07年1月タシケント紀行・ウズベキスタンの政治と経済
07,2,4
Japan-World Trends
河東哲夫
1月21-25日、国連UNDP(「国連開発計画」と言って、国連諸機関の中では最も手広く開発途上国援助を実施)の招きでタシケントに行ってきた。会議は1日半だけ、後は私費で滞在を延ばして旧知のウズベク人達と会ってきた。
会議は、12月の大統領選を前にして、今後のウズベキスタンと世界のあるべき関係についてウズベキスタンの若手研究者と日米露の専門家3名がロシア語で自由討論を行い、その結果をウズベク政府に報告するというのが趣旨。
久しぶりにロシア語で丁々発止の議論ができて面白かった。発言を読み上げたり、通訳を使ったりでは本音の議論はできない。
米国からは9月11日事件の頃ウズベクで大使をしていたPresel氏(現在はコンサルタント)、ロシアからはモスクワ大学国際関係学科(というのが数年前できたそうだ)学科長ナウムキン氏が出席した。
ここでは議論の中身よりも、今回得た一般的な印象を書く。
(なお、ここで読み終わられる方々に申し上げます。
2008年には、G8先進国首脳会議が日本で行われます。
その年の3月に選ばれるロシアの新大統領には初めての外交大舞台です。
ロシアの有識者は既に、その「準備」を始めています。
僕としては、ここで中央アジアを首脳の間で話し合い、かつての全欧安保協力会議のようなものを実質的に立ち上げてしまうのがいいと思っています。
もっとも、我々にとってもっと大きなテーマは、このサミットでは中国をどう扱うか、東アジアでの経済、安保協力をどう位置づけるかでしょうが)
1.パミール越え・文明の諸相
●今回、航空便の都合でバンコク経由という苦難の長旅になった。
成田のチェックイン・カウンターの前には、中国人の中年婦人の一行が並んでいて、「ねえ、あれはちゃんとつめた? カップラーメン、カレーライス、鰹節(すべて日本語)は?」とやっていた。文化の逆輸出。
●できたばかりのバンコク空港新ターミナル。思ったほど大きい感じは受けない。うまく設計されているからだ。
タイと言えば、先進国一歩手前まで来たかと思っていたが、最近のクーデター騒ぎとその後の顛末で僕はすっかり失望したのだが、ターミナルはもちろん先進国の様相。
立派なブティックが並び、タイのお嬢さん達が年々垢抜けていく働きぶりだ。でもそれも様々。ミーミーと子猫のようにか細い声で、人のいいスマイルを絶やさず、最後には例の合掌して頭を下げるタイ式のお辞儀(ヨーロッパ人はなぜか日本人もこうするのだと思い込んでいて、日本人にしたり顔で合掌してきたりするが、こちらはそのたびにむっとする)をしてくれる。
かと思うと、インターネット・カフェでマウスが調子悪かったものだから、「換えたら」とアドバイスしたところ、そこの若干大型のおねえちゃんは「何? 調子が悪いんなら、隣のPC使えばいいじゃねえかよお」。この人、ちょっと東アジア人的な顔をしていました。
●バンコクからのウズベク航空は、暑い。とにかく暑い。パミールの上を飛ぶのだからと思って、暖房をマクシマムにまで上げている感じ。
そして機内の雰囲気は成田―バンコクとはがらりと変わり、ロシア的な荒くれになる。
ウズベク人のマフィア的な青年が後ろに座っていて、90年代初期のロシア人若手実業家と同じく全くの礼儀知らず。殊更な大声で仲間としゃべり散らし、「乾杯!」とかやっている。
2・たかがホテル、されどホテル
●泊まったホテルはドイツ系のDedeman。
一見ヨーロッパ風なのだが、部屋に入って気がつくと時計が置いてない、それよりもっと悪いのはホテル内の電話番号案内がない。ホテルのサービス案内もない。かと思うと冷蔵庫の中になぜかコンドームが2つ備えてあったりする。
●そして更に頭にくるのは、朝9時30分になると係員が客室のドアをどんどん叩いて回り「朝ですよ! (MORNING CONTROL)」と呼ばわることだ。しかもこちらが返事をするまで何回もしつこく。
これで一遍に、プライバシー軽視、集団主義、しつこい官僚主義の世界を思い出した。
●このホテルへの印象が決定的に悪くならなかったのは、一泊80ドルだったこと、そして温水プールがただできれいだったこと、ビジネス・センターではインターネットがただで使えたせいだ。
