「意味が解体する世界へ」(草思社)から ヨーロッパ
デンマークの詩
ぷーっと汽笛が鳴ると,少女のように可愛い金髪の車掌がドアから顔をひっこめる。本
当に翳のない,屈託のない顔。自分の美しさを意識して他人にどうこうしようという毒の一かけらもない。ここでは,すべてがアンデルセンの童話のように見える。
そのアンデルセンが住んでいたオデンセの街は,半地下室の窓が歩道に剥き出しになっていて,心掛けの悪い者がちょっと靴で蹴れば割ることもできる風情。生活と安全が保証されて,安心している社会なのだ。ここは日本とは違って,CDやDVDやデジタル・カメラにすぐとびついたりしない。日本,アメリカと違って味気のない蛍光灯を嫌い,薄暗い部屋のなかで手元だけ明るくする部分照明が好きだ。
でも,知的な探究心は旺盛,国民の政治を見る目もしっかりしていて,投票率はいつも
八十%以上の水準だ。新しいものにむやみやたらに飛びつかないが,コンピュ タ など
必要なものはいつの間にかものにしている。北欧は,世界の中で最も進んだ社会をもう建設してしまったのだ。
その昔デンマークは大きな国で,スウェ デン,ノルウェ ,ドイツの一部を持ってい
たし,イギリスのデ ン王朝はデンマークのヴァイキングが作ったものだ。だから今でも
デンマ ク人のイギリスへの思い入れは,イギリス人のアメリカへの思い入れと似ていて
,偉くなった昔の子分を見ている趣がある。
面白いことに,西欧の多くの国は昔,今よりはるかに大きな領土や植民地を持っていた
。イギリス,フランス,ドイツ,オ ストリア,イタリア,スペインはもちろん,オラン
ダ,ポルトガル,スウェ デン,そしてベルギ までがそうなのだ。で,どこも今では国
がはるかに小さくなってしまったトラウマを心の底に秘めていて,時にはその自己顕示欲が頭をもたげるものの,普段は諦念にも似て静かな,そして質素だが世界で最も満ち足りた生活を送っている。
僕の家内の父親は造船所の職長だったけれど,教会の鐘の音,小奇麗な公園に囲まれた
そのアパ トは百五十平米はあろうかという広さ,居間には書棚が立ち並び,娘達の描い
た絵がかかっている。そして夜の九時から後は,音が隣の迷惑にならないように風呂も浴
びてはいけない決まりだった。そして家内は早くから独立するヨ ロッパ人の常として,
同じアパ トの上階に自分の部屋を借りていた。それから三十年たって,そうした決まり
もゆるくなり,周りの若い夫婦達は夜遅くまでうるさいロックをかけまくり,子供達はバタバタ床を駆け回るようになった。
ヨ ロッパ人は貴族的でお高くとまっていると思われがちだが,彼らの生活ぶりは人間
臭い。そのものの考え方は合理的だが,それで社会が味気ないものになるわけじゃなく,
家族,友人への愛情というものが人間関係の基本になっている。ヨ ロッパの文化は素晴
らしく,彼らはそれを自慢にするが,大衆レベルになってくると自分達の文化や歴史をよく知らない人も多くなる。パリでも人々はシャンゼリゼで日常の買い物をしているわけではもちろんなくて,電車の高架の下の青空市場で野菜を買ったりしている。ドイツでも中世の昔さながらに,市役所の前はどこでも青空市場があって,毎朝農民が野菜を満載してやってくる。彼らが通りすぎる客に口々に呼びかける様は,日本の八百屋と変わらない。 ロンドンの場末のイタリア・レストランではなぜかフランスの三色旗がかかり,壁には王妃ダイアナのつつましい白黒写真が二枚,そして中世の生活を描いた版画,世界の紙幣がずらっと並んでいて,店内には二十世紀初めのポップが哀愁を誘うように流れている。
ヨ ロッパは結局,こんな場末の雰囲気が本当の顔なのかもしれない。
ヨ ロッパの大部分は,第二次大戦までごく貧しかった。それは当時の記録映画を見れ
