中央アジアとロシア
(日本対外文化協会 第61回研究会での講演)
こわい方々ばかりで本当に面はゆいんですが、ご紹介いただきました日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員の河東でございます。やっと一口で言えるようになってきたのです。(笑)
きょうは「中央アジアとロシア」という題名でお話申しあげることになっております。モスクワから帰りまして、やはり疲れておりましてきのうは頭がとまりまして、きょうは口がだんだん回らなくなってきておりますけど、何とか最後まで持つんではないかと希望しております。
「中央アジアとロシア」というテーマですが、これ自体最近では変えなければいけないと思っております。というのは、われわれは中央アジアというとソ連時代の惰性で、ロシアだけのからみで考えるのですが、実は中央アジアというのは、ロシアよりも歴史的には中国、インド、ペルシャと関係が深いもんですから、ですけれどもきょうはまだ中央アジアはロシア語の出来る方々が活躍出来る地域ですので、とりあえず「中央アジアとロシア」という題名でいいんではないかと思います。
昔、太平洋の方にムー大陸というのがあったといわれています。その太平洋地域に分散している遺跡はインドの......の遺跡にいたるまで、実はムー大陸の名残であると説明する人もいます。私は中央アジアというのは世界史におけるモー大陸であるという風に考えております。われわれはもうほとんど記憶になくなってしまったのですが、実は中央アジアというのは世界史の中で非常に古いシュメール文明の流れを引いたオリエント文明の重要な部分であったと思います。
そこでいま、現代のわれわれは中央アジアといいますと、まず砂漠があって、そこに小さな水たまりがあってオアシスと名付けられて、その横に椰子の木が植えられて白いターバンを巻いた、白い衣服をまとった隊商がらくだを繋げて休んでいるという状況を想像するのですけれども、実際にはそういうことはありませんで、確かに中央アジアには大きな砂漠がありますけれど、他方大きな農耕地域もあります。いま盛んに名前が出てくるフェルガナで、関東地方とほぼ同じ面積を持っています。
関東地方はほとんどが市街地になってしまいましたが、フェルガナというのは関東地方が全部農耕地帯のままであると思って差し支えないと思います。非常に豊かな農耕地帯でリンゴとか杏の木のほか、桑の木が多く植えられています。あとはみな畠で綿花とか小麦などそういうものすごく大きな農耕地帯を持ったところです。
(お手元の地図をご覧になっていただきますと)、やはりロシア連邦が中心になっておりますけれども、実際には中国と中央アジアの境にある天山山脈を想像していただきたいと思います。天山山脈から4つの大きな川が流れております。(もっとたくさんありますが)その4つを想定しますと、そのうちの2つが揚子江と黄河です。この2つの大きな川が西の方に流れていきますとアムダリアとシリダリアとなって、カスピ海に注いでおります。
中国の文明というのは黄河と揚子江の間に発生したといわれていますが、同じことがアムダリアとシリダリアの間にある2つの広大な農耕地帯にみられます。エジプト、メソポタミヤには劣るにしても、非常に古い文明が中央アジアでは花がさいていたことだと思います。
というわけで、もう一つわれわれの意識の中で欠落しているのは、中央アジアそれから中国、インド、イランの歴史との関係だと思います。中国においては秦が最初に統一しましたけれども、秦の始皇帝というのは西側の遊牧民族の出身だといわれており、誰が見たのかは知りませんが、彼の眼は青かったということを書いてあった本もあります。それから古代の大帝国であった唐の兵力のかなりの部分が遊牧民族ですから、唐で反乱を起こした安禄山(因みに楊貴妃のお墓がある)、彼は秘かに日本に逃げてきて、お墓が日本にあるそうなんですけど、その原因になった安禄山、アンというのはペルシャ人が中国で働いているとアンという姓、ファミリーネームをもらい、ロクサンというのはウズベク語でいいますとラクシャーナ、光という意味なんです。(私も2年前に知ったのですが)安禄山というのはウイグル人とソグド人の混血人だったそうです。
ですから当時の中国の宮廷ではソグド人、すなわち中央アジアの人たちがたくさん働いておりました。モンゴルの元朝にいきますとソグド人の役割、ペルシャ人の役割はもっと増えまして経済関係の行政ではソグド人が大きな役割を果たしていたとものの本に書いてあります。それから元朝時代の外国貿易、これは海経由なんですが、ペルシャ人が受け持っていたという風に書いてあります。中国の歴史というのは万世一系の漢民族の歴史ではなくて、中央アジア等々と不可分の歴史で他民族国家の歴史であったといえると思います。
それからインドをとりますと、モナール帝国があります。モナール帝国も私は全然知りませんでしたが、あれはウズベク人がつくったんだそうで、モナール帝国が出来る前にウズベキスタンを中心にチモール帝国がありました。そのチムール大帝の曾孫のバブールがどこに行っても領地を確保することが出来ずに、要するに君主という仕事にあぶれて、南に下って行って作ったのがムガール王朝です。