しかし回線が遅いために、メールを開けるのに1件30秒はかかるから、またタシケント在勤時代の苛立ちを思い出した。
3・街の表情
●インターネット情報を読んでいると、ウズベキスタンは「圧制にあえぎ、国民は貧困の淵から抜けられず」ということになっているのだが、マクロの経済数字は良い。
ウズベクの主要輸出品である綿花や金の国際価格が高騰しているからだろう。
●で、どちらが本当なのかと思っていたのだが、タシケントの表情は思ったより活気があった。車の数が増えている。
在勤時代、僕が日曜日になると食料品を買いに来たスーパー「アルドゥス」(金持ち用だが)は、見違えるように現代的になり、品数も豊富になっていた。
●対米関係が悪くなり、代わりにロシアに安全保障を依存し始めたことは、ホテルの客種に表れている。運転手によれば、「Dedemanホテルもアメリカ人がいなくなり、ロシア人が増えた。他にJICA関係の日本人、それに少々のドイツ人がいるかな」との由。もっとも冬で、ホテルは閑散としていたが。
4・旧ソ連圏は「新マーシャル・プラン」を享受
―――石油景気のロシアへの出稼ぎ
●今回聞いたら、ウズベキスタンからロシアへの出稼ぎは200万人、カザフスタンへの出稼ぎは50万人なのだそうだ。ウズベキスタンの人口は約2,500万人。そのうち労働人口を1,000万人とすると、4人に1人は出稼ぎに出ていることになる。
ロシアやカザフでは年間平均1万ドルを稼いでいると仮定すると、毎年少なくとも1,200億円ほどの仕送りがあることになる。GDPの約10%相当だ。
●要するに、ロシアのオイル・ブームがウズベキスタンやタジキスタンやモルドヴィアなどのNIS諸国に出稼ぎからの送金という形で伝播している。
今の石油価格は、米国が本格的対策を取れば(たとえば現在各州まちまちの石油製品品質基準を全国で統一するなど)、投機資金流入もしぼんで暴落しかねないと僕は思っているのだが、米国はまだそんなことはしない。
この高い油価で湾岸諸国は潤って、今大変な建設・投資ブーム。日本のプラント会社は数年先までオーダーが埋まっている、という状況なのだが、アメリカはひょっとしてイラク戦争の間はこのような状況を放置して湾岸諸国の支持を確保しているのではないか―――とさえ勘ぐりたくなる。
●これは現代の「マーシャル・プラン」なのではないか? 妙なことにロシアまでがこの恩恵にあずかり、すっかり大国に復活した気分になってアメリカの外交に茶々を入れたりするようになったのは計算外だったろうが。
●他方、貧困は残っている。子供を賄賂を使ってでも(500ドルくらいだそうだから、ウズベキスタンの農民にとっては大変な額だ)軍隊に入れることが今流行している由。これは「口減らし」になる上、除隊後税関などに就職できるのだそうだ。と言うより、軍隊経験がないと、税関などには採用してくれない由。
●ロシアは最近、周辺諸国からの出稼ぎを制限する法律を採択し、4月からは国毎にクオータを定める。1月から、果物・野菜・食肉などを売っているいわゆる「ルイノック」での外国人の売り子は全体の40%までと制限されたため、売り子不足で多くの売り場が閉鎖され、価格は一部で倍増している。
これまではコーカサス、中央アジア諸国の商人達がこれら物資を大量に持ち込み、販売していたが、この朝早くから夜9時頃までの労働をあえてやりたがるロシア人が足りないのだそうだ。
●これまでロシアで導入された多くの「画期的措置」と同じく、この移民制限も賄賂や抜け穴くぐりでなしくずしにされてしまうだろうが、ロシアではインフレ、ウズベキスタンやタジキスタンでは帰国してきた出稼ぎ者達が社会不安を起こすだろう。
ロシアはオイル・ブームの恩恵を独り占めしようとして、カンダタみたいにクモの糸から落ちるのか。
5・経済情勢
●今回の印象を一口で言うと、「エネルギー部門へのロシア大企業による投資は、未だ本格化していない。それはウズベクとの駆け引きがまだ続いていたり、ロシア側がウズベク大統領選後まで様子見でいること、などによる。他方、いすずがサマルカンドの中型バス製造工場への関与を始めたことは好材料だし、セメント、縫製では外資も含めて新規投資も行われている、そして労賃が上がってきた中国では、中央アジア向け商品は中央アジアで生産した方が得、ということにこれからなるかもしれない。
