日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


トランプと古代ペロポネソス戦争

(これは2月の末に書いたもの。今は4月のはじめで、米国・イスラエルによる無謀なイラン攻撃が湾岸地域を混乱に陥れようとしている。)

トランプ騒ぎ。支持率が下がるエスカレーターを、いろいろ注目を引くことで駆け上がろうとしています。じたんばたん。悪ガキよろしく、あらゆるルールを超えて、ゲームを引っ繰り返そうとするのです。

古代のギリシャ。「民主主義のアテネ」はアテネ・ファーストの帝国主義に転じ、同盟(「デロス同盟」)は庇護より搾取の手段と化しました。反抗する都市はアテネ軍に蹂躙されて、男は皆殺し、女子供は奴隷として売り飛ばされる目に会ったわけです。

不満はペロポネソス半島に満ち、専制王制とされていたスパルタが反アテネ同盟(「ペロポネソス同盟」)の盟主となって、アテネ攻略に立ち上がります。これが紀元前431ー404年のペロポネソス戦争。海軍国アテネは陸軍国スパルタに負けるのですが、これは郊外の銀山を制圧されたこと、籠城戦術を取ったアテネ市内で疫病が流行し、指導者のペリクレスまでが倒れたことなどの不運が重なったものです。

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ところで、2026年1月ダヴォスでの世界経済フォーラムで、カナダのカーニー首相は、次の思い切ったスピーチをしています(DeepL和訳を一部修正)。

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「数十年にわたり、カナダのような国々は、いわゆるルールに基づく国際秩序の下で繁栄してきた。我々はその機関に参加し、その原則を称賛し、その予測可能性から恩恵を受けてきた。

我々は、国際的なルールに基づく秩序の物語が部分的には虚構であることを知っていた。強大な国々は都合の良い時に自らを免除し、貿易ルールは非対称的に執行される。そして国際法が適用される厳格さは、被告や被害者の身元によって異なることも理解していた。

(しかし)この虚構は有用であり、特にアメリカの覇権は公共財の提供、つまり海上航路の開放、安定した金融システム、集団安全保障、紛争解決枠組みの支援に貢献した。

だから我々は儀礼に参加し、レトリックと現実の乖離を指摘することを概ね避けた。

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この取引はもはや機能しない。率直に言おう。我々は移行期ではなく、断絶の真っ只中にある。

近年、大国は経済統合を武器として、関税を梃子として、金融インフラを強制手段として、サプライチェーンを搾取すべき脆弱性として、利用し始めた。統合が自らの従属を生むのであれば、「統合による相互利益」という虚構の中で生き続けることは不可能だ。

中堅国が依存してきた多国間機関——WTO、国連、COP——つまり集団的問題解決の枠組みそのものが脅威に晒されている。その結果、多くの国々が同じ結論に至っている。エネルギー、食糧、重要鉱物、金融、サプライチェーンにおいて、より大きな戦略的自律性を確立しなければならないと。ルールがもはやあなたを守らないなら、自らを守らねばならない。

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しかし、これがどこへ至るかについては、はっきり認識すべきだ。要塞化された世界は、より貧しく、より脆弱で、より持続不可能になる。そして大国も、ルールや価値観の体裁さえ捨て、自らの権力と利益を欲しいままに追求しようとしても、限界がある。」

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かくて世界は「現代のアテネ」=トランプ米国と、非トランプに分かれて争うことになるのかも。文明史的に言うならば、西欧が中世のルネサンス、宗教改革以来、営々として確立してきた「個」を備えた人間、つまり人間の尊厳・権利、それを基にした民主主義、自由といった価値観を、トランプはいとも易々と踏みにじっている、西欧文明の派生物であるアメリカが、異形化して西欧文明を泥に引きずりおろした、ということにもなります。そこは、筆者の近刊「自由と民主の世界史―失われた近代を求めて」が詳細にたどっているところです。

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ただ、カーニーは「断絶」と言っていますが、国連、NATO、WTO、日米同盟といった機関、条約関係は、まだその多くの部分が生きていて日々、仕事を続けていることには目を配らないといけません。世界貿易の75%近くは、相変わらずWTOの定める関税率にのっとって行われています(https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/04/9a71c861bf47d004.html)。それに、すべてのことは、米国でのカネ余りがバブルを呼んで世界的な金融危機を起こすというリスクと背中合わせで進行しています

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ひとつのことばかりに目を奪われてパニくるよりも、世界の政治・経済・社会の流れを総合的に組み合わせて考えて行かないといけない時で、識者の責任には非常に重いものがあります。