ばわかるし,二十年前のフランスの農村などパリとは全く違う鄙びた暮らしをしていたも
のだ。デンマ クでも集中暖房は昔からあったわけじゃなく,家内の小さい頃はスト ブ
を焚いていたし,電気冷蔵庫もなかったのだと言う。
デンマ クは自動車や電化製品こそ作ってないけれど,先端技術と素晴らしい食品産業
で心地の良い社会を作り上げた。ロシアのように革命とか粛清の大騒ぎなしに,しかも自由と個人主義を維持したまま,進んだ社会主義社会をもう作ってしまったのだ。だが,二十五年看護婦をやっている親戚は言う。「退屈なのよ。退屈。自分のいるべき場所がきま
っていて動かないの。そろそろボケてきた老人にセラピ を勧めたら,ソファに坐って本
を読んだまま,『私,なんにも問題ないわよ。とっても調子がいいの』ですって。アフリカでボランティアやってた時は,とても面白かったわ」
昔務めたストックホルムに十年ぶりに行ってみれば何も変わらず,建物の角が欠けたり汚れたりして,少しづつ老朽の影が忍び寄っていると言ったら大げさか。大使館の運転手は大学出の若者だったが,十年たった今でもそのまま。小さなNPOの事務局長をやっていた元気な男もそのまま,どちらももう年金のことを考えていて,ここにはアメリカの競
争の厳しさとはまた別の,安定の厳しさといったものがある。デンマ クの親戚の高校生
は僕にこう聞いた。「日本の学生も勉強しない? デンマ クの学生は勉強しても意味が
ないと言って,何でも黒か白かで割り切るだけ,すっかりワイルドになっちゃった」 そう言えば,この頃は店の商品までが安っぽくなってきた気がする。着るものも食べるものもアメリカ化というか,値段を下げるために質まで下がっている感じ。
そして多民族化の現象は,デンマ クも免れない。ヨ ロッパは国民国家または民族国
家と言われるが,実は顔だちも髪や目の色も様々で,どの国も単一民族とは言いがたい.
デンマ クもそうだし,グリ ンランドのエスキモ はデンマ クの市民なのだが,この
頃コペンハ ゲンの空港で荷物が出てくるのを待っていると周りにデンマ ク人は半分い
るかどうか,あとは浅黒い肌のアラブ人,トルコ人,うらぶれた感じの東欧,そして赤茶けた髪の中南米の白人という次第。内陸のオデンセでさえ,異民族がもう十%になろうかという時代なのだ。
で,デンマ クも変わってきている。昔はコペンハ ゲンからオデンセに行く間の海峡
を連絡船で一時間かけて渡ったものだが,今ではトンネルと橋ができて超モダンなディ
ゼル電車が猛烈なスピ ドで走り抜ける。オデンセ駅は新築されて,何の変哲もないオレ
ンジ色のビルのなかにはアメリカ式のマルチ・スクリ ンの映画館があり,構内には紙く
ずが散らばっている。生活が渦巻き,数々のロマンが演じられた古い駅舎はそのわきにこじんまり,だががらんとして立っている。
コペンハ ゲンに近づくと,自転車の絵を横腹に描いた古い電車が三十年前僕が初めて
見た時と同じ,だが今ではくたびれた姿で通りすぎる。いかにもヨ ロッパ的に合理的な
,自転車を持ち込めるアメ色に塗られた郊外電車。終戦直後,東京の国電はみなアメ色で,僕は子供心にあの赤でも白でも黄でもない,絵の具にはないアメ色というものを不思議
がった。でもそれは,きっとヨ ロッパから来た色なのだろう。日本でもヨ ロッパでも
戦後の発展の中をアメ色の電車は走っていたのだ。
「大航海時代」の終わり
ドイツ語は,その文法からしてゴツゴツとした無骨な言葉だと思われている。でも,夜
聞くテレビのニュ スなどはアメリカのに比べるとはるかに静かで,知的な伝統をうかが
わせる。アメリカがマッチョの国とするなら,ヨ ロッパは知力に裏付けられ洗練された
個人主義の世界なのだ。もっともそのアメリカも,この頃では「ポリティカル・コレクトネス」とかで,随分おとなしくなってしまったけれど。
