Japan and World Trends [日本語] 日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。
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論文

2005年07月06日

2005年6月のモスクワ

1.変化のテンポ鈍化。生ぬるい安定、あるいは『停滞』

(1)成田発アエロフロート機は、まるでルフトハンザになったが如く、定時にエプロンからすべり出た。市場経済化が進んできた90年代半ばから、アエロフロートの国際便は確実に良くなった。まずエアバスが就航したし、機内食を温めるようになった。今では税関用の書類の英語も英語らしいものになったし、紙の質も良くなった。スープが出てくると、その洒落た皿にはコンニャクとゴボウがさりげなく浮かび、ステーキの付け合わせは小振りの丸いガンモドキになっている。この一見珍妙な取り合わせはさりげなく、上質の趣味をもって処理されている。そして米は竹づとにくるんでゴマをふってあるのだ。「おいしいね」と言うと、スチュワーデスが緊張した顔で「頑張っているんです」と答える。市場経済になってからは、彼らは上得意の日本人乗客をまるで怖がっているようだ。

(2)白樺の森、川、湖に彩られたロシアの大地が見えてくると、さすがに一つの感慨にふける。偉大な大地、偉大な民族だ。かつてマルクスがアメリカと同等の発展を予言したこの国が、その後どうして駄目なのだろう?

 モスクワの空港では、旅券審査と税関が速くなった。今回は手荷物しかなかったから、自分はこの30年間で最短の記録的なスピードで空港を出た。だがその先の道路は相次ぐショッピングセンターの出店のためか渋滞を極め、今度はこの30年間で最長の時間をかけてホテルにたどりつく羽目になった。

(3)ゴルバチョフ以来のモスクワは、その変貌のテンポの速さで外国人を幻惑してきた。だが今回は、僅か1年ぶりの訪問だったこともあり、これまででは最も変わっていないモスクワを目にすることになった。そこには、外観に関する限りはものすごいスピードでモスクワに追いつき追い越していった中国の諸都市と比べて、いささか寂しさを覚えさせるものがある。

 しかし、ロシアはエリツィン時代末期から大衆消費社会に確実に突入している。『温かく人間的だった』ソ連時代に一抹のノスタルジアを感じつつも、現在の便利さは手放したくないというのが、もう大多数の意見だろう。 (注:そのノスタルジアについては、次のようなタクシー運転手の言を挙げておこう。『昔、肉屋の羽振りの良かったことと言ったら。良い肉をとっておいて、知り合いの顧客にコネで売っていたんだから。今は食べ物は何でもある。

 でも、昔はピオネール(共産党のボーイスカウトのようなもの)とかラーゲリ(林間学校)とか社会がまとまっていた。自分もああなりたいと思うようなお手本になる人々のことを教えられたし、社会全体で子供を育てていた。今は皆ばらばらで、怒りっぽくて』)

(4)ロシアという国は、評者がどこを見ているか、社会の如何なる階層を見ているかで、評価がまったく異なってくる。『地方都市でも生活水準が確実に上がってきた』反面、いわゆるインテリにとって現状は『ブレジネフ時代のような停滞』に他ならず、『何かが空気に漂っている。何か変わらなければならないという雰囲気が。しかし何も変わらない。何がなんだかわからない』ということで、これは1905年の第1次革命前のロシア社会を描いたチェーホフの「桜の園」に酷似した状況だ。
 ぬるま湯につかった安定の中で、所得の格差や腐敗、そしてエリートのエゴイズムと大衆の頑迷さは一向に良くならない。だから、『このように腐った社会は、文明としてもはや成り立たない。21世紀になってこの国は、まるで未だ20世紀初頭のメンタリティにあるかのようだ。自分の子供には外国で生きていくよう言っている』者まで出てくるのである。

(6)Apathy
  社会のモラルは崩壊したまま、再構築されていない。モスクワの街は、趣味の猥雑さと埃っぽさにおいて際だっている。いわゆるリベラル勢力も生き残ってはいるものの、『昼は口角泡を飛ばして論争するふりをしているものの、夜になれば保守の連中と同じパーティーで和気藹々。保守もリベラルも同じ穴のムジナで、煮え立っていた社会にできたカサブタのような存在だ』と言われるまでに堕落した。ロシア正教会も『身売りして、同性愛とビジネスの巣窟と化した』と言われる始末だし、90年代ロシアが最も困っている時に助けてくれなかった米国は、ロシア国民の期待と信頼を疾うに失っている。

