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日本歴史紀行8:長野と古代九州のかかわり 安曇氏

長野と古代九州のかかわり 安曇氏

                    河東哲夫

長野は九州や大和からは距離があるので、古代の日本史でさして役割を果たしていないように見えるのだが、実はそうでもないようだ。北九州の安曇氏がこのあたりを開いた可能性がある。安曇氏というのは、西暦528年大和朝廷に対して立ち上がった「筑紫君磐井」(九州王朝伝説とも関係)の乱で、磐井側について戦った豪族(海賊系)なのだが、これが敗北して長野の方に流れてきたかもしれないのだ。信濃川から入って、支流の犀川を遡ると、長野に至る。そのあたりは安曇野である。

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その関連で言うと、穂高神社の御舟祭りが有名だ。穂高神社の本宮から遠く離れた穂高岳のふもとにある奥宮で、「神池」(大きくはない)に舟を浮かべて一周する行事。海も湖水もないこの地域で舟というのはいかにも奇異なのだが、言い伝えではこの松本盆地には古代大きな湖があったと言う。

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今でも松本のあたりは、地面を掘ると浅いところから水が出てくるそうだ。そして松本市の「渚」など、水にちなんだ地名が多い。

穂高神社というのは安曇氏にゆかりがあって、富山、静岡、姫路にあるらしいので、穂高岳にちなんだ命名と言うより、穂高岳が穂高神社にちなんだ命名なのかもしれない。「穂高岳」という名称はけっこう新しいもののようなのだ。

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この地域には、「龍の子太郎」という昔話がある。山の掟を犯したために龍に姿を変えられた母と共に、山を切り開いて湖の水を海に流し、広大な田を開いたというのだ。地図を見るとわかるように、この松本盆地は山に囲まれていて、川の出口がないように見えるのだが、信濃川の支流である犀川は、まさにこの松本盆地を水源としていて、北方の山をまるで割いたかのように、山の向こうの長野盆地に流れ出る。

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今回(2022年)は、塩尻で講演する機会があったので、そのあとレンタカーで犀川に沿ってドライブしてみた。国道19号線を進んでいくと、犀川はまさに龍のように「山を割って」流れていくのである。壮観だ。いったい、どうやってあのような水路ができたのか、不思議。犀川はもともと低地を流れていたのが、次第に山が隆起したものとしか思えない。

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武田信玄と上杉謙信が戦った川中島は、犀川が長野盆地に流れ出て千曲川と合流する地点にある。以前はなんで甲斐の山奥から武田信玄がこんな遠くまで出張ってきて戦争をしたのかわからなかったのだが、信玄にとっては東方に進軍する際のハブだったわけだ。

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話しを戻すと、松本は初めて見物した。松本城に象徴されるように、どこかあか抜けた、さっぱりした街並みだった。長野市はこの地域ではわりと新しい存在のようで、江戸時代は松代と松本の方がメインだった。中でも松本は商業のハブだったとされる。そして旧制高校は松本にあって、長野にはなかった。今でも長野大学の文理学部は、松本に置かれている。

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そして何と言っても、小澤征爾の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で、松本は世界に名を知られている。それに値する文化都市だ。

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