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日本歴史紀行9:古代も彩の国だった「埼玉」、そして秩父

                        河東哲夫

埼玉というと、「彩の国」と呼べ、とかいろいろ涙ぐましい取り組みはあるのだが、どうも盛り上がらない。

しかし古墳時代、ここは大きな富の中心、権力の中心だったのだ

先日、県立歴史・民俗博物館に行ってきたので、断片的になるけれど、いくつか埼玉県の歴史・地理を復習してみたい。

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古代、今の大宮近辺まで東京湾は入り込んでいた。氷川神社は見沼という大きな沼のほとりに建てられている。

6世紀頃、埼玉では前方後円墳が多数作られた。当時米作が広がり、富が蓄積されていた。

そのうちの一つの行田市、稲荷山古墳では鉄剣が見つかっているが、これにはその古墳の主が大和の王「ワカタケル」(雄略天皇)の親衛隊長のようなことをしていたことが記されている。それは王の信頼を得ていただけでなく、抜群の武力を持っていなければつけない職だ。

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つまり関東地方のあたりまでは大和朝廷の権力が及ぶようになっていから、朝廷は国衙を任命し、官道を建設して統治のネットワークを整備していた。

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それだけの基盤があったから、7世紀朝鮮半島の百済が滅んだ時、遺臣が多数日本に来航。大和朝廷は彼らをまとめて関東地方に入植させている(日本書紀)。特に秩父では彼らは銅の採掘と精錬に従事。奈良の大仏建立のための銅を献上している。日高市には今でも高麗神社があるし、このあたりは高麗群とされていた。また今の新座は新羅郡となっていた。

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埼玉には出雲から移住した勢力もいた。氷川神社の「氷川」は出雲の「斐伊川」に発するという説もある。

埼玉県には諸方に、出雲大社の名を冠する神社がある(いつ頃の創建かは調べていないが)。

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面白いことに、大宮の慈恩寺には、西遊記の玄奘和尚の遺骨(の一部)が祀られている

これは日中戦争の当時、日本軍が南京の大報恩寺で入手し、持ち帰ったものらしい。

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(ここで秩父への旅行記も掲載しておく)

秩父

秩父は、筆者の自宅近くの西武池袋線の終点、飯能からさらに西武秩父線特急で45分ほどかかる山奥。

と思いきや、太古はなんと東京湾から伸びる海で、地元の博物館には当時の海底の様子が再現されている。

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今日、近くの荒川は長瀞と呼ばれる渓谷で、横にそびえる武甲山は「秩父セメント」の原料となった石灰岩を切り出したところ。

大正、昭和の東京のビルは、武甲山のおかげで建った

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この地は古くは銅鉱石に恵まれ、朝鮮半島から唐軍に押されて亡命してきた人々が高麗郡や新羅郡を作って朝廷に銅貨を納めたり、明治以降は秩父事件(明治17年。困窮した農民たちが負債の減免を求めて蜂起。1万名以上が処罰を受けた事件)の舞台になった。

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そして周辺の養蚕をベースに絹織物のハブとなり、後には渋沢栄一たちが武甲山の石灰岩を利用して前記「秩父セメント」工場を設立。今の西武鉄道はこのセメントを運んだり、周縁の糞尿収集を手伝ったりして、大きくなった。今では池袋からラ・ビューという超モダンな特急電車で1時間半ほどで行ける。

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このように、けっこういろいろなものがあるところなのだが、2025年、秩父のミュージシャンが出したCDに何枚か行き当たった。一枚は、今ちょうど70歳くらいの地元のタクシー運転手、梅沢茂さんが、ギターを弾きながら歌う「Ja Bossa」。タイトルは「タクシー・サウダージ(サウダージとはポルトガル語で「ほのかな憂い」とでも訳したらいいようなもの。梅沢氏のあだ名)」。

ボサノヴァ風の唄をペーソスを込め、秩父の地唄であるかのように歌う。自分を全然飾っていない。

https://taxi-saudade.wixsite.com/jabossaでブログをやっており、ここで彼の演奏を見ることができる。素人芸ではない。

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もう一枚は、このタクシー・サウダージ氏を「発見」して世に送り出した秩父出身ギタリスト、笹久保伸の「CHICHIBU」。

これは秩父の大衆の唄―-労働歌なのだそうだ――をベースに、人間のエッセンスを絞り出したような音楽集。

埼玉は山奥に見えて、隅に置けない文化・経済圏なのだ。

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