中央アジア情勢メモ 09 7
中央アジア情勢 2009年7月周辺
09,8.15
河東哲夫
1.概観
(1)旧ソ連諸国首脳から瀬踏みされるメドベジェフ大統領
(イ)金の切れ目が縁の切れ目というわけではあるまいが、原油価格急落、サブプライム金融危機のダブルパンチでロシア経済が沈むにつれて、メドベジェフ大統領が露骨に軽視される例が増えてきた。
7月下旬モスクワで、4年目となるロシア競馬・大統領杯レースが開かれ、恒例で旧ソ連諸国の首脳達がお相伴に「招待」された(招待と言ってもほとんど参勤交代のようなものだ)。いつもなら、競馬を見たあと非公式のNIS首脳会議が開けるほど出席率が高かったのに、今回参加を通報してきたのはアルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、タジキスタン、モルドヴァの5カ国首脳だけ。昨年はロシアと係争中のグルジア、ウクライナの大統領も来た。
今年は、ロシアと天然ガス戦争の最中にあるトルクメニスタン大統領は来なかったし、ウズベキスタンのカリモフ大統領も「国内日程がいっぱいだから」と素気無く断ってきた。キルギスのバキーエフ大統領は大統領選直前で来られない。こういうわけで、ロシアだけが承認している南オセチア、アプハジアの大統領を加えて数をかせぐ始末。
(ロ)7月31日~8月1日にはキルギスで集団安全保障条約機構の臨時首脳会議が行われた。この機構の即応展開軍 を充実させるべく、6月の首脳会議で合意文書を回してみたが、ベラルーシのルカシェンコ大統領はロシアと係争中で来なかったし、ウズベキスタンのカリモフ大統領も署名しなかった。そこでロシアはこの臨時首脳会議で全加盟国の署名を得、キルギス南部(バトケンという説がある)にこの即応展開軍を駐留させるところまで合意を取り付けようとしたらしいのだが、ルカシェンコ(今回は出席)、カリモフ両大統領の賛同を得ることはできなかった。
(ハ)まだ1年ちょっとしか経っていないメドベジェフ大統領は、中央アジア、旧ソ連諸国の首脳からまだ瀬踏みされている段階にある。そして現在のロシアは(また)力が落ちているので、それだけ足元を見られやすい。旧ソ連諸国からロシアに出稼ぎに出ている者たちが本国に送る送金額は、08年第3四半期から09年4月までにかけて実に半減している(ロシア中銀)。
だが、プーチン大統領初期も同じようだったのだ。旧ソ連諸国の指導者達から露骨に軽視されるのを甘受せざるを得なかった、彼の悲しげな眼を今でもおぼえている。
(2)ロシアにつっぱるウズベキスタン
最近のウズベキスタンは、ロシアに対しておおっぴらにつっぱっている。既にふれたように、集団安全保障条約機構の即応展開軍拡充・キルギス駐留には強硬に反対している。キルギス南部にはウズベク系住民が多い。それに水資源の管理等をめぐってともすればキルギスと対立しがちなウズベキスタンにとっては、即応展開軍(とは言ってもその実体はロシア軍空挺部隊)が隣国キルギスに駐留することは大きな政治的リスクだ。それに、もう20年も大統領をやっているカリモフ大統領には、メドベジェフ大統領は若く見えるのだろう。
ウズベキスタンを親米から親露に転換させる功績をあげたムハメトシン・ロシア大使の後任は、既に1年近くも送られてきていない。これは非常に異例なことだ。ロシアが提示した候補者に、ウズベク側が難色を示したことがあるとも伝えられている。
(3)中国でのウィグル人問題と中央アジア
(イ)ウィグル人は、文化的・人種的には中央アジア諸族とつながっている。90年代、カザフスタンのウィグル人は18万から21万人に増え、キルギスでは3.7万人が4.7万人になった。ウィグル人は、新疆地方の産品を中央アジアに持ち込む流通にも携わっているだろう。
中央アジアと新疆の間の国境貿易は、08年175億ドル、カザフスタンだけで93億ドルで、カザフ・中国貿易の76%に相当する由(Turan大学の研究者)。キルギスを毎年70~90億ドルの中国商品が通過している。うち30%はロシア、14%はウズベク、11%がカザフスタンへ向かう由。税関では低目に申告しているので、実際には新疆から毎年450~650億ドル分は持ち込まれている可能性がある。
