Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

2007年03月01日

中央アジアは日本の何なのか? 日本は何をできるのか?

(「国際開発ジャーナル」3月号に掲載)
Japan-World Trends代表
河東哲夫

まだら模様の中央アジア各国情勢 
 独裁的権力をふるったニヤゾフ大統領が急死したトルクメニスタンでは、2月11日に大統領選挙が行われ、ベルドゥイムハメドフ現大統領代行が選ばれて、公安機関の力を背景にニヤゾフ時代の内外政路線をほぼ継承している。キルギスは、アカーエフ大統領時代に選ばれた議会が既得権益保持にこだわり情勢を不安定化させているが、内乱状態になることは彼ら自身ばかりでなくロシア、周辺諸国が望んでいない。
 
ウズベキスタンは1月22日に大統領の任期が終了するのに、大統領選挙は12月ということに今のところなっており、この奇妙な法的真空期間をどうするのか、そしてカリモフ大統領の統治はこれからも続くのか、という問題に答えが示されていない。但し国内は、強権政治で安定が維持されている。タジキスタンはラフモノフ大統領が昨年再選されたし、内戦が終わって経済が回復しつつあるため、中央アジアの中では成長株になってきた。
 
そして石油価格高騰の恩恵を享受するカザフスタンは域内随一の経済大国にのしあがり、昨年再選されたナザルバエフ大統領はこの1月には新内閣を発足させて、権力基盤を確固たるものとした。現時点では中央アジアの中で最も対外的イニシャティブを取れるだけの余裕と力を持った国となっている。
 
 こうして中央アジアは今年、各国まだら模様の中で大崩れはしない、しかし特定の方向で何かがまとまって大きく進むこともないだろう。他方アフガニスタンではタリバン勢力が復活しつつあり、彼らが中央アジアのテロ勢力への支援を再開すると、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンがその脅威にさらされやすくなる。その場合これら諸国は、民主化、市場経済化の改革をいっそう控え、強権によって治安と安定を維持する方向を取るだろう。

中央アジアを考える上での基本的な諸要素 
 このような中央アジアに対して日本がどう臨んでいくかについて述べる前に、この地域の基本を復習しておきたい。
 まず、中央アジアは「アジア」という名がついており、かつ我々と同じような顔をした民族がいるものの、東アジアの儒教文明とは異なる文明圏に属しているということだ。彼らはメソポタミヤ、ペルシヤの流れ、そしてトルコ、モンゴル等遊牧民族の流れに属している上に、ロシア帝国、ソ連の支配を受けて、そのメンタリティーは我々とは似て非なるものになっている。
 
 次に、旧社会主義諸国と言うと我々はすぐ、民主化・市場経済化というスローガンを条件反射のように口に出すが、民主化は利権闘争、市場経済化は格差を助長するので、短期的には社会を不安定にする、ということだ。そして国民の大多数にとっては、民主主義より明日のパンが公平に分配されることの方が大事なのだ。かと言って、現在の社会構造のままで我々が援助を行えば、既得権益層の権力保持を助け、改革を遅らせてしまうのだが。
 第三に、中央アジア諸国が感じている安全保障上の不安を解消しない限り、彼らは対ロシア依存をやめられないということである。安全保障上の当面の不安、脅威は、アフガニスタンにある。アフガニスタンでの情勢が安定しないと、中央アジアからインド洋へ出る商業ルートの設定もできないし、ロシアの軍事力への依存も解消できないということだ。

日本の政策―――これからどうする? 
 日本は、ソ連が崩壊して数年後の94年頃には対中央アジア外交を本格化させた。97年には橋本総理が「シルクロード外交」を明らかにし、中国、ロシア、南西アジア、中近東に挟まれた戦略的地域である中央アジア、コーカサス地方への影響力拡大競争、そしてエネルギー資源獲得競争に参入する姿勢を明確にしたのである。そして昨年8月には小泉総理がウズベク、カザフ両国を訪問して、これらの成果を固めた。日本の地位は中央アジア5カ国で高低があるが、平均すれば高いところにつけたと言っていい。
 
 そして2004年に始まって以来、昨年は東京で外相会合を開くにまで至った「中央アジア・プラス・日本」という協議フォーラムは、中央アジアの目を上海協力機構などの狭い地域協力から広く世界に向けるものとして、また中央アジアが将来ASEANのようなまとまった存在となることを慫慂するものとして、非常に貴重な存在である。

 中央アジア問題の本質は、ソ連崩壊の後始末なのであり、その点、現在に至るも世界の紛争の種となっている地域を生み出したオスマン・トルコ帝国崩壊の轍を踏まないようにしなければならない。新しい独立国で大国が無益な勢力争いを起こさないように、中央アジア地域の安全を集団で保障できるように、これら諸国の指導者が自分で国内の経済発展と民主化を推進するように、そうした環境、仕組みを作ることが対中央アジア政策の目標となるべきだ。また中央アジアが将来、ASEANのようにまとまり独自の発言力を持つようになれば、この戦略的な地域において日本外交の得難きパートナーとなるだろう。