 つまり現代のロシアは、『米国が自由とか民主主義とかいくら喚いてみたところで、ロシア人にはせせら笑われるだけだ。上からも下からも革命など起こるはずがない』状況になっているのである。

  ある政治専門家は言った。『内政が不安定になる可能性は小さい。それよりむしろ老朽化して限界に達しているインフラが崩壊して災難が起こることの方があり得る。ベレゾフスキーは「下部構造が市場経済、上部構造がソ連型エリートとシステムという齟齬」にロシア社会の基本的矛盾を見いだしているが、ロシア史においてはこれまで革命があり過ぎた。目下エリートの間に深刻な亀裂はない。大衆は新しいクレジット・カードを使って消費し、代金を返済することで頭がいっぱいだ』

2.内政状況

(1)プーチン政権は当面安定
 プーチン大統領は、90年代前半の激動、困窮、犯罪、国家威信の喪失に倦んだ国民の輿望をになって出現した。昨年末以来、彼の支持率と威信はウクライナ大統領選介入の失敗、保障措置削減に怒った年金生活者達による全国的なデモ、プーチン大統領側近による経済的利権漁りの動きについての報道などによってかなり揺さぶられたが、現在右は一段落し、再び安定的側面が目に付くようになっている。

(2)現政権とエリツィン前大統領一家の間に大きな摩擦なし
 5月末、モスクワでは大きな劇場が2件、続けて火事になった。また、モスク ワの南半分が大停電になり、40時間も復旧しなかった。何が起こっても背後に何者かの「陰謀」があることをすぐ疑うモスクワだから、自分もある仮説を立てた。プーチン大統領は支持率を上げるため、エリツィン時代拙速に行われた民営化の結果を大幅に見直そうとしているのではないか、右見直しはエリツィン一族の利権を侵すばかりでなく、過去の民営化における瑕疵に対する刑事責任を問うものにさえなりかねないため、エリツィン側はサボタージュに出てきたのではないか、という仮説である。

 今次訪問においては、この仮説はほぼ全ての懇談相手によって否定された。彼らによれば、かつてエリツィン大統領一家の金庫番を務めていた大資本家のアブラモヴィチは『豪華ヨットを贈ってプーチン大統領ににじり寄り、民営化石油会社「ユーコス」解体・国営化のシナリオを書いた』し、有力マスコミを手中に収めて現政権批判に回ったがゆえに国外逃亡を余儀なくされた大資本家グシンスキー、ベレゾフスキーの両名も、『この夏には手持ちのマスコミを最終的に手放すようだ。マスコミのオーナー地図の一大変化があるだろう』と言われる状況になっている。

(3)大統領府への権限集中とその副作用
  エリツィン前大統領はゴルバチョフから権力を簒奪する途上で、地方に権限を大きく委譲した。プーチン政権はこれまでその行き過ぎ是正に務め、最近になって『大統領府への権力集中は完成した。知事を公選から大統領による任命制にしたことで、地方における仲間内の争いの仲裁まで大統領が背負い込むことになったが、うまくさばいている』と言われるまでになった。『マスコミも1997年までは第4の権力と呼んでも差し支えない影響力を持っていたが、現在では何の力もない』。

  しかし、権限が集中したことによって政権内の腐敗はひどくなったもようである。極東地方のある知事は、大統領府に10億円を賄賂として贈ることによって留任を認められた由。

 こうしたことは、『大統領府に権力が集中したのはいいが、政策決定のメカニズムが不透明である』と外交団から言われる結果を生んでいる。

(4)2008年大統領選見通し
  2008年の大統領選見通しについて語るのは、未だ早すぎる。しかし政治専門家は既にこのことを考え始めている。『プーチンの次はプーチンさ。憲法が禁じている三選を可能とするためのシナリオを、既にいくつか大統領府に上げてある。』と言う者から、『今の状況なら、エリートが談合して誰か候補者を出してくる。誰が大統領になろうが、務まるのさ』と言う者まで、様々である。この辺の感覚は、『エリート達は、以前最もあくどいやり方で多額の国家資産を手に入れたホドルコフスキーのみを、人身御供の「大資本家」として国民の前につきだし、あとは口を拭っているのである。だから、彼らの間からであれば誰が大統領になってもいいのであり、誰がなってもそれなりにやっていけよう』という言葉でわかってもらえるだろう。

