日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。


デンマーク紀行 2026年8月

7月26日から8月8日まで、家内の里帰りについてデンマークに行ってきた。10年ぶりくらいだろうか。街の表情は変わっていなかったが、気がついたことを記しておく。

デンマークが何にでも優れているわけではない。日本のモデルにすぐなるわけでもない。しかし、人間の尊厳やら高い生活水準やら、いわゆる「近代」の価値観を割と落ち着いて、着実に維持している点で、我々の参考であり続ける。トランプ米国が19世紀の荒くれ帝国主義に回帰しようとしているだけに。

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シンガポール経由の長旅

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ロシア制裁でシベリア上空を飛べないため、モスクワや欧州に行くのは大回りで時間がかかる。北極回りや北京経由もあるが、今回は安いチケットで、しかも信頼性のある航空会社、シンガポール航空を選んだので、えらい目にあった。シンガポールまで7時間、空港で待つこと7時間、そこからコペンハーゲンまで12時間、合計26時間で、これまでで多分最長の旅行。8月末の今も疲れている。

シンガポール航空の乗務員は、昔は良家の子女という感じ。今は普通の青年たち。英語だがわりとブロークンでしかも早口だから、飛行の騒音もあり聞き取れない。

成田を出る時は気温34度、シンガポールには夜着いたこともあり、28度になっていた。要するに、地球が傾いて、赤道が日本を通るようになった感じ。

チャンギ空港、思っていたよりアジア的生活感が漂う。まず人間が、アジア系がほとんど。このあたりに定住していると思われる白人たちも日に焼けて、ヨーロッパ風でなく、アジア風になっている。ただ一見して、「中国人」は少ない。

従業員たちは、早口のごちゃごちゃ英語。ラウンジ(一般客用の有料)は静かでなく、食器のぶつかる音、水の出る音、赤ん坊の泣き声。そして粗末でべたべたしたソファ。

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アフガニスタンの灯火?

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シンガポールからは、12時間のフライトで参った。夜中なのでなんと読書のためのランプも消せという。しょうがないからフライト・マップばかり見ていた。普通なら中東のドバイあたりを経由するのだが、今はイラン戦争で危ない。ひょっとしてアフガニスタンから中央アジアを突っ切り、カスピ海を横切るルートでも通るかと期待して、マップを見ていると、どうもインドを横切ろうとしているらしい。つまらない、と思って、居眠りをして、目が覚めると飛行機はアフガニスタン上空にいた。

面白い、でも下界は真っ暗だろうと思って窓をあけると、さにあらず。大きな灯火の塊がいくつかある。マップはここはGazojek地方で、近くにはMashhadという町があると言う。アフガニスタンもこの頃は電力事情が良くなったのかと思って、あとで調べると、これはもうトルクメニスタン領だった。残念。

とは言え、地方都市でもあれだけ夜景がきれいというのは、トルクメニスタンもけっこううまく統治されているのだ。

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海のようなカスピ海を横切り(最近は水量がどんどん減っているが)、コーカサスを横切って黒海上空に出ると、トルコ沖合は船(の灯火)が多い。しかしウクライナに近づくと、動く船はない。下界は本当に「黒」海になった。そしてルーマニアのあたりから下界は曇ったが、ハンガリーのあたりで雲の切れ目から、広大な無人の湿地地帯のようなものが見える。ChatGPTに聞いたら、多分ナジ・シャーレートという大湿原だろうと言う。いくつかの川が流れている。こんなのがあるとは知らなかった。昔オスマンの軍隊がハンガリーを攻略する時、ここは森林だったのか、それとも今の湿原だったのか。いずれにしても簡単に行軍できるとは思えない。

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旅券審査の行列

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昔、デンマークに入るのは簡単だった。ところが今は難民を防ぐためかテロ対策か、旅券審査にやたら時間がかかる。旅券審査の窓口の前は大行列。待ち時間は1時間ほどだった。それを知っていた僕は、折り畳み式の小さな椅子を持って行って、待ち時間をしのいだ。

考えれば、車椅子を貸してもらえばいいのだ。

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デンマークは広い

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デンマークは広い。車で走ると、果てしがない感じ。グリーンランド等を除く土地の面積は42,957 km²で、関東平野の2.5倍。ここに僅か600万の人々が暮らす。人口密度は1平方キロあたり139人で、日本の326人の2.3分の一。日本では「可住地」での人口密度は約1000人なので、実感はデンマークと比べ物にならない。

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風が草を吹き分けて渡る音。小鳥がどこかで鳴いている。典型的なデンマークの夏。薄青い空。丘を森(森はけっこうある)が彩り、その上に風車がそびえて大きな腕を振り回している。巨人のよう。しかし目立たない。1つか2つが散在。時間は悠揚迫らず滔々と流れる。

