レミングと集団自殺
世界、日本は様変わり、そして人は世代交代 Ⅱ
月刊誌「ぺるそーな」5月号に掲載
Japan-World Trends代表
河東哲夫
僕が外務省を辞めてから、もう二年半になる。だから、もう外務省のことをあれこれ弁護しようとも思わないし、他方、殊更に批判する気も起こらない。あらゆる組織と同じく外務省の人材も玉石混淆だし、忙しい時は確かに不眠不休で猛烈なストレスがかかるかと思えば、わりと暇な時もある。二代も三代も外交官をやった家柄でないと出世できないとか、英語ができないと試験に受からないとか、そんなことでも全然ない。僕の同期二十五名のうち、親が外交官だった者、外交官の娘と結婚した者は合わせて五名しかいない。まあ、そういうことは拙著「外交官の仕事」(草思社)に書いたので、ここではもう繰り返さない。
社会と外交の結び目―――の不具合
今、日本の外交で何が問題かと聞かれたら、それは社会と外交を結びつける仕組みが(相変わらず)できていないことだ、と答える。今は、明治以来の官僚主導体制が何か別のものに変わろうとして、模索を続けている時代なのだ。経済が発展した末に個々人が高度の政治意識を備えた近代的民主主義ができつつあるのか、それともテレビ式の「何でも全員参加」に慣れてしまった日本社会が、中世村落共同体的なコンセンサス主義を復活させて、議論百出で何も決まらない社会を現出させるのか、まだ誰にもわからない。
明治以来、日本は「白人」に追いつこうと努力してきた。白人に対して強がりを言って見せることはあっても、彼らは多くの者にとって畏怖の対象であり、個人主義という日本人には馴染みのない価値観や言葉の問題もあって、付き合いにくかった。「異人」と付き合うのは外交官にまかせておけ、というのが日本人の間の暗黙のコンセンサスだったろう。そして白人とつきあう外交官もどこやら日本人離れした、自分達とは無関係の人、というのが、一般的なイメージだったのではないか。そして戦後60年間、世界は米国の力が保証人となって実現した自由貿易体制を満喫し、ひたすら経済成長にかまけていれば良かった。日本人の多くにとって、外国や外交官は好奇心の対象ではあっても、自分達の生活には関係のない存在だったし、社会と外交を結ぶリンクが問題になることも少なかった。
政策決定過程の液状化
敗戦の傷のことなど忘れて所得向上にいそしんでいられた、ある意味では幸せな戦後の期間も、プラザ合意(一九八五年)から冷戦終了をはさみバブル崩壊に至る頃には、終わりを告げた。世界は決まった枠組みの中で行動する時代から、冷戦後の新しい国際的枠組みを形成する、言ってみれば乱世に入った。
日本の官僚国家は、実際には政治をしない皇帝を戴いた中国の官僚国家に似たところがあって、連綿と続く安定の中で利益を配分していくことには長けているが、強いリーダーの下に既得権益を侵すような、しかも機敏な決定を必要とされる乱世には向いていない。
で、九十年代半ば頃から「政治主導」という言葉が語られ始め、官僚のスキャンダルが次から次へと暴かれて不信任のレッテルが貼られていった。不正からは最も縁が遠いと思われていた外務省も、報償費の濫用、瀋陽総領事館への中国官憲の乱入などで、官僚叩きの最前線に立たされた。イラクで二名の外交官が殺されたが、その後も外務省への評価は地を這っている。
こうして外交官は国民の信を失ったが、さりとて外交政策をどうやって決めるのか、自薦他薦相争い、競合脱線、液状化の状況を呈しているのが昨今のことではなかろうか。「政治優先」で、陣笠ほど政治家の腰は高くなったが、長期的見通しと一貫性をもった戦略は彼らから出てこない。小選挙区制は以前よりもっと地元に張り付いていることを必要とするから、政治家も国のことばかり考えてはいられない。
以前は政府を批判することを自分の存在証明のように心得ていた学者達は、今や「官邸」に仕えて官僚を顎で指図すれば自分の政策が実現できると思って疑わない。もしそうであれば、他ならぬ高級官僚達が立派な政策をとっくに実現していたであろうことにも気がつかず。中には、官僚が貪っているに違いない「特権」を自分も少しぐらいと思って、則を外れる学者もいる。
変動が速くなった世界に対応するため、総理には以前よりはるかに大きな権力が付与された。しかし安倍総理のように調整や下からの積み上げを重視する政治家がトップにいると、官邸はブラックホール的存在になってくる。いろいろなものがこの中に吸い寄せられていくのだが、中で何をどうやっているかは見えないのである。
マスコミも読者に道理を説明するより、読者の感情に迎合するところがあって、「第四の権力」と称するにはアカウンタビリティーに欠けている。こうして、外交が日本人の生活に大きな意味を持つようになった今、皮肉なことに社会と外交の間を結ぶリンクが液状化してしまったのだ。
集団自殺へ至る道?
