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論文

2007年11月11日

ロシアから学べること(学習院での講演)

(以下は2007年5月18日、学習院のグローバルガバナンス研究会で、「ユーラシアにおけるロシアの位置 国家としてのロシアの特質」と題して行った講演の記録です)

はじめに
今日は「ロシア―比類なく罪深く、そして崇高な」というタイトルでお話させていただきます。ロシアの現在をありきたりになぞるだけでなく、その政治、経済、歴史の特徴を抽出してみたいと思います。これまでの常識だけでは、ロシアという国は把握しきれないからです。それは、ロシアのことだけでなく、社会の成り立ちや歴史が経済発展にどのような影響を及ぼすのか、また大きな改革、体制変革が行われる場合、政府や国民はどのような行動パターンを示すのか、といったことを知る上で、非常に貴重な観察事例を提供してくれます。一時間話した後に、質疑応答に移りたいと思います。

私は、より広い世界からロシアを見るよう努めてきました。私はロシアに合計11年間住んでいました。一回目は、モスクワ大学に外務省からの派遣での留学です。二回目が82~85年です。これはブレジネフ書記長が亡くなり、短命のアンドロポフ、チェルネンコ政権のあと、ゴルバチョフ書記長が登場した時期でした。次が1990~94年までで、クーデターが失敗してソ連が崩壊し、6,000%という大変なインフレを伴う「経済改革」があり、大統領と議会の間の権限争いから議会が戦車砲で撃たれるという事件まで、大変な混乱期でありました。最後は、1998~2002年です。この頃は北方領土問題が動こうとした時期でした。そのころはエリツィン大統領に代わってプーチン大統領が就任した時期でもあります。

現在のロシア
今日の題「ロシア―比類なく罪深く、そして崇高な」でありますが、まさにロシアはそういった国です。ロシアはスケールが大きい世界ですが格差が大きく、指導層と普通の市民と貧乏で虐げられる大衆と3種類に分けられます。

ロシアはソ連が崩壊して以来超大国ではなくなり、国際政治の中での重要性がかなり落ちました。その現在のロシアについてまずお話申し上げましょう。日本人のロシアに対するイメージはいつも現実から数年遅れていて、もしかすると相変わらず商店にモノがないと思っているかもしれないし、マフィアが大勢いて撃ち合いで街角に死体がゴロゴロ転がっていると思っておられるかもしれません。これは本当に、91、92年ころこの国にみられた姿でありました。

しかし、現在のロシアというのは、それとは全く違っています。都市は車で溢れかえり、大きなショッピングモールなども無数に存在します。ロシアも昔とは異なり大衆消費社会になったのです。中産階級が電化製品や自動車をどんどん買っていくような社会になりました。何でそうなっているのかというと、それはロシアがみずから生産しているからではない。ロシアが生産しているのは石油と天然ガスなど、いわゆる天然資源が多く、国家収入の約30%が天然資源の輸出や販売からの税収によるものです。みなさんご存知の通り、原油は以前は1バレル20ドルだったものが現在では1バレル70ドルにまで上がっている。だからロシアのGDPも、8年前は20兆円であったのに対して、今では100兆円を超え、わずか8年で5倍の伸びをみせています。これは、高度成長時代の日本の経済成長率を超えるものです。外貨準備は現在3000億ドルを超えているが、その多くが石油、天然ガスの輸出によるものです。ロシアは世界で1,2番目の石油輸出大国なので、このようになりました。

経済発展が始まるときというのは、お金を貯めて物を作る力を蓄えてから、成長を始めるわけです。例えば中国は1992年に鄧小平さんが市場を開放し外国投資を歓迎するという演説をした。その後93年に台湾、香港から中国への大量の投資が始まる。その1年後に日本やその他からの投資も始まる。その頃から中国の急速な経済成長は始まっているわけです。中国の中にお金がたまり、それをどうやって活かすかがその後の成長に関係してくるわけです。

ロシアは現在そういった大事な時期にある。石油で稼いだお金をこれからどうやって使っていくかということですが、投資が足りないことが問題です。ロシアの投資はGDPの20%ですが、中国は50%もあるのです。もっとも中国の投資というのはバブル的なところがあって、その投資のかなりは建設に向けられている。上海のビル乱立にもそれは見て取れます。