ムガールというのはチムール山出身のモンゴルという意味だそうです。ですからインドというのは中央アジアと不可分の歴史を持っているし、それ以前をとってもインドの白人はサンスクリット語を使っていたし、彼らはイラン系の白人ですから、ここら辺の歴史というのは繋がりがあったと思います。
私はある日タシケントから休暇をとってはじめてイスタンブールに行きました。イスタンブールの土産物屋でいろんなものを買って、その中にネクタイがあります。それからある時また休暇をとって、こんどははじめてインドに行きました。例の有名なガンジス川河畔のベラナシ、ベラナシというのはインドの織物産業の中心地で、デザインもテキスタイルの織物屋に入ったら、驚いたことにはイスタンブールと全く同じデザインの織物が売られておりました。ですから中央アジアの文化というのは、インド、トルコ、広くはモロッコそれから、それに至るまで同じ文化文明が広がっているんだという認識を新たにしたわけです。
ですから、いまイスラム仏教とかイスラム文明とか盛んに論議されていますが、あたかも後進民族、遅れてやってきた民族、しかも砂漠の民の宗教のようにいわれていますけれど、実はモハメドというのは紅海沿岸の通商地帯のブルジョア出身でありますから、イスラム教というのはそのブルジョア階級のための宗教であるわけです。ですから、われわれは別にイスラム教に対して何といいますか、異質なものとして警戒感を持つ必要もないんで、実際にはチメール以来のオリエント地方のあらゆる習慣、宗教、そういった総合されたものがイスラム教であるという風に思って差し支えないかと思います。
因みに中央アジアにイスラム教が広がってきたのは、割りに後代になりますから、その宗教的なパラティズムも少ない、それからソ連時代イスラム教は完全に国家に服属させられましたから、それは例えばウズベキスタンにおいても、今でもイスラム教の偉い坊さんたちは国家に頭を下げております。
ではロシアとの関係はどうかということですが、中世においてはロシア人というのは、中央アジアにおいては奴隷として売られておりました。ところが中央アジアというものは都市国家としてずっと推移してきましたから、19世紀の半ばロシア帝国の植民地にされてしまったということです。1991年に独立してから早や15年近くなりますが、やはり中央アジアの人々のメンタリティーには植民地心理というものが強く残っています。
彼らと話してみるとよくわかるんですが、モスクワというのはヨーロッパで白人の国で、しかも世界の中心であると思っている風が濃厚です。ところがモスクワに行ってロシア人に聞いてみると「俺達はヨーロッパでない」と、この国はビザンチンであるという風に卑下するわけでありますが、中央アジアの人たちはモスクワを憧れています。それには十分な理由があるんで、中央アジアの人たちが、例えばニューヨークに行って、私はウズベク人、カザフ人といってもウズベク風と言われるのが関の山で、全然認識してもらえない。ところがモスクワに行きますとそれなりに相手にしてもらえるわけです。それなりの事情があるわけです。
それからウズヘク人がよく言うのですが、ウズベキスタンでは商売がしにくいと、基本的には中央集権経済の中にありますから、モスクワに行きますと規制緩和が進んでいてビジネスが出来るわけです。まあそれはウズベク人、トルクメ人そういった人たちなんでしょうけど、そういう事情もあります。ですから私はウズベキスタン、タジキスタンのことしか直接知りませんけれど、この2つの国の人たちはいまでも、明日モスクワに出張に行くというとハナがちょっとうごめいて、われわれがワシントンに行くというとハナをちょっとピクピクとうごめかすと同じような表情をします。私はモスクワ大学に留学したんだという秘かな誇りの感情を、われわれがプリンストン大学に留学したんだという感情と全く同じであるわけです。
それからもう一つ、彼らのロシアに対する実際的な経済的理由があります。最近のアンデジャンの虐殺事件で問題になったようにフェルガナ地方では失業が増えているのですけど、フェルガナ地方、タジキスタンといったところから、モスクワだけでなく、ロシア全土への出稼ぎが増えております。モスクワではタジキスタンの人たちが建設労働者をやって、ロシアの要人の息子にひき殺され、もみ消されたりしていますけども、ウズベキスタンの人たちはシベリアにも行っていますし、タジキスタンの人たちもそうです。またアズベキスタンの人たちは、最近ではカザフスタンにも出稼ぎに行っているという例もあります。
また最近では、ウズベキスタンのカリモフ大統領がロシアに対する独立制を維持するとか意気がっておりますけど、足元では最近とみにモスクワに留学する若者たちが増えているという現象があります。これは要するにロシアに留学することが安いからです。ロシアの教育水準はそれなりに維持されていて、西側の知識も入っているという事情があります。そういうわけで、ウズベキスタンでは一時はロシア語がずい分いじめられたんですが、最近ではロシア語を使う小学校、中学校がまた増えてきていて、ウズベク人のエリートたちも自分の子供をそこに送っているようになっています。要するに教育水準がそこでは良いわけなんです。他方、地方に行きますとそのロシア語が分る児童がどんどん減ってきて、ウズベク語が幅を利かすような矛盾したいろいろな現象があります。
