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街角での雑想

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2009年05月27日

欧米なら移民がやる仕事を日本では・・・

古代ギリシャもローマも、「市民」と称されるエリート達は今で言う「製造業」やサービスには携わらなかった。小麦はエジプトに依存していたし(アテネは近郊の銀山から得た銀で払えたろうが、ローマ市はいったい何で払っていたのだろう)、日常用品の生産は奴隷にやらせていた。その奴隷を戦争で「採って」くるのがエリートの仕事だったとでも言えようか? 言ってみればサムライ国家だし、あるいはチンギスハンの遊牧民国家とやったことは実は変わらないとでも言おうか。

そしてその伝統は、どうも今でも欧米社会に生きているような気がする。さすがに奴隷はもういないが、低賃金の移民労働がそれに当たる。西欧諸国もこの30年間ほどですっかり多民族社会になってしまった。北欧ではスーパーのレジでも地元民の学生アルバイトがやっていたりするが、それでも中東方面からの移民は首都人口の10%以上を占めるようになった。そしてアメリカに至っては、もう「国民国家」と呼ぶのがおかしい。そしてここでは、移民・出稼ぎ労働者がタクシーの運転手からスーパーのレジまで、サービス産業に広く既得利権のネットワークを確立している。

日本はその点、北欧型だ。北欧人種ほどの自立性、独立性、自己責任、合理性はないが、社会のいろいろな面で日本は北欧に似てきた。
日本も北欧に似て、米国、西欧なら移民がやっている仕事を日本人自身の間で分け合ってやっていくのだろう。日本はもともと、そうなっていたのだ。戦前は「職人」と呼ばれる誇り高い人たちがたくさんいたし(それは西欧でもいたが)、流通もいくつもの段階に複雑に分かれて、たくさんの人が生活していけるようになっていた。それは、大規模小売店の台頭で壊れてしまった。

行商や路傍の八百屋もいつの頃から消え、みんなどこかの「会社の社員」になってしまい、60年代後半から急成長した家電・自動車部門にならって賃金をどんどん吊り上げ、それでもインフレにならずに乗り切った。
だが今、稼ぎ手の家電・自動車部門は生産と雇用の場をどんどん海外に移してしまい、日本でかなりの納税はしてくれるものの、雇用の面では頼りにならない。総合職のエリートは雇うが、「中産階級」と呼ばれる市民を多数作りだしてきた工場はその多くが海外に行ってしまった。

日本の学生達は相変わらず大企業志向だが、大企業がこれからどこまで新卒を吸収できるか、わかったものではない。つまり手を汚さなくていい「総合職」の数は減ってくるのではないか? つまり総合職求人は減るだろうし、エンジニア、工場労働者求人は激減したままで推移するだろうということだ。
こうなると、欧米では移民がやっているサービスの多くを日本人自身でやっていかないと、就職はますます難しくなるということではないか。これらサービス部門への就職を促進するために、多くの措置が取られなければならない。たとえば、学生数が足りなくて困るほどできてしまった大学のいくつかは、専門職業学校に転じていくのだ。河東哲夫


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