日本の投資がGDPの25%くらいですから、そのように見るとロシアの投資もそれほど低いわけではありません。ただし問題なのは、付加価値を生む製造業、例えば車を作るとか家電製品を作る、という製造業に対する投資が圧倒的に低いことであり、それは全体の投資の13%しかありません。しかもロシアの場合、製造業への投資の中でもかなりが兵器の製造に回ってしまっています。国防費がどんどん上がっていて、それは日本のそれと同じほど(4兆円)になっています。日本の4分の1、5分の1の経済でそれを支えているわけです。このようにロシアの経済は、付加価値を効率的に生む構造になっていないところに問題があり、繁栄が今後も続くということには疑問があります。
 私は、ロシアの農村が非常に心配です。ロシアの土地というのはつい最近まで国有でした。しかし、最近中国と同様に、50年間ほど土地の占有権を認める法律を採択しました。実質的に土地が民営化されたのです。大都市近郊の農村では、農民が自分の土地を金持ちに安く売り渡してしまう例が増えているようです。ロシアの農民は自分の土地を持ったためしがないので、「権利」を売却したからと言ってまさか追いたてを食うとも思っていないのではないでしょうか。

 石油などの収益から、ロシアに多くのお金は入ってきますが、国内では銀行システムがまだ十分発達していないし、国内で大資本を投資できるだけのプロジェクトが少ない。そのため、せっかくの資本は海外へ流出してしまっています。海外で何に投資するかというと、他の国の企業を買収するわけです。アルミニウムや鉄や金関連の企業をどんどん買収していっている。しかし心配なのは果たしてこれら買収された企業がうまく経営されるのかということです。外国人がリストラされ、ロシアの株主は左団扇ということでは困るのです。

(政権の保守化?)
 それから、ロシアの現在に関してですが、プーチン政権が保守化したとよく言われています。昔のソ連時代に戻ってきたとよく言われています。それは誇張した言い方なのですが、一面の真実をついている。そして、ロシアの大衆はそれを望んでいるところがあります。ロシアでは自由が制限されているとよく言われますが、ロシア人自身は身内では自由に振舞っています。大衆レベルでは、我々の言う抽象的な「自由」よりも欲しいものがあります。1つは治安です。日本という安全なところに住んでいると分からないかもしれませんが、ロシアでは93年ころは路上を安心して歩くこともできなかったほど犯罪が蔓延していたのです。そういった混乱した社会の中でロシア国民が一番欲しがっていたのが治安でした。1917年2月の2月革命の後、サンクトペテルブルクで住民が自警団を組織したように、治安は市民が最も必要とするものなのです。

そのような市民の願いを体して出てきたのが、プーチンでした。プーチン自身が秘密警察出身であり、プーチン政権の主要なポストを占めている人々も秘密警察出身の人が多い。警察の人というのは性悪説で人間を考えるところがあって、「人間は本質的に悪いことをする生き物だ」と決めつけている人が多い。現在のプーチン政権を構成している秘密警察の人々は、そういうやり方で、国も治めています。
例えばロシアではテレビによって情報を得ている人が多いので、当局はテレビを押さえてしまいました。社長を変えて、報道振りを監督するようになった。そういう社会が戻ってきたわけです。しかし、これは独裁化というとそうではない。要するにプーチン大統領が独裁をやりたいから独裁をやっているのではなく、大衆の輿望を担って、大衆の利益のために強権的政治をしている、こういう風に思ったらいいと思います。

それからもうひとつ最近一番新聞で書かれていることは、プーチン大統領がアメリカにたてをついて見せることが多くなってきたということです。例えばアメリカがイラク戦争を始めたときに、プーチン大統領は随分抵抗しました。それから、イランではロシアが現在原子力発電所を作ろうとしている。これも、アメリカは止めるように求めているが、ロシアは止めようとはしていません。

ロシアは90年代に、非常な屈辱を世界的に受けたわけです。GDPも2分の1、3分の1に落ちてしまいましたし、政治も不安定でした。ところが、石油の価格が上がって、GDPが、4倍、5倍に増えると、昔の軍事大国の奢りがロシア人の心の中にまた出てきている。特にエリートや政府の連中にそれが見られ、「ロシアは大国なのだ」という人が増えてきている。「何で大国なのか」と聞くと、「ロシアはエネルギー大国」であると答える。最近寒くなって、ロシア国内での天然ガスの消費量が増えたものだから、西欧、特にドイツへの供給量が減ったわけです。そういったところから、冷戦がまた起こってしまうのではないか、といわれているわけです。