 日本は現在、ユーラシアに「自由と繁栄の弧」を作ることを政策として掲げるに至った(昨年11月30日、国際問題研究所における麻生外相スピーチ)。繁栄は安定を生み、生活水準の上昇は国民の権利意識を高めて自由と民主主義を生む。また貧困がテロリストを生むことも防止できる。それは他ならぬ明治以後の日本や戦後の韓国が証明していることで、ユーラシア大陸の知識階級の一部には強い訴求力を持つ。
 
 米国、EUは民主主義、市場経済の原則を、日本よりも更に前面に出す。もっとも彼らの内部も一つにまとまっているわけではなく、人権が改善されない限り援助を差し控えるべしとする原則派から、反テロ闘争等のためには中央アジアを「エンゲージ」(善導)していくべしとする現実派まで様々ある。
「自由」、「民主主義」という言葉は、開発途上国の支配階級にとっては社会を不安定化させ、レジーム・チェンジをもたらしかねない危険なものでもある。学生でさえこれらの国では、性急な民主化よりも安定の維持の方を重視している。そして大衆にとっても、民主主義より明日のパンの方が重要なのだ。従って、民主主義、市場経済、コンプライアンスなどという原則は無視して、既得権益を差配している現在の政府に取り入ろうとする諸国もある。

 日本では、中央アジアについて特定の立場を強く推進しようとする民間の動きはないので、政府は原則と現実の間でバランスを取りながら、総じてエンゲージの政策を取ってきている。「自由と繁栄の弧」も、そのような政策の範囲内にあるだろう。これはいわば山の上に翻る旗印であり、麓の平原では状況の展開に即した現実的な政策を展開していくことになるだろう。

 自由とか民主主義に加えて、日本はもう一つのセールス・ポイントを持っている。それは、中央アジアの独立性の維持と発展、中央アジアの結束の強化は、これら諸国の利益にだけでなく、日本外交の利益にもぴったり一致するということである。つまり、日本はこの地域で、「私心」を持たない仲介者の役割を果たすのに最も適した大国なのである。
 では、具体的にはどんなことができるのか? 

中央アジアをASEANのように
 「中央アジア・プラス日本」に類する動きは米国、EUも別個に開始した。従ってロシア、中国なども包含してこの地域の経済発展や安全保障を話し合う、アジアで言えばARF(ASEAN地域フォーラム)、欧州で言えばかつてのCSCE(全欧安全保障協力会議。1974年。米国、ソ連も加わって、欧州の国境の現状を認め、信頼醸成措置を定めた)のようなものを創っていってもよかろう。
 
 但し関係諸国が口先だけで中央アジアの安全を保障しても意味は薄いのであり、実際の脅威をあらかじめ減殺しておかなければならない。それは何よりアフガニスタン情勢の安定化である。また経済面においては、道路整備や電力網整備等、中央アジア諸国の経済関係緊密化に資するような案件にODAを集中的に振り向けていくことも必要だ。
 
 現在、ウズベクのカリモフ大統領とカザフのナザルバエフ大統領の間に、信頼関係が復活しつつある兆しがある。仲が悪いと言われる中央アジア諸国も、権力保全のためには協力するし、また鉄道、電力、郵便などの実務では緊密な連携が日常的に行われている。中央アジアがASEANのようになることは、時間がかかるとしても決して夢ではない。
 
 最後に、次のことを言っておきたい。どのような「戦略」を考えるにしても、現地の利権・人脈構造を無視したものは短命に終わる。また美しい戦略を提案しても、日本政府にロシア語や現地語をマスターした要員が足りない現状では、相手を説得したり、スキームを運営していくこともできはしまい。「戦略」は自分の身の丈も見て、作らなければいけないのだと思う。                               (了)
 

コメント

投稿者: 岩浅紀久 | 2007年03月01日 03:44

 小生自身、勉強不足で中央アジアの事を殆んど知りませんでしたが、河東様の論文を拝読する中で、少しづつ理解が深まりつつあります。
 その中で、現在中東で起きている様々な問題が、石油利権と何等かの関係がある事を思う時、いつどんな形でウラン25%を持つ中央アジアへと問題が移行するか、またそんな事にはならない手が打たれつつあるのか、心配しています。 中東の場合はユダヤのシオニズムと絡んできますから、性格は異なるでしょうが、昨今のUSAの政治的軍事的Behaviourを見ていると何か中央アジアについての準備が始まっているように思えてなりません。
中東に関わっているが故の心配過剰反応でしょうか?

