(プーチンが国内締め付けを強めるようになって、「専制」、「独裁」というレッテルがロシアに貼られるようになった。
しかしロシア人というのは本来、自由と言うか放埓を好む民族。感性とimaginationでこの世をとらえる。
で、もしウクライナ戦争後のロシアで体制が変わって、1990年代のような自由がよみがえったらどうなるか?
ご参考までに、拙著「意味が解体する世界へ」(2001年草思社)からコピペさせていただく)
河東哲夫
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朝の詩
都会の朝には詩(うた)がある。
といっても,あまり人影もない日曜日の朝の地下鉄。通路では前掛けをした職人風の男が売り物の花にバケツで水をかけていく。掃除もろくにしていない構内は,どことなく荒れた風情。地下鉄ならどこの国でも共通の,あのすえた埃と鉄の臭いがほのかにたちこめる。
モスクワの地下鉄は深いので,百メートルはありそうな長い々々エスカレーターがゴトゴトと音をたて猛烈なスピードで見えもしない地底から軍人,ジャンパー姿の労働者,黒か灰色の中年女性たちを,まるで十年前までのソ連時代のまぼろしのように次から次へと光の中に運び出す。
昨晩遅くまで入り口にたむろして,ギターをひき酒をあおり,キスをしあっていた若者たちの姿はもうない。たまに青いスカーフ姿の金髪の若い女が,清涼剤のように地底から上がってくる。2001年,無理無体の「経済改革」からほぼ10年たったモスクワだ。
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この一世紀,革命だ,社会主義だ,ペレストロイカだ,資本主義化だと,ロシア人が自嘲して「最初に犬に実験したらよかったものを」と言う大変な改革たち・・・それもみな上からの改革だ・・・をモルモットのように実験されてきたロシア人たち。おもだった白人種のなかではただひとり,剥き出しの暴力と抑圧の恐怖を身に沁みて覚え込まされてしまったロシア人たち。不運は続く。
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その事実の前では,「アジア人は専制的,白人は民主的」などという似非遺伝学的宿命論は意味をなさない。でも歴史上は実際そうだぜ,と言う者がいるかもしれないが,専制かリベラルかは統治単位の大きさにも比例してくる。古代ギリシアの都市国家や中世ヨーロッパの商業都市はリベラルだったが,そういう都市は専制的とされているロシアや日本にもあるのだ。一方ペルシアや中央アジアの広域帝国は専制主義的だったが,同じく力で異民族を統治する必要のあったローマ帝国の皇帝のあり方も,専制主義そのものだったのだ。
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1994年僕がモスクワを前回去った時,ロシアはまだ絶望の底にあった。新しい店は街のそこここにできていたが,まだ珍しく,売り場の女の子たちも慣れないスマイルを客に見せることにとまどっていた。ところが1998年,再びモスクワに着任した僕が目にしたものは様変わり,僕はあの「懐かしい」時代の面影を求め,すっかり変わってしまった目抜きの商店街を歩き回る。
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店はどれもヨーロッパのよう。ということは,粗末な包装があるかないかの、やたら不細工なソ連製の商品を売り子に指さし,「チェック」なるものを書いてもらい,店の反対側にあるレジに行って金を払って「チェック」にチェックをしてもらって売り子に見せると,やっと目当ての商品をもらえる・・・というシステムはもうなくなっていたということ。こういうシステムは売り子不信からできたものだろうけど,以前はパリの本屋などでもこうだったので,ソ連で発明されたものでもないかもしれない。
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今は薬局でたとえばビタミンCを求めると,白衣の優美な薬剤師がにっこり笑ってビタミンCの効能,飲み方をすかさず涼しい声で説明してくれる。引っ越し会社の作業員も,アメリカのようにがさつで荒々しいこともなく,丁寧でしかも能率がいい。夏の暑さにたまらず・・・その年は熱帯夜がまる一月も続いたのだから・・・クーラーをつけようと,見積もりを頼むと次の日にはファックスで送りつけてくる。金を払い込めば,その次の日にはもうクーラーが自宅に据えつけられているという寸法。このごろやたらと「納期」とやらで待たせる日本のサービスに比べても,いいのだ。このごろのロシアのサービスは。
