日本のODA その現状と問題点(中央アジアの場合)
(「国際開発ジャーナル」連載の第5回分です)
中央アジアと日本のODA
Japan-World Trends代表
河東哲夫
日本では知る人ぞ知るだが、中央アジア諸国へのODAはこれら諸国の発展のみならず、日本の外交においても大きな役割を果たしてきた。2006年には学識経験者の参加も得てウズベキスタン及びカザフスタンに対する国別援助計画が作成され、ODA供与の哲学が明文化された。この計画が作成される地域は、ODA供与重点地域である。ウズベキスタンでは日本のODAは高く評価され、最大限活用されているが、石油大国カザフスタンは直接投資の獲得に重点を置きがちである。タジキスタンでは内戦後の情勢は安定して経済も伸び、円借款を供与してもいい状況となってきたが、最近同国は中国から600億円分もの借款を得たため、これ以上貸すことは返済能力の問題を生むかもしれない。キルギスは債務繰り延べを2回もした国であり、当面は技術協力、小規模無償協力を中心としていくしかあるまい。トルクメニスタンは、事務がニヤゾフ大統領に集中する体制であるため、日本のODAの意味、使い方を納得してもらうだけでも大変なところがある。
中央アジアでの日本のODA実績はかなりのもので、中央アジア諸国の独立以来04年度まで、総計で約2,800億円相当のODAを供与している。うち約2,200億円は円借款で、返済される。円借款はウズベキスタン、カザフスタンの二国に集中している。円借款や一般無償協力で日本は経済・社会インフラ建設を助け(発電所、電話システム、空港近代化、鉄道建設、病院建設など)、ウズベキスタン、キルギスに置かれたJICA事務所、そしてJICAと現地政府が共同で立ち上げた「日本人材開発センター」(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスに所在)を通じて技術協力を行っている。中央アジア全体で100名は優に超える青年海外協力隊やシニア・ボランティアの方々は、この技術協力を顔の見えるものとしている。
大使館は円借款や一般無償協力の準備、執行で枢要な役割を果たしているし、草の根・人間の安全保障無償協力プログラムでは大半の事務を遂行している。後者は1件1,000万円程度までの中小規模の案件であり、大使館が立案し本省から1ヵ月以内の回答を得て自ら実行する「足の速い」ODAプログラムである。
例えばウズベキスタンでは年間30件ほどの案件が実行され、特に小学校の修復、教育機材の贈与を重点的に行ってきた。これは地元テレビに報道され、多額の円借款プロジェクトに劣らないPR効果を発揮している。
日本のODA供与に当たっては、これが地元の経済発展を助けることによって、民主化、市場経済化の基盤が整備されることを期待している、とのメッセージを常に発している。また日本のODAは、政治的な効果も発揮し得る。つまり、ともすれば中央アジアを「アジアの後進国」視しがちな欧米とは異なり、日本はこれら諸国の安定と発展を親身になって助けることを彼らに悟らせれば、これまではロシアしか知らなかった中央アジア諸国の目を広く世界へ向けさせることができるからである。
ODAをめぐるミスマッチ
日本のODAに対するニーズは、中央アジア諸国の間でまちまちである。但し多額のODAを必要とする国があったとしても、現地の日本大使館が現在のように小規模では、膨大な事務量をとてもこなせないし、また受入国側も往々にしてODA関連の事務を消化する能力に欠けていることが多い。日本のODAは一部で思われているように、「ただ資金をぽんと渡す」ものでは毛頭なく、ODA資金で購入するべき具体的な機械機器、サービスを両国間で話し合って決め、入札をして購入先を決めていくから、それに伴う事務量が膨大になるからである。
また、コピー機を供与してもトナーを購入する金が先方にはなかったり、最新の医療機器を供与しても記録用紙を購入する金が先方にはなかったり、ODAの世界では日本人には予想もできないありとあらゆる行き違いが起こる。日本のODAで供与された設備、機械機器は津々浦々までいきわたっているから、そのメンテナンスを日本大使館に求めるのは酷である。中央アジア諸国の日本大使館でODAを担当しているのは多くても3名であり、事務の量は既に限界を超えている。
中央アジア諸国に対する技術協力は、井戸を掘ったり、職工を養成したりする典型的な技術協力の範疇を超えている。これら諸国は、官僚制、教育、医療などはソ連時代の高度なシステムを持っている。これを民主主義、市場経済に見合った体制に移行させる手伝いが、中央アジア諸国への技術協力になる。だが中央アジアのエリートは、自分を「ヨーロッパ人」と規定して「アジアの新興国」日本を下に見る場合さえある。彼らの権威はソ連時代のやり方をマスターしているところにあるので、日本のやり方を押し付けようとすると反感さえ呼ぶ。日本側はそうした者をも納得させることのできる、高い能力と人格を備えていなければならない。
技術協力についての先方政府の要請は、往々にして思いつきであることが多い。例えば税関職員による不正を根絶するため、事務をコンピューター化し、現場と中央をコンピューターで結んで監督しようとしても、そもそもデータのインプットが不正に行われれば意味がなく、ただ見てくれのいいだけのプロジェクトになってしまう。