現在でも核弾頭がロシアに4,000ほど残っていて、アメリカには5,000ほど残っている。しかもアメリカは、ポーランドとチェコに「イランから発射されたミサイルを撃墜するため」のミサイルを配備しようとして、ロシアと争いになっている。ロシアにしてみると、アメリカのミサイルはロシアのミサイルを破壊するために配備されるように見えるからです。ロシアもアメリカもこれから大統領選挙があるわけです。ロシアは来年(2008年)の3月、アメリカは来年の11月に大統領選挙があります。選挙の前、大統領候補は、国内での人気を取るために色々しますので、米ロ間の言葉のやり取りは益々激しいものになっていくでしょう。例えば、ロシアの大統領候補は、「アメリカ人というのはみんな悪者だ」ということを言う。そうするとロシア人はみんな「そうだそうだ」と言って、投票してくれる。アメリカでも同じことで、プーチン大統領はけしからんと言うと、国民の同意を得やすくなる。このように、選挙のときというのは国際関係が緊張しがちである。そういう中、我々は言葉に騙されずに、冷静に考えなければならないわけです。

 多分冷戦は起こらないであろうと思われます。ひとつには、ロシアにその力がない。ロシアには現在100万人の軍隊がいます。以前は400万人くらいいたわけですが、現在では100万人と少なくなっている。このように、冷戦をしようとしても人が足りない。また、ミサイルを作るお金も足りない。固体燃料であるミサイルには賞味期限があるというと驚かれるでしょうが、使用可能なミサイルの数はロシアでは急速に減少しているのです。ですから、基本的にはロシアは昔の超大国ではなく、昔のブラジルのような「中の上」程度の国となっている。ただ、エリートの態度がものすごく大きい。ここで、現在のロシアについて質問等ございましたらお受けしたいと思います。

(現在のロシアについての質疑応答)
質問者:アメリカとの関係で冷戦の可能性は薄いとおっしゃっていましたが、それと同時に、ロシアの他に有力になっている国が非常に多いかと思います。つまり、中国やインド、また特に日本などとの関係について、今後のロシアの行動を予測していただきたい。

河東: ロシアにとって一番怖いのはアメリカで、それは中国にとっても同じです。ここで両国は協力ができる。だがロシアは、アメリカも怖いのであるけれども中国も怖いのです。中国というのはロシアの領土を侵すかもしれない。ロシアが現在のような大きな国になったのは19世紀になってからです。ロシアがウラジオストックを自国の領土としたのは1860年です。15世紀のロシアは、領土的にはモスクワ周辺のほんの小さな国でした。極東部分の領土というのは、実際には清帝国から奪ったものなのです。それからシベリアは黄色人種が住んでいるところですが、ロシアはそこを征服して植民地としていったものです。このような背景もあってロシアは、中国が自分達がしたのと同じやり方で支配を広げようとするのではないかと恐れています。中国人の人口の多さ、経済発展、また兵力の強化、そういったものがロシアの中国への懸念をうんでいるのです。また、ロシアの極東地域にも中国人が100万人ほど住んでいて、増えています。そのため、ロシアの都市が彼らに取られるのではないかと恐怖心を強く抱いています。ですから、ロシアと中国との関係というのは一筋縄ではいきません。しかし、アメリカが現在の政策を続ける限りでは、ロシアと中国はくっついたまま離れないと思います。

日本とロシアの関係ですが、今は領土問題を動かすに適した時期ではありません。現在は、双方にとって利益になる限りにおいて経済関係を進めるべき時期です。例えば、日本の自動車企業、家電企業は既にロシアに進出しています。それから原子炉です。ロシアには原子炉が足りなくなっていて、日本の業界は大きな関心を示しており、年内にも原子力協力協定を結ぶことにしています。

質問者: 先ほどのロシアのナショナリズムに関連しての質問です。まず第一に、チェチェンに関して、ロシアの知識人や大衆一般はどのような考えを持っているのでしょうか。特に、例えばチェチェンに関してロシア側に不利な報道をした女性ジャーナリストが暗殺されたりしましたが、それは先ほど言われた大衆的な独裁を望んでいるのだということが前提だとすると、そういうことはしょうがないと考えているのか、あるいはやはりロシアはおかしいことになっていると大衆も懸念を感じているのか。
2番目には、ソ連崩壊から現在に至るまでの歴史を知識人や大衆はどう評価しているか。ようやく回復するにあたりましたが、その間における崩壊から90年代の混乱というのは、必然だったのかそれともそのほかの道はなかったのかということです。その頃のエリツィンやゴルバチョフ大統領はどう評価されているのか。