  カシヤノフ前首相がこの半年、2008年大統領選への出馬の意欲を露わにしているが、これは『エリツィン前大統領一族やベレゾフスキーなどから教唆されて言っているのではなく、自分自身のイニシャティブで言っている。モスクワのエリートの間では、ピエロのようなものだと言われている』由。また資力も備えたリベラルの大立て者として唯一残っていたチュバイス・中央電力公社総裁も、本年中には同公社が発電・配電部門等に解体される中で基盤を失いつつあり、『政治に打って出るには機を失した』と言われている。

3.経済

(1)ブレジネフ時代との類似・石油高価格下の改革停止
  現在の経済・社会状況は、1970年代末のソ連・ブレジネフ時代に余りにも、あるいは悲劇的な程似ている。当時の石油価格は石油危機の結果、記録的水準にあり、大産油国ソ連は改革路線を取る必要性はまったくなかった。当時コスイギン首相が代表していた改革路線は、1968年のプラハの春騒動を引き起こしたものとのレッテルを貼られ、ブレジネフから忌み嫌われていた。

 従ってソ連的な集権経済体制には全く手を付けることなく、豊富なオイル・マネーを使ってソ連各地に日本等からの最新型プラントが次々に建設されていったのである。
(その後80年代央には石油価格は1バレル約10ドルの記録的低水準になり、ソ連は財政赤字に陥るようになった。また米国レーガン政権によるSDI開発の構えは、その膨大な費用でソ連指導部を焦らせた。この2つの要因がゴルバチョフをしてペレストロイカに踏み切らせるのだが、規制緩和のハンドリングを失敗してソ連は崩壊するのである)

 現在の状況は、最新型プラントの大量輸入が未だ見られないことを除けば、非常に似ている。『ブレジネフ時代のような気だるい安定が支配している。改革は進んでいない』

(2)実現不可能になった「所得倍増計画」
  プーチンが大統領になって以来、経済は少なくとも数字上は良好な状態に推移してきた。98年8月借金財政破綻によるルーブルの大幅切り下げで輸入代替産業が伸びたこと、その後は石油価格が高騰したこと、などの好要因が介在したのである。だがその後、ルーブルは世界でおそらく最も安定した通貨として推移したため対ドル・レートは割高になり、国内産業は苦しむようになった。現在、工業生産はその伸びをほぼ止めている。本年1-5月の実質成長率は、昨年同期の7,5%をはるかに下回る5,4%に止まっている。また流入するオイル・マネーはインフレを加速させつつあり、05年には10%を上回ることが予測されている。

  プーチン大統領が2年ほど前華々しく打ち上げた「2010年までの所得倍増計画」は大統領が口にすることはもはやなくなり(実現のためには、毎年7%以上の実質成長が必要なのである)、保守的なフラトコフ首相と改革派の経済担当大臣達が責任のなすり合いをする道具と化してしまった。首相は、社会主義時代に育ったが故の命令体質を露わに出して「とにかく目標を達成するんだ」と言うが、大臣達は「投資に適した条件を創出しなければ経済は成長しません」と主張して、首相の放漫財政政策を戒めている。

 ソ連崩壊当時、西側の経済専門家達が「直ちにすべてを自由化すれば、経済は自然に市場経済化する」という幼稚なことを主張したのに対し、日本の専門家の一部には急激な改革を避けつつ生産設備の近代化を徐々にはかっていくやり方を提唱する向きがあった。現在のロシアの状況は、むしろ右のうち後者のアプローチが実際には採用されていることを意味する。それは、「ウズベキスタン・モデル」と言われる行き方に類似しており、社会の安定を保持したままでの経済発展を保証するようでいて、ある時点に来ると周囲との格差が広がりすぎ、政治的にももたなくなる、という危険性を有している。

