Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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街角での雑想

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2009年07月30日

内向きの時代が失う貴重なもの

日本はこの頃外交面での得点もあまりないし、生活も厳しくなって外国に関心を持つどころではない、それに日本にいるのが一番カンフォタブル・・・ということで、この頃国外に対する好奇心がめっきり感じられなくなってきた。僕の偏見だろうか? そして日本で生きていこうと思ったら、できるだけ余計なことには手を出さず、あらかじめ決まっている狭いコースをずっと歩いて行く方がいい。そうなっていないだろうか?

そんなことを考えて、左の「言いたい放題」のコーナーに「日本語でなんでも学べる? 日本」という雑文を書いたら、ベルリンに長年住んでいる浦田という方から、下記のコメントをいただいた。
コメントの方が本文より優れている好例なので、ここに本文として紹介したい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー翻訳関係の仕事にヨーロッパで関わって、学生時代から滞在も含めて10年になります。
確かに日本語は、その人口規模としても巨大なマーケットであり翻訳数も膨大な数に上ります。人文科学系統の重要な書物のほとんどが母国語で読める国は日本語ぐらいな物。

しかし近年の内訳をみるとかなり偏ったものになってきてるのではないでしょうか?年々、実用本やオカルト、童話といった消費物に集中してきている観があります。出版社の事情もあるのでしょうが、近視眼が過ぎる傾向は否めません。悪貨は良貨を駆逐する状況にならなければいいのですが・・・。良きにしろ悪しきにしろ、かつてあったような翻訳専門教授のような存在も今後の大学体制では厳しくなるかもしれません。

それと、外国に出ても日本に戻れなくなる社会制度(新卒採用に象徴されるような)も、日本のタコツボ化を助長してます。20代前半で留学しても、やることをさっさとやってしまわないと日本に帰っても受け入れてもらえなくなります。まして、博物学的にあっちへこっちへと散策してようものなら、余計にそうですよね。そうして、現地の地平と、日本の地平を比較、体感できるような視野を築いた人間にはもはや帰るところなしの状況を幾度と無く見せられてきました。無理に帰って鬱病なんてことも・・・。日本を捨てる覚悟が無ければ、現地の空気を吸収できないメンタリティーとそれを支える社会状況をどうにかしないことには、何も変わらないのかもしれません。 

日々、ユーロ圏内で留学も、遊学も含めて沢山の若者がさまざまな理由、動機で国々を渡り歩く姿を見ます。その中で身につけて行く彼らの経験や、感覚はいずれ理解になり形になっていくのが良く見えます。

ヨーロッパの街角に立っているカフェが、人が、街路樹が、なぜそこにどうしてあるのかを、都市文化的にも解ってしまった時、私も日本にはもう帰るのが困難になっていました。

こんなつたない経験でも、帰って生かせると思える社会と、生かせない社会の差異があまりにも見え、それが年々大きくなっているのを途中帰国した際に何度も痛感させられました。

かくしてこんなことを日本で言ってしまえば、「かぶれてる・・」とか言われるか、思われるのが関の山なのです。 感覚的な共有者はそのほとんどが、海の向こうにとどまってしまうか、口をつぐんでしまいます。

そうしてる間に、日本のメディアは日本人にとって都合の良い海外の小さなニュースを、海外が日本を絶賛してるかのように大々的に流し、大衆に媚を売り、海外の惨事を日常であるかのように国内に流す。 こんな事が続いてたら、当然自分を見失うんでしょうね。 自分の住んでる土地の問題すら分からない人々が、海外から何を学ぶのかということにもなってきます。

コメント

投稿者: 関 淑子 | 2009年08月03日 16:03

私もスペイン、中南米、米国と合計21年半も外国暮らしをしました。1998年に帰国後、最初は日本人の外国への関心の低さに驚き、何かしなければと様々な勉強会などを主宰しておりましたが、最近は考え方を変えております。

歴史的に見ると、日本は100年ほど外国と積極的に付き合って新しい文化文明を吸収しますが、その後は200から300年ほど閉じて吸収したものを咀嚼し、日本的に作り替え、また、ドアを開いて外国文明を取りこむということを繰り返しているようです。

今や第3次産業革命が本格化してきているのだと思いますが、日本人は取りこんだ外国文明をゆっくり咀嚼するために鎖国に戻りたいようですね。しかし、状況的に、それは無理でしょう。

もう少ししたら、日本人の多くが「世界と日本」ではなく、「世界の中の日本」という考え方を受け入れるでしょう。

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