中央アジアとその周辺情勢メモ――5月周辺
5月周辺の中央アジアとその周辺の情勢をまとめてみた。主として露語、英語の公開情報に基づく。なお、6月周辺のものは東京財団サイトに掲載されているので、そちらhttp://www.tkfd.or.jp/eurasia/russia/report.php?id=208を参照ください。
1.中央アジアをめぐる国際環境
(1)米ロ協調と、米中露・三角関係のバランス変化
米ロ関係は、オバマ大統領が就任早々打ち出した「リセット」路線がますます定着し、4月には新START条約に署名、同12日ワシントンでの核安保問題サミットでは折しも起きて間もなかったキルギスでの政府転覆事件につき、メドベジェフ大統領の方からオバマ大統領に「これからよく連絡し合って行く」ことを持ちかけたのだった(4月8日AP)。
6月のオシュ騒動でキルギス臨時政府がロシアに鎮圧用兵力派遣を要請したのに対し、ロシアは7月初めの現時点に至るまで応じていない(但しオシュから遠く離れた首都ビシュケク近郊のカント空軍基地には、空挺団を数次にわけて派遣ずみである。これは現地のロシア人の安全と財産を守るためとされている)。
キルギスでは、2008年8月のグルジアのように米国・NATOの介入が問題になっているわけでもないし、ロシアが介入すればキルギス内部の利権争いの行司をさせられる、しかもロシア国内世論もキルギスへの介入を支持していないという事情もあるが、メドベジェフ大統領が対米協調路線にコミットしていることが、最も大きな要因だろう。
こうした米ロ協調ムードの背後には、ロシアの国内事情がある。2009年マイナス7.9%と先進国の中で最大のGDP下降を見せたロシアでは、原油ガスにのみ依存していることのリスクが流石に身にしみ、最近では「イノベーション」をスローガンに、経済の近代化をはかる姿勢を明確にしている。そしてその旗手がメドベジェフ大統領なのだ。彼は政治面ではリベラル、経済では「イノベーション」を掲げて、プーチン首相との差を見せつけ、2012年の大統領選で勝とうとしているかのように見える。つまりメドベジェフはリベラル・改革路線、そしてそれを実現するための対米関係改善に自分の政治的威信を賭けてしまったのだ。
(但しメドベジェフが帰国して直後に米国で行われた「ロシア・スパイの逮捕」は、新START条約批准にも影を投げかけるものだ。米議会が夏の休会に入るので、秋までには忘れられてしまうだろうが)
これに対して中国はロシアとの関係は良好に保ちつつも(4月5日付けロイターズによれば、防空ミサイル設備のS-300を15基、中国に売却することで合意が成立した由)、米国に対しては最近こわもてで出ることが増えている。6月9日シンガポールで開かれた「シャングリラ会合」においても、中国軍幹部が台湾への武器売却を強く非難、ゲーツ国防長官の中国への招待は棚上げとなった(6月9日付け独立新聞)。
中国国内では最近の経済発展で国力を過信した世論が高まっているし、軍も米国に対抗する必要性を強調する。これに胡錦涛後の権力委譲の問題がからんでいると思われ、中国も簡単には動けない。
こうして中央アジアでは当面、米国がロシアの優位を暗黙に認めた上での米ロ協調が穏微に進行し、中国は米ロが作り出す状況の中でプレーせざるを得ない状況となっている。これまでキルギスにおいては中国の経済的進出が顕著であったが、4月の騒動では中国人の商店は焼き討ちされ、6月には特別機での避難が始まった。米中ロはテーブルの上ではにこやかに語り合っているが、テーブルの下では蹴り合っている。蹴る方向が今は変わってきている。
(2)中央アジア周辺地域大国の動向
(イ)トルコ
トルコが活発な外交を維持している。それは、学者出身のダヴトグル外相が就任して以来の現象である。トルコは人口7.300万人、GDP6.000億ドルの大国で、軍事力を除いてロシアと基本的国力は変わらない(ロシアは人口、GDPともちょうどトルコの2倍だが、経済の体質はトルコの方が強いだろう)。もともとはオスマン帝国だったので、グローバルな思考・外交のDNAも残っている。
トルコはNATO加盟国であるが、EUからは意図的なつまはじきにあってきた。そのためエアドアン政権はEU方面をしばし棚上げにしておいて(但し「EU加盟」は民主化に抵抗する軍部を抑えるための錦の御旗なので、完全に下ろしはしない。トルコではイスラムの与党が民主化推進で、非イスラムの軍部はオスマンの伝統を踏まえた保守という、ねじれた構図になっている)、もともとはオスマン帝国の版図だった中近東(イランは別)での外交を強化し始めたのだ。
