を実施)の招きでタシケントに行ってきた。会議は1日半だけ、後は私費で滞在を延ばし、旧知のウズベク人達と会ってきた。2004年まで2年間、この国で大使をしていたので。
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パミール越え・文明の諸相
今回は、航空便の都合でバンコク経由という苦難の長旅になった。
成田のチェックイン・カウンターの前には、中国人の中年婦人の一行が並んでいて、「ねえ、あれはカバンにちゃんとつめた? カップラーメン、カレーライス、鰹節(すべて日本語)は?」とやっていた。文化の逆輸出。
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できたばかりのバンコク空港新ターミナル。思ったほど大きい感じは受けない。うまく設計されているからだ。
タイと言えば、先進国一歩手前まで来たと思っていたのに、最近のクーデター騒ぎとその後の顛末で、僕はすっかり失望していたのだが、ターミナルはもちろん先進国の様相。
立派なブティックが並び、タイのお嬢さん達が年々垢抜けていく働きぶりだ。
でもそれも様々。ミーミーと子猫のようにか細い声で、人のいいスマイルを絶やさず、最後には例の合掌して頭を下げるタイ式のお辞儀(ヨーロッパ人はなぜか日本人もこうするのだと思い込んでいて、日本人にしたり顔で合掌してきたりするが、こちらはそのたびにむっとする)をしてくれる。
かと思うと、インターネット・カフェのマウスが調子悪かったものだから、「換えたら」とアドバイスしたところ、そこの若干大型のおねえちゃんは「何? 調子が悪いんなら、隣のPC使えばいいじゃねえかよお」とすごむ。
この女性、ちょっと中国人的な顔をしていた。
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バンコクからのウズベク航空は、暑い。とにかく暑い。パミールの上を飛ぶのだからと思って、暖房をマクシマムにまで上げているのかも。そして機内の雰囲気は成田―バンコクとはがらりと変わり、ロシア的な荒くれになる。
ウズベク人のマフィア的な青年が後ろに座っていて、90年代初期のロシア人若手実業家と同じく、全くの傍若無人。
殊更な大声で仲間としゃべり散らし、「乾杯!」とかやっている。
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ホテル・エレジー(タシケント)
タシケントで泊まったホテルは、ドイツ系のDedeman。
一見ヨーロッパ風なのだが、部屋に入って気がつくと時計がない、それよりもっと悪いのはホテル内の電話番号案内がない。
ホテルのサービス案内もない。かと思うと冷蔵庫の中になぜかコンドームが2つ備えてあったりする。
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そして更に頭にくるのは、朝9時30分になると係員が客室のドアをどんどん叩いて回り「朝ですよ! (MORNING CONTROL)」と呼ばわることだ。しかもこちらが返事をするまで何回もしつこく。
これで一遍に、プライバシー軽視、集団主義、しつこい官僚主義の世界を思い出した。
(注:この時からもう20年もたった今は、もっとあか抜けていると思う)
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このホテルへの印象が決定的に悪くならなかったのは、一泊80ドルだったこと、そして温水プールがただできれいだったこと、ビジネス・センターではインターネットがただで使えたためだ。
しかし回線が遅いために、メールを開けるのに1件30秒はかかるから、またタシケント在勤時代の苛立ちを思い出した。
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街の表情
インターネット情報を読んでいると、ウズベキスタンは「圧制にあえぎ、国民は貧困の淵から抜けられず」ということになっているのだが、マクロの経済数字は良い。ウズベクの主要輸出品である綿花や金の国際価格が高騰しているからだろう。
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で、どちらが本当なのかと思っていたのだが、タシケントの表情は思ったより活気があった。車の数が増えている。
2003年頃の在勤時代、僕が日曜日になると食料品を買いに来たスーパー「アルドゥス」(金持ち用だが)は、見違えるように現代的になり、品数も豊富になっていた。
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対米関係が悪くなり(米軍はアフガニスタンで対テロ作戦をするために、ウズベキスタンのハナバード空軍基地を借りていたが、米国がウズベキスタンでレジーム・チェンジの策動を強めたために、カリモフ大統領から追い立てをくらったもの)、代わりにロシアに安全保障を依存し始めたことは、ホテルの客種に表れている。運転手によれば、「Dedemanホテルもアメリカ人がいなくなり、ロシア人が増えた。他にJICA関係の日本人、それに少々のドイツ人がいるかな」との由。もっとも冬で、ホテルは閑散としていたが。(注:2026年の今は、ウズベキスタンは米国ともロシアとも中国とも良好な関係を持っている)
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旧ソ連圏はロシアの石油景気のおこぼれで繁栄中
今回聞いたら、ウズベキスタンからロシアへの出稼ぎは200万人、カザフスタンへの出稼ぎは50万人なのだそうだ。ウズベキスタンの人口は約2,500万人。そのうち労働人口を1,000万人とすると、4人に1人は出稼ぎに出ていることになる。
ロシアやカザフでは年間平均1万ドルを稼いでいると仮定すると、毎年少なくとも1,200億円ほどの仕送りがあることになる。GDPの約10%相当だ。要するに、ロシアのオイル・ブームがウズベキスタンやタジキスタンやモルドヴァなどのNIS諸国に、出稼ぎからの送金という形で伝播している。
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高い油価で湾岸諸国も潤って、今大変な建設・投資ブーム。日本のプラント会社は数年先までオーダーが埋まっている、という状況なのだが、アメリカはひょっとしてイラク戦争の間はこのような状況を放置して湾岸諸国の支持を確保しているのではないか―――とさえ勘ぐりたくなる。