それから3番目に、ソ連崩壊に伴ってバルト三国や中央アジアであるとか、あるいはロシア人が少数民族になるという問題があった。そういったところで、旧ソ連圏のロシア民族の一致団結を望むようなナショナリズムというものは、今後再度出てくる可能性があるのかどうなのか。例えば、バルト三国における独立に対してロシア人が武力を行使する可能性などはあるのか。そのあたりをお聞きしたいと思います。

河東: チェチェン問題は、プーチンが大統領になれた最大の要因だったわけです。プーチン大統領は最初は首相でありましたが、彼が首相になってすぐにモスクワでアパートが爆破されて多くのロシア人が亡くなった。爆発させたのはチェチェン人であった。それに対してプーチンは首相としてチェチェンに軍を派遣した。これが第二次チェチェン紛争です。この行動はロシア国民に大変評価され、プーチンの人気はうなぎのぼりに上がっていった。そういった中、エリツィンがプーチンに大統領を譲るわけです。ですから、チェチェン問題はプーチンを大統領にした最大の理由になっているのです。ところが、ロシア国内の関心はだんだん変わっていく。1つには、大きなテロが最近起こっていないということと、生活が豊かになってきて、チェチェン以外の他のことが大衆の関心になっていった。それから殺された新聞記者については、おっしゃられたとおり、大衆は大きな関心を持っていない。要するに、報道の自由やチェチェンで行われていることなどは、大衆の関心を惹いていないわけです。

 ソ連の崩壊の歴史をロシア人はどう受け止めているのかということですが、過去に起こってしまったことはしょうがない、そして過去には戻りたくはない、というのが大部分の意見です。他の道が無かったかというと、そうではなく、ソ連的な計画経済をかなり残したまま、現在の中国のような発展の仕方をするという道も残っていたとは思いますが。

今エストニアで起こっていることは、ソ連兵士の銅像を町の中心から郊外に移したところ、エストニア国内のロシア人から抗議を受け、ロシア本国のロシア人からも抗議を受け、エストニアに対する石油製品の供給が3分の1、4分の1に減らされたということです。しかし、武力の行使というのは考えられません。


国家としてのロシアの特質
では、話を続けさせていただきます。国家としてのロシアの特質についてお話を申し上げたいと思います。ロシアは、その歴史の当初は商業都市国家の集まりでした。当時の文明の中心地コンスタンチノープルの北側には黒海がありますが、そこにドニエプル川という大河が注いでいます。この川を遡っていくとサンクト・ペテルブルクの近くに水源があってそこで終わるわけですが、そのすぐ傍数キロメートルから別の河が流れていてそれはバルト海に注いでいます。で、ロシアの商業都市国家を築いた人々は、バルト海を通じてコンスタンチノープルとヨーロッパの間の中継貿易を営んでいた。つまり、ロシアというのはシルクロードの一番端にできた商業都市国家であり、ここは専制国家ではなく商人達がルールを作り、市長をえらんで町を作っていた。都市国家間の結束を欠いたために、13世紀モンゴル人に征服されてしまい300年ほどその支配下に置かれていた。ですから、モンゴル時代の権威主義的なものが、現在の強権的な政治のあり方につながっているのだと考えられます。

ところで、モンゴルによる征服の後、都市国家の中にモスクワ公国というものができます。それは非常に小さな国でしたが、モンゴル人のために税金を集める事務を受託してどんどん大きくなっていきました。それでも現代のロシア人は、今のロシアを放っておくと過去のような都市国家や小さなモスクワ公国のようなものになってしまうのではないかという恐怖心を持っています。それが、日本との領土問題を難しくしているものともなっていると思います。

ロシアにはルネサンス、宗教改革が起こりませんでした。つまり、個人の精神の解放というプロセスがロシア史にはなかったのです。いやむしろ19世紀半ばまで国民の圧倒的多数が無権利の農奴の身分に貶められていたのです。大衆には権利意識がなく、エリートと大衆の間の意識は完全に断絶し、互いに憎悪する対象でしかありませんでした。

所有意識、権利意識が無いといいましたが、それには「ミール」という集団所有の伝統の存在があります。現在のロシアの体制もミール時代からの影響を受けていると僕は思っています。ところが、日本の経済発展をみてみると、土地の個人所有というのはものすごく確立していた。江戸時代末期、明治時代のころから農民が自分達の耕す土地を所有しているという意識が確立していた。ここまで土地所有意識の高い国というのも世界では珍しいです。日本とイギリスが際立っていますが、ロシアではそれがありません。

