(これは数年前書いたコラムですが、現在でも状況はほとんど同じなのでアップしておきます)
河東哲夫
日本語はどんどん変容していくし、それがいいか悪いかは個人の好みの問題なのだが、この頃どうしても気持ち悪くて仕方のないものがある。
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それは、若い女性を中心に、「・・・でございます」、「・・・は・・・です」と言う時の、語尾の「す」が、なぜかすっとしないこと。「す」と「せ」の間の音、まるで中国語のiのような、どこか自信なげな、気を抜いたような音でごまかす。要するに、自分にはものごとを断定する資格はありません、生意気だと思わないでください、と言いたいようなのだ。友だち同士の会話なら勝手にしろということだが、これがNHKあたりで堂々と登場してくると、視聴料を払いたくなくなる。(ただ、これは世代の問題で、2026年現在の20代以下の人には目立たなくなっている)
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同じ伝でいくと、この頃何でも、「私は・・・をしました」「私は・・・をしたいと思います」ではなくて、「私は・・・をさせていただきました」「私は・・・をさせていただきたいと思っております」という受け身の謙譲体になっていることも気に障る。錦織が「今日はジョコビッチに勝たせていただきました」と言うだろうか?
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自分は社会の一員で、自分が何かをできるのは皆さんのおかげだ、という気持ちはわかるが、そういう気持ちのない人までが、流行に負けてあたかも自分という主体がない、自分の意志というものがないような言葉を使うのは・・・聞いていて気持ちが悪い。
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このように、日本の社会がぬるま湯の中で過度に丁寧になっている。店員が両手を腹の前に組んでお辞儀をするのも、以前はなかったこと。サービス業が厳しい競争に勝つために、どんどん礼儀を過剰にしている面もあるのだろうが、これでは世界での競争に勝つことはできない。自分の意見を言わない者、自分で強烈な欲望を持っていない者は、世界では二の次にされてしまう。




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