(「意味が解体する世界へ」草思社 から)
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中央アジアから世界を見れば
河東哲夫
タシケントの家で夜遅くワーグナーを聴いていると、隣の家のニワトリが僕の教養主義を嘲るかのようにコケコッコーと時を告げる。僕はそれで一時すっかりくさって、クラシック音楽の限界をタシケントの鶏に教えられた気になった。
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このあたりの伝統音楽を聴いていると複雑なシンコペの末にリズムが半拍失われたまま先に行ってしまったり、いきなり無理やり半音下がったかと思うと西洋音楽では考えられないぞっとするような、しかしその反面ぞくぞくした快感を覚えさせる転調をあっけらかんとしてのけて、そのまま先に進むような瞬間に会い、ああ西洋のクラシックは何だかんだと言っても理屈だな、結局一人の作曲家が全てを作ることの限界は、次に何が起こるかよく見えてしまうような気持ちがすることに現れてしまうんだなと思う時もある。
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でもクラシック音楽も拍子を気にせず息づかいや間で聴いてみると、新鮮で深いものに聞こえてくる。我々素人は足でドタドタ拍子を取りながら音楽を奏でたりするけれど、プロはフレーズを大事にする、とはこういうことなんだなと納得した。
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僕がウズベキスタンにやってきた時、これまでアメリカやヨーロッパやロシアしか知らなかった自分のものの見方に何か大きな変化、パラダイムの変化といったものが起きるのではないという期待があった。五十五歳(2002年のこと)にもなれば、一つのところだけにいると物の見方が固まってしまい、いいことにはならないのだ。
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でもタシケントに来てみれば、ここもついこの前までソ連の一都市、それも大都市だったのだから当然だけれど、ちょっと見には驚天動地のことなどありはしない。市場経済をとりいれようとしている旧社会主義の大都市共通の様相があるだけだ。
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こうした中で僕がああこれかなと思ったのは、これまで大国の辺境の未開の部族と思っていた昔の遊牧民族が、東は中国、西はヨーロッパの歴史にまで直接介入し、ユーラシア全体の主人公として長く振る舞っていたことの意味を考えるようになった時だ。
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遊牧という生活形態がいつできたのかは、誰にもわからない。農業地帯から追い出された者達が仕方なくなったという説もある。彼らの生産力は飛躍的上昇をとげることはなく、いつもその機動力に優れた軍事力にものを言わせて農耕民族を侵略し、商業を支配してその上がりで国家を運営したのだ。
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中国は中央アジアの辺境なのか
中央アジアからは、中国を見る目も大分違ってくる。中国は、気の遠くなるような長い時の中を連綿として漢民族独自の文化を発達させてきたように思われているし、中国人自身も固くそう思い込んでいるけれど、実際には安禄山や詩人李白がペルシア系だったように、周辺の遊牧民族そしてペルシア系民族と渾然一体となってその歴史を進めてきたのだ。純粋の漢民族が作った王朝は漢、宋、明くらいのものと言われているし、また漢以降の漢民族は随分混血したから、「純粋の漢民族」などという定義自体あやしいものだ。
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中国で初めて国家らしい形態を備えた秦の始皇帝は遊牧民族出身で、目が青かったとの言い伝えも残る。陶器と言えばもっぱら中国で発達したことになっているが、例えば景徳鎮の染付に使われたコバルト染料はペルシアから来たもののようだ。
そして元の時代、モンゴルによってペルシア系人種は中国に深く引き込まれ、国家の財政や金融、流通で腕をふるう。当時のモンゴル支配地のほぼ全域にわたって、ペルシア語は今の英語のような国際語だったらしい。この時代、遊牧民族モンゴルは、自分の軍事力とペルシア系人種の商売の能力を使って、中国を含むユーラシア東半分を支配したのだ。
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してみれば、あの中国も実は連綿として多民族社会だったのであり、それはもう世界中がそうだったのだ。そうした多民族社会のベ-スが国民国家という一つ一つの小さな単位に切り取られていったのが、世界史の実体なのかもしれない。
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中央アジアの歴史を見ると、経済偏重の我々は認めたくないのだが、軍事力が時として世界を変えることがよくわかる。青銅器文明は鉄器文明に征服され、その鉄器文明は鉄器と騎馬を組み合わせた遊牧民族に征服される。
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スキタイ人が採用したこの武器体系はペルシア人、トルコ人、モンゴル人が採用し、彼らは千年以上もの長きにわたってユーラシア大陸に君臨する。馬は今で言えば戦車、装甲車、戦闘機の役割を果たすスーパー兵器だったのだろう。中国の馬は小型のわりに高価で、比較的大型の馬を大量に安く飼育できる大草原を持つ遊牧民族には敵わなかったらしい。
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モンゴルが西欧を征服しなかったのは、ハンガリーまで攻め寄せていながらモンゴル本土での後継争いに加わるため軍が引き上げたことによるが、モンゴルがヨーロッパに伝えたのだろう中国の火薬が皮肉なことに、鉄器と騎馬を組み合わせた武器体系による長い々々支配を終わらせる。これを杉山正明氏は「陸と騎射の時代」から「海と火器の時代」への移行と形容しているが、その火器、大砲の時代が西欧植民地主義をもたらした。
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これを西欧の原罪のように言うのは間違いだろう。こうなる前はモンゴルによる植民地主義がユーラシアを支配していたのだから。そして今、兵力展開と戦闘状況のリアル・タイムでの把握を可能にしたアメリカの電子戦能力が、新しい武器体系として世界に絶対的優位を打ち立てている。武力だけでは今の世界はもう到底渡っていけないけれど。
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専制のDNA
遊牧民の社会はいくつかの特徴を持っている。彼らは一年の間に集住と散住を繰り返す。そして軍隊は百、千の単位で構成された厳しい上意下達の原理で貫かれている。家畜を追って散住している時や軍隊を率いる時には、個人としての高い能力と瞬時の判断力を要求される一方で、集住の時には集団主義が前面に出る。そしてモンゴルの相続は分割相続だったから、家長の死後、子の間で相続の取り分をめぐって争いが起きることも多く、モンゴル帝国崩壊の一因となっている。
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遊牧民族の作る国家は宗教には寛容だが、国家機構が軍隊組織とだぶっているためかその統治は家父長的で専制的だ。古代の昔、ギリシアもペルシアも経済力は同じようなものだったろうが、ギリシアでは民主政治、共和政治が生まれたのに、アジアではペルシアも含めてずっと専制支配が続いた。中央アジアでは今でも、リーダーは専制的でないと務まらないと言われている。アメリカ帰りのウズベク青年が、「お前、ここじゃ部下をどなり叱りつけなきゃ、奴らは言うこと聞かないんだよ」と友人に忠告されたと言ってくさっていた。
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なぜこうなのかはわからないが、中央アジアでは昔からずっとこうだった。遊牧民族の影響なのか、灌漑設備を差配するには専制的でなければならないのか、それとも単に生産力が低くて富を少数の者が独占してきたからそうなのか、僕にはまだわからない。
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ともあれ中央アジアは国際政治の舞台に復活した。ユーラシアの中央にあって、インドとほぼ同じ広い面積を持つこの地域は百五十年間、ロシア、ソ連によって分断されていたが、それがまた独立した国家群として蘇った。かつてはペルシア、トルコ、あるいはモンゴル文明の一員として中国、インドとも並ぶ力を持ったことのある地域だ。ロシア、中国、イランといった現代の大国に対しても、それは少なからぬ意味を持つだろう。




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