革命、改革の力学
ロシアという国からは、国家論、または「改革学」、「革命論」のようなものを作り上げることもできます。私はソ連が崩壊した時にモスクワに住んでいて、その過程をつぶさに見ておりました。そこで得た所見の一つに、国家というものは人工物だ、人工物だから壊れることもある、ということがあります。日本に住んでいれば、日本が壊れるというのは想像つかないかもしれない。国家というものは様々な利権が集まってできているので、本来は皆微妙なバランスを壊したくないのです。しかし経済が悪くなってくると、国家というものも特定の時点で破断を起こすことがあるのです。

 それから秩序というものは何かということも、当時のロシアに住んでみて身にしみてわかりました。秩序というのは治安のことだけでなく、経済面では「誰が何を差配していて、誰が誰より偉いのか」ということで、つまり「何かが欲しいときは誰に頼めばいいのか」ということがはっきりとしている社会のことを意味するのです。特に、ロシア人にとってはそうです。ロシアというのは規制の多い社会でしたから、何をするにもコネが必要であった。自動車を買うときも、アパートをもらうときにも「ウェイティング・リスト」がありました。1992年当時、ロシア人に何が一番困ったかということを聞くと、「コネが無くなってしまったこと」と答えていたのです。誰が誰より偉いということが分からなくなってしまった。

1991年、ソ連政府は徐々に崩壊していったのですが、その過程で如実に見えたものがいくつかあります。一つは「国家は税金なり」ということです。各民族共和国がエリツィンの煽動に乗ってモスクワに税金を払うのをやめたために、中央の各省からは櫛の歯が抜けるように官僚達が辞めていきました。他方、惰性で動いているものもあって、それは例えば大混乱期にも公共交通機関は曲りなりにも動き、電気、水道、ガスの類もちゃんとでてきた。

 すべての生産手段が国家に属している社会主義経済を市場経済に変えるのは、多大の困難を伴います。多数の国営企業が安価に民営化されるわけですから、そこには当然利権の奪い合いが起きる。利権を多く奪った者は今度は政治的影響力を高め、自分の利益を守り、拡大するために動こうとするわけで、そうなりますと「民主化」、「民営化」という美しい言葉で彩られている改革も実は利権争奪戦でしかないことになります。エリツィン政権下では大統領と議会が政治路線をめぐって激しく争いましたが、内実は利権闘争であった面も多々あるのです。

それから、ロシアは革命や改革というものの本質を認識するためには貴重な実例となります。革命は社会の秩序を破壊しますから、そこでは人間の欲望や野心が渦巻きます。しかし社会の富を生み出す「生産手段」を誰が持っているか、ということに大きな変更がなければ、革命は一時の情熱で終わってしまい、社会は結局変わらずじまいなのです。フランス革命においては、貴族の土地が随分農民の手に移行しました。1990年代のロシアが革命を経たかと言うと、所有権の点ではいくつか留保をしなければいけない。昔の共産党エリートが今では企業家に転じているのはいいとしても、市場経済のノウハウを必ずしも身に着けていない例があまりにも多いからです。

ロシアを見ていると、「改革の力学」というのもよくわかります。ゴルバチョフは社会主義を再活性化させるために「改革」を標榜した。するとエリツィンが出てきて「ゴルバチョフの改革は生ぬるい。もっと改革をしなければだめだ」と言って大衆を煽った。「改革」が何を意味しているか大衆は一向にわからなかったが、エリツィンのような信頼できる男についていけば何かいいことがあるだろう、利権を独占している共産党を解体して富を分けてくれるだろう、と考えた。そのような大衆の支持を背景に、エリツィンは遂に権力を手に入れ、92年には「改革」に乗り出す。それまで国がものの値段をすべて決めていたのを、92年1月には自由化したのですが、その結果起きたことは6,000%のインフレでした。「改革」という言葉につられた大衆は、かえって自分の貯金を失う羽目に陥ったのです。
つまり、「改革」というものはいつの時代、どの国でも、大衆の負担なしに実行できることは稀なのですが、大衆を煽ることのうまい政治家は誰かを敵に仕立て、「あいつを倒すためにこの改革をやろう」とやるから最初は大衆の支持を獲得してしまうわけです。

