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論文

2006年05月07日

ロシアはどこへ行くのか?Ⅰ - 膨れる財布、うつろな心

 ロシアとかソ連とか言うと、いつも革命とか民族戦争とか暗いことが話題になる。かと思うとテニスのシャラーポヴァのような華やかで明るいことが何の脈絡もなく突然飛び出て、それはまるでロシアのことではなかったかのように、また忘れられていく。僕もソ連時代からこの国には合計十年も住んで、「遥かなる大地」(筆名:熊野洋)という小説まで書いた。それなりの思い入れがある。そして今でも、毎年友人たちに会いに出かけては、この国の脈をはかっている。はるか千三百年前の昔には、自由な都市国家と市場から始まったこの国が、いつ力強い自律的発展へ向けて鼓動を再開させるのかを見るために。

アエロフロートに見る市場経済

 この夏、一年ぶりにモスクワに行った。アエロフロートのエアバスは、まるで几帳面なルフトハンザになったが如く、定時に成田のエプロンからすべり出る。市場経済化とやらが遮二無二進んでいた九十年代半ばから、アエロフロートの国際便は確実に良くなった。機体のデザインが鮎のように優美なのはいいにしても、 「この飛行機いつまで地上を走るつもりなのか。ひょっとして・・・」と乗る人をして不安がらせた、あの懐かしいイリューシン六十二ももう飛んでいない。あれは本当に寒い飛行機で、乗ったらまず最初に棚の上から毛布をがめることが玄人の乗り方だった。というのも、毛布の数が足りなくて、早く手に入れておかないと、上空でいくら寒いと文句を言っても、「あんた、モスクワに着いたらもっと寒いのよ。しっかりしなさい」と、妙に納得できる理屈をスチュワーデスに言われてお終いだったのだから。

 そして八十年代も末の頃、アエロフロートは遂に機内食を温めて出すようになった。黒パン、冷たくて塩辛いブロイラー、半分に割ったゆで卵の上に申し訳のようになすりつけられたキャビア―――いや、イクラだったか?―――は、過去のものとなり、最初のうちこそ熱意があまって端の焦げたステーキがサーブされたりしたけれど、とにかくアエロフロートもグルメ指向になったのだ。それがこの二〇〇五年、市場経済化から既に十年もたってみると、アエロフロートの機内食も更に一層の進化を遂げている。

 スープが出てくる。その洒落た陶器皿にはコンニャク(!)とゴボウ(!)がさりげなく浮かび、次に出されたステーキの付け合わせは、小振りながらも正真正銘、なんと球形のガンモドキだったのだ。そして米は、竹づとにくるんでゴマをふってある。これだけ並び立てると読者の方は、「ロシア・イコール田舎」という決まり文句を思い出されて苦笑でもされるのだろうが、日本文化に能の洗練と歌舞伎の荒々しさが並存しているのと同様、ロシアにも洗練されていることこの上ない貴族文化と粗野だが温かい大衆文化が共存している。で、このアエロフロートの機内食は、その食器、盛り付け、味付け、適度な量、その他その他、まさにその洗練されている方の典型だったのだ。

 「おいしいね」と言うと、スチュワーデスが緊張した顔で「頑張っているんです」と答える。市場経済になってから彼らは、カネ離れがよくて上得意の日本人乗客、でも終戦直後のあの苦しい頃のことなぞまるで覚えてもいないのか、「不便」という二文字を生まれたときから見たことがないような顔をして厳しい要求を次から次へとつきつけてくる日本人の乗客を、まるで恐れてでもいるかのようだ。ロシア人もソ連の昔は、自分の国に―――それがどんなに不便で貧しいところであっても、そんなことには気がつかないかのように―――ずいぶん自信を持っていたものだ。今のおどおどした態度がそのうち、プライドを傷つけられたことへの恨みとなって、再び猛々しいナショナリズムを噴出させないとも限らない。

大地の歌

 飛行機は、モスクワ上空を旋回しながらゆっくりと下りていく。とうとうたる川、陽光をきらめかせる湖、そして清楚な白樺林に彩られたロシアの大地が見えてくると、さすがに一つの感慨にふける。歴史を知り、文学を知ると、その国の大地には意味がでてくる。領土問題解決の重要性を一向にわかってもらえない中、いい加減もう忘れようと僕が思っていたロシア。だがそれでもこの三十五年、かかわってきた国だ。この偉大な大地、偉大な民。遥か地平へと広がるその大地は、悠揚迫らぬその詩(うた)で、旅人をその胸へと誘う。