(カザフスタンは米国石油資本のプレゼンスが高いところですが、米国は平和的にビジネスをしています。
ウランがあるからすぐ武力を使うということにはならないと思います。アメリカでもウランが不足してくることは確かですが。
河東)

投稿者: 杉本丈児 | 2007年03月01日 07:47

 かつて、ウズベクを訪問した際、現地の人たちが「現状にいろいろと不満はある、ただ、唯一以前より安全(治安)が保障されていることを評価したい」と述べていたことを思い出しました。
 さまざまな国に支配され影響を受けた歴史を持つ国民にとって、自らの国家建設に思いをはせることの大切を知りながらも、その夢の実現よりも日々の生活の豊かさを強く望むことは致し方ない部分もあるのかも知れません。
 ただ、日本の役割、役目をウズベクをはじめ中央アジア諸国とどのようにリンクさせるのかは、日本独特の支援・援助のやり方があるのではと思います。
 また、他の先進国に先駆けて、日本がアジア諸国の中で中央アジアとの関係をゆるぎないものにしていく21世紀にしてもらいたいと切望する者の一人です。
 今後の展望に、大いに期待してしています。
 

投稿者: 高月 瞭 | 2007年03月01日 11:52

河東哲夫様の論説に大変興味を覚えました。日本が何を出来るかと言う問いには、なかなか見えてきませんが、ロシアも含めて欧米諸国はともすると自分たちの価値観を押し付けたがる気がしてなりません。やはりそれぞれの国の人々が幸福になるためには何が出来るかと考えたいと思います。自由主義とは突き詰めればきわめて野蛮な思想で強い者勝になります。民主主義もその土台がないところに育ちません。中国のような資源獲得のためになりふりかまない外交だけは避けていただきたいものです。

投稿者: 枝村純郎 | 2007年03月01日 12:53

ASEANを中央アジア域内協力のモデルに、との御主張に同感です。私も、中央アジアの指導者にNo prosperity without coprosperityを説いてきました。ASEANも、かつてはA Strange Entity of Ad hoc Nature(矢野暢さんの造語)といわれた時代があったのです。そのASEANが、今日の押しも押されぬ地域機構に発展する過程を助けるため、日本政府は意識的な努力をしました。ASEANを地域機構として認知し、その存在感を強めるため、1970年代にアジア局にいた私が、よく使った譬えは「現状ではなく、あるべきの姿に向かって球を投げろ」ということでした。捕手は盗塁阻止の球を、二塁手や遊撃手に向かってではなく、二塁ベースをめがけて投げる、ということです。ますますのご健筆を祈ります。

(有難うございます。中央アジアの結束をできるだけ固めたい、などと言うと、できっこないと嗤う方々もいるのですが、現実に固執していては何も変わらないと思います。
それに中央アジア諸国の首脳達は、厳しい言葉のやり取りをしたかと思うと、次の瞬間には手を握り合っているのですから、結束を進められるところは今でもあるのだと思います。「明日に向かって撃て!」とのことで、本当にそういう姿勢が必要だと思います。
河東)

投稿者: 森田明彦 | 2007年03月01日 14:03

河東先生、そして枝村大使のご意見、コメントにたいへん触発されました。
私は現在、東京工業大学の国際連携プランナー(特任教授)として、東工大の国際連携のために働いておりますが、カザフスタンをはじめとする中央アジア諸国の大学関係者とも真剣に付き合っていこうと思ってます。
来週にはカザフスタンに出掛けることになっております。
貴重なご意見をありがとうございました。

投稿者: 中沢賢治 | 2007年03月01日 23:33

「中央アジア問題の本質は、ソ連崩壊の後始末である」として、オスマン・トルコ帝国の崩壊後と比較する河東先生の視点に深く共鳴しました。現在バルカン半島ではボスニア支援の継続、コソボの地位確定後の支援について欧州各国により活発な議論がなされていますが、これに比べると、中央アジアに関する議論が少なすぎて残念です。ソ連崩壊後、日本でも欧州でも書店の店頭からロシア語の学習書が減りましたが、多くの人口と民族を抱える旧ソ連圏・ユーラシアにおける共通言語としては残念なことです。ロシアと中央アジアの双方にくわしい河東先生の分析は、今後ますます重要になると思います。ご健筆をお祈りします。(在スコピエ)

投稿者: 袴田茂樹 | 2007年03月02日 08:26

河東大使のご意見、拝読いたしました。3月15日に、大使もメンバーのIIST・中央ユーラシア調査会が公開シンポジウム『独立15年、中央アジアの政治と経済― 関係国の民主化評価と外交戦略』を開催しますが(担当 富所 03-3503-6621)、開催関係者として、大使の見解はたいへん参考になりました。どのような「戦略」を考えるにしても、現地の利権・人脈構造を無視したものは短命に終わる、とのご見解、現地で仕事をした者でなければ言えない重要なポイントだと思います。
 麻生外相の「自由と繁栄の弧」ですが、中央アジア諸国も注目しています。しかし気がかりなのは、安倍首相や関係方面とじっくり練り上げた真剣勝負の国家戦略とは見えない、という点です。これを単なる思い付き的なスローガンではなく、本格的な戦略にするためには、わが国の国家としての基本的なスタンス明確にし、相当な覚悟も必要です。もちろん対中政策、対露政策も深く関わってきます。どの程度深く考え抜かれたものなのでしょうか。
 貴重なご意見、有難う御座いました。枝村大使はじめ各氏のコメントも拝読いたしました。

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