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日本は人口が減ると大騒ぎするが、僕には全然わからない。ゆったり生きて、デンマーク並みの生活ができたら、それほどいいことはないではないか。我々団塊世代が消えれば、余計な医療費・社会保障費の負担もぐんと減って、日本は少子化社会のメリットを享受できるだろう。

今のデンマークでは、高齢でも本雇いの職を見つけるのは割と簡単だと、知人が言っていた。「雇い主にとっては、高齢者の方が若者より信頼できる。若者はSNSに没頭したりして」と。

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デンマークでも人間は、離婚・再婚を繰り返し、愛憎・遺産関連はこんがらかる。それでもデンマークに着くと、何となく安心感、開放感がある。たぶん、「個人」の重みがあるからだろう。日本では初対面の人に会うと、無意識に格付けをし始める。どのくらいの敬語でしゃべったらいいかの品定め。息が詰まる。

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社会のデジタル化、そして紙幣の消滅がもたらす生活の不便

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デンマークは政府の事務の電子化では、世界の最先端をいっている。昔から個人ナンバー制度が定着しているからだ。

ただ、電子化は不便ももたらす。昔、汽車の切符は窓口で買った。今は、少し郊外に出ると、電車の切符も器械が一つ置いてあるだけ。もし殺到したらどうなるのだろう? 今回、違う日付の切符を買ってしまい、変えようと思ったのだが、器械は対応していない。駅員もいない。便利なはずが、決められた経路から外れると、どうしようもなく不便なのだ。まあ、駅の事務室を見つけて直してもらったけど。

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デンマークでは現金を、ほぼ使わなくなった。すべてスマホとカードで済む。それがないと、市電もトイレも使えない。「通貨」が日常では意味を失った。デンマークで使ったものは、自動的に日本の口座にチャージされる。ここでは通貨というのは、銀行間の交換率でしかない。

しかし現金が使われない社会は、結構地元の人しか生活できないclosedなものになってしまう。昔のデンマークは諸方に公共トイレがあった。今でもあるが、ほぼ全ては有料になって、国内で使う何とかカードを持っていないとドアも開けられない。まあそこは出てくる人がいたら、ドアを押さえてそのまま入ってしまうとかの便法で切り抜けたが、これを本当の便法と言うのだろう。これも過度のIT化の弊害。

カードがあっても器械が壊れていることがあって、こうなると二重にどうしようもなくなる。駅の外の観光案内所とか商店でお世話になるしかない。

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デンマークの鉄道・様々の様相

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デンマークの駅の建物、列車などは大きく、ごつく、加えて古いものは薄汚れているから、少々気が疲れる。日本のは手入れがよくて女性的と言うか。

構わない気質と言えば、60両ほどの貨物列車が目の前を通り過ぎていったが、すべての貨車(有蓋)にペンキ絵が施してあった。壮観。そして結構、現代美術として鑑賞できるものになっている。ドイツからやってきた貨車も紛れていて、やはりペンキ絵を塗られていた。

電車は2階建ても多い。1階が全部、自転車と大きな荷物用になっているものもある。客は、壁に埋め込まれたベンチを引き出して使う。

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列車の多くは時間通りやってくる。しかしディーゼルが多い。数十年経っているのをまだ使っているのだ。デンマークと言えば風力発電で発電量の約6割を賄っているから、多分すべて電車になっているのだろうと思っていたが、さにあらず。中には電車とディーゼル車が連結されているものがある。どうやって車輪の回転を同調させるのだろう?

面白いことに、二つの車両を一つの車台でつないでいるものがある。車輪の数を節約できるのだ。だが、これでカーブを曲がれるのか? 曲がっていたが。

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電車のトイレも故障しているものがあった。そして電車はキャンセルになることが多いが、駅のアナウンスがあるだけ。表示で=になるだけ。外国人にはわからない。

最近では酷暑に悩む南欧諸国からの避暑客が増えていて、切符の買いにくい鉄道は、いつも立客でいっぱい。

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暮らしぶり

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日本の暮らしは10年前まで「世界一」だったように思えるが、それは都心。郊外ではデンマークと雲泥の差。かなわない。コペンハーゲンから電車で30分ほどの郊外で、6000万円で広大な一戸建てを買うことができる。

海岸の公園に行くと、キャンピング・カーが並び、大勢の人でにぎわっている。無料の遊具が充実していて、子供達の楽園。全部白人で、かつての野尻湖外人村を思わせる。

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都市は荒れている所と繁栄している所に分化している。端の方では投資する者もなく、店も閉まったままの所が多い。家内は、「これでは第三世界。東京の方がいい」と言った。デンマーク第三の町、オデンセは、滞在最初の日は天気も悪く、さびれた感じ。空の店が多い。廃墟を歩く感じで生命感がない。しかし次の日からは快晴で、昔のオデンセ。明るく豊かで自由な街に戻ったから、印象というものは当てにならない。

(Odense駅前 アンデルセンの彫像)