 だが、かつてマルクスがアメリカと同等の発展を予言したこの国は、その後どうして駄目なのだろう? アメリカ経済は南北戦争や二度の世界大戦などを契機に、大きく変貌してきた。ロシアでも戦争や内乱は数え切れないほどあった。だが、ここでは戦争は経済に被害しか与えていない。アメリカは個人の所有権をベースに発展した国だ。そこへ行くとロシアは、中国と同様、古来国家の比重が高すぎる。そしてその中国と比べると、ロシアには台湾や華僑のようにリスクを取って投資してくれる国外の勢力もありはしない―――。 

 モスクワの空港では、旅券審査と税関が速くなった。今回は手荷物しかなかったから、僕はこの三十年間で最短の記録的なスピードで空港を出た。だがその後がいけない。空港からの道が、なんとずっと渋滞しているではないか。スウェーデンの家具チェーン「IKEA」がこの街道のほとりに二百米四方はあろうかという巨大な店を出したのは、今から数年前。自分で組み立てる簡素な、しかし美しい家具を山のように並べるこの店は、それ以来モスクワの中産階級のメッカになった。ロシアならではの広大な駐車場は、最新型のベンツから二十年前の国産車まで、あらゆる車でいっぱいだ。そして、このようなショッピング・センターが他にも並んでいるからたまらない。僕の運転手は脇道に出たが、ここも彼が「こんなのは初めてだ」というほどの渋滞。ここらへんは農村で、他にろくな脇道もないのだ。で、結局僕は、この三十年間で最長の時間をかけてホテルにたどりつき、アポイントに遅れる羽目となった。

大衆消費社会

 ソ連時代、モスクワは整然としていた。古代ローマのように人を威圧する大きな建物、そしてだだっ広い道路にはまばらな車。それもまた、味があった。だが今は、喧騒そのもの。なぜかいつも埃っぽい道路脇にはしゃれたブティックやパチンコ屋のように派手なネオンのクラブが並び、道行く市民達はどこかくたびれた風情。二十年前のギリシャを僕は思い出す。モスクワでは大混乱からまだ間もないという雰囲気がいつも漂い、社会のルールもまだ完全には定まっていないから、ちゃんとした収入を確保していくには随分疲れることだろう。いったいいつまで彼らは、こうした気の張る生活を我慢できるのか。この十五年、モスクワも変わったけれど、その間に中国の諸都市はものすごいスピードでモスクワを追い越し、一つ先の段階に行ってしまった。農村との格差とかあれこれ言われるけれど、それでもやはり中国の都市の方がロシアより所得の格差は小さくて、中産階級が主人公になっているのだ。

 そのロシアも、エリツィン時代末期には大衆消費社会に確実に突入した。ソ連の時代、ぴかぴかに輝く西側の製品は「ドルショップ」にしかなく、特別の金券とやらを持っていない普通の市民は入り口で文字通り追っ払われていたものだ。それが九十年代も終わりになると、それまでモスクワの市場をじっとうかがっていた西側やトルコの資本は次々に、IKEAのような超特大ショッピングセンターを建て始める。アメリカの郊外によくあるようなモールと全く変わらない店を、今では普通のロシア人が家族連れで歩いている。日曜ともなれば、付近の団地から住民達がぞろぞろと普段着で歩いて買い物にやってくるのだ。

 だからロシアの庶民は、「温かく人間的だった」ソ連時代に一抹のノスタルジアを感じつつも、なんとなく雑然としがさつな今のモスクワにいい加減疲れを感じながらも、やっと手に入った便利さはもう手放したくない。渋滞の中、僕の運転手は言った。「昔はね、肉屋の羽振りの良かったことと言ったら。良い肉をとっておいて、知り合いの顧客にコネで高値で売っていたんだから。今は食べ物は何でもある。でも、昔はピオネール(共産党のボーイスカウトのようなもの)とかラーゲリ(夏の林間学校)とか社会がまとまっていた。自分もああなりたいと思うようなお手本になる人々のことを教えられたし、社会全体で子供を育てていた感じがあったな。今は皆ばらばらで、怒りっぽくなっちゃって。俺も大変さ。会社に使われて。週末でも、呼び出されるんだ。でも、来週は家族とトルコで休暇さ」