エアドアン首相は金融危機直後のギリシャを5月に訪問し(6年ぶり)、協力を呼びかけたし(キプロス島領有をめぐってトルコはギリシャと対立してきたのに)、5月16日にはブラジルのルラ大統領とともにイランを訪問して核燃料問題での妥協案を立ち上げて、国連安保理でのイラン制裁決議採択に水をさした(米国側は激怒したと伝えられる)。6月にはイスラエルのガザにパレスチナ勢力支援船を派遣して(但し政府ではなくNPO)イスラエルとの対立を先鋭化させた(但し6月末には外相同士が接触して関係を収拾)。
但しトルコの最近の外交は、これまで活用してこなかった可能性を掘り起こしてポイントを稼ぐ程度のものであり、パレスチナ、イランといった複雑で大きな問題にこれからも一貫してかかわるのかどうか、いつかは辻褄が合わなくなって自ら倒れることがないのかどうか、まだわからない。
トルコはソ連崩壊直後、オスマンの故地、中央アジアにおける支配権を回復せんとして性急な動きを示し、結局失敗している。今回は、中央アジアではまだ目立った動きを示していない。
(ロ)イラン
6月9日には国連安保理でイラン制裁決議が採択されたが、これはイランが中国、ロシアの支持を失い、孤立したことを意味する。それは、6月10-11日タシケントで開かれた上海協力機構首脳会議にアフマディネジャド大統領が呼ばれなかったことに顕著に表れた。昨年、上海での首脳会議ではイランが将来加盟する含みで、同大統領はゲストとして招待されマスコミの注目を浴びたものだが、今回彼は上海万博での「イラン・ナショナル・デー」に一人さびしく赴く羽目になった。今回の上海協力機構首脳会議は、新規加盟国受け入れ手続きを定めたが、「国連安保理の制裁決議対象国は除く」との文言が明確に入ったことで、イラン外交は大きな打撃をこうむった。
イラン(ペルシャ)は中央アジアの南半分とは歴史的に不可分の関係にあり(たとえばサマン朝ペルシャの首都は現在のウズベキスタンのブハラにあった)、ソ連崩壊後は90年代内戦への関与、その後の経済援助を通じてタジキスタン(民族・言語が近似)に大きな地歩を築いた。本年3月にはイランにタジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、イラクの大統領が集まり、アフマディネジャドとイスラムの祭り「ナブルース」を祝ったばかりであった。
だがイランはそのシーア派イスラムに基づく先鋭な言動が、世俗化している中央アジア諸国に警戒されている。右ナブルースにもカリモフ大統領は参加していない。
(3)旧ソ連地域の動向
本年になってから旧ソ連地域では、ロシアの地歩の上昇が目に付いた。それは次の要因による。
①ウクライナでの政権交代(NATO加盟を旗印にしたユシェンコ政権が、ロシア・西側の間で等距離外交を標榜するヤヌコーヴィチ政権[等距離とは言いながら、その政権には諜報機関を中心に親露勢力が強く浸透しているとも言われる]に代わった)
②グルジアのサカシヴィリ政権が米国の強い支援を失っていること
③アルメニア・トルコ接近の挫折(これでアルメニアはロシアへの依存を続けざるを得ない)
④油価上昇に引っ張られての、ロシア経済の回復(本年3月鉱工業生産は年次換算で5.7%上昇)
だがキルギスではロシアの足踏みが目立つし(ロシアが4月の政変後早々に臨時政府を承認したことが、政変の背後にはロシアがいる、ロシアはNIS諸国で都合の悪い政権を倒す国だ、との印象をベラルーシ、中央アジア諸国に与えてしまい、それを打ち消すことに汲々としているとの面もあろう)、油価が少々上昇したところで、公務員賃金上昇などで歳出を大幅に増やしたロシアが海外でできることはさして増えない。
米国は、7月早々クリントン国務長官がウクライナ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ポーランドを歴訪し、ポーランドにおけるミサイル防衛装備の2018年までの配備(但しブッシュ時代、ロシアが問題視した長距離ミサイルではなく、SAM-3程度)を発表するなど、ブッシュ時代であればロシアが眉を逆立てる行動に出ている。メドベジェフ大統領が経済改革のために対米関係改善にコミットしたことも、旧ソ連地域における当面のロシアの行動を制約していくものとなろう。その他、個々の動きで目立つのは、次のとおりである。
(イ)伸び悩むCSTO
