(ずっと前のメール・マガジンをめくっていたら、この文章が出てきた。今でも通用するので、ここにアップしておく。このサイトが復活して本当に便利になった)
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この前、NHKホールに行くので渋谷の坂道を上って行ったら、右の角に観音様が立っていた。http://www.dentan.jp/komaba/komaba06.html
なんでこんなところに観音様が、と思ってみたら、「226事件慰霊碑」とあるではないか。何でここが2.26事件に関係があるんだと思ってインターネットで調べてみたら、ここには何と戦前陸軍の刑務所があって、事件首謀者たちはここで銃殺されていたのだ。
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2.26事件はドラマチックな出来事で、僕も主要兵力となった歩兵第一連隊、第三連隊があった六本木のあたりを随分徘徊したことがある。二つの連隊のちょうど間に「龍土軒」http://loco.yahoo.co.jp/place/009707dcfd1e4fa780dfd67441183dea5664b952/という日本最古のフランス料理屋があって、ここで将校たちは謀議をこらしたと言われる。
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2.26事件だけでなく、六本木という街そのものが面白い変遷を経ている。昔の大名屋敷の一角に謎じみた何とか池があったり、谷間の墓地の横にあるゲイ・バーでは歌舞伎もどきのショーが毎晩あって、舞台の奥が開くと墓地が見えたり、六本木は戦後までは墓地の連なる郊外で、終戦直後は今の交差点の真中にドラム缶がすえられて臨時の風呂になったり、そして今では道路の途切れた一隅から夜、はるか向こうに新宿の高層ビル群の明かりが輝く。当時の防衛庁の左横の塀にはみすぼらしいバーが貼りついていて、ここは終戦直後、アメリカの黒人兵と彼にほれ込んだ日本の女性が長年やっていたパブ・バーだという(ミッドタウンの建設で取り壊された)。僕は戦後の六本木を舞台に、ロメオとジュリエットみたいな物語を書いてみようと思ったのだ。
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話しを2.26事件に戻すと、この前、ある人から興味ある見方を聞いた。戦前の陸軍では、士官学校を卒業して将校となった者の中から、さらに成績優秀の者を陸軍大学に入れて教育し、参謀本部のスタッフ(いわゆる参謀)として使っていた、陸軍大学に入れなかった将校たちは現場部隊のポストをぐるぐる回ってキャリアを終えるのだが、この「参謀組」と「現場組」の間には葛藤があった、2.26事件の首謀者たちはこの「現場組」に相当していた、彼らの動きには参謀本部で力を振るえない、参謀に行った仲間たちのやっていることは生ぬるいという、やむに已まれぬ不満があったのではないか、というのである。
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ありそうな話だ。役所でも、東京の本省で昇進を重ねる者と、地方や外国ばかり回される者達との間には葛藤がある。上級職の役人と専門職の役人の間にも葛藤がある。
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この観点から見ると、2.26事件の首謀者たちが事件の前に上層部の大臣たちに呼びかけた時、後者が見せた、あぶないものにさわるようなうやむやな反応、そして事件後、首謀者たちが素早く処刑されてしまったのも、その理由がわかる気がする。




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