大農園を自営農家に分割したことで余剰労働力が発生したが、これは出稼ぎにかなり吸収されていて、経済にとってはプラスになっている。」ということ。
●一番注目して何人かの政府高官に聞いたのは、大規模国営農園を分割して数名の自営農家に委託(50年間ほど)する改革措置の実態。
数字では、農業生産の80%は新体制で生産されている由。
もちろん、自営農家と言っても政府が箸の上げ下げまで指令してくるのだろうし、灌漑水の配分争いが激しくなっているようだが、これまで大規模農園にいた潜在失業者が大量に解雇され出稼ぎに行ってしまったことで、農業生産性は上がったらしい。
これは、ミルジヨーエフ首相の大変な功績だ。彼は大統領から農業改革をやれと言われ、静かに、大騒動も起こさずにそれを成し遂げたのだから。
●もう一つ聞いたのは、今年から可能になった「土地の民営化」について。
土地というのはどの国でも重要な資産で、この所有権が国から民に移ると経済、社会が大きく変わる。ウズベキスタンでは昨年7月の大統領令で、本年から法人、個人が使用している土地は民営化できることになっている。
民営化されなかった、つまり買い取られなかった土地は50年間までの長期賃貸制度の下に置く、というから、つまりどのみち当局に土地代金を納めなければならないということだ。
土地の売買を認める(つまり所有権の行使を許す)代わりに現金租税を課し、これを国家歳入の太宗にしたのは明治時代の地租改正だが、ウズベクでも同じことをやるのか?
●だが、調べた結果は、「細則がまだできていないから実行されていない。細則がなぜできないかというと、どういう細則を作ったらいいのか、上から指令がまだ来ていないから」という、ソ連時代を髣髴させるものだった。しかも、最初は法人が使っている土地だけが対象だと言う者もいて混乱している。
大きな土地を使っているのは殆んどが国営企業なので、それが土地を「民営化」するというのは一体どういうことかと言うと、土地を管理しているのは国ではなく市なので、国が土地の費用を市に払うことに過ぎない、ということになってしまう。
但しこれまでも市は種々の名目で企業から土地税を実質的に取り上げてきたのが、今回措置で手続きがガラス張りになって勝手なことがしにくくなる、という意味はある。
●ウズベク政府は昨年、ナヴォイの金山から合弁相手の米国Newmont社を補償もなしに追い出したが、それは誰かがこの金山の私有化を狙っているからで、土地民営化令はその準備の一環なのだ、といううがった説明もあったが、ソ連社会によくあった勘繰り過ぎではないか?
6・大統領の任期をめぐる法的空白
●カリモフ大統領はこの1月22日、就任してちょうど7年となった。憲法が定める任期が終了したのである。
●ところが誰も知らないうちに国会議長の裁定なるものが出ていて、これによると大統領選挙は任期の切れた年の12月に行われることになっている。
国会議長の裁定が書き間違えだったのか、意図的なものだったのか知らないが、ともかくこれで1月から12月までカリモフ大統領の法的地位が不明確になっている(1月24日からはシンガポールに「公式訪問」で出かけたが)。
●ウズベク知識層の間では、これは大変なひそひそ話しの種だ。
ところが市民と話してみると、この法的空白については知らない者もいる。
法的空白があることを認識するとさすがに怒って、「そんなこと日本で起こったら大変なことになるだろう?」という質問をしてくる者もいた。
●従って、この法的空白について当局からちゃんとした説明が行われる必要がある。
それはウズベクの国内的安定、国際的地位を維持するために不可欠なことだ。
●カリモフ大統領は15年間、その地位にある。
大きな混乱や動乱なしに、ウズベキスタンを独立国として成立させた功績は大だ。
他方、腕を撫して新しいウズベキスタンを建設したいと考えている若手官僚も少しは現れている。
彼らに既得権層を押さえ、コネと腐敗で固められた窒息するような状況を打破する力があるかどうかはわからないが、「この国では有能な奴は海外に行ってしまう。次にできる連中は実業界に行く。官僚になるのはその下の連中ばかりだ」という言葉に見られるように、ウズベクの現状を問題視し、それを変えたいと思っている者はいる。
