日本のための「平和と繁栄の枠組み」は崩壊した?
この頃の日本、よくまあ何事もなかったかのように生活が続いていくよ、と思う。
もっとも、大きな駅の地下などは、ホームレスの人達の数がものすごく増えているのだが。
でなぜ、「よくまあ何事もなかったかのように」と言うかというと、それは戦後の日本が拠って立ってきた基盤、つまり土台となる国際関係がまったく変わってきたからだし、世界の経済が大変なことになっているからでもある。
それは言うまでもなくまず、1989年の冷戦終焉、そして1991年のソ連崩壊だ。
太平洋戦争が終わった直後、アメリカは日本を永遠の農業国に突き落としてやろうとさえ考えた。爆撃されずに残っていた工業設備も、持ち出そうとした。
アメリカがそのような対日姿勢を180度変えた理由は、欧州でソ連との対立が抜き差しならぬものとなったからだ。1989年その冷戦が終わり、中曽根首相が「不沈空母」になぞらえた日本の戦略的有用性は後退した。その頃、欧州の知人は、「冷戦後の世界での日本の居場所がイメージできない」と僕に冷たく言った。あたかも、それまで大きな顔をしていた日本(僕も)にざまあみろという感じだった。
だが、日本を犠牲にしてまでもアメリカ経済の復興をはかろうとしたクリントン政権をなんとかやり過ごし、2000年代は金利をゼロにしてまで円のレートを下げて、日本は対米輸出で何とか生き延びた。
だがここで、第二の枠が壊れる。
「1949年中華人民共和国成立」---最近、年表を見ていて僕は更めて一つのことを納得した。
それは、「アメリカにとってアジアでの最大のパートナーと言うか、つきあう相手は中国なのであって、日本は米中関係の変数なのだ」ということ。幕末のペリー提督だって、米中航海路の途中の日本に寄港地を設けたかったから来たので(中国よりはるかに良質の水と石炭があった。餃子だけじゃない)、別に日本と貿易したくてたまらなかったわけじゃない。
それが、戦後アジアにおけるアメリカの最大のパートナーは日本で、「日米関係は世界で一番重要な関係」になったのは、1951年アメリカの嫌いな共産党が中国で権力を樹立してくれたおかげなのだ。現に蒋介石の国民党政権は、日本と戦うアメリカの同盟国であり、その財政収入の50%以上をアメリカが支援する間柄だったのだ。
中国は今でも共産党が支配していて、これを嫌うアメリカ人もいるけれど、中国との関係でカネを稼ぎたい、あるいは出世したいアメリカ人の方が多いから、ことさら中国、中国と言って持ち上げる。日本は、酢だのコンニャクだの言ってアメリカ人にあまり儲けさせないし、アフガニスタンに自衛隊も送らないので、持ち上げてもらえない。世界がどんな騒ぎになっても幸せそうにアカルく騒ぎまくっている、愛すべき(と言うか、何と言うか)民族、社会としてCNNなどで時々紹介するだけだ。
で、言いたいことは、中国がたとえ共産党の支配する国であっても、今のアメリカは「中国と組んでアジアの平和と繁栄を支えていく」という気持ちになりつつある、ということだ。日本については、「危なくなったら守ってやるから。核の傘も大丈夫だからな」と宥めていればいいということなのだが、言外には「中国や韓国とよけいに事を構えるなよ。日本のせいでそうなっても、俺は・・・」とその目に書いてある。
つまり、日本の国際的地位を支えてきたアジアの政治構造は大きく変わったのであり、日本は自分の外交をちょっとリエンジニアリング(最も必要な目的を見据え、それを実現するのに最も効率的なように組織を変えること)しなきゃいけない。
日本の民主党は、日米安保条約を改訂し、有事にだけ米軍が日本に駐留するやり方を実現したいのだそうだ。それも、アメリカとの交渉の打ち出しでの第一歩としてはいいかもしれないが、これは賛成できないやり方だ。日本の有事に米軍が必ず来てくれる保証が、これではなくなってしまう。上に述べたように、アジアにおける日本というのは、特に恒常的基地のない日本というのは、アメリカにとって「有事になったら必ず守る」べき対象にはならないだろうからだ。台湾にしても韓国にしても、これらをめぐる防衛論議は15年ほど前の切羽詰ったものとは変わってきている。