(ロ)ウィグル人は史上、新疆で何かあると中央アジアになだれこんできた。それもあって、中央アジア地元民との関係はよくないようだ。2006年11月にはカザフスタンのアルマ・トイ近郊で両者間の衝突が起きている。
本年7月初めウルムチで騒動が起きた時、カザフスタン、キルギス両政府は、自国民を騒擾地域から引き上げさせたという報道があった。そして8月になると、キルギス政府は地元で反中デモをしたウィグル人を拘束している(後出)。
(ハ)新疆地方への介入を防ぐというのは、中国の対中央アジア外交の一つの大きな目的である。ウィグル人独立運動の根城は中央アジアにはないが、かつては西側諜報機関が中央アジアでウィグル独立運動を支援していた可能性は十分ある。
(4)選択肢の広がるアフガニスタンへの米軍・NATO軍用物資搬入ルート
米軍はこれまでキルギスのマナス空軍基地をアフガニスタン北部方面からの主要な物資搬入ルートとしていたが、一連の交渉の結果今や米国が使えるのはカザフスタンのアルマ・トイ空港(商用機のみ)、ウズベキスタンのナヴォイ空港(商用機のみ)、キルギスのマナス(軍用機)、そしてロシアーカザフスタンーウズベキスタンの鉄道、空路ということになった。
(5)テロリストの動き
6月末パキスタン軍のスポークスマンは、バジリスタンの部族支配地域への政府軍爆撃により、「ウズベキスタン・イスラム運動」(IMU)の頭目ユルダーシェフが負傷したと発表した。
タジキスタン東部へは、ウズベキスタン・イスラム運動の者達がアフガニスタンから「帰国」しつつある。キルギスでは7月、「アフガニスタンから帰ってきたテロリスト」への手入れが行われ、8名を殺す急襲の結果、キルギス人、ウズベク人、カザフ人計18名を逮捕している。
以下、各国の主要な動きを拾っていく。
2.ウズベキスタン
(1)メドベジェフ政権とのボタンの掛け違い、続く
外交においては首脳同士の個人的関係がうまくいくかどうか、双方の貸し借り勘定がうまく合っているかどうかが、非常に大きな要素になる。旧ソ連の諸国間では、この首脳間の個人的関係が普通よりもさらに大きな意味を持つ。これら中央集権諸国においては、首脳が持つ権限が実体経済、そして社会の隅々にまで及ぶためである。
カリモフ・ウズベキスタン大統領は2008年初頭、大統領選直前のモスクワを訪問し、プーチン大統領に言った。「あなたはまだ大統領を続けようと思えばまだ続けられるのに、自ら辞めることはないでしょう」と。その場にメドベジェフ第1副首相(当時)がいるのにも構わずである。
このとき以来、ウズベキスタンとロシアの間はかみあわなくなった。メドベジェフ大統領の顔見世訪問でも、ウズベキスタンは中央アジアの中で後回しになった。
カリモフ大統領は、ウズベキスタンの独立性を自分の誇りとする。彼は大国には恭順の意を表しても、十分な見返りがなければ、国の独立性、自分の誇りの方を優先する。この20年弱の経験で、どの大国もかつてのソ連ほど面倒は見てくれないこと、どの大国もウズベキスタンを服属させることはもはやできないこと、これら大国のいずれかに過度にすり寄ることなく、競り合わせその中から最大限の利益を得ることが可能であることを認識したのだろう。
それにしても、キルギス南部にロシア空挺部隊を駐留させることは、ウズベキスタンとの間で本当に深刻な対立要因となる。確かにタジキスタンにはロシアの師団がずっと駐留しているが、これは空挺部隊ではない。ロシア空挺部隊を駐留させるのであれば、NATO軍と協力する形でアフガニスタン北部にでもおけばいいのである。
(2)経済状態
カリモフ大統領の2月の演説によれば、「08年、公務員の平均賃金は1.5倍になり(全体では1.4倍)、300ドル以上になった。1人当たり実質所得は23%上昇した。08年、輸出は28.7%増え、黒字が増えた」ということであり、本年6月17日閣議では、「上半期GDPは8.2%伸びた。鉱工業は対前年同期比で9.1%、建設は32.5%伸びた。国民の実質所得は25.9%上昇し、貿易黒字は16億ドルとなった」という結構ずくめなのだが、ロシア、カザフスタンでのカネ詰まり、通貨レートの切り下げがウズベキスタンにも影響しないはずはない。先述のようにロシアへの出稼ぎ者からの送金が半減したうえ、ロシア、カザフスタンの通貨が切り下がったことでこれら諸国への輸出が減少するからである。既にタシケント市中では久しぶりにドルのヤミ・レートが現れたらしい。公定レートとの差は25%以上もある。7月末通貨スムは1週間で4.5%下落して、1ドル1.89スムになった由。