英国のウェストミンスター大学というのがタシケントにビジネス・スクールを開いていて、そこの卒業生が役人になっているのに会ったが(授業料は高いのだが、ウズベク政府の奨学金をもらって無料で学べる学生もいる)、見て話しをした限りでは有能、廉潔だった。
●他方、同じ若い世代でも無能ぶりがひどい場合もある。
出国する時、バンコク、香港乗換えの経路だったのだが、若い係員は荷物タグをプリントアウトするのに20分もかけていた。カウンターに座っている若い男はKGBのような鋭い目をして見せるのだが、それはPCの使い方がわからないコンプレックスを隠しているだけだった。
ウズベクでは教育水準の低下が喧伝されている。それには、言語、文字の切り替えが大きな影響を及ぼしている。
学校教育におけるロシア語からウズベク語への移行、ロシア語表記をキリル文字からラテン・アルファベットに切り替えたことにより、ソ連時代貯えられた膨大な教材・文献類が使えなくなってしまった。ウズベク語に翻訳された文献はまだ微々たるものだ。
大げさに言えばウズベキスタンは今、文明の端境期にあるのだが、ロシアの影響力が事態をどう変えるか、興味津々だ。
7・会議で述べたこと
ここで長い話を打ち切って、僕が会議で何を述べてきたかの一端をお話しする。少しオブラートをかけて。
●外国はウズベキスタンに内政干渉をするべきではない。しかしウズベク側も将来の目標を明確にし、そこに至る具体的な工程図(ロードマップ)を提示するべきだ。
●中央アジア諸国がASEANのような結束を目標としてくれると、日本としてもやりやすい。
またそのような中央アジア諸国の安全を、かつて1974年全欧安保協力会議でしたように、関係主要国が集まって集団で保証することを追及してもよかろう。
●但し上記のためには、アフガニスタンを安定化させる必要がある。アフガニスタンにおけるテロ勢力が中央アジアの安全保障の脅威であり続ける限り、中央アジアでの改革は進めにくいからだ。
アフガニスタンと中央アジアの間に国連平和維持軍を置くことを検討してもよかろう。
●米国のNewmont社をナヴォイの金鉱山から追い立てる等、外政における過度のブレは、ウズベキスタンの利益にならない。
●内政においても、官僚が任務遂行に汲々とするあまり、拷問などの行き過ぎを招いている。現在のウズベキスタン社会では権威主義的統治が不可避であることは事実かもしれないが、過度の権威主義は除去できるはずだ。
●所有権の不可侵という原則を確立するべし。儲かる企業の所有権を奪い取るような社会では、経済は発展しない。
●現在、大統領選に向けて重要な時期にある。
誰が大統領になるにせよ、ウズベキスタン社会の活気を引き出すためにはエリートの世代交代を実現していく必要がある。
●ウズベキスタンと米国の関係悪化は、双方のためにならない。
ウズベキスタンは中央アジアの全ての国と国境を接する唯一の国であり、しかも域内では最大規模の国力を有する。
ウズベキスタンを除外する形での対中央アジア政策というのは、非常に非効率的なものとなろう。
他方、ウズベキスタンにとっても対米関係悪化は好ましくない。
ウズベク大統領選挙まで大きな変化はなかろうが、その後は日本やドイツが仲介の労をとってでも、両国の関係改善をはかるべきだ。
●中国が持つ可能性を活用してはどうか。中国資本がウズベキスタンで消費財を生産すれば、それは双方の利益になるだろう。
8・ウズベキスタンの対外関係
で、また本題に帰る。
(1)ロシア
●カリモフ大統領は、「戦略パートナー」として遇した米国が実は自分の政権を転覆することを狙っていると考えたのだろうか、2年前のアンディジャン事件をきっかけにロシア向きに180度舵を切り替えた。
●ウズベキスタンのエリートはモスクワに留学したことを誇りに思い、ロシアの「ヨーロッパ文明」に憧れている。
モスクワにいる親族がロシアの成功者になっている例も数多い。モスクワのマフムードフ、ウスマノフ、ベルギーにいるシャジエフなどのウズベク出身者は、ウズベク政府上層部にもコネを持ち、内政にも影響を及ぼしかねない力を持っている。
だから彼らは、ロシア回帰を歓迎した。
