(ウクライナ戦争は戦線膠着の様相を強める一方、9月にはロシアで総選挙があるので、ロシアが停戦をはかる可能性が増えている。しかし占領地から完全撤退することはあり得ない。1939年のフィンランド・ソ連戦争の場合、フィンランドはどうしたのか、2022年12月のメルマガ「文明の万華鏡」の記事を再録しておく)
今のウクライナ戦争は、1939年のフィンランド・ソ連戦争に擬せられている。後者は11月に始まったために「冬戦争」と呼ばれているのだが、西側マスコミはウクライナ戦争をも「冬戦争」と呼び始めている。そしてこの戦争の立役者、フィンランドのマンネルヘイム元帥(のちに大統領)の名は、ウクライナ戦争でも引用され始めている(末尾参照)。
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1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書で、独ソは東欧をそれぞれの勢力圏に分割することで合意。ソ連はバルト三国とフィンランドへの圧力を強め、フィンランドに国境線の変更、軍事基地設置とソ連軍駐留等を要求、フィンランドが拒絶したことで11月、壮烈な戦争となった。ソ連は、これらの行為に対して12月、国際連盟から追放されている。
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フィンランドは翌年3月まで戦うが結局、国土の10 %、工業生産の20 %が集中するカレリア地峡(これは現在、ロシアが占領している東ウクライナに酷似)をソ連に譲り渡すという条件の講和条約を結び、3月13日に停戦が成立した(以上Wikipediaより)。
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4か月間の戦闘で、ソ連軍は少なくとも12万7千人の死者を出していた。フィンランド側は、約2万7千名を失っている。
1940年6月、マンネルヘイム元帥は、ともに戦ってくれたスウェーデンの義勇兵に対して、停戦を説明し、支援に感謝するスピーチをしている。今(2022年末)、西側のマスコミでは、「ゼレンスキーのMannelheim Moment」として、彼が領土の割譲を国民に説明し、停戦に応ずるタイミングはいつか、という議論が起きている。




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