3.カザフスタン
(1)慎重な外交
未だ経済が回復しない中で、ナザルバエフ大統領は西側との緊密な関係を維持しつつも、ロシアとの関係も害することのないよう細心の外交を行っている。CSTOの即応展開軍には既に加わる意向を明らかにしているし 、7月下旬モスクワでのロシア競馬・大統領杯レースにもナザルバエフ大統領が参加している
2010年、カザフスタンはOSCEの議長国となる。そのためこれまでは西側の好むような政策を殊更取ってきた。例えばこの7月には死刑が廃止されている(但しテロリストは別)。他方、OSCEに批判されながらも、ナザルバエフ大統領はインターネット規制強化法(地方裁がウェブを閉鎖できる。海外のも)に署名した。微妙なトーンの変化だ。
(2)裏で進む利権の再配分
他方、国内では利権の再配分が着実に進行中のようだ。原子力公社の人事異動もその一環だろう。そしてこのカザフスタン原子力公社はこれまでカナダのUranium One社と協力してきたが、ここにロシアのロスアトムが強烈に食い込んできた。日本の東芝などは利権が確保できるだろうか?
4.キルギス
(1)7月23日の大統領選挙で、予定通りバキーエフ現大統領が圧勝して2期目に入った。出身地の南部で特に高い支持を得た。彼に反対する側は分裂しており、力を示すことはできなかった。
OSCEが派遣した選挙監視団は選挙後、「今回の選挙実施ぶりは、水準に達していない。現職候補が政府機関を手足に使ったり、有権者が脅されたりしていた」とのコメントを発表したが、なしのつぶて。
投票日に野党の統一候補アタムバエフと医師ナザラリエフは、「立候補を取り消す。不法な選挙だ。抗議集会を呼びかける」との声明を出したが、これも変な話だ。結局、「抗議集会」は盛り上がらなかった。
バキーエフ大統領は広報担当者を変えてからイメージ・アップに成功していると言われる。中央アジアの雄、ウズベキスタンとカザフスタンが双方とも初代大統領の下にある中で、トルクメニスタンと並んで第二世代大統領として力を増すことができるかどうか。経済力の実体がほとんどないだけに、その道は険しい。
(2)その経済はと言えば世界経済、ロシア・カザフスタン経済悪化のあおりで縮小中だ。1~4月GDPは、前年同期比で16.6%減少した。報道では5月1日現在、公的債務は23億ドルでGDPの半分に相当。大口は世銀、ADB、ロシア、日本。IMF、世銀が6.2億、ADB5.4億、ロシア4.9億、日本2.8億、IMF1.5億の順番なのだそうだ。
(3)キルギスは、首都ビシュケク近くのマナス空軍基地にいた米軍に撤退を求めてきたが、6月末に米軍残留ということで合意が成立した。もはや基地ということではなく、ただの貨物中継点ということにされ、米軍人はこれまでの免訴特権を持たないこととなった。この点は6月26日メドベジェフ・ロシア大統領が詳しくプレスに「説明」したものだが、これが示すように今回ロシアは、「キルギスのことは自分を通して話をしろ」ということを米国にしっかりわからせたつもりになっている。
そして米国はキルギスに、賃料6.000万ドルを支払う。これまでは1.700万ドルしか払ってこなかった。
(4)7月7日、ロシアのセーチン副首相(プーチン首相の腹心)とセルジュコフ国防相が、やってきた。この2人はタジキスタンで、メドベジェフ大統領の公式訪問の準備をやり、その足でキルギスにもやってきたのである。何をやったのか彼らは一切プレスに説明しなかったが、ウズベキスタンが抵抗している集団安全保障条約機構の即応展開軍部隊を、他ならぬウズベキスタンに隣接するキルギス南部オシュの付近で今は使われていないソ連時代の施設に、ロシアの空挺部隊を中心として駐留させるよう交渉したのだと言う。
(5)そんな中で7月トルコの国防省が、キルギス軍に70万ドルの援助を行った。自動車、行軍厨房設備、通信装置、暗視装置を供与したのだ。ソ連が崩壊した時トルコは、トルコ民族の故地・中央アジアに勢力を拡大する好機と見て一気に進出したのだが、地元民族の反発を受けてその後は流通業、建設業などで地道、しかし着実な進出を心がけていた。