もっともクーラーをつけてはみたものの,アンペアを電力会社が上げてくれない。ここは電気がいつも足りないので,電力は「売られる」というよりはまだ「配給される」,昔の感覚が残っているのだ。クーラーが動いたのは、結局次の年。
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でもロシア,特に大都市では大衆消費社会がやってきた。この十年,小型のスーパー,ブティックを出しては様子をうかがってきたフィンランドの資本は,外務省の真ん前にデパート,オフィス,アパートの複合大ビルをオープンしたし,トルコの財閥も時こそいたれりとばかり,アメリカ式の大ショッピング・センターを次々に開店し,スウェーデンの組み立て式家具「イケア」は郊外に歩いて回るだけで30分はかかろうという大ショッピング・センターを開いて空港行きの道路は渋滞。
平均賃金が100ドルもないはずの今のロシアで,こんな店を開いてどうするのかと思ったものだが,実はモスクワの中流家庭の収入は月に800ドルはあるだろう。その数字を見るならば,時代は七十年代初めの日本にけっこう近いかもしれないのだ。
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1971年にアメリカに渡った僕は「スーパーマーケット」なるものをそこで初めて見たものだったが,74年に日本に帰ってみると昔はなかったそうした店がそこら中にできていた。そして僕の給料は,そのころ丁度10万円くらいだったろう。だから今のロシアでスーパーが次々に増えていくのも不思議じゃない。どこも駐車場は満杯だし,近くの団地からは普通の人々がぞろぞろ歩いて買い物にやってくるのだから・・・・・・
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花盛りのライブ・バー
大通りサドーヴォエに面する入り口の厳重なセキュリティー を通り抜けると,四方を粗削りの板で囲んだトンネルがくねくねと続き,突然ロックバンドの騒音が闇をつらぬく空間に放り出されるライブ・バー「B9」。
あるいは文化大革命でソ連に居残った中国人がなぜか「中国の操縦士」と銘打って、なんとソ連共産党の昔の本部の真向かいに開店したライブ・バー。若者たちが小卓を囲みわいわいがやがや。小さな舞台ではバンドが演奏する。
夜も遅くなって夜食でもと思って少しばかり車を走らせれば,そこはオブラスツォフの人形劇場。ソ連時代、人形遣いの天才オブラスツォフが情熱を傾け,たった一代で当局に作らせたその人形劇場の裏にまわれば,そこには夏の庭になにやら大きなヨットの帆のようなインストレーションが白くそびえ,建物の中は超モダンなイタリア・レストランになっている。白いキャンバスに映し出されるヴィデオ・アート。宇宙をさまようかの照明。ここの極めつきはもちろんアルデンテのスパゲティーだけれど,トイレも絶品。緑一色できめた個室に入れば浮遊感がみなぎり,まるで夢の中で用を足しているかの錯覚におそわれる。たった十年前まではあの灰色の共産主義だったモスクワで,今では六本木や新宿に勝るとも劣らない夜が過ごせるようになったのだ。
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こうした夜の最新の世界をある日案内してくれたのは,高名な音楽評論家トロイツキー。この人はソ連時代からロックやジャズにかぶれて,学生時代はディスク・ジョッキーもやっていたけれど,卒業してからは定職がないとして当局ににらまれ,どういうツテがあったのかは知らないがロンドンに亡命するかのように転げ込み,その後モスクワに戻って功なり名とげた後は,大劇場コンプレックスの支配人になるのを夢見るものの,こればかりは資本家の胸先三寸でどうにもできず,半分趣味のようにして外国からポップやロックのミュージシャンをよんでは,ハイ・ソサエティーの客に聞かせている。
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彼は日本の音楽シーンにも詳しくて,当時モスクワにいた日本人もほとんど知らなかったピチカート・ファイブをFM放送ですっかり有名にした後,メンバーをモスクワに招待もした自由人。まだダンディーで,パーティーでは女性はみんな彼のまわりに群がってしまうので,男どもは鼻白む。