ロシアについて最後に申しあげれば、モスクワを中心に中央アジア人の権益というものがかなり強固になります。ですからロシアと中央アジアを分析する関係においては、われわれはいつもそのモスクワ、サンクトペテルブルクにおけるウズベク人のビジネスマンが、カザフ人のビジネスマンが、いま何を考えていて、自分たちの祖国に何を仕掛けようとしているかという情報を入手しないと、完全なイメージが分らなかったんです。
例えば、ウズベキスタンのシャデーエフという兄弟がいますけれども、彼らは全ロシアでの非鉄金属の商売で、非常に金持ちになっているわけです。それからモスクワには製鉄関係でウスマーノフというウズベク人がおりますし、在モスクワ大使館にはほかならぬカリモフ大統領の長女のグリナーラさんがナンバー2として働いていて、彼女もビジネスをやっております。
日本では中央アジアといいますと商社の方々、それから製造業の方々はこれまでロシア語をやってこられた人も多いし、外務省もそうなんです。現在ロシア語はいまでも使われていて、そのエリートは現地の言葉よりもロシア語が出来る方が相変らず多いことを考えると、これから先10年間はこういう現象が続くと思います。
ロシア語の出来るわれわれが心しておかなければいけないことがあると思います。それは中央アジアはソ連のおくれた地方ではないということです。これは私がウズベキスタンに赴任するまでそういう風に思っていたわけで、赴任するのはハッピーではなかったわけで、行ってみると中央アジアはソ連のおくれた地方と一言で切り捨てていいものではないということが、よくわかりました。すでにご説明しましたように彼らは古い独自の文明を持っております。それがとくに強いのは南半分のトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンだと思います。それからかなり豊かな資源を持っています。ウズヘキスタンは金、銅、非鉄金属、綿花、それから自給出来るだけの天然ガスと石油。タジキスタンは綿花、豊富な電力、鉄鋼、ウラン。トルクメニスタンは石油、天然ガス。キリギスタンだけはちょっと困っちゃうのですが、観光資源くらいですかね。あと水力を持っているわけです。
それから中央アジアの国々は建国の意欲に燃えていて、能力の高い人たちがおります。国家の機構というのが、この15年の間にかなり整備されてきておりまして、それはもっとも尊敬するに値するものと思うのですが、例えば、ウズベキスタンの外務省を例としますと、ソ連時代にはわずか30人位でやっていたそうですが、現在では職員は300人若になっていて、外国に大使館を持っていて、一応外務省として機能しています。それから例えばわれわれモスクワで困ることは、ロシア政府の中の各省庁間の調整をわれわれ外交官がやらされることが時々あるわけです。しかし、ウズベキスタンでは少なくともそのようなことはまれであったということが言えると思います。彼ら自身の調整能力がまだ強い、ウズベキスタンは権威主義が強いということも結びついていることと思います。けれども中央においても、まあわれわれの頼んだことは一応すぐやってくれるし、地方に対して命令が伝わるのがものすごく早いということがあります。
中央アジアはソ連のおくれた地方ではない。独立を強化するに値する地域であるという風に思いました。赴任してそういう風に認識を改めたわけではありませんが、大体タシケントの都市の規模は東京の山手線内側の4倍か6倍ありますから、かなり大きなもんです。それから都市のインフラがかなり整っております。まったく近代的要素を呈しているし。それからアラル海に近いところにヌクスという町があります。世界地図を見ますと全く世界の辺境のように見える町ですが、そのヌクスでさえ人口は10万人ですし、立派な鉄道の操車場であるとか、トラクター工場であるとか、そういったものが揃っておりますし、美術館もあります。美術館には全ソ連のアバンギャルド絵画の2番目のコレクションがあります。
ですから全体にウズベキスタンの地方都市のインフラというのは、例えば、アメリカのイリノイ州の奥地にカーボンデールという農村があります。そこで研修を受けたことがありますが、その都市と同じような感じと思って差し支えないと思います。例えば、インドではオールドデリーに行きますと絶対的貧困に驚くわけで、そこからタシケントに帰ってくるとまるで天国のように感じられるわけです。ですから中央アジアは決して後進地域ではありません。むしろ中心地域です。それはむしろソ連、ロシアに治められたプラスの遺産であると思います。
ですからイスラム教でありますけど、女性の地位は高いし、その頭に冠るチャド、タシケントでは皆無です。フェルガナに行きますと少しではありますけどチャドをつけた女性を見受けます。それから女性で副首相になった人もいます。
先ほど申しましたように、われわれは中央アジアと言いますと、イスラム教、イスラム過激派という連想が働くわけですが、それは以前キリギスタンでJICAの専門家が誘拐された事件の記憶からきているわけで、実際にはイスラムの過激派がそこいらに跋扈しているということはありません。例えば、ウズベキスタンを例にとりますと、町内会に相当する「マハリヤ」という5000人位単位の住民の自治組織が全土に張り巡らされております。そのマハリヤのトップの人たちはイスラム教会の人たちとライバル関係にあったりしていますが、タシケントのような大きな都市を見る限り、イスラム教というのは日本で言う言葉は悪いですが、葬式仏教、葬式イスラム教の類化しているわけです。