今トルコは、学者(教授)Ahmet Davutoglu外相の下で、非常に戦略的、ダイナミックな外交を展開しつつある(そういうのは高転びしやすいのだが)。7月初め、中国新疆地方でのウィグル人暴動が起きた時、エアドアン首相はこれを「(中国政府による)ジェノサイドであり、国連安保理での審理を求めるべきだ」と公言した。ウィグル人とトルコ人の間に血のつながりを認めての発言だろう。
だが既に述べたように8月には、キルギス政府は国内で反中デモを行ったウィグル人を検束し、中国の圧力に屈したものと受け取られている。
5.タジキスタン
(1)7月30日、ロシアのメドベジェフ大統領が公式訪問でやってきた。ロシアの資金でできたサントゥーダ・ダム・発電所の完成式に出席するのが目玉だった。
ラフモン大統領はメドベジェフ大統領が来訪する約1週間前、ロシア語を公用語として使うことを禁ずる法律の審議促進を命じた。こうしてロシアに圧力を与え、メドベジェフ大統領から少しでも多くの譲歩を引き出そうとしたのだろう。姑息な手段だが、人を拉致しては他国を交渉に引き出す北朝鮮の手口よりはよほどましだ。
(2)タジキスタンはロシアに対して、弱い立場にある。最近では中国から6億ドル以上もの借款を得て インフラ建設を進めているとは言っても、隣接するアフガニスタンに対する守りは、ソ連時代からずっと駐留しているロシアの第201師団に依存している。
そして外貨の半分以上を稼ぎだすアルミニウム精錬も、ロシアのルスアル社が関与しているし、精錬用の電気を作り出すサントゥーダなどの水力発電所もロシアの資金で作られたものだ。また、旧ソ連諸国の中でもタジキスタンは、ロシアへの出稼ぎ者からの送金に最も依存している国の一つであり、正確な金額は不明だが、国家予算よりもその額は大きいものと思われている。
(3)このように依存しているのでは、ラフモン大統領のロシアに対する姿勢も及び腰になるというものだ。ロシア語を禁ずる構えを見せたり、ロシアの第201師団から駐留費を徴収すると言って見せたりしてみても、今回メドベジェフ大統領の来訪で何かをロシアからせしめることができたとは、どの新聞にも書いてない。ロシアへのタジキスタン出稼ぎ者を増やすことや、彼らへの人種差別的虐待をやめさせること、謝罪させることなどはできなかったようだ。
(4)メドベジェフ来訪と同時にアフガニスタンのカルザイ大統領、パキスタンのザルダリ大統領もタジキスタンにやってきて、ラフモン、メドベジェフ両大統領と会談した。ロシアは5月以来、すっかりアフガニスタンに萌えている。
タジキスタンにとってもアフガン、パキスタン両国との関係は重要だ。ロシアが資金を出して作られたサントゥーダ水力発電所は、タジキスタン国内では電力料金を回収しきれず、このままではタジキスタンはロシアに3.000万ドルの負債を払えない。アフガニスタン、パキスタンに西側の資金で送電線を作り、電力を輸出することができれば、その代金でロシアへの支払いをできるようになるからだ。
(5)なお7月初め、ロバート・ブレイク米国務次官補(南・中央アジア担当)がやってきてラフモン大統領と話し合い、首都ドシャンベ近郊のAini飛行場の提供を要請したとの報道があった。この飛行場はロシアの第201師団に提供することで08年、ラフモン、メドベジェフ両大統領間で合意ができたが、その後タジク側は有料、ロシア側は無料を主張して話は進んでいないらしい。
そこに米国が割り込むというのでちょっとした騒ぎとなり、ドシャンベの米国大使館は「Aini飛行場の借用について、米国、タジク両国政府は話し合いを行っていない」という否定声明を出す始末となった。
(6)ミルジヨエフ元緊急事態相が故郷ダビルダルで殺されたことは先月書いたが、その顛末については諸説紛々としている。彼は90年代タジクの内戦時代は反政府の野戦司令官としてダビルダルで活躍していたのだが、今回は昔の野戦司令官仲間アブトゥロ・ラヒーモフ(1997年ウズベキスタン・イスラム運動に身を投じ、アフガニスタンに去っていた)がアフガンでタリバンと決別し、100名を連れて5月に帰ってきたとの報で(その後反政府分子がラヒーモフの下に結集し始めたらしい)、ダビルダルへ赴いていた。ミルジヨエフはラヒーモフと政府軍と間を仲介しようとして、ラヒーモフの兵士に殺された、というのが一つの説である。