日本がアメリカにとって使いでがあるのは、何と言っても基地を提供しているからだ。この足場がなければ、東半球でのアメリカ軍の行動は、非常に制約される。2003年トルコは、米軍が自国領を通ってイラクに侵攻することをとうとう認めず、米国の対イラク作戦は大きなダメージを受けた。第三国での作戦に自国領土の使用を認めることは、大きな貢献なのだ。
であれば、日本の基地から飛び立った米軍機がアフガニスタンで活躍していたり、横須賀から出た空母がソマリア沖で作戦していたりするなら、日本は在日基地の意義をアメリカにもっと認めてもらってしかるべきだろう。
まあそういうわけで、日米安保、日本のアジア外交は大いに棚卸しをし、埃をはらって並べ替えるべき時だ。ただくれぐれも、完全自主防衛・核武装で行くのだとか、(太平洋)戦争は義しい戦争だったのだからもう一度・・・などとは考えないでいただきたい。
戦前の例を見ても、日本は複雑なパワーポリティクスなどできない国だ(知能の問題ではない。パワーポリティクスに不可欠な、機敏で機会主義的な政策変更を日本社会が許さないからだ。)。満州支配でやめておけばいいものを(その満州事変の起こし方だって文民統制ゼロだった)、挑発に乗って華北制圧、いや中国全土の制圧にまで乗り出すものだから、国際社会でフセイン・イラクみたいに袋叩きに会ってしまったのだ。
海千山千の中国、ロシア、インドなどが構えているユーラシア大陸に、日本は深入りするべきでない。布石を置いたつもり、ぐらいでとどめておくべきだ。
ここに来て、「日本の経済的繁栄の基盤だったモノづくりももう曲がり角だ、産業革命以来の大量生産モデルはもうお終いだ」、と言う論者が増えている。こうなると戦後の日本の平和と繁栄を支えていた柱は全て崩壊したこととなり、こう書いている僕も夜も眠れない(いや本当に、日本の国力が右肩上がりであった時代に外交官をやってきた僕にとっては、悔しくて眠れないほどの時代なのです。もう辞めているにせよ)ほどの未曾有の事態となる。
だが、こうした意見については流石に、ちょっと気が早すぎるのではないですか?、と言いたい。産業革命については国家論についての僕の論文の中で書いておいたので(http://www.akiokawato.com/ja/cat40/post_154.php)、是非お読みいただきたいのだが、人間は産業革命の恩恵、物質的な豊かさを決して捨てようとはしないだろう。
この頃、「俺ら、東京さいぐだ」(私は東京へ行きたい)というものすごく滑稽な歌詞の和製ラップが流行っている(吉幾三)(例えばhttp://movie.teacup.com/video/search?kw=%E4%BF%BA%E3%82%89%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%90%E3%81%A0を参照)らしいが、ここでは東京が代表する物質文明が憧憬の対象になっている。
そして中国、インドの人間に「これでもう発展は終わり。君たちそこでストップ」と言ったら、どんなことになるか? 明日30万円の新車を買おうと思っていた二輪車引きの男は何と言うだろう?
資源の限界?環境問題? それぞれ解決できない問題ではない。それどころかこれら問題を解決しようとすることが、また新しい需要と投資を生み出し、経済を成長させる。そして経済成長のない世界というのは、今の日本のように誰が悪で、善はどこにいて、今ある富をどうやって分けるか、分捕るか、についての果てしない争いに陥る。ゼロサムの社会だ。
だから日本については、その安全保障をめぐる国際政治の枠組みが大きく変わってきたのは認めるけれど、資本主義モデルとか市場経済モデルまでがもう駄目だ、という議論には組しない。金融経済の比重を下げるのには大賛成だけれど。
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