さはさりながら、タシケントに何年過ごしていても、どうもウズベキスタンはよく分らない感じがぬぐえなかったわけです。それはやはり、道を歩いているとすべての人が違った顔をしているし、すべての人が違った肌、違った目の色をしていますから、一体この人たちのメンタリティーと行動様式はどうなっているのかと考えると分らなくなるのです。最後は、これはアメリカと同じだと、アメリカと同じ他民族国家でみな違うんだと、いい加減な結論でごまかしましたけれど、それからよく分らないのは表情が足りないことです。これはもう西側の大使たちがみな言っていることで、「ウズベキスタンという国はいればいるほど分らなくなる国だと」と言っています。中央アジアの大使たちはインサイダーですから、感じは分るのでしょうから、情報は持ってないにしても、別にそう不思議に思っていない。
私はタシケントに赴任して非常に驚いたのは、日本の地位が高いことです。例えば、大統領への信任状奉呈ですが、着任してから確か翌日か3日後だったと思います。とにかく3日目くらいに財務省の政務次官がやってこられましたから、それに間に合わせて信任状の奉呈があったわけです。赴任してから即信任状奉呈というのは珍しい国だと思います。それから赴任したての大使がどこかにウズベキスタン政府主催のディナーなんかに呼ばれて行って驚くべきことは、新任大使の席次が外国大使のナンバー2(アメリカ大使の次)になっていたわけです。
日本はOECDドナーのナンバー1であるからなんですが、瞬間風速ではもうアメリカがドナー・ナンバー1になっていますけれど、それでも日本の場合0ECDのユニークなシステムとして草の根人間の安全保障、無償援助というのがあります。500万~1500万位の援助ですが、大使館のイニシアチブでもって、素早く実現出来るわけです。1カ月位で本省の許可が出てくるわけですが、それを1年に20件くらいやっていました。そうするとその供与式と署名式というのがそれぞれあるものですから、大体それだけでもって現地のテレビにかなり出られるわけです。平均して3日か4日に一度日本の大使がテレビに出るということになりますから、カリモフ大統領以上出ていることになるわけです。ある時、カリモフ大統領は私を呼んで一緒にテレビに映って、人気取りをしたように思われる時もありました。日本の大使はそういう非常に高い地位を持たされております。
そのテレビに出たりする時には、私が何を言ったとしても、それはウズベク語に翻訳されると、決まったように「私はウズベキスタンが大好きです。ウズベク人が大好きです。これからも友好関係を深めていきたいと思います」と翻訳されていたらしいのですが、私が実際に語ったことは、「日本はウズヘキスタンを援助します。それを魚釣りに例えて言えば、魚をおくるのではなく、釣竿をおくっているのですと。いま困っているけれども、自分たちで経済発展が出来るように早くなってください。何で経済発展をするのかといったら、それは皆さん個人の権利を高めるために経済発展をしなければいけないのです。」ということを言っていたわけです。
そういうわけで、日本では余り知られていませんが、日本は中央アジアでかなり大きな援助をしているわけです。(お手元の資料のとおり)OECDの累積額は約2600億円です。当然の質問としては私もいつも疑問に思っておりましたけれども、中央アジアというのは、これからも国としてやっていけるのかという基本的な疑問はいつもあるわけです。ただ、なぜか不公平だと思うのは、そういった疑問がアフリカとかアジアの諸国に対してはもう発せられることはないんで、中央アジアが新しいからそういう疑問が相変らず発せられているわけです。しかし、中央アジアは現在現存しているのです。
それからエネルギー問題ですが、ウズベキスタンは少なくとも自給出来ています。またカザフスタンも自給出来ているということがいえると思います。中央アジアは市場経済、民主主義を持った国になれるのかどうかという問題が出てきます。これについてはまだわからないというしかないと思います。市場経済構造について申しあげますと、各国についても違いがあります。一番進んでいるのはカザフスタンといわれております。確かにいろんな規制をとりますと、規制緩和が一番進んでいるのがカザフスタンだと、ところがカザフスタンでは北部を除いては製造業の伝統があまりなかったようですから、規制は緩和しても実際の製造面の中小企業はあまり育たないし、中小企業の育成というのが課題になっているようです。
タジキスタンでも規制緩和が進んでいます。それは8年間にわたる内乱の末に、経済がほとんどなくなってしまったので、いくら規制を緩和しても別にかまわないんで、極端に言えば、これが実際にわれわれが投資した際にどういう実質的規制が待っているのか、それは保証の限りで無いということだと思います。
トルクメニスタンについては余り説明を要しないだろうと思うし、キリギスタンについては経済の実態が非常に低いということで、アカエフ大統領は経済改革とか規制緩和といった言葉を盛んにしておりましたが、経済成長には結びついておらず、リスケを2回すでにしているわけです。