そのダビルダルでは7月20日頃、国境硝所が襲われたが、政府側が反撃して襲撃者を5名殺した。5名全員ロシア旅券を持っていたが、チェチェン人のようだった由。ミルジョエフが殺された際にもチェチェン人がいたそうなので、カディロフ大統領によって追い出されたチェチェン人がアフガニスタンで出稼ぎしているのだろう。
(7)そのタジキスタンでは、日本企業との合弁第1号「アバディーン」社が漢方薬の原料栽培を開始した。この地方やアフガニスタンの農民が、ケシに代わって高付加価値の農産物を栽培するとしたらクワとか漢方薬原料がいいのではないかと思っていたら、実際にそれを実行したのが日本人だったとはなんと素晴らしい。
南部ハトロン州で200名を雇用し、高地で甘草を栽培して初期加工もするのだそうだ。これは薬品原料になるし、漢方薬の70%以上に添加されている。本場中国では砂漠化、乱獲の問題があって輸出規制がかかっている由。タジク側出資が51%だそうだから、ちょっとうまくいったら取られてしまうことがないよう、幸運を祈るしかない。
(8)フェルガナ・ルーというロシア語サイトが6月15日、これまであまり資料のなかった、タジキスタンでの日本人戦争抑留者の状況について割と詳しい記事を掲載した(www.ferghana.ru/article.php?id=6203&print=1)。それによると、Spitamen地区に1945年、5.000人ほどの抑留者が連れてこられてダム、運河等を作った由。シベリアと異なり生活条件は良かったし、現地のロシア人女性と結婚した人もいた由(帰国した際、妻子はタジキスタンに残った)。
Plotina村というところに日本人抑留者が葬られた可能性があるが、1958年ソ連内務省の命令で墓地が整地され、農場に返されてしまっている由。
6.トルクメニスタン
(1)かつて述べたように、ロシアは4月、トルクメニスタンの天然ガス引き取りを突如停止した。再開に向けて交渉が続けられているが、ロシアはこの際、輸入価格の引き下げを狙っている。Stratforによれば、対ロ・ガス輸出停止のためにトルクメニスタンの輸出の84%が失われ、毎月10億ドルを稼ぎ損ねている。トルクメニスタンのGDPは約300億ドルである。
(2)そこでトルクメニスタンは7月、イランへの天然ガス輸出を年間60億立米から140億立米に引き上げることを決めた。また中国との関係を飛躍的に拡大しつつある。
ニヤゾフ前大統領は中国に、2010年から30年間、毎年300億立米のガスを輸出することを約していたが、現在建設中の中国向けパイプラインは年末には完成が予定されている。
6月末に来訪した李克強副首相は、これに100億立米を上乗せさせ、毎年400億立米を中国へ輸出させることとした。ロシアのガスプロムへの09年輸出予定量は推定400~450億立米だから、実現すれば中国がロシアに取って代わるのである。
李克強副首相はさらに40億ドル(30億ドルという数字も報道されている)の融資を提供し、Yolotan、Osmanのガス田をプロダクション・シェアリング方式で開発することで合意した。
李克強・中国副首相は、他に肥料工場(製品は中国向け)建設に3億ドル供与を約束し、工事現場に赴いて中国労働者に「計画期間通りに完成しろ」とはっぱをかけた。彼は他にガラス工場への融資も約束、招待留学生を90名に増やすことも約束した由。
(3)7月には中近東ガスを欧州に運ぶ「ナブッコ」パイプライン建設賛同国が集まって意図文書に署名したが、時期を同じくしてベルディムハメドフ大統領はナブッコに天然ガスを供給する用意があるとの姿勢を表明した。
欧州側はこれを評価はしているが、当面当てにはしていないようだ。カスピ海を横断するパイプラインを敷設しなければならないが、これが上陸するアゼルバイジャンとトルクメニスタンは海底境界をめぐって係争中だからだ。それにロシア、中国、イランと天然ガス売却約束を乱発して、トルクメニスタンは本当に義務を遂行できるのか、心配になってくる。
(4)そしてトルクメニスタンとロシアの関係はもう駄目なのかと思うと、そこは夫婦喧嘩のようなもので外部の者にはうかがい知れないものがある。7月初めベルディムハメドフ大統領の誕生日にメドベジェフ大統領が電話してきたので、前者は後者を9月に予定されているカザンーアシハバド間のラリー見物に誘った由。