(3)調整力の不足
  首相と経済閣僚の歩調が合わないのだから、経済政策の調整はまったく不十分である。『政府は調整能力を欠いている。ロシアの苦境を救うためには教育改革が必要であることは誰しも認めるのだが肝心の予算がついていない、といった状況だ』

(4)「産業資本家」の不在ーーー「ロシアは金融資本主義」
  『生産設備の老朽化が最も大きな問題である。製品の質もさして上がっていない。エカテリンブルクの大工場ウラルマシでは社長のベンドゥキーゼ(注:現在はグルジア共和国の閣僚)の下で生産が注文に追いつかない状態、と言われた時期もあったが、それは誇張された見方だった。ロシアの問題は、ベンドゥキーゼも含め、市場経済におけるモノの生産を管理できる経営者がいないことである。シベリアの大工場は殆ど止まっており、住民の生活は政府からの助成金で支えられている現状である。

 中国は幸運だった。90年代初期大々的な対中投資を開始した台湾資本は、資本だけでなく生産ノウハウ、マネージメント、そして海外顧客まで中国に提供した。海外からの直接投資が十分でないロシアの資本主義は、金融資本主義あるいはゼロサムゲームの重商主義的思考に止まっている。

 資金はある。資金の海外逃避も大した規模にはなっていない。ところが、資金をモノの生産に向けようという真剣な意欲が欠如している。98年のルーブル下落以来盛んになった軽工業でさえ、最近では中国製品に席巻されつつある』

(5)ある日本の商社OBによれば、ロシアに投資をした場合に怖いのは、ロシア側資産の本当の所有者が誰かわからない、調べるととんでもない(注:諜報機関出身者か暴力団系か、という意味)人物がおぼろげに浮かび上がってきて、怖くなって手を引いたりすることである由。

(6)インフレ懸念は大きくない
  2005年のインフレ政府予測は8,5%であるが、1-5月だけで既に7% を超えたので、『年間では最大で11,5%程度を見込んでいる』(D)。工業生産がふるわない中で消費は伸び、しかもオイルマネーが大量に流入するとあっては(外貨準備は現在約1,500億ドルを超える。3年前は100億ドル台であった)、インフレになって当然なのだが、消費需要は記録的な輸入で満たされている。オイルマネーは『石油企業の輸出収入の大半はルーブルに代えることが義務づけられている。そのルーブルは企業の口座にはりついたままで市場にあまり出てこないから、それほどのインフレ要因にはならない』由。

(7)なけなしの軍需生産に転機?
  第2次大戦で数千万人を失い、その後米国との冷戦・軍拡競争に突入したソ連にとっては、国防は至上命令であった。軍需部門はそれをいいことに予算・資材を独占し、ソ連経済をあたかも兵器製造マシーンと化してしまった。正確な統計はないが、ソ連の鉱工業生産のうち70-80%が軍需関連だったろう。今でも極東のコムソモルスク・ナ・アムーレ市が中国向けのスホイ戦闘機の生産に市財政の多くを依存しているように、シベリアやウラルの工業都市の多くは少数の軍需関連大工場の企業城下町となっているのである。エリツィン時代、軍需生産は大幅に縮小され、ロシア経済全体が2分の1にも縮小する大きな原因となった。兵器の国内調達は急減し、海外への輸出が大きな意味を有するようになった。中国、インドが主たる顧客となって現在に至っている。

  しかし今回、数人による次の内話は、軍需生産に一つの転機、あるいは危機が訪れていることをうかがわせるものであった。 『ロシアが現在輸出している兵器は80年代に開発されたものばかりであるが、これから予算システムが変わり、軍需企業に対してはR&D費が事前には支払われなくなる。入札で敗退すればR&D費が全く無駄になるリスクが生ずるのである。これで、新兵器の開発は益々難しくなるだろう』、 『中国へのスホイ戦闘機輸出は、来年で契約が終了する。中国はライセンス生産に移行する』

4.外交

(1)国力が回復していないロシアにとっては、現在の国際環境は不利である。米国とはかつてのように対等というポーズを維持するのも難しくなり、東欧、ウクライナ、コーカサス諸国は西側に吸い寄せられ、中央アジアでも西側ばかり か中国の影響力までが増大している。こうした状況を反映してか今回、識者による外政関係の発言は、何をどうこうするという主体性と戦略性に欠けた断片的なものであった。

