(これは今日、業界誌「ボストーク通信」に掲載されたものの原稿です。今のロシアの情勢をかなりまとめてあります)
この頃、プーチン大統領が世界のニュースから消えている。クレムリンのサイトを見ても、内政、外交とも大統領がらみのイベントが少なくなっている。3月初めの国際婦人の日のセレモニーでは不自然にせき込む姿がテレビに映し出されて、健康上の不安もささやかれた。
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この盛り上がらない状況の一つの大きな理由は、ウクライナ戦線にある。ロシアは3000両を超える戦車を破壊され、前線は膠着した塹壕戦に移行して既に2年以上。ウクライナはドローンを多用して、ロシア歩兵による前進を撃退している。
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そこでロシアはイラン製のドローン「シャヘド」のコピーを大量生産、この冬にはウクライナの電力設備を中心に派手な攻撃をしかけたが、電力は既に回復している。そしてウクライナは機敏な開発で、ロシアのドローンを撃破するドローンを開発した。撃墜率は90%以上だと報じられている。「決まったものを大量生産」体質のロシアの軍需企業では、これに対抗する新たな兵器を繰り出すまで時間がかかる。
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この上、春のぬかるみが収まって展開されるべきロシアの「春と夏の攻勢」がどこまで功を奏するか。これが不発に終われば、ウクライナ戦争でのロシアの手詰まり感は一気に高まるだろう。
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イラン戦争に忙殺されるトランプが、この頃ウクライナがらみでロシアに「かまって」くれなくなったことも、ロシアの気勢をそぐ。「米国を相手にしている」からこそ、ロシアは世界で偉そうな顔ができるからだ。
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四面楚歌
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それに加えて、サウジ・アラビア等の湾岸諸国は、Patriotなど高価な米国製対空ミサイルを費消したため、急遽ゼレンスキー大統領を招致して、ウクライナ製対空ドローンとその操縦人員の提供・派遣を受けるようになっている。イランのシャヘドをコピーしたロシアのドローンに有効ならば、イランからの本物のシャヘドにも効くだろう、というわけだ。サウジ・アラビア等はウクライナと安全保障についての協定を結んでおり、おそらく多額の資金をこれからウクライナに提供することになるだろう。
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加えて12日には、ハンガリーのオルバン政権が選挙で敗北したため、EUはウクライナに約束していた900億ユーロの借款を提供できるようになる(19日親ロシアの政党がブルガリア議会選で勝利を収めたが、オルバンほどの力でロシア制裁を妨害できるかどうか)。中央アジア諸国の首脳は昨年秋、ホワイト・ハウスで雁首ならべてトランプ米国への恭順の意を示したし、モルドヴァではロシア人が居住する沿ドニエストルが、ロシアの支援を得られず、モルドヴァからの圧力にさらされている。
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ロシアはイランと2025年1月、包括的戦略的パートナーシップ条約を結んでいるにもかかわらず、米国・イスラエルとの戦争で目立った支援はできていない。数年前のロシアは、トルコ、イスラエル、シリア、サウジ・アラビア等々と緊密な関係を維持して、「中東における影の大国」と言われていたが、今は政治・経済・軍事、あらゆる面で打つ手はない。
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原油価格高騰が効かない経済
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ロシアの経済は、インフレ退治のための高金利で企業が息切れし、今年初めは停滞を指摘されるようになっていた。昨年末までは世界原油価格が下落していたことも、これに拍車をかけた。3月初め政府内では、不要不急の予算(もちろん国防は除く)は一律10%削減という話しも起きていたのである(3月9日Reuters)。
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こういう時、ロシアは原油価格の高騰で救われることが多い。今回もそうなりかけている。イラン戦争で原油価格が高騰したからだ。ところが政府や軍の意気がどうも上がらない。バルト海のウスチ・ルガー、プリモルスク、黒海のノヴォロシイスクと、原油積み出し港が軒並み、ウクライナの長距離ドローンの攻撃を受け、かなりの被害を受けたらしいのだ。詳細は明らかにされないのだが、これによって、ロシアは前記のように原油価格高騰の利益を十分に得ることができないでいる可能性がある。東方の太平洋方面では、アジアの諸国がロシアの原油輸入を強く望んでいるが、パイプライン、そしてウラジオストク港での積み出し能力には限界がある。
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9月議会選挙に向け蓄積される社会の不満
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ロシアは9月、議会総選挙がある。「ロシアの選挙はまやかしだ。開票結果は操作されて、いつも与党が勝つことになっている」という理解が相場だが、今のロシア社会には戦争やインフレなどで不満が高まっている。2011年には総選挙の開票結果に抗議する集会がモスクワなどで膨れ上がっている。
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これまでは、モスクワなど大都市の青年は戦争に徴募されることはほぼ皆無で、市民はこの数年続いた実質賃金の上昇をフルに享受してきた。しかし賃金上昇はもう勢いを失い、付加価値税率や公益費の引き上げなどでインフレが勢いを増す。一方、「ウクライナのドローンが電波を使えないよう」とかの口実で、西側のTelegramなどのインターネット・サービスが次々にブロックされ、ロシア製アプリの使用が強制されるようになっている。Telegramなどは、ロシアの人口1億4千万のうち約半分の7000万人が日常使っている――ロシアのアプリと異なり、交信内容を秘匿できる――ものであるだけに、人々は大きな不満を抱いている。
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決定的なのは、実質的な徴兵が始まろうとしていることだ。3月末に軍は「無人システム軍」の創設を発表。2026年中に7,9万人を徴募、最終的には21万の大軍(無人のはずなのだが)を作ることとした。ドローン操縦には教育水準の高い人員が必要なので、学生やエンジニアも募集の対象となる(3月30日Jamestown)。
募集は志願制ではあるが、大学その他機関には、志願数の目標が示されている。世論は、「これは実質的な動員だ。ドローン要員とは言いながら、戦場では戦闘要員として使われることになるのだろう」と疑って、戦々恐々の状況でいる。このままでは、9月の総選挙では大量の棄権者が出て、政府は社会の支持を失っていることを世界にさらすことになりかねない。
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それを防ぎたいと思ったら、ウクライナで何らかの停戦措置を実現し、責任を取ってプーチン大統領は辞任。以前も指摘したように、国家評議会(最重要の政策につき諸省庁を調整する権限を持つ。プーチンは既にこの評議会の議長となっている)の議長として院政を敷くようなやり方が日程に上ってくる可能性がある。現在のクレムリンの沈黙は、このような情勢急展開の前触れである可能性もあるだろう。
河東哲夫