ではウズベキスタンはどうかと申しますとここは経済改革、市場改革で四苦八苦しています。これはカザフスタンと違って国家の資産が多すぎるのではないかという問題があります。要するに民営化すべき資産が多すぎるという問題、それは農園がそうだし、農園は綿花、小麦を作って金づるになっていますし、それから工場が驚くほど多いわけです。例えば、フェルガナ市郊外に建設された当時は世界一大きな敷地を持っていたという石油精製工場があって、その設備、プラントは当時の輸銀を通じて日本が出資したそうですが、それからタシケント市内の大使公邸の近くに、以前トラクターを年産2万台を作っていたというものすごい大きな工場があります。さらに公邸の近くにイリューシン76という大型機を製作していたどでかい工場があります。IL-76はほとんど手作りで作っているので非常に安心できる飛行機です。
それからタジキスタン、われわれの観念ではものすごく後発国というイメージがあるのですが、実際にはペルシャ文明の上では先進国なんです。首都のドゥシャンベの真ん中に大きな工場があります。その工場跡地を2000万円で売ってくれるそうです。その工場が作っていたのはミサイルの方向を決めるジャイロのための水晶発振器を磨いていたそうです。水晶の塊というのはウラルのエカテリンブルクから運んできて、それをタジキスタンで磨き、ロシアの方に送り返したんだそうです。また、タジキスタンにはこれまた大きなアルミニウムの精錬工場があって、それがタジキスタンの外貨のかなりの部分を稼いでいるわけです。
またウズベキスタンに話を戻しますと、ウズベキスタンには国家の資産が多すぎるということで、民営化と一口でいいますけど、日本のNTTTが民営化に伴って売り出した株を全部売り切るためには20年間かかっているわけですね。1986年売り始め、全部売り切ったのが昨年ですから、ロシアみたいに2年でやれといっても当然出来るはずがない。まず株を買ってくれるだけのお金持ちがいないという問題があります。それから民営化された企業をちゃんと運営出来るスキロー?を持った人がいないという問題、ロシアみたいに2年間で民営化しようとすると、ただ看板をかけ替えただけで、国家の企業を安売りするしかないわけです。安売りはウズベキスタンでも十分可能なんでしょうが、そういうことをしますと、ロシアの寡占資本家みたいな政治的野心をもった連中が、当然現れてくるだろうとカリモフ大統領は考えていて、慎重に進めているわけです。
タシケントには公認のマフィアの大立者が二人いて、そこらへんが安全弁であるのですが、もう一つは経済計画の基本的な障害というのは国民が反対することです。市場経済化はいいことですけれど、なぜ国民は反対するのかと、われわれは思うんですが、実はロシアその他の旧ソ連邦諸国で経済改革が進まない一番大きな原因は、国民の反対です。
経済改革というのは国民の生活を一時的に厳しくします。例えば、外国の企業が投資しやすいように電力会社とかガス会社の採算をプラスにしようとします。それは当然電力価格、ガス価格を当然引き上げなければなりません。そういうことはウズベキスタンでもすでに行われています。ということになりますと、国民の目には市場経済化というのは何のために行われるのか分らないんです。
私もウズベク人からよく聞かれて困っていたのですが、要するに彼らは、なんで経済改革なんかやる必要があるのか、わざわざ生活を苦しくする必要があるかということです。経済改革というのは、これまで企業から搾り立て、国民に基本的に回していた経済を今度は国民から搾り立てて企業に回し、投資をしようというわけですから、それに国民が簡単イエスといわないわけです。
では民主化の方はどうかというと、これまた難しい状況にある。先ず権威主義の問題もあって、これは私は「トリプル権威主義」と名付けておりまして、先ず都市国家の時代だったフビライ・カンとかジンギス・カンとか汗ですが、ああいう人たちが治めていた首都に行きますと、今でもハーレムというのが残っていますから、そういった権威主義の体質、中世の権威主義、ロシア帝国の権威主義、それからソ連邦の権威主義、ロシア人たちは中央アジアをバカにして、あんな腐敗した権威主義的な国に,私たちは住めないというのですから、そのモスクワが大変な権威主義ですから、そういったトリプル権威主義が中央アジアでは残っています。
それからもう一つ民主主義を妨げているのはすべての資産が国に属していることです。ですから野党がつくられる基盤がないんです。すべての富、資産が国に属していれば、それはすべての人が与党になりますが、ウズベキスタンでも野党と称する人たちがいます。それは国会の野党は御用野党ですから在野にもいます。しかし、私はそれらの人たちとは付き合いたくなく、付き合わなかったのです。全く国民のことなど一つも考えない、自分がいつか偉くなって国家の資金、予算を横流ししたいとか、そういうことばかり考えているのです。野党の基盤がありません。利権狙いだと思います。
そういう中でアメリカのNPOが、アメリカは共和党、民主党の下にあるNPOが中央アジア、旧ソ連諸国で活動していますから、彼らは民主主義のノウハウを普及するのが任務です。その彼らの働き、ソロス財団の働きでもってグルジア、ウクライナの政権がひっくり返ったわけです。キリギスタンでも彼らがずい分騒いだと言われていますが、その実質的に野党が存在していない国々でそういうことをやりますと、いつかアメリカはしっぺ返しをくうのが大だと思います。
