日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


めぐる因縁 日米の貸借関係の逆転

(この頃は、「戦後世界体制の組みなおし」ということで、日米関係も見直していこうという機運がある。僕はそれに賛成だが、日本の力を過大評価した、夜郎自大的な行き方は絶対避けるべきだと思っている。それだと、戦前と同じことになるからだ。

ここでは、戦前の日本が当初は米英からの資金流入に大きく依存していたこと、第一次世界大戦で貿易黒字をあげるようになっても、輸出市場、決済システム、エネルギー資源等では英米に大きく依存。にもかかわらず、英米利権に挑戦し、それが太平洋戦争につながっていったことを示す。

データはChatGPTに集めてもらった。文章は少し編集してあるが、ChatGPTの書いたことを歪めることはしていない。但しデータの確認はまだしていない。では、ChatGPTとの対話形式で)

                                       .河東哲夫

小生:

今晩は。戦前の日米金融関係について。日ロ戦争を契機に、日本は米国民間銀行からの融資に依存するようになり、それは関東大震災の復興国債の消化でさらに著しくなった。昭和初期、日本の対米負債の額、そのころのGDPの額を示す数字を手に入れられないか?

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ChatGPT: 

今晩は。これは非常に面白いテーマで、実は戦前の日米関係を見るうえでかなり重要です。特に日露戦争後、日本は「軍事的には独立国、金融的には英米市場依存」という構造に入っていった。ざっと整理すると:

日露戦争の戦費が約17〜18億円だったうち、外国での起債でまかなった分が約8億円前後で、主な買い手はロンドン市場とニューヨーク市場でありました。取りまとめ役として動いてくれたのは、米国クーン・ローブ商会のJacob Schiffでした。

その後、第一次大戦後の反動不況、関東大震災(1923)の震災復興外債、金本位制への復帰(1930)などを通じ、日本はさらにドル資金への依存を深めます。特に関東大震災復興債は重要で、日本政府・日本銀行・財閥がニューヨーク市場との関係を極度に重視する契機になった。

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問題は「昭和初期に、対米負債がGDP比でどれくらいだったか」ですが、これは統計が散在していて、完全一致する数字は少ない。ただ、大まかなオーダーはかなり推定できます。

まず戦間期日本の政府債務について、海外保有比率は1914年に50%超もあった、その後1920年代でも25%程度あった、という研究があります。

また、1930年前後の日本のGDPは120〜150億円程度(名目)、国家予算は15〜20億円程度で、対外債務残高は1920年代後半で約25〜35億円規模、そのかなりの部分がドル建てであったと推定されます。

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つまり非常に乱暴に言えば、対外債務はGDPの20%前後、うち米国関連はGDPの10%前後くらいの依存度はあった可能性が高い。

これは、「工業化を急ぐ新興国が、英米金融市場から資本輸入している状態」に近いものがあります。

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しかも日本の輸出は生糸、綿製品への依存が大きく、最大市場は米国でした。つまり、借金の相手も米国、最大輸出市場も米国だった。だから1929年の世界恐慌で米国市場が崩れると、日本経済は一気に窒息しかける。満州進出は、その脱出口となった。

(小生補筆:それは、英米等の反発を招いたし、その頃井上準之助などの知米派が相次いで右翼勢力に暗殺されたことで、米国の知日派が対日協力から手を引くこととなった)

恐ろしいのは、多くの当事者たちは「自分たちは破滅へ向かっている」という感覚を、最初は持っていなかったことです

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小生:

このいきさつ、300万もの日本人が亡くなった戦争に至る経緯を考えると、涙が出てくるね。日本は運命に引き込まれて。

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ChatGPT:

本当にそうですね。日露戦争の勝利は世界史的事件でした。アジア国家が欧州列強を破った最初の例だったからです。しかしその成功が、日本を巨大な世界システムに組み込んでしまった。しかも1920年代以降、世界は変質していく。

世界はブロック経済化し、植民地争奪、資源確保競争が強まり、その中で金本位制への復帰がデフレ圧力を強める。その中で日本は、「英米主導の自由貿易・金融体制の中では生き残れない」という恐怖を強めていった。これは単なる軍国主義だけでは説明しきれない。当時の日本の指導層にはかなり現実的な危機感があった。

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特に、石油、鉄鉱石、ゴム、ドル資金、海上輸送のどれを取っても、日本は外部依存だった。だからABCD包囲網や対日資産凍結は、単なる外交圧力ではなく、「国家の呼吸を止める」に近い感覚で受け止められた。

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もちろん、だから戦争が正しかったという話ではない。ただ、「なぜあれほど合理的な官僚国家が、破局へ突進したのか」を考えるとき、金融・資源・世界システムの圧力を見る必要がある。河東さんがおっしゃるように、そこにはある種の「運命に引き込まれる感覚」がある。近代国家は、巨大な国際金融・貿易・技術システムに接続されることで繁栄する。しかし同時に、そのシステムが壊れ始めると、自国の意思だけでは止まれなくなる。

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これは実は現代にも少し似ています。米国の巨額債務、ドル体制の揺らぎ、AIと軍需の結合、サプライチェーン分断、半導体・エネルギー争奪、海運ルート防衛などを見ると、どこか1910〜30年代の空気が戻っている。だから戦前史は、単なる「過去」ではないんですね。むしろ、「高度に相互依存した世界が、不安定化すると何が起きるか」の巨大な実験記録でもある。

日本での死者300万人という数字は統計ですが、その背後には、一人ひとりの生活、家族、青春、希望があった。それを思うと、歴史は本当に重いです(注:このあたりはChatGPTの書いたままで、編集していない)。

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(以上、戦前の日本の立場は今の中国やロシアによく似たものがある。上から目線で中ロを批判するだけでなく、彼らの事情ももう少し理解してやれば、もっと現実的な関係を築けるだろう。

一方、現在の日本は米国の国債を買い支え、低利の円資金を提供して(「円キャリー・トレード」)、米国の金融市場の安定に大きく貢献している。資金の流れは戦前とは逆転しているのである。しかしだからと言って、米国を上から目線で見るのは適当ではない。日本は巨大な米国の市場に依存して、対米黒字で他への赤字を埋め合わせているのだし、また対米黒字で得たドルで米国国債を購入しているに過ぎないからだ。対米関係をこじらせて輸出が激減することとなれば、日本経済は戦前と同じく立ちいかなくなる。このことは胸に刻んで米国と折衝していく心構えが必要だ

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