インテリの倦怠感―――チェーホフの世界

 ロシアという国は、評者がどこを見ているか、社会の如何なる階層を見ているかで、評価がまったく異なってくる。昨今の石油ブームもあって、地方都市でも生活水準が確実に上がってきた反面、いわゆるインテリにとって現状は「ブレジネフ時代のような停滞」、あるいはオイル・マネーのせいで本当に必要な改革は棚上げにされたままの「改革殺油地獄」、あるいは「インテリ殺油地獄」に他ならないようだ。「何かが空気に漂っている。何か変わらなければならないという雰囲気が。しかし何も変わらない。何がなんだかわからない」と言う友人もいて、これでは一九〇五年の第一次革命前のロシア社会を描いたチェーホフの「桜の園」そっくりではないかと思ったものだ。

 こうしたぬるま湯につかった安定の中で、所得の格差や腐敗、そしてエリートのエゴイズムと大衆の頑迷さが解消されない。国の富をほんの一握りの貴族が独占し、圧倒的多数の大衆を農奴として搾取して省みなかったあの体質は、今でも深く深く残っている。ここでは、新しい富を作り出すことよりも、今ある富を誰がどのくらい手に入れるかが大事なのだ。ロシア人は、自分達はポスト産業化社会にいるのだ、と言うが、外国人が目にするものはむしろプレ産業化時代、つまり十八世紀の重商主義の時代を思わせる。手練手管、収賄と、資産の奪い合いは手段を選ばない。「このように腐った社会は、文明としてもはや成り立たない。二十一世紀になったのに、この国はまるで未だ20世紀初頭のメンタリティにあるかのようだ。僕の子供には外国で生きていくよう言っている」とまで言う友人がいたから、オイル・マネーのバブル効果を差し引いて見ればロシアもよほど重症なのだ。

起こるはずなどない「民主化」革命

 グルジアやウクライナの政権が「オレンジ革命」だとか何だとか、それぞれの色の呼び名をつけられ、西側NPOの干渉も受けてはばたばたと倒れていった二〇〇四年の頃、クレムリンはパニックになった。ソ連が崩壊してやっと友達になったはずの欧米が、歯をむき出してロシアを包囲しにかかっている、と彼らには見えたのだ。あまつさえ、今年の一月には年金生活者達が中心になって、福祉の縮小に抗議するデモが全国的に起きている。春のモスクワでは、次のロシア革命が間もなく起きる、という論議が一時はやったものだ。

 社会のモラルは崩壊したまま、再構築されていない。石油ブームで一握りの連中は春を謳歌しているが、安月給の教師達、下級公務員、労働者、農民、そういった大衆との格差はほとんど解消されていない。モスクワの街は、猥雑な趣味と埃っぽさにおいて際だっている。いわゆるリベラル勢力も生き残ってはいるものの、ある識者に言わせると、「昼は口角泡を飛ばして論争するが、夜になれば保守の連中と同じパーティーで和気藹々。保守もリベラルも同じ穴のムジナで、煮え立っていた社会にできたカサブタのような存在」なのだそうだ。ロシア正教会も「身売りして、同性愛とビジネスの巣窟と化した」とさえ言う者がいたし、ソ連崩壊当時は皆が絶大な期待を寄せたアメリカも、九十年代ロシアが最も困っている時に助けてくれなかったばかりか、力をかさにきてあれこれ指図する姿勢を見せたり、NATOを拡大したりで、ロシア国民の信頼をすっかり失っている。

 つまり現代のロシアは、「米国が自由とか民主主義とかいくら喚いてみたところで、ロシア人にはせせら笑われるだけだ。問題は山積していても、上からも下からも革命など起こるはずがない」とインテリが唇を歪めて言う時代になっているのである。数年前なら、ロシアはヨーロッパ文明、アジア文明のいずれに属するのかとか、ロシア経済の発展モデルとして最もふさわしいのは日本かチリか、日本文化と中国文化はどう違うのか、というような知的な論争も少しはあった。ところが今回は、ある政治専門家が僕に言った。「内政が不安定になる可能性は小さい。それよりむしろ老朽化して限界に達しているインフラが崩壊して災難が起こることの方が怖い。ロシアでは、これまで革命があり過ぎた。目下エリートの間に深刻な亀裂はない。大衆は、できたばかりの月賦制度に目がくらみ、電化製品を買い入れては代金を返済することで頭がいっぱいだ」

 ロシア国民は、理想とか理念についてはもう疲れている。幻滅している。オイル・マネーのおかげで財布は少々豊かになっても、心の中には隙間風が吹いている。その中で唯一信ずることができるもの、それはおそらく血縁、地縁だろう。それが露骨なナショナリズムに化していく可能性だって、もちろんある。                  (以上)

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