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これは現代の「マーシャル・プラン」なのではないか? 妙なことにロシアまでがこの恩恵にあずかり、すっかり大国に復活した気分になって、アメリカの外交に茶々を入れたりするようになったのは計算外だったろうが。
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他方、(2007年の)ウズベキスタンでは、貧困は残っている。子供を賄賂を使ってでも(500ドルくらいだそうだから、ウズベキスタンの農民にとっては大変な額だ)軍隊に入れることが今流行している由。これは「口減らし」になる上、除隊後税関などに就職できるのだそうだ。と言うより、軍隊経験がないと、税関などには採用してくれない由。
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他方ロシアは最近、周辺諸国からの出稼ぎを制限する法律を採択し、4月からは国毎にクオータを定める。1月から、果物・野菜・食肉などを売っているいわゆる「ルイノック」での外国人の売り子は全体の40%までと制限されたため、売り子不足で多くの売り場が閉鎖され、価格は一部で倍増している。
これまではコーカサス、中央アジア諸国の商人達がこれら物資を大量に持ち込み、販売していたが、この朝早くから夜9時頃までの労働をあえてやりたがるロシア人が足りないのだそうだ。これまでロシアで導入された多くの「画期的措置」と同じく、この移民制限も賄賂や抜け穴くぐりで、なしくずしにされてしまうだろう。
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今回、僕が一番注目して何人かの政府高官に聞いたのは、大規模国営農園を分割して数名の自営農家に委託(50年間ほど)する改革措置の実態。数字の上では、農業生産の80%はこの新体制で生産されている由。
もちろん、自営農家と言っても政府が箸の上げ下げまで指令してくるのだろうし、灌漑水の配分争いが激しくなっているようだが、これまで大規模農園にいた潜在失業者が大量に解雇され出稼ぎに行ってしまったことで、農業生産性は上がったらしい。
これは、ミルジヨーエフ首相(2007年当時。その後大統領に)の大変な功績だ。彼はカリモフ大統領から農業改革をやれと言われ、静かに、大騒動も起こさずにそれを成し遂げたのだから。
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もう一つ聞いたのは、今年から可能になったという、「土地の民営化」について。
土地というのはどの国でも重要な資産で、この所有権が国から民に移ると経済、社会が大きく変わる。
ウズベキスタンでは2006年7月の大統領令で、07年から土地を民営化できることになった。
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だが、調べた結果は、「細則がまだできていないから実行されていない。細則がなぜできないかというと、どういう細則を作ったらいいのか、上から指令がまだ来ていないから」という、ソ連時代を髣髴させるものだった。日本でもそうだが、官僚制の強い国では、政府がやるとかやれとか言ったことは、そのウラをよくよく調べないと、彼らの言葉に騙されてしまう。
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カリモフ大統領の功績
カリモフ大統領は15年間、その地位にある。大きな混乱や動乱なしに、ウズベキスタンを独立国として成立させた功績は大だ。
他方、腕を撫して新しいウズベキスタンを建設したいと考えている若手官僚も少しは現れている。
彼らに既得権層を押さえ、コネと腐敗で固められた窒息するような状況を打破する力があるかどうかはわからないが、「この国では有能な奴は海外に行ってしまう。次にできる連中は実業界に行く。官僚になるのはその下の連中ばかりだ」という言葉に見られるように、ウズベクの現状を問題視し、それを変えたいと思っている者はいる。
英国のウェストミンスター大学というのがタシケントにビジネス・スクールを開いていて、そこの卒業生が役人になっているのに会ったが(授業料は高いのだが、ウズベク政府の奨学金をもらって無料で学べる学生もいる)、見て話しをした限りでは有能、廉潔だった。
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他方、同じ若い世代でも無能ぶりがひどい場合もある。出国する時、バンコク、香港乗換えの経路だったのだが、若い係員は荷物タグをプリントアウトするのに20分もかけていた。カウンターに座っている若い男はKGBのような鋭い目をして見せるのだが、それはPCの使い方がわからないコンプレックスを隠しているだけだった。
ウズベクでは教育水準の低下が喧伝されている。それには、言語、文字の切り替えが大きな影響を及ぼしている。
学校教育におけるロシア語からウズベク語への移行、ロシア語表記をキリル文字からラテン・アルファベットに切り替えたことにより、ソ連時代貯えられた膨大な教材・文献類が使えなくなってしまった。ウズベク語に翻訳された文献はまだ微々たるものだ。
大げさに言えばウズベキスタンは今、文明の端境期にあるのだが、ロシアの影響力が事態をどう変えるか、興味津々だ。
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中国の優雅と冷酷さと
帰りはバンコクから香港経由のキャセイ・パシフィック(香港の航空会社。今やシンガポール航空などと並んでイメージが高いし、実際サービスが洗練されている)。
ところがビジネス・クラスの座席の足を伸ばす台がどうしても引き出せない。ランプをつけると優雅極まりない中国人スチュワーデスが、親切極まりないスマイルを浮かべてやってきた。
彼女は台を手でちょっといじってみたが埒があかない、と見るや、意を決したごとく、僕のすぐ横で美しい片足を持ち上げ、次の瞬間、馬のひづめの如くに硬いハイヒールのかかとをその台に振り下ろしたのだ。ガキッ!
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で、もちろん台は直り、スチュワーデスは何事もなかったかのように、しかし少し面映げなスマイルを残して一礼。去っていった。
中国人女性はたくましい。日米安保はやはり必要かも。 (了)




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