でも,ヨ ロッパは昔からヨ ロッパだったわけじゃない。今では生活を保証されある
意味では甘やかされているヨ ロッパ人は,自分達は自由と民主主義だったからこそここ
まで発展できたのだと思い込んでいて,発展途上国に説教するのが好きだ。だが,彼らの習った世界史は歪んでいて,最近の研究成果はまだ十分取り入れられていない。
ゲルマンの蛮族が西ロ マ帝国を滅ぼしてからも西欧は長い間後進地域で,ギリシヤ,
ロ マの文明はビザンチン帝国そしてアラブの王朝が保存していた。世界貿易の中心はむ
しろアジアで,そこでは中国,インドが大きな地位を占めていた。その頃の西欧は農村社
会で,民主主義はもちろん,自由とかプライヴァシ とか個人主義とかは中世の商業都市
でやっと少しづつ芽を出していただけだ。
その西欧が産業革命を経て今のようになる背景とその過程は,国によってまちまちだ。アメリカ大陸の金銀が大量に流入したこと,アジアの富を収奪したこと,農業技術革命で土地からあぶれた農民が都市に大量に出たこと,革命でブルジョア階級の所有権が確固たるものとなったこと,奴隷貿易で資本を蓄積したことなどが指摘されているけれど,まだそのあたり整理された研究にお目にかかったことがない。とにかくイギリスだけが自力で産業革命を達成したと言えないでもないが,そのイギリスでさえ植民地という新しい市場があったからこそ発展できたのだ。
で,西欧が今の西欧にめがけて走り出したのは十七世紀だ。この頃都市化が進み中産階
級も現れて,貴族の洗練されたエチケットが社会に広まった。プライヴァシ ,個人主義
も,この頃からの話なのだ。自由,個人主義,民主主義は,最初からヨ ロッパにあった
わけではない。それは経済発展,社会の変動とともに徐々に広まり,血生臭い革命を経て
定着していったのだ。そして,ヨ ロッパはギリシア,ロ マ文明の直系ではない。また
その古代ギリシア,ロ マも一般の通念とは違って,東洋的専制の色彩におどろおどろし
く彩られてもいる。
ヨ ロッパの小説を読んでいて僕は思う。ヨ ロッパの社会,人のつきあい方,ものの
考え方は,十九世紀の末にはもう大体現在の域に達していたのではないかと。ヨ ロッパ
は人間のあり方の一つのモデルを十九世紀末にもう完成してしまい,それから後はあまり変わっていないのじゃないかと。パリの場末の安宿に泊まったことがあるけれど,周囲の物音,話し声が醸しだす雰囲気は,百年前の小説の情景を思い浮かばせたものだ。だから
「チボ 家の人々」や「魔の山」や「失われた時を求めて」などを読んでいても,あまり
違和感を持たないけれど,バルザックとなるとちょっと古い話しだなと思い,シェイクス
ピアは言うに及ばずスタンダ ルでもこれはもう決定的に昔のことなのだ。
ヨ ロッパはヴァスコ・ダ・ガマがアジアへの航路,コロンブスがアメリカへの航路を
「発見」した大航海時代以来五百年,この世界の文明を支配してきた。植民地主義の時代は第二次大戦で終わったけれど,まだ清算は終わったわけじゃない。戦後の冷戦であまり目立たなかったが,植民地主義時代の世界の構図はまだ残っている。国際世論の形成は英語のメディアに牛耳られ,金融も一次産品取引もそして芸術作品の取引も一部の国に集中
している。シルクロ ドの時代に栄えた中央アジアや中近東は,大航海時代以来長期の停
滞に突き落とされたままで,インドも綿紡績工業を徹底的に破壊された傷痕からまだ回復していない。先進国の多くはこの二十年程,通貨の切り下げや独占的市場の拡大や財政支出の増大で自分の経済を維持することに忙しく,植民地だった国々への補償をするどころか,この前のアジア経済危機の時のように経済発展の果実をかすめ取るようなことをする者さえいる有り様だ。
ヨ ロッパも変わる?