ロシアを見ていると政治学のベーシックがよくわかる
それから、ロシアを見ていると、政治学のベーシックというか、民主主義のいろいろな道具立てがどうして必要なのかがよくわかってきます。我々日本人は、民主主義というのは国民の一人ひとりの声を政策に反映させることだと思っています。しかし、イギリスやアメリカなど民主主義の本家と目される国々でさえ、一人ひとりの声を政策に反省させることは無理です。実際には民主主義は、選挙という非武力的手段で国内の資源配分にお墨付きを与えていく制度、とでも言えるでしょう。選挙という装置があるために、政治家の間には激しい競争が生まれます。商品と同じで、品質、人格等の優れた政治家が当選する建前なのです。そして議会においてものごとを決めるには、政党が必要になる。90年代初期のロシア議会では政党が乱立し、それこそ「一人一党」という状況で合い争っていましたから、ものごとは決まらなかったのです。ロシアは、民主主義の本質、民主主義の諸装置の必要性というものを考える上で、非常に貴重な体験を提供してくれました。
 
「計画経済」の幻想
僕が学生の頃はマルクス主義が盛んで、学生の多くは共産主義とかソ連について随分真剣に考えていたものです。今ではそのようなことはありません。ただ、「計画経済」的なアプローチに惹かれる青年達が増えているような気がしています。「インターネット万能主義」とでも言いましょうか、IT技術によって社会をうまく運営できるのではないかと考える人たちが増えているようです。
しかしソ連に住んだことがあれば、計画経済は所詮不可能であることがよくわかるでしょう。それはIT技術が未発達だったためではない。要するに人間の気持ち、人間の行動というものは計画化できないから、経済も計画化できない、という単純なことなのです。例えば、みなさんがiPodを買って、それが売れ出す。そうすると100万台増産しなければいけない。するとその分の半導体や金属が必要になるわけです。米国や日本ならばそれは簡単に手に入ります。市場経済だからです。しかし、ソ連の計画経済だと、どこにも余分の半導体や金属は売っていません。すべては計画通りにしか生産されなかったからです。それに今年のノルマである100万台を作れば、その後は何もしなくてもボーナスや給料が入る、それが計画経済だったのです。

こういう計画経済というのは、国民の自由を縛ります。全ての生産手段を政府が握ると、自由が抑圧されてしまう。物を自分で自由に作ることも、そのために銀行から融資をもらってくることもできません。夏、企業の海の家や山の家に行って休暇を楽しもうと思っても、労組の幹部に付け届けをしないと順番をまわしてくれない。社会はコネと付け届け、賄賂で回ることになります。そう考えると、我々がこれまで勝ち取ってきた自由というものがいかに貴重なものかを考える必要があります。日本は満州事変以降、陸軍の地位が上昇し、陸軍が社会の自由を統制するまでに10年かかりませんでした。今、いくら自由に見える日本の社会でも、危険はどこにでも隠れているのです。
 
質疑応答
質問者:お話ありがとうございました。ロシアの周辺諸国は、ロシア語の学習よりも英語の学習の方に力を入れていると聞きました。そうするとロシア語の地位が落ちてきていると思うのですが、どうなのでしょうか。

河東氏:そこはまだ分からないところではあるのです。地域によってトレンドは異なるでしょう。中央アジア諸国などでは一時ロシア語の地位が落ちましたが、ここのエリート達は相変わらずロシアにノスタルジアを持っていますし、大衆もロシアに多数出稼ぎに出ていますので、ロシア語への関心は最近盛り返してきました。
質問者:共産党の支配の時代から、そうでない時代にかけて、支配階級の中身が変わるということでしたが、そこでは何でもなかった人がエリート階級、あるいは有産階級になれたのか。また、共産党のいわば政権関係者が完全に没落したという人はどのくらいいるのでしょうか。

河東氏:その問題については、詳しい研究がいくつか発表されています。結論は、90年代初期の社会階層間の流動性は激しかったけれども、それは革命的と言えるほどのものでもなく、ソ連時代のエリートの多くは市場経済化の中でやはり主導的ポストを得た者が多い、92年の大混乱期に商売に手を出して瞬時に金持ちになり、その後有力者への階段を駆け上がった者もいるが、それは圧倒的少数である、ということです。

91年8月、エリツィンが共産党の活動を一時禁止し、その資産を押収したことがありますが、その翌日から中央委員会の幹部が書類カバンを小脇に地下鉄で民間団体に通勤したり、党の財務の秘密を握る幹部達が相次いで自殺する局面もありました。他方では、ソ連時代から市内の一等地に住んでいた若い幹部は、ソ連末期に石油輸出のライセンスをせしめて、ソ連崩壊後もそれで豊かに暮らしている、そういった例もありました。

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