キレる日本人―ーもう鎖国しようか?
河東哲夫
おととい秋葉原で、キレた男がやけに冷静に7人もを殺してまわった。携帯でそこらじゅうにメッセージを振り撒きながら。
嫌な事件が増えてきた。経済が良くならない中で、今の境遇に不満な者が増えているからだろう。
戦後、経済が右肩上がりを続ける中で、我々は幻想にひたってきた。日本人は温和で、他者との調和を重んずる民族なのだと。だが、1985年のプラザ合意で輸出競争力を大きく奪われ、国内の構造改革にも失敗して経済が悪化すると、「中産階級国家日本」を蔭で演出してきた官僚達は叩きに叩かれ、、社会の亀裂が激しくなってきた日本はガバナンスも失った。
そして片や日教組の平等主義教育が演出してきた日本的社会主義も、経済が伸びない中で維持することはもはや難しく、格差の拡大はもう隠せない。
「すわ、これこそアメリカに日本が打ちのめされた姿だ、竹中、小泉のアメリカかぶれの政策に日本はすっかり壊されてしまったのだ」と嘆く人達がいる。だがその前に、ちょっと考えてみたい。アメリカが日本に何をしたかをあげつらう前に、日本がアメリカに何をしてきたかも考えてみないと真実は見えない。そして日本がこれから進むべき方向も見えてこない。
60年代、アメリカ(の白人社会)は文化的・経済的頂点を迎えていた。あの頃日本で放映されたアメリカのテレビ・ホーム・ドラマが、中産階級への夢をどんなに煽ったことか。産業革命が作り出した労働者の大群は、高い賃金と政治的権利を手に入れて、中産階級となった。ちょうど70年代以降の日本のように、アメリカは中産階級が強い国となったのだ。
だがその頃のアメリカの店に行って見ると、そこは簡単な電器ポットまでがMade in Japanの大洪水で、Zenithなどアメリカ国産家電メーカーは次々に駆逐されていった。
この頃、アメリカの労働者達が感じていた痛み、これを現在の日本人は知っているだろうか? あの頃アメリカ人は、皆Made in Japanを買いながら、そのことを嘆いていたのだ。それは、中国に工場が流出してしまったために職や収入を失った日本人が今感じている痛みに良く似ていたに違いない。
アメリカは日本その他の国との競争に負けモノづくりのかなりの部分を失ったがゆえに、金融やITに活路を求め、それらの分野での規制緩和を他国に迫るようになったのだ。「アメリカがアングロ・サクソン的モデルを外国にも押し付ける」ようになったのは、他ならぬ我々日本の成功に追い詰められてのことだったことを忘れてはいけないと思う。
「いや、そんなことは関係ない。とにかく外国というものがこの世に存在していることが日本の現在の窮状をもたらしているのだから、また鎖国をしてしまえ」と言わんばかりの議論(冗談?)を聞くようになった。
鎖国? 江戸時代でさえ、中国、オランダとは貿易を続け、情報も入ってきていたのだ。年間何百万台もの自動車輸出を止めたら、どうなる? 何百万トンもの穀物輸入を止めたら、富士山の頂上まで牧草地にしてもまだ足りまい。鎖国と言っても、何をどうやって止めたらいいのか?
で、議論をつきつめると、「貿易を続けるのが必要なことはわかった。ただ日本の工場をたたんで中国や東南アジアに移してしまうのはもうやめてくれ。職場がなくなってしまう。」ということになるだろう。
だが日本に工場を戻したとしても、そこで作った製品を一体どうする? 中国産品より割高になるから、輸出できない。かと言って、日本国内だけで売り捌けるものでもない。ということは、日本に工場を戻しても2年もたてば倒産してしまうということだ。
では、どうしたらいいのか? どうやって経済を成長させ、通り魔の出現を防げるのか?
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