僕がまだ若い頃,ヨ ロッパ女性を妻としているある商社員がぽつりと言った。「河東
さん,ヨ ロッパは個人主義,合理主義,そして人道主義の社会です。日本には彼らに学
ぶものがまだ沢山,沢山あります」と。この人はもう亡くなったが,彼の言葉は僕の頭に
いつもこだましていた。僕がそれから自分の目で見たヨ ロッパとヨ ロッパ人は,この
商社員の言葉通りだったこともあるし,そうでなかったこともあったけれど,アメリカの
自由,ヨ ロッパの知性,そして日本人の感性を兼備できたら素晴らしいことは確かだ。
「自分はイギリスは嫌いだが,あれほど自由で,そうしてあれほど秩序の行き届いた国はない。彼らは自分の自由を愛するとともに,他の自由を尊重するように子供の時から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後には,きっと義務という観念が伴っています」 これは,大正三年夏目漱石が学習院での講演「私の個人主義」で述べた言葉だ(講談社学術文庫より)。
でも,この頃はヨ ロッパでも日本でもアメリカでも,社会は何かわけのわからない変
質を始めていて,自由とか知性とかわめいてもお呼びでないと言うか,何かそんな気がするようになった。テレビのせいで,みんな感性だけに生きるようになってきたのだろうか
? ヨ ロッパの文化もこの頃では変わってきた。西欧の芸術の全てのジャンルはもうあ
りとあらゆる実験をし尽くしてしまったし,そこに資本主義,商業主義の侵攻も受けて,個人を表現する手段というより生活の装飾品になってきた。個人表現の手段としての芸術を「純芸術」と呼ぶとするなら・・・そんなものはここ僅か二百年程の西欧文明の産物なのだが・・・今時の芸術はあたかも江戸時代の日本や十八世紀以前の西欧文化の如く,工芸品としての性格がまた強くなってきた。だから統一後まだ十年そこらのベルリンに行ってみると,むしろ東ベルリンの方で社会主義時代の「純文化」が残っていて,それが自由な雰囲気の中でえも言われぬブレンドを醸しだしていたりする。
十年ぶりにロンドンに来てみると,ピカデリ 広場にはベトナムやフィリピンにあるよ
うなリンタクがたむろしていて,イギリス紳士のあのすました雰囲気はあとかたもないどころか,イギリス人を見つけることさえ難しい。雑然として紙屑が散らばっている様は,
アメリカみたいだ。デパ トの横からアルバイトの学生が,プ プ と警笛を鳴らし頬を
膨らませて力いっぱいリンタクのペダルを踏むと,アベックを乗せて夜のロンドンに滑り出していく。ふと見ると,交差点の向こうからは夜の女とおぼしきけばけばしい一団がなぜか十人以上も固まってやってくる。そしてそれも別に世紀末のデカダンの香りがするわけでもなく,妙にあっけらかんとしているだけだ。
タクシ の運転手は言っていた。「うちの娘達ときたら,携帯電話で生きてるようなも
んだよ。支払いが大変さ。この頃の若いのときたら,鼻や舌にリングをつけて,あれだけは御免だね。この頃,移民が増えたかって? ああ。でも,彼らは決まったところに固ま
って住んでるからね。そういうところのス パ じゃ物が安いから,うちのもそこに買い
物に行く。ブレア首相はいいけど,戦争だけはやだね。それに今じゃ路上には百米毎に防犯カメラがあってさ,サツが皆を監視してるんだ。テロ対策だと」
ホテルの朝食ロビ の壁には,近世イギリスのジェントリ (地方地主)が馬車を並べ
猟犬を従え,とりすまして行進していく絵がかかる。イギリス帝国華やかなりし頃の繁栄。でもこれなら,イギリス人が封建的だと批判する東洋の君主の栄華とさして変わったところはなくて,繁栄の陰にはロンドンの貧民街そして貧しい召使の大群がいたことだろう
。白人の老人が杖ついてロビ から去っていく。三十年前ならこうした場所は圧倒的に白
人の場で,この老人もあたりにすごい存在感を漂わせたことだろうけど,今ではせわしく動きまわるアジアやアラブの客の中でもう目立たない。
店に行けば店員の二人に一人は電話でおしゃべり,それに品揃えもめっきり減って,本屋に行ってももう当たり前の本しか売っていない。昔のペダンチックな,でも知的な空気
はもうここにはなくなった。ベ ト ベンはもう遠くなり,ロックを口ずさんで身を揺す
っていれば皆何となく分かり合えるという時代になった。それがいいことか悪いことかは知らないけれど。一ポンドのコインは小さくても相変わらずずしりと重いが,その角はもう摩り減ってまるで古代の貨幣のように形が不揃いになっている。フランスでもイスラム
教徒はもう人口の十%程になっていて,ヨ ロッパ全体がもう多民族国家になってきた。
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