西側に辞を低くして協力を請うより、「イコール・パートナー」だという意識を持てるロシアを相手にしている方が、はるかに自然なのだ。
●だが、ロシアが再びウズベキスタンを席巻しているかと言うと、そんなことはない。カリモフ大統領はしたたかな政治家だ。
まず、ロシアを初めとする旧ソ連の一部諸国との「集団安全保障協力機構」に、ウズベクは完全には入っていない。昨年12月に「集団安全保障協力機構への復帰に関する法律」に署名はしたものの、更に16の文書作成が必要なので、実際の加盟は2008年1月までを目標とすることになっている。
大統領選が終わるまでは、ウズベク側がフリーハンドを確保するということだ。
●ウズベク人は「さあ、これでかつて逃げ出していったロシア人が帰ってくる。ビジネスマンやエンジニア達も大挙してやってくる」と思ったらしい。
タシケントの街には外国人用の豪邸が多数建設され、不動産価格は急上昇した。
因みに開発途上国では「建設」というのがGDPの大きな部分を占めることがある。
工場投資より効率は悪いのだが、小金を持つ者にとっては豪邸を作って外国人に貸すのが、最も確かで手っ取り早い金儲けの方法なのだ。そしてそれは建設労働者、資材の需要を生む。建設を軽視してはいけない。
●だが、実際にはロシア人はやってきていない。多くの豪邸は空のままだ。
ロシア人も、次の大統領が確定するまでは投資を控えているのだろう。
タシケントに以前からいるロシア人の生活にも変化は見られない。
もともとタシケントのロシア人は知識水準が高く(エンジニアや官僚の子孫が多かった)、
そのメンタリティーも洗練されていた。
だから彼らに言わせると、「この多民族社会のタシケントにいると、我々の内部で何かが変わってしまう。最上級の社会的地位をもらえるわけではないけれど、居場所はある。ところがロシアの先祖の地に里帰りしてみると、どうも白人ショーヴィニズムが強くて馴染めない。自分の居場所がないという感じ」なのだそうだ。
●ウズベク政府が期待した、ロシア資本によるエネルギー資源開発も、まだ動き出していない。
「ルークオイル関係の商談はまとまりつつある、しかしガスプロムによるウスチュルト天然ガス田開発関係の商談は頓挫している」由。
ガスプロムとはプロダクション・シェアリング方式での話し合いをしていたのが、最近のサハリン2騒ぎでウズベク政府側はこの方式が不利であることを認識、再交渉を求めている由で、ロシアは自分の強欲の落とし前をウズベキスタンでつけさせられている。
●もっともロシアも強引な対中央アジア・アプローチでまとまっているわけではない。
今回会議に参加したナウムキン教授などは、「皆、自分の方にウズベキスタンを引き寄せようとしているが、肝心なのはこの国が安定、繁栄していることだろう? それが皆の共通の利益だろう? ロシアはすべてのことをできるわけではなく、エネルギー、運輸、域内統合インフラをやらせてもらえればいいのだ。経済を政治化するから、他の者がひるむことになる」と述べていた。
(2)米国
●米国の対中央アジア政策は一つにまとまっていない。
バウチャー国務省次官補は昨年9月議会での証言で、「中央アジア諸国同士の協力を高めて、その独立確保を助けたい。彼らのとってのオプションを増やしてやりたい」との趣旨を述べたが、これは「中央アジア+日本」というフォーラムを推進している日本の立場とも一致している。
他方、今回会議でPresel大使から指摘があったように、「中央アジアはその周辺との組み合わせで個々に分けて対処するのが現実的なのではないか。タジキスタンならアフガニスタンとの関係で、トルクメニスタンならアゼルバイジャンとの関係で、と いう風に」という考え方もある。
双方は別に矛盾しているわけではなく、前者は長期的な戦略、後者は現時点での短期的な戦術を意味しているのかもしれない。
●他方、「米国とウズベキスタンの関係は悪い」と思い込むことも危険だ。
米国はキルギスタンの空軍基地を今でもアフガニスタン作戦で使っているが、トルコ、欧州方面から米軍機がここへ飛ぶことを想定してみるがいい。どうしてもウズベキスタン領空を通過するのが最短距離になる。ウズベキスタン、米国の間には、領空通過権をめぐって合意があると思った方がいい。