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ボヘミアンの世界:文学カフェ「O.G.I」
で,このトロイツキーは面白半分,今モスクワに展開している「文学カフェ ・チェーン」O.G.Iのコンセプト作りを手伝った。プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」さながら,若者たち,文化人,マスコミ人種が思い思いに集まってはだべるボヘミアンな場O.G.I.・・・・・。
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モスクワの城壁をこわした後に作られた「浄ケ池」。ここでは昔,トルストイの「アンナ・カレーニナ」の主人公レーヴィンがフィアンセのキティにスケートを見せびらかした名所かと思ったが、それはここではないらしい。フィクションを名所だなんだと言っても始まらず,それに今時の若者たちはフィクションだろうが史実だろうが,他人のことはとんとかまわない。
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で,この浄ケ池を横に見て大通りを右にまがると,そこはたちまち閑静な十九世紀欧州風住宅街。しばらく行けば道は三つに分かれ,右に行けば音楽好きの精神科医ビリジョが地下に開いたレストラン「ペトロー ヴィチ」,左に行けばO.G.I.という寸法なのだ。知らない人はただ通りすぎるだけ。
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何の変哲もない,十九世紀のお屋敷風の門を入ると,そこはがらんとした中庭になっていて,カフェのカの字も見えはしない。だがそれとおぼしきボヘミアンのあとについて庭の隅の,まるで地下の物置への入り口とも見えるブリキの扉を開けてみれば,階段が下に通じ,狭い通路にわけのわからぬ若者たちがたむろしている。
かまわず通路を進めば奥はタバコの煙が濛々とたちこめる中,ミシン机を改造したり,思い々々の安手のテーブルに客とも店長の仲間ともつかぬ者たちが,ある者は一人で煙草をふかし,ある者は連れの女性と顔を寄せてささやきあい,ある者は三,四人でワイン・グラス片手にさんざめく。音楽とタバコの煙をついて,ウェイトレスが忙しく立ち働き,その中にはおへそ丸出しルックの目のさめるような女学生がいたりする。世界一と言われるモスクワの物価の中で,ここは学生食堂とも思える値段でものが食えるのだ。
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帰ってきた自由の幻影! ヨーロッパ以上にヨーロッパ的な知的で自由でイマジネー ションに満ちた世界! この十年,こんな空間はモスクワに,いや全ロシアになかった。仕事柄,僕は多くのジャーナリストや評論家たちと付き合ってきたけれど,七十年代以降に大学で勉強した世代のロシア人は最高の教養とリベラリズムを兼ね備え,こうした連中がゴルバチョフのペレストロイカのスピーチライター,推進者となったのだ。
ゴルバチョフの下,リベラリズムと改革の夢を実現できるかに思った彼らは,その後の混乱にすっかり翻弄され,人間のエゴイズムと業を他人にも,また自分の中にもかいま見て,すっかりシニカルになったものの,今でも自由への思いは心の中で熱くたぎっているだろう。で,彼らに続く世代はどうだったかと言うと,まるで失われてしまったかのよう。この十年(1990年代のこと)の困窮と屈辱と,戻ってきた保守的な連中からの締めつけは,彼らの顔と心を歪ませて,ただ唯々諾々,のろのろと仕事をこなすだけの人間に変えてしまった。
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だからこそ,O.G.I.のような店に出入りする若者たちを見ていると,ああ戻ってきたな,ロシアの知的な伝統がいい形で戻ってきたな,と思うのだ。このカフェーから階段を上がると,そこは狭い一室が書店になっていて,ハリー・ポッターや探偵ものやエロ本にあふれる町の書店とがらりと変わって,純文学や映画や哲学や東洋の宗教の本が天井までぎっしりとつまっている。日本の短歌や俳句の翻訳にまざって,今人気の村上春樹の本も何冊かならんでいる・・・・・・・・・・・・・・
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現代「脳学者」の開いたレストラン・ペトローヴィチ