今回、モスクワでも聞いたのですが、グルジアでも政権が独裁化して、要するに利権が向こう側から、こちら側にきただけの話であるという人もいました。ですから政権をひっくり返してもよくはならないんです。むしろ混乱を生ずる可能性がある。そうするとかえってテロリストを生み出す可能性があると思います。
民主化と市場経済化の見通しがそんなにはっきりしないのなら、日本はどうしたらよいのか、そんな国々にODEをやる価値があるのかという疑問が起きています。ですから中央アジアには何もしないという選択肢もあると思います。他方、何かしなきゃいけないという選択肢もあります。われわれはそこに国がある以上、当然外交をしなければいけないんで、外国というのはわれわれにとっては選挙地盤みたいなものです。
それから、われわれはいままで中央アジア諸国の支持を当然視していたわけですけれど、国連の安保理常任理事国の問題一つをとってみますと、最近は中央アジアに対する中国の申し入れが効いてきて、中央アジアの日本に対する支持というのは前より後退しているわけです。こういう例を一つとってみても、日本は中央アジアに対して外交をせざるを得ないと思います。
それから選挙基盤としての中央アジアというのは、ロシアとの関係においてというよりも中国との関係においてとらえられるべきであると思います。冒頭申しあげましたとおり、中国の歴史というのは中央アジアとは不即不離の関係にあります。ということは、われわれは中央アジアに対する外交をちゃんとやらない限り、中国に対する外交も完成しないと思います。
ASEANに対してはしっかりやっているし、インドに対しても仲良くしたら良いだろうという声も強まっていますし、モンゴルに対してもやっている。ではなぜ中央アジアだけ欠落させるんだということです。それからもう一つ、中央アジアに対して何かやらなければならないということに対して、これだけODEが出ている以上、ODEを有効に使わなければいけないと思います。
そういうわけで、日本は1977年の橋本総理の経済同友会の演説以来、シルクロード外交というものをやっておりました。これをさらに発展させたものとして現在、政府がやっていることは中央アジア・プラス・日本という発想です。これは中央アジア・プラス・日本という、いろんな集まり、フォーラムをつくった建前になっております。これが出来たのは昨年8月で、当時の川口外務大臣が、ウズベキスタン、カザフスタン、キリギスタン、タジキスタンの4カ国を回ったことがありました。その時に立ち上げられたものです。
川口外相がカザフスタンを訪問された時、そこに4カ国の外務大臣がたまたま別の会議で集まっていたわけです。そこで川口外相が4カ国の外相とお会いになって、中央アジア・プラス・日本というフォーラムを立ち上げたことにしましょうとなったわけです。
そして川口外相は、「日本は中央アジアがこれから出来るだけまとまってほしい。政治的にも経済的にも、時間はかかるでしょうけど、ASEANみたいに中央アジアがなってほしい。日本は中央アジアが統合とまではいかなくても、まとまりを強化するようなプロジェクトに対してもODEをつけましょう」と日本の考えを伝えたわけです。(私はもう政府にはおりませんが)現在われわれは中央アジア・プラス・日本という政策を発展させる途上で、国際協力銀行はその方向で調査を進めているということです。
また関係諸国もこのプロジェクトをそれぞれ考えていくものだと思います。すでに国際交流基金も調査をはじめているということです。対象になるのは運輸であるとか水資源、電力、食糧増産、そんなところだと思います。
そのような状況の中で起こったのが、アンデジャン事件です。最後にこの事件について申しあげたいと思います。
ウズベキスタン政府の発表では、この事件では176人が殺されたということになっています。けれどもその実態については分らないし、それから何が理由でこういうことが起こったのかは決定的な情報というのはないわけです。ただ、われわれが気をつけないといけないのは、西側が言っているような、これはイスラム過激派の犯行であるとか、それからウズベキスタン政府が言っているようなテロリストの犯行であるとか、そういった言葉(情報)にああそうかと、頭から信じ込むのは芸がないんで、背景が複雑で、もっと簡単な背景がある可能性があると思うんですね。
私の持論ですが、それはやはり経済的利益。フェルガナ地方というのは、キリギスタンを経て中国から物品を安く仕入れ、それを売って生計を立てていた地方です。このほか、最近西側の助言に従って、集団農園がどんどん分割されて個人農園が増えている。そうすると余剰労働者がどんどん解雇されて、フェルガナ地方では失業率が高まっておりました。
彼らは安い中国産品の輸入に依存度を高めていました。ところが、これがウズベクの国内産業を破壊するものですから、その輸入が非常に制限されています。私はその半分は密輸になっていたと思っています。もしかするとタシケントの有力な人も絡んで、住民たちがかなり大々的に密輸をやっていた可能性があります。またフェルガナ・...というインターネットのニュースを見ておりますと、情勢が悪化したのはアンデジャンの州知事が更迭されてから、地元の経済的利権が弾圧されるようになったからだということを誰かが書いております。それは多分、中国産品の密輸が本気で取り締まられるようになったからで、ですからアンデジャンの地元のビジネスマンと称する人たちの十何人が、地元の官憲によって2月に牢屋に入れられています。それを解放するためという名目でもつて、今回いわゆるテロリストが攻め入ったわけですから、そういった経済的なリーチがあります。