また先方の幹部の要請に応じてこちらの協力要員を派遣しても、そのことが現場の担当者まで伝わっていない場合があり、派遣された日本人がつらい目に会うことがある。また英語と比べて日本語の通訳は人数、水準とも決定的に不足していて、無責任な通訳になるとかえって双方の誤解を助長する。
対中央アジアODA立案能力と戦略
中央アジアに対するODAは単なる開発支援に加えて、民主化・市場経済化支援、そして中央アジア諸国の統合強化という政治的な目的をも持っている。だから、立案能力が重要になる。
日本のODAは「要請主義」で、現地政府からの要請がないと検討も始まらない建前となっている。これはおそらく、日本政府と企業が癒着して特定のプロジェクトを推進するのを防止するための手立てでもあるのだろうが、これでは戦略的なODAの運営はできない。他方、日本大使館やJICA事務所が現地の経済・政治・社会事情をよく把握して、一貫した見通しをもった開発計画を立案できるかと言うと、100%自信をもって「はい、できます」とも言い切れまい。ましてや総理の下にODAの「司令塔」を作り、そこでODAの戦略のみならず具体的な案件も作成してしまえというのは、非現実的な話だろう。「万能の唯一者」はいないのであり、現地政府、現地の日本大使館、JICA事務所、関係省庁、JBIC、世界銀行、アジア開発銀行、ヨーロッパ開発銀行などの間の不断のすり合わせと情報・アイデアの交換が戦略と具体的案件の立案につながるのだろうと思う。
最近は大学でも開発経済学が人気科目になっているが、ここでは経済の理論だけではなく、現地の利権が複雑に絡み合う中で新規の案件を遂行するための政治的なノウハウとか、改革は自分達の負担を増加させるだけであるとして抵抗しがちな大衆をどう説得していくかなど、政治学、社会学、社会心理学、広報「学」など幅広い知識が教えられ、ケーススタディーが行われなければならない。現地の大衆を下に見る、頭でっかちな人材を養成しても、現場では使い物にならない。外務省、JBIC、JICAも、ODA関係の研修をもっと充実させ、政治・経済・社会の機微の狭間で行っていくODAのための立案能力を磨くべきである。
またこの数年、ODAが批判される中、完璧なアカウンタビリティーが求められたために、現場が萎縮してしまった気味がある。採算性を証明しやすい案件が好まれるために、鉄道新線建設のように中長期的な見通しに立った案件は夢物語として後回しにされやすくなった。
日本政府は、ユーラシア大陸に「自由と繁栄の弧」を作ることを政策目的に掲げた。中央アジアには中世以来の強権的体質が強く残り、それはソ連時代の統制経済、専制政治で更に増幅されている。経済利権が政府に集中しているから、民主化は利権の奪い合いに化し易い。90年代ロシアの混乱は正にそのために起きたのだが、中央アジアではその再現は避けなければならない。マクロ経済理論だけに依拠した戦略では、うまくいかない。民主化、市場経済化を性急に押し付けるよりも、国営企業の民営化や中小企業創出がうまくいくような環境を整備してやる方が、「自由と繁栄の弧」をこの地域に作る上では効果的である。
日本政府はまた、中央アジア諸国の連携と協力を強めさせ、将来はASEANのような存在となることを助けようとしているが、このためには電力、運輸などの面で中央アジア諸国の提携を強めるようなプロジェクトを早く立案しなければならない。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-world-trends.com/cgi-bin/mtja/mt-tb.cgi/134
コメント
現地でODAの切り盛りする方々のご苦労は並大抵ではなく、事務作業の限界を超えていることは間違いないにも関わらず、政治家がいとも簡単に、「ただ資金をぽんと渡しているだけ」「ハードだけ用意しても、中身を用意していないから、無用の長物になっているものが多い」などという言葉を吐いたりするシーンを目の当たりにすると、大きな違和感を抱いてしまいます。
累積総額も、グラント・エレメントも極めて高い中国の、日本のODAに関する対応のあり方などを見ていると、「自分の信念に沿って良いことをしていれば、神様はきちんと見てくれているはず」といった考え方も、やはり外交面では通用しないのかな、などと「甘っちょろい」感傷が生まれてきたりもしてしまいますが、ODAの目指す理念は本当にすばらしいと思いますし、日本はもっと胸を張ってこの国際貢献に取り組み、その内容を、日本国民に対しても、もっともっと積極的に開示し、気運を高めていくべきかと思います。
「団塊の世代」の大量退職が、経済面においても、社会構造全体で見ても様々な影響を及ぼしはじめている昨今ではありますが、非常に高いナレッジや技術を持ってらっしゃって、かつまだまだ働き盛りの方々もたくさんいらっしゃるはずです。今後のODAのあり方や、ひいては日本としての国際貢献の大きな柱として、こうした方々にグローバルな活躍をしていただける場は、まだまだ無限にあるのではないか、などとも考えております。
こうした方々こそ、まさに、「頭でっかち」ではなく、「最前線の現場で存分に力をふるえる」スキルを持っていらっしゃったりするのではないでしょうか。
そんな元気なシニア層がいてこそ、若者も「対抗(!?)」しがいがあるというものです。