1991年ソ連共産党崩壊と2009年自民党総崩れの相似点
8月30日の朝、僕は紀伊半島の白浜で、自民党総崩れのニュースを見ていた。「すがすがしい朝ですね。民意がーーー」というようなアナウンサーの言葉が聞こえる。
すがすがしい朝――ー、民意――ー、僕は1991年8月22日モスクワでの朝を思い出す。民主主義を求める大衆がエリツィンのこもる議事堂を囲んで守る中、これを戦車で囲んだクーデターの一味は自壊していった。自分たちの力で政府を初めて倒した――ーその日の朝、モスクワっ子の顔は誇りと開放感で輝いていた。雨上がりの歩道の上で物乞いが弾くアコーデオンの音も、心なしか明るく聞こえる。
昨日まで公用車で通勤した共産党の事務局員も、1週間後には混雑した地下鉄で鞄を小脇に、友人が雇ってくれた名も知れぬ団体で働くことになるだろう。(小説「遥かなる大地」熊野洋、草思社より)
そして半年後ー―ー―――、ロシアの全国民は2年で6000%というハイパー・インフレで、長年の貯金を瞬く間に失うこととなった。いったい何が悪かったのか?
ゴルバチョフ時代、ロシア国民が持つようになった幻想が二つある。それは、①「共産党の御偉方が独り占めしている富をはがして分配すれば、我々は皆豊かになる」というのと、②「エリツィンはこの国をどうやって改革すればいいか知っている。彼に任せておけばーーー」というものだ。そして結論は、双方とも大したことはなかった、ということ。共産党が差配していた油田や工場は、コネを多く持つ者たちが我先に私営化したから、一般の国民にその株は渡らず、エリツィンはもちろん、「改革派」の経済学者たちも経済政策どころか、経済の現場すら知らなかったのだ。
現在の日本では、1991年のバブル崩壊以来、社会に不満がどす黒くたまっている。1985年のプラザ合意で円レートが一気に2倍にはねあがり、輸出で経済を成長させるモデルが通用しなくなったこと(それは今でも同じことだ)が多くのことの背景にあるのに、そこは自分がリストラに会えば他人も同じ目に会わせたくなるのは人情。今の窮状の「犯人」を探し回る。そしてゴルバチョフ時代、市民がエリツィンを崇拝したのと同じく、小泉総理の「改革」フレーズに酔い、彼についていけば何かいいことがあるだろうと思いこんだ。
その結果、気がついてみると、社会福祉がかなり減っている。「改革」とは御偉方の富を引き剥がすことによってではなく、自分たち自身の負担で行われることに、今やっと皆気がついた。
僕は自民党にも民主党にも他の党にも思い入れはない。どの党が政権につこうが、今の日本は簡単には良くならない。今回の民主党のように大勝ちすると、党内はとかくまとまりを欠くことになり、政策もあちこちへふらふらするだろう。
ただ、その中で、僕にはどうしても崩してもらいたくないことがある。それは、
①戦後、長い間かかって少しずつ定着してきた「自由」な社会を維持してほしい。
家父長的、専制主義的な戦前日本に戻ろうとするのはやめてほしい、
②経済活動のダイナミズムを、政府による干渉や指導、安易な補助金、あるいは保護主義で害さないでほしい。
政府にすべてが集中したために活力を失った近世中国、現代ソ連の例を見てほしい。
③日本経済は、ケインズ的な内需振興を必要とする。公共投資を過度に敵視することなく、雇用と付加価値と生活のアメニティを生み出す方向で活用するべきだ。
④と同時に、内需振興だけで、失われた輸出30兆円分をリカバーできるわけではないことを、十分認識しておくべきだ。
「内需振興」、つまり日本だけで何とかやっていこう、やっていけるはずだという発想は鎖国、保護主義的思想につながりやすい。
ケインズ的な内需振興策を実行しながらも、輸出振興のための競争力向上の努力が必要だし、そのためには自由な市場経済を維持していくことが必要だ。
⑤金融資本が製造業を野菜のように売買する「グローバリゼーション」には、警戒的であるべきだ。
だが汗水たらして作った製造物を世界に輸出し、また他国の作ったすぐれた製造物を輸入する意味での「グローバリゼーション」は、日本にとってなくてはならないものである。
ということだ。
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