それから中央アジアのとくに東半分の情勢を考える上でも絶対に考慮からはずせないのは、麻薬商売です。これはアフガニスタンが麻薬の生産の一大中心地になっていますし、西側がそれを本気で取り締まるとアフガニスタンの経済が成り立たなくなるためで、いまのところ数年間放っているわけです。それがタジキスタンを通って、キリギスタンを通ってロシア方面、ヨーロッパ方面に運び出されています。
ですから麻薬の流通経済はGDPの数十パーセントになるでしょうし、それはキリギスタンについても同じことが言えると思います。これは全く個人的な推測ですが、そのビジネスの何パーセントがウズベキスタンのフェルガナに入っていた可能性があります。あれだけ荒っぽい手口を見ますと、簡単な中国産品の密輸関係者だけではないのではないかと思います。そういった背景があるのではないかと思うわけです。
ただ今回のアンデジャン事件を巡って、非常に目につくことが二つあります。その一つはウズベキスタンの悪癖と西側の悪癖の両方なんです。ウズベキスタンの悪い癖について申しますと、それはやはりソ連的な都合の悪いことは隠すということです。仲間であるとか、友人であれば、いくら悪いことをやっても目をつぶって、ナアナアで済ましてしまうという感じ、彼らはそれが国際批判であると信じているわけです。
私はタシケントに赴任した時、すぐ気がつきましたが、彼らは独立して非常に意気揚々としている。ところが彼らが考えているのは何かというと、やっと独立したんだ、これでロシア人みたいな振る舞いをできる権利を得たんだと、思っているふしがあります。要するに独立したんですが、ビヘビヤ?はソ連的なんです。ですからわれわれは今度のアンデジャン事件について、ウズベキスタン政府に対してもつと、ちゃんと説明しろ、国際社会の規範というのは説明することだということを強く言うべきだと思います。
それからアンデジャン事件の実際の模様を、もっとはっきりさせろ、それから責任の所在をはっきりさせなさい、それはカリモフ大統領でなくともいいんで、内務大臣でもいいんです。ということだと思います。
それから西側の悪癖なんですが、これはアメリカはいま優柔不断といったらわるいけれど、ハナバードの基地を使いたいものだから、どっちつかずの態度をとっていますけれど、西ヨーロッパ、EUの方はわりとウズベキスタンに対してカサにかかった態度をとっています。これは少なくとも最初のころはそうでした。現在はちょっとマイルドになっていますが、最初のころはイギリスに影響されたんで、数年前ウズベキスタンにいたイギリス大使というのは、非常にウズベク国民が好きな人で、レセプションが終わると、会場にいたウズベク人ホステスを公用車に連れ込んで、どこかへ行くほどウズベク人が好きな人だったんです。ですからその人はウズベキスタンでは人権が無視されていると、拷問が行われている、けしからんということを言っていた。それで本国に帰られてから、こんどは選挙に出でるということで、選挙区がたまたま労働党の有力者のイキのかかった選挙区だそうで、そういうこともあってEUが非常にカサにかかった態度に出ました。
私は思いますが、やはり西欧諸国は植民地的マインドな感じがかなり残っていると思います。アジア人といいますと彼らはやはり蔑視の対象だったわけですが、アジアがこれだけ発展しますと、最後に蔑視できるのは中央アジアだという側面があります。
それからウズベキスタンについていえば、国内産業保護の必要性を彼らはなかなか理解しないんです。ですからウズべキスタンの国内産業が破壊されてもいいから、とにかく貿易を自由化して、流通でメシを食えと、その結果われわれの産品をもっとウズベキスタンに売れということを考えている人たちがいます。もちろんそうでない人たちもいます。ただ私なんかは一部の欧米の人たちの言い分を聞いていて、ウズベキスタンが可愛そうだと思ったのは、ウズベキスタンの現在の貧困であるとか、大衆が政府に対しての不満のすべてを政権のせいにするのは不公平ではないかということがあります。
やはり市場経済化というのは先ほど申しあげましたように、非常な困難を伴うものですし、その間市場経済化の初期の間におこる生活の悪化というのは、西側の支援であるとか、直接投資なしには乗り切れないものだと思います。ところが西欧諸国はあまり大した支援はしていない。やはり彼らは、ウズベキスタンの国民が政府に対して不満をもっているのは改革を進めないからだということを言う人がいますが、それは全く逆で、それなりの改革が進んでいるからこそ国民は不満なんだということなんです。
それから西側の助言に従って農園がどんどん分割されて、自営業が創立されると余剰な労働力は解雇されますから、そういった面で不満は高まるということです。
ウズベキスタンは国内産業を持つには値しない、すべて西側のものを輸入しろということに対する反論として、いくつか成功している工場があります。