先程の「浄ケ池」から右に入った「大天使」通りの三叉路を右に行けば,さっき言ったとおり,音楽好きの精神医学者ビリジョが開いたレストラン「ペトローヴィチ」が,薄汚いビルの中庭に素っ気ないブリキの扉を見せている。ビリジョとは,なんとなく正直で温かい人柄にひかれてよく付き合ったものだが,新聞に風刺漫画を描いて有名になった以外、その身の上について詳しい話を聞いたことはない。彼は民放「独立テレビ」が当局からまだ本当に独立していた頃,時局をおちょくる風刺番組「イトゴー」に毎週,白衣に精神病院の鍵束を持って現れては,「モズゴベット」(「脳研究者」)と称して,リベラルな見地から精神的に病んだ社会を風刺してみせた。
彼は同時に美術家で,古い建物の地下室を改造して作った「ペトローヴィチ」の内装を,ソ連時代の安アパートやもろもろの生活を思い出させる剥き出しの水道管やら戦闘機のプラモデルやらでキッチに飾って店開きした。ここの料理は文学カフェO.G.I.よりワンランク上だけど,値段はそれほど変わらず,O.G.I.より一世代,二世代上の文化人,ボヘミアン,ビジネスマン,要するに三十代,四十代,五十代の自由人たちの溜まり場となっている。
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「ペトローヴィチ」は,ビリジョの父親の名前から取った,ロシア人に特有のミドル・ネーム,つまり父称なので,このレストランのウェイターは全員ペトローヴィチ,ウェイトレスはその女性形のペトローヴナという凝りようだ。このビリジョはパーティー好きで,何かというとすぐ仲間をよぶので,「ペトローヴィチ」も商売なのか趣味なのか,よくわからない域をさまよっている。
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ある日,現代ロシア文学の旗手,ヴィクトル・エロフェーエフ,プリーゴフ,ソローキンの仲良し三人が,頭文字を取った「ヨープス」とかいう筆名で一冊の本をものしたとかいうことで,祝いのパーティーが開かれた。外交官の息子のエロフェーエフはそつがなく,詩人,作曲家などあらゆるものを兼ねる才人プリーゴフはギョロ目をギラつかせながら大詩人プーシキンの物語詩「エブゲーニー・オネーギン」の冒頭をモンゴルのホーミーの奇妙な歌い方で朗詠する。
――エヴゲーニイイーーーン、イン、イン、イン、イン・・・――
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ソローキンはエログロ作家として名を売った男とは露とも見せぬ(近くのテーブルに家族が座っていることもあり),内気で言いよどみがちの挨拶を壇上でする。
そして元KGB幹部と紹介された眼鏡の男が壇上に立つと,「この三人には早くから目をつけて,路上で酔いつぶれたソローキンが警察にパクられて無職であることを咎められないように(KGBは警察を上から目線で見ている),この才能を保持するために,酒飲み収容所に入れてやりました」と,これも冗談半分,祝辞を述べる。
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そのあとは「ご歓談」で,肘と肘が触れ合う大混雑の中,方々でテレビ局ディレクター,インテリア・デザイナー ,文芸評論家,映画人,テレビ局のパーソナリティといった面々が,自分たちの知っているロシアとは全然違う光景に途方に暮れた表情の欧米の外交官もまじえて話に花を咲かせる。
奥の部屋では,酒のこぼれたテーブルをソローキンとその家族,友人たちが囲んで,「よく来てくれた。さあ,一緒に飲もう」と声をかけてくる。そこにみなの歓声を受けて入ってきたのは,なぜかあの「セサミ・ストリート」の黄色い羽毛のビッグバードを思わせる,奇抜な服と若干ひしゃげた顔をした,三十がらみの陽気な女性。深夜番組の司会で名高い某女と知れる・・・。
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(もちろん、ロシア社会全体がこんな風であったわけではないが、これもまた、ロシア人の「地」の一端だ。だから筆者が、今のロシアにどんなに失望しているか、ロシアの自由、ロシアの経済を駄目にした連中に怒っているか、おわかりいただけると思う。
これ以上のことは「意味が解体する世界へ」(草思社)、あるいは「ロシアの興亡」(MdN新書)でお読みになることができます)




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