(以前のブログに掲載したものの復刻も含めて、「日本歴史紀行」シリーズを固め打ちすることにした。それぞれの場所が関わる歴史の年代順に掲載していくつもり)
壱岐島
2026年5月 河東哲夫
この20年間、九州では方々の旧跡を行脚した。吉野が里から始まって高千穂、宇佐神宮、そして宗像大社、大宰府等々。ここは朝鮮半島から政治権力、文化が伝わってきた経路にあるし、九州王朝とか卑弥呼などの伝承もある、更に天孫降臨も九州だし、神武天皇、応神天皇ともども、九州から東征している。興味は尽きない。
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で、壱岐島は対馬と博多の中間点にあるかなり大きな島。王がいたという記録もある。因みに博多駅からタクシーに乗って「壱岐島(イキシマ)行きフェリーが出る港へ」と言ったら、運転手はけげんな顔をしている。「イキシマ? そんな島、聞いたことねえよ。イキノシマなら知ってるけど」だと。だったら、観光案内にも「壱岐島」ではなく、「壱岐の島」と書いておいてくれればいいのに。
歴史が古いところでは、地名の読み方も独特。壱岐島にあった一支国は「いき(壱岐)こく」、印通寺は「いんどうじ」、馬渡島は「まだらじま」という具合。
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壱岐島には江戸時代、朝鮮通信使も寄った。500名ほどの大所帯だったから、食事の世話だけでもたいへんだったことだろう。因みに鎌倉時代の元寇では、九州への途上にある壱岐島の住民は大虐殺されている。古代の沖縄のような位置にあったのだ。
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壱岐の島は高速船で1時間。地図を見ても全然イメージがわかず、「荒涼とした丘にぺんぺん草が生えていて、多数の小さな祠が風にさらされている」のだろうと思っていたが、さにあらず。実際は大きな島で、山や森や神社だらけ。地形は沖縄北部に類似している。幅も沖縄とほぼ同じ。元々ハワイのような火山島で、玄武岩でできている。
そしてその中を走る道路がけっこう整備されているのも、沖縄と同じ。観光名所には必ずと言っていいほど、小奇麗なトイレが整備されている。沖縄と同じ建設利権があるのかもしれない。
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島の観光名所を回るには、レンタカーかタクシーの貸し切りでもしないと無理。そのレンタカーが面白かった。今時、インターネットで予約ができず、東京から1カ月も前に電話で予約しなければならなかったのが一つ。そして、フェリーの着く港には事務所がない。係員が僕の名を書いた札を持って立っていて、船を降りた僕を見つけると港の駐車場に止めてあるレンタカーのところに連れて行ってくれ、そこで手続きをする。
帰りは港の駐車場から会社に電話をすると、そのあたりに立っている係員が寄ってきて手続きをしてくれるという仕組み。ガソリン・スタンドは随分沢山あった。
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日本神話のふるさと
この島では、日本初の飼い猫の骨が見つかっている。どうして、それが飼い猫だったことがわかったのかは知らないが、猫ブームの今、もっと使ったらいい観光資源。
あと北部の方に月讃神社がある。つきよみは月の神で、古事記では天照大神の姉妹ということになっている。
忍見宿弥(おしみのすくね)という人が487年、分霊して京都へ赴き、これで古神道(江戸時代にできた概念。仏教・儒教が混じっていない、古来のシャーマニズム的な神道)が中央に根づいたとされる。古事記が編纂されたのは712年だから、本来の神道がその前に壱岐の島から伝わったものだとして不思議はない。但し、その発祥は朝鮮半島、大陸の方にあるのだろうが。
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いずれにしても、これは平安京への遷都794年のはるか前の話しであり、京都周辺に拠点を構えた秦氏が昔の氏神を壱岐から招請した可能性がある。今、月讃神社が置かれている松尾大社も、秦氏ゆかりの神宮である。
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壱岐島にあったという一支国(いきのくに)は、魏志倭人伝に出てくる。朝鮮半島のあとは対馬。それの次に一大国(これが一支国のことだとされている)が出てきて、その先は奴の国。
一支国の「首都」とされるのが原(はる)の辻遺跡で、記録には「三千戸あり、食料自給できず」と書いてある由。通商で生計を立てていたらしく、内陸部に船着き場の跡がある。この遺跡のある深江田原(ばる)は、かなり大きな平野で、中を流れる幡鉾川に、海から来た舟の船着き場の跡があるのだ。
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遺跡の建築物(復元)は吉野が里のものに酷似している。規模は登呂とも並び称される。丘の上に壱岐市立・一支国博物館がある。市立にしては大規模な博物館で、黒川紀章の晩年の仕事である。
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壱岐の島は何人か有名人を輩出している。戦後の電力業界再編を主導した松永安左エ門は、壱岐島・印通港の商家生まれである。筆者の家の近くの平林寺に墓地がある。
ほかにレオパレス21の深山英也氏も壱岐島出身。面白いと言うか立派な例では、梅屋トクという女性がいる。彼女は壱岐島の士族の家に生まれ、請われて長崎の商家、梅屋夫妻の養女となって、そこのドラ養子・庄吉と夫婦になる。庄吉はひょんなことから映画で財を築き(日活映画の前身)、その資金で孫文の中華民国立国を助ける。トクは、孫文とその秘書宋慶齢の結婚も助けた。
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軍艦「赤城」の大砲
壱岐島の西岸には猿岩https://www.ikikankou.com/spot/10093と呼ばれる、猿そっくりの岩がある。その横に黒崎砲台跡がある。ここには1922年、ワシントン海軍軍縮条約で破棄された軍艦「赤城」の主砲が移設されていた。口径41センチ。弾丸重量1トン、射程30キロと言うから半端ない。米軍が沖縄戦の後、日本海を目指していれば、ここを通ったことだろうが、通らなかったから、大砲も使われることはなかった。
壱岐島から船で博多に帰ると、博多の沖が多島海であることがよくわかる。自分が元寇だったら、一気に博多に突入するのはためらったことだろう。しかし構わずさらに進むと、大きな平地が見える。海岸には、今を時めくソフトバンクホークスのみずほPayPayドームが威容を見せる。昔、朝鮮半島で戦ったという伝説のある神功皇后も、凱旋した際、おなじ景色を見ていたのかどうか。
(以上、「壱岐の風土と歴史」中上史行等を参照)




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