さらにフェルガナ・ルーによれば、トルクメニスタン政府は7月、ロシアのニージニー・タギール市所在の「ウラル車両工場」から最新式戦車T-90Cを10両ほど輸入する契約を結んだ由。20億円強の契約だ。
ソ連崩壊の際、トルクメニスタンには旧ソ連軍の装備がほとんどそのまま譲渡された(それは中央アジア諸国すべてにおいて大体そうであった)。その中には旧世代の戦車T-72が700台強、2個機甲師団分あったのだが、それ以後ニヤゾフ前大統領は永世中立を掲げてロシアから武器を購入していなかった。
現在のベルディムハメドフ大統領は、ロシアからの兵器輸入を増やしている。(カスピ海で使う)ミサイル艇、「スメルチ」連装砲などで、全部で3億ドル以上にのぼっており、トルクメニスタンはインド、中国、アルジェリア、ベトナムに次ぐ世界第5位の顧客となっている由。
つまり、ロシアとの関係悪化にも歯止めがあるということだ。
(5)他方、トルクメニスタンは米国との関係も進めているからややこしい。7月10日、バーンズ国務次官補がトルクメニスタンを訪問し、ベルディムハメドフ大統領と会談した。トルクメニスタンはこれまで、アフガニスタン向けの非軍事物資が領内を通過すること、および米航空機(C-5 、C-17を含め)のアシハバド空港での給油も認めており、7名の米軍人が常駐している由。
1月にはアフガニスタンに近いマリ空軍基地借用交渉も始まったが、トルクメニスタン側がカスピ海底での資源開発等を米側に求めたため頓挫していた由。マリ基地はソ連のアフガニスタン作戦で最大の基地と言われ、2006年に改修されている。米軍機が使っているとの証言がこれまで多数報道されている。
7.日本政府の「ユーラシア・クロスロード構想」+現代版「シルクロード構想」
ほとんど報道されなかったし、筆者も気がつかなかったのだが、6月30日麻生総理は「ユーラシア・クロスロード構想」というのを打ち出していた。これから総選挙だが、その結果がどうなろうと日本外交の中で中央アジアが等閑視されてはならないので(特に民主党は中央アジア関係の人脈が薄い)、関連個所を引用しておく。因みに「クロスロード」という言葉はここで東西南北の交叉という意味で使われているのだろうが、「お肌の境目」の境目を意味する場合もあって、後者にならないことを祈る。
―――――「本日は、新しい構想をお話しします。
「自由と繁栄の弧」の真ん中に位置し、豊かな資源・エネルギーを有する中央アジア・コーカサス地域に、皆様の注意を向けて頂きたいと思います。この地域を通り、ユーラシア大陸をタテ・ヨコ双方でつなげることに、日本は協力します。
これを、「ユーラシア・クロスロード」構想と名付けます。
タテの線は、「南北の物流路」、即ち、中央アジアからアフガニスタンを経てアラビア海に至るルートです。道路や鉄道の整備を想定しています。
ヨコの線は、「東西回廊」です。中央アジアからコーカサスを経て欧州に至るルートです。カスピ海沿岸の港湾整備などを想定しています。
こうした広域インフラの整備により、資源豊かな中央アジア・コーカサスと、経済的基盤を必要としているアフガニスタン、パキスタンを含む地域が一体となります。
私は、これまで、インドのデリー・ムンバイ間産業大動脈構想、インドシナのメコン経済回廊といった、アジアの広域開発の話をして参りました。これらのプロジェクトによって、例えば、ベトナムのホーチミンからインドのチェンナイまで、今は海路で約2週間かかるものを、インフラの整備やワンストップ・サービスといった日本の技術を活用し、8日間に短縮することが可能になります。
こうした一連の構想をつなげて、太平洋に始まり欧州に至るユーラシア大陸全体を貫き、ヒト・モノ・カネが自由に流れるルートを整備する。そんな未来も描けます。
いわば、現代版シルクロードとも言え、本日は皆様と、そうした夢のある大きな構想を、共有させて頂きます。
この地域で安定と繁栄が相乗効果をあげれば、世界経済を大きく押し上げることとなるでしょう。中国、インド、ロシアは、そのための重要なパートナーです。こうした構想に、これらの国々が関心を持つことを、歓迎します」――――― (了)
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