(2)それでも外交に自信を深めるプーチン大統領
 『ラヴロフ外相とライス国務長官を比べてみると、前者は自分の大統領の意向がわかっておらず代弁もできないところに、大きな差がある。外政についてはプーチン大統領が自分の一存で進めるケースが増えている。昨年12月のウクライナ大統領選挙であれだけヤヌコヴィチ候補を支持したのも、周囲の助言を蹴ってクチマ大統領との約束を優先したプーチン大統領自身の決断によるものである』

(3)CISについて
  『グルジア、ウクライナ等における「民主」革命を、言葉通りに受け取ってはならない。両国における「革命」は利権の再配分に終わっており、グルジアのサーカシビリ大統領は早や、独裁者的性格を露わにし始めている。

  中央アジアのイスラム過激派は、収入の70%を麻薬取引から得ているそうだ。中央アジアで中国の影響力が増大していることはわかっているが、ロシアは何もできない』

(4)中国について
 『中国は、いつかは抑えられなくなる。ロシアは、今は中国との関係を良好に維持することで、米国、日本に対するバランスを取っているが、10年もたてば中国にあごで命令される(dictate)ようになるだろう。いや、アメリカでさえ、中国を抑えられなくなる日が来るだろう。しかし、ロシアは東アジアの動向には無関心である』

 ロシアは、10年後、20年後の中国、中露関係がどうなっているかについて、考えるのを無意識的に避けている、つまり思考麻痺している感がある。他方、『中国は来年には、米国のBMDを破ることのできる兵器を入手するだろう』という話に見られるように、中国と日米の対立を煽ろうとする試みは捨てないのである。
 (注:「米国のBMDを破ることのできる兵器」が何であるかはわからない。可能性としては、①ロシアのミサイルのMIRV〔多弾頭〕技術を利用した新型 ICBM,あるいは原潜から発射されるSLBM、②500キロもの射程距離を 有するウクライナ製のクルーズ・ミサイル等が考えられ、既に報道もある。)

5.日露関係

(1)様々な対日観

(イ)どこの国の国民も、外国のことなど真剣には考えていない。モスクワでは相変わらず寿司を中心に日本文化ブームが続いているが、それはもはやエリートの日常生活に定着した感があって、以前ほどには日本との関連が意識されなくなっている。だからこそ、日本イメージは安易なステレオタイプのままであるところも残っていて、日本と言えば奇妙なチョンマゲを結い浴衣のような服をだらしなく着流した「サムライ」とどぎつい化粧のゲイシャですませてしまいがちである。モスクワ大学の日本語教師は、「日本の文化交流は伝統文化に重点を置くあまり、そうしたエキゾチシズムをかえって強化している面がある」と述べていた。

(ロ)他方、実際に日本との関わりを持つ人、持ち得る人々の間における日本観は、より自然なものに変わってきた兆候が一部にはある。ついこの間まで「ロシアの実業家は、ワールドカップの観戦で日本に行っても、日本の大企業と商談をしようなどとはハナから思っていなかった。彼らにとって日本はエキゾチックで不可解な国にとどまり、ただサッカー観戦と寿司の賞味で終わってしまったのである」という感じであった。

 日本製品の高品質は知れ渡っていたが高価格なため、消費財は韓国製、生産財はドイツ製が好まれていた。しかし最近、日本製品は競争力を回復しつつあり、『ロシアの実業家はやっと、日本をビジネスの相手として真剣に考え始めた』由。ロシアの生産設備の老朽化を考えれば、日本企業にとってはいい商機である。

(2)問題は日本人の対ロ観にも北方領土問題についての盛んな報道、ワールドカップでの日本チームへの敗
退等を経て、ロシア人の意識に根強くあった日本人蔑視は後退し、日本を一つの大国として自然に受け入れるようになった感がある。
 その点最近ではむしろ、日本人がロシア、ロシア人を相変わらず欧米より劣ったものとして蔑視するのを止めないことの方が問題ではないか。帰りのアエロフロートである中年婦人が苛立ちを浮かべた声でしゃべっていた。「私、かっかしてるんだからね。ドイツに行った時は通ったのに、なんでここで通らないんだよ」  そして、ロシア人のスチュワーデスに殊更つっけんどんな態度を見せていた。そういう時のロシア人は、今日ではもうひたすら申し訳ながるだけなのである。