例えばネッスルがフェルガナでミネラルウォーターを汲み上げ、ボトリングしてアフガニスタンの米軍基地に輸出しておりますし、そこで牛乳も生産しています。それからサマルカンドでは中型バスをトルコの資本が作っております。いわゆる(ニッチシリョウ)?をみつけておりますから、タシケントでもこの中型バスがたくさんはしっています。
それからアメリカ車用の蓄電池メーカーが非常に立派な工場をつくりました。アメリカで研修をうけたウズベク人のマネジャーに会いましたが立派な人でありました。
アンデジャン事件について最後に一言もうしあげたいと思います。今回、アンデジャン事件が起こってつくづく考えたことがあります。それはウズベキスタンが中央アジアの地域カントリーであるなということをしみじみ感じました。例えば、ウズベキスタンが荒れちゃいますと、先ほど申しあげた中央アジア・プラス・日本というような政策は進められなくなります。足がかりがなくなってしまいます。
ウズベキスタンの国内情勢があれますと、それはカザフスタンの安全保障問題になります。さらにキリギスタン、タジキスタンの安全保障の問題になります。そうしますと今度はカザフスタンの要請によりロシア軍が出てくる可能性があり、さらにキリギスタンには中国軍が出てくる可能性が十分あると思います。また国連の平和維持軍が出てくる可能性もあります。
ですから日本はそういった情勢が荒れることを防止するのも一つの課題だろうと思います。例えば、中央アジアの安定化と平和を促進するための、中央アジア・プラス・日本というフォーラムをハイレベルで近い内に開いて、それはウズベキスタンで開くことはないと思いますが、どこか別の国で開いて、その会議で日本は中央アジアのまとまりを強化するようなプロジェクトに対してODAを付けて行くという姿勢をはっきり示すとそれなりの効果を持つのではないかと思います。
最後に中央アジアのビジネスについて申しあげますと、中央アジアは人口が約5630万人、GDPが約450億ドル、ということで市場としてはそんなに大したことはないんですが、商売をやる余地は当然あります。ウズベキスタンを例にとりますと、経済能力がありますから、円借款も可能です。国際協力銀行の輸出信用については、ウズベキスタン政府の保証をとっておりますけれども、ウズベキスタンはもっと政府保証を日本に出してしかるべきだと思います。
中央アジアでビジネスをやる場合、われわれが心しておかなければいけないのは、一人だけでやろうとするよりは、やはりロシアとか中国との関係において商売をやることがいいのではないかと思います。例えば、ロシアの企業、大企業は金融力が富についていますから、ガスプロムとかルクオイルとかそういったところは、中央アジアでどんどん事業を始めております。こういったところとタイアップする可能性があります。
それからロシアは中央アジアの製品にとっての市場になり得ます。ウズベキスタンのほかならぬアンデジャンにはもうつぶれましたが、韓国の大宇が大きな自動車工場をつくったことがあり、そこで作られた車はいまでもウズベキスタンでたくさん走っています。その車はモスクワでベストセラー・カーになったこともあります。従ってそういった車を方々に輸出する可能性もあるわけです。またロシアの製品を中央アジアに輸出する可能性も当然あります。シベリアのオムスクに行きますと、石油製品だけでなくて、そこにはハム工場があって「オムスクハム」というのがあり、そのハムはものすごくおいしいんですね。ロシアの食料品というのは中央アジアでは高級品として通っており、ものすごく評判がいいのです。
それから中国、中国も市場として中央アジアの製品にとって欠かせないところです。ウズベキスタンには桑の木がたくさんあり、繭もあります。ところが最近ではその繭が中国にどんどん買われているのです。ウズベキスタンでは、それだけ買ってくれるのであればもっと出していいと思いますが、そうしますと困る日本企業もあるので、そんなことは言えないと思うんです。とにかく市場としての中国にもっと中央アジアは意識してよいと思います。
それから中国産製品の高級品を中央アジアに持ってくる可能性もあると思います。それはユニクロが作っているような割といい衣料品を中央アジアに持ってくれば、さすがにあまり制限されていないのでよく売れるのではないかと思います。
最後に文化についてふれたいと思います。文化面でも中央アジアは大したもので、伝統文化、現代文化とも非常に高い水準にあると思います。ウズベキスタンの現代美術を見ますと、これはモスクワ以上に素晴らしい絵が描かれています。現代音楽も素晴らしいし、伝統音楽も正倉院にある同じ楽器を使っての音楽を奏でています。また遺跡なんかをとりますと、ギリシャ文化、オリエント文化、中国文化がそれぞれ入り乱れてたくさんの遺跡があるんだそうです。インド文化もある、仏教遺跡もあります。それを日本の80歳を超えた考古学者の加藤九祚先生が1年の半分近く暑いところに行って発掘調査を行っていますが、誰も助けないという問題もあります。
このように中央アジアはいろいろな分野で可能性を持っております。日本外交は対処しなければいけないところだと思います。というわけで、長くなりましたが、一応これで終らせていただきます。(拍手)
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