日本人の心理は、十五年続いた不況の傷からまだ抜け切れず、中国や米国から受ける扱いに極度に敏感だし、その中での日本政府のパフォーマンスにも厳しい目を向けている。気の早い者は政府を見限り、日米安保の見直しや核武装を安易に提言し始めている。
レミングという動物がいる。数が増えると大群となって海に飛び込み、悪者のいない桃源郷めがけて泳ぎだすのはいいのだが、最後には全員溺れ死んでしまう、あの小動物だ。中国も、アメリカも、北朝鮮も韓国も、みんな嫌いだ!・・・この頃の新聞雑誌の感情的な論調を見ていると、なぜかこのレミングの集団自殺を思い出す。そして怖くなる。
日本人は自分を守ろうとして、周りのすべてを不必要に敵視し、かえって自滅の道に進むのではなかろうか。現代は、日清・日ロ戦争の頃のように、戦争が不可避な情勢にはない。むしろ不況の中で排外主義を燃え盛らせ、誰にも手がつけられなくなって破滅へと進んだ、満州事変後の時期に似ているのだ。
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コメント
政治家のリーダーシップやアカウンタビリティがしっかりと果たされたうえでの「政治主導」なら健全ですが、官僚機構の役割を一方的に貶めたうえでの相対的な「政治優位」をつくっている現状は、全く健全ではないと思います。
実際に法律を書き、そして実務レベルの交渉を積み上げておられる官僚の方々が意気に感じて仕事ができる状況をつくってこそ、政治力の不足を補い、世界と渡り合える国のかたちを維持できるのではないでしょうか。
ただ、大変僭越ながらひとつだけ官僚の皆様方にリクエストをさせていただくとすれば、民間企業の持つ「利益を出すことへの貪欲さ・難しさ」にもう少し敏感になっていただきたいかな、というところです。ソフト分野に限ってなのかもしれませんが、ビジネスモデルに関する喧々諤々の議論を深められてこそ、政府とのコミュニケーションの必要性・ニーズが出てくるのだと思います。そうしなければ、官僚の皆様方にも、「民間企業は、政府とは関係を深めたくないらしい」と誤解をされてしまうことにもつながりますし。官僚の方々が、国益という壮大なる全体テーマに取り組まれていることは重々理解しつつも、個々人・個々の企業の活動との連携強化の積み重ねも、その先に国益が必ずぶら下がっているはずだと思います。
また、国民の側も、本当に「官僚がダメだ」と思うなら、もっともっと選挙にも参加して、投票率をあげていかねば、説得力はないでしょう。河東先生がレディングの例を出しておられますが、自分の乗っている船が、そういう「危険地帯」へと漕ぎ出す可能性が高まっているいま、我々はその事にもっと敏感になるべきだと思います。危険地帯に漕ぎ出すことは決して悪いことだとも思いませんし、漕ぎ出さないことがさらなる危険を招くこともあるかと思いますが、重要なのは、そうしたことに対して個々人が参加し、考えながら皆が進むことだと思います。そうすることもできずに国の行く末が危うくなってしまうとしたら、我々は、レディングにも笑われてしまうことになるでしょう。
徴兵制の是非を問う選挙(リアリティは全くありませんが)なら投票率も100%近くになるかもしれませんが、そんなテーマになった時に100%になるより、今目の前にあるテーマでも、皆が自らの意思をしっかりと表明すべきです。「官僚組織がどうのこうの」と言う前に、まず国民が成熟しなければ、官僚の話題が出る時は、いつもそんな思いにかられます。
日本以外の国に住み日本人村から離れているとやはり日本人は農耕文化と村社会規範から抜け出していないのだなと感じざるを得ない。
あいも変わらず自分の意見を明確に伝えられず
他人が解ってくれるものだと考えている。
これらの人々の間で暮らしていると、自分の
必要なものはこれと明確に言わない限り、押し付けられたりごまかされたりは日常茶飯事で
ある。
世界の大多数がこのような社会で暮らしていることを考えると、日本人こそ世界の中では非常に特殊な世界観を持っていることがよく理解できる。
このようなメンタリテイで世界に対抗するのは
可也難しいと思う。故に他の国からの干渉に対して受身となり、他国の目を気にすると言うことになるのだと考える。
外交や内政の問題の前に、まず自分の意見を
明確に主張するメンタリリテイ作りから始める
必要があると考える。
(河東より:全くそのとおりだと思います。他の国も日本人と同じように細やかな対応をしてくれるのだと思っていると、実際はそうではありませんから、日本人はじっと我慢してそのうち突然「キレル」のでしょう。
なお、「日本人だけ公徳心が高い」と思い込むのも、現実的ではないでしょう。衣食住が足りている現在でこそ、そのようになっていますが、小生が小さかった終戦直後の日本はそうではありませんでした。)