(3)当面上向きの日露関係

(イ)5月9日の戦勝記念日に因んで、プーチン大統領は世界の主要国首脳を集め、モスクワで大祭典を行った。小泉総理は当初、参加の意向を示していなかったが、右式典は戦後60年たってもはや敵も味方もないこと、平和が重要であることを示すために行われるものであることが確認されると、出席を決めた。

 プーチン大統領はこれが嬉しかったもようである。6月15日トヨタがサンクト・ペテルスブルクで工場進出鍬入れ式を行った際、彼はわざわざこれに駆けつけて森前総理と会談したが、その冒頭で小泉総理の出席に対する感謝の念を述べたのである。

(ロ)トヨタ進出へのロシア側要路の期待は大きい。『トヨタがロシアの部品生産の水準を引き上げ、それがロシアの産業全体を利することを願っている』模様である。

(ハ)日露関係に携わる者の層が益々薄く、年長になっていることが憂慮される。ロシアは米国を凌ぐ程の厚い日本研究者層を持っていたが、これも老齢化が進み、若い者は政治・ビジネス等に転出してしまっている。

6・将来への希望を持たせるもの

(1)まともなビジネス志向

 若いベンチャーのコンサルタント会社社長と懇談した。彼は大学卒業以来、モラルが崩壊し命の危険さえあったロシアのビジネス界を忌避していたが、情勢が落ち着いたしそれなりの需要も出たと見て、ヴェンチャー企業を立ち上げたのである。日本のPR会社のモスクワ進出、日露の薬品会社間の提携仲介等が当面の仕事だが、彼は中国への進出も考えた。7ヶ月中国市場を事前研究すると、中国の物作りの中心になっている南部とロシアの関係が未だ薄いこと、ロシアに輸入されているのは主に安手の製品であり、中国から西側に輸出されている中級・高級品はあまり輸入されていないことに気がついた。そこで最近、彼は1人で中国に出かけ、南部を中心に回ってきたのである。
 40代以上のインテリと言われる連中は今回、例外なく「停滞」という言葉を使っていた。また、現代の学生はその多くが役人になったり外資系企業で働くことを夢見る安定志向であるのに対し、リベラリズムが最高潮に達した80年代後半を知っている30代後半の者達には、まだヴェンチャー志向が残っている。くだんの社長は言った。『ビジネスについては随分規制緩和が進みました。法制面での整備は、数年前と比べものにならないほど進んでいます。これで役人たちさえ邪魔しなければ・・・。汚職がひどいのです。』

(2)出生率の上昇?
 生活が厳しく治安も悪かった90年代の前半は、街で妊婦や乳児を見かけることがほぼ皆無だった。今回は、かつてないほど妊婦を街路で見かけたし、懇談したロシア人たちも昨年あたりから妊婦や乳児を見かけることが顕著に増えたと述べていた。社会の雰囲気は停滞しているが、オイル・マネーに支えられた気だるい安定は、出生率向上の形で将来の本当の希望をもたらしつつあるのかもしれない。

 大学生は現世指向が強くシニカルになった、価値観が崩壊した90年代に幼時を過ごした連中だから駄目なのだ、彼らは「失われた世代」なのだ、という声も聞かれるが(シェレメチェヴォ空港のパナソニックの広告はロシア語のつづりが間違っていて、「夏の天気」ではなく、「ニャツの天気」と書いてある)、他方全員がそのようになってしまうことはあり得ず、『あの苦しい時代においても、家庭での躾は別に変わらなかったのです』という言葉を裏書きするような真面目な青年ももちろんいる。リベラルな青年達やマスコミ人達がたむろする、本屋兼喫茶店兼食堂のO.G.I.も覗いてみたが、3,4年前と何も変わらないボヘミアンな雰囲気だった。こうした連中を相手にスターリン的な恐怖政治を敷こうとしても、それはそんなに簡単ではないだろう。ロシアは停滞と変化の芽をいつも共に抱えながら、これからも何とか生きていくだろう。

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