集団安全保障条約機構(CSTO)(ロシアの影響力回復のため、NATOに対抗してロシアが作った組織。冷戦時代のワルシャワ条約機構に比べて小型。ロシア以外にはベラルーシ、アルメニア、中央アジア諸国(トルクメニスタンを除く)が加盟)は伸び悩んでいる。強化のためにロシアが提案している緊急事態即応展開部隊創設(加盟国が拠出した兵力をロシアが統合司令しようとした)には、ウズベキスタンが明示的に抵抗している。ウズベキスタンはまさに今回のキルギス南部騒動とウズベク難民の大量流入のような事態を予想し、その際ロシア主導の下に解決条件を一方的に押し付けられるのを嫌ったのだろう。
それにキルギス臨時政府が6月のオシュ騒動で一時はCSTOに兵力派遣を要請したのを見ると、中央アジア諸国で反政府勢力がCSTOに出動を要請して政府を倒すというシナリオも想定できる。NATOもCSTOも加盟国内部の騒動への介入は行わない建前になっているが、NATOに比べて加盟国内部の情勢が不安定なCSTOではその原則を守るのも難しく、むしろ今回キルギスに介入しなかったことでその威信を却っていっそう下げてしまっただろう。
そしてキルギスでの政権交代では、ベラルーシのルカシェンコ大統領がバキーエフ前大統領に亡命場所を提供し、「暴力による政権転覆は許されない」との主張をNISやCSTO首脳会合の場で強く提起するとともに、むしろバキーエフの政権復帰を助けるためのCSTO軍派遣を主張している(5月Jamestown)。これによってCSTOはますます迷走し、5月初めの臨時首脳会合では「キルギスにおける権力交代は憲法に基づくものではない。臨時政府は早期に法的正当性を確立するべきである。しかしこれはキルギスの内政問題である。」(RIA-Novosti)というどっちつかずの声明を発している。
(ロ)「泰山鳴動して」の関税同盟ロシア、カザフスタン、ベラルーシによる「関税同盟」は本年1月賑々しく発足したことになっているが、その後も国境での関税収入の配分などをめぐって交渉は続き、3月末それがまとまったと思ったら、今度は5月28日サンクト・ペテルブルクでの三国首相会合をベラルーシの首相がドタキャンしたことで、7月1日の正式発足(三国の税関が統合され、三国国境における税関は廃止される建前)が危ぶまれる情勢となった。ベラルーシは、ロシアとの貿易の30%以上を占める原油取引に、ロシア側が高水準の輸出税をかけたままでは、関税同盟の実がないとして、この面でのロシアの譲歩を求めている。ベラルーシは原油をロシアからできるだけ安く輸入し、それを国内で精製して西欧に高く売りたい魂胆で、これには輸出税を政府にみすみす収めたくないロシア石油資本も裏金をベラルーシ側からもらって加担しているようだ。
(4)多国間フォーラムの乱れ咲き
中央アジアからコーカサス、中近東のあたり、つまり旧ソ連とオスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の跡地には、数多くの多国間フォーラムが存在し、消長を繰り返しながらユーラシアの政治における駒のひとつとなっている。
(イ)OSCE最も老舗の全欧州安全保障協力会議(OSCE)は、本来はNATO諸国とワルシャワ条約機構諸国の間の親睦団体とも称すべき存在なのだが、冷戦後軍事同盟の存在意義が薄れてからは、地域の安定を話し合うフォーラムとして重要性を増した。本年5月6日にもバイデン米副大統領はニューヨーク・タイムスに寄稿して、NATO域外のユーラシアではOSCEがその安定維持に主要な役割を果たすべきことを主張した。但しOSCEは、現在の陣容ではとてもその任に当たることはできないし、バイデン副大統領の論文も一回だけで線香花火のように消えてしまった。
(ロ) 上海協力機構
上海協力機構(SCO)のことを、ユーラシア大陸の東半分を牛耳るたいへんな組織であるかのように考える人がいるが、それは買いかぶりだ。メンバーである中央アジア諸国(トルクメニスタンを除く)、中国、ロシアの思惑は別々の方向を向いている。SCOはNATOのアジア版ではなく、集団安全保障組織ではない。その主任務である経済協力、テロ対策にしても、実のあるプロジェクトは進んでいない。
6月10~11日にはタシケントで年次首脳会議が開かれた。前向きの成果と言ったら、新規加盟を認める手続きに関する文書の採択、そしてアフガニスタンに関する分科会にホスト国ウズベキスタンの提議で米国代表を招いたことくらいだろう。前記のとおり、昨年はゲストとして招かれ、マスコミの関心をひいたアフマディネジャド・イラン大統領も、今年は国連安保理の制裁決議のために招かれなかった。これまで制裁を決議することに抵抗してきたロシア、中国が、決議後はイランを突き放す態度に出たことは興味深い。
(ハ)アジア相互協力信頼醸成会議(CICA シーカ)