(3)EU
●EUは議長国ドイツが中心になって、アンディジャン事件後冷え切ってしまったウズベキスタンとの関係改善をはかろうとしている。
しかし人権問題を重視する英国、北欧諸国がこれに強硬に反対している。
ドイツ外相は、「中央アジアとは個々の国とではなく中央アジア全体とのエネルギー協力、安保協力が重要である」と、日本と同様の立場を明らかにし、昨年後半にはウズベキスタン、トルクメニスタンも含めた諸国を歴訪している。
ドイツはこれを、コーカサスも含めての新たな「東方外交」と名づけている。
なぜドイツがここまで熱心なのかはわからない。NATO軍の一部としてアフガニスタン北部に派遣しているドイツ将兵の補給のためにウズベクのテルメス基地を使用していること、ウズベクにおける経済利権を拡大したいこと、「ヨーロッパ」の文明圏、商圏を中央アジアにまで拡大したいこと、などの説明が可能だが、それだけではどうも腑に落ちない。
9.まとめ―――帰りの機中で
●2008年はG8首脳会議が日本で行われる。
その年の3月に選ばれるロシアの新大統領には初めての外交大舞台だ。
ロシアの有識者は既に、その「準備」を始めている。
僕としては、ここで中央アジアを首脳の間で話し合い、かつての全欧安保協力会議のようなものを実 質的に立ち上げてしまうのがいいと思う。
(もっと大きなテーマは中国をどう扱うか、東アジアでの経済、安保協力をどう位置づけるかだが)
●で、最後は中国の話しになる。
帰りはバンコクから香港経由のキャセイ・パシフィック(香港の航空会社。今やシンガポール航空など と並んでイメージが高いし、実際サービスが洗練されている)。
ところがビジネス・クラスの座席の足を伸ばす台がどうしても引き出せない。
ランプをつけると優雅極まりない中国人スチュワーデスが親切極まりないスマイルを浮かべてやって きた。
彼女は台を手でちょっといじってみたが埒があかない、と見るや、意を決したごとく、僕のすぐ横で美し い片足を持ち上げ、次の瞬間、馬のひづめの如くに硬いハイヒールのかかとをその台に振り下ろした のだ。ガキッ!
で、もちろん台は直り、スチュワーデスは何事もなかったかのように、しかし少し面映げなスマイルを 残して一礼すると去っていった。
中国人女性はたくましいですね。日米安保はやはり必要かも。 (了)
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コメント
関心を呼ぶ内容でした。
ちょっとした庶民的な場面のやりとりからその国の文化なり国民性が伺われました。
日常的なことから国際舞台まで、歯切れの良い文章はさすがです。
わずかなニュ-スからその背景なり本質を突く分析内容がドラマチックです。
ますます中央アジアにロマンを感じます。
次回のレポ-トが楽しみです。
関心を呼ぶ内容でした。
ちょっとした庶民的な場面のやりとりからその国の文化なり国民性が伺われました。
日常的なことから国際舞台まで、歯切れの良い文章はさすがです。
わずかなニュ-スからその背景なり本質を突く分析内容がドラマチックです。
ますます中央アジアにロマンを感じます。
次回のレポ-トが楽しみです。
「大統領の任期をめぐる法的空白」の段落にお書きになられている、言語・文字の切り替えがウズベキスタンの教育水準の低下に大きな影響を及ぼしている点は、非常に大きな問題であると考えます。
言語・文字には、それを形づくってきた文化の全てのエッセンスが凝縮しているわけですし、
言語の統一は、どんな軍事的支配力よりも強力な「支配体制の基盤づくり」になることは、これまでの世界の歴史(それは多くの場合、決して歓迎すべきでない歴史の悲痛な足跡だったりしますが)が物語っているかと思います。
現地で起こっている「ロシア語からウズベク語
への移行」は、新たな文明構築の1ページを刻んでいくプロセスだと思いますので、今後の加速・発展を切に願うところであり、大きな転換点を迎えるなかでの様々な副作用は避けられないことなのかもしれませんが、教育水準の低下など、次世代を担う若者にツケを負わせることは、決して看過できるものではないかと思います。
社会の明るさは、若者の健全な活力がみなぎってこそ生まれるものだと思います。