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街角での雑想

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2006年11月12日

アジアにとって「国家」とは何なのか?

アジアにとって「国家」とは何なのか?
(東アジア共同体評議会「百家争鳴」http://www.ceac.jp/j/menu.htmに寄稿)                              Japan-World Trends代表 
                           河東哲夫(かわとうあきお)
東アジア諸国の経済発展に伴って、政府も国民も自信を増大させ、それにつれてナショナリズムが高揚してきた。それを見て日本の内部でも、「国家」を強化すべきだとの意見が高まっている。だがその尻馬に乗る前に、「国家」とはそもそもどんなものなのかを良く考えておくべきだと思う。国家が強化されたあげくに無謀な戦争に駆り出されるのは、どこの国の国民でもいやだろうからだ。
国家は様々な形態をとりえる。今アジアで念頭に置かれているのは、強い政府、軍隊、警察、諜報機関を持った、西欧型の「国民国家」である。絶対主義国家をベースに成立した国民国家は国内の資源を一手に動員する強い力を持ち、領土や植民地を獲得するための戦争遂行に適した装置だった。
だが例えばアラビア語には、「国家」に相当する言葉がない。米国も、西欧のように植民地を獲得するための道具として作られたのではなく、むしろ植民地にされないように設計されたものだった。常備軍は不要だったし、諜報機関も最初はなかった。社会保障は今でも弱い。
東アジアの国々は、領土や市場を獲得するために整備された西欧の国民国家とは別の原理でできている。日本もそうだ。日本は植民地にされないために、明治以降、西欧型の国民国家を作り上げてきた。だが強力な指導力を必要とする大型マシーンである国民国家は、コンセンサスを重んずる村落共同体マインドを強く残した日本人には、荷が重すぎた。日本は軍部が政治を壟断するのを抑えることができず、そして軍首脳は中堅幹部の独走を抑えることができず、国民国家という装置の力を暴発させたあげくに、自滅してしまったのである。
今はもう、領土の武力奪取や植民地獲得競争は過去のものになっている。そして世界の経済取引は大きくなり、政府が操作できる範囲を超えてしまった。従って、西欧の主権国家、国民国家のモデルを金科玉条のものとして追及する必要性は必ずしもないのである。
そして現在の東アジアでは、ステータス・クオ(現状)を維持したい勢力が大半である。あと20年もすれば世界最大の老人国となる中国は、それまでに社会保障体制を整えて置く必要があり、そのためには平和な環境での経済建設を何よりも必要としているだろう。台湾をめぐっても朝鮮半島についても、当事者や関係国は武力紛争を起こそうとは考えていない。ナショナリズムの流れに身を委ね西欧型国民国家モデルを追及することが、国の国際的立場の維持、そして国民の利益に真に資するものなのかは、よく議論する必要がある。

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