それでも、ヨーロッパはヨーロッパでなくなりつつある。雑然としてきた。昔のローマ帝国末期ほどではないが、白人が治める小帝国化してきたと言うか。

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社会の変化を如実に示すものは、墓地の変化だ。変化というか消滅の方向。多分、家系が絶える例が多いのだろう。公営の墓地では、更地が増えている。そして20年程前までは、「何々家」という立派な、ロミオとジュリエットに出てくる一戸建ての家のような墓が並んでいたのに、だんだん減っていって、今回はほとんど皆無。普通の墓も、公営墓地では年数が経つと更地にされてしまう。社会はバラバラになってきたのだ。

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そして完成された社会の窒息感。デンマーク、ノルウェーは社会の完成形に見える。双方、自制が効いていて、米国でのような勝者一人取りを許さない。しかしそのためか、芸術は何かが足りない。作曲家ニールセン、彫刻家のニールセン夫人にしても、突き抜けるようなエゴがない。

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沈滞か繁栄か――デンマーク経済

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デンマークの経済は1970年代には対外債務も増え、失業も増える等、沈滞していたのだが、1970年代に始まった北海油田開発が1980年代から経済への寄与を強め、1990年代には石油・天然ガスの純輸出国となって、経常収支や国家財政を支える重要な収入源となった。そしてドイツを筆頭に外国資本も入ってきて、経済は基本的に好調である。ここらへんは、この紀行文の近くにアップしてある論文「デンマーク・モデル――日本でどこまで有効か」に詳しいことを書いているので、ご参照いただきたい。

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デンマークや北欧諸国の経済は、投資・成長と分配の間のバランスがいいことだ。デンマークの場合、最近では「産業財団」という企業形態が注目されている。これは、普通の企業の上に「財団」を乗せる。この財団は企業の多数株を保有しているが、非営利団体で、公益を目的に掲げる。その長は保有企業のCEOが兼ねることもあって、保有企業の長期戦略を定める。

企業は上場されていて他者の投資を受けるが、多数株は財団が保有しているから敵対買収はされない。そしてその配当が、財団の収入となっていて、この収入をR&Dや環境問題などの社会事業、あるいは慈善目的に寄付すると、その分は税が控除される。

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このやり方は1984年の「商業基盤法」で法制化され、今ではこの方式の企業の株価総額が、全体の半分以上を占めるに至っている。実例たるや錚々たるもので、株価総額で世界29位の製薬大手ノヴォ・ノルディスク、ビール大手のカールスバーグなど。世界一の海運企業モラー・マースクも、多数株を外部の財団が保有する。

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この方式が優れているのは、株式を上場しながらも、ハゲタカ・ファンドやモノ言う株主の短視眼的要求を気にせずに企業経営をできること、そして企業活動を営利と公益の間でうまくバランスさせやすいということだ。

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英米系の事業家は、所有権を絶対視しがちだ。幹部や株主のエゴが優先されて、社員は簡単にクビになったり、企業ごと身売りされてしまう。人間のエゴを抑制し、謙譲と思いやりの精神を大事にしないと、格差丸出しの米国経済のようなことになるのだが、この点でもデンマークの産業財団は参考になる。

人口縮小は怖くない。ゆとりのある暮らしができるチャンスなのだ。

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デンマークの外国人

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デンマークでは昔からトルコ人移住者が多かった。彼らの多くは社会に同化して、働いている。問題になるのはアラブ系で、社会にまだ同化していない者が多い。デンマークの手厚い社会保障に依存する気持ちが強いと言われる。

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しかし街では、一発でイスラム系とわかる外見の人間は少なくなった。目元まで黒づくめの装束でぎょっとさせる女性から(完全に異質で、同化の意志なし)、洗練されていて、スカーフを被っていることでだけ、イスラムと知れるような女性まで様々。

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ロシア人が面白くて、この戦争の時代、ごく当たり前に外国の街を歩いている(ロシア語をしゃべっているからわかる)。外見・挙動とも洗練されて西欧的な若者カップルから、コペンハーゲン駅の傍らでは、初老の男2人がベンチに腰掛け、ロシア語で会話している。ベレー帽をかぶった労働者風。まるでペーソスあふれるソ連映画を見ているような。

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日本は昔と同じく、目立たない。日本人の僕の方も、日本を特にアピールしたい気も起きない。もう諦め。それでもスシ・レストランはかなりある。もう定着している。コペンハーゲンの遊園地チボリの一角には、日本横丁「光」があった。大きな面積を占め、タイ焼きまである。フジヤマ・ゲイシャの異国趣味ではなく、マンガの時代、Japanクールの時代の名残り。日本車は少ない。街を走る車は欧州系を中心に本当にばらばら。一番多いのはTeslaであるように見えた。

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中国、中国人も目立たない。ある知人は、「我々は中国人を信用していない」と言った。彼は、「ロシアが攻めてくるとも思わない。攻めてくるというのは、何かの宣伝だ」そうだ。

以上

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