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世界はこう変わる

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2011年5月30日

薬品、医療機器ならプエルトリコに工場を

JETROの資料を見ていたら、キューバの東隣リ、ドミニカの更に東のプエルトリコ(米国の海外領土という地位)が先進地域になっているということで嬉しく、そして懐かしかった。

プエルトリコ――カリブ海に囲まれ、真冬にも海水浴ができ、内陸は日本にも似た鬱蒼たる竹林などがある島。首都サンファンにはスペイン統治時代の大きな砦が海に突き出ている。
(写真はhttp://www.google.co.jp/search?q=puerto+rico,photo&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&rlz=1I7_____ja&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=a6XjTfOaHoaEvAOn_riPBw&ved=0CB0QsAQ&biw=1020&bih=559でお楽しみを)

もう40年も前(!)ボストンに留学していた頃、じとじととみぞれが降り続く東海岸の冬に嫌気がさし、なけなしの金をはたいてプエルトリコに飛びだしたことがある。
あのカブトムシ型のフォルクスワーゲンを借り、夜はその中に泊って島中を回った。ちょうど正月で、遊園地ではイリュミに照らされて観覧車が回っていた。

ここはスペイン語のラテン・アメリカ。黒人と白人の混血が多く、女性が美しい。そして普通の食堂でも、料理はアメリカとは比べ物にならない、ヨーロッパの伝統を感じさせるおいしさだった。

ただ当時のプエルトリコは貧しくて(とは言っても、住宅など、当時の日本よりよほど良かったが)、ニューヨークのマンハッタンにはプエルトリコ人が固まって住む街区もあった。そこを舞台に書かれたミュージカル・オペラが「ウェストサイド・ストーリー」だ。

だがJETROの資料によると、それから40年たったプエルトリコは薬品、医療機械製造、航空、ITなど高付加価値産業の誘致に努めたかいあって、今では島のGDP957億ドル(人口は400万人だから、一人当たり約24.000ドルになる。立派なものだ)のうち45%を製造業が占めているのだそうだ。

労賃は中南米より割高だが、地元の大学が優秀な人材を育てているし、ここの人間は英語とスペイン語ができるので、中南米に進出する米企業は進んで彼らを雇用する。日本企業はほとんど出ていないそうだが、北米・中南米双方を狙う、穴場ではなかろうか? 

(中南米の人口は5億人を超えるし[アフリカは10億人]、アメリカに近いので、これからは中南米が製造業の中心地になってもおかしくない。コスタリカでもバイオ産業の立地が増えているらしい)

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