これは1992年、ソ連崩壊の余波もまだ熱い時代、カザフスタンのナザルバエフ大統領の肝いりでスタートした緩い協議体である。SCOと比べると中近東諸国、韓国、ASEANの一部が加わり、日本、米国もオブザーバーであることが異なる。閉鎖的で、中ロの利益に奉仕するSCOと異なり、オープンなのである。
CICAはこれまでも2002年以来、数年に一度首脳会議を開いてきたが、6月7~8日イスタンブールで首相級の首脳会議を開催、ロシアからはプーチン首相がやってきた。この首脳会議以降は議長国がカザフスタンからトルコに移ることとなった。昨今の意欲的なトルコ外交に鑑みると、CICAはこれまでとは一色違った面白い展開を見せることになるかもしれない。
(ニ)「事務局外交」の時代
この2年ほど、NATO、SCOなどを中心に、「事務局外交」とでも称すべき一連の動きが目に付くようになった。つまりNATO、SCOなどコンセンサスがないと動けない組織は、事務局が時代を先取りする動きを示して、国際政治におけるプレイヤーの一人として確立した存在になってきたのだ。たとえばNATOの事務局は2008年9月に国連事務局との間で協力関係促進についての文書を交わしたし、CSTOの事務局もそれをまねて2010年3月末に同様の文書を国連事務局と交わしている。
更には2010年3月5日、ウズベキスタンを訪問中の潘基文・国連事務総長はSCO事務局との間で協力についての共同声明に署名している。それはテロ取締り、地域紛争の防止と解決、核不拡散、環境保全及び世界経済の持続的発展などの分野に及ぶものだそうだが、その後は忘れられている。
なお、日本はSCOのメンバーでもオブザーバーでもないが、同事務局と日本外務省は既に交流を始めている。
5.中央アジア諸国の動向
5月周辺の中央アジア諸国の動向については、上記のなかで説明したが、言及しなかったものを以下に列挙する。
(1)ウズベキスタン ウズベキスタンは経済も堅調で(天然ガスの生産が増加し、今やトルクメニスタンを抜いて中央アジアでは第一位の対ロ・ガス輸出国[年間150億立米]になったことも大きい。他方中国へも年間100億立米の輸出を持ちかけているが、これは対ロ輸出への当て馬の色彩が強い)、外交は米国との関係改善が目立つもののさりとてエリツィン時代のようにロシアとの関係を二義的なものとするわけでもなく(他方、5月9日のロシア戦勝記念日には、中央アジアの中で唯一大統領は出席せず、国家としての矜持を示した)、国家としての成熟度を高めている。
5月3~4日にはタシケントでアジア開発銀行(ADB)の年次総会が開かれ、日本からは菅財務相(当時)が参加してカリモフ大統領とも会談した。ADBは日本で最初に中央アジア重視を説いた千野・故前総裁の時以来、中央アジアで多数、大規模の融資を行ってきている。日本と米国が同等に大きな発言力を持っているADBの総会がタシケントで開かれたことは、両国の中央アジア重視、ウズベキスタン重視を裏書きするものであり、本件総会に前後してADBと日本政府は総額約6億ドルの対ウズベク融資に合意した。このうち日本政府は、ウズベク南部の発電所建設のため、約270億円の円借款を供与する。
(2)カザフスタン リーマン・ブラザースより1年前から変調を来していた(外国からの短期資本流入の大幅低下)カザフスタン経済は、底を脱しつつある。本年第一4半期のGDPは実質6.5%の上昇を見せた。他方、それと同時にインフレも8%と、ぶり返す様相を見せている(4月21日付けLiter)。
7月1日から本格的にスタートするロシアとの関税同盟では、品目の80%以上に保護主義的色彩の強いロシアの既存税率が適用されるため、カザフスタンのインフレは益々押し上げられるだろう。
他方、外交面でもカザフスタンは今年が当たり年である。この国は「多面外交」を唱え、様々の国際組織の議長を務めることで世界の関心をひいてきているが、今年は既に前記のCICA首脳会議をイスタンブールで行った他、OSCE議長国として7月には外相会議、12月には首脳会議を画策している。もっとも首脳会議には主要国首脳を動員できるかどうか、まだわからない。昨今はこうした集まりが異常に増えて、各国首脳も3人くらいいないととても全ては回りきれない。
(3)トルクメニスタン
2009年4月ロシアが天然ガス輸入を大幅に減らして以来、(2009年12月には再開について合意ができたものの、輸入量は2010年契約量の5分の3に減らされた)、トルクメニスタン政府は歳入を大きく減らしているはずであり、天然ガスに依存して無税であったこの国としては、これから内政上の問題も起きてくるだろう。
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